ただ一人の

卒業式を翌日に控えた日の放課後、聖は三年藤組の教室にいた。
「愛しているよ、か・・・」
これは、先ほど思いがけない餞別をくれた祐巳に対していった言葉である。「誰にでも言っているんでしょ?」という祐巳の問いには、肯定したが、ただ一人、最も大切な人にだけは未だに言えないでいた。
「我ながら情けないな・・・」
軽くため息を吐いて、聖は鞄と忘れ物の入った紙袋を持って歩き出した。後ろ手で教室の扉を閉めて、大きく深呼吸を一つ。
その時だ。
「お姉さま・・・!」
志摩子が息を乱しながら駆け寄ってきたのは。
「志摩子、どうしたの?」
聖は内心の動揺を必死に押し隠した。何故だかわからないが、志摩子にだけはこの動揺を悟られたくなかった。
「お姉さまと・・・お話が、したくて・・・少しお時間をいただけますか?」
「うん、いいよ。じゃあ、行こうか。」
「はい。」
何処へ、とは言わない。向かう場所など一つしかないのだ。多くの時間を共有してきた、薔薇の館、ただ一つだけしか。二人並んで無言で廊下を歩く。
思えば、姉らしいことなど一つもしてこなかった。こうやって共に歩くことすらほとんどなかった気がする。自分はお姉さまからいろいろなことをしてもらっておいて、妹にそれをしないのはずるいのかもしれない。でも、自分と志摩子はこのように関わるのが一番よいのだ、と聖は自分自身に言い聞かせた。
ふと、視線を上げるとその先には薔薇の館。そのまま斜め下に視線をスライドさせると、心配そうに見上げる志摩子と目が合った。
「お姉さま、どうかなさいましたか?」
「いや・・・後でコーヒー淹れてくれる?」
「はい。お湯が沸いてないと思いますので、少し待ってくださいね。」
古くてぎしぎし音が鳴る階段をほとんど音も立てずに志摩子は上っていく。一段一段上るたび、志摩子のウェーブのかかった髪が微かに揺れた。
ビスケットの形に似た扉から会議室兼サロンに入ると、聖はごく普通に志摩子の鞄を受け取り、先に席についた。
そのままぼーっと窓の外を眺めながら、志摩子が飲み物を準備する音を聞く。なんて心地よいことだろう。
「そう言えばさ、志摩子、祐巳ちゃんに私の通う大学言ってないの?さっき会ったんだけど、知らないみたいだったよ。」
「そうなのですか?もう知っているとばかり思っていました。・・・お待たせしました。」
聖はありがとう、と言ってカップを受け取り、香りのいいコーヒーに口を付けた。
「・・・・・」
「・・・・・」
この沈黙もいつもと同じ。自分と志摩子の関係は卒業を前にしても変わることはないらしい。もっとも、今日に限り志摩子は私を探して廊下を走ったりしていたけれど。そんなことをされると、こちらとしても柄にもないことをやりたいと考えてしまうではないか。
志摩子のカップが空になるのを見計らって、聖は立ち上がった。
「コーヒーと紅茶、どっちがいい?次は私が淹れるよ。」
お姉さまにそんなことさせられません、と頑なに主張する志摩子に折れて、聖は苦笑しつつ手伝いを頼んだ。
「本当、志摩子は頑固だよね〜。見た目そんな感じじゃないのに。」
先ほど使ったカップを志摩子に洗ってもらっている間に、聖は手早く二人分の紅茶の準備をする。あとは蒸らすだけ、という所で、志摩子が驚いたという表情のまま固まっているのに気がついた。
「まさか、私がコーヒーしか淹れれないとでも思ってた?」
「いえ・・・ただ、とても手際がよいので参考にしようかと。」
「志摩子に紅茶淹れるのは初めてかな?最近は、三年しかいないときだけしか入れる機会ないし。知ってた?私がいるときは蓉子も江利子も自分で淹れないんだよ。二人ともうまいのに。」
カップに紅茶を注いで、テーブルへと戻る。そして、二人並んで席に着いて紅茶を一口。
「おいしいです、お姉さま。」
「そっか、それはよかった。私さ、一・二年のときほとんどここに来てなかったのは知ってるよね?その理由、面倒だったって言うのもあるけど、お姉さまにお茶淹れるの嫌だったんだ。」
「どうしてですか?」
聖は立ち上がり窓のほうへと向かうと、そのまま窓枠に腰掛け外へと視線を向けた。
「私のお姉さま、かなり味にうるさかったんだ。そのくせ私が来てる時には必ず私にお茶を淹れさせるし、自分の好みに合うのを飲めるまで、何度もお代わりするわけ。そのおかげでお茶を淹れるのはうまくなったんだけどね。」
窓の外に見えるのは中庭。銀杏の季節から桜の季節へともうほとんど変わりきっている。
「ここで飲む最後のお茶は志摩子と、って決めてたんだ。」
「お姉さま・・・。」
聖は窓枠から下り、志摩子の座る椅子の後ろへ立った。そのままふわりと抱きつく。普段祐巳にしているようなものでなく、とても自然に優しく。
「愛しているよ、志摩子。志摩子を妹にできてよかったと、本当に思う。」
「私も、お姉さまの妹になれてよかったです。・・・ここに残る私がお姉さまのためにできることはありませんか?」
首を回した志摩子と視線があう。志摩子の目は潤んでいた。たぶん私もそうなのだろう。
「そうだね・・・白薔薇さまに手を出したりする勇気のある二年生なんてきっと静以外にいないだろうけど・・・。これは遺言じゃなくて、お願い、かな?・・・私が卒業したら、志摩子は新しいお姉さまを持つことだって可能だけど、私以外にお姉さまを持たないで。私にとって妹は志摩子ただ一人だから。」
「もちろんです!私もお姉さまは佐藤聖さま、ただ一人です!」
「ありがとう、志摩子」
志摩子が泣き止むまで少し待ってから洗い物を済ませて、私たちは薔薇の館を出た。
私の右手と志摩子の左手を繋いで。
きっと卒業してもこの関係は変わることなく続いていくのだろう。
片手だけ繋いでいた、という事実は消えはしないのだから。
 
 
黄薔薇放送局 番外編

江利子「そういえば私たちまだ決着付けていなかったわよね、由乃ちゃん」
由乃 「そうですけど…… ここではしませんからね」
江利子「あらどうして?」
由乃 「ここだとインチキされるに決まってるからじゃないですか」
江利子「失礼ね由乃ちゃん。令のことなら何もしなくたって私の勝ちよ」
由乃 「そんな訳ありません」
江利子「……なんだかんだいって負けるのが怖いのでしょう?(ふふり)」
由乃 「なっ! ……ご想像にお任せしますわ。
	(落ち着いて由乃、いつもの手よ絶対に乗らない、乗らない……)」
江利子「そう、やっぱり怖いのね。趣味の割に弱腰ねぇ」
由乃 「どうしてそうなるんですか!」
江利子「だって、想像に任せるって言ったじゃない」
由乃 「またそんな子供じみたことを…… 良いでしょう、受けて立ちます!」
江利子「(ニヤリ) じゃぁ令の胸部のほくろの位置はどこかしら?」
由乃 「左胸の右ななめ下!」
江利子「……へぇやるじゃない」
由乃 「……どうして黄薔薇さまが知っているかは後回しにします。
	では令ちゃんの一番好きな下着の色は分かりますか?(フフン)」
江利子「桃色に決まってるじゃない。ちなみにフリルの付いたのが好きなのよね」
由乃 「くっ!」
江利子「では令が一人で駅に行った時、密かに眺めてため息をついている服装は?」
由乃 「三丁目の『Victorianmaiden』のゴシック&ロリータ!」
江利子「……買っていない物まで知っているなんて。
	由乃ちゃん、またストーカー行為でもしているの?」
由乃 「……それは黄薔薇さまでは?」
二人 「ふっふっふっふっふ……」

……
……

乃梨子「……いつまで続くのですかね、令さま。 ……令さま?」
令  「あ、あわわ、あわわわわ……
	(ゆでたこのように真っ赤になってフリーズ)」
乃梨子「……」

あとがき

ごきげんよう、白藍です。
再びこちらに投稿させていただくことになりました。
「愛しているよ」と聖から志摩子に言わせたくて、このSSを書き始めたのですが、思っていたより長くなってしまいました。
感想・批評なんでも構いませんので、送っていただけるとうれしいです。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。