第9話

さようなら、イノセント

それは、とてもシンプルな選択だった。
 私はそれをこの数日、ずっと突きつけられていたのだ。
ねえ、どうすれば全て丸くおさまるんだろうね?
 そこからひたすら逃げ出して、夏休みの宿題みたいに先へ先へと延ばした結果が、今のこの状況だ。
 ケイと、ヨーコ、どちらを選ぶのか。
問題自体はとてもシンプルだ。昼食を取りに入った麺どころで、うどんと蕎麦、どちらにしますか?と聞かれるのと同じぐらいシンプルな選択だろう。
結局は、どちらをより愛しているか、なのだ。
 しかし麺どころでの昼食と決定的に違うのは、私は真剣にうどんも蕎麦も大好きで、しかも、うどんを選べばもう一生蕎麦を食べることはできないのだ。
 ほんと、どうしたらいいのだろうか。
そして…
 結果は…

銃声と共に血が飛び散った。
 まるで突風が部屋で吹き荒れるような一瞬の出来事。
ヤクザめいた男達がつぎつぎ額に穴を開け、乱入者は二丁の銃をとても速く正確にあやつった。
 しかし、不思議なことだが、乱入者の動きはとても静かだった。遅いわけではない、静かなのだ。
 ただ周囲のヤクザだけが、突風が吹き荒れるようにバタバタと動いて倒れる。乱入者は台風の眼のように静かで、しかし、とても速い。
 それはたぶん、何も気負わず、一種の作業としてこれを行っているからだ、と私は思い当たる。
 一人のヤクザがケイの頭に銃を向けて言った。
「うごく…!」
次の瞬間には男は頭を打ちぬかれて後ろへつんのめって倒れた。乱入者は眉ひとつ動かさず、最後の獲物を右手の銃で撃ち殺し、左手の銃を背後にいる私に向けて、顔さえ向けずにこっちへむけて撃った。
「う!」
私にむけて放たれた銃弾は、私の手首を縛り上げていた紐だけを正確に狙撃する。信じられない技術だ。人間技ではない。乱入者は、こっちを見さえしていなかった。
そして私がうめいている間に、乱入者は最後に残った一人である、モリムラ教授の両腕を打ち抜いていた。
「どうやら、お前がクロカワ・ヤヘエだったようだな」
乱入者はモリムラ教授を静かに見上げている。
「何故、ここが分かった。サワラ・サロウ」
乱入者は、鼻で笑って答えなかった。

サワラはモリムラ教授に銃を向けたまま言った。
「ミズノさんとカトウさんを自由にしてあげなよ、そのために君の縛りを解いたんだ」
「分かってるよ!」
地獄絵図としか思えない事務所の光景…とにかく酷い匂いがした…を横目に、私はケイとヨーコの腕を縛っている紐を解き、猿轡を外した。
「サワラ!さっきケイが銃を向けられて、動くなって相手は言ってたのに撃ったろ!あれで、あれで…ケイがもし…撃たれてたらどうする気だったんだ!」
「それで、僕は何か失うものがあるかな?」
「あんたは…」
「いいかい、サトウさん、僕は敵と戦う時は敵を倒すことだけを考える。誰かを守るとか、何かに従うとか、そういうことは考えない。それが一番大事なことだからだ。敵に負けないには、それが大事なんだ。少なくても僕にとっては」
モリムラ教授はサワラを睨んでいる。
「どういうつもりだ、何故、私の実験の邪魔をする」
サワラは目はモリムラ教授に向けているのに、話には全く答えない。
「何も失わずに敵に勝てるなんて、僕は思っちゃいない。誰かは死ぬかもしれない。あるいは、もっと酷いことになるかも知れない。それでも、僕は敵を全滅させなければいけない。そういうものなんだよ。仮にあそこで僕が手を止めていれば、状況はもっともっと悪くなっていた。僕はあそこで引き金を引くのが最善の判断だと確信している」
「たとえそれで、ケイが死んでも?」
サワラが私の言葉を復唱するみたいに言う。
「たとえそれで、カトウさんが死んでも」
OK。
 もう、何も言うまい。
「サワラ、お前は、何のつもりだ?何故」
サワラはモリムラ教授を無視する。
「サトウさん、実はね。僕は組織に所属していて、そこにはとても厳しい規律があるんだ」
「お前は、私を規則違反で裁きにきたというのか」
「それでね、まあ、ちょっと色々特別なルールがあるんだよ。組織には組織内での名前があってね。たとえば、モリムラという名で実社会を過ごしていても、組織での名は、クロカワ・ヤヘエだったりするんだ」
「私は自分の仕事の一貫として、今回のことを行っただけだ」
「それでね、サトウさん、組織には規則がある。規則に違反したものには、とても厳しい罰が与えられる」
「私のような天才を失うことがいかに損失なのか、分からない訳ではあるまい」
「まあ、僕はね。そういう規律違反者を、ときどき裁くことにしているんだ」
サワラはモリムラを完全に無視している。
「ねえ、サワラ…あんたは…」
何か質問したい、と思った。
 でも私は上手い言葉を何も見つけられなかった。私の言葉は、まるで中のものを全て出したあとのスーパーの袋みたいにだらしなくて、その上空っぽだった。
 何も、聞けない。
「私を殺して、お前に何の利益がある、サワラ」
「サトウさん、僕はね。やはり一応の信念が僕の仕事には必要だと思うんだ。みんなはいらないって言うんだけどね」
私は、ヨーコやケイと小さく抱き合うだけで胸が一杯で、もうサワラの話など聞いていなかった。
「お前が必要としている遺伝情報が与えられる。お前にとっては、それが最も大事なはずだ」
「……サトウさん、人間は、それの為に生きている、っていえるものを、そうそうは持てないと思わない?」
私に言ってるのか?
「僕にとってのささやかな利益。それは、僕にとっては君たちの命と交換してもお釣りがくるぐらいのものなんだ」
「あんた、まさか」
モリムラが、頷いた。
「利口だ」
「でもね」
サワラは銃口を、決してモリムラから外さない。
「それは、後からでも集めることが出来るけど、人の命は取り返しがつかない」
「馬鹿な!」
とうとうモリムラが怒った。
 サワラは銃口を向けたまま、全く揺れない。
ぴくりとも、動かない。
 それはまるで彼の感情を、そのまま体が表現しているみたいだった。
鉛のように動かない心。
 一面では、サワラは、そういう存在なのだろう、と思った。
「ああ、そろそろ、幕引きの時間だな」
サワラは、モリムラの額をじっと、見つめた。
 それは、ぞっとするような見つめ方だった。
きっと、祐巳ちゃんなら泣き出すんだろうな。
胸の辺りがすっと冷たくなり、吐き気がするほど胸が苦しく、重くなるような見つめ方だった。
 そしてモリムラは言うのだ。
「人の命だと!サワラ、お前がそれを言うのか!笑わせる!」
人生最後のセリフを。
「今まで何人殺してきたと思っている!!」
銃声。
 銃声が劇的にモリムラの最後のセリフを飾った。
サワラは容赦なく銃弾を何発も撃った。
 そして今までずっと無視してきたというのに、モリムラの最後のセリフにだけは答えるのだ。
サワラは、言う。
「僕には、倫理がある」


 サワラが組織の人間を呼んで、私達四人は外へでる。
「これで、全て終わりだから」
とサワラは告げた。
 たしかに、サワラにとっては終わりなのかもしれない。
しかし、私の問題は全く進展していない、もしかしたら、前よりも少し悪くなったぐらいかも知れない。
 外へ出ると、事務所の壁に激突している私の車を見つけた。
「……サワラ?」
「いや、急いだから、つい」
「……気に入ってたんだけど」
「ブレーキの利きが悪くて」
「一緒に乗ったとき、言ってたんだけどなあ?」
「そういえば、前に、僕の力を借りるには報酬がいるって話、したよね?」
「そういえば、してたかな」
「チャラに、ならないかな?」
「ならない」
私は、こいつがヨーコの友達からお金を受け取っていることを知っている。
「私の車、弁償するのが、筋じゃない?」
「そうだ。いい案がある」
「なにかしら?」
サワラは困りながらも、言った。
「僕のプリウスをあげよう」

私達はサワラの組織の人間が持ってきてくれた、サワラのプリウスで帰った。
 車内は、沈黙が支配している。
あのサワラでさえ、何か喋ろうとはしなかった。
 みな、疲れていたし、喋りたい気分ではなかったのだ。
サワラは私の下宿の駐車場に車を止めると、自分は歩いて帰ると言った。
ケイとヨーコが家に電話をしている間に、サワラは、私に近づいてきた。
「サトウさん、君は結局、どっちを選ぶの?」
「どっち、って?」
サワラはため息をつく。
「ミステリは、人を成熟させにくい物語形式だと思うな。結局はゲーム空間に過ぎないからね。もちろん、それが悪い訳じゃない。草は緑色だけど、緑色なことが悪いわけじゃないみたいにね。それはただ、そういうものだというだけだ」
「皮肉?」
「いや、ますます、君が大人になるのは大変だと思って」
サワラは車のキーを投げてよこした。
「君にあうと、僕はいつも車を奪われる恐怖を覚えるようになるだろうね、これから」
「これからも会うことがあればね」
「まったくだ」
サワラは、笑いながら去っていった。
 ケイとヨーコの電話は終わっていた。
二人はこっちを見る。
私は、笑えなかった。

「ねえ、セイ」
とヨーコが言った。
 それはとても懐かしい響きだった。
ねえ、セイ。
「私、怖かった」
私だって、怖かった。
「ねえセイ」
とケイが言った。
「私も、怖かったわ」
そうだろうね、と二人に挟まれながら言う。
 でも、今の私の状況も、そうとう怖いと思うよ、とは付け加えなかった。
二人は、私の部屋に泊まるそうな。
 蓉子は今日が休みの最後らしいから、せっかくなので。
ケイは……いつも泊まってるから、今日だっていいでしょ、ということで。
 三人で布団を敷いて寝転がる。
私は、言うべきことがあるのだと思うのだけど、それが何なのかいまいち分からなかった。
 今のままでも、いいじゃない?
やっぱり、駄目なのかな?
 言いたいことは、二人とも大好きだよってこと。
でも、それじゃ駄目なんだ。
 私はトイレに行く。
煙草を吸う。
 何かヨーコとケイが話している。
ぼんやり煙を吐く。
 笑い声。
何を笑っているんだろう。
 私は全く解決案を持たずに、布団へ戻ると。何故か二人は目を見合わせて笑った。
「どうしたの?」
「なんでもない」
そう言って二人は笑った。
 そしてその日は三人で手を繋いで眠った。
私が真ん中で。

ケイは真面目に大学にいき、不真面目な私はヨーコを駅までなれないプリウスで送る。
「ねえ、セイ」
「なにかな?」
「あなた、あのとき、本当はどっちを選んだの?」
私はとぼける。
「あのとき?」
「私と、ケイさん、どちらか選べってモリムラ教授に言われたとき」
どっちを選んだか?
何かを選ぶなんてこと、私にはできそうもなかった。
本当は、どっちを選んだか?
「分からない」
「ほんとに?」
「本当」
「じゃあ、もし、あの時サワラ君が来なかったら、どうしてた?」
それは、とても難しい問題だ。
 私は言う。
「分からない」

駅のホームで見送ろうと中へ入ると、電車が来る前にヨーコが言った。
「私ね、諦めないことにしたから」
「何を?」
「あなたを」
こういう時って、なんて言ってあげたらいいんだろうね?
 本当に私はとても嬉しいのだけれど、彼女の好意に母親にすがりつく子供みたいに、まっすぐには答えてあげられない。
 言葉では、いえない。
だから、私は、ホームに電車が入ってくる音の渦の中で、彼女に口づけた。
 それは、浮気で本気。
きっと、明確には分けられないから。
 電車が止まる。
「ずるいわね」
「気を持たせて?」
「分かってるじゃない」
「残酷?」
「そうよ」
「でも、今は、これで精一杯なんだ」
「ねえ、セイ?」
なにかな、と言う間もなく、私はキスされた。
 電車は出発する。
私はそれをじっと見つめていた。

ケイが私の部屋に来た。
「今日は泊まるから」
「うん」
「ねえ、セイ」
「なにかな」
「昨日、ヨーコさんと話したわ」
「そうみたいだね」
「いい人ね、彼女」
「どういう意味?」
「それだけ」
それだけ、か。
 きっと、上手くいえないような沈黙の想いが、私の眉の上辺りに浮かんでいるのだろう。
でもそれを私は上手く掴むことができない。
「ケイ」
「なに?」
「ごめんね」
ケイは何も聞かなかった。
 その日は、抱き合って寝た。

暫くして。
 私のところに一冊の本と手紙が来た。
フジムラ・ミヤコからだった。
 約束の物語を書いたから、私に送る、と。
でも、送られたきた本は、全く私の物語ではなく、愛し合う二人の少女の物語だった。
 きっと、フジムラさんと、ヒシギさんの物語。
彼女の、物語。
 二章まで読んで、栞を挟んで本を閉じた。
手紙を読む。
”突然の手紙、すみません。前にあなたが、私の書くあなたの物語を見たいと、おっしゃっていたので、書きました。正確には、結局は書けずに、まったく違う物語になりました。でも、この物語を送るのに相応しい人は、誰も思いつきませんでした、あなた以外に。迷惑だったら、捨ててください”
手紙の字は、とても落ち着いて綺麗だった。
 私は静かにそれを読む。
”今でも私は、どうして彼女を殺してしまったのか、自分でも分かりません。自分が恐ろしくてたまらない日もあります。私は彼女を憎んでいたのでしょうか。許して上げられなかったのでしょうか。自分でも分かりません”
モリムラのことが、ふと、頭をよぎった。だが、上手く顔を思い出せなかった。
”でも、結局は私が殺したのです。その途方もない罪は、きちんと背負って、償って生きていきたい、ほんとに、そう思います”
ねえ、これは、ほんとに凄いことだと思う。
 なにもかもを常に受動態で語ったモリムラと、いま、罪を背負っても生きていこうとする彼女、いったい、どちらが本当に素晴らしいのか、分からないかな?
 それは、確かな美しい魂だと、私は信じる。
ほんとに酷い目にあって、理不尽で、しかし他人を傷つけ殺してしまっていて、もしかしたら100%は背負わなくていい責任かもしれないけど、フジムラさんは…それを、背負う。
 私が私であるって、そういうことじゃないかな?
偉そうにいえる立場じゃないけど。
手紙には追伸があった。
”リリアン生だったころ、白薔薇さまは憧れでした。何度か話したことがあるけど、おぼえていらっしゃらないでしょう?今でも、白薔薇さまは、憧れの人です”
 やれやれ、と私は肩をすくめた。

すっかり、緑のプリウスの運転にも慣れた。
 後部座席に、彼女の本と、薔薇の花束を置く。
今から、アカネの家に行くのだ。
 大学をサボりすぎているから、心配だし。
彼女の好きな、薔薇を持っていこうと思ったのだ。
 キーを回してエンジンをかける。
少しだけ、彼女の物語を読む。
 でも、その内容は誰にも教えない。
それは小さく閉じられた蓋さえない開かない箱の中へ閉じ込められて、どこにもいかない物語。
 だから誰にも教えない。
そして、それはやはり、彼女が書いた私の物語。
 多くの私達に、捧げる。
車が動き出した。
 アカネの部屋へ向って。

完。


 
黄薔薇放送局 番外編

セイ 「あー、ようやく終わったねぃ今回も……っっっ!」
(険悪な雰囲気)
ヨーコ「あ、セイ」
ケイ 「……セイ」
セイ 「よ、用事があったんだっけ。
	戻らないとって開かないじゃん、ていうか扉消えているし!
	くそっ! デコ! またアンタの仕業か!! いい加減しろ、覚えてろよ!」
ヨーコ「何空中に向かってしゃべっているのかしら」
ケイ 「ねぇセイ。私たちあなたに聞きたいことがあるのよ」
セイ 「き、聞きたいことって、あ、明日の天気? は、晴れかな?」
ヨーコ「……そんなことじゃないわ」
セイ 「わ、分かった。今晩の献立でしょ、ね、ねっ!」
ケイ 「……それでもないわ」
セイ 「じゃ、じゃぁ……」
二人 「もういいわ」

(目が据わっている)
二人「どっち?」

セイ 「(そ、そんなこと言われたって…… おまけに何よ、この選択肢は!!)」

  あっちと言って逃げる。
 rァ軽いジョーク。
  おどおどする。

セイ 「とっ、となりの塀に囲いが出来たってねえ」
二人 「…それで?」

冷たい視線。セイは走って、逃げた。

二人 「待ちなさいよ!」


……
……

江利子「うふふ。争奪戦は蜜の味ってね」
由乃 「……ねぇ、令ちゃんは悩むことなんか無いわよね?」
令  「え、何を?」
江利子「(令の腕を絡めながら)
	決まってるじゃない、私と由乃ちゃんに」
由乃 「……どいて頂けませんか江利子さま。
	そこは私の指定席なんですけれど(ニッコリ)」
江利子「あら、今年聞いた冗談じゃ最高の出来だわ(ニコニコ)」
令  「(汗)」

二人 「ねぇ令(ちゃん)、どっち?」

令  「(滝汗)
	あ、あっち……な〜んちゃって。ハハ、ハハハ……(ダッシュ)」
由乃 「あ、逃げた!」
江利子「追うわよ、由乃ちゃん!」


乃梨子「最後の最後までこんなので良かったのでしょうか。
	隠上さま、お疲れさまでした。是非感想を送って差し上げてください。
	それではごきげんよう」


※
文章は某ゲームを多分に参考にしています。
思い出しながらなので多少違っているかも……