「……志摩子さまのお父さまが大きなお寺の住職というのは初耳でした。でも祐巳さま、このことを私に話しても良かったのですか?」
 経緯やら何やら順を追って聞いていったところ、乃梨子さんの趣味にも驚きを感じたものだが、このことにはその比でないくらい驚かされた。もちろん、私に演じさせたいなら、話さなければならないというのは分かる。しかし、その一方で志摩子さまにとって大変重大な秘密でもあるのだ。
「志摩子さんは心から信頼できる人には知ってもらっても構わない、そんな感じだったよ。それなら、乃梨子ちゃんのことを心から心配してくれる瞳子ちゃんなら大丈夫。そう思ってしまうのは駄目?」
「過信もいいとこですね」
「そうかな?」
「あー……もういいです。話が進みませんから。つまり、家族の宗教のことなど誰も気にしていないってのを志摩子さまに示し、その後に乃梨子さんに種明かしをするってことでいいのですか?」
「うん、それで合ってる。瞳子ちゃん、すごいね」
「祐巳さまがお話を作るのに慣れていないだけだと思いますけど」
「いやいや、それでもたいしたものだよ。お芝居するだけでなく、脚本家もやれちゃうね」
「それはどうも」
 さっきというか先日から、ずいぶん私のことを買いかぶってくれているようで、調子が狂って仕方がない。
 確かに演じるだけではなく、作・演出にも興味があるので、そう言ってもらえると嬉しくはあるが、そもそも今はそんな状況ではない。
 結局、祐巳さまもイメージとして思い浮かんでいただけで、明確な案と言えるようなものがなかったのだ。それを私が聞き返して、それに祐巳さまが答えることを繰り返すことによって、シナリオと呼べるようなものができあがっていた。
 おおまかな流れはこうだ。
 まず、この数珠を使って、私が乃梨子さんと志摩子さま、そしてそれなりに生徒のいる場で「リリアンにいる資格はない!」とでも告発する。そこを家族のものだと何かしら理由を示しながら祐巳さまが証言し、家族が仏教徒だとまずいのかと慌てふためき笑いを誘う。そのことは「家族の宗教まで気にする人間はどこにもいないから安心して」という志摩子さまへのメッセージとなる。
 さらに、乃梨子さんに種明かしをすることで、志摩子さまのために乃梨子さんを利用したような人間に姉を続ける資格はないと、姉妹体験の解消を納得してもらう。その後はリリアンかわら版に乃梨子さんへの同情を誘う記事を掲載してもらえばいいのだが……
「……そもそも祐巳さまが、乃梨子さんと別れる必要は無いのでは?」
「どうして?」
「先ほどは志摩子さまのご家庭のことを存じ上げなかったので、思いつきませんでしたが、最終的にリリアンかわら版を利用されるというのであれば、志摩子さまが納得された後に、ご自宅のことも含めて記事にすれば良いのでは? そうすれば、乃梨子さんが親しくなった理由も明らかになって、今のまま解決できそうじゃないですか」
「うん、確かにそうかもね」
 あっさり認めた。ということは考えが及ばなかったというわけでなく、現状の維持が可能かもしれないのを承知の上で、乃梨子さんとの姉妹体験を解消したいというのか。もしそうなら聞き捨てならない。
「では、どうして。まさか本当に乃梨子さんを振るつもりなんですか?」
「とんでもない。乃梨子ちゃんはいい子だよ。私にはもったいないくらい」
「それなら……」
「結局さ、私はどう言い繕っても、志摩子さんためなら、乃梨子ちゃんを利用しても良いって考えちゃったんだよ。こんなことを一度でも思いつくような人間に姉の資格なんか無いし、体験のままでも妹であるのは本人にとっても良くない、そういうこと」
 こんなことを一度でも。
 そう言われてしまっては、乃梨子さんが困ってしまえばいいと、さらには祐巳さまが笑っていたのが許せないだけで、口を滑らせた私にどうこう言う資格はまったくない……まったくないが。
「それを判断するのは祐巳さまではなく、乃梨子さんだと思いますけど」
 何か言わずにはいられない、そんな気持ちで飛び出した減らず口に、祐巳さまは達観ともあきらめともつかない微笑を浮かべるだけだった。


「お待たせ! 待たせちゃってごめん」
 飛び込んできた祐巳さまがその勢いそのままに謝ってきたが、思っていたよりは早かったくらいである。
「いえ、急ぎましょう」
「うん」
 結局、私は祐巳さまに協力することにした。
 今のままでいられる、丸く収める可能性の高い方法があるにもかかわらず、姉妹体験を解消しようとする祐巳さまの決心にはずいぶんと引っかかるものを感じたが、私にそのことをどうこう言える資格はない。
 それに乃梨子さんを告発する役。祐巳さまが……信頼する一年生の中でこのような役をこなせるのは私しかいないだろう。
 その上、たとえ祐巳さまの案のままであっても、状況が今よりはるかに好転するのだ。私に断る理由はなかった。
 そして今に至る。私は用事ができたと伝えて部活を早々に切り上げ、最終の打ち合わせだけという祐巳さまを待っていたのだった。
 早足で正門の方に向かう。
 この作戦の重要性を考えると、令さまに相談しないわけにはいかないと祐巳さまがおっしゃったので、祥子お姉さまと志摩子さまが帰られるのを確認してから、令さま達を追いかけることにしたのだ。
 学園を出てからは、早足がプリーツの乱れもセーラーカラーの翻りもお構いなしな駆け足へと変わった。
 その甲斐あってか、しばらくすると令さまと由乃さんの後ろ姿が見えてきた。
「令さま! 由乃さん!」
「祐巳ちゃん!? それに、瞳子ちゃんも?」
「……お、お話があります」
 息を切らしながら追いつき話し始める私たちに、ずいぶん驚いていた二人だが、かえってそれだけの話と察してくれたらしい。
「……うん、うちでいい?」
「はい、ありがとうございます」
 そして四人で令さまのお宅に向かうことになった。
「薔薇の館では何も言わずに、後から追っかけてきたのは、祥子さまや志摩子さんには聞かれたくないことだよね……瞳子ちゃんがついてきているのはちょっと分からないけど」
「あはは……詳しくはついてから話すね」
「ん……わかった」
 由乃さまは本当に分かりやすい方だ。もっとも祐巳さまが連れてきたというのが大きいのか、それ以上は何も言わなかったが。
 そして令さまのお宅に到着し、私たちは居間に通された。
「お茶でもだすから、少しだけ待っててね」
「ありがとうございます」
 令さまが居間を出て行く。
 由乃さまは私のことを見ながら「さっきはああ言ったけれど、瞳子ちゃんもついてくるとなると、乃梨子ちゃんがらみ?」と祐巳さまに質問した。
「正解」
「そっか。いずれは姉妹体験を始めたきっかけからして何かあると思ったけれど、思った以上に早かったわね。私と桂さんの危惧が当たっちゃった感じ?」
「あの時はあり得ないなんて笑って、本当にごめん」
「ううん。あの後桂さんとも話したのだけど、祐巳さんと志摩子さんにとっては笑い話以外の何者でもなかったものね。仕方ないって」
「……ごめん」
 この場で話しているのだから聞いてはいけない話ではないのだろうが、ちょっと居づらい。ひょっとすると私が祐巳さまに嫌みを言う前に、由乃さまが忠告でもされていたのだろうか?
 いずれにせよ、いまさらな話であることはお二方とも分かってはいるようだが。
 それからどれほどもなく「お待たせ」と令さまが人数分のお茶を持って戻ってきた。
 そして祐巳さまはお二人に、これまでの経緯……祐巳さまと乃梨子さんとの関係、乃梨子さんと志摩子さまの関係、そして志摩子さまの秘密を話した。
「だいたいの所は聞いていたけど、さすがに志摩子さんの秘密は知らなかったわ」
「なるほどね。由乃や志摩子にはともかく、私や祥子に話そうとしなかった理由がようやく分かった。確かに聖さまの名をあげられたら、私はもちろん祥子だって口を挟めなかっただろうし」
「え? 令ちゃん、驚く所ってそこなの?」
「うん? 由乃は知っていたかもしれないけれど、私は知らなかったんだから当然じゃない。あ、もちろん由乃が私に話さなかったことは当然だと思っているから」
「いやいや、そうじゃないでしょ。そりゃ令ちゃんにとってそこも少しは驚くポイントかもしれないけれど、一番驚くべきなのは志摩子さんの秘密でしょ?」
 令さま以外の誰もが思ったであろう疑問を由乃さまはずばりと聞いた。
「そりゃ知っているわよ。私の祖父は、小寓寺の檀家だもの」
「は?」
 声こそ上げないものの、私も同じ気持ちだ。祐巳さまは……納得顔?
「だから、檀家はみんな志摩子がリリアンに通っていることを知っていたんだよ。それどころか……祐巳ちゃんは驚いていないみたいだけど、何か気づいてた?」
「はい、今から話そうとしていることにもつながっているんですけど、本当に隠さねばならないってことなら、お寺から通学すること自体変だなって。志摩子さんは真面目だからお父さまの言うとおりにしていたと思うのですけど」
「そっか。祐巳ちゃん、この半年で本当に成長したね。まあ由乃、とにかく話の続きを聞きましょう? 疑問があったらその後ってことで。祐巳ちゃん、よろしく」
「あ、はい」
 そうして今度は乃梨子さんの現状、解決案、その中で祐巳さまが選択したものについて説明していった。
「祐巳さんがそれでいいなら私は何も言わないけど……」
 そう言いながらも何か言いたげな由乃さま。
 丸く収める道を選択すべきだと強く主張するはずと思っていただけに、正直なところ意外だった。ひょっとすると由乃さまも私と同様、祐巳さまにそうは言えないだけの理由があるのかもしれない。
 そして、腕を組んで考え込んでいた令さまだが、何かつぶやいたかと思うと、ため息をついて顔を上げた……繰り返す? 確かにそうつぶやいた気がするのだが、分からない。
「祐巳ちゃん。その案を出してきたってことは、もう覚悟ができちゃったんだよね?」
「……はい」
「そうなる前に相談して欲しかった気もするけれど……まあ人のことは言えないか。分かった、全面的に協力する」
「あ、ありがとうございます!」
「せっかくやるなら徹底的にやろう。それこそ志摩子が学内で家族の宗教を気にしている人間なんて一人もいないって確信できるくらいに」
 この中で唯一ストップをかけられる側の人間である令さまがそうおっしゃったので、話はとんとん拍子に、そしてかなり過激な方向に進んでいった。何しろお芝居の舞台が新入生歓迎会になったのだから。
「それにしても、志摩子の秘密で祐巳ちゃんが動くことになるなんてねぇ……」
 台本も固まり、令さまお手製のミニケーキが振る舞われ一息ついたところで、ため息混じりにおっしゃる令さま。
「令ちゃん……そういえばさっきは中途半端になっちゃったけれど、志摩子さんの秘密とか他にも何か知っているでしょ。教えてよ」
「ああ、そうだったね。実はさ……」
 志摩子さまのお父様……小寓寺の住職は檀家みんなに志摩子さまの進学先について話しており、それどころかいつ告白するのか賭の対象にまでなっているのだという。本当に秘密にしたいのならもっと隠させるはずという、祐巳さまの推測は正しかったわけだ。
「だから私も志摩子のことを何とかしようって祥子に持ちかけたんだけど、祥子はどうにも志摩子に遠慮しすぎててダメだったんだよね。まあ、姉妹になった経緯が経緯だからしかたないけど。そういう意味で、祐巳ちゃんの作戦は志摩子だけでなく、祥子にとってもいいことになると思う。このこともあって全面的に賛成したのよ」
「いえ、令さま。協力していただいて、本当にありがとうございます。あと由乃さん、私のわがままに付き合わせてしまって本当にごめんなさい」
「ううん。でも祐巳さんが泣くような結末だけは絶対に許さないからね」
「……うん、ありがとう。では、そろそろ失礼しますね。瞳子ちゃんもいいよね?」
「はい」
 そうして、私は祐巳さまといっしょに帰ることになった。学校の前のバス停まで戻ると、ちょうど出てしまったのか、次のバスまではまだまだ時間がある。
 しばらく沈黙が続いたのだが、間が持たないと思ったのか、はたまた思うところがあったのが祐巳さまが口を開いた。
「いまさらだけど、もう一度言わせて。瞳子ちゃん、本当にありがとう。そしてごめんなさい」
「お礼はありがたく頂戴しますけど、どうして謝るのですか?」
「乃梨子ちゃんのことでたくさん心配をかけたってことはもちろん、本当にいまさらだけど告発役なんかを押しつけちゃって……」
「そうですね……確かにヒロインというわけではありませんが、名脇役、それも廊下などではなくお聖堂、さらに一年生全員の前なんて役者冥利に尽きますわ。それに、乃梨子さんへ私の役柄についてのフォローもしていただけるんでしょう?」
「あ、それはもちろん」
「ならいいじゃないですか。乃梨子さんのためになるだけでなく、志摩子さまのためにも、さらには祥子お姉さまのためにもなる。私にとってはいいことずくめ、棚からぼた餅。むしろ待遇が良すぎて、また部活の先輩方に嫉妬されてしまうかも」
「え、そうなの?」
「以前薔薇の館でお話ししましたけれど、初等部の頃から主役級を演じることが多かったというのは見栄でもなんでもなくて。まあ私の態度も良くないのですけど、一部の先輩方から睨まれちゃって」
「そ、それは良くないよ! 今回の件でもしそんなことになるようなら、私が許してもらえるまで謝りに行くから」
「また、そんなことを」
「へ?」
「祐巳さま、あなたはもっとご自分の立場をわきまえてください。もしあなたが謝りに来られたら、それこそ先輩の立場がなくなってしまいますから」
「え、あー……うん」
 まったく、この方は。
 この数日の経験で、いまさらではあるけれど、この方が薔薇さまに選ばれた理由が分かった気がした。本当に私の目は曇っていたらしい。
「とにかく。こんな最高の舞台の名場面をお引き受けした以上、全力で演じますから……祐巳さまもしっかりついてきてくださいね?」
「う、お手柔らかにお願いします」
「だめですよ。乃梨子さんのためにも全力で笑いものになってください」
「は、はい」
 バスの姿が見えてきた。
「それでは明日のことですけど、何時にいたしますか?」
「あー、そうだね。すぐに見つかればいいけれど、そうでないとやっかいだし、早いほうがいいかな?」
「そうですね」
 到着したバスに乗り込む……土曜日の夕方とだけあって車内はかなり空いている。
 後ろの方の席に並んで座り、明日の予定……ダミーの数珠と巾着袋を買いに行く計画について話し合った。


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