ダブル チェンジ 第24話

- もうひとつの”意思” -


使徒の髑髏の様な目の奥底に、再び小さな光が点り始めた。
怪光線を発射する前触れだ。

援護のためのA.T.フィールドを放とうにも、あたしはまだ精神を集束することができていない。
この前、JAの進路を変えさせようとしたときもそうだったが、連射を行う場合は集中するための時間が
要るのだ。

「カヲル、レイ。逃げて!!」
叫ぶのが精一杯だった。
叫んだ直後に、使徒の両眼が眩く光った。

「!」
あたしは、息を呑んだ。
たとえA.T.フィールドを展開したとしても、あの怪光線の直撃を受けたらひとたまりもないだろう。
4号機は…?

4号機は健在だった。
とりあえず、今は。
さきほどから、少し離れた位置に立っている。
その全身が白く輝いていたが、すぐにその光は消えた。

レイも、使徒の怪光線発射の予兆に気付いたのだ。
あたしは、ほっとすると同時に、新たな不安を感じた。

いちいち全身を光(何らかのフィールド)で覆う必要があるなら、あの瞬間移動にしたって繰り返し行う
のは容易ではない筈だ。
もし、使徒の怪光線の連射の方が、準備に要する時間が短かったとしたら…。

あたしの不安は、現実となった。

「ま、また!」
再び、使徒の黒い眼窩に光が点る。

「綾波!!」
シンジが、後部シートで叫ぶ。

次の瞬間、4号機は吹っ飛び、本部施設のピラミッド状の建造物に叩きつけられていた。
かなりの距離を弾き飛ばされたというのに、その背面から建造物に半ばめり込んでいる。

「綾波、綾波ぃ!」
シンジが繰り返し叫んでいる。

初号機がそこに駆け寄り、あたしたちはその惨状を見た。

4号機の胸部パーツはぐしゃぐしゃになっていて、首も折れたのか、その顔が真横に倒れている。
左腕は千切れとんだのか、付け根からなくなっている。
そして、胴体(かろうじてそう呼べる残骸)の全体から、煙を吹いていた。

「綾波! 大丈夫か、綾波!」
「カヲル、レイ! 無事なの? 生きてるなら返事をして!」
あたしとシンジは、口々に叫ぶ。

返事は、なかった。

「…無理だ。助かりっこない…。」

だれかが、呟くのが聞えた。
そう、これはあたしの声だ。

ひどい脱力感を感じた。
エヴァの機体を一機損失と、パイロット2名の戦死…。
これは、本当に現実のできごとなのだろうか?
自分の体が、自分のものでないような気がする。

何処かに、落ちていく様な感触がある。
いや、引きずり込まれている感じだ。
プラグ深度が、一気に下がっているようだった。
意識が、ふっと遠くなる。

その中で、あたしは、しぼり出す様なシンジの声を聴いた。

「綾波を、よくも…。許さない!!」

初号機が、雄叫びを上げながら使徒に向かって突進していくのが分かった。
(暴走…しているの…?)
だめだ、完全にあたしのコントロールを離れてしまっている。
それともこれは、シンジがやっているの?

さらに、プラグ深度が下がる。
繰り返される初号機の雄叫びを耳にしながら、あたしは意識を手放してしまった。




「アスカちゃん、何も心配することないのよ。」
ママの葬儀を終えたあと、その女はあたしに言った。

「皆で相談して、おばさんがあなたを引き取ることにしたから。」
あたしはまだ幼かったが、その女が嘘を言っていることはわかった。

パパは、この女と再婚するつもりなのだ。
あたしを、連れ子としたままで。

この女にしたって、連れ子がいる。
マリという、あたしより1歳年上の女の子がいた。
パパが再婚する前から、妙にあたしに馴れ馴れしくて、正直あまり好きじゃなかった。

そして、何らかの打算に基づいた、寡夫と未亡人どうしの再婚。
そこには大人の都合しかなく、子供に対する打診も承諾もあったものではなかった。
あたしの姓は、ツェッペリンからラングレーに変わった。
パパがまた、妻の姓を名乗ることにしたからだった。

だが、新しい生活は、そう長くは続かなかった。
その原因が、パパにあったのか、新しいママにあったのかは、よくわからない。
たぶん、両方なのだと思う。
2年もすると、パパは再び家に帰らなくなるようになり、4年目に二人は離婚した。
離婚するだけ、二人目のママはしたたかだった。
あたしの本当のママは、今思うに、パパに棄てられたことを苦にしてみずからの命を断ったのだから。

二人目のママは離婚後に1年くらい経ってから、イギリスの人とまた再婚し、姓を変えていた。
たしか、イラストリアスとか、言ったっけ?
それに対してパパはまだ、ラングレー姓を名乗っている。
未練でもあるのか、あてつけなのか、あいつの考えていることはよくわからない。

あたしには、どうでもよかった。
本当のママのもうひとつの姓、”惣流”を名乗ることができるのであれば。




家族を顧みないパパが、あたしを自分の手で育てるわけはなく、あたしはママの遠縁にあたる人に預
けられた。
周囲の人からは、”先生”と呼ばれていた。
忙しい人で、しばらく家に帰ってこないことも多かったが、それでもパパと違ってあたしのことはそれな
りに気遣ってくれた。

その先生に、格闘技を習うことを勧められた。
もともと、”惣流”は武術を伝承する家柄であったらしい。古柔術か何かだったと思う。今はもうそれを
継ぐ人もいないが、あたしの身のこなしは格闘技に向いているというのだ。

一人で過ごすことが多かったあたしにとって、いくつかの格闘技を習うことは暇つぶしにはなったし、
たしかに自分でも向いていると思うことがあった。
習っている格闘技の一つに、少林寺拳法があり、地方大会に出ないかという話をもらったこともある。
だけど、あたしは断った。
そんなことで、目立ちたくはなかったからだ。
また、もっと強くなることを目指して、血の出る様な努力をするのも嫌だった。



『ふうん。アスカが格闘技に通じているのは、そういうことがあったからなんだ。』
『…まあね。』

『で、一体アスカは、いくつ格闘技を習ってたの?』
『えーと…、少林寺拳法、テッコンドー、ジークンドー、カポエラ、それに柔道の5つね。』
 
『すごいな。世界中の格闘技、それも拳法がほとんどだ。』
『ほんと、われながらよくやってたわ。』

『ところで、ここ、一体どこだろう。』
『何よ、シンジ。あんた、そんなことも知らないの。』

そう言いながら、あたしは周囲を見廻した。

…何も見えない。

何も見えない、なにもみえない、ナニモミエナイ…。

どういうことだろうか。
今、会話をしているシンジの姿さえ見えない。

『どういうこと…?何も、見えないじゃない。』
あたしは、茫然としてつぶやいた。

そのつぶやく声さえ、自分の耳には聞こえない。
ついさっきまで、こんなところにあたしたちはいなかった筈なのに。
そして、その”ついさっき”に、何処にいたのかすら思い出せなくなっていた。

『あたし、さっきまで…?』

『どうやら、ぼくたち、直前の記憶を封印されているようだね。』
シンジが先に落ち着きを取り戻していた。

『だれが、何のために?』
『さあ? 直前までの経緯がわからなくなっているのだから、推測のしようがないよ。』

『なんだか、悪い夢を見ているようだわ。』
『そうか、それかも知れないね。』

『え?』
『ぼくたちにとって、すごく嫌なことが起きたんじゃないだろうか。』

『たとえば?』
『たとえば…そう、大切なひとを、失ったとか。それを忘れさせるために、だれかが…。』

そこまで言って、シンジは息を呑んだ。

『綾波!』
シンジが叫んでいた。

『そうだ、綾波はどうしたんだよ!』
『ちょっと、綾波ってだれよ?』

『綾波は、綾波だよ! アスカ、綾波を知らないの?』
『そんな、大声出さないでよ。頭に響くじゃない。』

(えーと、綾波、綾波…。)
あたしは、必死に思い出そうとした。

シンジにしたって、キーワードを思い出しただけで、すべてを思い出したわけではなさそうだ。
 
『ちょっと待ってね、今思い出すから。』

(綾波…あやなみ…アヤナミ、レイ。
 アヤナミ、レイ。マルドゥック機関が選出した、ファーストチルドレン。
 その経歴は、すべて抹消済み。
 ファースト…。ファースト?
 あれ、ファーストって、カヲルじゃなかったっけ?
 カヲル…ナギサ、カヲル…渚カヲル。)

『何か、思い出した?』

『うーん、綾波レイがファーストチルドレンということと、渚カヲルの名前だけ。』

『カヲル…カヲル君! そうだ、その名前も知っている。』

『どういうこと? 綾波レイと渚カヲルがどうしたというのよ。』

『おそらく、その二人に何かあったんだ。胸騒ぎがするのは、たぶんそれが理由だ。』

(そうか!)
あたしは合点がいった。

(あの二人に、何かあったんだ。たぶん、使徒と戦っているときに…。使徒!)

『使徒だわ!』
あたしは、思わず叫んだ。

『ジオ・フロントに、使徒が侵入してきたのよ!』

『そうだ、4号機が使徒にやられたんだ!』

『カ、カヲルとレイが…!』

大破して煙を噴いている4号機の姿が、はっきりとあたしの脳裏に蘇った。




「…三度目の暴走か。」

ケイジに拘留されている”初号機”を眺めながら、銀髪の少年はつぶやく様に言った。

「ええ。」
傍らの少女が、短く答える。

「でも、これまで、パイロットを取り込む様なことはなかったわ。」
ショートカットの少女の髪の色も薄いが、こちらは幾分青みがかっている。

「そう、これまでの初号機の暴走は、エヴァがパイロットを守るためのものだったからね。
 今回は、違う。
 パイロットの意思によって、引き起こされたんだ。
 それが、無意識のものによるかどうかは、別にして。」

「わたしたちを、助けようとして?」
少女、綾波レイは少年に訊ねた。

「たしかに、そうだ。だけど、それに応えたエヴァに今回、悪意のようなものをぼくは感じる。」
少年、渚カヲルはそう答えた。

カヲルは一昨日の使徒戦を思い出していた。

使徒の眼窩に光がやどり、次の瞬間に自分たちが搭乗していた4号機は後方に吹っ飛ばされていた。
その直後のしばらくの間のことは、気を失っていたのでわからない。
そして偶然に緊急脱出装置が働き、本部施設に激突する前に複座プラグは4号機から射出されてい
たという。

本当に、偶然だった。
緊急脱出装置は本来、パイロットもしくは発令所からの操作でないと作動しないものだから。
自分たちは気を失っていたし、発令所からも操作する時間はなかった。
衝撃による装置の故障が、いい方向に働いたとしか考えられない。

それはともかく、気付いたときには初号機の暴走が始まっていた。
獣の様な雄叫びを上げながら、使徒に馬乗りになってその腹部を貪り喰っていた。

「まさに、悪鬼だったね、あのときの初号機は。もう、だれにも初号機は止められないと思ったよ。
 使徒を喰らい、パイロットを取り込んで、自由の身になった喜びに満ち溢れていたからね。」

だが、その初号機は、虚空を見あげて数度雄叫びを繰り返したあと、急に活動を停止した。

「では何故、初号機は停止したのかしら。」

「ぼくもそこが、分からない。
 たしかに初号機は、人の手によるコントロールを離れていた。
 パイロットの最後の願いに応じる替わりに、その身を吸収したのだからね。
 これから好き勝手ができるというのに、何故活動を停めてしまったのか。
 何らかの、もうひとつの”意思”が働いたとしか思えない。」

「リリスよ。」
それに答える声は、二人とは少し離れた場所から聞こえた。

リツコが、カヲルとレイに歩み寄っていた。

「あなたたち二人を、4号機から脱出させたのも、
 暴走状態になった、初号機を停めたのも、
 すべては、リリスの意思によってなされた。
 それでなくては、説明がつかないわ。
 それぞれのエヴァに関与できる存在なのだから。」

「なるほどね…。」
カヲルは、ため息をつく様に言った。

「すべては、シナリオどおりというわけですか。シンジ君たちが、取り込まれたのも含めて。」

「どうかしらね。
 リリスの意図がどうであれ、わたしたちはシンジ君とアスカをサルベージしなくてはならない。
 それだけは事実よ、憶測ではなく。」

「難しいことなのですか。」
レイが問う。

「はっきり言って、難しいわね。
 一人だけならともかく、シンジ君とアスカの肉体は遺伝子レベルで混在したまま、LCLの中に漂って
 いる。
 その精神は、何処にあるのか分からない。たぶん、コアに吸収されているのでしょうけど。
 MAGIのサポートがあれば、物理的には復元は可能なんだけど、二人の精神がそれを受け入れな
 ければおそらく成功しないでしょうね。」

「碇君とアスカに、”戻りたい”という意思がなければいけないということですか。」

「そうね。でも、それだけではいけない。
 シンジ君とアスカが明確に自分自身を認識しないと、精神が入れ替わったり、最悪の場合、二人が
 融合した状態でサルベージされてしまうおそれがあるわ。」

「それは不味いですね。」
カヲルの表情は、彼にしては珍しく強張っていた。

「でもね、わたしを信じて。」
リツコは心配ないというふうに、微笑んでみせた。

「サルベージに関しては、”前の世界”でもやり遂げたという記憶があるの。
 今、思い出したわ。
 偶然にしろ何にしろ、必ず成功させるわ。」

「やはり、それがシナリオということですか。」
「そうなるわね。」




『いつまで、そうやって落ち込んでいるのよ。』
あたしは見かねて、シンジに声をかけた。

実際に、落ち込んでいる姿が見えているわけではない。
その様に感じ取れるだけだ。
それでも、放っておくわけにはいかないと感じたのだった。

『綾波が、カヲル君が、使徒にやられてしまうなんて…。』
さっきから同じようなことを、シンジはつぶやいている。

『もう二度と、大切な人を失いたくないと思ってたのに。
 エヴァに乗ると、こんな思いばかりしなくちゃいけない。だから、ぼくは…。』

『だからあんた、あたしと一緒に街を出ようとしたんでしょ?
 でも、やっぱり戻ろうと、気が変わったのはあんた自身よ。』

『それは、そうなんだけど…。
 あのときは、使徒襲来の警報を聞いて、綾波たちを放っておけないと思ったんだ。』

『それで、あたしまで巻き込んで、さんざん振り回しておいて、今更なによ!』
『…ごめん。』

『とりあえず、今回の使徒は斃したみたいだし、このままここにいても仕方ないわ。帰るわよ!』
『え? でも、どうやって?』

『そのくらい、あんた、考えなさいよ。”博士”なんだから。』
『無茶、言わないでよ。外部から、サルベージでもしてもらわないと無理だよ。』
『………。』

しばらくしてから、あたしは再びシンジに声をかけた。

『こうしている間に、次の使徒が来たらどうするのよ。』

『たぶん、それは大丈夫だと思う。』
『どうして、そんなことが言えるのよ。』

『初号機は、暴走状態になっていると思う。
 とっかかりはぼくだけど、アスカが無意識にそれを命じたおかげで。
 だから、過剰なシンクロ状態になって、ぼくたちはエヴァに取り込まれているんだ。』

『よくわからないけど、どうしてそれが大丈夫な状態なのよ。』
『今は小康状態みたいだけど、使徒が現れたらエヴァは本能の赴くままに立ち向かっていく筈だから。』

『あんた、バカ?
 それを見越して、ミサトが初号機を街の防衛ポイントに設置するとでも言うの?
 エヴァはパイロットが操縦してこそ、その真価を発揮するのよ!
 行動が予測できない”荒ぶる神”なんか、使徒と同じ危険きわまりないものだわ。
 さっさと、あたしたちが元に戻れる方法を考えなさいよ!』

『だから、それは外部からサルベージしてもらうしかないんだったら!』

『…リツコしだいということ?』
『たぶん。』

『そうか、待つしかないのね。』

結局、サルベージ計画が実施されるまで、あたしたちは一ヶ月近く待たされることになるのだった。
                     − つづく −