レイは、戦自がネルフ本部を攻撃している光景を見ていた。

十数機の爆撃機が、第3新東京に雨あられと爆弾を降らせている。
対してネルフ側は、自動迎撃システムが対空砲火を行っているものの、
もともとが使徒単独を想定したものであり、数の上での劣勢は明白であった。

「このままでは、装甲が破られるのも時間の問題です。」
マヤが、冬月にそう告げた。

「我々は、少しでも長く耐えればよい。
エヴァがここにない以上、奴らの最終的な目的はMAGIだ。
いよいよとなったら、自爆させるしかないが、奴らもそれは望むまい。
だとすると、最後のカードは、こちらが持っているということだ。
ぎりぎりまでがんばってくれれば、それでよい。
それから先は、私の仕事だ。」

冬月がそう応えているのが、レイには見えた。
先程は第3新東京の上空の様子が見え、今は発令所の中が見える。

『私、どうしたのかしら・・・。これは、夢?』
自分がただの意識体であり、肉体を持っていないことにレイは気付いていた。

ひときわ高い爆撃の衝撃があり、マヤが頭を抱えて悲鳴をあげる。
夢というには、あまりにリアルであった。

『これは、本当に起きていることなの?』
レイは、自問する。

『もし、本当に起きていることなら・・・お願い、リリス。ネルフを守って!』
レイは、祈るように念じた。

だめかも知れない、レイは心の片隅でそう思う。
今のリリスは、かってのそれではない。
もう、抜け殻に近い。
それでも、祈らずにはいられなかった。

レイの祈りが通じたのか、ターミナルドグマのリリスの巨体が、ぼうっと白く光った。




--- 人 身 御 供  最終話 ---
    


「ターミナルドグマにて、正体不明の高エネルギーが発生!」
マヤが叫ぶ。

「何!? まさか・・・」

冬月が何か言いかけるが、マヤが続けて言う。

「ジオフロントが、共振しています!」

それは最初、小さな地震の様に思われた。
それが治まると、第3新東京全体が金色の光に包まれた。

戦自の爆撃が、急に効力を失う。
投下した爆弾もミサイルも、その金色の光に触れたとたん、その外側で誘爆してしまい、
内側には何の影響ももたらさなかった。

「ATフィールド・・・?」
マヤがつぶやく。
「まさか!?・・・。」

冬月にも、そしてマヤにも信じられなかったが、それは巨大なATフィールドだった。

『ありがとう、リリス。』
レイが、ほっとしたときだった。

『リリス、聞こえるかい。リリス!』
不意に、カヲルの声が聞こえた。

『リリス? 違う、私はリリスじゃない。
リリスはそう、今は眠っている。
ターミナルドグマで、その肉体が朽ちるにまかせて。
私は、そんなリリスに、ネルフ本部を守るよう頼んだ。
その身の崩壊が、早まることと知りながら。』

レイは、ぼんやりとそう考えた。
ほっとしたためか、その意識自体も眠りにつこうとしていた。

『リリス、目を覚ませ。初号機が、シンジ君が危険なんだよ。』
再び、カヲルの声がする。

『だから、私はリリスではない。
かってはそう呼ばれたが、今はヒトとして生きている。
名を綾波レイという、リリスの分身にすぎない。
【シンジ君】?・・・碇君の身が、危険だというの?
そうか、眠っているのは私!』

レイは意識体のまま、そのことに気付いた。
意識自身が、現実を認識する。
同時に、カヲルの声が現実のものであることも知った。

『碇君がTSSモードに切り替えて、私を眠らせたのだった!
ひとりで、量産機に挑もうとしているのだわ。
だめ・・・、もどらなきゃいけない。
ごめんなさい、リリス。ネルフのこと、お願い!』

そう言うとレイは、自分の肉体があるドイツの黒の森に意識を向けた。
魂が引かれるように、ジャンプする。




『選ばれし神の子よ、今こそ依代(よりしろ)となりて、我らの大望を叶えよ。』
キール・ローレンツの量産機はオリジナルのロンギヌスの槍を構え、
4体の僚機に拘束された初号機を貫こうとしていた。

量産機が槍を突き出そうとしたまさにそのとき、唸りを上げて飛来するものがあった。
それは、カヲルが投擲したレプリカのロンギヌスの槍だった。
少し前に、初号機が地上で量産機の1体を屠ったときのものを拾い、
シンジを救おうと投げつけたものだった。

レプリカの槍は二股の刃の部分で、オリジナルの刃の根元を挟むようにして、
量産機の手から槍を奪い取ると飛び去った。

『何!』
キールは驚愕すると、槍が飛来した方を見やった。

弐号機が再起動しているのに驚いたが、それよりも神聖な儀式を邪魔されたことに
怒りを覚えた。

『貴様、邪魔をするか!』

だが、今は弐号機を相手にしているときではない。
オリジナルの槍を呼び戻そうとする。

オリジナルの槍はキールの思念を受けて戻ろうとするが、
カヲルが操るレプリカの槍ががっちりと挟み込んでそれを許さない。

オリジナルとレプリカの槍は絡まったまま、空中を行きつ戻りつしていた。
キールとカヲルの思念と槍の性能の、力勝負だった。

「リリス、まだかい。長くは持たない・・・。
力はぼくの方が上でも、オリジナルの槍はさすがに強力だよ。」
カヲルが、うめくように言う。

そこへ、レイの意識が戻った。
ヒトの身であればTSSモードに入ったときの催眠状態を克服できない筈だが、
危険を察知した今のレイは、リリスの化身に近かった。

「碇君?」
シンジの様子を伺う。

「母さんを、アスカを、カヲル君を・・・だれも、救えなかった。」
シンジは、ぶつぶつ呟いている。
完全に、脱力状態に陥っていた。

「碇君・・・。」
レイは、席を立つ。少しまだ体がふらつくが、がまんして前に出た。
そしてシンジのシートを掴んで体を支えながら、もう一方の手をシンジの肩に置く。

「碇君、渚君は無事よ。」
シンジの耳元でささやく。シンジはぴくりと、震えた。

「綾波・・・。」
シンジはレイを振り返ると、茫然とつぶやく。
そこへ、カヲルの声が、シンジの頭に響いた。

『アスカも生きてるよ。』

「本当?!」
シンジの声に生気が戻る。

『本当さ。ただ、怪我をしているけどね。
今ぼくは、キール・ローレンツの君への攻撃を、なんとか抑えている。
キールは、オリジナルのロンギヌスの槍を使おうとしている。
儀式と称して、君を生贄にすることで、何かとんでもないことをやろうとしている。
だから君は、それを阻止しなければならない。

ぼくの力は、防御にはあまり向いてないらしい。
もうそろそろ、限界を迎える。
ここから先は、君自身の戦いだよ、シンジ君。
全ての力を解放し、一気に決着をつけるべきだ。
でないと、アスカが・・・。』

「アスカが?」
シンジは、いやな予感がして聞き返す。

「渚君、だめ!!」
『アスカの命が、危ないんだよ。』
レイが叫ぶように言うが、カヲルは言ってしまっていた。

「アスカが!!」
シンジは、目を見開いた。

不意に、遠い昔の記憶がよみがえる。
自分の腕の中で死んでいった、アロマのことが。
髪の色が完全な金髪であることを除くと、今のアスカと瓜二つだったアロマ。
そのアロマを救えなかったときの、引き裂かれる様な悲しみ。

「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
シンジの絶叫が響く。




ゲンドウは、コアの中でシンジの絶叫を聞いていた。
『シンジ・・・。』
右手が、異様に熱い。

傍らに、例の子供が現われていた。
心配そうに、ゲンドウを見上げる。

『心配しなくていい。』
ゲンドウは、子供の頭を左手で撫でた。

子供は、なぜか悲しそうな顔をした。
ゲンドウは何か、とんでもない間違いをしたような気がした。
右手のアダムが、もぞりと動いたような気がする。

『しまった! 初号機と【接触】することは、間違いだったか!』
子供の頭に置いた手が、離れなくなっていた。

シンジの絶叫が引鉄となって、アダムが覚醒しようとしていたのだった。




『ヴォォォォォォォォォォォ・・・』
シンジの絶叫に合わせて、初号機が吠えていた。
めりめりと音をたてて、初号機の左腕が再生する。

初号機の光る羽を抱え込んでいた4体の量産機は、突然死を迎えたかのように
活動を停止した。
白い巨体が、土色に変色する。
そのまま、泥人形の様に崩れ落ち、落下していった。

『なにぃ!!』
キール・ローレンツが叫ぶ。
彼の量産機もまた、コントロール不能に陥っていた。

初号機の傍にいたため、何らかの影響を受けたのであろうか。
何度か羽ばたこうとするが、ついには失速して落下していく。

そして、ロンギヌスの槍も、オリジナルとレプリカが絡まったまま、
後を追うようにして落ちていった。

古城の地下の会議室で、モニタを通して戦況を見ていた委員会の面々は、
信じられない光景を見ていた。
キールの乗る量産機が、彼らに背中に向けて落ちてくるところだった。

「おい、冗談じゃないぞ。」
「体勢を立て直せ! ここに落ちるぞ。」
だが、モニタに映る量産機の背中はどんどん大きくなる。そして__。

轟音とともに古城を全壊させ、キールの量産機は地上に激突していた。

『ぐぬぅ、いったい何が・・・。』
それでもATフィールドは健在であったのか、もがきながら起き上がろうとする。

そこへ、絡まったままのオリジナルとレプリカのロンギヌスの槍が落ちてきた。
何かの意志か、偶然なのか、オリジナルの槍が量産機の胸を貫く。

『ば、馬鹿な!』

大音響とともに、白い光が立ち上り、光る十字架を形づくった。




アダム覚醒の影響を受けたのは、量産機ばかりではなかった。
初号機の周囲に、断続的に衝撃波が放出される。

ネルフの編隊の各機も、突然台風の暴風圏内に突入したかのように揺れ動いた。

「こ、これは何?」
司令機のミサトが、弐号機専用支援機のリツコに向かって尋ねる。

「わからない・・・。青葉君、記録との照合はどう?」
「全ての測定値が、セカンドインパクトの初期段階と酷似しています!」

「まさか・・・!」
リツコは絶句した。
「アダムのコピーに過ぎない初号機が、サードインパクトを?」

「そんなことが、ありうるの!」
ミサトが真剣な表情で問う。
もし、ありうるとしたら、自分たちはこれまでとんでもない危険と
隣り合わせにあったことになる。

「ありえないわ。いえ、あるはずがないわ!
エヴァに過ぎない初号機が、変換の儀式も経ずにインパクトを起こすなんて!」

だが、現実にそれは進行しつつあった。
リツコは知らなかったが、ゲンドウの右手の胎児のアダムは、覚醒しつつあった。
そこへアダムのコピーである初号機と物理的に接触してしまった。
それは、「成獣アダム」の出現と同義であった。

ひときわ激しい衝撃波が、ネルフの編隊を襲った。

「くうぅっ!」
ミサトはシートの肘掛を握り締めて、機体の振動に耐えた。
司令機の巨体でも、波打つ水面上の木の葉のように激しく揺れ動く。

より軽量の、最後のVTOLにとってはひとたまりもなかった。
バランスを崩し、傾いたまま滑空し、僚機である初号機専用支援機と接触してしまう。

2機はそれぞれ、煙と火を噴いて落下してゆく。
残されたのは、弐号機の輸送機と支援機、そしてミサトの司令機の3機のみ。
もはや、編隊とはいえなかった。

「なんてこと・・・!!
シンジ君、レイ、聞こえる? 何が、どうなっているの。」
ミサトの声には、明らかな恐怖と焦りが混じっていた。




『ウォォォォォォォォォォォ・・・』
『グォォォォォォォォォォォ・・・』
咆哮を繰り返す初号機。
その度に、新たな衝撃波が放出される。

「・・・させるものか。殺させるものか。殺させるものか・・・。」
シンジは憑かれた様につぶやいている。

「だめ、碇君。 だめよ!」
レイはシンジの肩をゆするが、もはやシンジには何も聞こえないようだ。
暴走状態のエヴァとシンクロしてしまっている・・・。
あと戻りのできないプロセスに入ってしまっていることを、レイは知った。

『リリス・・・いや、綾波さん。ぼくは何か、とんでもない間違いを?』
カヲルが尋ねた。

レイは、静かに首を横にふった。
『あなたのせいではないわ・・・。
ここまで碇君を追い込んだのは、ゼーレの仕業。
なにかがきっかけで、こうなることは避けられなかったのかも知れない。』

『だが確実に、本来のアダムの波動を感じる。
シンジ君は、アダムを目覚めさせる方向でその力を解放してしまった。
胎児のアダムが覚醒し、アダムのコピーである初号機と完全に融合してしまったら、
もう、ぼくたちには、打つ手はないのか。』

『ひとつだけ、方法はあるわ。』
『なんだい、それは。』

『アダムを止められるのは、リリス・・・。』
『まさか、君が?』

『私には、無理。 ジオフロントの本体を、ここに呼ぶわ。」
『そんなことが、できるのかい?』
カヲルの声に、驚愕の響きが混じる。

『本来のリリスには、造作もないことだけど、今のリリスには、強い思念の助けが要るわ。
渚君、私にタブリスの力を貸してくれる?』

『それはかまわないけど、アスカが・・・。』

カヲルはためらった。
レイと力を合わせるには、一次的接触が必要である。
それはすなわち、アスカをこの場に残して弐号機を出ていくことを意味していた。

『アスカさんは、私が見ているわ。にいさん、行って!』
そう言ったのは、サクヤだった。

『サクヤ・・・。』

『アスカさんの身に何かあれば、すぐ知らせるわ。
お願い、にいさん。 アダムが暴れ出す前に、早くリリスを!』

『・・・わかったよ。』
カヲルは、アスカの頬を撫でて言った。
『アスカ、ごめんよ。
少しの間、ぼくはここを出ていかなければならない。
シンジ君と、人類を破滅から守るために、綾波さんの手助けをしなくてはならない。
待っててくれるかい。』

アスカは頷くと、微笑んでみせた。
それまで握っていたカヲルの手を、一瞬強く握り締めると手を離した。
そして、静かに目を閉じる。

『ごめん、すぐに戻るよ。』
カヲルはアスカをシートに横たえると、複座プラグから出た。

カヲルの体は、白い光に包まれながら宙を登っていく。
同じように、レイも白い光に包まれながら初号機を出て降下してきていた。

空中で、二人は手を取り合う。

『どうすればいい?』
カヲルがレイに尋ねる。

『私が、リリスを呼ぶ。渚君は、私の思念を増幅して、リリスの許に届けて。』
『・・・わかった。』

カヲルは頷くとレイの背後にまわり、レイの両肩にその両手を置いた。
レイは両手を胸の前で組んで、祈りの姿をとった。
そして、二人は目を閉じて、一心に念じ始めた。




戦自は、焦っていた。
ネルフ侵攻が、ままならなくなっていたためだった。

米軍の一部の連中も、ネルフの本部施設を狙って集結していたようだが、
領空侵犯の問題がある。本部施設を攻撃するにはそれなりの大義名分が必要であり、
そのシナリオを米軍がなんとかしようとしているところへ、ゼーレから戦自の方に先に「ネルフ侵攻」の声がかかった。

地の利を活かして準備をしていた戦自は、米軍より先に第3新東京の爆撃を開始した。
都市の破壊が第一目的ではなく、あくまでジオフロントの装甲を破って多数の将兵を
送り込む作戦であった。
その方が、「何重にも閉鎖されているゲートを破って狭い通路に順繰りに兵を進める」よりも早いと考えたためである。

だが、それは間違いであった。

狙いすました一点への集中攻撃__。 
それが効を奏していれば、さほど時間をかけずに装甲を破ることは達成できたであろう。
多数の将兵で本部施設に一斉にとりつき、ネルフが重要施設の自爆を決意する前に、
神経ガスで内部の人員を無力化すれば、一気にかたがつく筈であった。

その、集中攻撃が無効となっていた。
突如として、第3新東京全体を覆ったATフィールドの所為である。

「フィールドの安定性はどうだね。」
発令所で冬月が、マヤに尋ねた。

「依然、強力なものが展開されています。
第3新東京のみならず、ジオフロント全体を覆っています。
でも、いったい誰がこんなものを。」

「我々でないことは確かだが・・・
ターミナルドグマから起動したということは、リリスが関与しているということだな。
永劫の眠りについているはずのリリスが、どう関与したのかわからんがね。
それにこのジオフロント、我々がその機能の全てを掌握しているわけではないよ。
ことによると、ジオフロントを造り上げた先史民族の遺産かも知れないな。」

「じゃあ、リリスが無意識に危険を察知して、ジオフロントの防衛機構の
スイッチを入れたとでも?」
マヤは、信じられないと、頭を小さくふって言った。

「だれにもわからんよ、そんなことは。
この防衛機能が、いつまでもつかということも。
また、この先、何が起きるかということもな。」

「副司令はどうして、そんなに泰然としていられるのですか。」
「・・・泰然、か。 はは、そう見えるかね。」
冬月は、苦笑してそう言った。


一方、戦闘指揮を担当する戦自の仕官は、がりっと爪を噛んで言った。
「このままでは、米軍に介入の口実を与えてしまうではないか。」

事実、再三にわたって助力の申し出が米軍から来ている。
だが、使徒が展開するATフィールドですら、安易には破れないものなのだ。
これほど巨大で強力なものに、通用する兵器など存在しないのではないか。
ならばいっそのこと、弾薬の無駄遣いは米軍にまかせて、自分たちは別の方法を
模索した方がいいのではないか。

・・・そう、思い始めたときだった。

「第3新東京が、崩壊していきます!」
突然の部下の報告に、彼は目をみはった。




突如として、第3新東京のビル群が倒れ始めた。
爆撃によるものではない。ATフィールドは依然健在であった。
地表に無数の亀裂が入り、建造物がその姿勢を維持できなくなったためであった。

「な、なんだ! 何が起こっているのだ!」
地面が膨れ上がり、めくれて、巨大な赤黒いものが姿を現した。
そして、それが急速に姿を大きくしていく。
赤黒いものは、とてつもなく巨大な球体のようであった。

「これはジオフロント? 上昇しているのか!」
それが、戦自の戦闘指揮官の最後の言葉となった。

ジオフロントの上昇は続き、その周囲に展開されたATフィールドが、
次々と戦自の爆撃機に触れる。
フィールドに触れた爆撃機は文字通り消し飛び、瞬時にして攻撃部隊は全滅していた。

そして、太平洋上に集結して介入の機会を窺っていた米軍の面々にとっては、
信じられない光景を見ることとなった。
日本の箱根にあたる方向で、突然直径数キロに及ぶ巨大な球体が浮かびあがったのだ。
同時に、それまで助力の申し出を送りつけていた戦自が音信不通となった。

それだけの巨体が動くにしては、恐ろしく静かでスムーズであった。
地震も局地的なものであったし、火山活動も認められなかった。

だが、もっと信じられないことがあった。
彼等が見ていた赤黒い巨大な球体は、忽然と消えてしまったのだった。




『グォォォォォォォォォォォ・・・』
初号機は、吼え続けていた。

吼えるたびに、「装甲」と称する拘束具が、弾けとぶ。
装甲が弾けとんだあとには、むき出しの肉がのたうっていた。
すでに、アダムとの融合が始まっているようであった。

『ヴォォォォォォォォォォォ・・・』

そして、初号機の体から光る煙が立ち昇り始めた。
かってアダムの体から立ち昇り、世界中に災厄をもたらしたものにそれは似ていた。

ミサトは、同じものを見たことがあるような気がした。
「もう、だめなのかしら。」
あれが、世界中に広まったら・・・。

そのときであった。
突如として、陽が翳った。

いや、その暗さは、単純に陽が翳ったレベルではなかった。
まるで、日食であった。

初号機の咆哮が止んでいた。
沈黙したまま、虚空を見上げていた。
ミサトも、リツコもそれに気付き、上空を振り仰いだ。

誰もの目が、驚愕に見開かれた。

とてつもなく巨大な球体が、天空に浮かんでいた。
それは、初号機から立ち昇った光る煙を静かに吸収していた。

「なな、何よ、あれ・・・。」
ミサトは、思わずリツコに尋ねる。
沈着を装わねば、と思いながら声に震えが混じることをどうすることもできなかった。

「私に聞かないでよ!」
リツコは苛々とした口調で言った。
私が何でも知っているとでも思っているの。
先程からの一連のできごとは、私の理解を超えているのよ!

そう思いながら、突如としてある言葉がひらめく。
「まさか、まさか・・・ジオフロント?」
「なんですってぇ!」

ジオフロントからは、断続的に光る雪片のようなものが地上に降り注いでいる。
その大半は森の中に注がれているが、とくに火災が起きるわけでもなく、
立ち木が枯れる様にも見えないので、格別危険なものではなさそうだった。

それ以外は、いたって静かであった。
初号機は沈黙したままであるし、衝撃波の放出も停まっている。

「球体が、ジオフロントであることに、間違いありません。」
「だめです。発令所を初め、本部との連絡がまったくとれません!」
青葉と日向が、それぞれ報告する。

このままで終わるはずがない、その考えがミサトを逆に落ち着かせた。

「私たちはもう、見守るしかない。
取りあえず、最悪の事態は免れた・・・いえ、中断しただけかも知れない。
ただ、これから何かが起きる。それだけは確かね。」

その言葉が、終わるかどうかというとき__。
ジオフロントの赤黒い球体を、白い光が覆った。

「来たわ!」
ミサトの言葉を合図としたかのように、まばゆい光があたり一面に降り注ぐ。

「なに・・・これ・・・?」
リツコが、思わずつぶやく。

「可視波長のエネルギー波です。第15使徒が発したものに近いものですが、
これは・・・?!」

それは、精神攻撃をしかけるものではなかった。
そこに居合わせる者すべてに、同じものを見せていた。




宙に浮かぶ幾つもの球体。
ジオフロント・・・かってレイが、「要塞都市」と呼んだものである。
そして、そのひとつひとつから、ATフィールドを消し去り、
LCLとなった人々を吸収していく、巨大な女神のような存在がいた。
それが、リリスであった。

リリスが、最後の「要塞都市」に手をかけようとしたとき、思いもよらぬ抵抗に合った。
そして、
『勝手すぎるよ!』
何者かの拒絶の言葉、それがリリスの存在理由を無にした。

崩れ落ちていくリリスの巨体。
それが、すべての始まりであった。

『私の願いを、聞き届けてくれますか?』
リリスの言葉に頷く、最初のリアルチルドレン、リチャード。

彼は、リリスとの約束を守るため、15体の使徒と戦うこととなった。
そのためにリリスがリチャードに授けたのが、かっての「エヴァ」と「イーヴ」である。

最後の使徒が、タブリスであった。
そのタブリスに、リチャードは最大の戦友であるアロマの命を奪われた。
タブリスは飼い猫の姿でアロマに近づき、油断しているところを襲ったのである。
リチャードはイーヴを犠牲にして、ロンギヌスの槍でタブリスを倒す。

そのとき、タブリスは言った。
『人類がアダムかリリスに関わる限り、ぼくたち使徒はまた必ず目覚める。
この次は、ヒトの姿をとってあげよう。』

アロマもまた、臨終の際にリチャードに告げる。
『リチャード、タブリスを許してあげてね。
あたしも、タブリスと再会できる未来が来るのかなぁ。
そのときは、敵同士でなく、わかり合えるといいんだけど・・・。』

そして、訪れる平和な日々。
それは長く続き、リリスや使徒のことは人々の記憶から消えた。

だが、かって撃退した使徒が「幼体」であったためか殲滅に至っておらず、
中には復活を遂げるものが現われた。
使徒の侵攻を食い止めることができるのは、「エヴァ」と「イーヴ」、
そしてそれを操れるチルドレンだけである。

すでにイーヴは失われ、リチャードもこの世にいなかった。

リチャードに代わってリアルチルドレンとして覚醒したのが、キール・ローレンツだった。
彼とその仲間のチルドレンたちは、南極に封印されていた「エヴァ」を動かし、
再び使徒を撃退した。

彼等は、英雄となった。
神の子とあがめられ、「王になれ」と人々から望まれた。
いったんは辞退したものの、あまりに強く勧めらたため、表向きはともかく、
実質上の支配者となった。

世界に危機が訪れるたびに、キールたちはそれを回避する努力を続けた。
そういう役割を担う者も必要であると、実感した。
自分たちがいなくなると、愚鈍な民衆はすぐに経済の崩壊を招いたり、
無益な戦争を引き起こしたりする。
影の指導者は、長命でなくてはならぬと悟った。

キールたちは、先史民族の文明を研究し、そこから様々な知識と技術を得た。
自分たちにも延命策を施した。
いつからか、ゼーレと呼ばれるようになっていた。

そして、研究を続けていくうちに、とんでもない予言を発見した。
アダムの復活と世界の崩壊__セカンドインパクトである。
自分たちの手に余る規模の災厄であった。

人類の救済どころではなかった。
今や、ゼーレの存続こそが最優先事項となっていた。

そして、様々な人々の思惑とともに、セカンドインパクトは発動した。

「やめてぇぇぇぇぇ!!」
南極でアダムを見て、絶叫するミサト。

「あなたの子を、受胎しました。」
と、その日ゲンドウに告げるユイ。
最後のリアルチルドレンの、出現のときでもあった。

「今日からは、『渚カヲル』と名乗るがよい。」
「全ては、ゼーレの仰せのままに。」
キールの声に、一礼して応えるカヲル。
それは、最後の使徒、タブリスが復活した日のことだった。

・・・それらの人類の営みの全てを、リリスは観ていた。

そして、ジオフロントから放たれる光は、居合わせる者たちに等しく
それらの光景を見せた。

「なんなの、これは!」
ミサトはかぶりをふって叫ぶ。
彼女にしてみれば、触れたくない思い出であった。

「あたし・・・昔、カヲルに会ってたんだ。」
アスカは、弱々しく微笑んだ。

「これは、人類の歴史?」
リツコは茫然とつぶやく。
ターミナル・ドグマのリリスが、これを私たちに見せているの。
でも、なんのために?

リツコがそう思ったとき、ジオフロントの底面に一つの穴が開いた。




ジオフロントに開いた穴から、新たに一筋の紅い光が差し、地上との間を結んだ。
そこから、何かがゆっくりと地上に向かって降りていく。
よく見ると、それは十字架にかけられたままのリリスであった。

『アオォォォォォォォォォ・・・』
それまで沈黙していた初号機が、再び吼えた。

ゲンドウと例の子供は、コアの中でその咆哮を聞いていた。
「・・・・・・・・・。」
子供はその咆哮の中から、何かを感じ取ったのだろうか。
不意に、ゲンドウを見上げると、かすかな笑みを浮かべた。

そして、自分の額に貼りついたゲンドウの左手を両手で包むように握った。
「どうした?」
ゲンドウが何かいいかける前に、子供はゲンドウの手を額から外していた。

ゲンドウの左手は、自由になった。
気がつくと、右手のアダムも消失しているようだ。

「おい、いったいどうやって!」
さらに問いただそうとするゲンドウに、子供はよりはっきりとした笑みを向ける。
それは、少し淋しそうな笑みだった。

次の瞬間、ゲンドウの意識は飛ばされた。

すぐに気付いたが、周囲の様相は一変していた。
複座プラグの中だった。

「ここは・・・?」
そのつぶやきに、それまで茫然としていたシンジは思わず振り向く。

「父さん!!」
後部座席にゲンドウの姿をみとめ、思わず叫んだ。

「シンジか・・・。」
「どうして、父さんがここに?」
「私にも、わからん。ただ・・・。」
バシュッ!

会話の中断は、複座プラグの射出によって引き起こされた。

「どうした!」
「わからない、プラグが勝手に射出されて・・・。
話は後だ、父さん。席について、しっかりつかまっていて。」
「ああ。」

落下中の複座プラグから、パラシュートが開く。
ゆっくりと、複座プラグは降下していく。

その間に、リリスの十字架は地上に到達し、柔らかい地面に下部から突き刺さった。
ドイツの黒の森の地に今、リリスは降臨した。
だが、その白い巨体はみるみる生気を失い、灰色となっていく。

ジオフロントも、今はその白い輝きを失い、再び赤黒い姿に戻っていた。

『アオォォォォォォォォォ・・・』
初号機は悲しげに叫ぶと、リリスのもとに降下していく。

『クォォォォォォォォォォ・・・』
薄汚れて灰色と化したリリスの体をかき抱くと、さらに一声吼えた。

そんな初号機とリリスの様子を、カヲルとレイは宙に浮かんだまま見下ろしていた。

「初号機は、いや、アダムはやっとリリスと邂逅したというのに、
それが臨終のときだったとはね。」
カヲルが、つぶやくように言った。

「しかたないのかも知れないわ。
アダムとリリス、それぞれ単独でも世界を滅ぼすだけの力をもつもの。
いくらアダムがリリスを求めたところで、感情のバランスが崩れればこの世は終わる。
お互いが覚醒せずに、会わないでいられればよかったのだけど。」

「それって、とても淋しいことだね。」

二人がそう言っている間に、初号機、いやアダムは、十字架からリリスを下ろした。
そして、リリスの亡骸を抱えると、天空めがけて飛び立った。
途中、ジオフロントに行く手をさえぎられるが、それを迂回して空高く昇っていく。

やや遅れて、ジオフロントもその後を追い始めた。

「ちょっと・・・!」
ミサトがあわてたように言う。
「どうするのよ、リツコ。あの中には、MAGIがあるのよ!
それよりも、副司令たちが・・・!」

「副司令たちは、たぶん無事よ。」
リツコは、初号機の複座プラグの着地地点を見ながら言った。
着地しパラシュートに覆われたプラグから、搭乗者を助け出そうと群がる人々が見える。

「ジオフロントがここに現われた直後から、地上に降り注ぐ何かが見えたけど、
あれはたぶん、ジオフロント内の人々だったのね。
ほら、複座プラグにとりついている人々が見えるでしょう?」

「まさか、リリスがそうしたと?」
「たぶんね。」

「でも、MAGIは? MAGIはどうするのよ。」
視界の中で、かなり小さくなってしまったジオフロントを目にしながら、
さらにミサトが問うた。

「また、作ればいいわ。」
リツコは、こともなげに言った。

「理論は完成しているのだもの。時間さえかければ、また同じものが作れるわ。」
「そう、そうよね。」

「私たちも、降りましょうか。」
「そうね・・・。とりあえず、そうしましょう。」

ミサトの司令機、リツコの弐号機専用支援機、そして弐号機専用輸送機の3機が、
爆撃の被害の少ない空き地の部分を選んで降下を始めた。




「碇! 無事だったか!!」
ゲンドウが、複座プラグを出たところで、冬月が駆け寄ってきた。

「全く、心配させおって!
よく、初号機がおまえを解放する気になったものだな。」

「私にも、よくわからんが、まあ、生還できたことは素直に喜ぶべきだろうな。
それよりも・・・。」
そういうとゲンドウは、いぶかしげに冬月を見た。

「私たちのことか? それこそ、わからないことだらけだ。
戦自の爆撃を受けていた筈だが、激しい振動の後、宙に浮いたような気がして
気を失った。で、気付いたら全員、森の中にいた。
ジオフロントからリリスが降臨してくるのを見たときは、正直胆をつぶしたよ。」

「そうか・・・。」
「それよりも碇、念の為、確認させてくれ。
ここは、ゼーレの本拠地なんだな? 全ては、終わったんだな?」

「そうだ。多大な犠牲を払うことになったがな。」
「犠牲か・・・。確かにそうだが、おまえが思うほどではないかも知れんぞ。」

そう言うと、冬月は後方を振り返った。
ユイが、マヤに支えられてこちらにやって来るところだった。

「ユイ!!」
ゲンドウは思わず叫ぶと、駆け寄っていた。
「無事だったのか!」

「あ、あなた・・・。」
ユイはゲンドウに縋ると、こらえきれなくなった様にすすり泣き始めた。
いつもの、気丈なユイではなかった。
「どうした?」
「私ひとり、生き延びてしまって・・・。
ATフィールドは展開したのですが、誰も救うことができませんでした・・・。」
そういうと、ユイは嗚咽した。

そうか、とゲンドウは思った。
初号機専用輸送機を撃墜されたとき、ユイは自分が張れるATフィールドを
最大にして、他のクルーをも墜落の衝撃から守ろうとしたのだろう。
それでも、あの高度からの落下では、自分の身を守るのが精一杯だったのだ。
そのことで、ユイは自分自身を責めている。

「ユイ・・・。」
ゲンドウは、ユイを抱きしめた。

「ユイ君が乗っていた機体は、我々が目覚めた場所からそう遠くないところに、
墜落していた。それはもう、ひどい有様でな。
ユイ君ひとりにせよ、よく生きていたと思うよ。」

冬月の言葉に、ゲンドウは頷くとユイにささやく様に言った。
「もう、いいのだ。
ユイ、おまえは本当に、よくやった。何も気にすることはない。」




シンジは、複座プラグから出てきたところで、ゲンドウとユイの姿を目にした。
つい、隠れるようにプラグの反対側に回り込んでしまう。
そっと覗うと、二人は自分に気付かなかったようだ。

ほっとして、プラグの外壁に背中を預ける。
『母さん、無事だったんだ!』
思わず、涙ぐみそうになった。

「シンジ君?
どうしたの。司令・・・お父さんと、お母さんのところへ行かないの?」
マヤが、シンジに気付いて声をかけてきた。

シンジは、口の前で人差し指をたて、マヤに微笑みかけると立ち去った。
「シンジ君?」
マヤは尚も何かいいかけようとしたが、それ以上は何も言わなかった。

広場では、轟音とともに司令機、弐号機専用支援機、弐号機専用輸送機の3機が
着陸体制に入っていた。
地上にいる大半の人々の関心は、そちらに向けられていた。

そんな中を、人気のない古城の跡地に向かって、シンジは歩いていく。
途中で、ヒカリに出会った。

「洞木さん、無事だったんだ。よかった・・・。」

「碇君、いったいこれは、どういうことなの。」
ヒカリは、混乱して涙ぐんでいるようだった。

「アスカから、おととい、電話があって、ネルフで泊りがけの訓練をするから、
あなたたちとはしばらく、会えなくなると言ってたけど。
今日になって、急に空襲警報が出て、みんなでシェルターに入っていたら、
いきなり地震が来て、気がついたらこんな森の中にいるんだもの。
わけわかんないわよぅ!」

「ごめん、後でゆっくり説明するよ。」
「碇君、何か知ってるのね! アスカは、他のみんなはどうしたの。」
「みんな、無事だよ。
それより、たぶん広場の方で正式な説明があるだろうから、行ってくるといいよ。」
「碇君は、どうするの?」
「ぼくは、その前に片付けなければいけない用事があるから。また、後でね。」
「ええ・・・。」

ヒカリとは、そこで別れた。

シンジは、倒壊した古城の近くまで来ていた。
爆発した量産機の破片が、そこここに散乱している。

たしか、この辺から感じたと思ったんだけど・・・。
シンジには、漠然としていたが確信があった。

「リアルチルドレンだな。」
不意に、声をかけられた。

振りかえると、大木の根元によりかかる様にして座り込んでいる、
キール・ローレンツの姿があった。
左腕の肘から先と、右足の膝から下がない。
そこから、機械の一部の様なものがのぞいていた。

「私を、嗤いに来たか。それとも、とどめを刺しにきたのか。」
トレードマークのバイザーも半ば欠けており、そこから蒼い目が
シンジを睨んでいた。

シンジは、黙ってかぶりをふると、右手を差し出した。
「なんの真似だ。」
「行こう。傷の手当をしなくちゃ。」

「勝者の余裕のつもりか。」

「勝者も、敗者もないよ! あんなの、戦いじゃない。
生き延びることが、目的だった筈なのに。なのに、いっぱい死んでしまって!」
シンジは、叫ぶように言うと、唇をふるわせた。

「あなたも、リリスのメッセージを受けたなら、リアルチルドレンとしての、
全ての記憶を呼び覚まされたでしょう!
最初のリアルチルドレン、リチャードの、リリスとの約束を覚えているでしょう!
人類が生き延びるために、ぼくたちは戦ってきたんじゃなかったのですか。」

「・・・そう、だったな。」
キールはふと、遠い目をして言った。

「いつの頃から、自分たちが人類を指導しなければならないなどと、
思いあがった考えを持つようになったのか。
【リチャード】であったときは、思いやりというものがあったのだが。」
キールは、疲れた様な声でそう言う。

「仲間が死ねば、引き裂かれるような悲しみを感じた筈だ。
心の痛みを、知っていたからね。」
そう告げたのは、カヲルの声だった。

そして、白い光に包まれたカヲルが、その手にアスカを抱き上げた姿で、
上空からゆっくりと降りてきた。

「タブリスか・・・。」
キールはそうつぶやく。

そこへ、同じく白い光に包まれたレイが降りてきて、シンジの傍に降り立った。
「その娘は、もしやリリスか!」
キールの目が、見開かれる。

「そうだよ。彼女は約束どおりヒトの姿を手に入れ、シンジ君はそれを受け入れた。
それを機会に、彼はリアルチルドレンとして、完全に覚醒していったのさ。」

「私には、その資格がなかった、ということだな。」

「それは違うね、機が熟してなかっただけさ。
もっとも、彼女があなたの前に現われたとして、あなたが彼女を受け入れたか
どうかは、わからないがね。」

「・・・無理だろうな。私はもう、心の痛みを忘れてしまっているからな。」

「それは、どうかな。」
カヲルは言った。
「リアルチルドレンの記憶を持つ者として、この人の顔に見覚えはないかい。」

そう言うと、カヲルはキールに腕の中のアスカの顔を見せた。
アスカは、ぐったりとして目を閉じている。
呼吸が、浅い。
命に別状はないが、重傷であることに変わりはないようだった。

「まさか!」
キールは、アスカの横顔を見て、驚愕した。
「まさか、アロマが・・・。」

「残念ながら、彼女はアロマではない。
あなたの知るとおり、アロマはリチャードの腕の中で息絶えた。
この人は、アスカ・・・弐号機パイロットにして、アロマの生まれ変わりさ。
もう少しで、アロマと同じ道をたどるところだったけどね。」

キールは、思い出していた。
リチャードの腕の中で、死んでいったアロマのことを。
そのときの、リチャードの深い悲しみを。
もう少しで、アロマと同じ道を?

「すまなかった。」
キールは、がっくりとうなだれた。
その頬を、光るものが伝う。

「・・・ぼくの役割は、終わったようだね。」
俯いて肩を震わせるキールを見ながら、カヲルは言った。

「では、シンジ君、綾波さん。彼のことを頼むよ。
アスカに、手当を受けさせないといけないからね。」

「うん、頼むよ。カヲル君。」
「じゃあ。」
そう言うとカヲルは、アスカを抱き上げたまま、再び宙に浮いた。
そして、リツコたちが着陸している広場を目指して飛び去った。

シンジは、去っていくカヲルとアスカの姿を目で追った。
レイも、シンジの肩に手を置いてそれを見ている。

彼らが見上げる方向には、リリスの十字架が、陽光に照らされて輝いていた。




あとがき

やっと、最終話をお届けすることができました。

次回のエピローグで、完結することとなります。
長い間、本当にありがとうございました。