文明の章

第拾参話

◆誕生会

 6月1日(水曜日)、第3新東京市、ネルフ本部、副司令執務室、
 シンジとユイがいっしょに紅茶を飲んでおり、部屋に紅茶の良い香りが漂っている。
「ん、この紅茶、美味しいね」
「そう言ってくれると嬉しいわ。この紅茶はね・・・」
 その後しばらくの間、二人は紅茶に関して話をふくらませたが、ふと話が切れたところでユイは切り出した。
「……ところで、シンジの誕生会ってどうする?」
 ユイのどこかシンジにとっては意外な言葉に少し驚きを浮かべた。
「……母さん、開いてくれるの?」
「勿論よ」
 ユイは笑みを浮かべて答える。
「…誕生会か…そう言えば、誕生会って初めてだな…」
 シンジは、今までの誕生日を思い出しながらつぶやいた。確かに誕生日を祝ってもらった事はある………しかし、誕生会は開いてもらった事は無い………開いても呼ぶような相手等はいなかったからである。
誕生日くらい父が来てくれるのではないか……などとも思っていたが、その淡い期待は全て砕け散った。
そんなことから誕生日はある意味寂しさを感じる日でもあった……
「そっか・・ごめんなさいね」
 少し表情を暗くして済まなそうに謝る。
「いや、母さんが気にすることじゃないよ」
「…そう……よしっ、母さんに任せなさい! シンジの誕生会をしっかりやるわ!」
 ユイは軽く胸を叩いて言い、シンジは笑みと頷きで返した。


 そして、シンジの誕生会の事は直ぐにユイによって招待する相手に伝えられた。


 6月2日(木曜日)、ミサトのマンション、アスカの部屋、
 アスカはベッドに寝そべりながらカタログを捲って、シンジの誕生日プレゼントに適当なものを探していた。
「う〜ん、シンジのバースデープレゼントか〜」
 パラパラとページをめくる。
「何が良いかしら?」
「……む〜」
 半時間ほど探した物のどうもいまいちで、これぞ!と言うものが無いようである。
「駄目ね、カタログじゃわかんないわ……明日デパートに行ってこよっと、ついでにアタシの新しい靴も見てこよっと」


 その頃ミサトの部屋では、同じようにミサトもシンジの誕生日プレゼントを考えていた。
「誕生日プレゼントは貰って嬉しいものを上げるのが基本よね……と言う事で、えびちゅ1箱に決定!」
 ミサトはその誕生会に誰が来るのか完全に忘れているのかもしれない。相当に、後悔するはめになるかもしれない。


 ネルフ本部、総司令執務室、
「碇、シンジ君の誕生会には出るのか?」
「人類に残された時間は少ない…」
「おい」
「問題ない」
冬月は軽く溜息をつく
「……ユイ君が料理を作るんだろうな」
 その言葉に反応したのかどうか、碇の眉がピクっと動いた。
「月曜の予定は何も無いから私は出席する事にするよ」
「………」


 6月3日(金曜日)、副司令執務室、
 冬月はスケジュール表を見ながら溜息をついていた。
「やれやれ、何時までもシンジ君から逃げられるわけではないぞ」
 軽く溜息をつきながらスケジュール表を机に置く。6月6日に、国際連合軍第2方面軍司令官との会談が入っており、他にも結構いろいろ入っていた。
碇の予定が全部移された感じである。逆に言えば、確かにあの時点では碇はスケジュールがぎっしり詰まっていたと言うことでもあるが…
「全く、世話の掛かる奴だ。まあ予定通りだがな」
 ユイとの打ち合わせで、司令部の仕事を全て冬月が引き受けて2人が誕生会に参加できる様にすると言う事を決めていたのである。


 新横須賀市にある高島屋の様々な店や商品が並んでいる中をアスカが歩きながら色々と物色していた。
(ん〜、これと言ったいいもの無いわね〜、無難に服にしとくかな?)
 そして、シンジに似合いそうな服を選んだ後は、アスカのお買い物が始まった。


 その頃レイの家では、レイもシンジの誕生日プレゼントに関して悩んでいた。
「…シンジ君が望む物………それは何?」
 レイはじっと考え始めた。
「………分からない……」
 そして、時計の針が半回転ほど進む間考え続けていたが、結局何も思いつかなかった。自分の欲しい物もはっきりとは分からない。そんなレイには自分でシンジが欲しい物を考える等と言った事は無理であろう。
 まあ、レイが欲しがる物をしいて言えばひょっとしたら、シンジといっしょにいられれば良いと言うことぐらいなのかもしれないが、それは例え逆も成り立つとしてもちょっとプレゼントには成らないであろう。
 その日はレイはずっとシンジのプレゼントのことを考え続けていた。


 ネルフ本部、技術部長執務室、
 リツコが端末からネットに繋げて、カタログのページを色々と見て回って、シンジの誕生日プレゼントを探していた。
「……そうね、これなんか良いかしら?」
 小1時間ほど色々と見て回った後、選んだ物を発注した。


 6月4日(土曜日)、ネルフ本部技術棟、伊吹研究室、
 マヤは裁縫用具などを広げて、せっせと何かを作っていた。
「くすくす、シンジ君、喜んでくれるかな〜」
 子供のような笑みを浮かべながら手を動かしている。


 レイの家に碇がやって来た。
「邪魔する」
 レイはコクリと頷き中に招き入れる。
「ケーキを持ってきたんだが・・・食べるか?」
 碇がケーキの箱を見せると、レイは軽く頷きキッチンの戸棚から皿、フォーク、ティーカップを2つずつ取りだし紅茶をいれた。
 やがて、リビングのテーブルの上にケーキと紅茶が並び、二人でケーキを食べ始めた。
 暫く二人とも喋ろうとせずに無言が続いていたが、レイが切り出した。
「……司令、シンジ君は、何が欲しいのでしょうか?」
「ん?……シンジの誕生日プレゼントか?」
「はい」
 碇は、少し天井を仰ぎながら考え始めた。
(ふむ、シンジへのプレゼントか、なかなか難しいな…レイがシンジに送るとなるとなおさらだな)
 暫く悩んでいたが、ふと、レイの表情を見ると、碇にもわからないのか、と残念そうな表情をしていた。
(……仕方ないな、私が、送るつもりだったが、)
「そうだな、チェロなんかどうだ?」
「…チェロ?」
「そうだ」
 去年のユイの命日と言えば良いのか、ユイが生きている以上命日ではないのかもしれないが、あの日にシンジが聞かせてくれたチェロの演奏を思い出して、レイは僅かに笑みを浮かべた。
「ついでに、レイもヴィオラでも始めてみてはどうだ?」
「…ヴィオラ?」
「そうだ」
(ヴィオラ…バイオリン属のアルト楽器。バイオリンよりやや大形のもの。チェロと同じ弦楽器…私もヴィオラでシンジ君のような演奏が出来るの?)
 暫く考えてから、ゆっくりと嬉しげに頷いた。
「そうだな、今から買いに行くか」
 再び頷き、二人は立ち上がった。


 夜、東京、東京帝国グループ総本社ビル会長室、
 蘭子が包みを持って入って来た。
「おお、出来たか」
「はい」
 蘭子は包みを耕一に渡した。
「ふむ、」
「こちらが同じものです」
 耕一はそちらも受け取ってじっくり見てみる。
「…なかなか良いな、これならば良いだろうな」


 こうして皆シンジの誕生日への準備が着々と進んでいった。


 6月5日(日曜日)、レイの家、
 レイはヴィオラをケースから取り出し、マニュアルを読みながらそれに従って練習を始めた。
 暫くの間、練習を行ったもののなかなか良い音は出ない…
「…難しいのね…」
 その後も少し練習してから、ミサトのマンションに向かう用意を始めた。


 ネルフ本部の総司令執務室で、碇はシンジへのプレゼントで悩んでいた。
「…うむ………どうしたものか、チェロはレイからのプレゼントにしてしまったし…」
 しばらくの間考えていたがなかなか良い物が思い浮かばなくて悩んでいると、冬月が入ってきた。
「碇、明日の会談のことで少し聞いておきたいことがあるのだが、」
「なんだ?」
 その後1時間ほど会談のことについて打ち合わせをすることになった。


 6月6日(月曜日)、ネルフ本部、展望室、
 景色が良いと言う事も有って、ここがパーティー会場に成った。
 今、準備が着々と進められている。
 パーティーの出席者はシンジ、レイ、アスカ、碇、ユイ、リツコ、ミサト、マヤ、日向、青葉、碧南、カヲル、耕一の13人である。
 仕事を引き受け、ここにいない冬月は今ごろ大忙しで駆け回っている事だろう。
 料理は主にユイが、それに職員食堂のスタッフが手伝って作っていて、かなりの御馳走となっていてテーブルには美味しそうな料理がいくつも並んでいる。
 予定の時刻も迫ってきて、一人、又一人と参加者達が集まってくる。
「うわ…凄い御馳走、」
 かなり力を入れて作ってある料理の数々に、会場にやってきた皆は驚く。
 本当に皆とても美味しそうであり、更に未だ新しく運ばれてくる。ちょっと13人では食べ切れそうにない量になっているが……
「・・これは凄いわ、」
 シンジは嬉しい反面、初めての誕生会…それもこんなにも盛大に、と多少の戸惑いも感じていた。
「ほう、これは凄いな、」
 耕一がやって来て、耕一も料理に驚いたようだ。
「あっ、会長、おはよう御座います」
「おはよう」
 レイはペコリと頭を下げ、他の皆も頭を下げる。
「おはよう、」
 挨拶が交わされる中、碇がやって来た。
「「「おはよう御座います」」」
「おはよう」
 声をかけるもの、頭を下げる者など、違いはあるが皆反応を示す。
「ああ、おはよう」
 ややあって、ユイが最後の料理を運んで来て、全員揃ったので誕生会が始まった。
 皆にクラッカーが回される。
 物珍しいのかレイはクラッカーを手にとってしげしげと見詰めている。
「どしたの?」
 左隣のアスカが尋ねる。
「これは・・・どうやって使うの?」
「ああ、これをこう持って、この紐を引っ張るのよ、」
「・・こう?」
 アスカは自分のクラッカーを使って振りを見せ、レイはアスカに言われた通り手に持って紐を引っ張った。そうすると勿論クラッカーが鳴り響きテープが飛び出した。
「・・そう、こう言うものなのね。」
 レイのフライングで妙な沈黙が訪れてしまった。
「レイ、今度は皆で一斉にクラッカーを鳴らすのよ」
 ユイは苦笑しながらレイに新しいクラッカーを渡し、失敗した事が分かったレイは済まなげな表情を浮かべながらクラッカーを受け取った。
 仕切り直されて、展望室にクラッカーが鳴り響いた。
「「「「「「「「誕生日おめでとう!!」」」」」」」」」
「あ、ありがとう」
 シンジは少し赤くなって答えた。
 先ず一番手でアスカがシンジに歩み寄った。
「シンジ、バースデープレゼントよ」
「有り難う」
 アスカは綺麗に包装された服を渡し、シンジは笑みを浮かべて受け取った。
「開けていい?」
「勿論よ」
 シンジは包装紙を丁寧に開け服を取り出した。
 アスカからプレゼントされたのは流行のデザインの服であり、シンジにも似合いそうである。
「ありがとう、アスカ」
「大事に着なさいよ」
「うん」
 続いてミサトが大きなバッグからえびちゅと銘打たれたダンボール箱を取り出し、それを未成年のシンジに差し出した。
「はい、シンちゃん」
 そして、それを未成年のシンジに差し出した。
「………」
 シンジは固まったまま動かない…いや、動けない。
「「「「「「………」」」」」」
 何か…背中に冷たいものを感じる…
「…葛城3佐…」
「は、はい…」
 碇の声が静寂の中、妙に響きミサトに恐怖を齎しミサトは表情を強張らせながら碇の方を振り向き。その、刺すような威圧感にミサトは汗をだらだらと垂らす結果となった。
「何を考えている」
「い、いえ……こ、これ、は、その…」
 沈黙が続き、その間ミサトは針のむしろ状態であったが、ユイが口を開き沈黙を破った。
「まあまあ貴方良いじゃないですかそのくらいで、ミサトちゃんも反省すれば」
「…そうか、」
 この時ミサトにはユイが神か仏に見えていた事だろう。
 その後暫く誰も動こうとしなかったので、妙な沈黙を破るために耕一が進み出た。
「シンジ、おめでとう」
 プレゼントが入った包みをシンジに渡す。
「有り難うございます」
「開けて良いぞ」
「あっ、はい、」
 耕一からのプレゼントは、美しい光沢を持つ絹で出来たアルバムだった。
「想い出を詰めて行くと良い」
「はい、ありがとうございます」
「シンジ君、はい」
 続いてマヤがぬいぐるみを渡した。
 シンジ、レイ、アスカ、碇、ユイ、冬月、リツコ、ミサト、マヤ、日向、青葉をモデルにしたぬいぐるみで、例えばアスカはプラグスーツで仁王立ちをしていたり、碇は指でサングラスのずれを直していたり、ミサトはえびちゅを持っていたりなどと、皆それぞれ特徴が前に出され、又可愛くデフォルメされている。
「うわ、凄いですね、有り難うございます」
「大事にしてくれるかな?」
「勿論ですよ」
「そう言ってくれると嬉しいわ」
 続いてレイが大きなケースを持ってシンジに近付いた。
「…シンジ君、おめでとう…」
 シンジに碇と一緒に買いに行ったチェロが入った大きなケースを渡す。
「有り難うレイ、新しいの欲しかったんだ」
 シンジから感謝された…シンジが欲しかったものをプレゼントとして渡す事が出来た。その事がレイには非常に嬉しく、喜びの微笑みを浮かべ、シンジはその微笑みに魅入る事になった。
 ひょっとするとシンジにとってはこの笑みの方が嬉しかったりするのかもしれない。
 そして、レイの次はリツコが小さな箱を渡した。
「はい、シンジ君」
「有り難うございます。」
 中をあけてみるとプレゼントは腕時計であった。銀製のようで、飾り気の無いシンプルなデザインの時計が正確に時を刻んでいる。
「大切に使わせてもらいます」
「ええ、そうしてくれると嬉しいわ」
 そして、問題のお方の番がやって来た。
(う、うむ…私の番か…し、仕方ない…)
「シンジ、受け取れ、でなければ帰れ」
 碇は極かすかに赤くさせながら15本の赤いバラの花束を差し出した。
 それを見て皆、同じように顔を引き攣らせている。
(本当に、不器用ね…)
(あらあら、照れているわね…恥ずかしいのだったらもっと別の物にすれば良かったのに)
(あほか…)
(笑ったら左遷、笑ったら降格、笑ったら首)
 ミサトは必死に笑いを堪えている…しかし、無論それはミサトだけではない。
「あ、ありがとう…」
 シンジはぎこちない動きで花束を受け取った。
(うむ…失敗だったか……だが、どうすれば良かったのだ…?)
 その後、日向、青葉、碧南からもプレゼントを渡された。
「さてシンジ、私と冬月先生からのプレゼントは後でね。じゃあ、食事にしましょうか」
「ちょっと待ってよ、未だ僕からプレゼントが未だだよ」
 カヲルは特に何も持たずに笑みを浮かべたままシンジに近付いていき、直ぐ目の前で立ち止まる。
「…シンジ君、」
 次の瞬間、カヲルが何をしようとしたのか察知したアスカの飛び踵落としが全くのノーセーブでカヲルの脳天に叩きこまれた。
 カヲルはシンジに集中していた為、アスカの行動に気付かずATフィールドは張っていなかったため、直撃を食らった。人間なら頭蓋骨が破砕骨折して脳に突き刺さって即死するだろう……
「うごおおお!!!」
 だが、彼は使徒だったためにその程度で死ぬと言うことはない。暫くのた打ち回っていたカヲルは床に倒れたままピクリとも動かなくなった。
 シンジは引き攣った表情で乾いた笑い声を零した。
 シンジは、カヲルのしようとしたことが分かったのであろうか?
 リツコの指示で担架が運ばれてきて、カヲルが担架に乗せられた。
(ふむ、これは良い研究になるわね)
 リツコは碧南を連れて中央病院ではなく技術棟に向かい、3名いなく成ったもののその後暫くして食事が始まった。


 レイ、シンジ、アスカの3人がいっしょになって行動していて、今はシンジとアスカがフライドチキンにがっついており、レイはスープを飲んでいる。
「このフライドチキン最高ね、」
「うん、そうだね」
(…美味しい、)
 ユイの作った料理はどれも素晴らしい味であり、舌鼓を打っているとユイが皿を片手にやって来た。
「味の方はどうかしら?」
「とっても美味しいです」
「うん、本当に美味しいよ」
「…美味しい、」
「そう言ってもらえると嬉しいわ…ここいいかしら?」
「うん、勿論だよ」
 ユイは微笑を浮かべ椅子に腰掛けた。


 一方、ジオフロントを一望できる窓の付近に耕一と碇の二人が立っていた。
二人とも黙っていて、ある意味独特の威圧感であろうかが満ちていて他の物は近づけない……。そんな中、耕一の方から口を開いた。
「…この後の事は聞いているのか?」
「……ええ…」
「しっかりやるんだな、ユイ君のためにもシンジの為にも…そして、お前自信の為にもな」
「そんな事は、言われるまでもありませんよ…」
「そうか、ならば良い」
 耕一は碇のそばを離れシンジ達の方へ歩いて行き、残された碇の方は軽く目を閉じて、この後の事に用意されている事について考え始めた。


 そしてパーティーも終わり日が西に傾いてくる頃、第3新東京市郊外の墓地にあるユイの墓の前に碇、シンジ、ユイの3人の姿があった。
「ちょっと複雑な気分ね、」
 かりそめの物ではあるが、やはり自分の墓を見るというのは複雑な心境である。
「さて、私と冬月先生からのプレゼント、二人の話し合いの場を作る事…じゃあ、待ってるわね」
 えらく簡単な事のようにも思えるが、これがなかなかの物かもしれない。
 二人をその場に残してユイは離れていった。
「「………」」
 どちらからも話を切り出そうとせずに長い沈黙が続いていたが、漸くシンジの方から口を開いた。
「…前も……ここだったんだね…」
「ああ、あの時以来だな…」
 3月に1度レイを交えて食事をしたりもしたことがあるが、その時はまともな会話は交わされ無かった。そして、それ以後も会ったとしても長い時間しっかりと話すということはなかった。


 A.S.15年12月17日(木曜日)、
 シンジは人影に気付いた。
 ユイの墓の前には既に碇がいた。
「シンジ」
 シンジはユイの墓に近寄った。
《Yui Ikari
 B.S.23−A.S.4》
「3年ぶりだな、ここで会うのは」
「僕はあの時、逃げ出して、その後は来てない、ここに母さんが眠っているなんてピンと来ないんだ」
 顔も覚えていなかった。思い出したのではなく写真によって知ったのだ。
「人は、思い出を忘れる事で生きて行ける……しかし、決して忘れては成らない事も有る。ユイはそのかけがいの無い物を教えてくれた」
 碇はシンジの方を見ずに少し上を向いている。
「私はその確認をする為にここに来ている」
「写真は・・あれ以外に無いの?」
「私は持ってはいない、この墓も只の飾りだ、遺体は無い」
「あれは?」
「冬月の写真だ。私の物ではない、全ては心の中だ」
 シンジは碇の傲慢さに少し腹が立った。
「今はそれで良い」
「今?」
 ヘリが迎えに来た。
「時間だ、先に帰る」
 碇はヘリの方へ歩き出した。
「父さん」
 碇はシンジの方を振り返った。
「……」
 シンジは暫く言うのを躊躇っていた。
 ヘリが着陸した。
 碇はシンジが言葉を発するのを待った。
「…母さんは本当に死んだの?」
 暫く沈黙が流れた。
「…今はまだどちらとも言えん」
シンジは首を傾げ、碇は再びヘリの方に歩き出した。
「…あの、今日は嬉しかった。父さんと話せて」
「…そうか」
 碇がヘリに乗り込み、ヘリは飛び立った。
 シンジはヘリが飛び去るのを見送っていた。
 

 A.S.16年、6月6日(月曜日)、
「…母さん…死んでなかったんだね…」
「…ああ…そうだな…」
 その言い方だとあの時は確信できていなかったのであろうか?……そのことは良くは分からないが、まあその事に関しては結果が出ているのだから、そのいずれであったとしても良いのかもしれない、今となってはそのどちらであったとしても、さして変わりはないから。
 二人とも黙ってしまい、再び沈黙が流れる。
 そして、シンジは今まで疑問に思っていた事…或いは凡その推測はついていたとしても、碇の口から直接言って欲しい事を尋ねる事にした。
「…父さん…」
「なんだ?」
「…聞いていいかな?」
「…何をだ?」
 シンジは一旦間を置いた。
 いざとなるとなかなか言い出せない…
 結局それから5分ほどして口を開いた。
「…どうして……どうして、僕を先生に預けたの?」
「……お前は、私の傍にいれば幸せだったと思うのか?」
 あの時、碇の元から離れていた。
 しかし、詳しくは覚えていないがマスコミによって酷い目にあわされたと言うのは事実、そして数々の苛めが……碇はそれを配慮したのであろうか?自分の傍にいればそれ以上の事になると…それが正しかったのかどうか…
 又、シンジにとってそれでも、更には多忙で殆ど構う事が出来ないとしても父親としてそばにいてくれた方が良かったのかどうかは分からない。
 あの時は、そう思っていた。いや、そう思いつづけていた。だが、それは所詮その時の自分の周りの事しか分からない、もしそうなったらどうなるのかなど全く分からない、子供の安易な考え……或いは、夢だったのかもしれない。
 それも一つの選択肢だったのだろうと今は思う。
 碇はそれを、選択したのだと…
「…そう…」
「少なくとも、お前のために成る事は無い」
 それが正しかったのか間違っていたのかは、所詮仮定での話でしかなく意味をなさない。しかし、少なくとも、碇は、シンジの事を考えて先生の元に預けたと言う事が分かっただけで、十分なのかも知れない。
 レイの話からもそれは伺えた事がそれをよりそう思わせる。
 そして、次に何を聞くのか、何を聞けばいいのか、シンジは少し迷ってしまったが、3分ほどで何を聞くのか固まり、尋ねることにした。
「……父さん、第参使徒襲来の当日に僕がネルフ到着したのは何故?」
尋ねてから碇が答えるまでの間に少し間があった。
「……あの時は、確実にお前を初号機に乗せる必要があった…事前に知らせて呼び寄せる事も出来たが、その時間が足りなかった。零号機の事故の後の少ない時間で、説得する自信が無かった…」
「…あの時の、レイの事は?」
 あのときのことを思い出しながら、少し顔をしかめながら尋ねる。
「・・勘違いするな。一つの問いに一つの答えが用意されているのは、小学校だけだ。」
「・・どう言う意味?」
意味が分からず軽く首を傾げて尋ねる。
「第1目的は、お前の予想通り、お前がレイを見かねて乗るように仕向ける為だ。第2目的は、それでも拒否した場合、レイを出撃させるため。第3目的は、そうまでしなくては人類の未来は無いということを職員に知らしめるためだ。他にもあるが後は些細なことだな・・・」
「・・・・そう・・・・」
「・・・使徒戦は後が無い戦い、勝つ、生き残る事が最優先だ。」


 A.S.15年12月17日(木曜日)、
 碇が去って暫くして、小さな足音が近付いてきた。
 シンジが足音の方を向くと、レイが小さな花束を持って立っていた。
「綾波・・・」
 予想外の人物の登場にシンジは少し戸惑った。
「…赤木博士が、お墓に参るときは、花を持っていった方が良いって…」
「母さんの墓参りに?」
「…ええ…」
 レイはユイの墓の前にしゃがみ花を供え、手を合わせた。
 そして、立ち上がった。
「綾波は母さんの墓参りに来たことあるの?」
「…2年前と去年、この日に碇司令と…」
「一昨年と去年?」
「…ええ…」
「綾波…ひょっとして、僕の代わりに父さんに連れられてきたの?」
「…そうよ……碇司令は私を見るとき、いつも別の人を見ている。私自身を見ようとしない…」
 シンジはレイの視線がユイの墓にじっと向けられている事に気付き、ユイの写真が脳裏に浮かび、ユイの顔にレイの顔が重なった。
「そ、そんな…綾波はそれでも良いの?」
「…構わないわ…」
「そんな…」
「…今は、私を見てくれる人がいるから…」
 レイの表情には微笑が浮かんでいた。
 シンジは顔を少し綻ばせた。
「…そう…良かったね」
「…帰る」
 レイは少し機嫌を損ねたようで無表情に戻った。
「あ、僕の所寄っていかない?」
「…問題ないわ…」
 表情は出ていないがどこと無く嬉しそうだ。


 A.S.16年、6月6日(月曜日)、
「…零号機の事故のとき…父さんがレイを助けた事は?」
 答えるまでに、少し間があった。どう答えるべきか、迷っているようでもある。
「……いずれにせよ、レイに死んでもらっては困るからだ」
 その言葉に少し顔を顰めるが、それ以上そのことを尋ねても意味がないであろうから少し別の方向から尋ねる。
「…墓参り…僕が来なくなったら、レイと来たんだね…」
「ああ」
「…レイは僕の代わりだったの?」
 その言葉に、碇は少し固まってしまったが、1分ほどして答えた。
「………そうだ、そしてユイの代わりでもあった。だが、それだけではない…それだけでは…」
「そう…」
 取り敢えず、シンジは碇がレイに対しても直接何らかの感情を持っていることを知って少し安心した。
 しかし、それは碇とレイの事…自分が先に介入してしまうのは良くないと思い、それ以上は聞かなないことにした。
 次は何を聞こうかと考えている内にマナのことに行き着き、一連のことを思い返す。 
「…マナを助けなかったの何故?」
「…戦自のスパイの事か?」
 軽く頷く、
「スパイ一人を助けるために日本政府との関係があれ以上拗れたらどうなったと思っている?サードインパクトの回避が大前提である事を忘れるな。それが危うくなるような橋は渡れん」
 そして、それはトウジの…参号機のことにも考えが広がる。
「…じゃあ、トウジの件も?」
「参号機か…当然だ」
「…あの時…ダミープラグを止めなかったのは何故?」
「暴走状態のエヴァを止める事は出来ない、」
「…そう…」
 表情を暗くする。
「シンジ…お前はあの時、戦自のロボットの件と同じ過ちを繰り返そうとしていたのだぞ」
「あ…」
 シンジは、少し目を大きく開き、そして暫くして納得したような表情になった。
「お前が攻撃を躊躇ったために、操縦者と人質は蒸発した」
「……」
「人は必ず過ちを犯す…だが、それを繰り返すな…」
 長い間があったが、シンジはゆっくりと頷いた。
「「………」」
 話すことが無くなってしまったのか、再び長い沈黙が続いたが今度は碇がそれを破った。
「…シンジ…お前には守るべき掛買の無いものがあるか?」
「…多分…」
「ならば何があっても必ず守りぬけ…守りきれなかった時、私のようになる…」
それは哀しげな音も含んでおり、そしてその事が、その言葉を極めて重いものとして聞こえさせる。
「……」
 何時しか日は殆ど沈み辺りはずいぶん暗くなっていた。
「…暗くなったな…」
「そうだね…」
「帰るぞ」
「…うん…」
 二人はその場を去った。
 碇は2度とこのユイの墓を訪れることが無い事を祈りつつ……

あとがき
今回は誕生会と碇とシンジの話でした。
前半の誕生会とその準備に関しては軽い雰囲気、後半の二人の話は重い雰囲気ですね。
今回のことで碇とシンジ、二人が歩み寄ることになればいいですね。

文明の章のアンケートの4回目を実施しようとおもいます。
協力してくれた方には、文明の章第参部外伝第四話を差し上げます。
内容的にはネルフ公開に当たっての本編に書かれていないキャラなどの話になっています。
よろしければご協力ください。


次回予告
修復した零号機のコアを初号機につけての起動実験と弐号機の機体連動試験が行われていた。
そんなか、ミサトの発案によりある実験が試みられる。
最初はそれによって良好な結果を得ることができたが、不安があった次の実験では、異常事態が発生してしまいシンクロ率がカウンターストップし、LCLに還ることになった。
即座にサルベージが準備され、実行されたのだが、完全にはうまくいかなかった。
次回 第拾四話 混乱