第4話

ヒラムラ・サカエノートをめぐって

そいつは薄暗い部屋の中で、白い肌のどこか不健康な美貌で微笑している。
吸血鬼か、天使か、そんなこの世ならぬ感じの美貌の気がした。
 少し、不気味に思う。
前にも思ったのだが、私はこいつに、どこか不愉快な印象をもっている。
 それが何なのか、まだ私にも分からないのだけど。
「さて、君たちは少し、厄介なノートを持っている。僕の知る限り、それは二冊目のヒラムラ・サカエノートだ」
「ヒラムラ・サカエノート?」
「僕はそのノートをめぐって、大変な目にあった奴を知っている。まさか、二冊目があるとは思わなかったけど」
「なんなのよ、ヒラムラ・サカエノートって」
「しょうがない、説明しよう、面倒な話だけどね」
そう言って、サワラはため息をついた。

 建築会社の固有名詞が圧倒的に多いこのノートには、日付や、金額がたくさん記されているね。他にも、誰とあってどんな話をしたかが、書き込まれてしまっている。
 さて
一般的に建築業界では、談合という犯罪的な行為が日常的に行われる慣例になっている。
 この工事をいくらで落札する、というのは一見自由な競争で決められているようで、実はただの出来レースなんだね。
 そういう、公共事業を誰がとるのかを決めるのが、N建設相談役、ヒラムラ・サカエの仕事だった。
 彼は公共事業のリストを前に、七色のペンで業者を色分け選別するところから、『七色のペンを持つ男』などと漫画みたいな通り名がついていたんだよ。本当に。
 だが彼は失脚して、何もかも失いそうになって捨て身になった結果、公正取引委員会に、建設会社百五十六社が平成8年度に近畿地区で受注した公共土木工事のうち八百七十二件について、談合していた証拠を提出しようとした。
 しかしこの試みは途中で失敗し、彼は歴史の表舞台から姿を消す。
平成9年2月の話だ。
 これが表に出ていれば、この世界の闇の一部は、確実に白日のもとに晒されることになっただろうと思うよ。
 さて、君たちの手に入れたノートは、存在が噂されていたものの、都市伝説だろうと言われていた、ヒラムラ・サカエが手がけた談合全てが記されたノートなんだね。
 複雑な事情で現在、それが表に出ると困る人がいる。
色んな連中がそれをもみ消そうとしてるんだ。僕もその一人だけど。
 大体、事情はわかっただろう?

「質問があるわ」
とヨーコが言う、サワラは教師のようにヨーコを指差した。
「はい、ミズノ・ヨーコくん」
「セイの家に侵入したのは何者?どうして、これを回収しようとする人間は、ただストーカーみたいに見張るだけなの?」
「いい質問だね」
と言って、サワラは人差し指をたてた、教師気取りだこのやろう。
「僕が色んなところから物凄い圧力をかけて、年端もいかない女の子が傷つかないよう配慮しているんだ。しかし、彼らだって、今どこにノートがあるかは把握しなきゃならない。なんでか分からないけど、君たちはキャッチボールみたいにそのノートを次々まわしただろう。おかげで彼らも大変だったんだよ」
「ああ、持ち主次々変わったわね、確かに」
「サトウさんの部屋に侵入した愚か者については、僕の力を見せ付ける為にも、大変な目に会ってもらう予定だ。当然、彼が所属している組にもね、とりあえず、以上だよ」
なるほど…
 まあ、大体分かったが…私には何の関係もない話だ。
「じゃあ、サトウさん、はい」
サワラが私に手を伸ばす。
「はい、って?」
「おいおい、君にしては鈍いな、分かるだろう?あんなもの君らが持っててもしょうがない」
「ああ、あれか」
「そう」
私は「はははは」と笑って見せた。
 サワラは不思議そうな顔をして私に言う。
「ヒラムラ・サカエノートを渡してくれ」
そう言うと思って、私は毅然とした態度で断言した。
「忘れた」
サワラが悲鳴をあげた。


「まったく、何を考えてるんだ君は、普通、人から預かったものを置き忘れてくるか?責任感が君には欠如している。僕は大体の行動を予想して準備してたつもりだが、君のその間抜けぶりは完全に予想外だ」
「うっさいなあ、そういう説教を聞くのは二回目なんだよ。この車はブレーキききにくくなってるから集中力がいるの。ヨーコ、相手したって」
「なんでいきなり関西弁なの?まあ、いいけど」
私はノートを取りに大学に向かっている。
 というか、もう登校すべき時間なのだ。
徹夜…じゃないけどそれに近い状態で大学かあ。
 疲れることこの上ない。
「あなた、年はいくつなの?どうして祈祷師に?」
「いや、僕、よく年下に見られるけど、君が思っているより遥かに年をとっているよ。それに祈祷師でもない。まあ、色々してるんだよ」
「どこでセイと?」
「以前に、僕の仕事の関係でね」
談笑しているヨーコに、とりあえず釘をさしておきたかった。
「ヨーコ、そいつヤクザだから」
「え?」
「違う!誤解を与えるな!断じて違うぞ。確かにそういう風な仕事をする面もあるけど、僕は僕のことをヤクザだとは思っていない」
「あんたがヤクザかどうか決めるのは、あんたの自意識じゃない」
「自分が何者なのかを決めるのは自意識だけだ、と反論しておこう」
「自分の社会的立場を決めるのは、社会だけだと反論しておくわ」
「仲いいわね」
そう言ったヨーコの台詞は、微笑ましい感じの響きだったので、私は、嫉妬してくれたらいいのにな、と身勝手なことを思った。
「ミズノさん、よくこんな奴と友達でいられますね。面倒でしょうに」
お前が言うな!!
「よく言われるわ。でも、そういう人間ばかり私の周りに集まるのよね、困ったものだわ」
「ちょっと、ヨーコ、失礼じゃない?私の何が面倒なのよ」
「すぐに自分の殻に閉じこもるところと、我侭なところと、欲しいと思ったらなんでもかんでも独占しようとするところかしら」
「最後の一点だけ分からないんですけど」
「…そうね、でも説明したくない」
欲しいと思ったら、何でも独占しようとする?
 かなり遠まわしに、何かを言っているのか?
「何で?説明してよ?」
「片方しか手に入れられない筈なのに、両方を選ぼうとする、かしら」
その言葉は、私の触れられたくない領域に触れた。
「もうこの話はやめましょう」
「逃げるの?」
そうだ、逃げる、何が悪い。
「よく分からないから」
そう言って私とヨーコが沈黙したタイミングを見計らって、サワラが言う。
「まったく、面倒臭い限りだね」
私は、こいつが心底嫌いだな、と思った。

大学につくと、二人は近辺で適当に過ごすと言ってどこかに行った。
 私はサワラに、「ヨーコに何かしたら殺す」と脅しをかけておいた。
あいつが何かするなんて、私だって思ってない。でも、言わずにいられなかった、一応あんなでも男で、二人っきりなのだ。
 サワラは「何でも独占、何でも独占」と言いながらヨーコと一緒に歩いていって、とてもむかついたが、それはどうでもいいことだ。
 校内を歩いていると大声で呼ばれた。
「さ〜とさんっ!」
「アカネ、もう17フォーンくらい音量を下げれないかな」
「無理無理、フォーンってどれくらいか分かんないもん。でもたぶん、17フォーン下げたら無音になっちゃうよ」
「じゃあ無音で」
「なんでそんなこと言うのよ!もう!」
アカネが可愛く膨れる。
かと思えばいきなり平常モードに戻って言う。
「そういえばさ〜合コンの誘い多くない、最近」
「前からだと思うけど、リリアンって稀少価値あるみたいだし」
「ほら、ミネちゃんも合コンで彼氏できたんだし〜。でも私にはサワラさんがいるしな〜」
「いや、いない、っていうかあんな奴どうでもいいから合コンでも何でもしなよ」
「無理だよ」
なんか、ちょっとマジっぽい。気のせい?
 そういえば、サワラが出てきたんだから、なんとしてもアカネと引き合わせなければ。
「ねえ、アカネ、ちょっと一緒にミステリ研の部室にいかない?」
「え?なんで?」
「お願い、騙されたと思って」
「うん、分かった」
私たちは二人でミステリ研の部室に向かう。
 しかし、行ってみると鍵がかかっていた
「あれ?ここってそんな鍵かけてるの?」
「え?いつもは杜撰なんだけどなあ」
仕方ないので、顧問のモリムラ教授のところに行くことにした。
モリムラ教授は天才的な数学者で、ゴールドバッハの予想を証明したことで世界的な権威になった…そうな。
 今は心理学なんかも手がけているらしいが、何故わざわざ研究機関豊富とはいえないリリアンなんかに来たのか聞くと「数学は頭さえあればできる」が持論らしい。
 コンピューターとかいりそうなものなんだけど。
ちょっと変わった人だったが、天才というのはそういうものだろう。
 モリムラ教授は研究室にいた。
モリムラ教授の研究室は、整理整頓が行き届いた、何もない部屋だった。
 事務机と本棚しかない。
「なにかな」
「すいません、ミステリ部の部室の鍵を」
モリムラ教授は、君たち、もうすぐ授業じゃないかね、とか一切聞かなかった。
 まあ、私は一限目に授業はなかったのだが。
「私も行こう」
「何故ですか?」
「あそこに鍵をかけるには、私の部屋に入って鍵を手に入れる必要がある。イレギュラーな処理だが、あそこの鍵は私に個人的に保管されている。私に部室のドアが開いているのを見られたあと、鍵を貸し出した記録は保有されていない」
「気になるってことですか?」
「結論を、社会的に認知させるためだけの単純化をするなら、そうだ」
私は、この人はサワラ以上に嫌いだ。
 私たち三人は部室へ向かう。
鍵はやはりかかっている。
 モリムラ教授が鍵を開けた。
妙な匂いがした。
 嗅いだことがある、これは…
「ヒシギさん!!」
アカネが叫ぶ。
 部室の中央に倒れているその人物に駆け寄ろうとするのを、私は止めた。
「救急車を」
「無意味だ」
とモリムラ教授が私を見もせずに言った。
「どう見ても死んでいる」
 そうして、私達は、部室の中央にその長い体を横たえている菱木美音の死体を発見したのであった。
 その胸には、ナイフが柄まで刺さっていた。
 
 
黄薔薇放送局 番外編

(舞台暗転、スポットライト点灯)

由乃 「え〜、今回の事件、一見密室殺人ですが、犯人は重大なミスを犯していました。
	『彼』はすでにボロを出してしまっています。この続きは次の話で……島津由乃でした」

令  「……」
由乃 「あ、令ちゃん」
令  「……由乃、コレは何?」
由乃 「古畑任三郎に決まってるじゃない! どう決まってたでしょ?」
令  「うん、格好良かった……じゃなくて! 犯人あてなんかしてどうするのよ!」
由乃 「大丈夫、大丈夫。犯人の名前言っているわけじゃないし」
令  「……で、本当に犯人分かっているの? 私たち脚本もらっているわけじゃないし」
由乃 「教授が犯人で決まりよ! 絶対! あぁいうタイプが実は……ていうのはセオリーよ!」
令  「……(ため息) 証拠は?」
由乃 「鍵を持っているのは教授だけよ。
	一見密室殺人に見えて最初に疑惑を晴らして実は……てオチに違いないわ!」
令  「……この話っていつから推理小説になったの?」
由乃 「……ちょっと。なんでさっきから令ちゃんはそう私の邪魔ばかりするわけ!?」
令  「前から言っているでしょ。他人様のお話で無茶しないの」
由乃 「令ちゃんは私より管理人なんかの体面を気にするのね!
	もう知らない! 勝手にそこで取り繕っていればいいでしょ!」
令  「ちょ、由乃、待ちなさいってば! (振り返って頭を下げる)皆様、済みません。
	続きを読みたい方は是非隠上さまに感想を送って差し上げてくださいね。っよしのぉ〜!」