ダブル チェンジ 第1話

-  何かが違う! -


「さあ、約束の時だ。碇シンジ君。」
カヲルは、笑みを浮かべて言った。

「今度こそ君だけは…幸せにしてみせるよ。」

それが、ことの始まりだった。





「だめだわ、やっぱりつながらない。」
あたしは、街角の公衆電話の受話器を置いてつぶやいた。

「待ち合わせは、無理ね。シェルターに行くしかないのか。」

そのとき、あたしは気付いた。
道の真ん中に蒼い髪の少女が佇んで、こちらを見ていた。

見慣れない顔だ。
あたしと同じくらいの年頃の、女子中学生のようだ。
それが、紅い瞳を見開くようにして、あたしを見ている。

『何か、用?』
そう言いそうになったが、それを思いとどまらせる何かがあった。
あまりに、意外なものを見るような目。
当てが外れたというか、予想外な展開に戸惑うような目で、あたしを見ていた。

”なぜ、こんなことが?”
今にもそうつぶやきそうな、困惑の表情。

まるで、あたしがここにいてはいけない様に見える。

なにか、あたしは、無性に腹が立ってきた。
『なによ、いつまで人のこと、じろじろ見てんのよ!』

そんなことを言ってやろうとして、一歩を踏み出した、そのとき。

ものすごい風切り音がして、周囲の電線が震えた。
思わず耳を押さえ、上空を見上げる。

戦闘機らしきものが、超低空で飛び去っていくのが見えた。
そして、それが向かう方向に、そいつはいた。

漆黒の巨体が…巨大生物が!

そいつが、無数の戦闘機に取り囲まれたまま、こちらに向かってくる。

「なによ、これぇ!」
あたしが叫んで走り出すのと同時に、戦闘が始まった。




巨大生物の目が光る。
すると、戦闘機の一機が火を噴き、煙を吐いて落下していく。
他の戦闘機は、一斉に集中砲火を浴びせているようだけど、効いているようには全然見えない。

冗談じゃないわよ!

ひとをいきなり呼びつけておいて、迎えの車を寄こすどころか、そのもてなしがこれだなんて!
ともかく、一番近いシェルターへの入口をさがさなくちゃ。

でも、見つからない。
走りながら周囲を見廻すが、それらしきものはなかった。

いきなり、日が蔭った。
何か、やばいものが近づいてくる。
そう思って上空を見上げると、あの化け物…巨大生物が、ジャンプしてこちらに着地してくるところだった。

ちょっと! 踏みつぶされちゃうじゃないのよ!
もうだめかと思ったが、幸いなことに着地地点は数メートルくらい向こうだった。
でも、その衝撃で、あたしはふっとばされた。
なんとか受け身をとって、無事だったけど、日ごろの鍛錬がなかったらそれだけで怪我するところだった。

なんなのよ、もう!!
起き上がり、どちらに逃げようかと顔を上げたところへ、一台の青い車が目の前で急停車した。

「お待たせ。 乗って!」
サングラスをした、若い女が運転席の窓を開けてあたしに向かって叫び、そして微笑んだ。

笑いごとじゃないでしょうが!
もう少しで、死ぬところだったのよ!!




「遅くなって、ごみんねー。惣流・アスカさんね?」
女は、微笑みながら言った。

「惣流・アスカ・ラングレーです。」
あたしは、憮然として答えた。

あたしが同乗した車は、全速力で戦闘区域から離脱しようと、山の方に向かって疾走している。

「わたしは、葛城ミサト。よろしくね♪」

「で、葛城さん。」
「ミサト、でいいわよ。」

「じゃあ、ミサト。」
「いきなり、呼び捨てかい!」

「あんたがそう言ったんじゃない。」
「”あんた”…。 まあ、いいけど。何かしら?」

「さっきのあの化け物、いったい何なのよ。」
「あれは、”使徒”。わたしたちネルフ、いえ、人類の敵よ。」

「あんたたち、あんなのと戦っているの。」
「まあ、ねん。」

「まさか、あたしもあれと戦うために呼び出されたの?」
「いい勘してるわね。ご名答、そのとおりよ。」

「ちょっと!聞いてないわよ!!
 だいたい、あんなのと、どうやって戦えっていうのよ。軍でも歯がたたないじゃない!」

「着いたらわかるわ。まあ、軍のやりかたじゃあ、せいぜい足止めにしかならないわね。」

そう言うと、ミサトは車の窓から使徒と戦っている戦闘機群に目をやった。
あたしもつられて、そっちを見る。

もう、戦闘区域からは、かなり離れている。
とりあえずの、身の危険はなくなったようだ。
あたしは、ほっとした。

ところが、ミサトは急にブレーキを踏んで、車を停止させた。
つんのめったあたしの胸に、シートベルトが食い込む。

「うぐっ。ど、どうしたっていうのよ!」

ミサトはそれには答えず、双眼鏡で戦闘機群を見ている。
どの機体も、一斉に使徒から遠ざかろうとしているようだった。

「まさか、ここでそれを使うわけぇ?!」
そう言うと、いきなりあたしの頭を、上から抑え込んだ。

そのことに抗議する前に、

「伏せて!!」
耳元で、大声で怒鳴られた。

続いて、凄まじい光が視界を奪い、轟音とともに車が横向きに何度も回転するのを感じた。




「大丈夫だったぁ?」

ミサトに、そう言われた。
逆さまになった車から、二人で這い出してきたところだった。

「…口の中が、しゃりしゃりするわよ!」
「それは、結構♪」

二人とも、体中についた土埃を払い、そして力を合わせてなんとか車を表返した。

「オーケイ、なんとか動きそうね。」
エンジン始動を確認したミサトは、言う。

「ねえ、ちょっと…。」
あたしはミサトに、さきほどの爆心地の方を指さして言った。

「ひょっとして、あいつ、まだ生きてるの?」

爆煙が晴れる中、あいつ…使徒がまだ、何もかもが溶け崩れた中でぽつんと佇んでいる。

「生きてるわよ。現在、自己修復中。再度進攻は、時間の問題ね。」

「えーっ!」
正直、怖いと思った。

「さ、あいつが動き出さないうちに、行きましょ。」

あたしは、なんだかいやな予感がしたが、素直に従って車に乗り込んだ。




車は、山の中腹から地下道に入り、そこから専用のカートレインに乗ってさらに地下を目指していく。

「特務機関ネルフ?」

ミサトから渡されたパンフレットに目を通しながら、あたしは尋ねた。

「そう。国連直属の非公開組織よ。」
「パパのいるところね。」

「まっねー。お父さんの仕事、知ってる?」
「人類を守る、大事な仕事らしいってことくらいよ。」

「それだけ?」
「だって、興味なかったもの。あいつだって、あたしのこと、興味なかった筈よ。」

「お父さんのこと、あいつだなんて、言うものじゃないわ。」
「だって、ママとあたしのこと捨てたまま、もう何年も会ってないのよ。それを今さら、『来い』なんて。」

「お父さんのこと、苦手なのね。」
「………。」

「わたしと、同じね。」
そう言って、ミサトは微笑む。

あたしは、”違う!”と言ってやりたかった。
苦手なんかじゃない、ただ憎いだけだと。
でも、他人の胸の内にまで、ずかずかと土足で入って来られるように思えて、それ以上は言わなかった。

「これから、パパのところへ行くのね。」

「そうね、そうなるわね…。」
ミサトは、両手を頭の後ろで組んで、宙を見上げるようにして言った。

あたしは、次の言葉を待ったが、それはなかった。
ミサトにも、何か言いたくない事情があるのだろう、そのときはそう思った。




ネルフの、本部施設に着いた。

途中、車窓からジオフロントの全貌が見えたときは、ちょっぴり感動したけど、すぐにそれはなくなった。
さきほどの使徒が、いつ再進攻を始めるかわからないのだ。
ことによると、もう動き始めているかも知れない…その不安と恐怖が拭いきれなかった。

ミサトに連れられてエレベータに乗っていると、途中の階で白衣の女性が同乗してきた。

「遅いじゃないの、ミサト。」
「あはは、ごみん、ごみん。」

片手をあげて謝っているところを見ると、ミサトの同僚か、友人といったところだろう。

「紹介するわ。赤木リツコ博士よ。」
「技術局一課、E計画担当の赤木リツコよ、よろしく。」

「惣流・アスカ・ラングレーです。」

「例の女の子ね。」
「そっ。マルドゥックの報告書による、セカンドチルドレン。」

二人に連れられて、薄暗い部屋に入っていった。
何か、工場か倉庫みたいな雰囲気で、金属と何かの薬品のような匂いがする。
ただ、やたらと広くて暗く、足元の通路らしきもの以外は何も見えない。

「なに、ここ?」
「今、照明を点けるわ。」

照明が点く。
やはり、ここは広大なケイジのようだ。
そして目の前に、巨大が顔が浮かびあがり、あたしは驚いた。

緑色をした、四つの目らしきもの。
赤を基調とした、光沢のある頭部。

いかにも人工物という感じで、さきほどの使徒の様な生物的な気味悪さはないものの、不気味という点では
同じだった。

「顔? 巨大ロボット?」
あたしが思わずつぶやくと、

「違うわ。」
リツコがそれに答えた。

「汎用人型決戦兵器、人造人間エヴァンゲリオン…その初号機。我々人類の、最後の切り札よ。」

「これも、パパの仕事なの?」

「そうだ。」
部屋中に、響き渡る声がした。

「ラングレー司令!」
ミサトが上を見上げて、叫ぶように言う。

その視線を追うと、たしかに見覚えのある人影が、あたしたちを見下ろしていた。




「久しぶりだな、アスカ。」
声の主は、たしかにパパだった。

その容姿は、3年前とほとんど変わっていない。
あたしは、その男を睨みつけるようにして見上げた。

「ずいぶんな、”上から目線”の挨拶ね。 今さら、こんなところに呼びつけて何の用なの?」

「出撃だ。」

はあ? 
何を、言ってるのよ。

「出撃? 零号機は、凍結中の筈ですが。」
傍らのミサトも、その意図が分からないようだ。

そして、はっと思いつく様に言った。
「まさか、この初号機を使うと言うの?」

「他に道はないわ。」
リツコがそれに答える。

「動かせるパイロットがいないでしょ!」
「今、届いたわ。」

二人が、何を言っているのかよくわからない。
だが、ミサトはようやく事態が呑み込めたようだった。

ミサトは意を決したように、あたしの方を見ると言った。
「アスカ、あなたが乗るのよ。」

「え? これに乗って、さっきのと戦えというの?」
「そうよ。」

「無理よ、そんなの! できるわけないわ!!」

「説明を受けろ。」
パパが、命令口調で言う。

「なによ、そのためにあたしを呼んだの?」
「そうだ。他の人間には、無理だからな。」

「他のひとにできないことが、子供のあたしにできるわけないでしょう!
 だいたい、何よ! あたしは、いらない子じゃなかったの!!」

「乗るなら早くしろ。でなければ、帰れ!」

『ええ、帰るわよ!』
あたしがそう言おうとしたとき−−。

突然の爆発音と振動が、部屋全体を揺るがした。

「きゃっ!」
立っているのも困難なほどの振動が襲い、あたしはその言葉を言うことができなかった。

「…奴め、ここに気付いたか。」

パパの言葉に、はっと気付いた。
さっきの、使徒とやらが動き出し、ここを目指してすぐ近くまで来ているのだ。
忘れかけていた恐怖が、よみがえる。
ついさっき、あたしはそいつに踏みつぶされそうになったのだ。

「アスカ、もう時間がないわ。」
「乗りなさい。」

リツコの言葉にも、ミサトの言葉にも、あたしはかぶりを振って叫んだ。

「できるわけないでしょ! こんな子供に、なに期待してんのよ。
 子供を守って戦うのが、大人の役目でしょうが!!」

くやしいけど、涙が出てきた。
いきなり、戦わされるということが怖い、ということもある。
だけど、それ以上に、それを大人たちが強要しているということが、情けなかったのだ。

両肩をふるわせ、涙を止めることができないあたしを、ミサトは黙って見ていた。
やがてパパの方を見上げ、黙ったまま首を横に振ってみせた。
それも屈辱でしかなかったが、あたしにはどうすることもできなかった。

「冬月、ファーストを起こしてくれ。」
パパが、誰かに連絡を取っているのが聞こえた。

何度か、応答をしたあと、

「…死んでいるわけではないだろう。役に立たないセカンドよりはましだ。」
そう言っているのが、かろうじて聞こえた。

『ああ、やっぱり、あたしはパパにとって、いらない子なんだな。』
あらためて、あたしはそう感じていた。




しばらくすると、医師と看護師に囲まれたストレッチャーが、ケイジに入ってくるのが見えた。

顔は見えないが、だれか横たわっているようだ。
先程の話からすると、役に立たない”セカンド”のあたしにかわって、使徒と戦うことになる”ファースト”
がこの人なのだろう。

でも、点滴がぶら下がっているところを見ると、よほどの重傷者か重病人のようだ。

『嫌味かしら。』
そう思ってしまう。
戦いを放棄した、あたしへのあてつけとしか思えない。

子供やけが人を戦わせようとするなんて、あんたたち、ぜったい異常よ。 

ストレッチャーが、あたしの前を通り過ぎようとする。
そのときに、横たわっている”ファースト”の顔が見えた。

上半身のあちこちに包帯が巻かれた、同い年くらいの、銀色の髪をした”男の子”のようだ。
苦痛で顔を歪めながらも、その口元には笑みを浮かべている。

そして、あたしの前を通るときに、さらに笑みを大きくしてこちらを見た。
まるで、何かを期待するかのように。

だが、あたしの姿が視野に入ったとき、その目が驚愕で見開かれた。
愕然としているようだ。

「そんな…!」
低い声で、たしかにそう言った。

「どうかしたの?」
思わず、そう言ってしまった。

「シンジ君じゃないんだ…。」
「は? だれよ、それ。」

「せっかくのお膳立てだったのに。」
その紅い瞳に、絶望の色が混じっていた。

むかっ。

なんだか、無性に腹が立ってきた。

「どういうことよ。」

「ひどいな、これは運命のいたずらか…。それとも、リリスが望んだ結果がこれなのか。」

あたしのことを無視して、ファーストはひとり、鬱に入っている。

むかっ。

むかっ。

その態度、さらに頭にくる。

「ファースト、”予備”が使えなくなった。おまえに託すしかない。」
パパがそう言うと、

「わかりました…。」
ファーストは、ため息をつくと、起き上がろうとした。

「う…。くくくっ…。」
苦鳴をあげるが、なかなか起き上がれない。
重傷を負っているのは、間違いないようだ。

「ちょ、ちょっと。あんた、大丈夫なの?」
再びあたしは、思わず声をかけてしまった。

「下がって、いたまえ…。」
ろくに動けないくせに、いかにも邪魔だとでも言わんばかりに、ファーストは応じた。

むかっ。

むかっ。

むかっ。

なによ、そんなにこのあたしは、無用なものだというの?
とうとう、あたしは、ぶち切れた。

「けが人は寝てなさい!」
思わず、大声を出してしまった。

みんな、驚いたようにこちらを見ている。

「もういいわ、あたしが乗る!」
後先も考えずに、あたしは叫んでしまっていた。




それから後のことは、よく覚えていない。

いつの間にか、あたしは初号機とやらに乗せらていた。

漠然とした、違和感を感じながら。

なんだか、こうなる様に、だれかにハメられた様な気がする。
同時にまた、あたしがここに来たこと自体が、だれかの思惑から大きく外れている様な気もする。

「初期コンタクト完了」
「シンクロ率、52.8%」
「…すごいわね。」

何かの準備が、着々と進められていく。
なんの問題もないようだ。

いいわ、こうなったら、とことんやってやるわ。
さっき、人前で泣いてしまった屈辱を晴らすためにも。

いっとき感じていた、未知の化け物に対する恐怖は、あとかたもなく消え去っていた。

『あたしが、何とかするしかないんでしょ。どうなったって、知らないからね!』
そう熱く思う一方で、

『でも、違う…。何かが、間違っている…。』
その違和感が、心のどこかで引っかかっていた。
                    − つづく −