ダブル チェンジ 第18話

- 輪 廻 -


『この世界が再構築されたのは、”人の意思”にリリスが応えたからだということよ。』
レイは、そう言った。それに対して、あたしは訊ねる。

「人の意思? だれの?」

あたしたちの視界は、それぞれの複座プラグの中に戻っている。
さきほど使徒に見せつけられた、リツコがシンジの父親に銃口を向け、逆に撃たれるというシーンから、
レイはそのことに思い至ったというのだ。
だけど、あたしにはレイの言うことが、さっぱりわからなかった。

『一人は、渚カヲル。そしてもう一人が、赤木リツコ博士よ。』

『なるほど、そういうことか。』
合点がいったように、カヲルがつぶやく。

『巨大化する前のリリスと、LCLを通して接触していたのは、ぼくだけではなかったんだ。
 あのとき、銃弾で倒れた赤木博士もそうだったんだ。
 そのときの彼女の意思…”無念さ”は、だれをも凌駕していたに違いない。
 リリスは、それに応えたということか。』

「リツコの無念? どういうことよ。二人で納得してないで、説明してよ。」
あたしが言うと、

『ああ、すまなかったね。今思い出したことを含めて、君に言ってなかったことを言うよ。』

サードインパクトによる人類の死滅を回避させるための、”人類補完計画”。
その存在は、先日カヲルから訊いた。
そしてそれは成功したことがなく、そのたびに歴史はリセットされている。
おそらく、みずから産んだ人類の存続を願う、リリスの手によって。

セカンドインパクト前後、あるいは最初の使徒襲来のあたりから、人類の歴史は何度も繰り返されている
のだという。
そのたびに、設定が少しずつ変えられているようだとも。

カヲルとレイは今回、その設定変更に自分たちも関与したとのことだった。

「えーっ!? どうして…どうしてそんなことが、できるというのよ!」
『ぼくと綾波さんには、半分は使徒の血が流れているからね。』

「まさか!」
『それほど驚くことではないよ。君やシンジ君だって、出自はともかく、似たようなものだからね。』

カヲルが言うには、エヴァを動かせる者…いわゆる適格者は、ある程度の使徒の特性を備え持っていな
ければならないのだという。
とくに、シンジやあたしの様に、エヴァとの高いシンクロ率を持つ者は、きわめて使徒に近い存在だとのこ
とだった。先天的なものか、カヲルやレイのように人手で作られたという違いがあるにしても。

そして、カヲルとレイにしても、直接自分自身の力で歴史を変えたわけではない。
その”願い”に、リリスが応えたからだという。

「リリスがそれを認めれば、ある程度は歴史を変えることができるとでもいうの?」

『…まあ、リリスにしても、多少設定を変えられるだけみたいだけどね。
 人類の命運自体は、人類みずからが切り開いていかなければ意味がないだろうし、リリスもそれを望ん
 でいるようだ。
 話を元にもどそう。
 ぼくは、本来はドイツにあるゼーレの研究施設にいたが今回、綾波さんと入れ替わって日本のネルフ本
 部への所属となることを望んだ。
 また、綾波さんはその影響を受けてドイツにいることになる筈だったが、一日も早く対使徒戦に参加で
 きる様、アメリカ第2支部のパイロットとなることを望んだ。
 ぼくたちが行なった関与というのは、その程度だ。
 だが、どういうわけか、シンジ君までドイツ支部の所属に変っていた。
 そして、アスカ、君もだ。』

「え?」
『君も本来、ドイツ支部の所属だったはずだが、どうもシンジ君と入れ替わっているらしい。』

「え?…。そうなんだ。」
言われてみれば、なんだかあたしは、ドイツで暮らしていた様な気がする。でも…。

「でも、あたしは日本にいたいなんて、願った覚えはないわ。どうしてそうなるのよ。」
『赤木博士が、そう願ったからさ。』

「リツコが?」

『ネルフの司令は本来、シンジ君の父親、碇ゲンドウだった。
 彼がネルフ側の”人類補完計画”の推進者だったんだ。
 そして、赤木リツコ博士の想い人でもあった。
 だけど、彼女はゲンドウに裏切られた。彼の意中の人は、自分ではなかった。
 いや、単に利用されていただけだと、気づいたのかも知れない。
 ゲンドウを殺して自分も死のうと彼女は思ったが、結末は君が見たとおりのこととなった。
 そしていまわの際に、彼女はゲンドウとは関わることのない世界の再生を願った…それが今のぼくたち
 の世界さ。』

「だから、ネルフの司令がシンジのお父さんからあたしのパパに入れ替わり、必然的にシンジとあたしが
 入れ替わったということね。
 …残念だったわね、カヲル。」

『ん? どういうことだい?』
「あんた、シンジと一日も早く再会したいから、レイと入れ替わったのじゃなかったの?」

『たしかに、そうだった。でも、もういいんだ。』
「もういいって?」

『正直言って、ぼくが今、もっとも興味があるのは、シンジ君じゃないからさ。』
「だれよ、それ?」

『君だよ、アスカ。』
「ななな、何、バカなこと言ってんのよ!!」

シンジもレイも、聞いてるじゃない!
あたしは、たぶん顔を真っ赤にして沸騰していた。


 

シンジは、あたしたちの会話を聞いてはいたが、自分にとってはそれどころではないという感じだった。

自分の目の前で、父ゲンドウが人を殺した。
それも、自分の知人であるリツコを。
さらにゲンドウは、リツコから恨みをかっており、心中をしかけられたところを返り討ちにしたのだ。

シンジでなくても、落ち込むには十分な事態だった。
だけど、シンジにかける言葉が見つからないあたしは、カヲルに訊ねた。

「ところで、これからどうするの?」

『使徒は再び、ぼくたちに何かを見せようとしてくるだろう。』

『そうね。自分の胎内の”特殊空間”にいるわたしたちには、物理攻撃ができないようだから、時間を
 操ってわたしたちを自滅に追い込もうとするのでしょうね。』

レイが口を挟むように言った。

『そして、碇君がその標的になった…。』

『さらにショッキングなものを見せようとしてくるだろう。
 綾波さん、それが何なのか、予想できるかい?』

『単純に”嫌なこと”ではなく、ショッキングなこと…。
 たとえば、使徒として斃した相手が、実は自分の友人であったとか。』

『そういうことがあったのかい?』

『はっきりとは覚えていない。それに、碇君が絶叫する様な事態は、二回はあったと思うわ。』

『何にせよ、反撃できるのはそのときしかないだろうね。』

「反撃? どうやって?」
あたしは思わず訊ねる。

『そのときにならないとわからないさ。でも、高シンクロ率を実現できる複座プラグにぼくたちはいる
 んだ。A.T.フィールドを最大に展開すれば、何かが起きるのじゃないかと思う。』

「起きなかったらどうなるのよ。」

『シンジ君の自我が崩壊し、それで何かが起きる。
 ぼくたちを放置して窒息死させるよりも、使徒はそれを狙っているようだ。』

「どっちに転んでも、何かが起きるってことしかわからないわけ?
 もう! ちっとも頼りにならないわね!」

『ぼくは君を頼りにしているよ、アスカ。』

「なによ、それ!」

『事実だよ。ぼくが思うに…。』

カヲルの言葉はそこで途切れた。使徒の攻撃が、再び始まったのだった。




抜ける様に、青い空が見えた。

大空を旋回する、白い鳥の群れがいる。
舞う様に旋回する、九羽の白い鳥。

それぞれが、何かを口に銜えて…。

違う…。
違う、これは鳥じゃない。

これは…エヴァだ。
そう、あたしは、こいつらを知っている。

エヴァシリーズ…あたしは、こいつらとジオフロントで戦ったんだ。
九体のエヴァシリーズを、あたし一人で斃した。

あれ、それなのに、どうしてこいつらは飛んでいるんだろう?

そのとき、あたしは気づいた。
こいつらの一体が、口に銜えているものが何であるか。

(これは、足…。エヴァの素体の足だわ。赤い装甲が、まとわりついている?
 ひょっとして、これは、あたしが乗っていたエヴァの…?)

思わず、地表に視線を転じた。
そこに、それはあった。

ちぎり取られ、剥きだしになった、四つ目のエヴァの頭部が。
あたしの、エヴァの残骸が。

「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

絶叫が二つ重なる。一方はあたしの、もう一方はシンジの悲鳴だ。

そして唐突に、それは訪れた。
目を射るばかりに強烈な、オレンジ色の光が溢れる。
それを受けたエヴァシリーズが、ジオフロントが、青い空さえもが、真っ赤に血塗られる。
世界が、融け崩れ始めた。

『ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁ〜っ。』
どこか遠くで、断末魔の悲鳴が聞こえる。

『アスカ! シンジ君!』
頭の片隅で、カヲルが叫んでいるのが聞える。

『何が、起きてるの?』
レイが、カヲルに訊ねているのも聞える。

『”世界”を拒絶するレベルの、A.T.フィールドだ。
 それが、弐号機から発せられている。
 密着している4号機は拒絶されていないから無事だけど、この空間自体を支えている使徒のA.T.フ
 ィールドは消滅させられ、使徒本体の崩壊が始まっているんだ。』

『どうして、そんなことが。』

『使徒が見せた”現実”は、シンジ君ばかりでなく、アスカにもショッキングなことだったんだ。
 複座プラグによって二人の拒否反応がシンクロし、驚くべき効果が発揮されることになった。
 シンジ君ひとりの自我崩壊を狙っていた使徒には、予想外の展開だったろうね。』

『シンクロ率カットの機構が振り切られている…危険領域を超えているわ。
 使徒の崩壊はいいけど、このままではサードインパクトに匹敵する事態になるわ。』

『わかっているよ。それにこのままいくと、アスカも、シンジ君も、人に戻れなくなる。
 使徒に関しては、自己崩壊のプロセスに入ったからもう十分だろう。
 弐号機を止めるとしよう。』

『どうするの?』

『弐号機に匹敵するアンチA.T.フィールドを展開し、中和させるんだ。』

『わたしたちに、できるかしら。』

『複座プラグと、君の協力があればね。
 ぼくはもともと、シンクロ率を自由に設定できるんだ。
 今から、弐号機と同じレベルまでシンクロ率を上げる。
 さすがにそのレベルになると、その後のコントロールが自分ではできなくなるかも知れない。
 だから、A.T.フィールドの中和が完了したら、君の方で解除してくれないか。』

『わかったわ。』

『ふっ。』

『何が、おかしいの?』

『いや、ことによると、赤木博士はある程度、こういう事態を予想していたのかも知れないと思って。
 ぼくが自由にシンクロ率を操れることは前から知っていたみたいだし、この複座プラグのメンバー構成
 はそのためのものだったのかも知れないね。』

『………。』

『では、行くよ。』

そこまでであたしの意識は途切れ、このあと、何が起きたのかはわからなかった。

後から聞いた話では、第3新東京を照らす朝焼けの光の中で、使徒の球体に突然亀裂が入り、それを突き
破って二体のエヴァが地上に降り立ったとのことだった。
真っ赤に血塗られた二体のエヴァは、一方は吠え猛り、もう一方はそれを抑えようとしている様だったが、
やがて内部電源が切れたのか、二体とも沈黙し、あたりは再び早朝の静寂に包まれたという。




目を開けると、陽の光が眩しかった。
窓から入り込む西日が、あたしの顔を照らしているのだった。

あたしは、思わず片手で顔を覆った。

「お目覚めかい?」
やさしい声がして、あたしを覗き込む人影が見えた。
逆光になっているが、それが誰かはすぐにわかった。カヲルだ。

あたしは、身を起こした。

「使徒は?」
「殲滅されたよ。君と、シンジ君のおかげで。」

「シンジは、どうなった?」
「無時だよ。今、綾波さんがついている。」

「そう…。」
あたしは、ほっとして力を抜いた。

「いろんなことが、わかったわ。
 シンジも、さぞかしショックでしょうね。」

「そうだね。でも、今の君がここに無事でいることは知らせたし、落ち着きは取り戻したようだよ。
 元気になるには、もう少しかかるかも知れないけどね。」

「そっか。無理もないわね。」

「今日のところは、ゆっくり休むといい。」

「そうね、そうするわ。」

「それじゃ、ぼくは行くよ。お休み、アスカ。」
カヲルが立ちあがろうとするので、あたしは彼の手を掴んで引きとめた。

「待って、カヲル。」

「どうかしたのかい?」
訝しげに問いかけるカヲルの目を、あたしはじっと見つめた。

カヲルはふっと表情を緩めると、そっとその顔をあたしの上に覆いかぶせた。
あたしはその首を掻き抱いて、唇にふれるその感触を、しばらくの間確かめていた。




翌日。

あたしたちパイロット四人は、ミサトとリツコに本部に呼び出された。
使徒の体内で、いったい何があったのか、報告を聞きたいとのことだった。

作戦部としても技術部としても、それは当然のことだったろう。
でも、全てを話すべきかどうか、迷うところではあった。

そろそろ、リツコとは腹を割って話すべき時期だと思っていた。
だが、ミサトの前でそれをしてもいいものだろうか。
ミサトは、関与していない可能性が高い。
これまでのことを話しても、信じてもらえないかも知れない。
悪くすると、未来を知る者は危険分子として見られるかも知れない。

本部施設へ行く道すがら、あたしがその懸念を口にすると、

「ミサトさんなら、大丈夫だよ。」
シンジが、そう言った。

「どうして、そう思うわけ?」

「リツコさんのことも、ぼくたちのことも、ミサトさんは信じてくれていると思うから。
 だから、すべてを話した方がいい。
 最初は驚くだろうけど、きっと信じてくれるよ。
 そして、力になってくれる。
 ぼくは、そう思うよ。」

「よくまあ、あんたはそんなに楽観的になれるわね。」
あたしは、苦笑して言った。
 
「だが、シンジ君がそう言うのなら、そうかも知れない。」
カヲルはそう言う。

「シンジ君の判断を、信じることにしよう。
 これまでのことは全て、あの二人に話す。
 その上で、これからのことを二人に相談しよう。」

「わかったわ。」
レイがそう言い、結局あたしたちはシンジの意見に賛同することにした。




そして、一時間後。

「なんですって…。」
ミサトは、しばし絶句していた。

あたしたちは、第12使徒の体内で何があったかを逐一報告した。

その上で、この世界は一度リセットされており、再構築されたものであると説明した。
ネルフの司令は、シンジの父親の碇ゲンドウから、現在のラングレー司令に入れ替わっていること。
チルドレンの所属とエヴァの機番の一部が、入れ替わっていること。
そして、それらは前回の補完計画の発動に関わった複数の人の意思(願い)に、ターミナルドグマのリリ
スが応えたために起きていることを。

「信じられないわ。」
茫然とつぶやく、ミサト。

「事実よ、ミサト。」
それに対して、未来を知る者の一人であるリツコが応えた。覚悟を決めた言葉だった。

「あんた、全てを知っていたの?」

リツコは首を横に振る。

「この子たちと同じ。断片的にしか、思い出せないわ。
 次に襲来する使徒の対処方法が、なんとなくわかる…その程度よ。
 あとは、”だれかの為の犠牲”になるのではなく、”自分の意思で生き延びること”。
 それが、この世界で死んだ母さんとの約束だったから。
 この先に何があるかについても、おぼろげにしかわからない。
 でもね、今はそれで十分だと思う。」

そこで、初めてリツコは笑みを見せた。

「わたしも、正直、不安だった。
 逆行者がわたしだけでないことは、薄々感づいていた。
 でも、目的が同じかどうかはわからないし、ゼーレの息がかかっていることも考えられたわ。」

「だから、一人で抱え込んでいたのね。」
レイが、そう指摘する。

「ええ。でも、わたしの不安は、あなたたちの不安でもあったということね。
 もっと早く、わたしの方から打ち明けていればよかったわね…ごめんなさい。」

「ひとつ、訊いていいですか?」
カヲルが、そこで訊ねた。

「ええ、何かしら。」

「これが、あなたの望んだ世界。それで、間違いないですか?」

「そうね…。」
リツコは一瞬、遠い目をしたが、やがてそれに答えた。

「使徒の襲来は望ましいことではないけど、それが人類に課せられた避けられない試練であるなら、わた
 しはこの世界を否定することはできないわ。
 全てを乗り越えた上で何かが得られるのだとしたら、わたしは希望を抱いて、全力をかけてそれに向き
 合おうと思うの。」

「リツコ…。」
ミサトが、感嘆したようにつぶやく。

「それに、ね。」
リツコは続けた。

「この世界はリリスが創り出した、ある意味、偽りの世界かも知れない。
 でも、人類がその叡智を結集して難局を乗り越え、リリスが望む結果を出せたとしたら、これが本物の
 歴史として残るのだと思うわ。
 わたしたちが抱いている違和感も消え、セカンドインパクト発生前から続く正統な歴史として、人類は
 存続していけるのじゃないかしら。」

「そうね、それがリリスが望んでいることかも知れない。」
レイがそう言い、ミサトは頷いた。

「わかったわ。わたしも、やるわ。微力だけど、できる限りのことはする。
 みんなで協力して、未来を勝ち取りましょう!
 せっかく与えられた”やり直し”のチャンスだもの、それを不意にするわけにはいかないわ。
 全てが死滅した世界には、絶対にしたくないもの。」

それは、ここにいる全員が抱いた、共通の想いだった。
                     − つづく −