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第三話 近づく距離

 飾りっ気の無い見慣れた僕の部屋に女の子が一人いるっていうだけで、全く知らない人の部屋に見えてきて多少居心地が悪くなってきた。

 何となく落ち着かない僕は、さっき入れたばかりの熱々のお茶を口の中に流し込んだ。

「あつっ!」

 僕は極度の緊張で猫舌ってことを忘れてた。

「…………」

 目の前にはさっき協力してくれるって言った綾波さんが、僕の奇行もどうでも良さそうにただ見ていた。


 あの後、詳しい説明をするからって言って僕の家に来てもらったんだ。

 普通、親しくない男の子の家に行くなんてことは考えられないけど、彼女は全く気にした風も無く僕に着いてきてくれた。

 僕って男として見られてないのかな……

 そんなようなことを帰り道、僕の後ろを歩いてる綾波さんを意識しながら考えていた。

 そして、家に着くと母さんと父さんはまだ仕事から帰ってきてなくて、ケンジもまだ学校でいない。

 この家に彼女と二人っきり、っていう事実が僕を急速に焦らせて、彼女には取り敢えず僕の部屋で待っててもらい、僕は台所に立っていた。

 テンパった頭でオロオロとしながらあっついお茶を入れ、何度も深呼吸を繰り返しながら彼女の待つ僕の部屋へと向かった。

 それで、今、こんな状況になってるんだ。


 火傷した舌が熱くて水を飲みたかったけど、何とか我慢した。

 僕は何をやってるんだ……せっかく綾波さんが来てくれたのに……

 そんな風に自問自答してたら、彼女が話し掛けてきたんだ。

「私は何をすればいいの?」

「え?」

「……協力」

 僕が入れたお茶には手をつけず、綺麗な瞳で僕を見てきた。

「あ、うん。実は…………」

 そうして僕が一ヶ月前に覆面を被った男二人に誘拐されたことを話した。

 カヲル君にも言ってないことを言うのはちょっと気が引けたけど、僕が彼女に言い出したんだから言わないわけにもいかず、出来るだけ詳細に語ったんだ。

「…………ってことで、綾波さんに、その……犯人を捕まえるのを手伝ってもらえれば、って思って……」

「……」

 そこまで話して綾波さんを見てみると、いつもの無表情で無言を突き通していた。

 やっぱり、嫌だよね……僕がこんな事頼まれたら絶対嫌だもの。

 ちゃんと説明してから返事をもらえば良かったかな……

「…………何故」

 ん?

「何故、あなたは私に助けを求めたの?」

 でも、彼女の口からは拒否の声は上がらず、ただ静かにそう訊いてきたんだ。

「それは……僕は、何の力も使えないし…………それに、綾波さんの、あの龍を見て凄いって思ったから……」

 本当に綺麗だったなあ、あれから偶に見てたけど、その度に心が震えるんだよ。

「力が使えない?」

 そんな事を考えていたら、彼女がキョトンとした顔で尋ねてきた。

 綾波さんってこんな顔もするんだ。

「うん。……って、僕のこと知らないの?」

「ええ」

 カヲル君の言ったとおりだ……けど、今まで実技をずっと見学してたんだから気付いてくれても良いじゃないか……分かってたけど、僕に何の興味も無いんだ。

「僕はどうしてだか分かんないけど、超能力が使えないんだ。それで、ちっちゃい頃、テレビとかで取り上げられたんだけど………………初めてだよ」

「?」

「僕のことを知らない人に会ったのは」

 僕はそこまで言ったら、急に可笑しくなって笑い出したんだ。

 そしたら、また彼女がキョトンとした顔をして、それがまた可笑しくて一層大きな声で笑ったんだ。

「どうして笑ってるの?」

「あっはっはっ、はぁ〜〜……いや、なんでも無いよ……くっくっ」

「?」

 綾波さんがどういった風に育ったかは分かんないけど、僕の事を知らないのが彼女の当たり前で、僕の事を知ってるのが僕の当たり前だったんだ。

 でも、お互いのそれが崩れたのが僕には可笑しくて、妙に嬉しかったんだ。

 さっきよりは冷めたお茶を飲んで、落ち着きを取り戻した僕は、訊いてみたんだ。

「それで、どうかな? 綾波さんがやりたくないって言うなら、それはそれで構わない。何の説明もせずに連れてきた僕が悪いんだから」

 今まで生きてきて一番心地が良い。

 カヲル君が僕を理解してくれてたって聞いた時よりも、ずっと清々しくて生まれて初めて堂々としていた。

「やるわ」

「本当にいいの? 危険な目に遭うかもしれないよ?」

「構わない」

 そう言った綾波さんは真っ直ぐに僕を見ていた。

「ありがとう。綾波さん」

 そして、僕は右手を彼女に差し出した。

「……さんはいらない。呼び捨てでいい」

 冷たい手で握り返してきた彼女がそう言った。

「分かった。よろしくね、綾波」

「ええ、よろしく、碇君」

 でも、綾波は君付けなんだね。

 まあ、彼女に呼び捨てされるのは何か違う気がするしね。

 そして、僕はすっかり冷めた――僕にとってはちょうどいい適温――お茶を「ずずっ」とすすり、綾波がまだ一滴も飲んでいないことに気が付いた。

「お茶飲まないの? もうぬるくなっちゃったよ。変えてこようか?」

 僕がそう言うと、彼女は湯飲みをそろそろと触り、ゆっくりと口を付けた。

「……猫舌だから」

 そして彼女が湯飲みを置くと、中は綺麗さっぱり残っていなかった。

 綾波も猫舌なんだ。

 そんな共通点を見つけて嬉しくなった僕が自然と笑うと、綾波も微笑んでくれた。

 初めて見た彼女の笑顔はとても綺麗で、見慣れた筈の僕の部屋が、綾波レイと言う名の天使が羽をのばす天使の休憩所に見えた。



 何とか彼女と和解して、ちょっとは雰囲気が和らいだけど、やっぱり緊張して言葉が出てこなかった。

 彼女もペラペラと話すタイプじゃないから、僕の部屋はしん、と静まりかえっていた。

 まあ、そんなよく分かんない空気だったけど、母さんが帰ってきてそれは終わった。

 彼女を見た母さんはビックリしながら嬉しそうにしていた。

 綾波は帰りたそうにしていたんだけど、勿論、僕の母さんがそんな事を許すはず無く、強面の父さん――家の中でも何故かサングラスを掛けている――と、さっき部活から帰ってきたケンジと五人で夕食を囲んだ。

 ケンジは小学校の頃はサッカー同好会に入って楽しそうに汗を流していたが、中学に入ってからは「超科学研究会」といったカヲル君の部活に勝るとも劣らない怪しい部活に入っている。

 何をやってるのかは知らないけど、毎日暗くなるまで頑張ってるんだ。

 そして、綾波を交えて夕食が進んだんだ。

 僕と父さんはいつもの事ながらあまり話さないけど、母さんとケンジは違った。

 母さんは僕と彼女はそんな関係じゃないって言ってるのに、しつこく彼女に質問を浴びせながら楽しそうにしていた。

 ケンジも何かと彼女に話し掛けてニコニコとしていた。

 それに対して彼女はそっけない一言二言を返すだけで、黙々とご飯を食べてた。

 そんなこんなで食事は無事終わって、今、彼女を家に送ってる最中なんだ。

 僕らは並んで歩いてるんだけど、時刻は八時をちょっと過ぎたくらいで、周りには人がまばらに歩いている。

 行き交う人は友達と話したり、携帯で会話したりと楽しそうにしてる中、僕と彼女の間には会話が無い。

 彼女はいつもこんな感じだから何とも思っていないんだろうけど、僕は女の子と二人っきりで歩いたことなんか無いから、すごい緊張してる。

 さっきは二人っきりで僕の部屋にいたのに、そんな事実はすっぽり頭から抜け落ちていた。

 そうして、何を話せばいいのか分からないまま、彼女の家に着いてしまった。

 そこはあまり綺麗とは言い難いちっちゃなアパートだった。

「それじゃ」

 彼女はそう言うと僕から離れていった。

「あ、あの!」

 けっこう大きな声で呼びかけたら、彼女はクルッと僕の方を見た。

「その、また明日」

 何でもっと気の利いたことが言えないんだよ! 僕のバカ。

「……また、明日」

 そして、今度こそ家の中に入っていった。

 僕は閉められたドアを眺めてたんだけど、ハッとして家へと帰っていった。



 僕は見慣れた天井に向かって右手を上に突きだしている。

 綾波の手、冷たかったなあ。

 よく手が冷たい人は心が温かいなんて言うけど、案外本当かもね。

 そんな事を考えつつ、そろそろ右手を上げてるのがだるくなったから、それを降ろして寝転がっていたベッドからムクリと起きあがった。

 ふとドアを見るとケンジが僕を見ながら微笑んでいた。

「お兄ちゃん、綾波さんの事、好き?」

「な、何言ってんのさ! 僕は別に……」

 いきなりそんな事を言ってきたケンジに狼狽して、勝手に部屋に入ってきたことを注意するのを忘れ、つい大声を出してしまった。

「でも、お兄ちゃんがあんなに楽しそうにしてたの初めて見たよ? カヲル先輩といてもあんな顔しないのに」

 あんな顔とはどんな顔だろう。

 それに、僕が楽しそうだったって? いつもと同じ無口だったじゃないか。

「ケンジが期待してるような想いは無いよ。それに、綾波と話したのは今日で二回目だし」

「それなのにもう家に連れ込んだの!? お兄ちゃんって意外とやるね〜」

 心底驚いたって感じだ。

 僕がとやかく言っても口で勝てる相手じゃない。

 何たってケンジはモテる。

 顔は僕とあんまり大差無いように思うんだけど、明るくて優しい性格に超能力の腕は抜群ときたもんだ。

 これでモテない方がおかしい。

 てなわけでケンジはモテるし、可愛らしい彼女もいる。

 そんな男に恋愛の事で勝てる訳がない。

 だから、そうそうにこの話題から引き上げようと試みた。

「そういえば、ケンジのクラスに普通電気自動車の免許を持ってる人はどのくらいいる?」

「いきなりの話題変換だね。まあ、この話はいつかじっくりと教えてね? う〜んと、僕のクラスの友達は電気の力の人は五人って少ないんだけど、その人たちはみんな持ってるよ」

 いつかもなにもこの話(綾波の話)はもうケンジとはしない。

「そう」

 そうだよね、よっぽど力が弱くないと試験に落ちないはずだしね。

「何でそんな事を訊いたの?」

 僕からこの手の話題をふられたことが無いケンジは不思議そうにしてる。

「別に、さっきエレキカーを見たからちょっと気になっただけだよ」

 ていうのは勿論嘘で、彼女の話を避けるために咄嗟に思い浮かんだから。

 僕が誘拐された時、エレキカーを見たことを思いだしたんだ。

 ついさっき彼女とそんな会話をしてたから、頭の片隅に残ってたんだ。

「……じゃあ、おやすみなさい」

 僕と超能力についてあまり話したくないケンジは部屋から出ていった。

「お休み」

 閉じられたドアに向かって言った。

 僕は再びベッドに寝ころんだ。

 また明日彼女に会えると思ったら、早く今日が終わればいいのに、と考えていた。






 いつもの特等席で僕は眠たい目を擦りながら窓の外をボンヤリと見ている。

 昨日は結局、彼女の事を考えていてあまり眠れなかったんだ。

 ふあ〜。

 心の中で盛大にあくびをかいていたら、カヲル君が声を掛けてきた。

「おはよう、シンジ君。何だか眠そうだね?」

 今日もカヲル君はカッコイイ。

「おはよう……昨日はあんまり寝付けなくて……」

「彼女の事でも考えていたのかい?」

 僕の心を読んだかのような発言に、ドキリとした。

「な、なにを……」

「いや、昨日ね、夜八時くらいだったかな? そのぐらいにお腹が減ったからコンビニにお菓子を買いに行ったんだよ」

 まさか……

「そしたら、面白い組み合わせで歩いてる二人が目に入ったんだ」

 確かに、あの辺はカヲル君の家のすぐ近くだけど……

「その二人は何もしゃべって無かったけど、それがまたいい雰囲気で……」

「もういいよ……」

 カヲル君に見られるのは別にいいんだけど、やっぱり恥ずかしいから内緒にしておきたかったのに。

「おや? 何がいいんだい?」

 全く、カヲル君も人が悪い。

「僕もコンビニに行こうと歩いてたら綾波と偶然会ったんだ。それで、暗いからって送ってったんだよ」

 僕の部屋で二人っきりでいたなんて言ったら、もっとからかわれるに違いない。

「ふ〜ん」

 でも、カヲル君はニヤニヤをやめない。

「だから、別に綾波とは……」

「嘘だね」

 さらに言い訳を続けようとした僕を、楽しそうに笑いながら遮った。

「何でさ」

 その態度がちょっと嫌だったから、つっけんどんに答えた。

「シンジ君は昨日まで彼女の事を「綾波さん」と呼んでいただろう? なのに、今は「綾波」と呼び捨てにしてる。僕が昨日、君達を見ていた時は会話なんて全くしてなかった。これはどういうことだろうねえ?」

「うっ!」

 流石カヲル君! って、感心してる場合じゃないよ。

 相変わらず、彼は僕を楽しそうに見てる。

 多分、全部分かってるんだろうな。

「実は……」

 軽く溜息を吐いた後、もう全部話そうと思ったんだけど、彼女が僕らに向かって歩いてきたのが目に入ったんだ。

「……おはよう」

「お、おはよう」

 彼女が僕を見ると、小さな声でそう言ってきた。

 まさか彼女に声を掛けられると思っていなかった僕は、軽くドモりながら答えた。

「ふふ、じゃあ、また後でね? シンジ君」

「あっ」

 僕らの様子を見ていたカヲル君は惣流さんの元へと歩いていった。

 彼の後ろ姿を呆然と眺めてたんだけど、何か強い視線を感じて後ろを向くと、彼女が僕をジッと見ていた。

「な、なに?」

 睨まれてるようでちょっと怖い。

「…………今日は」

「え?」

「今日も碇君の家に行けばいいの?」

 そう言った彼女は小首を傾げた。

 か、かわいい……

 その様子を僕は呆然と見ていたんだけど、返事に答えてなかったことを思い出して、急いで答えた。

「あ、うん。できれば……でも、綾波は用事とか無いの?」

「別に……」

 そう言った彼女の顔が綻んだように見えたのは、僕の妄想なんだろうか。

「は〜い。みんな席に着いて。ホームルームを始めるわよん」

 ふわふわとしてた僕の意識は、葛城先生の元気のいい声によって、いつもの無気力に戻った。

 ざわざわと騒がしかった教室の中は、先生の一言でちょっとだけおさまった。

「それじゃ、出席をとるわね。相田君」

「ハイ!」

「芦原君」

「はい」

「石田君」

「はい」

「井上君」

「はーい」

「小野君……」

 ……て、感じにいつも通り僕を飛ばした出席が始まった。

 これを最初にやられた時は流石に僕も抗議したけど、葛城先生はそんな僕の訴えを無視して取り合ってくれなかった。

 それからは、無駄な抵抗をしないように、僕も大人しくしている。

「…………うん、みんないるわね」

 記入してた出席簿を教卓の上に置くと、先生は楽しそうにクラスを見回した。

 どうでもいいけど、高校になっても一人一人点呼をとるこの学校は普通なのかな?

「こほん! あー、あー」

 わざとらしく発声練習をしてる葛城先生。

「喜べお前達〜! あのネルフ祭が復活する!」

「「「「おぉ〜〜!!」」」

 その葛城先生のわざとらしくも熱の籠もったセリフに、クラスの皆は大声を上げてはしゃぎだした。

 周りを見ると僕と綾波以外は興奮して騒いでいた。

 ふと、綾波を見ると、キョトンとして、何があったの? と、訴えかけているようだった。

 僕は、分からない、と目線で言うと、騒いでる声を聞きながら外を見て考えていた。

 ネルフ祭って、なに?










 あとがき

 この作品は長編じゃなく中編です。予定では7話で終わるように考えていますが、ちょっと延びるかもかもしれません。それでは。