最終話

もうひとつの姉妹の形 前編

〜1〜
「最低」
 波のようにおそってくる頭の痛みに目を覚ました。
 熱を測ってみたところ三十七度八分。昨日の出来事は体まで冷やしきってくれたらしい。
 お母さんが病院へ連れて行くといったけど断った。どこにも、たとえ病院にだって出かけたくない気分だったから。
 それでも……と言いつのるお母さんに祐麒が
「祐巳、学校の行事も多かったし、疲れがたまってたんだよ。家でゆっくり寝かせてやれって」
 風邪で病院に行っても早く治るもんでもないしさ、と付け加えて説得してくれた。
 もし風邪じゃなかったら……となおもぶつぶつつぶやいていたけど一応納得してくれたようだ。
 明日になっても熱が引かなかったら連れて行くわよ、との言葉を残して学校へ連絡するために階下におりていった。
「姉ちゃん、ゆっくり休めよ」
「余計なお世話」
 部屋を出て行く際にそう声をかけてくれた弟に減らず口をたたく。なんかなにもかも分かったような顔をして言うものだから、なんだか無性に悔しかったのだ。
 祐麒は苦笑して、部屋を出て行った。
「いったいどっちが年上なんだか」
 風邪で頭が回ってないせい、そういうことにしておこう。
 起き抜けに飲んだ薬が効いてきたのか、痛みもやわらいできたのでもう一寝入りすることにする。今はただなにも考えず眠りたかった。


 翌朝、いつもよりだいぶ早い時間に目が覚めた。うーんと伸びをするとバキバキと体中から音が響く。
 結局、あれから薬と簡単な食事をとる時以外ひたすら眠り続けて朝を迎えることとなった。
 まだ若いからか、はたまたゆっくり休んだからか熱もすっかり引いたみたい。
「しっかりしなきゃ、ね」
 自分に言い聞かせるようにつぶやく。ここ数日で何度も登場したこの言葉。それでも口に出して言えばまだ効果があったみたい。
 鏡にはほんのちょっとぎこちない笑みを浮かべた制服姿の私が映っていた。これだけ笑えていれば、みんなに心配をかけずに済むかな?
「それじゃあ行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい。祐巳ちゃん、今日は無理しちゃだめよ」
「大丈夫だって。もう元気いっぱい」
 ほらこんなに、と力こぶを作るポーズ。それを見ておかしそうに笑っていたお母さんが不思議そうな顔をしたので横を見るといつの間にか祐麒がいた。
「あら。今日は二人一緒なのね」
 もう一度いってらっしゃいと見送るお母さんに返事をして二人で家を出る。
「……」
「……」
 どうしよう、言葉が出ない。たまに一緒に出かける時、ずっと話をしているわけではないのだけれどそういう「話をしない」というわけではないのだ。今日はどっちかというと「話ができない」という感じだ。
「……」
「……」
「あのさ、」
 二人の声がぴったり重なった。話しかけるタイミングまで一緒になってしまうとは。
「あ、どうぞお先に」
「いやいや、祐巳の方こそ」
「いやいやいや、祐麒が先でいいよ」
「祐巳、先に言っちゃえって」
「祐麒こそ先に言ってよ。弟なんだし」
「それなら祐巳が先に言えよ。レディーファーストだ」
 ……はて、なんで朝から二人で漫才のようなことをしているのだろうか?
 なんだか無性におかしくなってきた。それは祐麒も一緒だったみたい。二人して笑いあった。
「……昨日は大人げなくてごめんね」
 一通り落ち着いたところでさっき話しかけたことを切り出した。
「なんか祐麒が一歩も二歩も先を進んでいるようで悔しかったんだよね。私のことをみんな分かっているようで」
 せっかく助け船を出してくれたのにごめん、ともう一度あやまる。
 しばらく黙って聞いたまま歩いていた祐麒が私の方を見ずに口を開いた。
「……俺には姉妹関係ってよくわかんないんだけどさ」
 ほら、うちの学校の先輩と後輩みたいな関係とは違うんだろ? と、手振りを交えながら続ける。
「端から見ていてもなんか依存しているっていうか……悪い、今の言葉取り消すわ」
 依存、か。お姉さまのことで一喜一憂、あげく風邪まで引く私はそう見られても仕方がないかもしれない。
「で、でさ! 確かに祐巳は薔薇さま、要するに生徒会長だよな? になるわけだし体面も保たなきゃいけないのかもしれないけど……」
 しばらく金魚のように口をぱくぱくさせてそのまま閉じる。心なしか頬も染めているようだ。でも言いたいことは十分に伝わった。本当に優しい子だ。そういえばバレンタインデーの前に無理したときも祐麒が一番心配してくれたんだっけ。
 うれしさやら申し訳なさやらそういったもので胸がいっぱいになったので、意地を張らずに素直に謝ることにした。
「ごめん、確かに抱え込みすぎてたかも」
「……ん」
「でもさ、いろんなことがありすぎて、どうしていいのかわかんないんだ。本当に」
「姉ちゃん……」
 昨日の今日でお姉さまに会えるわけがない。では、いったいどうすればいいのだろう。


〜2〜
「でも祐巳さん、病み上がりでしょう? 掃除日誌は私たちが……」
「ありがとう。でも今日はこの通り元気いっぱいですから。皆さんは部活もあるでしょうし、私は薔薇の館に立ち寄るついでだし」
「そうですか、それでは」
 一緒に掃除当番をしていた三人が、うなずきあってほほえんだ。
「ではまた明日。ごきげんよう」
「ごきげんよう」
 三人が帰って行くのをにこやかに見送ってから、一息ついて音楽室に引っ込む。
 何となく一人になりたかったから、この音楽室の静寂が心地よかった。
「薔薇の館、かあ……」
 別に薔薇の館に行くこと自体に問題があるわけではない。お姉さまがいるわけでもあるまいし。ただ何となく気が乗らないだけだ。昨日、床に伏せっていたことも皆知っているだろうし、さっきはああ言ったものの、病み上がりを理由にして休んでも、何も言われないとは思う。
「どうしようかな」
「さぼるかどうか決めかねる?」
 私の独り言に答える声があって、思わず悲鳴を上げそうになった。
「思ったより元気そうね」
 入口を振り返ってみればそこには「今、会いたくない人」のベスト(ワースト?)3に入ること間違いなしの静さまが立っていた。
「ごきげんよう、静さま。もう部活の時間ですか? すみません、長居して。今すぐ出ま……」
「ああ、そうじゃないの祐巳さん。今日は早く来てみただけ」
 そう言われて腕時計をのぞいてみたら、部活が始まるにしてはまだ早い。
「私たちの間も何かの「縁」で結ばれているのかしらね?」
 「縁」を強調して、くすくすと笑う静さま。
「ちょっと意地が悪いですね」
 今、会ってしまったらどうなるのだろう?
 そんなことも考えたのに、実際こんなことを言われても言い返す余裕のある自分にちょっと驚く。案外、心は丈夫にできているのかもしれない。
「意地が悪いですって? とんでもない。そりゃ最初はもしここで出会えたら『ごきげんよう、祐巳さん。今日は言いづらいのだけど……ロザリオをもらい受けに来たの』とかそういう冗談も考えたけど、さすがに病み上がりの祐巳さんに申し訳がなくて」
 まぁ心外と肩をすくめ、大げさに驚いた表情を作ったあとにそんなことを言う。この人、やっぱり苦手だ。
 ……ちょっと待て。
 今、なんと言った?
「あ、あの!」
「どうかした、祐巳さん?」
 相変わらず不敵な笑みを浮かべている静さま。
「さ、さっきなんと?」
「ロザリオをもらい受けに?」
 これが事実だったらもう私は立ち直れなかったかもしれない……が!
「そのあと!」
「さすがに病み上がりの祐巳さんに申し訳がなくて?」
「その前です!」
 ふうん、と満足げにほほえむ静さま。私がそこにかみつくことも織り込み済みだったということだろうか?
 でもそんなこと関係なく静さまの答えが聞きたい!
「そのとおり、あらゆる意味で「冗談」よ。盗み聞きした悪い子ちゃん」
「……お気づきでしたか」
 笑みを崩さないまま一昨日のことを言い当てた静さまに、そう答えることしかできなかった。
「確信とまではいかなかったけどね。あなたが昨日休んだと聞いて可能性は高いとは思ったわ。でも今日会ってみたら案外平気そうな顔をしてるじゃない?」
 だからかまをかけてみた、ということか。
「平気っていうか。ただ、もうどうして良いのかも分からなくて」
 悲しんでいるのか笑っているのか自分でも分からない表情のまま、そうつぶやいた。
 すると、静さまはさっきまでのからかうために浮かべていたものとはちがう、まるで私を包み込んでくれるようなやわらかな笑みを浮かべて言った。
「あの時、何を話していたのかを教えてあげる」


「つまり、昔話やこれからのことを話していただけ、と」
「ま、そういうことね」
 だからあなたが心配しているようなことは何もない、とはっきり言った。
「……本当にすみません」
「気にしなくていいわ。私もあんな形で誤解されたままってのも気持ちよくなかったし」
 それよりも、と付け加える。
「今、上手くいってないんでしょ? 送る会のことは風の噂に聞いた程度だけど、相当の出来事だったみたいだし」
 私で良ければ聞くわよ? と静さまは言ってくれた。
 そこで少しだけ……と話し始めたのだけれど、いつの間にかここ二週間のことを洗いざらい打ち明けていた。
 時折、声を詰まらせそうになる私の話を辛抱強く聞いてくれて、話し終わったときにはそれだけで何か気持ちが楽になった気がした。
「そう……つらかったわね」
「いえ、すいません。こんな話につきあわせちゃって」
「白薔薇さまに何があったのか、それは私にも分からない。けれど、これは間違いなく言えるわ。白薔薇さま……聖さまはあなたのことを大事に思っているし、何も言わないまま去るなんてことも決してしない。あなたも私も好きな「佐藤聖」という人はそういう人」
 目を閉じ、自分自身をぎゅっと抱きしめながら。その姿は、お姉さまへの想いを決して離すまいとしているように見えた。
「あなただって分かっているはずよ」
 ただ、ちょっとびっくりして、忘れていただけ。そういってフッと笑った。
 そうだ、静さまの言うとおり。お姉さまがそんなことをするわけがないじゃないか。どうして私はそんな大事なことを忘れていたのだろう。
 自分が「お姉さまがただただ大好きな福沢祐巳」にみるみる戻っていく気がした。
「どう、少しは気休めになった?」
「そんなものじゃないです」
「それは上々。さてと、祐巳さんの気分も少しは晴れたようだし、今日の所はお開きにしましょうか」
 そう言われて静さまが立ち上がったので、時計を見ると部活が始まっていても少しもおかしくはない時間だ。
「あっ、すいません。こんなに長々と。おまけになんとお礼を言えばいいのやら……」
「別に構わないわ。祐巳さんが落ち込んでいると張り合いがないじゃない」
 おちおちからかうこともできないし、なんて言って笑う。まったくこの方ったら。どちらからともなく笑みがこぼれる。
「ふふ、それじゃまたね、祐巳さん」
「本当にありがとうございました。それでは、ごきげんよう」
 手を振りながら見送ってくれる静さまに礼をして音楽室を出た。
 まずは掃除日誌を提出すべく職員室に寄らないと。
「あら福沢さん、今日は遅いのね」
 廊下でそう声をかけてきたのは合唱部の顧問の先生。
 私が白薔薇のつぼみだということもあるのだろうけど、掃除の終わった後にちょくちょくお会いするので、直接教えを受けているわけではないのにすっかり顔を覚えられてしまっていた。
「す、すいません。部活の支障になりかけてしまって」
 掃除自体は終わっていたとはいえ遅れたのは事実なので、そう頭を下げると不思議そうな顔をしたあと、何かに気づいたようにご自分で納得されている。私にはさっぱりだけど。
「確かに遅めだとは思うけど…… そもそも今日、部活はないわよ? 私が外の会議で出張するから」
「そ、そうでしたか。それでは失礼します」
 思わず声が出そうになるのを抑え、首をかしげている先生を残し、足早に職員室へ向かう。
 ということは、だ。
 静さまは私に会うためだけに音楽室に来てくれたことになる。
 絶対に認めようとはされないだろうけれど、おそらく私を心配して。
 つくづく不思議な人だと思う。ご本人も言うように私のライバルであるはず(実際、意地悪したりもするし!)なのに、時にはこうして「優しいお姉さん」になってくれたりもする。だから私はあの方を嫌いになれない、むしろ好きなんだと思う。
 もし。もし、万一お姉さまに二年生の妹がいたら、そして私が孫で……そういった形もあり得たのだろうか?
 そんなことをぼんやりと考えながら、用事の済んだ職員室を後にして、薔薇の館に向かった。


「遅れてすみません!」
 一階の扉を開けたら、なぜか皆そこにいたので早速遅刻をわびる。
「祐巳ちゃん、今日は無理しなくていいのよ」
「そうそう、由乃だって以前はよく休んでいたんだし」
「お姉さまに先に言われると何ですけど……でもその通り。祐巳さん、今日は気張らなくていいからね」
「祐巳さん。朝、元気だと言っていたけど、ぶり返しもありえるから……」
 志摩子さんから話を聞いていたのだろう。
 祥子さま、令さま、由乃さん、そして志摩子さんが次々と声をかけてくれた。
 その暖かさに思わず涙をこぼしそうになったけれど、今ほろりと来たらもっと心配をかけそうなのでこらえる。
「今から一階の部屋の点検をしようとしていたところだよ」
 なるほど、それでみんなここにいたんだ。薔薇さま方の私物が残っていないか、確認するためだとのこと。
 もちろん白薔薇さまの分を祐巳ちゃんにもチェックしてもらうつもりだったけど、と令さまが付け加える。
 そもそも今日の予定は卒業式における生徒が準備する部分の再確認等でわりとあわただしいスケジュールだったはず。私のことを考慮して楽なメニューに変えてくれた、ということか。
「じゃ、私もさっそく……」
 みんなの心遣いに応えるためにも、せめて目の前の仕事に精を出すことにしよう。

……
……

「……またか」
 部屋の隅に転がっていたお姉さまのボールペンを拾う。
 それにしても薔薇さま方の私物を探しているのか、私のお姉さまの私物を探しているのか。教科書、ノート、スポーツタオル、各種筆記用具……果ては空で助かったけれどなんとお弁当箱まで。
「お姉さまの物ばっかりで済みません……」
 探し終わって祥子さまと令さまに頭を下げる。
「いいのよ、お姉さまの私物も出てきたのだし」
 そう言う祥子さまの手には紅薔薇さまのシャーペンが一本。黄薔薇さまのものはハンカチが一枚発見された。それぞれ一つずつなのに、こっちは紙袋一つ……単位が違います。
「備品も色々と出てきたしね」
 ハサミやらマジックペンやら色々と、これはお姉さまの私物と良い勝負だった。
「そうですね」
「さ、整理も終わったし今日はこのあたりにしましょう」
「賛成。……こちらはお返ししないとね」
 令さまが綺麗に折りたたんだハンカチを眺め、目を潤ませながらポツリとつぶやいた。
「そうね……明日、お返ししましょう」
 いとおしげにシャーペンを頬ずりしていた祥子さまは頬に涙がつたうのをぬぐおうとしないままそう言った。
 そんなお二人を見ていたら私もまたこみ上げてきてしまった。でも今は我慢しないことにする。昨日までとは違う、大好きだから、心の底から慕っているからこそ流せる涙だと思ったから。


「うぷ……」
 ものすごいにおいに絶句する。
 空……とはいえ、洗ったときのように綺麗というわけじゃなくて。三ヶ月放置されたお弁当箱はやっぱりものすごいにおいがした。
 すぐに大量の水でにおいも何もかも流してしまう。
 冬で助かった……夏だったらカビやら何やらがびっしりになっていてもおかしくなかったかもしれない。
 洗剤をたっぷりつけたスポンジでごしごしと洗う。
「あれ? 何洗ってるの?」
 帰ってきた祐麒はただいまよりも先にそんな言葉をとばしてきた。そうか、私がこうして流しに立つのはそんなにも珍しいか、弟よ。
 色々と言いたいところはあるけれど、ともかく「お帰り」と言うことにした。
「ただいま」
「うん……お姉さまの忘れ物」
「弁当箱か……薔薇の館だっけか、あそこに忘れてあったの?」
 私の洗っているものをのぞき込んでそんなことを、そんなにも珍しいか?
「……正解」
「そっか、部室とかで卒業生の忘れ物が出てきてって話は聞くし、そのパターンか」
「よくわかるね」
「こっちも卒業式近いからな」
「リリアンの次の日だもんね」
 同じ丘にあるリリアンと花寺。同じ日にそろって卒業式をやっても良いのかもしれないけれど、家みたいな年子の場合はずれているのがありがたいだろう。
「まあ結構ほったらかしになっててだいぶ後になって出てくることが多いらしいけど……ところで、なんだかずいぶん元気そうじゃん」
 さっきの軽口もこれをなかなか言い出せなかったからかな?
 昨日からのお礼もこめて意地を張らずに素直に話すことにしよう。
「そう見える? なら祐麒ともうひとりのおかげ。ありがとね」
 姉からこの質問でこんな素直なお礼の言葉が出るとは想像していなかったに違いない。金魚のように口をぱくぱくと開いている。おまけに照れているのか頬には赤みが差している。ちょっとかわいい。
「ま、まあ俺は何もやっていないけどな。で、もうひとりって誰のことだよ?」
 照れている自覚があるのか、すぐさま話を振ってきた。
 どうしたものか。さすがに私のライバルって言ってしまうのはいろいろと問題がありそうだ。まあここは無難に。
「うーんと。私の先輩」
「先輩? 一緒に生徒会長になる人たちとか、その辺か?」
「そんなところ」
 一票差。つまり、生徒会長になりかけたのだから「その辺」といえないこともないだろう。
「私が考えていたことは誤解なんだって教えてもらったんだ」
「祐巳が勘違いしていただけだったのか?」
 眉間にしわを寄せる祐麒。それだけでは納得できないって感じか。
 まあ、あれだけドタバタめそめそしてましたっていうのに、誤解と教えてもらった途端に「はい、納得。元気いっぱい」になった、なんて言われたら簡単には頷けないかも。だから、少し言葉を補うことにする。
「うん。でもそれはきっかけ。結局、私がお姉さまを信じられなかったのが悪かったの」
 確かに、人の心は移ろいゆくもの。けれど、私がもっと強ければ……そうすれば、お姉さまを疑ってしまうなんてことはなかったのだ。
 そして最後に一番重要なことを口に出す。少し恥ずかしいけど、これは外せないことだから。
「で、ようやく思い出せたんだ。私はお姉さまが大好きだって」
 理由や条件なんて何もない。ただただお姉さまのことが大好きといえる「いつもの祐巳」に戻ることができたのだ。
「ま、そういうわけ。……祐麒?」
 さっきから祐麒は胸のまえで腕を組んで、「うーん」と唸っている。
 ……私、そんなに変なことを言ってしまったのだろうかと考えていたら、ようやく口を開いた。
「やっぱり祐巳は佐藤さんにべったりだな。その点では確かに心配だけど……」
「だけど?」
「祐巳、お前、ずいぶんと強くなったな」
 そう言って苦笑した。
 強く? 弱いからこんなことになってしまったというのに?
「ま、その様子なら大丈夫だろ。早く前みたいになれるといいな」
 私がその理由を聞く暇もなく祐麒はキッチンから出て行ってしまった。


中編につづく