伝統

「懐かしいわね・・・」
私―水野蓉子は、見の前で繰り広げられる乙女たちの戦いを眺めながら呟いた。
今ちょうど行われているのは『玉逃げ』。高等部の第二学年、約二百名全員参加の競技である。
「あははは!いい!由乃ちゃんも志摩子も最高〜!」
ちなみに・・・隣で笑い転げているのは、佐藤聖。私と同じ時期にともに薔薇の名を冠していた人物だ。ついでに言えば、親友だったりする。
その親友の指の先に視線をやると、なるほど、かなり面白い光景だ。
由乃ちゃんが獲物を狙うような剣幕で、紫のかごを背負った志摩子を追いかけまわしている。可哀想に、あんなに必死な様子の志摩子ははじめて見た。
「蓉子、聖。何か面白いことでもあったの?』
人ごみを掻き分けて戻ってきたのは、鳥居江利子。私と聖と同時期のもう一人の薔薇さまで、こちらも親友だ。江利子は既に楽しくて仕方ないというような表情をしている。こんな時の江利子はいつも何らかの騒ぎを起こしてくれたっけ。
「あれよ、あれ。」
「ああ、『玉逃げ』か。懐かしいわね。」


時は2年前。私たちが”つぼみ”と呼ばれていた頃に遡る。
蓉子は薔薇の館の二階、サロン兼会議室の扉の前で大きなため息をついた。お姉さまがわざわざ休み時間に「今日は文化祭の打ち合わせをする」と伝えに来ていなければ、まっすぐに家に帰って不貞寝していただろう。
扉を静かに開け、にっこり笑ってごきげんよう。一連の動作を済ませると、蓉子は部屋の雰囲気がいつもと異なっていることに気がついた。
まずはお姉さま方の席の着き方。普段は、色別というように薔薇さま方は離れて座っておられるのに、今日は横に並んで座っておられる。次に、妹たち及び江利子。何故か江利子が鼻歌交じりにお茶の用意をしていて、一年生はただ立ち尽くしている。
白薔薇さまに無理矢理連れてこられたらしい聖は、いつも通り不機嫌だ。
「お姉さま・・・」
「蓉子さま・・・」
すっかり怯えた様子の二人に、大丈夫よと微笑むと、蓉子は薔薇さま方の背後へと回り込んだ。
「お姉さま方。一体何をなさいましたの?」
「私は何もしてないわよ?」と、白薔薇さま。
「いいじゃない、面白そうなんだから。」と、黄薔薇さま。
「あら、貴女も機嫌がよくないようね。何かあったのかしら?」と、お姉さま。
さすがは私たちのお姉さま。私たちが同じ状況になった場合に妹に返すであろう言葉をそのままおっしゃってくださった。やはり似たもの姉妹ということか。だが、ここは感心している場合ではない。原因を解明して、この状態を何とかしないことには、落ち着いてお茶を飲むことさえできない。
「私は少しクラスで面白くないことがあっただけです。」
はぐらかすなど絶対に不可能だということは身をもって知っていたので、蓉子は素直に答えた。かなり簡潔にだが。
「あら、蓉子がそんなこと言うなんて珍しいわね。」
「本当に。江利子なんかは毎日のように言っているけれどね。」
「それで、聖と江利子ちゃんはどうしたのかしら?」
白薔薇さまに問われた二人はというと。聖はあろうことか自らのお姉さまを睨み、江利子は不気味さ三割増しの笑顔を私たちに向けた。はっきり言ってかなり怖い。そんな中、お姉さまがにっこり微笑んで私に視線を送ってきた。詳細を求められている。蓉子は抵抗するのを諦めた。
「今日、HRで体育祭のエントリーを決めたんですけど、それで『色別対抗リレー』と『玉逃げ』のか・・・・」
『ガタンッ!』
突然、他のつぼみ二人が立ち上がったので、蓉子は驚いて話すのを止めた。
「ふふふふふ・・・」と、当然、黄薔薇のつぼみ。
「蓉子、も、なの・・・?」と、白薔薇のつぼみ。
「『も』って?・・・続きを言わせていただくと、『玉逃げ』のかごを背負う役を押し付けられたんです。」
思い出すだけでもため息がでる。蓉子は怯えまくりの一年生二人を呼び寄せ、適当に用事を与えて、部屋から逃がしてやった。巻き添えを食らうのはあまりにも可哀想だ。
「なるほど。江利子は面白そうだからと、かごを背負う役に立候補した、と。」
「聖のほうは蓉子ちゃんと一緒で、かごを背負う役と、たぶん『色別対抗リレー』も押し付けられたのね。」
さすがは薔薇さま。ただ妹が席を立つ、それだけで簡単に理解してしまえるなんて。ただただ尊敬するばかりだ。
「伝統だからね、耐えなさい。」
お姉さまが言ったその一言に蓉子は一瞬既視感を覚えたが、すぐに忘れてしまった。


「・・・『玉逃げ』の逃げる役するのって、山百合会の伝統なんだってね。」
笑い疲れたのか、大人しく競技を見ていた聖が突然口を開いた。
「確かに私と聖のお姉さまは逃げていたわね。」
「でも、それだけじゃあ伝統とは・・・」
途中まで口にしたところで、蓉子はふと思い出した。
「蓉子?」
「二人とも、山百合会の伝統っていくつかあるの知っていた?」
いいえ、と首を横に振る江利子と聖。
「私はお姉さまから聞いたのだけど・・・一つ目は性格。色別にだいたい決まっているそうよ。二つ目は、妹への接し方。たぶん令は例外だけど。」
「性格ねぇ・・・。紅は生真面目。黄は猪突猛進?」
言いえて妙。蓉子は素直に関心した。蓉子の知る紅薔薇・黄薔薇ファミリー計10人のうち、自分を含むほとんどがその特徴に合致する。
「失礼ね。じゃあ、白は優柔不断じゃない。これは聖と志摩子だけかしら?」
こちらの言にも納得。二人の共通点は妹となる下級生に出会ってから妹にするまでの期間の長さ、ということか。片や半年、片や2月。随分と差があるが、どちらも薔薇ファミリーでは破格の長さである。
「どうせ私は一年半妹作ってませんよ・・・。江利子は令と由乃ちゃんで遊んでただけじゃない。」
「そうよ。だってあの二人面白いんですもの。それに私のお姉さまやお祖母さまだって同じだったじゃない。これは黄薔薇の伝統なのよ。蓉子も言ってたけど、令は例外。」
とうとう開き直った。流石は江利子、自分のことも正しく分析できている。
「紅は・・・優等生よね。姉妹制度のあるべき姿に一番近い。姉は正しく妹を導き、指導する。一年生は三年生に自然に敬意を抱いてて、三年生は妹たちを優しく見守ってるけど、実は妹たちが可愛くて仕方ない、と。」
聖の分析に蓉子は反論の言葉を持たなかった。正しく言い当てられすぎて笑いが漏れた。が、ただやられるだけでいられる蓉子ではない。
「じゃあ、次は白ね。白は・・・端から見たら放任主義。でも、妹は姉を慕っているし、姉も妹のことを気にかけている。だけど、姉は直接的な干渉を避けるから、妹は気づきにくい。でも、今年度の白薔薇のつぼみはどうなのかしらね?」
お見事!と江利子が手を打ち、聖は気まずそうに余所を向く。が、突然思い立ったように口を開いた。
「ねえ、蓉子。『なんとかが姉で、妹がなんとか』ってやつ。誰から教えてもらったの?」
「なんとか?・・・ああ、『包み込んで守るのが姉で、妹は支え』?お姉さまからよ。」
「蓉子から祥子へ、祥子から祐巳ちゃんへ。これは紅薔薇に代々伝わる格言ね。」
ここにも伝統が一つ。江利子に言われて初めて気づいた。誰がこの言葉を妹に伝えだしたのかはわかならいが、蓉子は心が温かくなったように感じた。
「白と黄は?何かあるの?」
「白は『大切なものができたら、自分から一歩引きなさい』かな。私がお姉さまから言われたんだけど、志摩子にも教訓として伝えといた。」
なるほど、聖らしい。
「黄は『思い立ったが吉日』。私はお祖母さまから教えてもらったの。私はもちろん由乃ちゃんに伝えたし。お姉さまも令に言ったみたいだけど、よく理解できなかったみたい。」
それはそうだろう。令は黄薔薇ファミリーでも異色の存在なのだ。
「で、かご背負いも伝統の一つ、と。」
しみじみと聖がつぶやいたとき、パーンとピストルの音が鳴り響いた。
「嫌な伝統だよね。あれ、痛くはなかったけど、かなり怖かったもん。なんで休まなかったんだって、すごく後悔した。」
「結局、どの色が勝ったのだった?」


「蓉子さん、お願い。」
またか、蓉子は思った。教壇に立ち、クラスメイトたちと顔を合わせた状態で蓉子は密かにため息をついた。本来ならば、ここには体育祭実行委員が立っているべきなのだ。それなのに何故蓉子が壇上にいるのかというと、例によって例の如く、頼まれたのだ。先ほどと全く同じ台詞で。
クラスメイトの前に立つだけで緊張する?ふざけないでほしい。それならば、誰も見知った人物のいない中で新入生代表の挨拶をやらされた私はどうなるのだ。心の中で悪態を吐きながら、表面上はあくまでにこやかに微笑み、蓉子は先ほどの言葉の主を見た。
「蓉子さん、走るのも速かったでしょう?たぶん、クラスの中でも速いほうだと思うの。」
だからどうしたというのだ。結局は自分たちがやりたくないだけではないのか。
「だから、お願い。ね?」
返事をしない事を肯定だと勝手に解釈し、彼女は『玉逃げ(かご)』の横に『水野』と記した。
その日、薔薇の館でのお姉さまの「伝統だからね、耐えなさい」という言葉をきっかけに蓉子は一つのことを悟った。伝統とは、否応なしにやってくる試練のようなものだ、と。

「あ、私、それやります。」
片手を上げながら席を立った江利子に、周りは呆然としている。
「え、江利子さん?本当にいいの?」
驚くのも当然だ。『玉逃げ』のかごを背負って逃げる役は、全くといっていいほど人気がない。つまり、毎年クラスメイトの中で押し付け合いをするのが普通だという。だからこそ、江利子はやりたかった。珍しい物好きの江利子にとって、逃すことのできないターゲットなのだ。
「ええ、もちろん。」
にっこりと微笑む。
「そ、そう。じゃあ、お願いするわね。」
ふふふふ、今年の体育祭は楽しくなりそうだ。

「・・・さん、・・聖さん!」
突然傍で叫ばれて、聖は顔を上げた。見上げるとそこにはで確か、体育祭実行委員のクラスメイト。
「何か?」
無愛想に答えると、相手が怯んだのがわかった。まずい、これでは相手が言いたいことをきちんと話せなくなってしまう。
「えっと、あの。さっきのHRで体育祭のエントリーを決めていたのだけど、聖さん聞こえていないようだったから、こちらで勝手に決めてしまったの。」
なるほど、そんな話をしていたなんて全く気がつかなかった。
「それで?」
「申し訳ないのだけど、『色別対抗リレー』と『玉逃げ』の逃げる役、をお願いしたいの・・・。」
眉間にしわがよったのがわかった。そして、さらに相手が怯んだのも。
「わかったわ。話をちゃんと聞いていなくて、ごめんなさいね。」
聖は大きくため息を吐いた。今日は薔薇の館に行かなければいけないというのに、気分は最悪だ。


体育祭当日。蓉子はただただ逃げまくった・・・わけではない。なんと、かごを背負いつつ自らも玉を投げていたのだ。目標は聖と江利子。やるからにはあの二人には負けたくない。そして、たぶん賭けをしているであろうお姉さまを負けさせるわけにはいかなかった。
「蓉子、よくやったわ。」
玉逃げを終え応援席に戻る途中、玉入れへと向かうお姉さまが言った。
「お姉さま?聖と江利子のどちらにも勝てませんでしたけど・・・?」
そうなのだ。結局、蓉子たちのチームは聖チームにも江利子のチームにも負けてしまった。それなのに、お姉さまはにこにこと微笑んでいらっしゃる。
「違うのよ。貴女のかごに入っていた玉の数が一番少なかったの。だから、貴女と私の勝ち。後で、苺牛乳奢ってもらいましょうね。」


「あ〜!!そうだった!私、負けたんだ。確か勝ったのは蓉子だったような気がする。」
「あら?私のチームが一番だったけど・・・何故かしら?お姉さまに文句を言われた気がするわ。」
「私も言われたよ。『試合に勝って勝負に負けた』とか。」
白薔薇さまらしい。その時の聖の表情まで容易に想像できる。
「おかげで私は無料で苺牛乳飲めたわ。・・・聖、志摩子に会いに行ってきたら?もうすぐ出てくるわよ?」
「そうだね。蓉子も行こうよ、祐巳ちゃんもいるし。江利子は・・・いや、いい。もう遊んできたんだね。」
聖が確認すると江利子は、もちろんと微笑んだ。由乃ちゃんも可哀想に。
「ふふっ・・・」
「どうしたの?」
志摩子に会ったら絶対あの言葉を言おうと蓉子は決めた。その時の白薔薇姉妹の反応が楽しみだ。
「志摩子〜。」
「お姉さま!紅薔薇さま!」
聖が声をかけると、志摩子は嬉しそうに微笑んだ。が、その姿は少しやつれている様な感じがしたのも、決して気のせいではないだろう。
「こらこら、今は祥子が紅薔薇さまでしょう?お疲れ様、逃げるのはどうだった?」
「みんな怖くて・・・特に由乃さんが。あっ・・・」
口にしてから慌てて周りを見回す志摩子。そろそろ頃合か。
「私たちも逃げたからよくわかるわ。でもね、志摩子。」
「はい?」
何を言い出すのかと、聖も不思議そうな表情。
「『伝統だからね、耐えなさい。』」
聖は腰砕け、志摩子は青ざめた。これは二人とも聞き覚えのありすぎる言葉であったらしい。そんな二人を尻目に蓉子は鼻歌交じりで江利子のところへと戻る。新聞部のあの編集長に見つかれば、『スクープ!元紅薔薇さまご乱心!?』のような記事を書かれてしまうかもしれないが、それはそれで面白い。
たまにはこんな日もあったっていいだろう。今までお姉さま方にはからかわれ、掌の上で転がされ、同級生には仕事を押し付けられて、妹たちにも同じようにしてきたけれど。たまには。
上級生が下級生をからかうのも、掌の上で転がすのも、薔薇さまが賭けを好むのも、山百合会の伝統。
恐るべし、山百合会・・・。
 
 
黄薔薇放送局 番外編

江利子「よ〜しのちゃん♪ うふふふふぅ」
由乃 「な、なんですか黄薔薇さま……」
江利子「いや、頑張ってるかなぁ〜と思って♪」
由乃 「なっ。それは本編の話じゃないですか!」
江利子「とんでもない。今回ちらりと出たじゃない。体育祭でのこと」
由乃 「そ、それにしたって関係なさすぎます! だいたい時系列が……!」
江利子「ある時は本編。またある時は番外。しかしてその実態は……」
由乃 「な、なんだっていうんですか」
江利子「なんでもあり」
由乃 「(ガクリ)」
江利子「真剣に考え過ぎよ、由乃ちゃん
	おもしろければいいのよ、なんだって♪」
由乃 「はい、どうせそんなことだと思いましたよ……
	ええ、一瞬たりともまともな回答が返ってくるかもと思った私が馬鹿でしたとも……」
江利子「うもう、由乃ちゃんたらぁ〜。……でも真剣に探そうとしているみたいじゃない」
由乃 「まぁ、時期も時期ですし。別に江利子さまに張り合って、という意味じゃないですけどね!」
江利子「はいはい(クスクス)わざわざイタリアでの悩む顔、なかなか良かったわよぉ〜」
由乃 「…………ムキー!」
江利子「蓉子もせっかくだからこれくらい羽目を外せばよいのにねぇ〜♪」

あとがき

はじめまして、ごきげんよう。白藍と申します。
創作小説を書くのははじめてではないのですが、投稿、掲載ははじめてですので、とてもどきどきしています。
先代の三薔薇さまのからみが書きたかったのですが、いつの間にか蓉子さまが暴走してしまいました(汗)
格言や伝統はあくまで私の想像ですので、気に障ったらすみません。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。