超人機エヴァンゲリオン

第17話

四人目の適格者

 暗闇の中にミサトの姿が浮かび上がり、同時に人類補完委員会議長キールの声が響く。
 先の戦闘でディラックの海―――[使徒]の体内に取り込まれたシンジ。言わば[使徒]と接触した事になるが、それに対する尋問をミサトが拒否した為、代わりに彼女が査問委員会に召集されたのだ。
 「では、聞こう。葛城三佐。」
 「先の事件、使徒が我々人類にコンタクトを試みたのではないのかね?」
 「被験者の報告からそれは感じ取れません。イレギュラーな事件と推定されます。」
 「被験者の記憶が正しいとすればな。」
 「記憶の外的操作は認められませんが。」
 「EVAのACレコーダーは作動していなかった。確認は取れまい。」
 「使徒は人の精神…心に興味を持ったのかね?」
 「その返答はできかねます。果たして使徒に心の概念があるのか、人間の思考が理解できるのか、全く不明ですから。」
 「今回の事件には使徒がEVAを取り込もうとした新たな要素がある。これが予測される第十三使徒以降とリンクする可能性は?」
 「これまでのパターンから、使徒同士の組織的な繋がりはほぼ否定されます。」
 「左様、単独行動である事は明らかだ。…これまではな。」
 「それは、どういう事でしょうか?」
 「君の質問は許されない。」
 「はい。」
 「以上だ。下がりたまえ。」
 「はい。」
 査問は終了し、ミサトは退出した。
 その直後、ゲンドウと人類補完委員会が現れた。
 「どう思うかね?碇君。」
 キールがゲンドウに問う。
 「使徒は知恵を身に付け始めています。残された時間は…。」
 「あとわずか、という事か。」
 時は確実に迫っていた。

 第三新東京市内にある総合病院の廊下を歩くトウジ。EVA初号機の初めての戦闘時に負傷して以来、ずっと入院中の妹の見舞いに来たのだ。
 トウジを見かけた看護婦達は、トウジが妹想いのいい兄だと感心していた。
 同じ頃、ネルフ本部内の移動式通路でゲンドウとレイが会話を交わしていた。
 「レイ、身体の調子はどうだ?」
 「はい、問題有りません。明日は赤木博士の所に行きます。明後日は学校へ。」
 「そうか…学校の方はどうだ?」
 「問題有りません。」
 「そうか…ならば、いい。」
 ゲンドウは何かを考えるかのように口を噤んだ。
 そんなゲンドウにレイは疑問を感じていた。
 “…話す事はいつも仕事の事ばかり…私の事を気遣ってくれているようでも、本当は他の人の事を思っている………何故だろう、前はこんな風には思わなかったのに…ずっとこの人だけを信じていたのに………いえ、理由ならわかる…それはきっと、碇くんに会ったから…。”

 「起立、礼、着席。」
 いつもの授業が始まろうとしていた。
 老教師はグルリと教室を見渡し、出席簿を開く。
 「欠席は相田君と綾波さんですか。」
 レイの欠席理由は大体わかるのだが、ケンスケの欠席理由はわからないシンジはトウジに訊いてみた。
 「ケンスケ、どうしたの?」
 「新横須賀…今日も戦艦の追っかけや。妙高とかいうのが入港しとるんやと…。」
 「ふーん。」
 「鈴原…鈴原!」
 「は、はい!」
 呼ばれたのに気付いたトウジは慌てて起立して気を付けした。
 「貯まっているプリントを綾波さんに届けておくように。」
 「は、はいです。」

 その頃、衛星軌道上からも確認できる程の赤い光がアメリカ大陸中央部で輝いた。そしてその異常はネルフ本部でもキャッチされていた。
 「とにかく第一支部の状況は無事なんだな!?…いいんだよ、偵察機の誤差はMAGIに判断させる!」
 「5番艇からの情報を送ってくれ!最優先だ!現地ノイズはこちらに!」
 いつもの[使徒]の襲来時とは違う警報音が発令所に鳴り響き、日向と青葉が大慌てで対応に追われている。

 「消滅!?」
 司令公務室で電話を取った冬月は報告の内容に思わず大声を出した。
 「確かに第二支部が消滅したんだな!?」
 『はい。全て確認しました。消滅です。』
 聞き返す冬月に、青葉は‘VANISHING’―――消滅と表示されたモニターを見て答えた。

 分析室ではアメリカ第二支部消滅の原因調査が行われてようとしていた。
 「参ったわね…。」
 「上の管理部や調査部は大騒ぎ、総務部はパニクってましたよ。」
 ミサトのぼやきに日向も追従する。
 「で、原因は?」
 「今だわからず。手掛りはこの衛星からの映像だけで、あとは何も残ってないのよ。」
 ミサトが問うとリツコが右手を少し挙げ、それを合図にマヤが床の巨大モニターに映る静止衛星の録画映像を巻き戻した。
 「10…9…8…7…6…5…4…3…2…1…コンタクト。」
 クレーターから映像は巻き戻ってアメリカ第二支部になっていたが、コンタクトの直後、一瞬だけ白く光ったと思ったら、中心に出来た赤い丸の光がドンドンと広がり、最後はモニター全体が赤くなった。その直後、映像はサンドストームに変わった。地上から遥か離れた衛星軌道にまで衝撃波が達したらしい。
 「…酷いわね。」
 映像が切れた途端、ミサトは声を漏らした。
 「EVA四号機、並びに半径89キロ以内の関連研究施設は全て消滅しました。」
 「数千の人間も道連れにね。」
 マヤの報告に、リツコはまるで感情のこもらない声で補足した。
 「タイム・スケジュールから推測して、ドイツで修復したS2機関の搭載実験中の事故と思われます。」
 「予想される原因は材質の強度不足から設計初期段階のミスまで32768通りです。」
 わずかな情報量から推測された当時の状況を青葉が報告し、それを関連付けるMAGIから出された膨大な原因結果数をマヤが報告した。
 「妨害工作の可能性も有るわね…。」
 ミサトは腕を撫して唸る。
 「でも、爆発ではなく、消滅なんでしょ?つまり、消えたと。」
 何か疑問を感じた日向が確認の言葉を挟んだ。
 「多分、ディラックの海に飲み込まれたんでしょうね。先の初号機みたく。」
 リツコが自分なりの見解を述べた。
 「じゃあ、せっかく直したS2機関も?」
 「パーよ。夢は潰えたわね。」
 「拾っただけでよくわからない物を無理して使うからよ。」
 “それはEVAも同じだわ。”
 ミサトの吐き捨てた言葉には応えず、リツコは眉間に皺を寄せ、心の中で呟いた。

 会議が終わって引き上げてきたミサトとリツコは長いエスカレーターに乗っていた。
 「…で、残った参号機はどうするの?」
 「ここで引き取る事になったわ。米国政府も第一支部までは失いたくないみたいね。」
 「参号機と四号機はあっちが建造権を主張して強引に作っていたんじゃない。今さら危ないとこだけ、うちに押しつけるなんて虫の好い話ね。」
 「あの惨劇の後じゃ、誰だって弱気になるわよ。」
 「で、起動試験はどうするの?例のダミーなんとかを使うのかしら?」
 「これから決めるわ…。」
 リツコは意味有り気な視線を背後のミサトに向けながら淡々と答えた。

 薄暗い巨大な空間の天井からクレーンで吊されている巨大な赤い筒。その形状はEVAのエントリー・プラグに酷似している。それを見上げている、リツコとゲンドウ。
 「試作されたダミー・プラグです。レイのパーソナルが移植されています。」
 確かにそれには‘REI/DUMMY PLUG/EVANGELION−2015/REI−00’のプレートが付いていた。
 「ただ、人の心、魂のデジタル化は出来ません。あくまでフェイク、擬似的な物に過ぎません。パイロットの思考の真似をする、ただの機械です。」
 「信号パターンをEVAに送り込む。EVAがそこにパイロットがいると思い込み、シンクロさえすればそれでいい。」
 「まだ問題が残っていますが…。」
 「構わん。EVAが動けばいい。」
 「しかし…。」
 「初号機と弐号機にはデータを入れておけ。」
 「…はい。」
 ネルフ・アメリカ第二支部の消滅の事実から、リツコは不完全なシステムの使用には不服のようだったが、ゲンドウはあくまで実質のみを求めているようだった。

 「参号機の運搬はUNに一任してある。週末には届くだろう。後は君の方でやってくれ。」
 ゲンドウとリツコはターミナル・ドグマの一室に来ていた。
 「はい。調整並びに起動試験は松代で行います。」
 ネルフ本部を使わないのは、勿論、万一を慮っての事だ。
 「テスト・パイロットは?」
 目の前の巨大なチューブの中にはいつぞやと同じく全裸のレイが目を閉じて静かに佇んでいる。
 「ダミー・プラグはまだ危険です。現候補者の中から…。」
 「…四人目を選ぶか。」
 「はい。一人、速やかに‘コア’の準備が可能な子供がいます。」
 「赤木博士、君に任せる。…レイ、上がっていいぞ。」
 「はい。」
 チューブの中のレイがゆっくりと目を開けて返事をした。
 「上がったら食事にしよう。」
 「はい。」
 レイに暖かな視線を向けるゲンドウ。その表情は穏やかだ。
 だが、床の魔方陣のような模様からの光のせいか、背後のリツコの眼差しは冷たく感じられるものだった。

 第壱中で四時間目終了のチャイムが鳴り響いた
 「さぁ〜て、メシや、メシ!なんつったって、学校最大の楽しみやからな!」
 トウジはご機嫌な顔で机の上にパンを並べていく。
 「ちょっと、シンジ!何よこれっ!」
 アスカの怒鳴り声がしたので、トウジは何事かと目を向けた。
 「何って、アスカのお弁当だよ。」
 「ちーがーうっ!何でおかずに私の嫌いなニンジンが入ってるのよ!」
 「アスカ、好き嫌いしちゃ駄目だよ。」
 「何や、また夫婦喧嘩かいな!」
 トウジの突っ込みに言い得て妙の二人は顔を真っ赤にした。
 「ヒューヒュー!」
 「いよっ、御両人!」
 「お熱いね〜。」
 トウジの突っ込みに続いて周囲の生徒達が二人を囃し立てた。
 「勝手に言ってろっ!!」
 シンジとアスカは肯定とも否定とも違う言葉で怒鳴り返した。
 周囲が爆笑する中、二人が羨ましいヒカリはただ一人笑う事が出来なかった。

 ミサトはリツコの研究室へ来ていた。重要な話が有ると言われて来たのだ。
 「で、話って何?」
 「松代での参号機の起動実験、テスト・パイロットは4人目を使うわよ。」
 「4人目っ!?フォース・チルドレンが見つかったの!?」
 思わずミサトは振り向いた。
 「昨日ね…。」
 「マルドゥック機関からの報告は受けてないわよ?」
 ミサトの目が険しくなり、リツコの背中を睨む。
 「正式な書類は明日届くわ。」
 会話が途切れた。ミサトはこのタイミングの良さを不審に思う。リツコはそれさえも百も承知だ。
 「赤木博士…私に何か隠し事していない?」
 「…別に。」
 「ま、いいわ。…で、選ばれた子って?」
 ミサトはリツコの脇に立ち、ノート・パソコンのモニターを覗き込んだ。
 リツコがキーボードのボタンを1つ叩いてモニターにその人物の写真を表示した。
 「えっ!?…よりにもよって、この子なの?」
 その人物は自分もよく知っている少年だった為、ミサトは困惑の表情を浮かべた。
 「仕方ないわよ。候補者を集めて保護してあるんだから。」
 「話し辛いわね、この事…アスカはいいのよ、EVAに乗る事にプライドを掛けているもの。レイも例外として…でも、このコはシンジくんの………。」
 ミサトの心の中に複雑な思いが交錯する。それはシンジ達に対する情ゆえだからだった。
 「でも、私達にはそういう子供が必要なのよ。みんなで生き残る為にね。」
 リツコはゲンドウに影響されているのか、それとも科学者ならではなのか、目的が最優先のようだ。
 「綺麗事は止めろ。…と言うの?」
 リツコの最後の台詞に嫌悪感を感じるミサトはリツコに鋭い横目を向けた。

 放課後、トウジが帰宅準備をしていると、横からプリントの束が突きつけられた。
 「鈴原!今日から週番なんだからちゃんとやりなさいよ!」
 「そういや、綾波にプリント届けろって頼まれとったなぁ…でも、女の家に一人じゃ行けへんしな…。」
 自称・硬派のトウジとしては辛い用事だった。それこそヒカリの思惑どおりだった。
 ヒカリは待ってましたとばかりに口を開いた。
 「それなら、私が一緒に…。」
 「おっ、シンジ!ちょっと一緒に付き合うてくれんか?」
 トウジはヒカリの言葉を聞かず、シンジを呼び止めて同行を頼んだ。
 「いいけど…?」
 シンジはヒカリが自分をムッとした表情で見ているのに気付いた。
 「何?委員長?」
 「何でも無いわ!」

 「気付いたんだけどさ、委員長ってトウジに文句ばっかり言ってるよね。」
 道すがら、シンジは先程のヒカリの態度が気になってトウジに話を振った。
 「そう言えばそうやな。ワシ、注意されてばっかりや。」
 トウジは腕を撫して首を捻る。
 「うーむ…ワシってそんなにだらしないんやろか?」
 「その通りだよっ。」
 と、いきなり後ろからクミが現れてトウジの背中をどやし付けた。
 「どわっ!?いきなり何するんでっか、真辺先輩!」
 「気にしない、気にしない。重要なのはどうして彼女がトウジくんにばっかり小言を言うかという点よ。何故だと思う?」
 「それは多分、自分が言わなかったら、後でトウジが先生に怒られるから、じゃないでしょうか?つまり、委員長としての責務みたいな…。」
 シンジが推論を述べた。が、そう言って何か引っ掛かる物を感じるシンジ。
 「うーん、70点というところかな?」
 「何や、そうだったんかいな。」
 70点だとクミが言ってるのに、既に納得のトウジ。
 「彼女はおそらく、トウジくんの為にわざわざ注意してくれてるのよ。わざわざね。」
 クミはわざと「わざわざ」という言葉を繰り返してトウジに言った。
 「ワシの為でっか?うーん、何でやろ?」
 「…え?」
 ここまで言っても気が付かないトウジの鈍感さにさしものクミも目が点になった。

 シンジの案内でトウジはレイの家にやって来た。だが、前と同じく、ドアチャイムは壊れたままだった。
 「綾波…いないの?…入るよ?」
 「お、おいシンジ!勝手に入ってええんか!?」
 トウジは慌てるが、一度来ているシンジはもう慣れている。
 「仕方ないよ。どうせポストに入れたって読まないだろうし。」
 シンジの言うとおり、ドアのポストには郵便物やらチラシやらが何枚も挟まったままになっていた。
 二人はドアを開けて中に入った。レイは不在だった。
 「何や、これが女の部屋かいな。無愛想やな。」
 「取り敢えず、プリントは枕の所に置いときなよ。そうすれば寝る時に必ず見ると思うよ。」
 「お、そうか。」
 トウジがプリントを置くと、シンジはベッドの周りのゴミを片付けていた。
 「何や、勝手にいじったら怒られるで。」
 「片付けてるだけだよ。」
 「…ワシは手伝わんで!男のする事やない!」
 ちょっと違う気もするが。
 「そういうの、ミサトさんに嫌われるよ。」
 「…構へん!ワシの信念や!」
 トウジは憧れのミサトの事を持ち出されて焦るが、自分のちょっとおかしな?漢道を突き進む。まあ、シンジがいなかったらゴミを溜め込むだけのミサトにあーたらこーたら言える資格は無いのであるが。
 「しかし、シンジも変わったなぁ。」
 「何が?」
 「初めて逢うた時は正直いけ好かん奴っちゃと思うとったけど…人の為に何かやる奴とも思えんかったし。まっ、要するに余裕なんやろな。」
 と、そこにレイが帰ってきた。
 「よっ!お邪魔しとるで。」
 「…何?」
 「あれが溜まってたプリントや。」
 レイがトウジの指差した方を見ると、確かに枕元にプリントがあったが、ベッドの脇のゴミが無くなっていた。
 「ごめん。勝手に片付けたよ。ゴミ以外は触ってない。」
 シンジは謝るが、その顔は笑顔だった。以前、自分の勘違いでシンジに下着泥棒の濡れ衣を着せてしまったレイは謝る時に笑顔を見せてしまい、クミに頭を叩かれた事があったので、シンジの笑顔での謝罪にレイはきょとんとしてしまった。
 「どうしたの?」
 「あ、ありがと…。」
 シンジの不思議そうな顔を見て、レイは思わずそう言ってしまっていた。

 「ありがとう…感謝の言葉…初めての言葉…。」
 シンジ達が帰った後、レイはベッドの上でお礼の言葉を反芻していた。
 「…あの人にも言った事が無かったのに…どうして…碇くんだから?」



EXTRA HUMANOIDELIC MACHINARY EVANGELION

EPISODE:17 FOURTH CHILDREN



 第三新東京市が夕陽に映し出されている。その夕景の中を進むネルフ専用リニア・トレインの中にはゲンドウと冬月がいた。
 「街…人の造り出したパラダイスだな。」
 「かつて楽園を追い出され、死と隣り合わせの地上という世界に逃げるしかなかった人類。その最も弱い生物が弱さ故に、手に入れた知恵で造り出した自分達の楽園だよ。」
 「自分を死の恐怖から守る為、自分の快楽を満足させる為に自分達で作ったパラダイスか…この街が正にそうだな。自分達を守る武装された街だ。」
 「敵だらけの外界から逃げ込んでいる臆病者の街さ…。」
 列車は地上とジオフロントの間の地下層に入った。車中にライトが点き、車窓は真っ暗に変わった。
 「臆病者の方が長生きできる。それもよかろう…。第三新東京市、ネルフの偽装迎撃要塞都市。遅れに遅れていた第七次建設も終わる…。いよいよ、完成だな。」
 これで第三新東京市の兵装ビルなどの稼働率は100%になり、これからが真の第三新東京市と言えるだろう。
 ジオフロント内に列車が入り、再び第三新東京市の集光システムの天窓から射し込む夕陽がゲンドウと冬月を赤く染める。
 第三新東京市が臆病者の街なら、ジオフロントは第三新東京市を盾にした臆病者の要塞と言ったところか。
 「四号機の事故…どう委員会に説明するつもりだ?」
 「事実の通り、原因不明だよ。」
 「しかし、ここに来て大きな損失だな。」
 「四号機と第二支部はいい。S2機関もサンプルは失ってもドイツにデータが残っている。ここと初号機が残っていれば十分だ。…我々のシナリオが1つ繰り上がっただけに過ぎない。」
 「まあ、そうだが…。委員会は血相を変えていたぞ?」
 「予定外な事故だからな。」
 「ゼーレも慌てて行動表を修正しているだろう。」
 ゲンドウはニヤリ笑い、冬月はおかしそうに鼻で笑う。
 「死海文書に無い事件も起きる。老人には良い薬だよ。」

 ネルフ本部の自動販売機コーナー。軟派・加持がマヤにちょっかいを出そうとしていた。
 「せっかくここの迎撃システムも完成するってのに、祝賀パーティーの1つも予定されてないとは、ネルフってお堅い組織だねぇ。」
 加持は飲み終わった缶をゴミ箱に放り投げたが、投入口から溢れて今にも零れ落ちそうという状態の缶に当り、数個の缶がゴミ箱からこぼれ落ちてしまった。
 「碇司令がああですもの。」
 マヤはあきらめの苦笑い。
 「君はどうなのかな?」
 上半身を屈めてにじり寄る加持に、マヤは思わず身体を横に反転させる。
 「いいんですか?葛城さんや赤木先輩に言っちゃいますよ?」
 「その前にその口を塞ぐ…。」
 加持がマヤの顔に自分の顔を近づけたその時。
 「お仕事、進んでる?」
 ミサトが現れた。
 「いや、ぼちぼちだな。」
 と誤魔化す加持。
 「それでは、私はこれで…。」
 修羅場になるかもしれないと感じてそそくさと去るマヤ。
 「貴方のプライベートに口を出すつもりはないけど、この非常時にウチの若い娘に手ぇ出さないでくれる?」
 「君の管轄ではないだろう?葛城なら良いのかい?」
 加持は床に散らばった缶を綺麗にゴミ箱に戻すとベンチに座る。
 「これからの返事次第ね。…地下のアダムとマルドゥック機関の秘密、知ってるんでしょ?」
 「はて?」
 ミサトは真剣な視線を向けるが、加持はそ知らぬ振りで視線を逸らした。
 「とぼけないで。」
 「他人に頼るとは君らしくないな。」
 「形振り構ってらんないのよ。余裕無いの、今。都合良くフォース・チルドレンが見つかるこの裏は何?」
 「………1つ、教えとくよ。」
 少しの間を置いた後、加持は立ち上がってミサトに迫った。
 「マルドゥック機関は存在しない。…影で操ってるのはネルフそのものだ。」
 自動販売機に手を突き、キスができそうなくらいに顔と顔を寄せ、周りに洩れない様に小声で話す加持。
 「ネルフそのもの?…碇司令が!?」
 「コード707を調べてみるんだな。」
 「707?…シンジくんの学校を?」
 「特に2年A組には面白い共通点が見つかるぞ。あの世代では当たり前の事だが、それでもだ…。」
 加持はクミからの情報を少し出した。
 「共通点…。」
 ミサトは眉間に皺を寄せて考え込む。と、足音がした。
 「あ、いたいた、ミサトさん。」
 「なーに?」
 一瞬で二人は距離を取っていた。
 「リツコさんが呼んでましたよ。実験の話で。」
 「わかった、今行く。」
 ミサトは加持とすれ違い時に、
 「また、今度ね。」
 と加持だけに聞こえる様に言って出て行った。
 「相変わらず、忙しいんですね、ここでは。」
 ミサトを見送りながらシンジは何気無く言った。深読みすれば家ではぐーたらなミサトと普段からちゃらんぽらんそうに見せている加持への皮肉と受け取れなくも無い。
 「そうだな。…それより、たまにはどうだい?お茶でも。」

 「加持さんて、もっと真面目な方だと思ってました…。」
 二人はネルフ本部前のベンチに座って一服していた。
 「…気を許している相手だと遠慮がないな…。」
 その加持の苦笑混じりの呟きにシンジはジュースを思わず噴出した。
 「す、すいません、あの…。」
 「いや、こっちこそ済まない。別に怒ってる訳じゃないんだ。」
 「はあ…それで、僕に話とは…。」
 「君に見せたい物があるんだ。」
 そう言って加持がシンジを連れてきたのは、ジオフロントのネルフ本部外にあるスイカ畑だった。
 既に何個かは大きな実ができている。
 「スイカ…ですか?」
 シンジは予想外の物を見せられて目を丸くしている。
 ジオフロントは誰の土地なのだろう…勝手にスイカ畑等作っていいのだろうか?というのがシンジの疑問。
 「可愛いだろ。俺の趣味さ。みんなには内緒だけどな。」
 あっさり加持が答えをくれた。ゲンドウがいつか言った「好きにさせておくさ。」という台詞は多分これも含めているのだろう。
 「何かを作る、何かを育てるのはいいぞ。いろんな事が見えてくるし、わかってくる。楽しい事とかな。」
 「………辛い事もでしょう?」
 シンジは寂しい声で答えた。長い沈黙の後に加持が訊ねた。
 「辛いのは嫌いかい?」
 「…好きじゃないです。」
 「楽しい事、見つけたかい?」
 「…少しは…。」
 楽しい事を数えたら片手でさえ余る、辛い事を数えたら両手でも足りない、と言ったところか。
 「…それもいいさ。けど、辛い事を知ってる人間の方が、それだけ人に優しくできる。それは弱さと違うからな。」
 加持はスイカに水を遣りながらシンジに含蓄の有る事を語った。
 「何だか…真辺先輩みたいだ…。」
 シンジはまだクミと加持の繋がりを知らない。だが、シンジのその呟きも、加持の携帯電話に掛かってきた電話の音で加持には聞えていなかった。
 「シンジくん、これからシンクロ・テストを行うそうだ。」

 シンジ達のシンクロ・テストのデータを表示するモニターを見てリツコが呟いた。
 「やはりそうだわ。シンジ君のシンクロ率が落ちてきている。」
 「やはり、ってどういう事?」
 と、ミサトが聞き返す。
 「何とも言えないわ。ただ、先の事件の時、何かがあったんでしょうね。精神的なものが。」
 「参号機のパイロットの件、ますます話し辛いわね。」
 「でも、本人には明日正式に通達されるわよ。」
 ミサトは無言のままだった。シンジに真実を伝えていいのか、ミサトは迷っていた。
 ミサトは時として情を優先させてしまい、それ故リツコとも何度か対立した。もしかしたら、彼女は軍人としては優秀とは言えないかも知れない。だが、彼女がもし冷徹な軍人であったなら、シンジはとっくに心を閉ざしてしまっていただろう。

 翌日。2−Aで午前中の授業が終わり、昼食の時間となった。
 慌しくなった教室で、トウジは爆睡から覚めて思いっきり背伸びをした。そしてお決まりの台詞を言おうとした時、校内放送のアナウンスが響いた。
 『2年Aクラスの鈴原トウジ君、至急校長室まで来てください。』
 「何や?」
 「何かやったのか?」
 「いや、心当たり無いわ。」
 不思議そうな顔のシンジやケンスケを残し、トウジは校長室へ行った。そこに待っていたのは…。
 「鈴原…トウジ君ね?」
 それはトウジも会った事のある人物だった。
 一方その頃、トイレの個室に入ったクミは洋式便器の蓋を下ろしてその上に腰を下ろすと、何故かイヤホンを耳に入れた。

 シンジとケンスケは一足先に屋上で昼食を取った。
 「昨日、横須賀行ってきたんだろ。どうだった?」
 「バッチシ。…ところでさ、チョイと気になる情報を仕入れたんだけど…。」
 ケンスケはその先は声を潜めて話した。
 「EVA参号機?」
 「そう。アメリカで建造中だった奴。完成したんだろ?」
 「初耳だなぁ。」
 「隠さなくちゃいけない事情もわかるけどさ、教えてくれよ。」
 「ホントに知らないよ。」
 「松代で起動実験するんだろ?パイロットってもう決まってるのか?まだなら俺、乗ってみたいんだよ!」
 「………。」
 シンジには初めて聞く話だった。シンジに真偽の判断がつく筈も無く、ケンスケに何も答える事ができなかった。
 「…じゃあ、四号機が欠番になった話は?」
 「何それ?」
 「ホントに知らないのか?アメリカ第二支部ごと吹っ飛んだって、パパの所は大騒ぎだったみたいだぜ?」
 「…ミサトさんからは何も聞いていない…。」
 シンジは憮然とした表情になった。EVAのパイロットの自分が何も知らされておらず、部外者のケンスケの方が事情に詳しい(多分、父親のデータを覗いたりして情報を得ていると思われるが)という事実が不愉快だった。
 「あ、まあ、末端のパイロットには関係ないからな。知らされてないという事は、知らなくてもいいという事なんだろう。済まなかったな、変な事訊いて。」
 ケンスケはシンジの心情を慮ってフォローの言葉を言った。

 午後の授業が始まった。だが、トウジの座席は空いたままだった。
 ヒカリが心配そうな顔をしていると、そこにトウジが戻ってきた。
 「遅れて済まんです。」
 「話は聞いている。座りなさい。」
 だが、トウジは座ったものの、何やらぼんやりしていた。

 今日も学校の一日が終わった。
 「シンジ、帰ろうぜ。」
 「うん。あ、でも、トウジは?」
 「あいつは週番だから、帰りは遅くなるさ。」

 放課後。週番のトウジは学校の裏手のゴミ焼却炉の前に一人立っていた。炎の照り返しが反射しているその顔は、何かを考え込んでいるようだった。

 トウジが教室に戻って遅い昼食を取っているとそこにヒカリがやってきた。こんな時間まで何をしていたのだろう…。
 「鈴原。週番なんだから、机が曲がってないか、ちゃんと確認してから帰るのよ。」
 つい、いつものように注意してしまうヒカリ。
 「ワシ、昼飯まだやったんやで…。」
 トウジは疲れたように答えた。
 「そっか、ごめん。」
 「いや、いいんや。ワシが先生に怒られないように前もって注意してくれてるんやろ。」
 「え?それはその…。」
 「いつも済まんな、委員長。」
 「ううん、いいのよ。」
 トウジは昨日の放課後、クミにこの事を指摘されていたのを思い出してヒカリにお礼を言った。ヒカリはトウジの意外な言葉に慌て、つい言葉を途切れさせてしまった。
 ヒカリはもっとトウジと話をしたくて、話題を探し、トウジの弁当に目をつけた。
 「鈴原って、いつも購買部のお弁当だね。」
 「作ってくれる奴もおらんからなぁ。」
 「鈴原…あのね、私には姉と妹が一人ずついてね、私がみんなのお弁当作ってるんだけど…。」
 「そら、難儀やなあ。」
 「だから、こう見えても意外と料理うまかったりするんだ…。だけど、時々多めに作りすぎて、お弁当の材料が余っちゃうの…それで…。」
 ヒカリは上目づかいでトウジを見つめた。
 「そら、勿体無いなあ。残飯整理ならいくらでも手伝うで。」
 「うん!手伝って!」
 ヒカリはパッと明るい笑顔になった。トウジの弁当を作るオフィシャルな口実ができたのだ。
 二人の心の距離が少し狭まったようだった。

 降りしきる雨の中、ネルフ・アメリカ第一支部の滑走路から、一機の全翼機がブースターの白煙を上げながら離陸して行く。
 その機体の中には、黒いボディのEVA参号機が格納されていた。

 その頃、日本は夕暮れ時。
 ヒカリは自宅のキッチンに立ち、料理の本を脇に置いて弁当作りに勤しんでた。おそらく、明日トウジに持っていく為の予行演習だろう。
 鼻歌混じりで楽しげに包丁を持つ彼女は女のコらしい雰囲気を醸し出している。それは2−Aでの委員長の姿とは明らかに異なっていた。
 恋する乙女―――そんな表現がぴったりだった。

 その日、加持が自分のアパートに帰宅すると、既に部屋には明かりが灯っていた。
 もしかしてミサトの他に女がいるのかと思いきや…。
 「あ、お帰りなさーい。ご飯にする?お風呂にする?それとも寝る?」
 「そういう古いギャグをどこから仕入れてくるんだ、クミは?」
 「えへへー、内緒だよ。」
 加持の帰宅を待っていたのはメイド服姿のクミだった。
 先の戦闘でクミは住む場所を失った。ネルフの諜報部に追われる身としては、仮住居の申請をしてMAGIにデータを残す事は避けたく、取り合えず加持の部屋に転がり込んだのだった。
 「それじゃ、先に風呂に入るとするか。」
 「じゃあ、その間にお味噌汁暖めておくね。」
 「ああ、頼む。」
 クミは居候させて貰ってるのだからと、加持の世話をあれこれ焼いていた。勿論、それでクミと加持が男女の関係にあるのかと言えば全くそうではない。
 早い話、加持はミサトよりも先にクミと出会っていたのだ。
 「うーん、クミがもう10歳ぐらい大人だったら、もしかしたら俺も口説いてたかもしれないな。」
 夕食時に加持はクミの手料理に舌鼓を打ちながらそんな軽い台詞を吐いた。
 「またまた…せっかく8年も掛けて元の鞘に戻ったんだから、そんな事言っちゃだめよ。」
 ま、家事全般をシンジに任せっきりのミサトに比べたら、何でもできるクミの方がより主婦に向いているという事実は揺ぎ無いだろう。
 「そういうクミの方は、ボーイ・フレンドはいないのか?」
 「この世界に生きてる限り、そんな事は考えられないわ。」
 勿論、クミの言う世界とはスパイとして生きているというこの世界の事だ。それなのにネルフと日本政府のどちらにも属するダブル・スパイでありながらミサトという相手がいる加持は、クミに比べて超一流のスパイという事になる。
 「ところで、今日リツコさんが学校に来たわ。」
 「フォース・チルドレンへの通達だな。」
 「ええ。鈴原トウジくんだったわ。」
 「やはりな。了承したのか、彼は?」
 「最初は怖がっていたけど、妹さんをネルフ本部の病院に転院させてもいいというエサをちらつかせたら、すぐにオッケーしたわ。」
 クミの言葉には棘があった。
 「おいおい、感情に流されるのは良くないぞ。」
 「わかってる。でも、あんな手を使うなんて卑怯だわ、ネルフは。」
 ちょっと不機嫌なクミ。
 「俺も一応ネルフの一員なんだけど。」
 「それは…そうだけどさ…。」
 加持の言葉にクミは冷静さを取り戻した。
 「なあ、クミ。くれぐれも、早まった真似はするなよ?」
 加持はクミの身を案じて言った。
 「大丈夫。心配しないで、お兄ちゃん。」



超人機エヴァンゲリオン

第17話「四人目の適格者」―――恋慕

完
あとがき