マリア様の悪戯

第一話

そして時計は左に廻る

 交通事故。
 毎日のようにTVや新聞で流れてくる、もっとも身近でもっとも危険な事故。
 でも…まさかそれが自分の身に降りかかるとは、誰も考えずに日々の暮らしを送っている。

 小笠原祥子

 彼女もそんな一人。
 もっとも、彼女は運転手つきの車で送り迎えされているのだから、まさか自分が・などとは夢にも想ってはいない。運転手は物心ついたときから知っている人物で、優しく信頼も置ける。そんな彼が交通事故などを起こすとは露とも感じない。
 が、交通事故は単独以外に………

 そして、刻は狂う。



 銀杏の葉が舞い散る銀杏並木を歩きながら…銀杏が好きではない祥子にとっては苦手ではあるのだが、祐巳と2人きりで歩くことがそれ以上の倖せである祥子にとっては、そんな事は些細なことである…校門に着いてしまうことが、その楽しみの終焉を意味している事に、小さなため息をついてしまった。
「それでは祐巳、ごきげんよう」
「ごきげんよう、お姉さま♪」
 校門をくぐるまでの2人だけの僅かな間の逢瀬、しかし、祥子にとって大切な妹とのたった2人だけの時間というものは、何者にも替えがたいものになっていた。
 いつも『わたくしの車で送りましょうか?』と尋ねるのだが、祐巳は『そ・そんな。結構ですよぉ』と、顔を真っ赤にして手をパタパタ振りながら、遠慮してくる。
 できれば無理やりにでも乗せて、逢瀬の時間を延ばしたい…と思うのだが、逆にカチコチになってしまい何もできないのではないか? と思う自分がいる事に苦笑を感じる。
 例えそうなったとしても、祐巳と2人きり………しかし、祖母の件で迷惑を掛けた事がある以上、無理やりに・というのはどうしても気が引けてしまう。
 それで結局、薔薇の館からバス停までの2人きりの時間だけで我慢する事にしてしまった。

 祐巳の乗ったバスを見送った後…
 見計らったように、1台の高級車が祥子の脇に停まる。
「お待たせいたしました。お嬢様」
「待ってなどいませんわ。いつもありがとう」
「ありがとうございます」
 運転手に感謝の言葉を言って、車へと乗り込む。いつもの事。
「では、帰りましょうか」
 車は、いつもどおりに祥子の自宅へと向け走りはじめた。

 そして…運命の歯車はゆがみ始める。あの刻へ…

 それは祥子が見た、あまりにも非現実的な光景だった。
 信号待ちで停車をしている自分の車の車の側道から、ものすごい勢いで車が向かってきたのだった。しかもまっすぐに自分へと…
 一瞬、それが何かわからなかった。
 夢? 幻?
 そして、衝撃。
 しかし祥子は、何も感じなかった。衝撃も痛みも。
(ああ、これは夢なんだ)
 心の中でそんな事を考える。そして…
(ゆめであれば、祐巳と二人きりの世界の方が良かったわ)
 そんな事を考えながら、彼女の意識は闇の中へと沈んでいった。



「おはようございます。お嬢様」
 そんな声が聞こえて…祥子は意識を覚醒させた。
 そこは、自分の寝室。そして、いつもと同じベッドの中。
「お嬢様?」
「………ごめんなさい。迷惑をかけてしまった様ね」
「迷惑なんてとんでもありません」
「ところで、あの事故はどうなったの?」
 祥子の言葉に…彼女を起こしに来たメイドは、一瞬何を言われたのか判らないといった表情になる。
 それはあの、『百面相』を思いこさせるには充分だった。
「あの…お嬢様。『事故』とは一体なんのことでしょう?」
「え? 昨日わたくしが乗った車が事故を起こしたのではなくて?」
「まさか!? 昨日はいつもどおりにお帰りになられましたが」
 その言葉を聞いて…頭の中が混乱し始める祥子だった。
(え? 事故じゃない? もしかして………単なる夢? それにしてはリアリティがありすぎる夢だった気も…)
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
 祥子は考え込んでしまったようで、はっと我に帰ると、心配そうな顔で自分の顔を覗き込んでくるメイドの姿があった。
「いいえ、何でもありません。
 どうやら事故にあう夢でも見てしまったのでしょう。気にしないで」
「はぁ…それでは、お着替えはここに置いておきますので」
 そういうと、リリアンの制服を置いて、メイドは部屋から出て行った。
(変な夢を見てしまったわ。でも、夢でよかった)

 用意された制服を身につける祥子。それはいつもと同じ制服。
 ………しかし………
 なにか、本当に僅かな何か、違和感を感じた。
 例えていうなら、完璧に着こなしているはずなのに、ほんの少しだけタイが曲がっている・そんな小さな小さな違和感。
(一体…この違和感は…なに?)
 何かすっきりとしない。こういうとき、一番の解決策は………妹の笑顔を見ること。
「祐巳にあって相談しましょう」
 と、結論を先送りにするのだった。


「…………………………おかしい……………………………」
 ここは本当に、昨日まで自分が通っていたリリアンなのだろうか?
 そんな思いの渦に巻き込まれた祥子が、心ここにあらずといった表情で背の高い校門をくぐっていく。
(なにか…違う)
 昨日とは変わらない学園が、祥子の目の前に広がっている。しかし、何かがおかしい。本当に何かが…
「ごきげんよう」
「ご・ごきげんよう」
 珍しく言いよどんでしまう。こんな事は今までに一度たりとも無かった。
「どうかなさいました? 祥子さん?」
「いいえ、何でもありませんわ。
 心配をおかけしたみたいで申し訳ありません」
「あ、いえ。お気になさらずに。それでは」
 そういって、挨拶をしてきた同級生は祥子の前から立ち去った。

「………あの子、髪を伸ばしていたはずだけど………切ったのかしら?
 それにしては昔見たような髪形。まるで、1年前の………!!??」
 そこで、ある事に気づいた。
 周りにいる生徒の中に、すでに卒業していったはずの上級生の顔がある事に。しかも彼女達は、リリアンの制服を何の違和感も無く着こなしている。
(これは、一体!?!?)
 小さな違和感の正体に気づいた瞬間、その小さな違和感はとてつもなく大きな食い違いがそこにあるように感じた。
(ここは………まさか!?
 でもそんな事が現実になるなんて絶対にありえない!)
 頭でははっきりとわかっている。そんな事は非現実的だと。
 が、今、自分の目の前にあるのは…それが非現実では無い事をはっきりと物語っていた。
 そして、思考の混乱がピークに達した時…
「ごきげんよう、祥子」
 いるはずの無い彼女が、祥子の目の前にいた。

「お…姉………さま?」
「どうしたの? 祥子。
 まるでいなくなった私が、急に現れた・みたいな顔をして」
「お姉さま…昨年ご卒業され………」
「? 何を言ってるの? 祥子」
 そこには、去年卒業したはずの水野蓉子・祥子の姉であり前紅薔薇さまが、心配そうな顔をして立っていた。
「顔の色が優れないけど…まさか、まだ習い事を続けているわけじゃないでしょうね?」
 彼女が祥子の事を心から心配しているのは、その瞳でわかる。が、祥子の頭の中は完全にパニックに陥っていた。

 
「本当に、一体どうしたの? 祥子。何か悩んでいるの?
 お姉さまである私にもいえないことなの?」
 ここで、本当の事を話してしまいたくなる祥子。しかし、それを言ったとして実際に信じてもらえるだろうか?
 確かに自分のお姉さまであれば、笑いもせずにちゃんと向き合ってくれるだろう。だが、信じてもらえるかは別問題。
『夢でも見たんじゃないの? この頃忙しかったからちゃんとした休養をとったほうがいいわ』
 と言われるのが関の山ではないだろうか?
 ならば…
「…ご心配をおかけして申し訳ありません。少し、嫌な夢を見てしまったもので…」
「そう? でも、あまり無理をしないでね。
 学園祭まであまり時間が無いのだから、主役の1人が体調を崩しては洒落にもならなくてよ」

 蓉子は聡明だ。祥子の言葉の中にある違和感をすぐに見抜いた。
 しかし、彼女は自分の妹を信じている。私に頼らないということは、自分で何とかできる・と結論づけたのだろう。
 ならば…私が今、手を差し伸べても逆効果。
 そう判断したのだった。
「ところで祥子、学園祭の件でこれから打ち合わせがあるのは知っているでしょう?
 調子が悪いのであれば、無理をせずにおやすみなさい。幸い、本題の件の会議は放課後だし」
 
 そこまで言われて………祥子ははっとする。
(学園祭…本題の会議…ということは、シンデレラの王子役の件がわたくしに言われるのは…今日!?
 つまり、初めて薔薇の館で祐巳に出会った日!? いいえ、そうじゃない。祐巳と初めて出会ったのは…)

「申し訳ありません、お姉さま。急用を思い出してしまいました。朝の打ち合わせは、申し訳ありませんがお休みさせていただきたいと思います。
 それでは、ごきげんよう」
 それだけ言うと、足早に蓉子の前から立ち去っていた。本当ならば駆け出したい気持ちがいっぱいなのだが、流石にそこは理性で押しとどめる。
 祥子は…例の場所へとまっすぐに進んでいた。
 そう、マリア様の前。

 そこには、
「祐巳」
 自分にとってもっとも大切な人が、マリア様に祈りをささげている姿があった。
 


 その少女は、短い祈りをささげた後、マリア様の像の前から立ち去ろうとしている。
「お待ちなさい」
 祥子はほとんど無意識に、祐巳に声を変えた。
「えっ?」
 祐巳は、びっくりしたように祥子の方へと振り返る。そこには………
 祥子にとっては忘れることの出来ない・そして何よりも大切な少女の姿があった。
「あ…あの、私に御用でしょうか?」
「呼び止めたのはわたくしで、その相手は貴女。間違いなくてよ」
(わたくしの大切な祐巳…彼女は今、わたくしの目の前に立っている。
 この時点ではまだ、祐巳はわたくしの妹にはなってはいない。今日・あの時・あの場所で…
 だから今は…)

「あ・あの………」
 自分を呼び止めた相手を見て、祐巳は硬直してしまった。
 何せあの『紅薔薇の蕾』小笠原祥子さまなのだ。
「持って」
 そういって自分の持っていた鞄を祐巳に手渡していた。

「タイが曲がっていてよ。身だしなみはいつもきちんとね。
 マリア様が見ていらっしゃるわ」
 緊張しているのか祐巳は動くことが出来ない。祥子のされるままにタイを直される。
「あ、あの…」
「さ、これでいいわ」
「あ、ありがとうございます」
 と…次の瞬間、祐巳は信じられない状態に陥っていた。

 あの祥子さまが、祐巳に抱きついていたのだ。
 祥子は何も考えずに、無意識で………
 祐巳は何も考えられず、直立した状態で………

 1時間にも感じられた…しかし実際にはほんの数秒・短い抱擁は、祥子の方から離れることで解かれた。
「ごめんなさいね、祐巳。貴女の姿を見たらどうしても…
 では、ごきげんよう。放課後、待っているわよ」
 その言葉を残して、祥子は教室の方へと歩いていった。

「何故、紅薔薇の蕾…祥子さまが私の名前を?」
 残された祐巳は………
 顔を真っ赤にしながらも、何がなんだか訳がわからないといった表情になっていた。
 おまけに祥子が最後に言った『放課後』という言葉を聞き逃していたのだった。


黄薔薇放送局 番外編

由乃 「……」
令  「(あぁ、由乃の機嫌が……)」
由乃 「……なんでよ」
令  「(ビクッ)なんでって何が……?」
由乃 「……どうしてなのよ」
令  「(おろおろ)それだけじゃ分からないって……」
由乃 「令ちゃんには分からないの!? この作品も私たちほとんど出てこないのよ!!」
令  「あぁ、そういうことね(さわやかな笑顔)」
由乃 「そういうことねってどうしてそんなにさわやかなのよ! 何考えてんのよ!」
令  「だって、私たちがここに登場するってこと自体がそういうことじゃないの?」
由乃 「そういえば……ってそんなの納得するの令ちゃん! 信じられない!」
令  「ハハハ、由乃もじきに慣れるよ。
	黄薔薇になるってことはそういうことだと言うことに……(遠い目)」
由乃 「令、ちゃん? ……いや、私は絶対に嫌だからね、そんなの!
	もういい、作者のところ行ってくるわ!」
令  「あ、由乃、待ちなさいってば! 参ったな、場を離れるわけには……
	って乃梨子ちゃんいつからそこに!」
乃梨子「最初からですが」
令  「ご、ごめん。 この場任せちゃっていいかな?」
乃梨子「はい」
令  「じゃぁよろしくね。 由乃〜〜」


乃梨子「あの方達は相変わらずですね。 私なんか年が進まないとほとんど登場できないわけですが。
	まぁいいですけど」
乃梨子「さて、祥子さまは過去の世界、もしくはパラレルワールドに入り込んでしまわれたようですね。
	早速祐巳さまを抱きしめていらっしゃいましたが、祐巳さまはうれしいやら恥ずかしいやら
	百面相をいかんなく発揮されたことでしょう。
	祥子さまが『経験している』ということがどう変化をもたらすのか今後に期待、
	といったところでしょうか」
乃梨子「こんなところで締めさせていただきたいと思います。
	keyswitchさまにできましたら感想を送って差し上げてください」
乃梨子「では失礼します。 (黄薔薇さまは結局こなかったな)」

……
……

江利子「(今後の展開を読みながら)ムフ、ムフフフフ。 あ〜おもしろい!」
江利子「まさか、こんな風になるなんてねぇ。 この先ずっと楽しませてもらえそうだわ!
	あ、呼ぶゲストも考えておかなくちゃいけないわ。 さてさて誰からいこうかしら♪」