もうひとつの姉妹の形 -another story-

Happy Birthday!

 深いため息をつく。
 ……最近全然お姉さまと会えない。
 お姉さまが高等部を卒業して大学に進んでからは、時々薔薇の館に遊びにきてくれたときに会うくらいで、敷地も一応分かれているから同じ校内でもすれ違ったりとかそういうこともぐっと減ってしまった。
 それはもともとわかっていたことだし、むしろ薔薇の館に遊びに来てくれるだけでも私としては歓迎すべきことである。
 ただ、明日は私の誕生日。
 それもせっかくの土曜日なのだから、お姉さまの都合さえよければ午後は二人でどこかに……なんて考えていたのに、結局その約束どころか話すらできないまま日が過ぎてしまった。
 春休みとかは結構二人でお出かけをしたりもしていたのに、お姉さまの方も学期が始まって忙しいのか、顔を出してくれなくなってしまった。電話も、この前買ったって自慢していた最新型だという携帯電話にかけてもいつもつながらない。あの人ほんとうに携帯電話持ち歩いているんだろうか? お姉さまのことだから案外どこかに置きっぱなしになっているとかそんなことも十分にあり得そうな気はする。
 大学の方は土曜日休みだからお姉さまが明日薔薇の館に遊びにやってくるってこともないだろうし、残念ながら私の誕生日はお姉さまといっしょに過ごすことはできないようだ。
 考えていたら、またため息をついてしまった。
 あのお姉さまのことだ。私の誕生日を覚えているなんてことはまずないだろうし……そういう人だってわかっているのだから、いまさらどうこう言うわけにもいくまい。
 とても残念な話ではあるが、いつまでもこんなことを考えていたらなおのこと凹んでしまいそうだし、寝るのも遅くなってしまう。
 考えるのはやめにしてベッドに入ることにした。


「祐巳さんお誕生日おめでとう」
「ありがとう、由乃さん」
 登校してきた由乃さんは私を見つけていつもの『ごきげんよう』ではなく、今日限定のことばをかけてくれた。
 蔦子さん、真美さんに続いてである。
 薔薇の館のメンバー全員のプロフィールくらいは把握していそうな真美さんはともかくとして、蔦子さんも由乃さんも、しっかり私の誕生日を覚えていてくれたのはやっぱりうれしい。
「そうそう、祐巳さん。今日の放課後、ちゃんと薔薇の館に行ってよね」
「え? 元から行くつもりだったけれど、なにかあるの?」
 聞き返すと由乃さんはなぜか慌てて何でもないと否定してから、やっぱり大事な用事があるからとさらに打ち消した。
 どうしてそんな反応をするのかわからない。
 少し追求してみると「とにかく、ちゃんと言ったからね!」と話を打ち切って自分の席の方に行ってしまった。
 ……今日の放課後薔薇の館でいったい何があるというのだろうか?
 会議とかならそのまま会議だとか言うだろうし、何かの重大発表? もしそれならさっきの反応からするに由乃さんはその内容を知っているのだろう。ならなぜここで伝えないのか、他の人に聞かれてまずいような話だとしてもさっきの言い方はしない気がする。
 由乃さんのことだから令さまのことかな? たとえば令さまが全国大会出場を決めました! とか。それなら令さまの口から発表させたいからさっきの言い方になるのもうなずけるけど、春の大会は結構前に終わっている。
 では何だろう?
「う〜ん」
 腕を組んで首をひねりつつ考えていると、パシャッとフラッシュが光るのが見えてしまった。
「祐巳さん、かなりお悩みのようね」
「あ、うん……」
 またやられてしまったとは思うが、この蔦子さんに何か言ってももういまさらである。
 まあせっかくだし蔦子さんの意見を聞いてみようと話すと蔦子さんは少し考えた後で答えがわかったのか少し楽しそうに唇をゆがめた。
「わかったの?」
「たぶんね。でも、答えやヒントはあげないから」
 なにゆえに?
「その方が祐巳さんにとってもいいと思うからね。じゃあまた」
 と蔦子さんも自分の席の方に行ってしまった。
 ますますわからなくなってしまって、朝拝の間学園を代表するはずの白薔薇さまがお祈りそっちのけで考え込むことになってしまった。


 毎日くぐっているはずの薔薇の館の入り口……今日ここをくぐるのはどうしても緊張してしまう。
 いったい何があるのかいまだにわからず、授業が終わって掃除の時間になると同時にまた頭の中をこの命題が巡り始めてしまった。
 態度にまで出てしまったようで、いっしょに掃除班の人からは掃除は私たちに任せて薔薇の館にお行きになってと勧められてしまった。どうやら山百合会のことで何か懸念事項を抱えているものだと思われてしまったようだ。
 ひょっとしたらそういう話かもしれないけれど、少なくとも私が考えていたのはそんなレベルの話ではない。なので心苦しくはあるが、掃除に集中できないのは事実だし、みんなに深く謝って掃除を抜けさせてもらった。
 扉を開けて中に入り階段を上がる……ゴクリと生つばを飲み込む音がひときわ大きく聞こえてしまう。
 ビスケット扉をあけるとそこには、祥子さまがいらっしゃった。
「あ……祥子さまごきげんよう」
「ごきげんよう。祐巳ちゃんお誕生日おめでとう」
「あ、ありがとうございます!」
 祥子さまからお祝いのことばをかけてもらったらさっきまでの気持ちは全部どこかへ吹っ飛んで、とっても幸せになった。あの祥子さまが私の誕生日を覚えていてくれて、お祝いのことばをかけてくれたのだからそれもむべなるかな。
 私の誕生日だしと祥子さまが入れてくださった紅茶を飲みながら、誕生日に絡んだ話をしていると志摩子さんと乃梨子ちゃんがやってきた。
 二人からもお祝いの言葉をもらったわけだが……朝あんなことを言っていた由乃さんと令さまがなかなか姿を現さない。
 薔薇の館に来てからずっと雑談ばっかりだし、私が来なければいけないような話は全然見あたらない。いったいどういうことなのだろう?
「祐巳ちゃん、どうかして?」
「あ、いえ……令さまと由乃さんが遅いなって思って」
「ああ、でもそろそろね」
「へ? そろそろって何か?」
 祥子さまが答えるよりも早く下のドアが開く音が聞こえてきた。階段を上ってくる足音は由乃さんと令さまの二人。
 祥子さまはそろそろとか言っていたし、何かしていたのだろうか。
 ドアを開けて入ってくる二人。令さまは両手に袋を持っていて、由乃さんは大きな白い箱を大事そうに抱えていた。
「お待たせー」
「言っていた時間通りね」
「なれてるし、徒歩だしね」
 由乃さんが白い箱をテーブルの上に置く。何だろうこれは?
「ふふふ、どうやら祐巳さんまだわかっていないようね」
 なぜか得意そうな由乃さん。どう答えようか少し考えて、素直にうなずくことにすると。
「ジャーン! 令ちゃん特製のバースデーケーキでーす!」
 令さまが箱を開けるとそこには立派なホールケーキが現れた。
 中央にはHappy Birthdayの文字がチョコレートで描かれている。
「祐巳ちゃん誕生日おめでとう」
 今やっとわかった。令さまがなかなか来なかったのはこのケーキを焼いてくれていたからだ。由乃さんはそのお手伝いか何か。
 あの令さまが持ってきた袋の中身はたぶん飲み物やお菓子、つまり私の誕生会をみんなで開いてくれたってことだ。
 私のためにここまでしてくれるなんてほんとうにうれしい。
 令さまが焼いてくれたケーキはほんとうに絶品だったし、楽しくおしゃべりをしながら私のために開いてくれた誕生会を楽しんでいると下のドアが開く音が聞こえてきた。
 誰か来たようだけれど、山百合会に用事って感じだったら、この状況はちょっとまずいんじゃないだろうか?
(あれ?)
 階段を上ってくる足音に聞き覚えがあるような気がする。
 だれだろうと思ったその答えはじきにわかった。
 ビスケット扉を開けたその方はなんと紅薔薇さまだったのだ。
「紅薔薇さま!」
「ごきげんよう。みんな久しぶりね」
 何とか部とかでなくてよかったが、紅薔薇さまが何をしにここに?
「祐巳ちゃんお誕生日おめでとう」
 なんと!
 さらに、はいと、白い花付きのリボンが巻かれ、きれいにラッピングされた小さな箱を差し出された。
 これはまさか誕生日プレゼント。
「あ、ありがとうございます!」
 紅薔薇さまからプレゼントをいただく。
「紅薔薇さま、開けてもいいですか?」
「ええ、でもね」
 でもね?
「紅薔薇さまは今は祥子よ」
「あ……そうでした」
 そういえば卒業式の朝にもなんて呼ぶのかって話をしたっけ。
 現紅薔薇さまである祥子さまは軽く苦笑いをしている。
「では……蓉子さま開けてもいいですか?」
「ええ、もちろん」
 リボンをほどいてラッピングを丁寧にはがして箱を開けると中は白いハンカチだった。
 ハンカチにしてあった薔薇の花の刺繍……これロサ・ギガンティアだ。
「ありがとうございます。この刺繍ってひょっとして蓉子さまがされたんですか?」
「ええ、なかなかうまくできたと自分では思っているけれどどうかしら?」
 楽しそうに聞いてくる蓉子さま。刺繍は素晴しいものであり、ただ薔薇がロサ・ギガンティアだったからひょっとしたらと思っただけのことだ。
「とっても素晴しいです。わざわざほんとうにありがとうございます」


 蓉子さままで来てくれてみんなで楽しく食べたりおしゃべりしたり、ほんとうに楽しかった。
 けれど……
 M駅行きのバスに乗って、さっきの誕生会のことを考えていたらだんだん寂しくなってきてしまった。
 これも祭りの後の寂しさっていうものだろうか?
 ……いや、ちがう。
 そもそも今日の朝もブルーな目覚めだったのだ。
 もちろんみんなからお祝いされてとてもうれしかった。家に帰れば夜は豪華な夕飯とともにケーキも用意されていて家族からも祝ってもらえる。けれど、もう一人……ううん、一番私が祝ってもらいたい人がそこにはいない。
「……お姉さま」
 今どうしているのだろうか?
 さすがなのか、蓉子さまは私の誕生日をしっかり覚えていてくれて、プレゼントをしかも手作りの刺繍入りのハンカチをくれたというのに……あのお姉さまだ。覚えていたりなんかしないだろう。
 ため息が漏れる。
 せめて連絡だけでもつけば、今日私の誕生日なんですって伝えられるのに……
 お姉さまのことを考えていると、もうすぐM駅につくという車内アナウンスが流れてきた。
 降りて乗り換えなきゃ。
 バスを降りて駅の自由通路を通っているとき、緑色の公衆電話が目にとまった。
 電話、かけてみようか?
 ダメ元でお姉さまの携帯電話にかけてみればどうだろうか? つながれば、誕生日のことを伝えられる。
 あのお姉さまだ。今日が私の誕生日だって知れば、おめでとうって電話越しに言うだけではなく、すぐに飛んできてくれるかもしれない。「ごめんごめん、すっかり忘れててさ」とか言いながら……そうすれば私の誕生日、姉妹になって初めての誕生日をお姉さまといっしょに過ごすことができるようになる。
 テレホンカードを財布から出して、公衆電話の受話器を取ってテレホンカードを入れる。
 そしてお姉さまの携帯電話の番号をプッシュする。
 結構そうなるかもなぁと思っていたとおり、コール音がしばらく続いたあと、留守番電話のメッセージが流れてしまった。
 深いため息とともに受話器を戻す。
 この分だともうお姉さまに連絡は取れないだろう……いっそう沈んだ気分になりながら南口のバス乗り場に向かった。


「誕生日おめでとー!」
 かなりブルーな状態で帰宅してリビングに入るとなんとお姉さまが目の前にいた。
「お、お、おお姉さま?」
「うん、そう。私よ」
「ど、どうして、ここに?」
「どうしてってほら」
 お姉さまに言われて部屋の内装に気がついた。
 思いっきり飾りつけがされ、Happy Birthday!と横断幕までかけられていて、テーブルの上にはこれでもかってくらいいろんな料理が並んでいる。
「白薔薇さまといっしょに朝からパーティーの準備をしていたのよ」
 とうれしそうに説明してくれるお母さん。
「お姉さま、私の誕生日覚えていたんですか?」
「もちろん。でも、ただ単におめでとうって言ってプレゼント渡すだけじゃつまらないじゃない。それでこんな趣向にしてみたってわけよ。どう、びっくりした?」
「びっくりしました」
 お姉さまがちゃんと私の誕生日を覚えていてくれて、しかもこうして誕生パーティーをセットしてくれていた。びっくりした以上に、今まで寂しかったぶんものすごくうれしかった。もううれしさで涙がぽろぽろこぼれてきてしまうくらい。
「え? あれ? ゆ、ゆみ?」
「おねえさま」
「何か、私まずいことでもしちゃった?」
 涙でよく見えないけれどお姉さまは結構うろたえている。
「ううん、違います。ただ、うれしすぎただけです」
 お姉さまの胸で泣かせてもらおう。そう思ってお姉さまの胸に飛び込むと、お姉さまは抱きしめてくれた。
 私の誕生日なんか覚えていないだろうなんて思ってごめんなさい。
 お姉さまは最高のお姉さまです。