ダブル チェンジ 第26話

- 天 敵 -


「また、ずいぶんと生徒の数が減ったわねぇ。」
久しぶりに登校したあたしは、教室の中を見まわしてつぶやいた。

「仕方ないわよ。あれだけ街に被害が出たんだもの。」
傍らで、ヒカリがそう言った。
前回の第14使徒の襲来のことを言っているのだ。

「疎開した人も少なくないけど、まだ学校に出てこれない人だっているのよ。」
「もう、一ヶ月になるのに?」

「仮設住宅だって、まだ十分じゃないらしいぜ。」
横から相田が説明してくれた。

「だいたい、授業が再開されたのだって、まだ一週間前だし。」
「そうなんだ…。」

そのことでは、とりあえずほっとした。
あたしの授業の遅れは、十日程度らしい。
もし、一ヶ月も遅れていたとしたら、さすがに出席日数不足を心配しなければならなかったのだから。

「進級のことなら、心配しなくていいってことだぜ。
 先生が、そう言っていた。
 全員が進級できるように、学校側が対応してくれるってさ。」

「本当!?」
それは助かる。

「もっとも、春休みなんかを使いきった、補習のフルコースがあるみたいだけどな。」
「うぇぇぇっ!」




「なあ、星を見ないか。」
昼休みに、相田が提案してきた。

「街の夜景がほとんどなくなったおかげで、夜空の星がやたらはっきり見える様になったんだ。
 それでも、全天の星を隈なく見ようと思ったら、高い処に登るしかない。
 そこで、だ。」

「みなまで言うな。」
鈴原が、それを制した。

「それには、学校の屋上が最適やと言いたいんやろ?」

「な、なぜそれを?」

「おまえの考えとることなんか、お見通しや。
 ついでに、仲間を増やしとけば、うしろめたさも少なくなるってことやろ。
 ”みんなで登れば、こわくない”ってな。」

「えーとっ…。」

「実は、わしもそう思とったっんや。
 街の明かりがのうなったせいで、星がごっつう綺麗やなあって。
 そんでも、それは今のうちだけや。
 街が復旧したら、またネオンやらなんやらで、星が見えんようになるからな。
 善は急げや。今夜、決行するで。」

「えーっ! それって、あたしたちも入ってるの?」

「なんや、嫌なんか?」

「うーん…。」

たしかに、星空をゆっくり見るなんて、もう当分ないかも知れない。
ヤシマ作戦のとき、カヲルと二人で見た以来だ。
みんなで星を見るのもいいかも知れない。

そう考えて迷っているうちに、いつの間にか鈴原たちに決定事項にされてしまった。




その夜、集まったメンバーは、鈴原、相田のほか、カヲル、シンジ、レイ、そしてヒカリとあたし。
何かあるときに行動をともにする、変わりばえのないメンバーだ。

集合時間は夜の9時。

校舎の屋上に出るドアを開けたあたしたちは皆、息を呑んだ。
陳腐な表現だが、満天の星とはこのことだった。

あたしは、傍らのヒカリに声をかけた。
「綺麗ね。」
「ええ…。」

「来てよかったでしょ?」
「そうね。ありがとう、アスカ。」

ヒカリも誘ったとき、最初のうち彼女はしぶっていたのだ。
これまでの真面目なヒカリなら、当然のことだったが。
それを、『この機会を逃すともう二度と見られないかも知れない。こんな世の中だから、悔いのない様に
生きなくちゃ。』と諭したら、意外とあっさりと承諾したのだった。

ヒカリも、いろいろあって考え方が変わったのだろう。
それは、いいことだと思う。

「ねえ、カシオペアってどれ?」
あたしが、耳にしたことがある星座のことを誰にともなく訊くと、

「あれだよ。あの、W型に並んだ星がそうだよ。」
シンジが教えてくれた。

「そして、真北にある北極星を挟んで、あちらにほら、北斗七星がある。」
「ほんとだ。」

なんだか、課外授業みたいだったが、知っている名前の星や星座を生で観るのは楽しかった。

(北斗七星か。思ったより大きいんだ…。)
あたしが、そう思ってそれを見あげていると、不意にその傍に、小さな星が現れた。

(え…なに? 人工衛星?)
そう思いながら、あたしは突如として悪寒に襲われた。

(何、この感覚は?)
何故かは分からないが、あたしはその突然現れた星から、悪意の様なものを感じた。
そして、なんだかそれを、あたしは知っている様な気がした。

そのことを、誰かに言おうとしたとき、皆の携帯が一斉に鳴った。
鈴原と、相田を除いて。
ネルフ本部からの、呼び出しだった。

「使徒だ…。」
カヲルは、携帯に手を伸ばすこともなく空を見あげたまま、強張った顔でそうつぶやいていた。




使徒は、衛星軌道上にいた。

本部に到着後にスクリーン上に表示されているのを見たが、鳥が翼を広げた様な形状をした、白く輝くシ
ルエットだった。

(あいつだ!)
あたしは、直観的に悟った。

校舎の屋上で見た、北斗七星の傍に現れた小さな光だ。
何故か、そいつに対して、本能的な恐怖と憎しみを感じる。

「目標は、衛星軌道上から動きません。」

青葉二尉の報告にミサトは、つぶやいた。

「降下してこない?
 こちらの様子を窺っているのか、それとも、あの位置から攻撃できる手段があるのか…。」

しばし考えた後、

「仕方ないわ。ポジトロンスナイパーライフルで、超長距離射撃を敢行しましょう。」
そう決断した。

「無駄よ。」
そう言ったのは、リツコだった。

「距離があり過ぎるわ。かろうじて届くかどうかというところよ。
 使徒のA.T.フィールドを貫通できるとは思えないわ。」

「じゃあ、どうしろというの? 他にどんな方法があるというのよ!」

「方法としては二つ。
 このまま静観して、使徒が有効射程内まで降りてくるのを待つか、それとも…。」

そう言うとリツコは、司令席に座っているパパを見あげた。

「ラングレー司令、”槍”の使用許可をいただくかです。」

「ロンギヌスの槍を使うというのか!」
叫ぶ様に言ったのはパパではなく、その傍らに立つ冬月副司令だった。

「いかん! それだけはいかん! あれは、これからの計画に必要なものだ。
 それに、我々の一存で使用していいものではない!」

「許可する。」
そのとき、パパは静かに告げた。

「ラングレー!」
愕然とする副司令を制して、パパは続ける。

「ただし、条件がある。葛城作戦部長。」
「はいっ。」

「オペレーションは、初号機パイロットに担当させろ。」
「アスカに? 何故ですか。」

「それが、命令だ。」

パパは理由を言わなかった。
どういう根拠であたしを指定するのか分からず、ミサトもリツコも一瞬困惑の表情を浮かべた。

「いいわ、あたしがやる。」
あたしは、はっきりとそう言った。

「アスカ?」

「司令(あいつ)が言うからじゃないわ。
 あたしはあの使徒と、戦う運命にあると思ったからよ! 」

そう、あの使徒には”借り”がある。
あたしは、そう直感した。

かつてあたしはあいつに、ひどい目にあわされたことがある、そんな気がした。
そう、あいつはあたしの天敵なんだ。

「いいのね、アスカ。」
あたしは、黙って頷いた。

「作戦部長。復唱はどうした?」
「…了解しました。本作戦の遂行は、初号機パイロットに担当させます!」

ミサトが復唱する間に、あたしは決意を新たにした。
(借りは、返す!)




あたしが初号機でロンギヌスの槍とやらを、ターミナルドグマをとりに行く一方で、カヲルの零号機にも一
応、ポジトロンスナイパーライフルでの超長距離射撃を準備させることになった。

リツコが”無駄”と言ったように、現時点では超長距離射撃の効果を期待しているわけではない。
あくまでも使徒に対するフェイントか、使徒が有効射程内まで降りてきたときのための保険としての出撃
だった。

リツコに言われて、あたしはワイヤーリフトを使って初号機でドグマを降りる。
目的のロンギヌスの槍は、ターミナルドグマのリリスに突き刺さっていた。
以前、空から落ちてきた使徒を受け止めた直後に、カヲルと二人でリツコの後をつけてここにきたときに
はなかったものだ。

(いったい、いつの間にこんなものが?)
そう思いながら、指示されるままにその巨大な二又の槍をリリスから引き抜く。

その途端、リリスの下半身から二本の脚が生えた。

「ひっ?」
思わず飛び退って引き抜いたばかりの槍を構える。
だが、リリスはそれ以上の動きを見せなかった。

「お、脅かすんじゃないわよ!」
そうつぶやきながら、そそくさと帰路に着いた。

…実際は、槍を奪われて怒ったリリスが追いかけてくるのじゃないかと、気が気じゃなかったけど。

(こんなことでびびっていては、とてもじゃないけど”天敵”は斃せないわよ!)
そう自分にいい聞かせて地上に戻ると、カヲルの方のポジトロンスナイパーライフルは既に準備ができて
いた。

「やあ、来たね。」

「いつの間にか、こんな槍があれ(リリス)に刺さっていたわよ。」
あたしは、ロンギヌスの槍を前に差し出して、カヲルに見せた。

「ああ、その作業はぼくがしたんだ。」
カヲルがあっさりとそう言うので、

「!! …いつ?」
思わず、大きな声で訊いてしまった。

「”あの後”すぐ、司令と赤木博士に命じられてね。」

具体的な時期は、あえてカヲルは言わない。
リツコの後をつけてすでに一度リリスを見ていることを、パパに悟られない様にするためだ。

「何よ、言ってくれてもいいじゃない。」
「そうだね。悪かったよ。」

「…まあ、いいわ。それより今は、使徒殲滅が先よ。どうやる?」

そう言ってあたしは、夜空を見上げた。
相変わらず、北斗七星の傍に小さな光が見える。
あれが、衛星軌道上の使徒だ。

「まず、ぼくが使徒を狙撃する。
 それで、使徒に何らかの動きが出るだろう。
 その様子を見て、槍の投擲のタイミングを決めてくれればいい。」

「わかったわ。」
「じゃあ、いくよ。」




カヲルの零号機がポジトロンスナイパーライフルを構え、使徒を狙い始めた。

その姿に、なんだか見覚えがある。
ヤシマ作戦のときも、あたしの隣で使徒を狙っていた。
そのことだろうか。
いや、違う。
今と同じ様に、零号機が虚空の目標に向かってライフルを向けていた姿だ。

”前の世界”のことだろうか。
たぶん、そんな気がする。
そのとき、あたしはどうしていたのだろう。

唐突に、思い出した。
そうだ、あたしはそのとき、悶え苦しんでいたのだ。
頭を振りまわしてのたうちながら、ライフルを構える零号機の姿が視界に入ったのだった。

でも、なぜ?
たしか、光が…。

そのとき、眩い光があたしの視界を覆った。
そうだ、この光だ!

「ああああぁ〜っ!」
あたしは絶叫していた。

「どうしたっていうの?」
通信機を通して、ミサトの声がかろうじて聞こえた。

「可視波長のエネルギー波です。A.T.フィールドに近いものですが、詳細は不明です。」
「危険です。精神汚染に突入します。」
「使徒の心理攻撃?」

そうか、前回もあたしは、心理攻撃を受けたんだ。
パイロットとして、役に立たなくなるほどの。

たしかシンジが、虚数空間に取り込まれたときにこう言っていた。
『そのうち使徒の行動が第3新東京の破壊行為ではなく、パイロットの精神への攻撃に移ってくる。
 使徒の殲滅と引き換えに、ひとり、またひとりとパイロットが戦列を離れていき、残された自分の精神
 が追い込まれていったという記憶がある。』

あたしは前回、この使徒に退場に追い込まれたんだ。
だから、一目見て”天敵”だと、本能的に悟ったんだろう。

「大丈夫かい、アスカ。」
カヲルが、声をかけてきた。

「く、くくくくうぅ〜っ!」
あたしは、呻くことしかできなかった。

「カヲル君、使徒を撃って!」
「了解。」

ミサトの指示で、ポジトロンスナイパーライフルは発射されたようだ。だが、

「駄目です。使徒のATフィールドを貫くには、エネルギーがまるで足りません!」
やはり、通用しなかったようだ。
それを聞いて、心が折れそうになった。




気持ちが、悪い。
ぞっとする様な手が、胸の内をまさぐっている感じがする。
外側ではなく、胸の内側を。

それがさらに、無遠慮に胸の中に入り込み、何かをさらけ出そうとしている。

(使徒が、あたしの心の中を覗き込もうとしている…。)

昔の嫌なことの記憶が、ほじくり返され始めた。
ママのこと、パパのこと、あの女のこと…。

そう、以前もこんなことがあった。
”前回”はあたし一人で封印していた過去の嫌な思い出を、いきなり突きつけられたのだった。
あたしはそのとき、取り乱し、泣き喚き、そして崩壊していった様な気がする。

でも、今回は違う。
いずれはどうなるか分からないが、まだ頑張れる。

ついこの前、シンジとLCLの中で融け合っていたとき、お互いの過去についていくらかは話し合ったの
だから。
一番つらい思い出である、あたしのママが死んだときのことと、シンジのママが亡くなったときのことを
打ち明け合っているのだから。
だから、これは封印した過去ではない。
あたし一人で、背負いこんでいるわけではない。
孤独でないからこそ、同じ様な思いをしている人がいるからこそ、あたしは頑張れるのだ。

それでも、あの女が言った、何か決定的なことを使徒はほじくり返そうとしていた。
あたしが、記憶の奥底に沈めたものを。
精一杯の抵抗をしているが、もし思い出してしまったら…。

そこで、ふっと嘘の様に苦痛が消えた。
見あげると、初号機に向かって降り注いでいた光が消えていた。

「A.T.フィールド、全開…。」
カヲルの、つぶやく様な声が聞えてきた。

見るとカヲルの零号機が、両手を天に向かってかざしている。
そして、その先に巨大なA.T.フィールドが展開され、赤黒く輝いていた。

なぜ赤黒いのか?
発光している赤い光の向こう側が、星ひとつない暗黒になっているからだ。

「もう、大丈夫だよ。」
そう言うカヲルに、

「この仕業はやっぱりあんたなの、カヲル?」

「ああ、シンクロ率を最大にして、最大強度のA.T.フィールドを展開してみた。
 使徒の攻撃が、可視波長のエネルギー波だということだからね。」

そうか、光すら通さない巨大なフィールドを展開しているから、向こう側が見えない、つまり星が見えな
いということか。

「でも、これがいつまでも続けられるわけじゃない。」
そう言うと、カヲルは荒い息をついた。

「落ち着いたところで、ロンギヌスの槍の投擲の準備にかかってくれないか。
 投擲の瞬間に、いったんフィールドを解除する。
 一連の投擲動作の中で使徒に狙いをつけなければならないが、できるかい?」

「…やれると、思うわ。」
目に見えなくても、あたしには使徒の存在位置が分かる様な気がした。
そう、天敵なのだから。

「アスカ、大丈夫なの?」
発令所から、ミサトが訊いてきた。

「大丈夫よ。ここから先は、まかせて。」

あたしは、初号機の脚を肩幅に開かせた。
そして、両手でロンギヌスの槍を引き下ろし、上空に向かって構える。
よし、思い通りに体は動く様だ。問題ない。

虚空を見あげる。
意識の奥底で、こちらを見ている使徒が見える。
(そっちがあたしのことを見ているからこそ、あたしにもあんたが見えるのよ!)

「いっけええええぇっ!」
あたしは、振りかぶって槍を投げにかかる。

同時に、カヲルが展開していたA.T.フィールドを解除する。

嵐の様に光の照射が襲ってきたが、一連の投擲動作の中であたしの視点は使徒を捉えて離さなかった。

ぶんっ、と音をたてる様に槍が両手を離れて飛んでいく。
槍はみずからに意思があるかの様に、二又の穂先が一本の針に変じ、使徒を目指して飛んでいった。

再びカヲルが、A.T.フィールドを展開してくれた。
それで安心したのか、あたしは、初号機は、その場に座り込んでしまう。
あとは、槍の力を信じて待つしかない。

ほどなく、
「目標の消失を確認!」
青葉二尉の報告を耳にすることができた。

続いて、
「状況終了。」
作戦遂行の完了を、ミサトが告げた。

それと前後して、零号機もA.T.フィールドを解除し、初号機と同じ様に座り込む。
カヲルも、全力を出してくれたのだ。

「ありがとう、カヲル。」
あたしは、モニタごしにカヲルに礼を言った。
実際、カヲルがいなければ、今回もあたしは使徒の餌食になるところだったのだ。

カヲルは疲れた顔に笑みを浮かべ、親指を立ててあたしに見せてくれた。
                     − つづく −