第四話外伝

紅いカード 後編

〜5〜
 新聞部企画の宝探し大会の発見者の発表が終わった。
 私のカードを見つけたのは残念ながら志摩子ではなかった。五分の制約に加えて、志摩子の後をつけていった人たちがいたようだし、志摩子が見つけるのはずいぶん難しかったのだろう。けれど、私からのメッセージを取ってくれたかどうか……受け取ってくれていて欲しい。
 私のカードを見つけたのは美冬さんだった。正直、とても好きになれないような人が見つけたのでなくてほっとしたところがある。由乃ちゃんのことで苦労しそうな令や、今回一番のニュースとなってしまった祐巳ちゃん……相手がロサ・カニーナ・蟹名静さんとなれば新聞部でなくとも盛り上がろうというものだ。二人に比べればずいぶん気楽でいられる。 ……そうは思うのだけれど、美冬さんはちっとも喜んでなんかいないように見える。いえ、それだけならまだしも、どこか思い詰めたような表情で目を私に向けてきたりそらしたりしている。
 何か私に話でもあるのだろうか? 美冬さんに近づいて話しかけてみることにした。
「美冬さん」
「は、はい!」
「何かお話があるのでしょう?」
「あ、う、うん……その……」
 話は言いにくいことだったのだろうか、泳いでしまった目をくっと私のほうに戻して口を開こうとしたのだけれど、「祥子さま、これをお願いします」と新聞部員が一口チョコレートがたくさん入った箱を持ってきたから、口にすることができなかった。
 参加賞としてつぼみが一口チョコレートを一人一人に手渡さなければいけない。こんな形でチョコレートを配るのはもちろん嫌だけれど、仕方ない。今回のイベントは新聞部に良いようにさせられてしまっている気がする。
「ごめんなさい。これからしなければいけないことがあるのだけれど……」
「……ううん、全然、いいから。うん、私、待ってるから………そ、その祥子さんが迷惑じゃなかったらだけど……」
「ありがとう。早く配って戻ってくるわね」
「う、うん、がんばってね」
 間に邪魔が入ってしまって話せなくなってしまったのが残念だけれど、同時にほっとしてもいたような気もした。どのような話だったのかはわからないけれど、なるべく早く戻ろうと参加賞のチョコレートを手早く配り始めた。
 けれど、つぼみ三人に対して参加者はずいぶん多いから、一人が配る数もかなりのものでそれなりに時間がかかりそう。……一人一人にチョコレートを手渡しながら美冬さんの様子を覗うと、さっきと似たように、私のほうを見ては視線を外す……そんな感じだったのだけれど、私の前の列の人数が少なくなってくると様子が変わってきた。
 表情が深刻になってきている気がする。それに目だけではなく、うつむいたり顔を上げたりするようになってきた。
「はい」
「ありがとうございます」
 長い列を並んで待っていた最後の子にチョコレートを渡して、ようやく参加賞を配り終えた。
 その時、美冬さんは軽くうつむいていて表情は窺えなかった。
 よほど大切で深刻な話があるのだろう……まだ中庭にはは人の数が多いし、もう少し減ってから話を聞くことにしよう。
 特に何かすることもないのにこの寒い中いつまでも中庭にいたい人は少ないのだろう。どれほどもなく人の数は減っていった。
 美冬さんの元に戻るまで配り終えてからは大した時間は経っていなかったけれど、配るのに時間がかかってしまったから、美冬さんをずいぶん待たせてしまった。
「待たせてしまってごめんなさい」
 だからまず最初に謝ることにした。
 私が戻ってきても軽くうつむいたままだった彼女は、一度頭を振った後、ちらりと私を見据え口を開こうとしたものの結局口は開かれず目をそらしてまたうつむいてしまった。
 その時の表情は……ずいぶんつらそうだった。
 これはよほど深刻な話なのだろう。美冬さんは顔を上げて私の表情をうかがってはまたうつむいてしまう……そんなことを何度か繰り返していた。
 せかすことならいくらでもできるけれど、そこまで深刻で大切な話をしようとしているのにそんなことはしてはいけない。彼女が自分から口を開くのを待つことにした。
 待っていたのは一分か二分か……その程度だったと思うけれど、それは彼女にすれば長い時間だったか、あるいはひどく短い時間だったのかもしれない。
 そして、彼女の口から出てきた第一声は「ごめんなさい」だった。
「え?」
 あまりにも意外なひと言に思わず声を上げてしまった。どうして美冬さんの方からそんな言葉が出るのか分からない。それに、そこまでの覚悟で言わなければならない謝罪とはいったい何なのだろうか? 私にはまるで心当たりなんてない。美冬さんを見ると私が声を上げてしまったせいだろう、気後れしてしまったのか口を閉ざしてしまった。今の彼女は私の一挙手一投足が不安でならないのだろう。うかつに声を上げてしまったことを後悔した。でもなにが美冬さんをそうさせるのかすらわからない……どうして謝るのかについて聞いてみることにした。
「私は卑怯な人間だから……罪を犯してしまったの」
 罪と言われてもわからない。
「……話してもらえる?」
 それからの美冬さんの告白をまとめると、朝カードを隠しに温室に行く私を目撃してあとをつけたから、あの温室に隠されていることが、イベントが始まる前から分かってしまっていたということだった。
 ……朝、美冬さんに目撃されてしまったのは私の不注意だったかもしれない。なかなか見つからないだろうと思っていた隠し場所も祐巳ちゃんと被ってしまっていたし、志摩子へのメッセージ以外については考えが浅かったのだろう。
 美冬さんは、大罪を犯してしまったかのような罪悪感を感じているけれど、そこまでのことだろうか? 確かに、他の人たちに比べれば美冬さんは有利だったから、他の手に入れられなかった参加者が聞けば非難するかもしれない。けれど、あらかじめヒントを得たことが罪になるのだとしたら、祐巳ちゃんと会うまで、あそこは志摩子くらいにしか思いつかないだろうと思っていた私はどうなるのだろうか? ……少なくとも、私に対してそこまで罪に感じるようなことではないと思う。
「美冬さん、そんな罪に感じるようなことではないと思うのだけれど……」
 そう言ったのだけれど彼女は力なく首を振った。
「祥子さんがカードを隠しに早くに登校していたって分かっていたから……だから、祥子さんに声をかけられなかったんじゃなくて、かけたくなかった……私は自分で卑怯な手を選んだのよ」
「でも、美冬さん」
「志摩子さんは自分でたどり着いたっていうのに……あの五分さえなければ、温室の中を探し回った私よりも彼女の方が先に見つけていたはずなの」
 私の言葉を遮って志摩子のことを口にした。温室で二人は顔を合わせたのだろう。志摩子は自分でたどり着けていた……きっと私からのメッセージも受け取ってくれただろう。そのことは嬉しかった。けれど、美冬さんのことはまだ分からない。
 美冬さんは志摩子が見つけるはずだったものを、卑怯な手段で自分が妨害してしまったと、そう言っているのだけれど、やはりそこまで罪に思うようなことではないと思う。
 確かに志摩子がカードを手に入れてくれたら嬉しいけれど、私にとってはメッセージを受け取ってくれるかどうかの方が大事なのだけれど、そのあたりのことは彼女は分からないだろう。
 仮に、私にとって大切だったのは志摩子にメッセージが伝えられるかどうかだったと伝えても、彼女の気が楽になるものなのだろうか? ……ならない気がする。今の彼女は自身が感じている罪の重みのためになにを言っても追い打ちになってしまうのだろう。
 これ以上私がどう言ってもダメだろうし、どうしたらいいのか分からず一つため息をついてしまった。
そもそも、どうしてそこまで罪を感じているのに、カードを手に入れた上でそのことを告白したのだろうか? カードを埋め戻すなり、志摩子に渡してしまうなりなんなりしなかったのはどうしてなのだろうか? そこに彼女の罪悪感の根源があるのではないだろうか。
「……どうして、そんなことをしたのか、聞いても良いかしら?」
 美冬さんは、私から言われてうつむいていた顔を上げた。さっきと変わらないようでそれでいてどこかほっとしているようにも見えた。
「……私はその話をするために来たの」
「そう」
「私は…………」
 けれど、話し始めてすぐに言葉が小さくなって聞き取れなくなり、口も動かなくなってしまった。
 どうしても私に伝えなければいけないことがあるのだろうけれど、それを伝えるのは美冬さんにとってはひどく怖いことのようだ。さらなる罪の告白ということはないだろうけれど顔色も悪いし……
 やはり、自分から話してもらわないといけないだろうけれど、そう簡単に話せそうにないからどうしたものか……
 しばらく美冬さんが自分から話してくれるのを待っていたのだけれど、言いかけては言葉を引いてしまうということを繰り返すばかりで、そのたびに顔色も悪くなっていってしまっているように見える。
「美冬さん、話しづらいなら、今話さなくても」
「だ、だめ! それはだめ!」
 また今度でもと言おうとすると、慌てて私の言葉を遮って後回しにすることを拒絶してきた。
「けれど、あなた……顔色もひどいものよ?」
「い、今、話さないと、もう二度と話せないから、そのためにあんなこ……」
 後のほうは小声になってしかもうつむいてしまったから聞き取れなかったけれど、言おうとしていることは十分に伝わってきた。
 彼女は私と話すためだけにイベントを利用したから、そして志摩子の思いを踏みにじったと思いこんでいるからこそ……だったのだ。しかしそれを自覚してまでなおカードを、そして私との会話を選んだ。その話は前々から言おうとしていたけれどどうしても言えなかったことなのだろう……私と二人で話をするだけなら、クラスメイトなのだからいくらでも手はあったはずだから、単に二人きりになって告白すると言うだけでなく、自分自身を話さざるを得ない状況に追い込む目的もあったのかもしれない。
 背水の陣を敷いた美冬さんが最後の一歩を踏み出すのを待ちながら、その話とはどのようなことなのか考えていたのだけれど、やはりそこまでして伝えなければいけないようなことは思いつかなかった。
「……祥子さん」
「何かしら?」
 美冬さんは体を震わせながら、どこか絞り出すように話しを始めた。
「……一年生の時、私が最初に声をかけたときのことを覚えている?」
「一年生の時?」
けれど、その時に何があったというのだろうか? ……特に思い出せない。
 彼女がそこまで思うような特別なことがあったのなら忘れるとは思えないから、そう言うわけではないと思う。でも美冬さんは私の答えに……「ない」とは言いづらかった。
 けれど表情で私が覚えていないことがわかったのだろう、美冬さんは残念そうで悲しそうな笑みを浮かべた。なかなか話せなかったのはこの結果を予想していた、それでも改めて思い知らされるのはとてもつらいことだったからなのだろう。
「覚えていないよね。私は祥子さんにとっては沢山のクラスメイトの中の一人でしかなかったのだから……」
「……何か傷つけるようなことを言ってしまったのかしら?」
 何気なしに酷く傷つけるようなことでも言ってしまったのだろうか? そうだとすると今までの様子から、ちょっとやそっとのことではなく相当なことだったということになってしまう。美冬さんの答えが少し怖くなってしまった。
「……祥子さんにとっては初対面だったけれど、私にとっては再会だった……」
 再会? ……その時のことをやっと思い出せた。
 確か美冬さんは久しぶりに会えたとでもいったような感じで話しかけてきたのだ。けれど私には覚えはなかったから、どこかで会ったかどうか聞いたのだけれど、勘違いということにされてしまったのだった。彼女は受験組だったから、小学校で一緒だった誰かと間違えたのだろうとそう思ったのだけれど、そうではなかったのか……
 では、美冬さんといつ出会ったのだろうか?
 彼女のすがるような瞳。これこそが本当に伝えたかったこと、私に覚えていて欲しかったことなのだとようやくわかった。さっきの問いはこれの前振りにすぎなかった。
 ……改めて記憶をたどる。それでも思い当たるようなことはなかった。でもそんなはずはない……
「もういいよ」
 私の言葉に美冬さんは笑いながら言った。けれどそれは悲しい笑み……それも、とても深い悲しみを含んでいた。涙こそ流していないけれど、泣いているように思えてしまう、彼女を見ている私も胸を締め付けられているような気がしてしまうくらいの……
「……幼稚舎の時」
「幼稚舎?」
「幼稚舎の時に、一緒だったことがあったの」
 まさかそんなに昔の話が出てくるとは思っていなかったから驚いてしまった。そうだとすると、十年近くの時を挟んだ再会だったと言うことになる。
 その時の出来事が私にとってはそれほど印象的ではなかったのか、それとも昔のこと過ぎるからか、そう言われても彼女のことを思い出すことはできなかった。
美冬さんは悲しい笑みをたたえたまま幼稚舎の時になにがあったのかを語り始めてくれた。
 それはよほど大切な想い出だったのだろう。だから細かなことまで覚えていて話してくれたし、その時のことを話す彼女はいくぶんうれしそうだった。
 美冬さんは幼稚舎の頃の私のことをとてもよく分かっていたし、その時の出来事を知っていたから、ほんとうに幼稚舎の時に一緒だったのだろう。けれども、けがをした美冬さんにあげた……貸したになってしまったハンカチのことや、そのお礼のチョコレートといったことや、美冬さん自身のことは、そう言われればそんなことがあったような気がする程度でほとんど思い出せなかった……
 それはひょっとしたら折角できた友達でも、もう会うことができないならと忘れようとしたからなのかもしれない。けれどその理由がどうあれ、彼女は十年もの間私のことを思い続けていてくれたというのに……だから、申し訳なかった。
 昔のことを話し終えた美冬さんの目から涙がこぼれた。それはこの二年間話したくても話せなかったことをやっと話せたからだったのかもしれない。
「あ、あれ? ご、ごめんなさい」
 ハンカチを貸そうと思ったのだけれど、それよりも早く袖でこぼれた涙をぬぐった。
「今度は返せなくなっちゃうから」
 無理に浮かべた笑みが見ててつらかった。さらに今度はとはどういう事なのか。
「私は、祥子さんと近づきたかった……仲良くなりたかった。でも、こんな卑怯な人間なんかが祥子さんの近くにいるなんて許されないよね……」
 美冬さんはすぐに崩れそうになってしまう取り繕ったかのような笑みをこれ以上私に見られたくなかったのだろう、後ろを向いてしまった。
「やっと全部話せた。私なんかの話を聞いてくれてありがとう……もう行くね。さようなら」
 私の前から去るために別れの言葉を口にした。自分の想いを全て話してしまった……目的を果たしてしまったから、もうこれ以上この場にいるのが耐えられないのかもしれない。
 だから、今彼女はどちらかというと逃げだそうとしている。さっきの「今度は」もそのつもりだったから。今黙っていたら本当に文字通り私の前から去ってしまうつもりなのだろう……そんなことは許せない。彼女には逃げる必要なんてこれっぽっちもないのだから。
「お待ちなさい!」
 軽く言っただけではそのまま振り切られてしまいそうだったから、強く呼び止める。
 ……言いたいことだけ言って去ろうとしていた彼女の足は止まった。けれど、顔を見られたくないのか、私の顔を見るのが恐ろしいのかこちらを向こうとはしなかった。
 次に私の口から出る言葉におびえているのだろう小刻みに震えている。そんな必要などどこにもないというのに……
「話を聞いていっそう思ったわ。美冬さんがしてしまったことは罪を感じるようなことじゃない。気にする必要なんかないわ」
 表情は見えないけれど、きっと驚いているだろう。彼女にとって私の言葉は意外以外のなにものでもないのだから。
「……でも!」
「お黙りなさい」
 何か言おうとしたのをぴしゃりと言って遮る。
 どうあっても自分のしたことが許されるはずがないと思っているから、私の言っていることがまるで信じられないようだ。それだけきまじめと言うべきか、頑固と言うべきか……いずれにせよそうさせてしまったのは、美冬さんのことを覚えていなかった。そして彼女の想いにまるで気づかなかった、気づこうともしなかった私のせいなのだろう。
 向こうを向いたままの美冬さんに近づいて肩に手を掛けてこちらを向かせる。
 強く呼び止められたり言葉を遮られたり、とても恐ろしかったのだろう……今美冬さんの目からあふれている涙はそちらのほうかもしれない。けれど、ほんとうにおそるおそる見上げた私の表情は彼女が思っていたものとは正反対だったから、涙で一杯だった目を大きくしていた。
「良いこと? このことで美冬さんを責めるのは誰であろうと……たとえそれが美冬さん自身でも、この私が許しませんからね」
「……どうして?」
 私の言葉はさらに彼女の想像とはかけ離れていたところを行っていたのだろう。どこかぼうっとしたような感じでその理由を聞いてきた。
「何度も言っているでしょう? あなたがしたことはそれほど罪に問われなければいけないようなことではないわ……それに、十年以上も想い続けてくれるなんて、とてもうれしいことではないかしら?」
 十年もたってもなお私のことを想い続けてくれるような人がこのリリアンに何人いるだろうか?
 美冬さんは私の目を見たりそらしたりしながら口にするかどうか、迷っていたようだけれど、おそるおそる「いいの?」と小さな声で聞いてきた。
 だから私は今まで私のことを想い続けてくれたお礼にできる限りの笑顔で答えた。
 美冬さんの瞳からせきを切ったように涙がこぼれる。
 美冬さんをもう一歩私のほうに引き寄せてそのまま抱きしめると、声を上げて私の胸で泣き始めた。
 つらい思いをさせてごめんなさい……そして、ありがとう。


〜6〜
 月曜日の昼休み、廊下を歩いている彼女を見かけて声をかけた。
「志摩子さん」
「ごきげんよう、美冬さま」
 にこやかに答えてくれる志摩子さん。
 ……あのあと志摩子さんに全部正直に話した。すると彼女はにこりと笑って「本当に良かったですね」とすべて許してくれたのだ。あれほど泣いたばかりだっていうのにまた泣いてしまった。祥子さん……もとい祥子が「絶対大丈夫」といったわけがよくわかった。結局その場で泣き出してしまう私をまた祥子が慰めてくれたのだけど……志摩子さんには本当に迷惑をかけた。
「美冬さま、週末はいかがでしたか?」
「うん、おかげさまで。デートコース考えてくれてありがとう」
 デート当日、朝会ってすぐに呼び方の話になった。友人同士ならいつまでもさん付けで呼び合っているよりも、呼び捨てのほうが良くないかと祥子のほうからもちかけてきたのだ。
 あのイベントのおかげで、これから祥子と近づける、仲良くなれるんだって喜んでいたし、デートも新聞部の企画とはいえ、初めて一緒に遊びに行くのだから夜になかなか寝られないくらいわくわくしていたのだけれど、一気に呼び捨てで呼び合う仲にまでっていうのにはびっくりさせられてしまった。
 私の中では何年も『祥子さん』だったから急に『祥子』にしろと言われてもなかなかできなかったけれど、祥子の方は一度『美冬』と呼ぶと決まったらそれからはすべて『美冬』で統一していた。しばらくは大目に見てくれたけれど、だんだん私が『祥子さん』と言ってしまうと、ちょっとむっとした顔を見せてくるようになったから呼び方にうるさいのだと思ったけれど……デートの終わりのほうには『祥子』と呼ばないと返事をしないとまでいわれてしまったし、実際に『祥子さん』って言ったときは無視されてしまった。
 さすがに驚かされたけれど新しい一面を見ることができて、なんだか新鮮な気持ちで、そしてほんとうに親しい友達として認めてもらえたってうれしかった。
 二人で少し歩きながら昨日の話をした。
 デートではリリアンの幼稚舎、初等部、中等部を回った。そして、それぞれの場所で祥子が経験したことをはじめ色んなことを語ってくれた。小学校中学校と普通の学校に通っていた私にとっては多くが新鮮な出来事だった。なかには祥子らしいなと思わずくすくすと笑いたくなってしまう話もあった。私がリリアンで紡ぐことができなかった思い出の透き間を祥子が埋めていってくれたような気がして二月の寒空だというのにとても暖かかった。
 私もリリアンではない普通の学校のことを語ったのだけれど、それはそれで祥子にとってとても新鮮なことだったようだ。確かにリリアンと公立の学校は違う。そのなかでも祥子はとびっきりの箱入りお嬢様なのだ。私もさっきのお返しとばかりに思い浮かぶことすべてを祥子に伝えたくて時間を忘れて話してしまった。その結果として見回りに来た守衛さんに注意されてしまったのだけど。
 ともあれ本当に素晴らしいデートだったけれど、それは元々志摩子さんの発案だったのだ。祥子がデートコースについて志摩子さんに意見を求めたときにリリアンを回ってみるのはいかがでしょうか? と言ったのだそうだ。
「志摩子さんのおかげで素晴らしいものだったわ。ありがとう」
「いえ、喜んで頂けて良かったです」
 志摩子さんは嬉しそうに可愛い笑みを見せてくれた。それは多少自意識過剰かもしれないけれど、私のことをお姉さまの親しい友達として認めてくれたからなのかもしれない。
「これからもよろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 志摩子さんには先日からお世話になりっぱなしである。本当にどれだけ感謝してもしたりない。いつか少しでも返せると良いのだけど……そんなことを考えながら教室へ向かう彼女を見送った。


よろしければミニアンケートにご協力ください!



あとがきへ