超人機エヴァンゲリオン 2

第5話

私をコミケに連れてって

 8月。
 「ご苦労様です、ミサトさん。これ、差し入れです。」
 シンジはコンビニで買って来たちょっとしたスナックや缶コーヒーの入ったビニール袋をミサトに差し出した。
 「あら、有難う…って、何だ、エビチュじゃないのかぁ…。」
 「当然でしょう、会場内は禁酒・禁煙なんですから。」
 西2ホール・つ-15a。そこが、シンジ達が作った同人誌の販売ブースだった。
 ちなみにサークルの名前は<煉麩>、代表者(ミサト)のペンネームは<月夜野うさぎ>、そして同人誌のタイトルは<魔神戦記アンジェリス・アナザーワールド>である。
 「他のみんなは?」
 「アスカと綾波とカヲルくんは着替えに、トウジと委員長は二人で見て廻って後から来るそうです。」
 「相田くんは?」
 「言うまでも無いでしょ?」
 「それもそうね。あと、綾野さんが来れないのはちょっと残念だったわね。」
 「そうですね。文章だけじゃイマイチなのを、彼女がイラスト描いてくれて何とかカッコ付いたようなものですからね。」
 「まあ、立ち話も何だし、中に入って座りなさいな。」
 「え?いいんですか?僕は部外者になるんじゃ…。」
 「なーに言ってんの、シンジくんは部外者どころか原作者じゃない。問題無いわよ。」
 「そうですか…じゃ、お言葉に甘えて。」
 シンジはテーブルの下からブース内に入ってパイプの折り畳み椅子に座った。
 「で、売れ行きはどうですか?」
 「……ま、まあ、これからってとこよ。あの三人がどれだけアピールできるかが勝負ね。」
 アスカとレイとカヲルは同人誌の登場人物のコスプレをする事になっているのだ。
 「うーん、それはなんとなく邪道な方法のような気がするけど…。」
 そう言いながらシンジはホール内を見回した。一見しただけでは把握できない程の大勢の人々がこのホールにいる。同じ大きさのホールが東・西館合わせて計12となれば、一体何万人が今この建物内にいるのだろうか。
 “…しかし、噂に聞いていたとおり、凄い人の数だ…まさか、こんな所に自分が来る事になるなんて、戦ってる時は考えもしなかったな…。”
 シンジは感慨深気にここに到るまでの日々を回想した。



 一ヶ月前。
 「えー、と言う訳で、これより第一次コミックマーケット作戦会議を始めます。」
 自分の家にシンジ、アスカ、トウジ、ヒカリ、ケンスケ、レイ、カヲルの七人を呼び寄せたミサトはいきなりのたまった。
 「何が‘という訳’なのかしら?」
 「綾波、そこはスルーしよう。」
 「で、コミケって一体何の事?」
 「それでは説明しましょう。コミックマーケットとは…。」
 「いや、それぐらいは知ってますがな。何でワシらがここに呼ばれてその会議をしなきゃならんのですか?」
 「うーんと、話せば長くなるんだけど…。」
 ミサトは本日に到るまでの経緯を説明した。
 遡る事半年前。大学時代の旧友と偶然再会したミサトは飲み屋で一杯やりながら昔話に花を咲かせていた。旧友は大学時代はオタク系サークルに所属していたが、現在は立派にプロの漫画家になっていた。そして話は盛り上がり、コミケの話になった。 セカンドインパクト前は夏コミ・冬コミといっていたが、現在は一年中夏なので上半期・下半期と言い方が変わっている。そのコミケへのサークル参加は相変らず抽選漏れが出るほどなのだが、酒の勢いでミサトはつい、言ってしまったのだ。
 「よし、次のコミケには私もサークル参加する。どっちが多く売り上げられるか、賭けようじゃない!負けた方は一杯奢るということで。」
 …漫画を描いた事さえ無い者がプロの漫画家に無茶な勝負を挑んだものである。
 まあ、コミケに受からなければ勝負もへったくれもないのだが、冗談で申し込んだ上半期コミケにミサトはなんと受かってしまったのである。
 当選通知が来てそれが一体何なのか一しきり考え込んだミサトは、はたと気づいて大慌て、結局自分の生徒達を使って何とか乗り切ろうという考えに到った訳である。
 「この中で漫画描ける人〜?」
 ミサトが訊いたが誰も手を上げない。
 「イラストでもいいわよん。」
 結果は同じ。
 「落書きでも大目に見ましょう。」
 やはり結果は同じ。
 「だあああぁっ!これだけガン首揃えて誰も絵心が無い訳ぇ!?」
 ミサトは頭を掻き毟った。
 「無謀な賭けに挑んだのが失敗だと思うけどね。」
 カヲルのきつい一言がミサトの胸に突き刺さる。
 「勝率は0.00001%ってとこかしら。」
 「勝つには奇跡が起きるのを待つしかなさそうね。」
 アスカとレイが更に更に追い討ちをかける。
 「ここは素直に負けを認めて一杯奢ってあげたらいいんとちゃいますか?」
 「わざわざ負ける戦をする必要もないと思うな。」
 トウジとケンスケは戦わずして白旗を上げる事を提案。
 「みんな、そこまで言わなくてもいいじゃない…。」
 ヒカリは委員長であるだけあって優等生発言。
 「ちょっと、思いついたんだけど…。」
 シンジがおずおずと手を上げて発言。
 「何っ!?」
 みんなの遠慮無い言葉に打ちひしがれていたミサトがガバッと起き上がった。
 「綾野さんは絵が上手いから、もしかしたら?と思って…。」
 「そ、そうね、美術の成績はAだし、もしかしたら漫画も描けるかも…。」
 一縷の希望を見出してミサトはレミに電話を架けてみた。
 「もしもし、綾野さん?…ええ、ちょっと訊きたいんだけど、貴女は絵が上手よね?…だから、もしかしたら漫画も描けるかなって思ったんだけど…。」
 『うーん…漫画は描いた事無いけど、イラストぐらいなら…。』
 「ホント!?じゃあ、綾野さんにぜひとも私の同人誌を手伝って欲しいの!」
 『葛城先生が同人誌!?そんな趣味あったんですか、驚きです。』
 「いや、別に趣味じゃないんだけど…その、何と言うか、成り行きで…。」
 話が一向に見えないので、結局レミもミサト宅に呼ばれる事となった。
 「あらま、黄金の七人が全員お揃いで…。」
 「今回ばかりは誰も輝いてはないのよね…。」
 「ミサトセンセ、それはあんまりやがな…。」
 「元はと言えば、ミサトが自分のミスの尻拭きに私達を使おうとしたんじゃない!」
 「尻拭きじゃなくて尻拭いが正しい用法だね。」
 「この際、細かいところはどうだっていいのっ!」
 「えーと、葛城先生の同人誌って、いつまでに作るんですか?」
 話が進みそうに無いので、とりあえずレミは真っ先に確認したい事を質問した。
 「コミケ当日は8月21日…。」
 「あと一ヶ月しかないじゃないの!」
 「印刷所への持込期限が12日…。」
 「じゃあ、あと三週間か…。」
 「それで、私は何枚イラストを描けばいいんですか?」
 「…うーん…それは…。」
ミサトの歯切れの悪い声にレミはすぐに状況を察した。
 「…はぁ…その分だと、全く何にも考えていなかったようですね。」
 「…な、なぜわかるの?」
 「「「「「「「わからいでか!!!!!!!」」」」」」」
 その場を沈黙が支配した。
 「あーアホクサ。帰ろっか、シンジ。」
 「ちょっと待ってよ〜、このあたしが頼んでるんだからさ〜。」
 「知らないわよ。身から出たサブでしょ。」
 「そらあんた、サブやなくて錆やがな。」
 「…やがな…やがな…。」
 アスカの天然ボケにツッコむトウジ。エコーを演出するケンスケ。
 「だから、細かいところはどうだっていいって―――。」
 「まあまあ、みんな、そのぐらいで勘弁してやってくれないか。」
 今日は不在だった筈の加持がいきなり帰ってきた。
 「あ、加持先生…お帰りなさい。」
 「どうも、お邪魔してます。」
 「あー、気を使う事はないぞ、みんな。」
 「…何で今頃帰ってくるのよ…今日はずっとパチンコって言ってたじゃないの…。」
 どうやら、ミサトは加持が一日不在の日を狙ってシンジ達を招集したようだ。自分が教え子に情けなくもお願い事をする場面を見られたくなかったに違いない。
 「いい印刷所を見つけてな、100部ぐらいなら15日入稿でも何とかなるそうだ。」
 「えっ?」
 「少しでも時間が欲しいところだったんだろ?」
 パチンコに行くというのは口実だった。本当は、加持に迷惑を掛けたくなくて自分一人で何とかしようとしているミサトを慮っての行動だった。
 「ほほ〜、流石我らのミサトセンセの心を射止めたお人や。女心をようわかってらっしゃる。」
 「ニクイっすよ、加持先生。」
 「トウジったら!そんな言い方失礼よ!」
 「ヒカリも鈴原になかなか女心をわかってもらえないもんね〜。」
 「ア、アスカったら!」
 「シンジくんはちゃんと僕の想いはわかってくれてるからね。」
 「余計な事を言わなくてもいいのよ。」
 レイは思わずカヲルの首を絞めた。
 「ちょっと、綾波、ストップ!」
 やいのやいのと騒ぐ子供達にミサトが背を向けたのは、加持のさりげない優しさにほろり一粒を零しそうになったからかもしれない。
 「あー、このトシになると涙もろくなっちゃうわね…。」
 「トシはお互い様だよ。」
 「…バカ…。」
 「えー、お取り込み中申し訳ありませんが、問題は何一つ片付いていないんじゃありませんか?」
 「「うぉっと!!」」
 いきなりレミから声をかけられて二人は慌てて振り向いた。
 「時間的に余裕は無いですけど、今から真剣に考えれば、何とかそれらしい物は出来上がると思いますよ。」
 「そ、そうね…うん、綾野さんの言うとおりだわ。」
 ミサトはシンジ達に向き直った。
 「みんな、よく聞いて。何も考えてなかったのは確かに悪かったわ。本当にごめんね。でも、やっぱり乗りかかった船だし、私は同人誌を作ってコミケに参加してみたい。もう、勝負なんて関係ない。やれるだけやってみようと思うの。だから、みんなの力を貸して頂戴。」
 お茶羅け半分?だったミサトが一転して真面目な顔になってお願いしてきたので、シンジ達も真摯な顔つきになった。
 「わかりました。どこまでできるかわからないけど、手伝いますよ。」
 「シンジ…いいの?」
 「僕達とミサトさんの仲じゃないか。」
 「はぁ…わかった、シンジがやるなら私もやる。」
 「私も。」
 「右に同じ。」
 シンジに続いてアスカとレイとカヲルが助力を受諾した。
 「しゃあないのう、ワシも手伝うとするか。」
 「私も。」
 トウジに続いてヒカリも。
 残るはケンスケのみだが。
 「あ、あのさ、俺、勉強のほうが少々やばいんだ。だから、同人誌作り自体はムリだけど、コミケ当日だけなら何か協力するよ。」
 ケンスケの言葉でシンジ達は自分達が高校受験を控えた身である事を思い出した。
 「相田くんの事情はわかるわ。うん、みんなも、本当にムリならそれでもいいのよ。」
 だが、辞退を言い出す者は誰もいなかった。
 「………みんな、いいのね?」
 8人とも、言葉に出さずに大きく頷いた。
 「OK。それじゃ、本格的に作戦会議を始めましょう。」
 「まずは、どんな同人誌を作るか、ですね。」
 「そうね…漫画は最早無理だし、綾野さんにイラスト描いて貰うだけってのはあまりにあんまりだし…。」
 「それなら、小説形式でいったらどうですか?所々で挿絵が入るという…。」
 「それ、売れるの?」
 「この際、売れるか売れないかは考えなくていいのよね?」
 「そうよ。形になりさえすればいいんだから。」
 「じゃあ、小説形式でいくとして、サイズとかページ数とかはどうします?」
 「普通、同人誌ってどんなのが標準なの?」
 「特にこれと言った決まりは無いみたいなのよね。まあ、オーソドックスに考えて、サイズはB4でページ数は50枚ぐらい…かしら?」
 「その前に、小説のストーリーはどうするんでっか?」
 「それが最大の悩みなのよねぇ…自分で小説なんて書けないし、誰か小説を書いてる人………と言ったら、シンジくん!」
 「…まさか、僕の[魔神戦記アンジェリス]を使うつもりですか!?」
 「だって、他に小説書いてる人っていないみたいだし、全くのゼロから作るなんて無理だし…。」
 「おいおい、人の褌で相撲を取るみたいじゃないか。」
 「この際、何でもアリよ!そう言う訳で、題材はシンジくんの小説に決定!」
 「でも、あれってすごく長いわよ?まだ完結してなかったんじゃなかったっけ?」
 「うん…最後の纏めをどうするかでちょっと悩んでるんだ。ハッピーエンドか衝撃の結末か、それとも夢オチとか…。」
 「そりゃあ、やっぱハッピーエンドやろ!」
 「今は碇くんの小説のエンディングについては論外よ。」
 「それって、どんな話なの?」
 「えーと、これこれかくかくしかじかな訳で…。」
 「ふーん…うん、何か面白そう。イラストにするなら、その主役二人+1については欠かせないわね。」
 「よし、じゃあ、シンジくんは[魔神戦記アンジェリス]を題材にして、大体50ページぐらいになるストーリーを作って。綾野さんはそのストーリーを元にイラストを何点か作る。」
 「私は何をすればいいんですか?」
 「あたし達にできる事なんて、コミケ当日に差し入れ持って行く事ぐらいじゃないの?」
 「うーん、それについては渚くんも含めてチョッチやって貰いたい事があるのよね。」
 「僕と彼女達に?いったい何ですか?」
 「ズ・バ・リ…コスプレよっ!」
 「コスプレ〜!?」
 「そう!コミケ会場には自分以外の何かのキャラクターのコスチュームを着て、自己表現をする人達が必ずいるのよ。これを使わない手はないわ。」
 「…つまり、アスカや綾波やカヲルくんが、三人のパイロットを演じるんですか?」
 「いや、別に演じるって程ではないのよね。ただ、そのキャラクターの格好をしてその役に為り切る…っていうのかしら?」
 「コスチューム・プレイというのが正式名称さ。だから、あまり堅いこと考えないで、なんとかゴッコみたいなノリでいけばいいんじゃないかな。」
 「そう。それで、三人には宣伝効果も期待できるし。」
 「いずれも劣らぬ美少女・美少年、おまけに青毛に赤毛に銀髪、お目々も赤・青・赤。確かにこれは目立ちますね。」
 「ようし、そこで俺がカメラで写真を取り捲れば、更に宣伝効果アップ!」
 「その写真、後で全部渡して貰うからね。」
 「でも、そのコスチュームってどうするんですか?」
 「どこかで買う…と言うのは絶対不可能だな、この世に無いんだから。」
 「…作るしかないわね。」
 「あ、そや、ワシの妹は裁縫が得意やし、やらせてみましょか?」
 「お〜、いいわね、それ。そうだ、確か手芸部の顧問はマヤちょむだし、彼女にも声を掛けてみるか。」
 「もしかしたら、手芸部の人達の手も借りられるかもね。」
 「あのう、私は何を手伝えばいいんでしょう?」
 「そうね…洞木さんはみんなの状況の確認・連絡係をやって頂戴。」
 「ふふっ、なんだかんだ言っても、やっぱり黄金の七人みたいね。」
 結局、役割分担は次のようになった。
 シンジ:ストーリー作成。
 レミ:イラスト作成。
 アスカ:コミケ当日のコスプレ及びそのコスチューム制作。
 レイ:同上。
 カヲル:同上。
 ナツキ:コスチューム制作。
 ケンスケ:コミケ当日のカメラマン。
 トウジ:コミケ当日の力仕事。
 ヒカリ:制作・進行・連絡係。
 ミサト:編集・監修及びコミケ会場への搬入、当日の売り子。
 スケジュールは…なるようにしかならない、という事で………。



EXTRA HUMANOIDELIC MACHINARY EVANGELION2

CHILDREN’S GRAFFITI

EPISODE:5 Take me to the COMIC MARKET.



 そして、話は再びコミケ当日に戻る。
 「むぅぅ〜、どれもこれも非正統派ばっかり…この現状をどうすれば改善できるのかしら?」
 コミケ会場に同人誌を求めてやって来たとあるうら若き女性は、自分の理想(趣味)に合った同人誌が見つからないので途方に暮れて…いや、憤懣やる方ない想いで胸がいっぱいだった。
 “やっぱり、さっさと家に帰ってあのコと遊ぶしかないわね…。”
 何を考えたか、思わず鼻の下を長くしたその女性(仮にKさんとしよう)が帰ろうとした時、ふとある光景が目に付いた。
 「これは18禁ですから、お客様がお求めになる事はできません。」
 「そこを何とか…。」
 「何とかと言われても、無理なものは無理です。そんな事したら、私達はコミケに参加できなくなってしまいますし。」
 どうやら、未成年の少女が18禁の同人誌を買おうとして拒否されているようだった。
 Kさんはそのブースに歩み寄り、少女が買おうとしていた同人誌を黙って購入した。
 「お買い上げ有難う御座います。」
 「ちょっと貴女、こっちにいらっしゃい。」
 「はい?」
 Kさんは少女の手を引っ張ってそのホールから出た。
 「あの、何でしょうか?」
 「心配しないで。私は先生とかじゃないから。」
 どこか適当な場所は無いか…と辺りを見回しても、立ち話のできそうな柱の傍には、立って待つという気力さえ無い虚弱なジベタリアンがうじゃうじゃいた。
 「まあ、ここでもいいかな。じゃあ、500円。」
 「え?」
 「貴女が欲しかった同人誌を譲ってあげるって言ってるの。」
 「あ、あの…本当にいいんですか?」
 「今回だけよ。私みたいな奇特な人間と出会えるなんて奇跡みたいなものだし。」
 「あ、有難う御座います。」
 少女はKさん経由で欲しかった同人誌を入手する事ができたので、期待に胸膨らませ―いや、まだ膨らむほどはないか―ながら同人誌を手提げカバンの中に入れた。
 「…一つ訊いていい?」
 「何ですか?」
 「何でBLが好きなの?」
 「えーとですね…ほら、ヤヲイが嫌いな女子はいません!って言うし…。」
 「それは全くの大嘘よ!私、ヤヲイって興味無いし、どっちかって言うと好きじゃないし…いや、嫌いな方ね。」
 「嫌いですか…。」
 「うん。いや、正確に言えば、嫌いじゃなくて、キモチ悪くて大っ嫌いって感じ。」
 「そ、そうですか…。」
 「大体さ、女だから男の裸を見たいってのはわかるわ。だけど、なんでそれが同性愛になっちゃう訳?人間として性的におかしいと思うのよ。」
 “うわ、お姉ちゃんと同じ事言ってる…。”
 「それに貴女、ヤオイって言葉がどうして生まれたか知ってる?」
 「いえ…?」
 「ヤオイっていうのは‘ヤマなし’‘オチなし’‘イミなし’の事よ。」
 ヤマというのは物語の盛り上がりの事で、オチとは笑いの落としどころを意味する。
 つまり、盛り上がりが無く、さりとてギャグでもなく、マンガにする意味が無い…ヤオイとは以上の三つが網羅されたものというのが元々の語源だ。
 では、なぜそのようなジャンルが現れたのか?
 1980年代、アニメ・マンガに関する記事を主体としたカルチャー雑誌が雨後のタケノコのように次々と創刊されていた。 そして、その中には当然のように読者からのお便り・イラストを掲載するコーナーがあった。そして、そこにはイラストではなく、マンガが投稿される事もあった。マンガと言っても、所詮はシロートの描くもの…絵自体はそこそこに上手いが、ただキャラクターが会話しているだけで盛り上がりは無く、ではギャグ系なのかと言ったらそうではなくてオチもなく…マンガにする意味もないものであった。つまりは、美形キャラを描きたい読者がマンガ家気分に浸りたい、ある意味自己満足的なものであった。
 だが、それが一部の女性読者にウケた。そこで編集者達は何か勘違いしたのだろう…そういった内容をヤオイと定義し、マンガのジャンルとして位置づけようとしたのである。
 こういう勘違いというか暴走をアニメ・マンガカルチャー雑誌は時々しでかす。過去にも、あるアニメの主題歌がヒットチャートのBEST10に入ったので、とあるアニメ雑誌が「アニメ主題歌と括るといつまでもアニメ好き向けの曲としか認知されない。そうではなくて、これはアニメ好きだけでなく、もっと幅広い年齢向けの曲だと認知されるべきである。その為に、今後はアニメ主題歌ではなく、ティーンズ・ミュージックと呼称していこう。」などと呼びかけたのだが、「ティーンズをとっくに過ぎていてもアニメ好きはおるんじゃゴルァ!」などと反発されて結局その呼称はポシャッたという恥ずかしい事件があった。アニメ雑誌でありながら、アニメ好き(今で言う‘オタク’)と括られるのを恐れてティーンズ・ミュージックなどと名付けようとしたという、本末転倒な話であった。
 話が少し脱線したが、ヤオイはその100%が女性による男性美形キャラの描写であった。そして、ある日そこに同性愛ネタが持ち込まれたのである。勿論、最初は離れ離れになっていた兄弟が巡り合って感動のあまり抱きしめあう…というようなシーンがあるアニメであったのが元かもしれないし、三国志での劉備・関羽・張飛の三人が兄弟の契りを結ぶ場面から‘契る’が男女が肉体的に結ばれる事も意味する事を絡めて考えついたのが元かもしれないし、正確な事はわからない。だが結局、ヤヲイは‘男性同性愛’という、元の語源から全くかけ離れた定義に変わってしまった。ショタというジャンルが本来の‘年下の未成熟な美少年を好きな成人女性=ショタコン(ロリコンの対義語)’向けから美少年同性愛という腐女子向けに変わってしまったのも、その悪影響によるものである。
 物事は時と場所と状況によって全て変わるというが、言葉もやはり同じである。その一例として、『全然面白くない』というように‘全然’という言葉はその後に‘〜ない’と続く否定の表現によく用いられているが、過去には肯定の表現にも用いられていた。また、『見られる』のように助動詞の‘られる’は可能と受動の二つの表現に用いられるが、『見れる』のように可能の表現で‘ら’を省略する事は区別の点で便利と言えよう。しかし、『好きじゃない』を『好きくない』と言い換えるなど、特に利便性も無く文法を無視して無理やりに新しい表現を用いるのは、まるで愚かな若者が自分達だけで通じるような言葉・表現を考え付いてそれを知らない年長者をバカにするような行いと似ており、憚られるべきではなかろうか。「いじめ、カッコ悪い。」が決して「いじめ、カッコ良い。」になってはならない。誰かが「変わらなきゃ〜。」とTVCMで言っていたが、世の中には変わるべきものと変わってはいけないものがあるのだ。従って、ヤヲイもショタも元の意味に戻すべきである。
 「そうすれば、私の欲しい同人誌が無いという事を知らずにこんな所にまで来て、時間と金とエネルギーを無駄にする事も無かったのよね…って、あら?」
 長々とKさんは熱弁を振るっていたが、付き合いきれなくなったのか、少女はいつのまにかいなくなっていた…。

 「どうでっか、売れ行きは?」
 トウジとヒカリがミサトとシンジのいるブースの前にやってきた。
 「…実のところ、まだ一冊も…。」
 「わっちゃー…こりゃもう、一杯奢るのは決定的みたいでんな。」
 「トウジったら、まだ決め付けるのは早いわよ。」
 「しかし、もしかしたら一冊も売れなかった、なんて事態も有り得るかもしれんで?」
 「…その時はその時よ。」
 「ところで、ケンスケは?」
 「ああ、相変わらずコスプレイヤーのオナゴを撮り捲くっとるで。」
 「そっか。じゃあ、僕はちょっとコスプレ会場を見てくる。」
 と、シンジはなぜか自分達の同人誌を数冊持ってブースから出た。で、シンジと入れ替わりにトウジとヒカリが中に入った。
 コスプレ会場に向かいながらシンジはケンスケと連絡を取った。
 『おう、シンジ。売れ行きはどうだ?』
 「芳しくないよ。だからいよいよあの三人に頑張って貰うしかないと思って、今そっちに向かってる。」
 『お、例の作戦だな?OK、待ってるぜ。』
 コスプレ会場は外。広場の一角をロープで区切った中に、思い々いのコスチュームを着たコスプレイヤー達が所狭しと立ち並んでいた。そしてそれを見物する者あるいは写真を撮り捲くるカメラ小僧?の耳目を集めているのはやはり人気アニメや人気ゲームの登場キャラのコスプレイヤーだった。
 「………5、4、3、2、1、終了でーす!」
 あちこちで撮影制限時間のカウントダウンをする声が聞こえてくる。その中を、きょろきょろとケンスケを探しながら歩いていたシンジは、青いショートのワンピースを来たコスプレイヤーのコとぶつかってしまった。
 「キャッ。」
 「あ、ごめん。大丈夫?」
 シンジは尻餅を付いてしまったそのコに手を差し出して立ち上がる手助けをしようとしたが。
 「あ、あの、その、大丈夫ですっ。」
 そのコは慌てて立ち上がって逃げるようにその場を駆け去ってしまった。
 “割と可愛いコだったな…。”
 「シンジ、残念ながらあのキャラは女のコではない。」
 「ああ、ケンスケ、そこにいたのか…って、ちょっと待って、今何て言った?」
 「今のコは女のコじゃないって言ったんだ。」
 「何言ってるんだよ、どう見たって…。」
 「あれはラグナロクっていう少し古いゲームに出てくるブリジットというキャラで、女のコの格好をしているが実は男だ。つまり、いわゆる女装美少年というやつだな。」
 「そ、そうなの…。」
 「そんな事より、早くあの三人の所に行くぞ。凄い事になってるし。」
 「えっ?」
 そう、レイとアスカとカヲルの三人はどのコスプレイヤー達よりも多くの人々に取り囲まれていた。それは、シンジとレミが共同でデザインしたそのコスチューム(レイとアスカはレオタード風のコスチュームなのだが、実はそれは二人のプラグスーツを元にしてデザインされており、簡単に言えばグレーの全身タイツの上に白のハイレグレオタードを重ね着したような感じである。カヲルの場合はグレーの全身タイツは同じで裾がハーフパンツになっているタイプを重ね着している)は元より、その類稀なる美しい容姿によるものだった。二次元のキャラは赤だの緑だのピンクだの、現実にはとうてい有り得ないような色の髪の毛をしているが、そのコスプレをするには当然そういった色のウィッグを付けなければならない。だが、三人の青毛に紅い瞳、赤毛に蒼い瞳、銀髪に赤い瞳は持って生まれたものなのだ。
 「あのぅ、そのコスプレはいったい何のキャラなんですか?」
 「これは、[魔神戦記アンジェリス]の主役三人、結城ヒカルとレイラ・ロンバルディとデーモン・キルです。」
 尤も、正確な事を言えば三人ともシンジのイメージしていたキャラとは髪の毛や瞳の色は異なっていた。この変更は、集客効果を考えてのレミの提案だった。だが、それ以前に[魔神戦記アンジェリス]を知ってる者が誰もいないので気付く者がいる筈も無かった。
 「[魔神戦記アンジェリス]…知ってる?」
 「いや、聞いたことも無い。」
 「フッ、それも当然だろうね。何せ、今回初めてコミケで発表される事になったオリジナル作品だからね。」
 カヲルの言葉に見物人達は驚いた。
 「へーえ、オリジナル作品の為にわざわざコスプレしてるのか。」
 「どんな内容なんですか?」
 「それは、この[魔神戦記アンジェリス]を読めばわかります。」
 ちょうど良いタイミングでシンジが同人誌を持って三人のところにやってきた。
 「西2ホール・つ-15aで売ってまーす。」
 「値段は500円です。」
 「他では売ってないから、是非この機会に購入する事をお勧めするよ。」
 アスカとレイとカヲルがシンジから渡された同人誌を片手にすかさず宣伝を開始した。
 「よし、買ってみるか。」
 「ものは試しに。」
 そして、三人を見に来た者は男性・女性を問わず、次から次へと東ホールにその足を向けていった。
 「どうやら上手く行きそうだな。」
 「うん。そうだ、一応ミサトさんに情報を入れておこう。」
 シンジはケータイでミサトにコスプレ宣伝作戦が功を奏しそうな事を連絡した。
 「さて、俺はまた撮影に戻るがシンジはどうする?」
 「とりあえず、ここにいるよ。」
 「じゃあ、集合時間まで自由行動という事で。」
 ケンスケはカメラ片手にまた他のコスプレイヤー達の撮影に向かった。
 「三人ともご苦労様。ずっと炎天下だったし、ちょっと休憩する?」
 少し見物人・撮影者が途絶えた頃合を見計らって、シンジは三人に声を掛けた。
 「いいえ、大丈夫よ。ずっと太陽の下だけど、中の冷却水のおかげで快適だわ。」
 レイの言うとおり、実は三人のコスチュームの内側には微細なチューブが埋め込まれており、背中のバックパックから冷却水が流されているのだ。これを発案したのはマヤ、システムを作り上げたのは彼女から相談されたリツコ。何と、日向と青葉を除いた元ネルフのスタッフ四人がこのコミケに何らかの形で関わっていたのだった。
 「でも、これって意外と楽しいわね。コスプレをする人達の気持ちが何となくわかったような気がする。」
 アスカは、何度も写真を撮影され、何となく芸能人かアイドルになったような気分がして高揚感を感じていた。
 “うーん、何かそれもちょっと…。”
 アスカが楽しそうな顔をしているのは嬉しいが、もしアスカがアイドルになってしまったら?と考えるとシンジもちょっと複雑な気分。
 「あの、一枚いいかにょ?」
 と、また写真撮影を希望する者がやってきた。その女の子は一見メイド服に見える服装をしていたが、頭に猫耳の付いた帽子を被り、さらに頭の両横と首にでっかい鈴をぶらさげ、お尻には尻尾まで付いていた。
 「あ、それ、デジ・キャラットのでじこでしょ?」
 「おや、詳しいんだね、シンジくん。」
 「いや、やっぱりメジャーなキャラだし、これぐらいは知ってて当然だよ。」
 だが、そこにいたでじこは実は本物だった………。

 その頃ケンスケは、コスプレ会場を何度もぐるぐると回っていた。コスプレイヤー達は全員一斉に来る訳ではなく、途中から参加する者もいるし、中には後でまた別のキャラのコスチュームに着替えてくる者もいるのだ。
 “あっ、あれはチャイニーズ・エンジェル鈴々…おや、こっちはギャラクシー・エンジェルの蘭花じゃないか…更に、そっちは聖コンプ学院制服とは…うーむ、目移りしてしまうな。よし、とにかく片っ端から片付けよう!”
 ケンスケは片っ端からコスプレイヤーの女性達に声を掛けて写真を取り捲り続けた。
 “むむ、あのスカートがやや長めで深い色の制服は、きっと<ユリア様が見てる>のユリアン女学院の制服に違いない。果たして、誰のキャラか…。”
 さっそく接近したケンスケは彼女達に声を掛けた。
 「すいませーん、一枚いいですか?」
 「あの、私達、別にコスプレイヤーじゃなくてただの見物人なんですけど…。」
 ケンスケに声を掛けられて振り向いた少女は迷惑そうな声で答えた。が、ケンスケの顔を見た直後、彼女は少々驚きの顔になった。
 「…あれ?もしかして君はトウジくんの磯巾着の…。」
 「それを言うなら腰巾着で…誰が腰巾着だよ!」
 「あ、思い出した…そうだ、あいだ…相田ケンスケくんだったわね。」
 「それより、何でコダマさんがここにいるんですか?しかもそんな格好で。」
 そう、そこにいたのは何とヒカリの姉のコダマだった。
 「そんな格好とは失礼ね。これは学校の制服よ。」
 「しかし、[ユリみて]に出てくるユリアン女学院が私達の学校をそのままモデルにしてるっていうのはどうやら本当だったみたいね。」
 「これだけ声を掛けられると、もううんざりだわ。」
 コダマと一緒にコミケを見に来たクラスメート達も少々げんなりとした様子。
 「あ、そうなんですか…えーと、それは何と言うか、お気の毒というか…とにかく、失礼しました。」
 ケンスケはカメラを携えてそそくさとその場を後にした。

 さて、時間が来て着替えたレイ・アスカ・カヲルの三人とシンジはその後ケンスケと合流し、ミサトやトウジ・ヒカリのいるブースへやってきた。
 「あっ、全員来ましたよ、ミサト先生。」
 「おお、コスプレPR作戦ご苦労様。」
 「そろそろ終了時間ですけど、売り上げのほうはどうですか?」
 「ムッフッフ…聞いて驚け、何と完売よっ!」
 シンジの差し入れたジュースやスナック菓子(勿論、既に完食)を入れていたコンビニの袋をブースの机の上からミサトがどけると、そこには<完売>と書かれた厚紙が鎮座していた。
 「「「「「ええ〜っ!!!!!」」」」」
 そう、レイ・アスカ・カヲルのPRが功を奏したのか、それともレミの画力がモノを言ったのか、それともその相乗効果があったのか、詳しい理由は不明だが、結局[魔神戦記アンジェリス・アナザーワールド]は何と完売してしまったのだった。まあ、準備したのが100部と少なかったからかもしれないが。
 「じゃあ、売り上げの勝負の方は?」
 「勿論、これよっ!」
 ミサトは満面の笑みを浮かべてVサイン。さっき、相手のブースを覗いて見たら、用意した分の半分ぐらいしか売れていなかったらしい。
 「所詮、女性オタクの一部でしかない腐女子向けのBLよりも、老若男女全てのオタクに受け入れられるジャンルが勝ったという事やな。」
 「おめでとうございます、ミサトさん。」
 「ありがとう、シンジくん。それに協力してくれたみんな、本当にありがとう。やっぱりみんな、<黄金の七人>だわ。」

 こうしてミサトの無謀なる挑戦は見事大成功という結末を迎えたのであった。
 さて、その後売り上げ金はどうしたかというと、翌日みんなで遊園地に行ったり美味しいものを食べたりカラオケ屋で騒いだりして使い果たしたとさ。



超人機エヴァンゲリオン2 中学生日記

第5話「私をコミケに連れてって」

完
あとがき