マリア様の悪戯

第十話

分かれた道

 すったもんだがあった挙句、劇の練習は結局代役として祐麒が王子様役をする事になってしまった。
 とはいえ祐巳のスタート時と同程度でしかない祐麒では、ダンスを踊る事など不可能に近いわけで、ほとんど参加初日の祐巳と同じ程度しか出来なかった。
 祥子と祐麒のダンスは、祐麒がエスコートしなければいけないはずなのに………外野から見ていると、完全に祥子が祐麒をエスコートしているようにしか見えなかった。
 その姿を見た薔薇の館の住人は、笑顔を絶やす事はなかった。祥子自身も例え男子とはいえ祐麒を祐巳の弟として認識し、気の知れた相手とダンスをしているので、いつものような嫌な顔は一切出なかった。いや、微笑みさえ浮かべてダンスの指導をしていた。
 …唯一笑顔じゃなかったのは…

 祥子のお相手である花寺生徒会長代理の実の姉である祐巳だけ。
 それに気づいたのは、ここにいる中で一体何人いただろう?
 ………多分薔薇さまと呼ばれる人物だけ………



 次の日の最後の授業が終わった直後、祐巳は直接祥子の教室を訪れていた。彼女にとっては積極的な行動だったが、その奥にある瞳は真剣だった。
「祥子さま。これから少しお時間をいただけますか?」
「ええ、いいわよ。
 ここでかまわないかしら?」
「出来れば2人だけでお話をしたいのですが…」
「じゃあ…ついてきて」
 そして祐巳は、祥子に導かれて古い温室へと向かった。


 清らかな光の差し込む柔らかな空気の流れる温室の中。
 しかしその空間にいる2人は、あまりいい雰囲気でなかった。もっとも、2人とも・ではなく、1人は笑みをたやさなかったが。
「あ、あの…祥子さま」
「なにかしら?」
 微笑みながら祥子は、祐巳の次の言葉を待った。
「………」
「………」
 しばらくの沈黙の後、意を決したように祐巳は言葉をつむぎだす。
「祥子さまは…」
「?」
「祥子さまは、私を本気で妹にするおつもりなんですか?」
「もちろんよ」
「では何故、『妹になって欲しい』とおっしゃってくれないのですか?」
「それは…」
 祐巳のため・と言いたかったのだが、言った所で信じてはもらえないだろうと、言葉が詰まる。と、
「祥子さまは私にシンデレラ役をやらせたくないから・弟の祐麒に王子役をやらせたくないから・とおっしゃっていますが、それは本当なのですか?」
「何故そんな事を言うの?」
「だって………」
「なぜ?」
 祥子ににらまれると…とたんに言葉が詰まってしまう。
「はっきりいって頂戴」
「それは………」
 といわれても、さらにいいづらくなってしまい、口ごもる。
「………」
「………」
 沈黙が続く。先に耐えられなくなったのは、
「どうしていえないの? 言いたい事があるならはっきりといってちょうだい!」
 ついついきつい口調でしゃべってしまう。
 そしてその後、祐巳の目を見て………
 その瞬間、祥子は心の中で『しまった』と自分をののしった。
 彼女の瞳の中に、恐怖と疑念があったからだ。戻ってきて最初に向けられていた尊敬の瞳ではない…あの、思い出したくない刻の瞳。

 今の目の前の彼女は、自分の知っている祐巳に比べてまだまだ成長していない。
 自分も祐巳のおかげで成長したが、祐巳も祥子と接する事で成長していたはずだ。が、目の前の彼女はまだその経験をしていない。ということは、彼女の心は…
「祐巳…」
 それに気づいた祥子が、手を差し伸べるが、既に遅かった。
 
「祥子さまは…私を使ってシンデレラ役を降りたいのですか? それとも私を使って山百合会をお辞めになりたいのですか? 一体どちらなのですか?
 どちらにしても私を利用しようとしているだけなのでしょう!?」
「そっ、そんな事はないわ! バカな事をいわないでちょうだい!」
「でも…祥子さまはシンデレラ役を嫌がっていた。にもかかわらず私を妹にしようとしない…
 私はただの………ただの駒なんですか!?」
「祐巳っ!」
 祥子のきつい一言に…祐巳の身体がびくっっと震える。
「言っていい事と悪い事があるわ! あなたは私の妹なのだからそんな事は言わないで!」
「………祥子さまからロザリオを頂いてませんからまだ妹じゃありません。
 それに、祥子さまは………祥子さまは………」
 既に涙声になりながらも、
「私達の事をちっともわかってません!」
 それだけ言うと、祐巳は温室を飛び出して、そのまま走り去ってしまった。

 残された祥子は…茫然自失になっていた。
(私が…祐巳の事をわかって…いない?)
 自分は祐巳の事を何でも判っているつもりだった。好きな事・嫌いな事。そして、自分には祐巳が必要であり、祐巳には自分が必要であること。
 それは、酷な話なのかもしれない。確かに祐巳と出会ってからの彼女の事は祥子にも良くわかっている。しかし、前の時でさえ祥子は祐巳が自分の妹になる前の事を把握していなかった。彼女さえいれば倖せだった。
 しかもそれは祥子にとっては過去の事でも、祐巳にとっては現在進行形のお話なのだから。
 まだ『福沢祐巳』という『現在の』彼女の事を判らずにいる祥子だった。

 温室に1人取り残される形になった祥子は、ただただ立ち尽くすだけだった。



 温室を後にした祐巳は、そのまま廊下を走っていた。と、
「お待ちなさい。廊下を走るなんて、リリアン生徒には………って、祐巳ちゃんじゃない。
 ? どうしたの、祐巳ちゃん?」
 声をかけてきたのが紅薔薇さまだと気づくと、祐巳は何とかその場を繕おうとするが…いつのまにか流れ出していた涙がそう簡単に止まる事はなかった。
「ロ・紅薔薇さま…
 何でもありません」
「何でもないって顔じゃないわよ。祐巳ちゃん。
 とりあえず、薔薇の館へ来る? 今なら誰もいないだろうし」
「あの…でもそうすると…」
 放課後のお掃除をさぼっちゃうことになる・と、聞こえるか聞こえないかの小さな声でつぶやいた。
 むろん、紅薔薇さまはそれを聞き逃してはいなかった。
「くすっ。祐巳ちゃんって律儀というか真面目過ぎるというか…聖に見習わせたいわね。
 大丈夫。『山百合会のお手伝いをしていました』ってことにすれば問題にならないわ。わたくしたちもちゃんと口裏を合わせてあげるし。
 それに、自分自身で納得できないのであれば、次のお掃除はいつもの倍頑張ればいいのよ。それでおあいこ…間違ってる?」
(なんだか根本的に間違ってます)と言いたかった祐巳だが、紅薔薇さまにそう面と向かっていわれれば、
「………はい」
 としか言えなかった。

「それじゃあこれから薔薇の館、行く?」
「あの…その………」
 その口ぶりから何かを察した紅薔薇さまは、
「ふむ…薔薇の館じゃまずいのかな?
 それなら別の場所にしましょう。一緒についてきてくれるかしら?」
 そういって、祐巳をつれて歩き出した。

 途中すれ違った黄薔薇さまに、
『少し遅れるけれど、いつもどおりに練習するように。みんなに伝えておいて』
 という伝言をして。
 黄薔薇さまは、不思議な笑みを浮かべていた。
 2人はその足でミルクホールへと向かった。



 自動販売機でコーヒーとココアを買って、2人でテーブルへと着く。
 周りにはほとんど生徒の姿はない。学園祭前にゆっくりしている生徒を探す方が大変なのだから、当たり前と言えば当たり前の事。ここにいる生徒も一時休憩に来たらしく、しばらくするとすぐにいなくなっていた。
「それで、一体どうしたの?」
 周りに誰もいない事を確認してから、紅薔薇さまは祐巳に話しかけた。
「………祥子さまが、本当に私を妹にしたいのかしたくないのか………わからなくて………」
「まあ、わたくしだって祥子の事を全て解ってる訳じゃないから、祐巳ちゃんの質問に正しく答える事は出来ないけれど。
 多分でよければ助言ぐらいはできるわ」
「聞かせてください」
 そんな積極的な祐巳に、紅薔薇さまは笑みを絶やすことなく、
「焦ってるのよ。祥子は」
「祥子さまが…焦ってる?」
「ええ。
 祥子は貴女を妹にしたい。それはまず間違いなく本心よ。そこまではわたくしだけでなく、薔薇の館の住人なら全員わかってるわ。
 でも、彼女は何か理由があってわざと祐巳ちゃんを妹にしようとはしていないだけ」
「何かって、どんな理由ですか?」
「それは、わたくしが祥子じゃないから解らないわ。たぶん本人しかわからない事よ。

 で、当の祐巳ちゃんとしては、祥子の妹になりたいと思っているの? それともなりたくないと思っているの?」
「そりゃあ………なりたいです。本音を言っちゃうと。
 でも、祥子さまは『妹になりさなさい』って一言もいってくれない………それなのに………」
 祐巳の言いたい事をうすうす感じ取った紅薔薇さまは、
「本当にそれだけ?」
「え?」
「祐巳ちゃんの本当の心を聞かせてもらいたいな♪
 それとも、私じゃあ役不足かな?」
「そ・そんな…役不足だなんて。
 こんな事を紅薔薇さまに聞いていただくわけには」
「確かに姉妹じゃないわたくしたちの間では、そんなに心の奥まで立ち入るわけにはいかないかもしれない。
 でも、貴女が心を痛めているのはわたくしの妹である祥子の事。妹の事で悩んでいる子を姉が心配するな・って言うのは無理でしょう?
 それに…姉妹じゃなくても上級生が下級生を導くのは当たり前の事。間違ってる?」
「でも…」
 まだ吹っ切れないのか、祐巳はうつむいたままになってしまう。

 そして…しばらくの沈黙。
 ただそこに流れる時間は、先ほどのぴりぴりとした空気ではなく、安らかな流れ。
「私…祥子さまの妹にはなれません…」
 その流れに促される形だが、やっとと言う感じで祐巳の口が開いた。
「祐巳ちゃんが初めて薔薇の館へ来て、祥子からロザリオを差し出されたときと同じ答えだけど…今回の答えは前回の答えと違う意味での『妹になれない』って意味よね?」
「…はい…」
 まさか、たった一言からそこまでいわれるとはおもわなかった祐巳は、びっくりしながらも肯定した。
「祥子じゃないけど…どうしてって聞いてもいいかしら?」
 こくりとうなずいてから、ポツリポツリと話しはじめた。
「最初は、祥子さまは私の事を『シンデレラ役の代わりに』と思いました。でもそれは、あの時点で拒否されて…それでもなお、祥子さまが何のとりえもない私を妹にするだなんてありえない、って考えたんです。
 じゃあ何か別の答えがあるんじゃないか? そう考えたんです。
 でも…答えは出ませんでした。確かに祥子さまは私に優しくしてくれています。ですが、その優しさは…
 姉妹の間の優しさではなく、大切なものを失いたくないという…独占欲…
 そんな感じがしました」
 その独白を聞いて、紅薔薇さま・いや、水野蓉子は驚いていた。

 彼女から見た第一印象の福沢祐巳という少女は、それほど目立った存在ではなかった。このリリアンというお嬢様学園の中に入ってしまうと、埋もれてしまうような普通の女の子。そんな印象だった。
 しかし、薔薇の館で3年生に『皆様方にも責任があるのでは』と言った。しかも『薔薇さま』と呼ばれる存在に。普通の生徒であれば、まず萎縮してこんな事はいえないだろう。
 その瞬間、蓉子は彼女が何か他の生徒とは違うものを持っている・と予想した。そしてしばらく一緒にいて、それは確信へと変わる。
 彼女は………本当の意味での薔薇なのだと。
 まだ大輪に開いてはいない。もしかすると蕾でさえないのかもしれない。だが、その香りは既に人の心を癒してくれる・魅了してしまう。
 そんな隠された天性のものを彼女は持っている。無論まだそれに気づけるのはごくごく一部だろう。
 自分も人を見る目は持っていると自負していた。だが、見抜けなかった。言い訳にしかならないが、近くに『藤堂志摩子』と言う美しい薔薇が既に咲きかけていたせいで気づけなかった。
 多分自分も、志摩子に会うために彼女の教室へ足を運んでいる。そして顔を見ていたはず、でもただの1生徒としてしか見られなかった。
 それに気づいたのは…妹である祥子。
 なぜかは解らない。でも、彼女が一番最初に気づいた。そして自分の心も気づかされてしまった。

『彼女を紅薔薇にしたい』と

 
黄薔薇放送局 番外編

由乃 「あらぁ、ついに来ちゃったわね」
令  「元々祐巳ちゃんにとっては突拍子もない話だったのに、
	祥子の態度があんなだったから、ますます困ってしまったんだね」
乃梨子「でも、舞台裏を知っているからそういえますけど、そうでなかったら
	『実は私、未来から来たの』なんて祥子さまが仰ったらなんと応じていいか……」
由乃 「祥子さまでもそんな冗談が言えるようになったのか、と感心するかも」
令  「祐巳ちゃんに振られてショックで気でも抜けちゃったかと思うかも」
江利子「聖あたりに何か訳の分からないこと吹き込まれたに一票かしら」
乃梨子「あ、黄薔薇さま、ごきげんよう」
江利子「はい、ごきげんよう。 令、話をまとめてちょうだい」
令  「あ、はい。 祥子に思いをぶつけたまま走り出した祐巳ちゃんですが
	紅薔薇さまに慰められます。 同時に紅薔薇さまも彼女の魅力に気づいて……」
江利子「そんなところね。 祐巳ちゃんの人たらしの術発動、ってとこかしら」
乃梨子「人たらしって……」
江利子「あら、彼女は間違いないわ。 方向性を間違えなければ立派な小悪魔になれるわね」
由乃 「う〜ん確かに。 祐巳さん全然自覚無いけどその才能あるかも」
江利子「ま、そんな彼女にはまりこんでいる祥子がこれまた勝手に見捨てられた、
	と思いこんだのだから今後が見物よね。 レイニーブルーの再来かしら?」


次回予告

江利子「蓉子の慰めで立ち直る祐巳ちゃん」
令  「その一方で立ち直れない人物もいた」
由乃 「週があけても学校に来ない祥子さま」
乃梨子「舞台、そして二人の関係は……」
四人 「次回 マリア様の悪戯 第十一話『小さなほころびと小さな信頼』 お楽しみに!」