ダブル チェンジ 第15話

- 予 感 -


あたしは、数日間入院することになった。

第10使徒を殲滅したときのエヴァからのフィードバックにより、体中にダメージを負ったからだ。

この、フィードバックという奴は曲者だ。
シンクロ率が高いほど、エヴァは自在に操れるのだが、その分ダメージの方もエヴァ本体が受けたもの
をよりリアルに感じ取ってしまうことになる。

直接、体に傷を負っているわけでもないのに、脳の方がその様に受け取ってしまうのだ。
だから、極端な場合には、エヴァが負った負傷と同じ傷がパイロットの体にできてしまうことがありうるの
だという。切り傷はともかく、骨折の場合は自分の筋肉で自分の骨を折ってしまうというようなことが。

実際問題としては、発令所の指示を聞いたりパイロットどうしで情報交換しているため、完全にエヴァと
一体化することはない。だから物理的な外傷のレベルまでいくことは普通はないのだけど、”傷を負った”
というイメージは、しばらく脳から消えない…厄介なのはその点だった。

実のところ、あたしは全身の関節が痛かった。
そして何より、両方の掌が、痛くてたまらなかった。
第10使徒との戦闘では、受け止めた使徒とA.T.フィールドが干渉しているエヴァの掌の接触面では、
凄まじい熱エネルギーが発生していたのだから。

だが、痛くてたまらないあたしの掌には、とくにやけどや傷があるわけではない。
その部分が、赤くなっている程度だ。
それでも、こういうときの”治療”は、包帯を巻くことになっていた。
難しいことは分からないが、”治療をしている”という視覚的なイメージを脳に伝えることによって、脳が
作りだしている”傷を負った”とうイメージが徐々に払拭されるらしい。
まあ、そんなものかも知れない、と思う。

正直なところ、病室に二、三日いるだけでずいぶんと楽にはなった。
自宅でなく、しかるべき医療機関で治療を受けているという安心感が、さらに回復を加速しているのでは
ないかと思う。
それでもまだ完全に回復とまではいかないのは、やはり単なる暗示だけではなくどこか神経組織も傷つ
いているからなのかも知れない。

まだ掌がぴりぴりするし、両肩と両肘も少し痛い。首と膝も昨日までは関節痛があったが、こちらの方は
ほぼ完治したと言っていいだろう。つまり、ベッドから起き上がることもでき、部屋を自由に歩き回るくら
いのことはできるようになったけど、両手が不自由というのが、今のあたしの状態だった。

そうなると面会を妨げる要素がなく、見舞客がけっこうあたしの病室に訪れてくれることになった。
あたしとしては退屈している訳だから、来客は有り難かった。




その最初の来客は、リツコだった。

「具合はどう? アスカ。」
そう言って、部屋に入ってきた。

「どうってことはないわ。」
あたしは、つとめて明るく答えた。

「まだ、痛むところは?」
「そうね。肩と肘。それから掌ね。」

「首はどう?」
「そちらの方は、もう大丈夫よ。」

「ちょっと、診せてもらうわね。」
そういうとリツコは、あたしの耳の下あたりを、両手で揉むように触ってきた。
温かい手で、マッサージしてもらっているようで、心地よかった。

それから、あたしの首の太さを測るかのように、両手で…。
ちょっと!
それって、首を絞める体勢じゃない?

一瞬、恐怖を感じる。
(まさか!)
思わず身を固くしたが、すぐにその手は離れていた。

「思ったより、回復は早いわね。」
リツコはそう言った。

その口調にほっとすると同時に、あたしは背筋に冷たいものを感じていた。
リツコから、殺意を感じたわけではない。
あたしはまた、思い出したことがあったのだ。

(以前に一度、誰かに首を絞められたことがある!)

それがいつのことだったのか、誰にされたことだったのかは、思い出せない。
ただ、あたしが信じていた、身近な誰かにそれをされた様な気がした。

あたしは、気づかぬうちに自分の首にそっと触れていた。

「どうかしたの?」
それを見て、リツコが笑みを浮かべて訊ねた。

「なんでもないわ。」
あたしは、あわてて首から手を離す。

「ねえ、いつ頃あたしは退院できるの?」
「そうね、いつにしましょうか。」

「退屈なのよ。できれば、明日にでも退院したいわ。」
「この際だから、ゆっくり休養すれば?」

「でも…。」

「シンジ君もこの前、火傷の治療を機会にゆっくり休養してもらったわ。
 そのおかげで、今回の戦闘でも、じゅうぶんに力を発揮できたのじゃないかと思うの。
 今度はあなたの番よ、アスカ。
 それに、明日は他の三人で、模擬体を使ったテストを予定しているし。
 人数が増えるとデータのとりまとめも大変だから、一人くらい休んでもらった方がいいのよ。」

「ええっ! もう決まっちゃたの? あたし抜きで?」
「悪いわね。」

あたしは、ぶつぶつ言ったが、決まったものはしょうがない。
そういう事情なら、退院はもう少し先にするしかなかった。




そのあと、ヒカリと鈴原、相田の三人が見舞に来た。
学校の帰りだという。
シンジたちも来る予定だというが、あまり多人数だと病室に入りきれないから、時間をずらしたという
ことだった。

「元気そうでよかったわ。」
ヒカリがそう言った。

「ほんまや。場所が町はずれでよかったけど、えらい大規模な爆発やったらしいからな。」
「それでも、エヴァが通った跡は、いろいろと大変みたいだけどね。」

鈴原はともかく、相田にそう言われてあたしはグサッときた。

「…悪かったわね。道路に穴をあけたり、高架道路を蹴り崩したりして。」

「送電線も切られて、けっこう復旧に時間がっかったらしいよ。」
「それ、あたしじゃない!」

そういうことをするのは、間抜けなシンジか、気配りができないカヲルのどちらかだろう。

「いいってことさ。
 惣流の活躍がなければ、おれたちがこうしてまた顔を合わせることもできなかったんだから。」

「だから、それ、あたしじゃないってば!」
シンジたちが来たら、誰がやったのか問いただしてやろうと思った。

そのあと、ヒカリはあたしが欠席している間に配られたプリントを渡してくれた。
こんなものでも、退屈しのぎにはなるから、あたしは礼を言って受け取った。

しばらくとりとめもない話をしてから、シンジたちが来るだろうからということで、三人は帰っていった。




ほどなく、シンジ、カヲル、レイの三人がやってきた。

「おじゃまするよ。」
カヲルがそう言い、あたしは三人を迎え入れた。

「これ、お見舞い。」
レイがフルーツの籠盛りを小さなテーブルの上に置いた。

「ありがとう。気を遣わせてしまって悪いわね。」

「よかった、思ったより元気そうで。」
シンジが、ほっとした様にそう言う。

「そう?」
「だって、作戦終了時には、ほとんど気を失っているのに近い状態だったもの。」

「そりゃ、長いこと使徒を支えさせていただきましたものねぇ。」
「…ごめん。」

「冗談よ。真に受けるんじゃないわよ。
 ところで、相田が言ってたけど、作戦行動中にだれか、送電線を切らなかった?」

「ああ、それはたぶん、ぼくだね。」
カヲルがそう答えた。

「やっぱり、あんたなの? 後で困る人が出てくるとか、考えなかったの?」

「ちょうど、君が一人で、使徒を支えているときだったしね。
 このままじゃ君がもたないと思い、現場への到着を最優先にしたんだが、拙かったかい?」

「そ、それは…。」
卑怯よ、それ。言い返せないじゃない!

「わかったわ。もう、そのことはいい。
 ところで、あんたたち。明日から、模擬体を使ったテストをするんだって?」

「そうなんだ。」
シンジが、答えた。

「アスカは、参加しなくてよかったと思うよ。」

「どうして?」

「だって、ヘッドセットやプラグスーツなしでシンクロ率を測定するというんだもの。」

「それって、まさか…。」

「うん、何も着ないってことだよ。この二人は平気みたいだけど、ぼくは気が重くて…。」

「それはご愁傷さま。」
実際、あたしは参加しなくてよかったと思った。

「アスカ…。」
それまで黙っていたレイが、不意に訊ねてきた。
「なにか、してほしいことはない?」

「なにかって?」

「両手が不自由そうだから。りんごでも剥く?」

「ありがとう。じゃあ、お願いするわ。」

あたしがそう言うと、レイは籠盛りの中からりんごをひとつ取り出して剥いてくれた。
なんとなく、手つきがあやうい。
まあ、たどたどしいというほどではないし、あたしも人のことは言えないのだけど。

それよりもあたしは、レイの左手の指に巻かれた、いくつかの絆創膏が気になった。

「どうしたの、その手?」
「秘密。」

「ぼくが訊いても、綾波は教えてくれないんだよ。」
シンジがそう言った。
「『もう少し、うまくなったら話す』とか言って。」

「ふうん。」

(なにかを、練習してるのかしら。)
ぼんやりとそんなことを考えていると、

「はい。」
レイがそう言って、剥いたりんごのひときれを、フォークに刺してあたしに渡してくれた。

「ありがと。」
そういえば、シンジ以外のだれかに果物を剥いてもらうなんて、初めてのような気がする。

レイが剥いてくれたそのりんごは、なんだか優しい味がした。




シンジたちが帰ってしまうと、あたしにはまた退屈な時間が訪れた。

(明日は、『模擬体を使ったテスト』か…。)
あたしはベッドの上で天井を見上げながら、そう思った。
そういえば、アメリカ第二支部でも4号機の模擬体を使ったテストをしている筈だった。

そんなものに、何の意味があるのか、よく分からない。
そんな暇があったら、”複座プラグ”の実戦に向けたテストでもしていればいいのに。
レイが戦力として加わったから、戦力をアップさせる方向でのテストは当面、必用ないのだろうか。

レイ…そういえば、今日お見舞いに来てくれたとき、彼女になんとなく違和感を感じた。
以前とどこか、雰囲気が違う。
あまりしゃべらないのは、変ってはいないのだが。

そう、お見舞いを持ってきてくれたり、りんごを剥いてくれたりしたが、以前にはなかったことだ。
何かが、彼女の中で変りつつあるような気がする。

そしてもうひとつの違和感に、というか、決定的な違いにあたしは気づいた。
(シンジは、レイのことを”綾波”と呼んでいた!)

たしか、みんなで遊園地に行ったときは”綾波さん”と呼んでいた。
シンジは、あたし以外の女子に対しては、ヒカリも含めてさん付けで呼ぶ筈だった。

(あの二人の間に、何かあったの?)
それは、レイの指に巻かれた絆創膏と、無関係ではない様な気がした。

いつの間にか、両手を握りしめていることに気づき、あたしはその痛さに顔をしかめた。




翌日は、病室にだれも来なかった。
テストが終わって一段落ついたら、だれか来てくれてもよさそうなのに。

(何かあったのかしら)
一抹の不安と大いなる退屈を抱えて、あたしはその日を過ごした。



そしてその翌朝。

カヲルが、来た。
早朝といっていい時間帯に、ひとりで来た。

「どうしたのよ、こんな朝早く。面会時間にはまだなっていないでしょ?」

「いや、どうしているかと思ってね。」
こいつにかかっては、規則だの常識だのというものは、関係ないらしい。

「昨日は、大変だったよ。」
珍しく、真顔でカヲルは言った。

「何の話? 模擬体でのテストのこと?」
「まあ、それがきっかけだったんだけどね。…使徒が、現れたんだよ。」

「え、何処に? そんな警報、聞いてないわよ。」
「そりゃ、そうだ。本部施設内にいきなり現れたからね。」

「ええっ! それって、まずいんじゃない?」
「そうだね。だから、これは極秘事項だ。すべては、秘密裏に処理されたよ。」

「”処理された”ってことは、使徒は殲滅できたということなの?」
「赤木博士のがんばりでね。だからこうして、君に会いにこれている。」

しれっと恥ずかしげもなく、よくもそんな言葉を口にできるものだ。
カヲルにはそんな気はないのだろうが、あたしは思わず顔が赤くなるのを感じた。

「ど、どういうことよ。詳しく話しなさいよ!」
話題をそっちに振ろうとして、あたしは思わず声が大きくなった。

カヲルの話によると、使徒は細菌サイズのものだったということだ。
先日言っていたように、カヲルたちは全裸でテスト用のプラグに入り、模擬体でのテストを行なっていた。
その実験場の近くのシグマユニットの第87タンパク壁に、カビの様な形状でそれは発現した。
それはあっという間に増殖を始め、実験場のカヲルの乗る模擬体にまで侵食してきた。

「そこでぼくたちのテストプラグは、赤木博士たちの手によって地底湖に向けて射出されたから、ここから
 の話は全て、後から説明を受けただけなんだけどね。」

カヲルが言うには、使徒はレーザーやオゾンによる駆除をものともぜすに進化を繰り返し、マイクロマシン
の形態を取るに至ったらしい。
そして、寄り集まって電子回路を形成し、メインコンピュータのMAGIを乗っ取ろうとしたという。

「それからの、赤木博士の対応が早かった。使徒の形状を逆手にとり、自滅促進プログラムを送り込んで、
 あっという間に使徒を消滅させたということだよ。」

「ふうん。」

「ま、今回ぼくたちはなすすべもなく、地底湖に浮かぶプラグの中で救助を待つだけだったんだけどね。」

(どうして、現場にいないパイロットのあんたが、そこまで知っているのよ)
あたしは、そう思った。

(後から事情を説明するにしたって、そこまで具体的に言うわけないじゃない。)
だが、それを口にするとやぶへびになるかも知れないと思い、黙っていた。

「それよりも…。」
カヲルは、周囲に目を配ってあたしに近づいてきた。

「ちょ、ちょっと。(何する気なのよ!)」

カヲルは、声を低くして言った。
「今回、赤木博士はこの事態をある程度予想していたようだね。」

「え…。」
なんだ、内緒話かと思い、あたしはほっとした。

「使徒が電子回路化してからの対応が、早過ぎるような気がする。
 あらかじめ、ある程度はプログラムが作ってあった様な感じがするのはぼくだけだろうか。」

「似たようなことは以前、あたしも感じたわ。」

「そうか、やはり…。」

「でもね、カヲル。」
あたしは、続けた。

「リツコはリツコで、何か考えがあるのかも知れないし、疑いの目で見るのは避けた方がいいと思うわ。」

カヲルは腕を組んで、しばし考え込んだ。

「たしかに、そうだ。」
やがて、そう言った。

「結論を急いだり、先入観で判断するのはまずいかも知れないね。
 赤木博士が、どういう手段で、そしてどこまで未来を知ることになったのか分からないのだし。
 そして、何をしようとしているのかも…。
 ことによると、彼女はそのことでひとり、悩んでいるかも知れない。」

「そうよ。今しばらくは様子を見た上で、彼女との接し方を決めることにしましょう。」
「ああ、そうだね。」

「あたしも、リツコが何を求めているのか、それとなく気をつけて見ることにするわ。」
「うん、たのむよ。」

その後、しばらく雑談してからカヲルは帰っていった。




午後になってから、リツコが再び面会に来た。

「調子はどう? アスカ。」
そう言って、部屋に入ってきた。

「なんか、一昨日と同じようなことを言うのね。」
あたしは、苦笑して言った。

「関節の痛みは、もうほとんどないわ。あとは、掌くらいかしら。」
「そう? もう一日、様子をみましょう。それでなんともなければ、明日の午後に退院してもいいわ。」

「ほんと?」
「ええ。」

やっと、退院できる見込みができた。
あたしは嬉しかった。

「嬉しそうね?」
「それは、そうよ。」

あたしは笑みを浮かべて頷く。
それから、ふと真顔に戻り、

「リツコ、なんだか疲れているんじゃない? 何かあったの?」
あえて、そう訊いてみた。

「そうね。昨日の実験が、中途半端なまま終わってしまったから。」
あたしに心配かけまいとしたのか、それとも別の意図があったのか、リツコは誘いに乗ってこなかった。

「実験なんか、いつでもできるわよ。
 それより、いつ使徒が現れてもいいように、普段は無理すべきじゃないわ。」

「そうね、アスカの言うとおりだわ。今日はこれで、失礼させてもらうことにするわ。」
「ええ、ゆっくり休んで。」

「それじゃ、また明日来るわ。」
リツコは部屋を出ていく。




あたしは、充分間をおいてから、リツコの後を尾行することにした。

これといった理由はないが、なんとなく予感めいたものがあったからだ。
案の定、リツコが向かう方向は、自宅でも自分の研究室でもなかった。

あたしが入院しているところが一般の病院ではなく、本部の建物内の医療施設でよかった。
いったん外に出る様なこともなく、そのままリツコの目指す場所についていける。
リツコは、地下に向かっているようだった。
このまま見つからずについていけるかどうか不安だったが、好奇心には勝てず、あたしは尾行を続けた。

不意に、誰かに肩を叩かれて、あたしは息を呑んだ。

「ずいぶん、危ない橋を渡るんだね。」
耳元で囁いたのは、カヲルだった。

「あんただったの。」
あたしは、ほっと息をついた。

「彼女のことは、『疑いの目で見るのは避けた方がいい』のじゃなかったのかい?」
「”予感”があったからよ。」
「そうか。君の勘は、当たるからね。」
「あんただって、そう感じたんでしょ?」

二人で、尾行を続けることになった。

誰に会うこともなく、ひとけのない方向にリツコは向かっていく。
すでに、あたしの知らない領域に来ていた。

「この先は…ターミナルドグマと呼ばれるところだ。ビンゴだったね。」
カヲルの言葉に、固唾を呑んであたしはリツコの姿を目で追う。

とある巨大な扉の前でリツコは立ち止り、IDカードを使ってそれを開いた。
扉がゆっくりと開き、リツコはその中に入っていく。

扉の傍まで走り寄り、あたしとカヲルはその中を覗き込んだ。
思わず、悲鳴をあげそうになった。

白い巨体が、十字架に貼り付けになっていた。

『エヴァ?…いえ、違うわ。まさか、これは使徒?』
『アダム? いや、リリスか。』

あたしとカヲルは、茫然とそれを見つめた。

「やっと、ここまできたわ。」
リツコが、そうつぶやくのが聞こえた。

「もうすぐよ、”母さん”。」
                     − つづく −