第一話

一枚の写真

〜1〜
 店から出たとたん顔がゆるんでしまう。路上でこんな顔をしてちゃいけないと思いつつも小脇に抱える紙袋を見るたびに笑みがこぼれるのを止められない。
 無事新刊を手に入れられたのだ。それも閉店直前に最後の一冊を。
 ここはこの界隈でコスモス文庫を一番早売りすることで知られた店だ。だから私と同じ考えの人はお目当ての新刊発売月にはここに集まる。結構な数をおいてくれているとはいえ需要も同じくらいあるから油断ならない。実際発売当日だというのに最後の一冊だったわけで。
 今日は朝の星座占いにはじまり一日絶好調だ。先日のショックのお返しだろうか?
 そう、なんとお姉さまに彼氏がいたのだ。腕を組みながら楽しげに話す姿を偶然見かけてしまったので驚いたこと、驚いたこと。
 でも考えてみればまったく不思議はないのだ。いや、今までいなかったことがむしろ不思議なことだったのかもしれない。
 ただ、紹介はともかく教えてくれてもいいのにとは思ってしまったけど。実は気恥ずかしくて秘密にしているだけだったりして。恋愛だけは奥手なお姉さま……とても想像が付かない。ミスター・リリアンと呼ばれてしまっている私が実は少女小説も編み物も大好きだというのとおなじくらい衝撃の事実? ……自分で考えておきながらむなしくなってきた。
 むなしい想像からさめたとき、すっと差し出されたのでつい受け取ってしまった。よろしくお願いします、というお姉さんの声が路上に響く。
 どうやらこの近くに新しいケーキ屋さんが開店したらしい。今度由乃と一緒に行って……そうだ、お試しも兼ねておみやげとして買って帰ろう。
 文庫を見てあきれた視線を送りながらも、もう片方の手にある包みに目を輝かせる顔が目に浮かんでくる。
 いけない、いけない。これ以上にやけていたら本当に不審者に思われてしまうかもしれない。ほどほどに引き締めつつお店に向かうことにする。近いと言っても帰り道とは反対方向なので少し急いだ方がよいかもしれない。
 そのとき見覚えのある姿が目に飛び込んできた。思わず振り返る。
 やっぱり。道を挟んで反対側の歩道だったので自信はなかったけど、間違いなくお姉さまだ。どうやらまた彼氏と一緒のようだ。手をつなぎながら歩いている。でも何かおかしいような。
 その妙な感覚がどうにも気になって仕方がない。三奈子さんと変わらないなと思いつつも私はお姉さまを追いかけて道路を渡った。隣の彼氏の姿もはっきり見える。そしてこの疑問も氷解した。
 ……そうか。その人はこの前見たあの人とは違うのだ。先日の彼氏は後ろ姿しか見えなかったのだけどそれでもはっきり分かるほど違う。あんなにがっしりとした体格の人と見間違えるわけがない。どこからどう見て別人だ。
「お姉さま?」
 それなにのに、あんなに仲良さそうに腕を組んで……? あれ? お姉さまの顔、よく見ると、笑顔は笑顔だけど作り笑いみたい。
 腕を組んで一緒に歩くなんて仲良さそうなのに、作り笑い? しかも、この前と違う人と?
 複数の人と同時におつきあい……お姉さまならあり得ないとは言えない。でも、わざわざ笑顔を作らなくてはいけないなんて……突然この前ドラマに出てきていた話が頭の中を駆けめぐった。
「そ、そんな……」
 力が抜けて手に持っていた本の袋が地面に落ちて、カサッて音を立てた。
 ううん。お姉さまがそんなことするはずがない。あのお姉さまがそんなことをするはずがない。もう一度ちゃんとお姉さまの表情を見てみようとお姉さま達の姿を追ったけれど、もうだいぶ向こうの方に行ってしまっていて後ろ姿しか見えなかった。
「おいかけなきゃ」
 しなければいけないことを口にしたけれど、全然足が動いてくれない。もう一度確かめてそれが本当だったら……そのことが恐ろしいんだ。
 でも、そんなことない。そんなことあるはずがないんだ。何かちゃんと理由があるはずだ。それなのに疑うなんてお姉さまのことが信じられないって言うのか?
 自分に強く言い聞かせて、お姉さま達の後を追った。
 二人の姿が大きくなってきて、もうすぐ追いつくと思ったとき、二人は角を曲がった。
「え!?」
 二人が曲がった角の先にいかがわしいホテルの看板が小さくだけれど見えている。
「そ、そんな……」
 信号が赤で追いかけられない。二人はどんどんそっちに向かって歩いていく。
 信号が青になる頃にはお姉さまと男の人の姿は見えなくなってしまっていて、一緒に私の追いかける気もどこかへ行ってしまっていた。


〜2〜
「だから、令ちゃ……お姉さまの様子がおかしいんです!」
 今薔薇の館で一人声を上げているのは由乃さん。
 波乱の新聞部企画のバレンタインデーのイベントとその後のデートの話も終わり、いよいよ今年度も残り少なくなってきた。それに伴って私たちが年度末に向けて片づけておかなければいけない仕事も増えてきて、お昼休み、お昼ご飯のついでに昨日しきれなかった仕事を片付けておこうと、自然と用事がなかった面々が薔薇の館に集まっていたのだけれど……
「確かに少しぼんやりしていたけれど、それほど心配するほどではないでしょう」
「そんな程度じゃなくて、もう見るからにおかしいんです!」
 何があったのかはわからないけれど令さまは昨日ずっと何かを考えていたようで少しぼんやりとしていていた。それが悪化でもしたのだろうか? けれど、祥子さまは由乃さんの話に取り合うつもりはあまりなさそうだ。手もとの書類にいくつかチェックを入れている。その行為がますます由乃さんを刺激しているようだ。眉をひそめ、さらに口調が激しくなる。
「昨日の夜、まるでおばけか何かでも見たようにうろたえながら帰ってきて、何があったのか聞いても答えないし。今朝だって私のこと忘れて一人で勝手に登校しちゃうし!」
 いかに令さまの様子がおかしいのか説明してくれているのだけれど、なぜか由乃さんが必死になっているのに緊張感がいまひとつ伝わってこないのだ。どうしてだろう?
 なんだかんだで由乃さんがのろけているようにも見えるから? それだけではないような。すっかり固まってしまい手がお留守な私と違って由乃さんの話を聞き流し?ながらもてきぱきと仕事をこなしていく祥子さま。さすがというべきか。
 ……そうか。祥子さまが少しもあわてていらっしゃらないからだ。お二人の間柄は由乃さんとは別の意味で近い関係だと思うし、実際あの時もショックで呆然と立ちつくしていた令さまにびしっと声をかけて薔薇の館まで連れてきたのは祥子さまだった。その祥子さまがいつもとまったく変わってらっしゃらない。だから不思議な安心感があるんだ。
 ごめん、由乃さん。祥子さまの一挙手一投足により反応してしまう不義理な私を許して。
「そんなにおかしいのなら、放課後見ればわかるでしょう? 今はその令もいないのだし、早く仕事を済ませてしまいましょう」
「で、でも!」
「由乃ちゃん」
 この話になってから初めて顔を上げる祥子さま。その視線と口調で黙らせてしまう。こ、怖いけど格好良い……。さしもの由乃さんもその祥子さまになお言い張るのはつらそうだ……
 志摩子さんや私に話を振ったりもしたのだけれど、祥子さまを納得させられるような話が出るわけもなく。結局、孤立無援では由乃さんは引き下がるしかなく、昼休みの残りの時間は来年度のクラブの予算申請案の整理で過ぎていった。


 全くどうしてみんな、私の言うことを信じてくれないのだろうか。
 あの令ちゃんを見たら誰だって変だって思うに決まってる。あんな令ちゃん今まで見たことない。実際に目にしてびっくりして、私の言っていたことは正しかったんだって思うと良い……そう思ったから、放課後みんなが集まってきても、あえて令ちゃんの話は出さなかった。
 きっと祥子さまなんかは、私が令ちゃんのことを何も言わなかったから、やっぱりそんな程度だったとかなんとかそんな風に思っているのだろう。淡々と仕事を片付けていく。見て驚け。
 10分。
 15分。
 祐巳さんがちらちら私の方を見てきたり、祥子さまを見たりってちょっと挙動不審になってきた。「やっぱり由乃さんの言っていたことは本当だったみたい。どうしよう」ってとこだろう。だから言ったのに。実際に令ちゃんを見たらもっと驚くんだから。
 20分。
 25分。
 ……ちょっといくら何でも遅すぎないだろうか。
「……令さま遅いわね」
 志摩子さんが私の考えを読んだ、というわけではなく隣でオロオロしている祐巳さんを見ながらつぶやいた。それを聞いた祥子さまがようやく口を開いた。
「そうね」
「そうね」だ!? おまけに手を止めるでもなく悠然と帳簿に数字を書き込んでいるし! 令ちゃんの親友なのに、全然心配じゃないわけ?
 親友だから信頼している? かもしれない。かもしれないけれど、令ちゃんの様子をまるで見てないから状況を勘違いしているのだ。ならば……机を叩いて立ち上がった。私の突然の行動に志摩子さんが「きゃっ」と可愛い悲鳴を上げる。
「やっぱりおかしいわよ!」
「令のこと?」
「私、探しに行ってきます!」
「ちょっと由乃ちゃん」
「絶対に令ちゃんおかしいんだから!」
「由乃さん!」
 祐巳さんが止める声も振り切ってサロンを飛び出した。祥子さまは論外としても、結局のところ祐巳さんも志摩子さんも全然深刻さをわかっていないのだ。


 令ちゃんを引っ立てるべく薔薇の館を飛び出したもののどこから探そうか。
 ちょっと考えたあと剣道場に行くことにした。今日は剣道部の練習がないけれど、そんなことを忘れてしまって剣道場で一人で素振りでもしているかもしれない。
 結果は……アウト。人っ子一人いない。冷たそうな板張りの床が出迎えてくれただけだった。
 だとすると、今朝私を忘れて登校してしまったように、仕事のこととかを忘れてそのまま帰ってしまったかもしれないと、事務室の前にある緑色のテレフォンカード式の公衆電話を使って電話をしてみたのだけれど、家にも帰っていなかった。
 と、いうことは令ちゃんはまだ学園の中にいるらしい。
 学園に戻って教室、図書室、被服室、調理室……令ちゃんが立ち寄りそうなところを見ていったのだけれど、どこもはずれ。
 でも、令ちゃんを見かけた人は少なくなくて、様子がおかしいのはそれなりの人数が知っているみたいだった……これだと新聞部がかぎつけていないはずがない。令ちゃんに新聞部の毒牙がかかる前に見つけ出さなければ!
 そう思っていっそう必死になって探したのだけれど…………
「いったいどこへ行ったのよ!」
 こうもあちこち探してことごとくはずれだと、正直腹が立ってきた。
 どうして私に無断でどっかへふらふらと行ってしまうのよ!
 あ〜むかむかする。ここはごめんなさいって謝らせてやらなきゃ気が収まらない。
「あ、由乃さん……」
「ん?」
 銀杏並木で私に声をかけてきた人がいた。
 確か桂さんだ。何度か同じクラスになったことがあったっけ。
「何かご用かしら?」
 私はそれどころじゃないの邪魔しないでくださるかしら? と言葉の裏に込めたのを感じ取ったのか、言葉にならない悲鳴をあげた気がした。
「さ、さっき、温室の前で令さまを見たのだけれど……」
「え? 令ちゃんを!?」
 『令』という言葉に反応して詰め寄ってしまったら、後ずさりされてしまった。
「う、うん……由乃さんが令さまを探しているっぽかったから……その」
「ありがと!! このお礼はまた今度するから!」
「どういたしまして。令さまのこと、お大事に」
 もう一度お礼を言いつつ、改めて温室に向かう。


 いい加減疲れてきていたけれど、初めて令ちゃんの手がかりを手に入れられたから、もう一直線に走っていた。
 少し走るとあの温室が見えてきた。
 令ちゃんはここに来たのか、それともここは通り過ぎただけか……、いい加減ここにいて欲しい。そうでないと、もうどこを探したらいいのかさっぱりわからない。
 温室に入る前に入り口の前でいったん立ち止まった。
(お願い、ここにいて)
 心の中で祈ってから温室に入った。
 温室の中に咲いている色とりどりの花の中、体育座りでしゃがみ込んでいる令ちゃんを見つけた。目の前に黄色い薔薇があるけれど、目線があっていないし、どこ見ているのやら……
 さらに言うと、その薔薇、前に教えてもらったロサ・フェティダと違う。本当に何となくなのだろう。……そんな令ちゃんを見て後悔してしまった。みんな思い知ればいいなんて考えずに、何をおいても真っ先に令ちゃんのところに行くべきだった。
「令ちゃん」
 近づきながら声をかけてみたけれど、聞こえなかったのか、気づかなかったのか何も反応を示してくれなかった。
「令ちゃん!」
「……由乃?」
 大きな声で呼んだらやっと私に気づいたようで首だけ動かして私の方を見てきた。やっと目の焦点が合ったみたいだけれど、全然元気がない。
「こんなところで何してるの?」
「うん……」
「うん、じゃわからないわよ」
「何してるんだろうね」
 ほんと、わたしなにしてんだろ、とつぶやいている。そんなこと言われても私にわかるわけないじゃない。
「何があったの?」
 何をしていたのかわからないなら何があったのかをまた聞く。こっちはわからないのじゃなくて、言いたくなかっただけだから。
 ここまでになるなんて何があったのかそう聞いたのだけれど、私から目線をそらせてうつむいてしまった。
 でも、ここまで私を心配させてしまったのだ。そう簡単に引き下がってなるものか。
 令ちゃんの正面に回り込んでしゃがんで令ちゃんと目線をあわせる。背中にあの黄色い薔薇が当たっているけれど、まあいい。
 令ちゃんは、私の追求がつらいから顔をそらしてしまったけれど粘ってやる。
 そう思ってしばらく粘ってたのだけれど、足が痛くなってきてしまった……令ちゃんみたいにもっとずっとしゃがみ続けられる姿勢にしておけばよかったとも思ったけれど……どのみち、このまま粘っていてもだめだろう。
 どうあっても私には話したくないようだ。どうしたものだろう。
 そのまましばらく考えた末に決めた。ちょっとしゃくに障るけど今はそんなことを言っている場合じゃない。何がベストか考えればこれしかない。令ちゃんの腕をがしっとつかんで有無を言わせずに引っ張って立たせる。そして、このまま薔薇の館に引っ張っていくことにする。
「よしの〜」
 引っ張らないでと非難がましい声を出すけれどそんなのは知らない。
 そんなふぬけた感じになったり、私を散々走り回らせたり、心配させたのに、いっこうにその理由を話そうとしない令ちゃんがみんな悪いんだから!


〜3〜
 由乃さんが薔薇の館を飛び出して行った。
「大丈夫でしょうか?」
「……令のことは確かにおかしいけれど、それだって由乃ちゃんのことでなければそれほど心配する必要はないでしょう?」
 祥子さまはやはりそう考えていたのだ。以前のような令さまになってしまうなんて由乃さんが絡むこと以外には思いつかない。返された志摩子さんも私と同じでその通りだとは思うけれど、いまいち納得はできていない様子だ。
「でも……その、あのぉ……」
 うぅ、言いづらい。昼休みの由乃さんへ向けられた、あの格好良くも恐怖の視線を直接受けてしまったら石になって粉々に砕けてしまうかもしれない。そんな私のためらいを知ってか知らずか祥子さまの手が止まる。
「そうね」
 ひえぇ、やっぱ……え? 私が顔を上げると楽しげに口もとをゆるませている祥子さまの顔があった。ひょっとしてまたやってしまいましたか私!? とりあえず場の空気が和らいだのはよいのだけど……ちょっぴり複雑。
 志摩子さんが入れてくれた紅茶を飲みながら祥子さまが口を開く。
「令だって悩みの一つや二つくらい抱えることくらいあるでしょうし、相談を持ちかけられたならいつでも乗るわよ。けどね、今はその令がいないし、私たちにできることは、令が相談を持ちかけてきたときにいつでも乗れるように、戻ってきた令が負担を重く感じないように、しなければいけない仕事をきっちりと片づけておくことでしょう?」
 それに令にとって出迎えは由乃ちゃんが一番でしょ? と優しくほほえみながら答える祥子さま。やっぱり祥子さまはすごい。由乃さんと令さまの仲は言わずもがなだけど、祥子さまと令さまはそれとは別の……親友・盟友、そう言ったきずながあるのだと思う。私よりずっと令さまのことを分かってらっしゃる。確かにそのとおりだろう。
 まったく気にならない訳じゃないけど、令さまのためにも私たちは私たちができることをしなくちゃ。


 各クラブや同好会から出された備品に関する申請書を分類し終えた。トントンとそれぞれの束ごとにそろえてクリップで止める。
「祥子さま、こちらできました」
 あれ? 反応がない。
 祥子さまの方を見ると、手を口元にやって特に何もない机の端の方に目をやりながら何か考え込んでいるようだった。先ほどまでてきぱきと進めていた手も完全に止まってしまっている。
「祥子さま?」
「あ、ああ、ごめんなさい」
 二度目で呼びかけられたことに気づいたようだ。
「お姉さま、どうかしましたか?」
「ええ……少し遅すぎるものだから」
 確かに遅すぎる……由乃さんが飛び出していってからもうずいぶん経っている。これだけあれば高等部のたいていを見て回れるし、由乃さんや令さまの家なら十分に行って帰ってくることができる。……となると騒動に巻き込まれている!? 新聞部に追い回されているとか。
 もちろんそう簡単に後れを取る由乃さんではないと思うけど、敵もさる者、三奈子さまに執ように追い回されていたりしたら……
 祥子さまもどうやら同じようなことを考えていらっしゃるようだ。令さま個人の問題であればさっきのとおりだけど新聞部がちょっかいかけてきたとなるとそうもいかない。う〜む……
「お姉さま、私……」
「一人で見に行っても行き違いになってしまうだけかもしれないわ。あと5分待って由乃ちゃんが戻ってこないようなら手分けして行きましょう」
 うなずきながら答える祥子さま。確かに学内は決して狭くはないし、探しに行くなら全員で行った方が良いだろう。集合時間、分担個所を決めながら待つこととなった。何事もなければよいのだけど……
 その時、扉が開く音が響き渡った。由乃さんが帰ってきたのだろう。足跡の数からして令さまも一緒かな? やれやれ、何はともあれ良かった。祥子さまも志摩子さんも安堵の表情を浮かべている。もちろん私もだ。さてお出迎えしないと。
 しかし扉の向こうはそんな気持ちを吹き飛ばすに十分すぎる光景だった。


 目の前にはあの時をほうふつとさせる、ほおづえをつきながらぼんやりと窓の方を眺めている令さま。ここまで引っぱり込まれてなおぼんやりと立ちつくす令さまを由乃さんが強引に座らせたのだ。
 由乃さんの言っていることは正しかったのだ。大げさでもなんでもなく。こんな令さまを見たらたとえできることがなくても動かずにはいられない。もしお姉さまが令さまのようだったら……本当の妹になったあの日を思い出した。ぼんやりと空を仰ぎながら断罪を願うお姉さま。もう考えたくもない。
 由乃さんは私たちに恨み言をいうでもなく、ただただ心配そうに令さまのことを見ている。そんな由乃さんに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。由乃さんのように動くでもなく、祥子さまのように自分の考えで決めたでもなく、ただ流されてしまった自分が無性に情けなかった。
 いったいどれくらいたったのだろう? 何分とも何十分とも思える静寂に包まれた部屋に時間と音を取り戻したのは果たして祥子さまだった。
「令、いったい何があったというの?」
 祥子さまが尋ねたけれど……令さまは答えようとしなかった。
「令さま……」
「……ごめん」
 志摩子さんも声をかけたりもしたのだけれど、最後にかえってきたのはその短い言葉だけだった。そんな令さまをじっと見つめていた祥子さまだけど、やがてため息をついた。
「良いわ、このままこうしていてもなにもはじまらないでしょうし。今日はここまでにしましょう」
 そうして、由乃さんが支えるようにして付き添って二人で帰っていった。
「令さま、大丈夫でしょうか?」
「……原因がわからない以上何とも言えないわ」
「そうですね……」
 なんだかとても大きな事件に発展してしまうような予感がする。
 学園祭の時の私たちの問題や黄薔薇革命に続くような大きな事件に……そうなったらお姉さま方なしで初めて大きな事件に当たることになる。
 選挙とはまた別の意味で私たちが試されることになってしまうかもしれない。特にその内の一人である令さまが問題なのだから……大変だ。


〜4〜
 朝、登校するとリリアンかわら版が出回っているのを見て、背筋がふるえてしまった。昨日何があったか……令さまがとんでもないことになっていたのだ。あのかわら版の内容はそのことに決まっている。
 おそるおそる私もかわら版をもらったのだけれど……
「あれ?」
 昨日のことはおろか令さまの文字自体ほとんど見あたらない。
 これは号外や臨時号ではなく定期発行のものだ。周りの人を見てもあまり興味を引かれていないようだし、実際に内容もさして興味を引くような内容でもなかった。
 どういうことなのだろうか?
 教室に行くと、すでに志摩子さんが登校していたので、かわら版を持って志摩子さんのところに行く。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう祐巳さん」
「志摩子さん、かわら版見た?」
 かわら版という言葉を聞いたとたん驚いたように目を大きくした。どうやらかわら版のことはまるで知らないようだ。
「これが、今日でてたかわら版なんだけれど……」
 かわら版を渡す。
「……どう思う?」
「……さぁ、間に合わなかったのかしら?」
 それはどうだろうか? あの三奈子さまならば夜遅くまで残ってでも、それでも間に合わなければ早朝から出てきて根性で出す気がする。それこそ定期刊が少々遅くなってしまったって差し替えるに決まっている。それが、一行たりともふれていないとは……どうして?
 二人揃って首をかしげるだけで、答えは何もわからなかった。


 お昼休み、由乃さんが訪ねてきて、屋上に連れてこられた。蔦子さん、桂さん、そして志摩子さんもいっしょに。
「絶対令ちゃんおかしいのよ」
 その令さまも熱を出してしまって今日はお休み……おかしいのはわかるし、由乃さんが一生懸命になるのも十分に分かるのだけれど、だからといって由乃さんに原因がわからないのに私たちにわかるはずもないだろう。
「桂さんもそう思うでしょ?」
「あ、うん。そうだけど……」
 いつの間にかこの二人、話に引っ張り込んでも良いほどの知り合いになっていたようだ。
 一方的に由乃さんが喋ったり話を振ったりするけれど、みんな鈍い反応しか返せない。そんなのがしばらく続いていたのだけれど、それまでずっと黙って話を聞いていた蔦子さんが手を挙げて間に入ってきた。
「……ひょっとしてなんだけど」
「蔦子さん何か心当たりがあるの!?」
 初めて手がかりが得られるかもしれない。由乃さんは身を乗り出してすごい勢いで……私だったら思わずのけぞっているだろうけれど蔦子さんは予想していたのか、落ち着いてポケットから一枚の写真をとりだした。
「これが、関係あるのか無いのかわからないけど……」



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