マリア様の悪戯

第六話

安堵と不審

 薔薇の館での練習は祐巳が考えたほど仰々しい物ではなく、あっけないほどにすんなりと始まって、そしてあっけないほどすんなりと終わった。
 もっとも、ダンスの練習は体育館で行うのが普通であって、薔薇の館ではほとんどが台本の読み合わせや、劇の一部・館内でも出来るシーンの練習になる。つまり、本当に大した事が出来なかった・というのもある。
 それに、いつもの会議室ではなく踊り場を使っての練習なので、祐巳自身はあまり実感がない。
 おまけに、現時点では祐巳自身がまだどの役をやるかは決まっていないので、紅薔薇さまに『今日は見学。雰囲気を感じてもらうだけでいいわ』と言われて…ほとんど見ているだけ・なのも事実だ。
 まあ、後になればなるほどきつくなるのは目に見えているので、文句をいう人間は誰もいない。
(祐巳自身はまだなにがなんだかわからない状態なので、文句さえも思いつかない)

「じゃあ、一段落ついたところで休憩しましょう。
 由乃ちゃん、志摩子。会議室にみんなの分の飲み物を用意してくれるかしら?
 あ、祥子も手伝ってあげて」
「はい」「はい」「わかりました」
「あ、私も」
 と、駆け出そうとする祐巳だが…紅薔薇さまがそれを止めた。
「祐巳ちゃん。あなたは現段階では『山百合会幹部』じゃないの。あくまでも薔薇の館のお客様。
 お客様をおもてなしするのは幹部のお仕事。だからゆっくりしてらっしゃい」
「は…はい………」
 納得できない・といった表情ながらも、しぶしぶ紅薔薇さまのいう事に従う祐巳。もっとも、紅薔薇さまのいう事を真っ向から反対できる人間なんて、先生を含めてこの学園に何人いるかも怪しいところだが。
 現段階では一般生徒の祐巳には絶対に出来ない芸当らしい。
「じゃあ1つお願いを頼まれて。お茶会の間、祐巳ちゃんは祥子のお相手でもしてくれると嬉しいな♪」
「さ、祥子さまの!?」
「そう、お願いね」
「お願いされても………やっぱり紅薔薇の蕾を失いたくないんですか?」
 ついつい例の賭けの事を考えて、無理やりにでも自分を…と思ってしまいそうになる祐巳の考えを、紅薔薇さまはキッパリと否定した。

「ちがうわ。
 あの日以来、祥子は薔薇の館では楽しそうな顔をした事がないのよ。もっとも、昔からあまりそんな表情を見せる子じゃなかったけど…でも、一緒にいる人間には、そういう部分は結構判るものなのね。
 そんな私達が受け取ったここ数日の彼女の感情は、たった一言『寂しい』よ。
 姉であるわたくしがいうのも悔しいのだけど、祥子は祐巳ちゃんの前でしか自分の表情を見せなくなっちゃった感じなの。
 今日もそうよ。いいえ、昨日の劇もそうだったけど、本当に生き生きしてる。でも、祐巳ちゃんがいないお昼なんて、目も当てられないほど落ち込んじゃっているんだから」
「そ・そんなに!?」
 落ち込んでいる紅薔薇の蕾………想像も出来ない。と、紅薔薇さまは祐巳の耳元で小声で話を続ける。
「…実を言うとね、祐巳ちゃんをお昼に誘ったのもそこなのよ。
 確かに劇の打ち合わせもあるけど、それ以上に祥子を見ていて欲しいのよ。
 祥子ったら、ここ2日ほど食事も喉を通らないらしいの。見ていてもため息ばかりで………見てるこっちが落ち込んじゃいそう。
 でも、今の祥子は…そうは見えなかったでしょう?」
「はぁ…」
 祐巳はそう返事をしながら、祥子の今日の姿を思い浮かべる。
 そこには、彼女の目から見て、いつもと全く変わらない凛々しい紅薔薇の蕾の姿があった。
「でも…私がお邪魔しても…」
「いいのよ。ほんの少しでも祥子が元気に・祥子の食欲増進剤になってくれればいいかな? 位にしか考えていないから。
 彼女に倒れられるくらいだったら、わたくしは何だってやるわよ。
 それとも、祥子と一緒にお昼って…いや?」
「いやじゃないですっ!!」
「じゃあ決まり・でいいわね?」
「は…はぁ」
 ここで『いいえ』と言えない所が、祐巳らしいといえば祐巳らしかった。

 そして、用意されたお茶会に参加して…唖然とする祐巳だった。
 なにせ用意されていたのは、お茶とお茶うけ程度のお菓子………ではなく、まるでちょっとしたパーティーのような席だった。流石にケーキ・とまでは行かないが、色とりどりのお菓子が机の上に並んでいたのだから。
(あとで志摩子に確認したら『紅薔薇さまが用意するように』指示されて『黄薔薇の妹』が用意したとのこと)
 しかも、無理やり祥子の席の隣・おまけに紅薔薇さまと紅薔薇の蕾の間に座らされた祐巳は、完全にカチコチになってしまったのだった。
 とはいえ、そこは持ち前の『元気と明るさだけが取柄』(自称)の祐巳。前回の初顔合わせの時よりもすんなりと輪の中へと入っていたように、他のメンバーは見て取れた。
 仲の合う1年生同士だけではなく、蕾である2年生も巻き込んで、楽しいお茶会のを呈していた。まぁ、その輪の中に何の違和感もなく白薔薇様が混ざっているのにはちょっと首を傾げるが…
 とはいえみんなの・特に祥子の嬉しそうな顔を見たら………薔薇さま達は、無理やりにでも彼女を呼んでこの場を設けた事は、無駄ではなかったと安堵するのだった。



「で、祐巳さんはそのまま山百合会の一員に…」
「なりません」
 次の日の朝、しっかりと蔦子につかまった――同じクラスなのでつかまらないほうがおかしいが――祐巳は、事の顛末を聞かれてしぶしぶながらも話した。
(もっとも、『新聞部には絶対にもらさないように』と念を押して・だが)
「しっかし、昨日の今日でなんだけど…
 やっぱり紅薔薇の蕾は、マリア様の前で待ってたのよね。とはいえ、今日は祐巳さんがいつもより早く登校したおかげで、祥子さまの待ち時間はほとんどないに等しかったけど…」
「………」
 その通りだった。祥子は今日も登校してくる祐巳を待っていた。どうやら紅薔薇さまはそれを容認しているらしく、妹に挨拶をしただけでそのままその場を跡にした(らしい:蔦子談)。
 そして、そのすぐ後に来た祐巳と…一緒にマリア様に手を合わせ、教室へときたのだった。
「これだけおおっぴらにされちゃうと、誰だって祐巳さんが紅薔薇の蕾からロザリオを受け取った・と思ってるよ」
「でも…」
「部外者の私としては、何も言わないけどね〜
 ところでアレ以降、祥子さまから直接『妹になって』って言われた?」
 そういわれて祐巳は………
「………ない」
 今までの事を思い出す。そこでは『祐巳は自分の妹』という言葉は聞かれたが、祐巳に直接『自分の妹になって欲しい』と言われた記憶はなかった。
「そこが不思議なのよね。普通こういうときだったら、少なくとも直接的にだろうが間接的にだろうがアプローチがあってしかるべきなのに、それが全くない。
 祥子さまが本当に祐巳さんに妹になって欲しいのかどうか…どうなんだろうね?」

 蔦子のその言葉が祐巳の頭の中を駆け巡る。
(祥子さまは私を妹だと言った。でも、妹にしようと直接行動したのは初日の薔薇の館と下校時だけ。
 あの時は確かに私の方から拒絶したけど…それ以降は、妹になって欲しいとは一切聞いていない。
 祥子さまにとって、私って一体………祥子さまは本当に私なんかを妹にするつもりがあるのかな?
 もしかしてただ単に………)

「…巳さん、祐巳さん?」
 思考の渦に陥りかけた祐巳を現実に引き戻したのは、蔦子のかけた言葉だった。
「どうしたの? いきなり難しい顔になっちゃって」
「な・なんでもない…なんでも」
 とはいえ、祐巳の心の中に生まれた小さな小さな何かは…



 授業と授業の休み時間の薔薇の館。そこには薔薇さま3人と紅薔薇の蕾である祥子がいた。
「こんな時間に集まってもらった理由は…わかるわよね?」
 紅薔薇さまがそう言うと、1人を除いて首を縦に振った。
 首をふらなかったのは…紅薔薇の蕾。
「さて、わかっていて首をふらなかったのか、それとも…」
「祐巳の事…でしょう?」
 蕾のその言葉には、はっきりとした自分の意思が込められていた。
「わかっているのなら話が早いわ。これを見て頂戴」
 そういってテーブルの上に差し出されたのはリリアンかわら版だった。どうやら生原稿らしく、そこら中に訂正の赤いマークが入っている。
「これは、次号の予定で作られていた『リリアンかわら版』だけど…山百合会権限で差し止めさせたわ」
 そのかわら版には、『紅薔薇の蕾の妹 誕生か?!』という文字が、スポーツ新聞張りの大きさで書かれていた。
「べつに、妹候補である彼女と楽しく過ごすことにはなにも文句をいわないわ。
 ただ、節度というものを守って欲しいのよ」
「節度は守っているつもりですが」
 むっとした表情になる祥子だが、
「姉よりも妹の方が大事・なのね、あなたにとっては」
 そういった紅薔薇さまの表情は真剣そのものだった。

「究極の選択…ですか? 姉を取るか妹を取るか」
「そこまでは言わないわ。ただ、まだ妹にもなってない『祐巳ちゃん』の可愛がり方は…異常よ。
 それこそ、彼女がいなかったら………」
 紅薔薇さまは言葉を区切り、
「彼女がいなかったら………あなたは壊れる」
「………………」
 それが事実だけに、言い返すことが出来ずただ立ち尽くすしかなかった。

「それで、祐巳ちゃんを妹にする事は出来そうなの?」
 今最大の問題。
 祥子が祐巳ちゃんを妹に出来れば、今後の山百合会は少なくとも後1年間は安泰だろう。劇はどうなる予想もつかないが…
 祥子が祐巳ちゃんを妹に出来なければ、山百合会としての劇は大成功するだろう。その後がうまく行くかどうかの方が問題だが。

「お姉さま方にはハッキリ言っておきます。
 祐巳に『シンデレラ役』をやらせるつもりは全くありませんので」
 祥子のその一言は、後者を選択する・つまり祥子は山百合会から離れるという事を指していた。
 その言葉に唖然とする薔薇さま。しかし、姉である紅薔薇さまだけは…表情を変えず、祥子を見つめていた。
「………まあ、姉妹の形なんて人それぞれだからなにも言わないわ。
 でもこれだけははっきりといわせてもらう。
 今のあなたは…1年前の…」
「蓉子!」
 紅薔薇さまの言おうとしている事を察したのか、黄薔薇さまがその発言を止める。
「それ以上は」
「…ごめんなさい。でも、今の祥子はあの彼女と一緒・いえ、下手をするとそれ以上だわ」
 その言葉に、明後日の方向を向く白薔薇さま。

 そんな姿を見ながら…祥子は、
(そうかもしれない。私にとってもっとも大切なのは『福沢祐巳』という1人の少女。
 刻を越えたなんて誰も信じてくれないけれど…でも、私には・私の心には、彼女が絶対に…)
「お話はこれだけですか? では、わたくしはお先に失礼します。
 それとお姉さま方にお願いがあります。
 これ以上なにかいうことがありましたら、祐巳ではなく直接私に言ってください」
 そう言うと彼女は、姉の言葉を聞く前に薔薇の館を後にしていた。



「どう思う? 聖?」
「どうって…私にそれを聞く?」
「聞きたくはないわよ。できればあの事はそのまま永久に封印しておきたい。
 でも今の祥子は…あのときのあなた以上よ。もしこれで祐巳ちゃんがいなくなったら…ううん、妹にならなかったら、間違いなく私達では支えきれないでしょうね」
「………で、経験者に意見を聞きたいって?
 経験者よりも第三者の視点にいる江利子に聞いた方がいいと、私は思うんだけどな〜」
 そういいながら、視線を黄薔薇さまへと向ける。
「…面倒な事を押し付けられるのは嫌い。でも…私にもそう見えた。多分蓉子が言っている事は正しい。
 ただ、これは祥子と祐巳ちゃんの問題。だから、私達はただ見ているだけにとどめておいた方がいいと思うわ」
「面白そうだから?」
「それもあるけど…蓉子が下手に手を出すとかえってこじれそうになる予感がするの。まぁ、さらにこじれさせてみるのも一つの手かもしれないけれどね」
「江利子の予感って結構当たるからね〜」
「………わかったわ。どうやら私が焦りすぎたみたいね。
 じゃあ、学園祭が終わるまで様子を見る事にしましょう。最も何かあったら…」
「それは姉の役目だから、当然の事でしょう?」
「ええ」

「で、紅薔薇さまとしては祐巳ちゃんをどう思ってるの?」
「とてもいい子よ。そして…………よ」
『!?』
「近いうちに祥子にもそういうつもり。本当にもしかしたら・だけどね」


 
黄薔薇放送局 番外編

江利子「むふふっ、いよいよ何かが起きそうねぇ〜」
由乃 「あら、薔薇さまともあろうお方がそのような無責任な発言をされてよろしいのですか?」
令  「よ、由乃……(汗)」
乃梨子「(また始まった……)」
江利子「あらあら由乃ちゃん、ロザリオを返しちゃったこともあるあなたが言うじゃないの」
由乃 「申し訳ありません、姉が姉ですので」
令  「(泣)」
江利子「まぁ、かわいそうな令。 私が慰めてあげるわ、(抱き寄せながら)よしよし……」
令  「お、お姉さま……(真っ赤)」
由乃 「なっっ!!! 何やってんのよアンタ!!」
江利子「由乃ちゃん、おばあちゃんに向かってその口の利き方は良くないわねぇ(令に頬ずり)」
令  「や、止めてください、お姉さま……」
江利子「ふふふ、か〜わいい♪」
由乃 「……。 ……斬る!(どこからか竹刀を取り出す)」
江利子「あら、かかってくるの?(笑)
	たまには相手してあげようかしら(カチューシャをはずして人差し指で回している)」
由乃 「天誅!」
江利子「フフフ♪」

……
……

乃梨子「さて、番組の途中ですが、今回の解説を」
乃梨子「祥子さまも危うい状態ではありますが、同じくらい祐巳さまも危うい環境にいる、
	と言った所でしょうか。 未来を知っているが故の祥子さまの行動が未来を知らない祐巳さま
	にとっては不思議でならない部分が多いですし」
乃梨子「また、蓉子さまの最後の発言が気になる所です(横を見る)」


江利子「フフフ、由乃ちゃんその程度?」
由乃 「くっ! その減らず口ごと斬ってあげるわ!」
令  「(ハラハラ)」
江利子「まぁ、楽しみね♪」


乃梨子「……それでは次回予告を」
次回予告
乃梨子「舞台に出演することになる祐巳さま。
	そこで見せた祥子さまの不可思議な行動はとうとう蓉子さまの目にとまることになる。
	改めて姉の暖かさに涙する祥子さまに蓉子さまの仰天発言が……!
	次回 第七話『姉と妹と…孫』 お楽しみに!」

乃梨子「……それではまた次回お会いしましょう(ため息)」