第三話 

マリアと子狸 中編

〜1〜
 月曜の午後、大きな手提げ袋に入れて持ってきたお土産を二つ……志摩子さんと桂さんの分を持って二年藤組に向かった。
 ……二年藤組。二年生になってからこのクラスを訪れるのは、二回目だったりする。他のクラスには連絡等でちょこちょこあるというのに、だ。
 もちろん志摩子さんに会うためなら、下手に教室に行くより昼休みや放課後なら薔薇の館の方が確実というのはある。
 ……とはいえ、このクラスに寄る回数が極端に少ないことに理由があるのは、私自身気づいていたりする。
 二年藤組といえば静さまのクラスにして、図書委員会や合唱部と併せた静さまの応援団の中核であったからだ。
 何とかに罪がないの論法で行けば、当然藤組に罪がある訳じゃないとなるのだけど、いまだに抵抗が抜けきれない。こんな部分でも、私が静さまにいかに苦手意識(でも嫌いじゃない)を植え付けられたのかがよく分かるというものだ。それに比べたら、瞳子ちゃんへの苦手意識など可愛いものかもしれない……そんなことを考えながらドアを開けようとしたとき、まるで自動ドアのように独りでに開いた。
「あれ? 祐巳さん、ごきげんよう。何か用?」
「わわっ。ごきげんよう桂さん」
「? どうかした?」
「ううん。ただ扉を開けようとしたところでちょうど開いたから、ちょっとびっくりしただけ」
「それはなんともタイミングが良かった……? おかえりなさいませ、お嬢様」
 こんな感じかしら? なんて言いながらポーズを取る桂さん。
「……なにそれ?」
「なんかお父さんの知り合いが、そんな風に出迎えてくれる喫茶店を作ったんだって。でも、こんなのが似合うのってうちでもそんなにいないわよね」
「たしかに、ぱっと思い浮かぶのは祥子さまくらいかなぁ」
 まあ、リリアンには祥子さま以外にも、福沢家なんかと違って正真正銘お嬢様の人たちはたくさんいるのだけど、実際にそういうお宅に伺ったのは祥子さまのところぐらいだし、なによりそういうのが一番似合うのは誰かと言われたらやっぱり祥子さまだと思うのだ。
「ごきげんよう、祐巳さん。二人で何を話しているの?」
「あ、志摩子さん、ごきげんよう。扉が自動ドアみたいに開いて、お手伝いさんが出迎えてくれるのが似合うのは祥子さまだよねって話」
「……?」
「祐巳さん、それで話が通じたら志摩子さんエスパーか何かだと思うわよ……それより何か用事があったんじゃないの?」
「そうそう、そうでした。お二人に用事があったのでした」
「そうなの? じゃあ、とりあえず中に入らない? 私たちがここにいると、皆さんのおじゃまになるし」
「……ごもっともです」
「……ごめんなさい」
 確かに、扉の前で話し合っていたら邪魔くさいことこの上ない。そんなわけで、三人とも志摩子さんの席まで移動することになった。
「……では、あらためて。どうぞ、おおさめください」
 そう言って、二人に函館土産のトラピストクッキーが入った袋を差し出す。
「私もいいの?」
「もちろん。桂さんにもお世話になっていますから……はい、どうぞ」
「ありがとう」
 志摩子さんは「桂さんにはさっき渡したのだけど」と、手提げから小袋を取り出した。
「ありがとう、志摩子さん。志摩子さんは祥子さまといっしょに行ってきたんだったよね」
「ええ、絵画の展覧会に連れて行ってもらったわ。素敵な絵をたくさん見ることができたし、その後はお姉さまと二人で近くの高原を散歩したりとか」
「うわっ、絵になりすぎ……」
「やっぱり祐巳さんもそう思うわよね? 私も午前中に聞いた時、そう感じたもの。で、祐巳さんとまったく同じ反応をしました」
「うんうん、誰でもそう思うよね」
「お姉さまはともかく、私はどうかしら?」
「……志摩子さんって、祐巳さんと違った意味で天然よね」
「……いろんな意味で否定したくてもできないです、はい」
 深窓の令嬢お二人が風で飛ばないよう軽く帽子を押さえつつ、もう片方の手はしっかりとつながれて……なんて光景は祥子さまと志摩子さんに似合わずしていったい誰が似合うんだ? というくらいぴったりだというのに、志摩子さんったら。そんな部分も大好きだけどさ。
 まあとにかく、実際がどうであれそんな光景を想像していいなぁと思った。もちろん私もお姉さまとたっぷりと函館観光とお花見を楽しんできたわけだが。
「私の方はお姉さまといっしょに函館観光とお花見、お花見ではお姉さまが羽目を外しちゃって……」
 酔ってもないのに酔ったふりをして何をされかけたのかというのはさすがに黙っておく。
「聖さまは相変わらずね」
「あーあ、二人とも楽しそうでうらやましいわ」
「桂さんはゴールデンウィークはどうしていたの?」
「二人と同じようにお姉さまとお出かけもしたけど、わざわざお土産を買ってくるようなところじゃなくて、都内でお買い物って感じ。まあ春先に姉妹になってから一周年の旅行に行っちゃったばかりってのはあるんだけど」
「……桂さん、うらやましがっているのか、自慢したいのかどっち?」
 私も志摩子さんも思わず苦笑い。
 私たちは姉妹になってからまだ半年も経っていない。対して桂さんは部活に入ったその日のうちに姉妹の儀式をしているから、もう丸一年以上になる。
(革命やっちゃったなんてこともあれど)お姉さまと過ごす一年・四季・春夏秋冬ってやつを堪能してきたわけだ。
「いいじゃない、たまには私にもそういう話をさせてよ。いつもあなたたちの様子を指をくわえて見ているんだからー」
「そういう……」
「……つもりはないんだけど」
 志摩子さんと顔を見合わせながらやっぱり苦笑い。
 桂さんは冗談で言っているけれど、そういう印象が薔薇の館全体にあるってのは間違いないと思う。
「ま、それはともかくさ、ちょっと庶民に教えて欲しいんだけど……志摩子さん、土曜の朝の子って……」
「乃梨子さんのこと?」
 桂さん、その冗談は胃に悪いからそろそろやめてよねなんて思いつつ聞いていたら、志摩子さんの口から思いがけないフレーズが飛び出し、思わず口を挟んでしまう。
「え、乃梨子ちゃんがどうかしたの?」
「環境整備委員会の当番で花壇の草むしりをしていた時、乃梨子さんが手伝ってくれたの」
「ああ、そういうこと……よかった」
 土曜・月曜とまだ乃梨子ちゃんに会えていないので、その間になにかちょっとした騒ぎでもあったのかと思ってしまっていたので、ほっと一安心。
「今日もお昼はたまたま廊下であったから、乃梨子さんとご一緒させてもらったわ」
「そうなんだ。乃梨子ちゃん、緊張していなかった? 志摩子さんのことマリア様や聖女様ようなすっごい人がいたって気にしていてさ……実はそれがきっかけにして薔薇の館に招待したくらい」
「緊張はしていなかったみたいだけど……そんなことがあったのね。なんだか恥ずかしいわ」
「まあ私たちから見ても志摩子さんって絶世の美少女だし……ねぇ、桂さん?」
「え!? あ、そ、そうね」
「どうかした? あ、そういえば桂さんの話遮っちゃってごめんね。今更ですけれども続きを……」
 桂さんが上の空?っぽいのを見て、ようやく私が途中で話に割り込んでしまったことを思い出して、謝りつつ続きを促そうとしたのだけれど……
「ああ、さっきの話はもういいの。祐巳さんたちの話で私の勘違いだって分かったから」
「そうなの? でも……」
「いいから、いいから。それより祐巳さんのゴールデンウィーク話をもっと聞かせてってば。新聞部も把握していないお二人の素敵情報とお土産を私が独占、みたいな?」
「まあそういうなら……」
 さっきまでとは打って変わって笑いながらそんなことを言う桂さんに、私だけでなく志摩子さんもちょっと腑に落ちないようだったけれど、桂さんがすっかり聞く態勢に入ってしまったので休み時間の終わりまで連休中の話題になったのだった。


 放課後の薔薇の館、テーブルの上にはそれぞれが買ってきたお土産が並んでいる。
 みんなそれぞれ向け以外に、薔薇の館でのお茶請けにいいだろうという感じで買ってきたものだから、しばらくはお茶請けに困らなくて済みそうだ。
 ちなみに今私が何をしているかと言えば、ただ座っているだけだったりする。由乃さんと志摩子さんが紅茶の用意をしているのを、祥子さま・令さまのお二人といっしょに座って待っているのだ。
 うーん、一応白薔薇さまなのだから下っ端という感じではないけれど、私も下級生の一人なのだし……こうして私も待っている側になっていると、どうにもむずむずしてきてしまってよろしくない。
「ゴールデンウィークも終わってマリア祭までいよいよ十日を切っちゃったね」
「ええ、準備が順調なのが幸いだわ」
「ですね」
 通常の山百合会の業務にプラスされる形なのでどうしても忙しいことは忙しいが、マリア祭については予定通りに準備が進んでおり、問題なく進んでいる。
「はい」
「志摩子さんありがとう」
 せめて紅茶を入れてくれた志摩子さんに丁寧にお礼を言うことにした。
「そう言えば、オルガンはピアノとは勝手が違うから試しをした方がいいわね」
 今年の企画は去年の祥子さまに引き続き紅薔薇のつぼみたる志摩子さんがお聖堂のオルガンを演奏することになっている。
 考えてみると、去年のマリア祭で祥子さまが演奏する姿を見たとき、強く憧れたのだった。
 ……もうあれから一年になるのか。
 私の立場はあの時は遠い存在だった祥子さまや令さまと並ぶ同じ薔薇さまになった……そして、志摩子さんや由乃さんという仲間もできた。この半年ほどで大きく変わったものだ。
 私にとってお姉さまとの姉妹体験は、楽しいことだけでなくつらいことや悲しいこと、すべてをひっくるめて一生忘れることができない大切な出来事である。とはいえそれは結果論で、なにも好きこのんできつい思いをしたかったわけではない。
 姉妹体験はいつか必ず終わりを告げる。体験であっても、あるいは体験だからこそ乃梨子ちゃんにはつらい目にあって欲しくない。この体験がどのような形で終わるのかまだ見当も付かないけれど、その時にはリリアンで普通に楽しく過ごせるようになっていて欲しいと思うのだ。
 乃梨子ちゃんと当時の私とでは立場が異なるとはいえ、お姉さまも今の私と似たようなことを考えていたのだろうか?
 やめやめ……どうにもいけない、このことに考えを巡らせるたびに深みにはまり込むような気がする。
 多少強引に考えを振り払って、志摩子さんが入れてくれた紅茶が冷めないうちにいただくことにした。


〜2〜
 火曜日のお昼休み、昨日一緒に食べられなかったお詫びといってはなんだが、今日はすぐ教室を出て屋上へ向かう……よかった、まだ来てないみたい。さて、シートを広げるとしよう。
「遅れてすみません」
 まだシートを広げ終わってもない、そんなタイミングで乃梨子ちゃんは現れた。結構ぎりぎりだったな。
「いやいや、私も今日はぜひ乃梨子ちゃんに話したい土産話もあって、急いで来ちゃってさ。ささ、食べよう? あ、もちろん話だけでなく本当のお土産もあるからね」
「え、何なんでしょう? それはどちらも楽しみですね」
 楽しそうに食いついてくれる乃梨子ちゃんの顔を見ると、こちらも楽しくなってくる。さて、盛り上がることを期待しつつ、お弁当を広げるとしようかな。


 お昼ご飯もすんで、お茶を飲みつつ一息入れる。
 思った通り函館山の三十三観音像(といってもお寺にあるのだけど)の話はずいぶんウケた。
 私自身、見る目ができてきたなんて言ったら怒られそうだが、それでも見に行って楽しかったのは本当である。(お姉さまと一緒ならどこでも楽しいということを除いても)
 最初は、乃梨子ちゃんのことをもっと知りたいな程度のつもりだったのに、いつのまにやらである。案外趣味のきっかけってこんなものなのかもしれない。
 そういえば蔦子さんのカメラとか、志摩子さんの日本舞踊ってのもなにかきっかけがあるのだろうか?
 今まで趣味と言えるような趣味(年賀状を取りに行く一年に一回の行為を普通趣味と言うまい)を持っていなかったから、なんか気になった。
「あ、思い出した」
「どうかしました?」
「そういえば昨日のお昼は志摩子さんと一緒に取ったんだって?」
 志摩子さんの日本舞踊……で、昨日三人でした会話を思い出した。
「あ、そうなんです。教室を出た後、どこへ行こうかと思っていたら誘っていただいて」
「昨日午後から志摩子さん達にお土産を渡しに行った時、ちょっと話題になってさ。どうだった? 美人過ぎるから最初だけはちょっと近づきがたかったかもしれないけれど……」
「はい、とてもすてきな方でした! それに……」
 どうしたのだろう? 乃梨子ちゃんが急に周りを見渡した。なんか内緒の話でもあるのだろうか?
「……それに阿弥陀三尊像について説明してくれたりもしたんです。祐巳さんには以前興奮してお見苦しいところを見せちゃいましたから、同じ醜態は繰り返すまいと気をつけてはみたんですけど、志摩子さんにはばればれでした」
 やっぱり秘密の話らしく、声を潜めながら、乃梨子ちゃんはそんなことを言った。
「ばればれ……」
 思わずオウム返しになってしまう。いったいどういうことなのだろう?
「ええ、さすがですね。聞く私も私なんですけど、ご自分の家のこととはいえ、由来からなにからしっかりご存じで」
「由来……阿弥陀三尊像の由来……志摩子さんの家」
 うーむ。私がぼけているだけかと思って、ここまでの情報を組み合わせてつぶやいてみても、やっぱりピンと来ない。阿弥陀三尊像自体は今ならもう分かるが、それと志摩子さんの家ってのがなんの事やら……
「あれ、祐巳さんって志摩子さんのところの本堂はご覧になったことがなかったんですか……って、そうか、最近私のせいで興味を持ってくださったばっかりだし、これだけ忙しいのにそれから志摩子さんの家におじゃましている余裕なんて無いですよね? 失礼しました」
「志摩子さんの家……本堂……」
 ぺろっと舌を出しながらコツンと自分の頭をこづく乃梨子ちゃん。その仕草はとってもかわいい……しかし、つながらないものはつながらない。
 乃梨子ちゃんの話しぶりからして、私が知っていることが前提っぽいのは確かだと思う。でも何をどうつなげたらいいのかがまだ見えてこない。
「ほら、志摩子さんの家は小寓寺じゃないですか。そこのご本尊が阿弥陀如来像でして、左右に観世音・勢至菩薩が脇侍しているから阿弥陀三尊像……と、こちらの部分はもう祐巳さんならばっちりご存じでしたね」
「志摩子さんの家が小寓寺で、本尊が阿弥陀如来像……」
 乃梨子ちゃんも私に通じていないということが分かったみたいで、よりいっそう丁寧?に話してくれた。
「ええ、そうです。あれ? 今度は順を追って説明したつもりなんですけど、何か考え込むような箇所ってありました?」
「考え込むというか……志摩子さんって小寓寺、つまりお寺の娘なんだ?」
 そう、さっきの説明でようやく理解できた。乃梨子ちゃんにとっては私が知っていることが当然という前提のせいで、省かれていた説明。
 どうやら志摩子さんはお寺の娘である、ということだ。


「ええー!?」
 私にとっても意外だったが、乃梨子ちゃんにとってはそれどころではなかったらしい。
 たっぷりの間の後、思いっきり声を上げてしまっていた。
 それでも屋上じゅうの視線が一気に集まってしまったことに気づいたようなので、一緒に周囲の皆さんに軽く頭を下げる。
「……まさか、祐巳さん。本当に知らなかったんですか?」
 これはもう本当にそう考えているというよりは確認なんだろうな。
 お姉さまにさんざん百面相言われているだけあって、たいてい私が先に驚く側なので実感がなかったのだけど、自分以上に驚いている(興奮している)人間がいるとかえって冷静になるってこういうことなんだと分かった。
「志摩子さんは、お寺の娘なんだね?」
 あらためて、はっきり分かったということを乃梨子ちゃんに伝えると、乃梨子ちゃんは頭を抱えてしまった。
「知らなかったんだ……どうしよ」
「説明してもらってもいい?」
「……はい」
 後悔という二文字がにじみ出ている声ではあったけれど、事情を説明してくれた。
 先日、乃梨子ちゃんが言っていたゴールデンウィークの予定。幽快の弥勒を見せていただきにH市のお寺に行くと行っていた話。その小寓寺の住職の娘の名前は志摩子……あの志摩子さんだったのだ。
「本当にびっくりしました。その後志摩子さんから事情は聞きましたけど……どこまで話していいのかわからないというか、勝手に話しちゃいけない気がするので……ごめんなさい」
 乃梨子ちゃんは彼女自身が志摩子さんの秘密を知ることになったいきさつの説明だけでやめ頭を下げた。
 そんな乃梨子ちゃんになにか声をかけないといけないと思いつつも、さすがに考えは志摩子さんの方に移っていってしまう。
 志摩子さんはお寺の娘だったのか……もちろん、そんな話聞いたこともない。
 あのシスター志望で有名な志摩子さんの家がお寺だなんて誰が考えよう。でもまあ、そこまで方向性が違えば話のネタにもなりそうなものだが、そうならないところを見ると間違いなく秘密なのだ。
 ……もっともそんな風に考えが進むのは、福沢家がクリスマスもお正月もマリア様もお釈迦様も歓迎できるちゃんぽんな家であるからで、真摯に宗教と向かい合っている志摩子さん、そしておうちの方にとってはやっぱり重い秘密なのかもしれない。
 そういえば志摩子さんが一度祥子さまからの申し出を断ったとき、いつでも飛び立てるように身軽なままでいたいと言ったんだったっけ……ひょっとして秘密がばれたてしまったら、そのことばのままリリアンから飛び立ってしまうつもりだったのではないだろうか?
 そう考えると、志摩子さんがお姉さまに妹にしてほしいと言い出せ……いや、思うことも抑えていた理由がより納得できる。
 そうか、そもそも志摩子さんが自分からは人間関係を広げようとしないのも、その秘密があったからなんだ。「もし」なんてレベルじゃない、ささいなきっかけ(事実、乃梨子ちゃんに知られてしまった)で失ってしまいかねない絆を作ろうとしないのは当たり前のことだ。
 誰だって最初から無い状態よりもできたものが壊れる・無くなる方がつらいと思う。
 志摩子さんはそういったものを抱えてしまっているのに、私と手を取り合ってくれている……そのことにうるっと来たけれど、強引に横に置いておく。
 そうだ。考えてみれば、偶然とはいえ志摩子さんの秘密を知った上で、志摩子さんがそのことを受け入れられたという乃梨子ちゃんの存在はかなり大きいものでは無いだろうか?
 なにしろ志摩子さんは秘密がばれてしまったのに飛び立つ……つまり学校を辞めようとしていない。これは昨日お土産を渡しつつ雑談した時の様子からして間違いない。
 そうであるなら、今後もぜひ乃梨子ちゃんには志摩子さんにとって数少ない親密な後輩・友人、そういった存在であって欲しい。乃梨子ちゃんも志摩子さんのことが気になっていたみたいだし。
 ただこの仮定は「この秘密がばれたらリリアンから飛び立つことになる」という前提が合っていれば、である。
 私の知っている志摩子さんの姿と綺麗に重なったので、まず間違っていないという自信はあるが、念のために乃梨子ちゃんに聞いてみることにした。
「ねぇ、乃梨子ちゃん」
「はい……」
「こんな時に質問して悪いけど、重要なことだからお願い。乃梨子ちゃんが秘密を知ってしまった時、志摩子さんは秘密がばれたらリリアンから去るつもりだとかそんなこと言ってたりしなかった?」
「はい……住職とそういう約束になっているって。私どうしたら……」
 やっぱり。しかも住職、つまり志摩子さんのお父さんと……重い秘密になるわけだ。
 その重さはともかく、この状況はある意味志摩子さんにとってまたとない機会だ。そうなると、あとは取り返しのつかないことをしてしまったと深い後悔をしている乃梨子ちゃんをどう説得するか。
 こういうのは得意じゃないんだよなぁ。蔦子さんや真美さん、お姉さまをはじめとして蓉子さま・江利子さまならお茶の子さいさいなのだろうけど。
 ……よし、直球でいこう。下手の考え休むに似たりだ。
「うん、ならそう深刻に考えなくても大丈夫だよ。確かに私は知らなかったけれど、志摩子さん、私になら知られても問題ないって思うから。そもそも乃梨子ちゃんだって私が知らないはずがないと思って話題に出しちゃったんだよね?」
「はい……そうです。でも、祐巳さんは志摩子さんから聞いたことはなかったんですよね?」
「それはそうだけど、絶対に知られてはいけない秘密ってわけではないでしょ? 志摩子さん、秘密について他にも知っている人がいるとかそういった話はしていなかった?」
「はい……卒業してしまった先輩に一人いたし、知っている人は極限られているけれど何人かいるって。だから私、てっきり祐巳さんがその中の一人だって……」
「そう、確かに私は知らなかった。でもね、それは別に自分から話すようなことではないから、機会がなかっただけだと思うんだ。それどころか、今まで知らせていなくてごめんなさいって謝っちゃったりするよ、志摩子さんなら」
「それは……いくらなんでも……」
「乃梨子ちゃんにとってすごく失礼で申し訳ない言い方になるけれど……乃梨子ちゃんだけがってのならともかく、乃梨子ちゃん「も」知っていて、私が知ることができない志摩子さんのことは無いって言い切れるよ。詳しくは話せないけれど、私と志摩子さんだけの秘密ってのもあるし」
 温室で手と手を取り合って誓い合ったあの約束から育まれてきた私たちの関係。それは私に言い切るだけの自信を与えてくれている。
「それは……確かに私よりずっと長い付き合いでしょうから、そうなのかもしれません……ですけど」
「うん、納得しにくいよね。私でもそう思う。でもこうは考えられない? 家族とか家のことってなにかきっかけでもないとなかなか話さないものだって……そうだな、乃梨子ちゃんのお父さんってどんな仕事に就いてる? 私のうちは設計事務所でね。お父さんが独立した時に自宅と一緒に建てたんだよ」
「うちは公務員ですけど……ああ、祐巳さんがおっしゃいたいことは分かりました」
「お、さすが乃梨子ちゃん。もう気づいちゃったみたいだね。家族とか家のことってなにかきっかけでもないとなかなか話さないでしょう? 同年代の兄弟ならまだ話題に上がりやすいかもしれないけれど、両親の仕事の内容とまでなるとよっぽど話の流れがあわないと。たとえばお父さんがなにかのお店を開いていて、そこでもらってきたものがあるとか」
「うーん……」
 乃梨子ちゃんも理屈の上ではそれもあり得ると思ってくれたのか、さっきほど深刻そうではないものの、やっぱり浮かない表情のままだった。ある意味当然だろう。たとえ私の話が正しかったとしても、乃梨子ちゃんにとって志摩子さんの秘密をそれ自体知らない人に話してしまった事実は消えないのだから。
 それを何とかするには……結果的にはよかったということをはっきり示すことと、志摩子さん自身から許してもらうことかな?
 よし。
「ねぇ、乃梨子ちゃん。志摩子さんに謝りに行こうよ……いや、違うな。体験とはいえ姉をしているんだし、乃梨子ちゃんに誤解させちゃったのも私。うん、私が志摩子さんに謝りに行ってくるよ。それで、もし志摩子さんが本当に決断してしまったのなら責任もとるから」
「そ、そんな、とんでもないでっ!」
 離れているとはいえ、周りに人がいることに気づいて声を絞って「……祐巳さんにそんなことをさせるわけには」って続けた。
「いいから、ね」
 納得してはいないが、私が退きそうにないことはわかったのだろう。しばらくして「ついてきてもらうだけなら」と答えた。
「よし、行こうか……あ、でも、今どこにいるかな? 行くのは放課後にするしかないかな……」
 大事なことが一つ考えから抜け落ちてしまっていた。
「あ、それなら、ひょっとしたらですけど」


 乃梨子ちゃんが教えてくれた心当たり……桜の木のところに行くと、本当にその下でお弁当を広げる志摩子さんの姿があった。
「あら、祐巳さんに乃梨子さん、何か用かしら?」
 箸を止めて私たちに声をかけてきた志摩子さんにたいして、固まってしまっている乃梨子ちゃん。しばらく待ったのだけど、さすがにかなり緊張してしまっているようだ。なかなか最初の一声が出ないみたい。……無理もないか。
 いくら結果に自信があるとはいえ、その気がなかった……というか起こりようもない乃梨子ちゃんを無理矢理連れてきちゃったのは私だし、乃梨子ちゃんの気持ちをむげにしない程度に助け船を出すことにする。
「ちょっと志摩子さんとお話ししたくなって。そうしたら乃梨子ちゃんが志摩子さんならここにいるんじゃないかって。その通りで驚いちゃったよ……ここって志摩子さんのお気に入り?」
「そうなの? ええ……どうしてかしらね? ふと気づくとここに来てしまう時があって」
「そうなんだ。でも確かに桜が咲いている時なんか、とてもすてきな場所になっている気がする」
「ええ、とても。もし良かったら来年の春はここでお昼を一緒にどうかしら?」
「それはすごくい……」
「あ、あのっ!」
 私たちが話している間に落ち着いてきたらしい乃梨子ちゃんが口を開いたので、こちらは口を閉ざしつつ志摩子さんにウィンク一つ。ちょっとそのまま聞いてあげてね。
「本当にすみません!!」
 そういって頭を深く下げる乃梨子ちゃんに、無事合図は通じたのか、特に戸惑うこともなく志摩子さんは優しく尋ねてくれた。
「乃梨子さん、どうしたの?」
「あ、あの、実は……」
 乃梨子ちゃんは事情を志摩子さんに説明した。説明が終わった後、志摩子さんから返ってくる言葉が怖かったのかうつむいてしまった。
「祐巳さんに?」
「うん、志摩子さんの秘密を聞いちゃった。ごめんなさい」
「ほかには?」
「ううん、誰も」
「そう。よかった」
「え? よかった?」
 志摩子さんの言葉に驚きの声を上げる乃梨子ちゃん。
「ごめんなさいね。今の今まで隠している形になってしまって」
「ううん、別に自分からわざわざ言い出すようなことじゃないし、そんな機会があったわけじゃないから」
「乃梨子さんも、私が祐巳さんに今まで話していなかったから、ずいぶんと心苦しい思いをさせてしまって本当にごめんなさい」
 まさか私が言ったとおり、本当に自分が謝られる側になるとは夢にも思わなかっただろう乃梨子ちゃんは、目を丸くして言葉を失って口を開けたり閉めたりって感じになっている。
「もちろん誰にも話さないから」
「ありがとう」
「でも、勘違いをしないように……知っている人って言うのは?」
「たぶん……お姉さまと先生方、乃梨子さんと祐巳さんの二人、それから蓉子さまね」
「たぶん?」
「ええ、蓉子さまはお姉さまから話を聞いたわけではないそうよ。どういう経緯だったのかは答えてくださらなかったけれど、電話番号や住所一つでもいろいろとわかることはあるっておっしゃっていたし、その通りだと思うわ」
「そういうことか」
「ただ、私が一人でいることが多かったというのもあるけれど、この話題が他の場所で出たことはないから、ほかの人たちは知らないと思う」
「そっか。そうなると、私が聞いた時も乃梨子ちゃんが言ったように他の人には間違いなく聞かれてないし、大丈夫っぽいね。私のせいだから、乃梨子ちゃんのことは大目に見てあげてね」
「大目に見るも何も……それを言いだすと、やっぱり祐巳さんに話しておかなかった私のせい……私たちって本当にすぐ同じことを考えてしまうわね」
 たぶん私と同じく、どっちも「私のせい」と言い合ったあの約束の時のことを思い出したのだろう。クスクス笑いながらそう付け足した。
「本当にね。まあ、それだけ仲がいいってことで。それじゃあ、また放課後薔薇の館で」
「ええ、また後で」
 まだ固まっている乃梨子ちゃんを促すと、乃梨子ちゃんは志摩子さんにもう一度深く頭を下げて謝ってから私についてきた。
「言ったとおり、大丈夫だったでしょ?」
「……正直なところ、志摩子さんのことで私も知っていて祐巳さんが知ることができないことはあり得ないみたいに言われた時、そりゃそうかもしれないけどと、引っかかっちゃった部分もやっぱりあって……なんというか、お二人の絆の強さとすごさを見せつけられた感じです」
「志摩子さんはともかく、私がすごいってのはどうかと思うけどね。実際、私が馬鹿で他の言いようを思いつけなかったせいで、乃梨子ちゃんを複雑な気持ちにさせちゃったんだし。本当にごめんね」
「いえいえ、私の方こそ祐巳さんがいくら説明してくれても信じ切ることができなくてすみません」
「それこそ、仕方がないよ。うん、きりがないからごめんなさいはおしまい! ね?」
「祐巳さんがそう言ってくれるなら……」
「うんうん、それでよし。……それにしても、私たちって先生を除けば蓉子さまと祥子さまの次に志摩子さんの秘密を教えてもらったんだね……あのお二人に続くというのは名誉なことかな」
「あの、蓉子さまという方は?」
「あ、うん。祥子さまのお姉さま、私やお姉さまもたいへんお世話になった先輩だよ」
「志摩子さんが言っていた卒業された方ですね」
 よし、そろそろ頃合いかな? 乃梨子ちゃんもすっかり落ち着いて、他の人に興味を持つ余裕もできたみたいだし。元々私よりずっと聡い子だと思うし、立ち直るのも早いものだ。
 そういうわけで、さっき考えていた提案を早速ぶつけてみることにした。
「うん、そのとおり。でさ、さっき自分でもちらりと言っていたけど、志摩子さんって人との関係を自分からは極力持とうとはしないんだ」
「そう、みたいですね。やっぱり秘密を抱えているからでしょうか?」
「まず間違いなくね。だから、分かると思うけど、志摩子さんと仲の良い友達とかってとても限られているの……だから、偶然その秘密を知ってしまった上で、仲良くなれた乃梨子ちゃんの存在はすごく貴重」
「貴重、ですか?」
「うん。それはもう。だから志摩子さんの親友としてのお願い。これからも志摩子さんと仲のいい後輩でいて」
「私が……本当にいいんでしょうか?」
「志摩子さんが気にしていないってのはもう分かったよね? だから、いいに決まっているよ……お願い」
「……はい」
「それじゃ……あ」
「どうかしました?」
「いや、思いついたんだけど……ねぇ、乃梨子ちゃん。また薔薇の館に来てみない?」
「え? 薔薇の館にですか?」
「そう。志摩子さんと仲良くしてほしいしね。早速今日の放課後とかどうかな?」
 乃梨子ちゃんは少し考えた後「はい、そうします」答えてくれた。ありがとう、本当に。


〜3〜
「志摩子、ちょっと残ってくれるかしら?」
 今日はこれまで、と言った後、お姉さまがそう続けた。
「はい。わかりました」
 そうして、私たち二人だけが薔薇の館に残ることになった。
 お姉さまと私の分あらためて紅茶を入れ、テーブルに運ぶ。
「ありがとう」
「いえ、何のご用でしょうか?」
「ええ、乃梨子ちゃんのことよ」
「乃梨子さんのこと?」
「ずいぶん仲が良さそうだったわね。この前祐巳ちゃんが連れてきたときはそんなでもなかったのに。あなたが気づいていたかどうか分からなかったけれど、遊びに来ていた瞳子ちゃんはともかく、令や由乃ちゃんまでちょっと面食らっていたわよ。何があったの?」
 そういえば、普段より由乃さんの口数が少なかったような気もする。
 それはひとまず置いておくとしても、どう答えたらよいのだろう?
 当然だが、その理由を説明するには乃梨子さんのことを話さなければいけない。しかし一から十まで話してしまったら乃梨子さんの秘密を話してしまうことになる。
 ……そうか、乃梨子さんの秘密については話す必要はないのだ。親しくなるきっかけだけを話せばいいのだから。
 というわけで、自宅で出会った事実を説明することにした。
「四日の日、お姉さまに送っていただいた時に来客があったんです」
「……なるほど。それが乃梨子ちゃんだったというわけね」
「はい」
「志摩子はいいの?」
「不可抗力ですから……乃梨子さんもきちんと理由を説明したら、秘密にしてくれると約束してくれました」
「話したのね?」
「はい。それで、秘密がばれてしまった私がリリアンをやめてしまうのではないかと心配してくれた乃梨子さんは、土曜日の朝マリア様のそばでずっと私のことを待ってくれていたくらいですし」
「そう……志摩子にとって仲のいい後輩ができたことは喜ばしいことね」
「ありがとうございます」
「……ただ、祐巳ちゃんの妹体験の報告を聞いた時も感じたのだけれど、彼女は……いえ、憶測で物を言うのは良くないわね」
「……」
 お姉さまはうすうす祐巳さんと乃梨子さんの関係が、山百合会のことを外したとしても普通の姉妹体験ではないことに気づいているのかもしれない。
「乃梨子ちゃん自身のことは置いておいても、あなたと彼女の仲については説明があった方がいいわ。といってもあなたから皆には言いづらいでしょうし、祐巳ちゃんに事情……どこまで説明するかは考え物だけど……とにかく話をして、皆に何か言ってもらうべきね。あなたたち、そのくらいお互いに頼みあえる仲でしょう?」
「はい、分かりました……ありがとうございます、お姉さま」
「いいのよ。さあ、話はそれだけ。帰りましょうか」
「はい、片付けますね」
「おねがい」  




 後編へつづく