風とともに…
 
-  未来のもうひとつの可能性 - 後編
 



ミサトの言う、1時間が経過した。

既に20分前に、ワークスポルシェの一号車がピットインしている間に、
シンジ、アスカ、マナの3人はそれを抜き去り、1位,2位,3位となっていた。
相変わらず、抜きつ抜かれつのレース展開をしており、観客は近年まれに見る
名勝負に湧いていた。

「好調なようだね。」
鈴木が、数名のスタッフを連れて、ミサトたちのピットを訪れて言った。

「たまたま、巡り合わせがよかっただけですわ。
 そちらのマシンは、残念でしたわね。」
ミサトが言うと、

「ああ、だけどドライバーが軽傷で済んだことは、不幸中の幸いだった。
 来年また、がんばるさ。」

「それはよかったですね。無事でなによりでした。」

「君たちだって、ペースカーが入るタイミングは最悪だったし、巡り合わせとしては
 よくなかっただろう。
 それでも、この時点にトップでいられるということは、凄いことだ。」

「そんな。」

「そこでだ。微力ながら、お手伝いしようと思い、うちのメカニックを連れてきた。
 年季の入った連中ばかりだ。君の好きなように、使ってくれ。」
鈴木がそう言うと、背後に控えた数名の男たちは黙って頭を下げた。

「え……。よろしいの、ですか?」

「そう固くならないでくれ。同じマシンを駆る仲間じゃないか。
 俺たちだって、紫電が優勝する瞬間を夢見て、ここまでやってきたんだ。」
鈴木は笑みを浮かべて言った。

「鈴木さん…。」
ミサトはもう、遠慮すべきではないと思い、言った。
「あなた、なかなかの男じゃない!」




3台のマシンは今、アスカを先頭に、一本の糸に引かれるようにして、
ユノディエールの直線を疾走していた。

「あんたたち、腕を上げたわね!」
アスカは、感心して言った。
「シンジはともかく。マナ、あんたまで付いてこれるなんて。」

一方、シンジは真剣な面持ちでつぶやいた。
「今は、精神が高揚しているから、いつも以上の力を発揮できている。
 だけど、緊張の糸が切れたら、それまでだ。
 一番危ないのは…アスカか。」

シンジはそう言うが、この時点で青ざめた顔をしているのはマナだった。

「わたしだって、わたしだって戦えるもん!
 この黒竜だったら、シンジやアスカさんにだって負けはしない!」

だが、ミュルサンヌコーナーを超えて、コーナーの続く区間に入ると、
マナの黒竜は遅れ始めた。

「お腹が……、痛い…。」
その顔に、脂汗が浮いている。

もともと、マナは内臓が弱かった。
ユノディエールの長い直線で、荒れた路面から振動を受け続けたこと、
そして、目まぐるしく順位の変わる3台のマシンでの戦いにより、
長い緊張が続いたこと_。
それらが原因で、肉体がストレスに耐えられなくなったのだった。

その周で、マナの黒竜はピットに入っていった。
そこでドライバーがムサシに替わり、必死に追い上げようとするものの、
驚異的なペースで周回するシンジとアスカとの差を詰めることはできなかった。

「だめか…。」
パソコンでラップチャートを確認したケンスケは、そうつぶやいた。
「3位狙いに切り替えるしかないな。」

「ごめんなさい。」
ピットの長椅子に横になったマナが、力なく言う。

「いや、霧島はよくやったよ。あいつらが、凄すぎるだけさ。」
ケンスケは穏やかな笑みを浮かべて言った。




数十分後、シンジの紫電とアスカのポルシェが、相次いでピットに入ってきた。
両チームとも、予定のドライバー交替である。
一旦ここでレイとカヲルに交替し、最後にもう一度シンジとアスカに走らせる。
チーム紫電とブラスト・ポルシェのそれぞれが、そう考えていた。

「お疲れさま。」
レイがそう言って、シンジを出迎える。 

「待たせたね。じゃあ、頼むよ。」
かわす言葉は、それだけ_。
レイは無言で頷くと、マシンに乗り込む。
鈴木がよこしたピットクルーは、手際よく給油を済ませていた。

「発進!!」
ミサトの合図を受けたレイは、いち早くピットを後にした。

一方アスカは、カヲルと交替する。

「わかってるでしょうけど。」
アスカは、カヲルを上目遣いに見据えて言った。
「レイにリードを許したら、承知しないわよ!」

「はは、わかっているよ、惣流さん。」
カヲルは苦笑して、ポルシェに乗り込む。

そのとき、レイの紫電がピットロードを加速して行った。

「もう! 言ってる先から!!」
だが、ここで奪われたリードはカヲルの責任ではない。
ピットクルーの手際良さの違いである。
そのカヲルにしても、そのあとすぐにピットアウトしていった。




カヲルは、懸命にレイを追う。
だが、その差は約10秒のまま、縮まらなかった。
カヲルがその差を縮めようとすると、レイも同じだけスパートをかけるからだった。

「やるな、綾波さん。」
カヲルは感心して言うが、

「もう、何やってるのよ。ちっとも追いついていないじゃないのよ!」
ヘッドフォンを通してアスカの抗議が聞こえる。

「そうは言うけどね、綾波さんも必死に逃げてくれるんだよ。」
レイは、雨天走行で守れなかったリードの埋め合わせをするかのように、
今回はしっかりとポジションを守ろうとしていた。

膠着状態のまま、時が過ぎていく。
そのうちレイが根負けして、ペースを落とすのではないかとカヲルは思っていたが、
そうはならなかった。

そして、アスカへの交替時間が迫ってくる。
チーム「紫電」にリードを許したままだと、またアスカに何を言われるかわからない。
いやそれ以上に、このままのレース展開では不利であった。

「綾波さん、そろそろ本気を出させてもらうよ。」
カヲルはそうつぶやくと、これまでになく真剣な顔でスパートをかけた。

カヲルのポルシェが近づいてくるのを知ったレイは、自分もスパートをかける。
先程まではそうすれば、カヲルはすぐに追撃の手を緩めていた。
だが今回それはなく、ペースをあげているにもかかわらずじりじりとポルシェは
近づいてくる。さらなるペースアップを、カヲルは仕掛けてきているのだった。

「レイ。無理はしないで。」
その様子を見ていたミサトの指示が、ヘッドフォンから入る。

「あ、ちょっと、シンジ君!」
「綾波、聞こえる?」
ミサトの声と、シンジの声が重なって聞こえた。
どうやらシンジが、マイクに顔を寄せて割り込んだようだ。

「何? 碇君。」
「ぼくと、交替しよう。
 でも、その前に、ぎりぎりまでカヲル君と張り合う素振りを見せて。」

「渚君にはピットに入れさせない、ということ?」
「そう、アスカの出番を遅らせたいんだ。」

「…わかったわ。」

シンジの作戦どおり、レイは精一杯カヲルと張り合って見せる。

「捕らえたよ、綾波さん。」
追いついてきたカヲルのポルシェは、レイの紫電に襲い掛かる。
だが、レイは簡単には抜かせなかった。

「むうう…。」
「無駄よ。」

2台はメインスタンド前に向う市街地のコーナー群を、折り重なる様に走り抜けた。

「いい加減、諦めたらどうだい。」
フォードシケインへの進入で、ついにポルシェは紫電の前に出る。
そして、その立ち上がりで、みるみる紫電を置いていく。

「ふっ…。ようやく諦めたか。」
最終コーナーに入ったカヲルは、バックミラーで紫電を確認しようとする。
そこには、今まさにピットロードに入ろうとする紫電の姿が映っていた。

「なに、ここでピットイン? そうか、早めにエースを投入というわけだね。
 まんまとしてやられたのか、ぼくは。」
カヲルのポルシェは、アスカと交替するにはもう一周してこなければならなかった。

念のため、無線でピットに連絡を入れる。
「こちらも、次の周にアスカと交替ということで、宜しいですか。」

シュトメレン監督からすぐに回答があった。
「オーケイだ。できるだけリードを確保しておいてくれ。
 ただし、無理はするなよ。」
「早く戻ってきなさいよ!」
監督の背後でアスカが喚いているのが聞こえ、カヲルは苦笑した。




ゴールまであとわずか_。
お互い、これが最後のピットインである。

いち早くレイと交替したシンジの紫電は、熟練したスタッフの神業ともいえる迅速な
給油を終え、快調なエンジン音を響かせてコースに戻った。

一方のアスカは、カヲルが一周して戻ってくるのを、イライラと待つ。
「もう! 遅いわねぇ。何やってるのよ。」

そのポルシェがようやく姿を見せると、
「早く、早く!」
無駄と知りながら、手招きをしてしまう。

ピットに滑り込んだポルシェが停まると同時に、アスカはマシンに走り寄り、
そのガルウィング・ドアを跳ね上げる。

「落ち着きたまえ、惣流さん。」
カヲルは自分を押しのけてマシンに乗り込もうとするアスカの肩を、
ぽんと叩いて言った。
「給油がまだ終わっていないよ。」

「わかってるわよ!」
そう言いながら、アスカは大きく息をつく。少し落ち着いたようだ。

「はやる気持ちはわかるけど、焦ったら相手の思うつぼだよ。
 それが、シンジ君たちの作戦なんだ。」

「大丈夫よ。」
アスカは微笑んでみせた。
「あたしは、負けないから。」                               
その目の前を、シンジの紫電が排気音とともに通り過ぎていく。
アスカはそれをきっと睨むが、それだけだった。
もう、焦りはないようだ。

「待たせたな。」
監督が、給油が終わったことを告げた。
「行くわ!」
アスカはマシンに乗り込み、ピットロードを後にした。

いくつかのコーナーをクリアしながら、アスカはマシンをチェックする。
もう、ゴールまでピットに入る予定はないからである。

「オーケイ、どこにも異常はないようね。」
テルトルルージュを立ち上がった時点で、ピットに連絡を入れる。

「トップとの差は、どのくらい?」
「およそ、20秒というところだ。」
「そう…。」

少し前までなら、取り返せない差ではない。
だが、今のシンジがそうやすやすとその座を明け渡すとも思えなかった。

全力で、アスカは追う。
だが、数周を費やしても、いっこうにその差は縮まる気配がない。

『腕を上げたわね、シンジ。』
心の底から、そう思う。

『あいつの場合、あたしより慣れるまでには時間がかかるけど、
 慣れてしまえば、そう差はないということね。』

イスラフェル殲滅のための、ユニゾンの特訓のときもそうだった。 
最初のうちは、ひどいものだったが、本番では自分と同様に、エヴァを使って
バック転までシンジはやってのけたのだ。
決して才能がないわけではない。
それどころか、ことドライビングに関しては、最初からその差はわずかなもの
でしかなかったのだ。

「こうなりゃ、根くらべということね。」
アスカは、声に出してそうつぶやいた。




「先に集中力が切れた方が負けだ。」
シンジも、そう思っていた。

マナも加わってデッドヒートを続けていたとき、先に緊張の糸が切れるのは
アスカではないかと思ったが、そうはならなかった。

『瞬発力はあるが、持久力がない。』
だから、緊張状態が長く続くと自棄を起こすか、ミスを犯す。
そういう印象をシンジはアスカに抱いていたが、そうではなかった。

いっとき、目先の勝負にこだわってコースアウトしたことはあったが、
二度と同じ間違いは起こさないようだ。

『昔のアスカではない。』
そう思う。
手強い、と思った。

自分としては、最高のドライビングを続けているが、引き離せない。
錯覚かも知れないが、じわじわと差を縮められているようにも見える。

『何が、アスカを変えたのか。』
長く続く極度の緊張に耐えきれる精神を、どこで手に入れたのか。

そういったものは、絶望的な状況を克服しないと身につかない。

シンジの場合は、ゼルエル戦だった。
弐号機も零号機も沈黙し、自分ひとりだった。
そしてその初号機も、片腕を失っている。
そんな中でシンジは、一度はゼルエルを圧倒したのだ。

だが、アスカは続くアラエル戦で、自棄を起こして自滅していた。
シンジの知るそのときの姿からは、現在のしぶとさが想像できない。

『何が、アスカを変えたのか。』

シンジは知らなかったが、アスカは量産機との闘いで、
1対9の絶望的な状況で、一度はそれを乗り切っているのだ。

加えてアスカには今、勝負を愉しむある種の余裕があった。

『愉しまなくては、だめだ。』
カヲルに肩を叩かれたことにより、思い出したのだろうか。
勝敗にこだわる一方で、肩の力を抜くことの大切さを、アスカは知っていた。

「やるじゃない、バカシンジ!」
そうつぶやくアスカは、不敵な笑みを浮かべていた。




ゴールまで、残り10分余りとなった。
結局、その差は10秒にまで縮まったが、そこから先はシンジも譲らない。

「もう、あとがないわ。
 シンジを捉えるには、もう一段上を目指さないとだめね。」

アスカは、大きく深呼吸をすると、つぶやいた。
「いくわよ、アスカ。」

アスカの猛追が始まった。
シンジも必死で逃げるが、その差は確実に縮まっていく。

「アスカ?
 そうか、君はコンマ1パーセントの余裕を捨てて、勝負に出たのか。」

コンマ1パーセントの余裕…それは、危険回避のために各ドライバーが設けた、
ぎりぎりの余裕である。
それを削り取ってのデッドヒートは、まさに最後の賭けに出たということだった。

自分の集中力が、ゴールまで保てないかも知れない、
あるいは不運にもアクシデントに巻き込まれ、そこでレースを終えるかも知れない。
そういう危険を承知の上での、アスカの選択だった。

さしものシンジも、アスカの猛チャージを抑えきることができなかった。
ラスト半周を残して、ぴったりその背後につかれることとなった。
なんとか抜かれないように、コーナーのイン側を固めた走行をするが、
疲労の重なった体は鉛の様に重く、思うようには動かない。
ついにはフォードシケインへの進入で、横に並ばれてしまう。

「くっ…!」
だが、最終コーナーではシンジがイン側である。
よほどのことがなければ、このままアクセルを踏めば勝利を手中にできる。
シンジは、そう考えた。

一方でアスカは、
「このポルシェの立ち上がり加速なら、いける!」
そう信じて疑わなかった。

そして、二人は同時にアクセルを踏んだ。
シンジの予想に反して、ポルシェが前に出て行く。

「何故?」
信じられぬ思いでアクセルを踏み続けるシンジの紫電の後部カウルから、
突然ボワッと白煙が上がった。




ゴールラインを最初に通過し、チェッカーを受けたのはアスカだった。

「やった…。 やったのね。」
こわばった笑みを浮かべるアスカ。
だが、観客のためにもう一周するウィニング・ランは行わなかった。

すぐにマシンを、コース脇に停めてしまう。
シートベルトは外したものの、そのままぐったりと動かなかった。
それほどに、疲労困憊していたのだった。

なにをする気力もなく、しばらくそうしていると、
コンコン、とコクピットのウィンドウを叩く音がする。

「シンジ?」
それは、ヘルメットを脱ぎ捨てたレーシングスーツ姿のシンジだった。

ドアが外から開けられる。

「アスカ、大丈夫?」
シンジが心配そうに、アスカのヘルメットを外しながら尋ねる。

「なんとかね。」
アスカは物憂げに応えた。
「それより、なんであんたがここにいるのよ。あんたのマシンは?」

「すぐ、後ろにいるよ。」
シンジはなぜか、苦笑して言った。

面倒だったが振り返ると、たしかに紫色の紫電がポルシェのすぐ後ろに停まっている。
後部カウルから、今もなお煙を吹いていた。

「エンジンでもイカれたの?」
「そうなんだ。ちょっと、無理をさせすぎてね。」

「まったく、日本のマシンはヤワなんだから。 爆発したりしないでしょうね。」
「大丈夫だよ。」

「じゃあ、そんなところでぼうっとつっ立ってないで、さっさとあたしを
 表彰台まで連れていきなさいよ。」
「え?」

「もう、にぶいわね。立てないのよ!」
「あ、ああ。ごめん。」

シンジはちょっと躊躇したが、すぐにアスカを抱き起こした。
すると、周囲で一斉に拍手が沸きあがった。
驚いてアスカが見回すと、2台のマシンを遠巻きにして、大勢の観客がコース上に
出てきていた。

「はは、ちょっと恥ずかしいね。」
アスカに肩を貸しながら、シンジは言う。
「じゃあ、行こうか。」

「誰が、行くのよ。」
「え…。」

「まだ、歩けないわよ。あんたが抱いてつれていくのよ!」
この際だから、思いっきりシンジに甘えてやろうとアスカは思った。

「お姫様抱っこをして、表彰台まで行けというの?」
「当然!」
「そんな…。恥ずかしいよ。」
「つべこべ言わない!」
「わかったよ。」

シンジは情けない顔をすると、アスカを抱き上げた。
周囲からひときわ歓声があがると、再び拍手が沸き上がり、カメラのフラッシュが
焚かれる。

シンジはアスカを抱き上げたまま、ゆっくり歩きながら言った。
「アスカ、おめでとうを言うのを忘れていたね。
 君は、本当によくやったよ。」

「あんたもね。」
アスカは微笑んで応えた。




歓声を上げる観客が見守る中、シンジとアスカは表彰台にゆっくりと向う。

いつかもこんなことがあった、とシンジは思った。
あのときは、綾波だったが…。
ヤシマ作戦が終わった後、零号機のエントリープラグのハッチをこじ開けた。
そして綾波を助け出して、月の照らす道を2人で歩いたっけ。

表彰台の近くまで来ると、
「もう、いいわ。降りる。」
と、アスカは言った。

シンジはアスカを降ろすと、荒い息をついた。

「ありがとね、シンジ。」
歩ける様になったアスカは、
「そうだ。シンジ、耳を貸して。」
不意に、思い出したように言う。

「ん、何?」
シンジが応じると、その頬にアスカはちゅっと口づけた。
「え?! アスカ…。」

「ご褒美よ。」
アスカは微笑んで言った。
「ここまで運んでくれたこと。それから、ここまでよく戦ったことへのね。」

「でもね。」
続けて、アスカは言う。
「祝福のキスが欲しかったら、もし今のキスを屈辱だと思うのなら…。
 来年、今度は壊れないマシンでもう一度戦って、あたしに勝つことね。」

「わかったよ、アスカ。」
シンジもアスカを真っ直ぐに見返して、微笑んで見せた。
「来年、もう一度やろう。この次は、負けないよ。」

「…話は、終わったかい。」
「いいなぁ、アスカさん。」
不意に声をかけられて、シンジは振り返った。

「カヲル君! それに、マナ!」
「みんな、お待ちかねだよ。」

カヲルの言うとおり、レイも、ムサシもケイタもそこにいた。
表彰台に上がるメンバーが既に集っており、シンジとアスカを待っていたのだ。

「ごめん、待たせたね。」
シンジが言うと、

「ほんと、ずいぶん待たせてもらったぜ。
 その上、今回はおまえとまともに戦うこともできなかったし、
 いいところがないまま、終わっちまった。」
ムサシが、嘆息してこぼす。

「ぜいたく言わないの!」
マナがたしなめる様に言う。
「3位だって、立派なものよ。初参加にしちゃ、上出来と思わなきゃ。」

「マナはいいよな。碇たちと、思う存分戦えて。」
「もう、妬かない、妬かない!」

シンジは苦笑しかけたが、レイの顔を見て、そのままこわばった。
レイは、ひどく不機嫌そうだった。

『ひょっとして、綾波、怒ってる?』
アスカを、ここまで抱いてきたからだろうか。
それとも、さっきのキスを見て…。

「あ、あのさ。綾波…。」
シンジはなにか、言いかけたが、
「表彰、始まるわよ。」
そう言うとレイは、背中を向けて表彰台の方に歩き始めた。

「ご機嫌斜めだね、彼女。」
カヲルは苦笑すると、シンジの耳元に顔を寄せ、ささやいた。
「表彰台では、肩のひとつも抱いてあげたらどうだい。」

「そんな…。」
躊躇するシンジに、
「さあ、行こう。」
カヲルは促した。

レイを先頭に、表彰台に向かって皆で歩き出すと、
マナが、シンジの横に並んできて言った。
「わたしも、シンジと同じチームで走りたかったな。」

「だめよ、あんたなんかじゃ。」
シンジが何か言う前に、アスカが横から口を出した。
「足手まといになるだけよ。マシンがよかったのは、認めるけどね。」

「ひど〜い! 3位になったのは、わたしのせいだっていうの?
 いいもん、体を鍛えて、この次は優勝してみせるわ!」

「ま、せいぜいメスゴリラのようにならない様、気をつけることね。」
「なんですってぇ!」

「ちょ、ちょっと。やめなよ、二人とも!」
自分を挟んでケンカを始めた二人を止めるのに、シンジは必死だった。

なんとかその場は治まったが、
『なんか、レースやってるときより大変だな。』
…シンジは、ため息が出る思いだった。




ミサトは、トップ3チームのドライバーが表彰台に向かうのを、
ピットでぼんやりと眺めていた。
「終わったのね…。」
だれに言うともなく、そうつぶやく。

「おめでとう。」
鈴木が声をかけてきた。
「どうしたんだ、彼らのところへ祝福しに行かないのか。」

「まあ、2位ですしね。」
「立派なもんじゃないか。文句を言ったら罰があたるぜ。」

「その、文句ですけど…。
 ペースカーのコースインが、首位を行くポルシェの前でされなかったことに、
 抗議するわけにはいきませんか。」

紫電一号車のクラッシュのとき、ペースカーが2位をいくシンジの前で
コースインしたことを、ミサトは言っていた。
あれがなかったら、優勝していたのは自分たちかも知れないのだ。

「まあ、無理だろうな。」
鈴木は、主催者側の人間が近くにいないことを確認して言った。

「ここまで上位チームどうしの差が詰まったことはルマンではなかったし、
 ポルシェワークスのピット作業も迅速だった。
 そいつの前にペースカーを出動させるのは難しかっただろう。」

「でも…。」
「そして、そのことで最終的にポルシェワークスが優勝したのならともかく、
 彼らは結局、3位までに入ることもできなかったからな。
 主催者側が非を認めることは、まずないだろう。」

「………。」
「ひどいと思うかい?
 でも、逆にマシンのサイズなんかでは、公的な基準をクリアしていたとしても、
 車検をパスしない場合もある。
 そんな主催者側に抗議したとき、彼らが決まって言って返す言葉がある。」

「なんですか、それは。」
「『ここは、ルマンだ!』 だよ。
 伝統あるレースだけに、彼らの基準の中で栄光を勝ち取るしかないのさ。」

そう言われてはミサトは、諦めるしかなかった。

『いいわ。来年こそは、見てらっしゃいよ!』
そのように、決意を新たにするのだった。


 

表彰台に3チームが上ると、観客たちから一斉に歓声が沸き上がった。

トップのアスカとカヲルが最上段に立つと、さらに歓声が大きくなった。
それに向かって手を振って応えながら、カヲルはさりげなくアスカの腰に
手を廻している。
アスカもまんざらではなさそうで、笑顔を振りまいている。

シンジは先程のカヲルの言葉を思い出し、それに見習うことにした。
主催者側のスタッフに言われて2位の壇上に、レイと二人で立つ。
そのとき、自分もレイの腰に手を廻そうとした。

「痛っ!」
シンジは悲鳴を上げた。
レイが背中側から、シンジの手を思い切りつねったのだ。

あわてて、手を引っ込めようとする。
だが、その手をレイは、今度はがっちりと腕で挟んで離さなかった。

「綾波?」
シンジは驚いてレイの顔を見る。
そのレイは、珍しく悪戯っぽい笑みを浮かべて、シンジを見上げていた。

「この次も、わたしと一緒に走ってくれる?」
「もちろんだよ。今度こそ、1位になろう。」
シンジはそう言うと微笑み返した。

それから二人は、健闘を称える観客に向けて、大きく手を振った。



2020年 ルマン24時間レース結果_。

順位 マシン名 チーム名 ドライバー
1位 ポルシェ982 ブラスト・ポルシェ 惣流・渚組
2位 紫電 二号車 チーム「紫電」 碇・綾波組
3位 黒竜 チーム「黒竜」 霧島・ストラスバーグ・浅利組


                             完