ダブル チェンジ 第3話

-  頬の痛み -


ファーストが登校してくるようになった、その翌日。
クラス委員長をやっている、洞木ヒカリという子も、登校してきた。

「委員長、もう出てきてもええのんか。」
教室に入ってくる姿を見かけて、鈴原が心配そうに声をかけていた。

おとなしそうな、それでいて芯の強そうな子…あたしの第一印象は、そんな感じだった。

「ごめんね、心配かけて」
「し、心配なんかしてへんわい。」

「そう? でも、迷惑かけたわね。今日からはちゃんと、委員の仕事はするから。」
「そんなことはかまへん。それより、妹さんの具合はどうや。」

「意識は戻ったわ。でも、マヒや障害が残るかどうかは、これからじっくり調べないといけないって。」
「怪我したところが、頭やからなあ。委員長も難儀やな。」

「今日からは、お姉ちゃんがノゾミについててくれるから、いいんだけど。」
「そうか。困ったことがあったらゆうたらええで。わしにできることやったら、なんぼでもしたるで。」

ふうん。けっこう、いいところあるじゃない。
あたしは、少し鈴原を見直していた。

「ありがとう。ところで、転校してきた子ってあの子?」
彼女は、あたしの方を見て言った。

「ああ、そうや。」
鈴原が頷くと、あたしの方に近づいてきて、

「はじめまして。クラス委員長をやっている、洞木ヒカリです。」
わざわざ、挨拶しに来た。

「え? ああ、はじめまして。」
なによ、調子狂うじゃない。

「惣流・アスカさんでよかったかしら。」

「惣流・アスカ・ラングレーよ。 アスカでいいわ。」

「転校初日からいなくて、ごめんなさい。転校生が来てるって鈴原から聞いていたけど、わたしの代わりを
 ちゃんとやってくれていたかしら。」

「え、ええ。もう、お世話になりっぱなしで。」

「そう? よかった。
 でも、男子だと、どうしても気がまわらないところがあるでしょうし、不自由かけたと思うの。
 今日からは、わたしになんでも言ってね。」

「ありがと。でも、大丈夫よ。」

「委員長はね、妹さんが大怪我したもんだから、今まで付き添っていたんだよ。」
相田が、彼女の長期欠席の事情を説明してくれた。

「そう? それは大変だったわね。事故にでも遭ったの?」

「まあ、人身事故やな。逃げ遅れた子供がおるっちゅうのに、あのロボットが暴れたからや。」

「ロボットって…。」

「惣流が転校してくる二日くらい前に、ある防衛組織のロボットが怪物と戦ったんだよ。
 それは、惣流も聞いてるだろ。
 おれらは、避難させられていて、見ることはできなかったんだけどね。
 かなりの施設が破壊された上に、怪我人もけっこう出たんだ。
 委員長の妹さんも、その一人さ。」
 
「ほんまに、味方を巻き込んで、どういうつもりなんや。」

「本当ね。わたしも、あれはひどいと思う。戦闘で市民を巻き込むなんて、人命軽視もいいとこだわ。」

「そ、そうね。」
鈴原と洞木さんの言葉に、あたしは自分の顔が青ざめていくのを感じた。




午前の授業の間中、あたしは鈴原と洞木さんの言葉が、耳から離れなかった。

『そうなんだ…。
 あたしにしかできないということで、あたしはエヴァに乗ったけれども。
 パパがやっている、人類を守る大事な仕事とかを、手伝うはめになったけれども。
 守るどころか、人を傷つけることしかできなかったなんて…。』

授業に、ほとんど身が入らなかった。
聞こえてくる先生の言葉も、何を言っているのか…。

「…これが、世に言う”セカンドインパクト”であります。」

『あれ? たしか、今、数学の授業じゃなかったっけ。』
そんなことを、ぼんやりと考えながら、これから先、どうしようかと思っていた。

だから、目の前の授業用のノートパソコンから、微細なメッセージの着信の音が聞こえたときに、思わず
どきりとしてしまった。

”惣流さんが、あのロボットのパイロットなの?”
最初に見えたその文字列が、さらにあたしをパニックに追い込んだ。

真っ白になった頭で、ずらずらと続くメッセージ群を無意識に眺めた。


”11:14:57 From: M.Y. To: A.S.
 惣流さんが、あのロボットのパイロットなの? :Y/N
 
 >11:14:33 From: M.Y. To: R.T.
 >うん、そうする。
 
 >>11:14:16 From: R.T. To: M.Y.
 >>直接聞いてごらんよ。
 
 >>>11:13:49 From: M.Y. To: R.T.
 >>>そういえば、惣流さん、あの後すぐ転校してきたわね。

 >>>>11:13:24 From: K.N. To: R.T.
 >>>>ぼくは、違うよ。
 >>>>そういうことなら、惣流さんに聞いてごらん。

 >>>>>11:13:02 From: R.T. To: K.N.
 >>>>>渚君の怪我って、やっぱりロボットであの怪物と戦ったから?

 >>>>>11:12:31 From: R.T. To: M.Y.
 >>>>>はしゃがないの!

 >>>>>>11:12:05 From: M.Y. To: R.T.
 >>>>>>きゃっ♪ 返事もらっちゃったよ。どうしよう?

 >>>>>>>11:11:45 From: K.N. To: M.Y.
 >>>>>>>ありがとう、もう平気だよ。

 >>>>>>>>11:11:28 From: M.Y. To: K.N.
 >>>>>>>>渚君、怪我の方はもう大丈夫?”


そのとき、あたしはバカなことをした。
思わず、メッセージにYESと回答してしまったのだ。

「うわぁっ!」
「そうなんだ!」

あっという間に、興奮した生徒たちに取り囲まれていた。
ほぼ全員が、授業そっちのけでメッセージのやりとりを見ていたのだ。

「ねえ、ねえ。どうやって選ばれたの?」
「怖くなかった?」

矢継ぎ早に、質問された。

「ごめん、そういうこと、あまり言えないの。
 あたし自身、くわしいことはわかっていないし。」

途方に暮れて、そう言うと、

「わかる、わかる。”守秘義務”ってやつよね。」
「なんかそういうのって、かっこいいなぁ。うらやましぃ〜!」

ますます、騒ぎが大きくなる。

そのとき、
「ちょっと、あなたたち! 授業中でしょ!!」

洞木さんが、机をどんっと叩いて言った。
おとなしそうな雰囲気が、うって変わってすごい剣幕だった。

一瞬、教室中が静まり返った。

「あー、みなさん、席について。授業を再開します。」
先生のそのひと言で、みんな席に戻り、ようやく普通の授業に戻った。




昼休みになった。

洞木さんが、鈴原と相田を連れてきて、
「惣流さん、ちょっと付き合ってくれる?」

あたしに、そう言った。
あたしは、覚悟を決めてついていった。

屋上か、体育館の裏か。
こういうときは、そのどちらかに決まっている。

連れてこられたのは、体育館の裏だった。
他の生徒がいない点では同じだが、万一先生が目にして不審に思っても、すぐに立ちされるのはこちらだ。

「惣流さん、あなたがあのロボットのパイロットだというのは本当?」
洞木さんは、つとめて冷静な声であたしに尋ねた。

「ええ。」
あたしは、短く答えた。今さら、隠しても仕方がない。

「どういうつもりだったの。」
さらに、静かな声で洞木さんは尋ねる。

短い言葉の裏で、抑えきれない怒りが渦巻いているのがわかる。
だが、『どういうつもり』だけでは、何を尋ねているのかはわからない。

何を言ってもさらに怒りを買うだけかと思い、あたしは次の言葉を待った。
鈴原と相田も黙ったまま、あたしたちを見ている。

「たとえ、避難命令が出ていたとしても、街中で戦闘をするなんて、非常識だと思わない?
 逃げ遅れた人だっているでしょうし。」

「…ここが、”使徒専用迎撃要塞都市”だからよ。
 あの怪物をおびき寄せ、殲滅するためだけに作られた街。ここは、そういう街なのよ。」

「なんやて! そんな、あほな…。」
「鈴原は、黙ってて!!」

「ああ、すまん。」
何か言いかけた鈴原は、洞木さんに制されて押し黙った。

「じゃあ、この街の住人はなんだって言うの?
 街とは、人の住むところなのよ。
 怪物退治か何かの目的を達するためなら、人命はどうだっていいというの。」

「そんなことは言ってないわ。
 避難誘導はするし、居住区だって地下に潜るようになっている。
 避難状況は把握するように努めているのだから、逃げ遅れたのは運が悪かったというしかないわ。」

そう言いながら、あたしは、しまったと思った。
”運が悪い”、そのひと言が、人をどれほど傷つけることか…。
言わなくてもいいことを、言ってしまった。

「なんですって!」
「あ、ごめん。 そういうつもりでは…。」

「それが、あなたたちの本音なのね。
 よくわかったわ。わたしたちが、どういう人たちに、この命を預けているかが。」

「あ、あの…。」
「用は済んだわ。鈴原、相田君。行きましょう。」

そう言うと、洞木さんはあたしに背を向けて歩き始めた。
鈴原と相田が、あわててその後を追おうとする。

「あたしは、あの人たちとは、違うもの…。」
あたしは、思わずそうつぶやいていた。

「あたしは、好きで乗ってるわけじゃないのに。ただ、だれかが、やらないと…。」

そこまでつぶやいたとき、突然、洞木さんが振り返った。
全部、聞こえていたようだ。

つかつかと、あたしに近づくと、その手を振りあげた。

叩かれるのは、分っていた。
避けようと思えば、避けられると思ったが、なぜかその気にはなれなかった。

左の頬に熱いものを感じたとたん、あたしの体は宙に浮いていた。
それほどに、容赦のない一撃だった。
彼女の手も、相当に痛かったことだろう。

「そんなこと…!」
声を震わせて、洞木さんは何事か言いかけた。

だが、気が変わったのか、そのまま踵を返して立ち去った。

上半身を起こしたあたしを、鈴原と相田は茫然と見ていた。

「おまえ…。」
鈴原が、つぶやくように言った。

「何よ。」

「わざと、叩かれたやろ。」

「あんたには、関係ないでしょ!
 それより、早く洞木さんを追ったら? もう、行っちゃったわよ。」

「あ、ああ…。」
二人は、走り去るように洞木さんを追っていった。

一人、残されたあたしは、上半身を起こしたまま俯いた。

左の頬が、じんじんして、涙が出そうだった。
だけど、あたしは懸命にこらえた。

頬の痛みより、胸の痛みの方がつらかった。
洞木さんの怒りは、当然だと思った。
彼女が最後に、何を言おうとしていたのかも分る。

『そんなこと、当然でしょう!』

そうなのだ。

だれかが、やらないといけない。
彼女だって、好きでクラス委員長をしているわけではない。

そして、引き受けた以上は責任がついてまわる。
ただ、あたしの場合は、この街全体…もっと言うと、人類全体の命を守る責任があるのだ。

そう、それは当然のことなのだ。

でも、あたしに、できるだろうか。
この先も、その重圧に耐えていくことができるだろうか。
できるわけがない。
すでに今、自己嫌悪と自信の喪失に、押しつぶされそうになっていた。




「ここに、いたのかい。」

呼びかけられて、あたしは顔を上げた。
ファースト…渚カヲルが、そこに佇んでいた。

「なにか、用?」
あたしは、にらみつける様にして尋ねた。

「おやおや、これはひどいね。早く冷やした方がいいよ。」
ファーストは身をかがめて、あたしの顔を覗き込むようにして言った。

「余計なお世話よ!
 どうしてあたしがここにいるとわかったの。あたしを、嗤いにきたわけ?」

そもそも、こいつが余計なメッセージを返信しなければ、こういう事態にならなかったのだ。

「うん? 意味が分らないな。それより、非常招集だよ。」
「どういうこと?」

「使徒が、接近してるのさ。本部からの、出動命令だよ。立てるかい?」
そう言うとファーストは、三角巾で吊っていない方の、左手をあたしに差し出した。
その左腕にも、包帯が巻かれている。

その手をはねのけるようにして、あたしは勢いよく立ちあがった。
「怪我人の世話には、ならないわよ!」

「怪我人は、お互いさまだと思うけどね。」
ファーストは、苦笑して言った。

「行くんでしょ? 本部。」
あたしは、歩き始めながら言った。

「ああ、そうだね。裏門に、迎えの車が来ている筈だ。
 先に行っててくれないか。 すぐに、追いつく。」

非常時のはずなのに、何の用事があるというのか。
そうは思ったが、追及はせずに言われるままに裏門に向かった。

ネルフの緊急車両は、すぐに分かった。
パトカーのような警告灯がついていたし、何よりあの、派手な葉っぱのマークがドアに描かれていた。

黒服の係員がドアを開けてくれたので、あたしはその後部座席に乗り込んだ。
ファーストの奴は何をしているのかと思ったら、あたしに続いて乗り込んできたのでちょっと驚いた。

『こいつ、いつの間に?』
気配を全く感じとれなかった。

「ちょっと、なによ!」「ほら。」
あたしが言いかけるのと同時に、ファーストが何かを差し出してきた。

「これを、頬に当てるといい。」
ファーストが手渡してきたのは、濡らしたハンカチだった。

余計なことを、と思いつつも、

「…ありがとう。」

今回は、素直に受け取っておくことにした。




車は、警告灯を点滅させて、かなりのスピードで疾走している。
どこからか地下道に入って、また専用のカートレインに載るのだろう。

あたしは、無言でファーストのくれたハンカチで頬を冷やしていたが、やがて間が持てなくなったので仕方
なく、ファーストに話しかけた。

「さっきの話だけど。」
「うん?」

「どうして、あたしがあそこにいると分ったの?」
「携帯で、連絡があったんだよ。」

「だれから?」
「本部の、オペレータからさ。君も携帯は支給されてるだろ? 電源は入れておくべきだね。」

「それはわかったけど、どうして本部があたしの居場所を知ってるのよ。」
「知らないのかい? ぼくたちは家を出てから、ずっとガードがついていることを。」

…そうだったんだ。
考えてみれば、当然のことかも知れない。
エヴァのパイロットである以上、いつ賊に襲われても対処できるよう、守られているということだ。

子供の素手の喧嘩には手を出さないだろうが、もしも、もしもあのとき、洞木さんが逆上して何か武器にな
るようなものを手にしていたとしたら…。
あたしは、最悪の事態を想像してぞっとした。

『まさか、そこまではしないわよね。』
あわてて、その考えを振り払う。
それでも、何らかの介入はしてきていただろう。

「それって、常にあたしたちは、見張られているってこと?」
「まあ、家の中までは対象になっていないけど、そういうことだね。」

「だから、身の安全の確保と同時に、所在の把握もされてるってことなのね。」
「そうだよ。」

こともなげに、ファーストは肯定する。

「それが、現実だということね。」
あたしは、ため息とともにそうつぶやいた。

もうあたしは、普通の生活には戻れない。
洞木さんたちとは、住む世界が違うのだ。
そこまで、”非公開組織”に関わってしまっているということだった。

さきほど感じていた、自己嫌悪だの、自信の喪失だのは、あたしの甘さでしかない。
個人の感情など、入り込む余地はないのだ。

そういう意味では、洞木さんや鈴原が口にした、”市民を巻き込むな”というのも甘えだ。
人類の存続をかけた、戦いなのだ。
問題は”生きるか、死ぬか”であり、”犠牲を出す、出さない”ではないのだ。

あたしは、覚悟を決めなければならなかった。
そう、生き残るために。
いけ好かないやつだが、ファースト…渚カヲルが来てくれてよかった。
あのままだったら、きっと重圧に押しつぶされていたことだろう。

少なくともこいつは、現状を認識している。
だから、こいつといると、現実に引き戻される感じがする。

今、あたしの仲間と呼べるのは、こいつだけだった。
冷たいやつに見えるけど、あたしに手を差し出したり、濡らしたハンカチをくれたりするところを見ると、
妙にやさしいところもあるようだ。

「どうかしたのかい、セカンド。」
物思いに沈んでいるあたしに、ファーストは声をかけてきた。

「なんでもないわ。」
あたしは、かぶりを振って言った。

「それに、あたしのことは、アスカでいいわ。
 あたしも、あんたのことは、カヲルと呼ぶから。」

「どうしてだい。」

「どうしてもよ! 
 あんたに、また学校でセカンドと呼ばれたら、場の雰囲気が悪くなるからと言ったらわかる?」

「わからないな。」

「もういいわ! それより、使徒のことよ。どんな奴なの?」

「詳しいことはわからない。
 ただ、前回のと違うところは、飛空タイプらしいね。”飛来して接近中”と言っていたからね。」

「空を飛ぶっていうの? そんなのと、エヴァで戦えるの?」

「そのための銃火器も開発されているからね。君も、射撃訓練は受けただろ?」

「まあね。」

「それに、使徒の戦闘形態まで飛空タイプとは限らないさ。」

「わかったわ。ところで、あんたにまで招集がかかっているのはどうしてなの。」

「ひとつは、君が負傷したときのためのバックアップという意味で。
 もうひとつは、今回の戦闘では間に合わないかもしれないけど、零号機の凍結が解かれようとしているか
 らさ。」

「零号機? ふうん、どんな機体か、見てみたいわね。」

「もうすぐ、お目にかかることができるさ。」
そう言うと、ファースト…カヲルの奴はあたしを見て、笑みを浮かべてみせた。

その綺麗な笑顔に、あたしは思わずどきりとしてしまっていた。
                     − つづく −