最終話

cardboard smile

〜1〜
 こんなに心弾む登校はいつ以来だろうか?
 今日はお姉さまの家からお姉さまと一緒に登校しているのだ。これだけうれしい登校は高等部進学以来? いや、ひょっとしたらリリアンに通い始めてから初めてかもしれない。
 お姉さまの家にお泊まりするだけでもうれしいのに、こんなすばらしい特典まで付いてくる……そんなうきうきの登校ももうすぐ終わり、もうバスがリリアンに着いてしまった。
 バスを降りて歩道を歩くと、校門前で同じように姉妹そろって登校している令さまと由乃さんを見つけた。
「ごきげんよう、白薔薇さま、祐巳さん」
「ごきげんよう」
 と、挨拶を交わして残りは四人でいっしょに行くことになった。
「今日は、二人揃っての登校なんですね」
「まね。二人だと珍しいことじゃないんだろうけどね」
「家が隣ですからね」
 令さまと由乃さん……私たち二人ともの知り合いで変な噂を広められることもない二人を前に、昨夜のことを言いたくなってきた。……でも、この二人はベストスールって言われるほどの仲が良い上に家は隣同士で従姉妹だからまさに生まれたときからの関係。お姉さまの家にお泊まりなんて全然大したことないというか「良かったわね。おめでとう」の二言でばっさり切られてしまいそうで言い出せなかった。お姉さまもそのことを口にしなかったのは同じ理由だと思う。
 お姉さま、令さま、由乃さんの順で別れて自分の教室に到着した。
 二人に言えなかったからいっそう誰かに話したい、自慢したくなってきてしまった。
 そして自分の席について標的を探すと、ちょうど桂さんが登校してきた。心おきなく話せる人は少ないけれど、そのうちの一人がまさにタイミング良くやってきてくれた。
 思わず「ぬひひひ」とでも言ってしまいそうだ。いけないいけない。こんな感じで話しかけたらひかれてしまうと、ゆるみきった顔の筋肉を引き締めようとしたまさにその時、カシャッてシャッターが切られる音が聞こえてしまった……やられた。
「とっても珍しい写真をありがとう。で、何があったの?」
「…………」


 蔦子さんと桂さんにはというか蔦子さんにやられてしまった。
 浮かれていたところに冷や水をぶっかけられたように一気に覚めてしまった。話している最中は浮かれていなかったというわけではないけれど、蔦子さんがいなければもっとだっただろうに……
 そして覚めてしまうと、昨日起きたもう一つの大事なことが頭の中を占領し始めた。静さまが私の隠した白いカードを見つけたこと。つまり日曜日に私は静さまとデートをしなければいけないのだ。
「静さまとデートか……」
 授業中、小さくぼそりと口に出して呟いてみるけれど、やっぱり気が重い。
 どうして静さまなのだろうか? 静さまでなければ、こんなに気が重くなるなんてことはないのに……
 イベントの前は、私のことをよく分かっている人になら見つかっても良いかなって思ったけれど、こんなにもやっかいな人がいるってことを忘れていた。考えからはずしていただけかもしれないけれど。
 静さまが何を考えているのか、どう思っているのかもわからないしどうしたらいいものやら……とりあえず、静さまの様子を見に行ってみようかな?
 休み時間になって、静さまの様子を見に行くために二年藤組にやってきた。正確には前まではやってきたのだけれど……とても中に入ったり、静さまを呼び出したりできる雰囲気じゃなかった。
 私の姿を見た瞬間教室の前の廊下にいた藤組の生徒から向けられた……何というのだろう? 敵意とはちょっと違うようなきもするし、疑いの目だろうか? ともかく感じの悪い目を一斉に向けられてしまった。
 一人や二人ならそれでも良かったかもしれないけれど、七人や八人となると平気ではいられなかった。だから、藤組の前をそのまま素通りして祥子さまのいる二年松組に向かう……と言うか逃げ込むことにした。
 彼女たちは祥子さまに用事があったから来たと思うだろうから、静さまがらみであれこれと思われることはないだろう。……たぶん。
「ごきげんよう、祐巳ちゃん何か用かしら?」
「あ……」
 ほっと息をついたのもつかの間、自分に用があると思った祥子さまがそれを聞きに来てしまった。特に用があるわけではない……どうしよう?


「ふうん、それでこちらにきたのね」
 ふむふむとうなずいているのは鵜沢美冬さま。先日のイベントでめでたく紅のカードを探し当てた方である。
 ……結局あのままどうしたものかと立往生していたら祥子さまに席まで連れられて子細を話すことになってしまった。美冬さまは祥子さまとデートの打ち合わせをしていて、私が連行されてくるのを見ると「席を外しましょうか?」といってくださった。けれど単に逃げてきた私のために引いていただくのも心苦しいし、立場は違えど今回のデートの当事者のお一人である。聞いていただくのも悪くないかもしれないと思い、正直に話すことにした。
「でも週末なわけだしそろそろ話をした方が良くないかしら?」
「私もそう思ったのですけど……」
 そう、いくらそう思ってもあんな取り巻きがいる以上、これ以上の私からのアタックは難しい気がする。
「静さんもわかっていそうなものだけど」
 私たちも今話しているのにね、と祥子さま。ううむ、何度か痛い目にあわされた経験から今回も何かたくらんでいるのだろうかと思えてきた。
「ごめんなさい祐巳さん、少しもお役に立てなくて」
 また表情に出ていたらしい。美冬さまがすごく申し訳なさそうに手を合わせた。
「い、いえ、こちらこそ急に押しかけて」
 休み時間も終わりそうだったので祥子さまと美冬さまにあいさつして帰ることにした。でも正直なところ参考にならなかったというのは事実かも知れない。
イベント当日の様子からは信じられなかったのだけど、なんとお二人は旧知の仲だったのだ。しかもそれは幼稚舎にまでさかのぼるだという。なんとうらやましいのだろう! 結局、ちょっとした誤解があっただけで今は旧交を温めている真っ最中というわけで。
令さまはデートが終わってからが大変だろうけど、デート前から悩んでいるのは私だけということになる。ため息をつきながら教室へ急いだ。


〜2〜
 あれから静さまとはまだ一度も顔を合わせることができない、取り巻きのせいというのが大きいけれど。予定自体はあけてあるのだから、直前に知らせるだけでも良いと思っているのだろうか?
 そんなことを考えていたら、「ふうむ」なんて言って蔦子さんもなにやら写真片手に考え込んでいた。
 静さまのことは私が考えたところでどうなるものでもないし、向こうが何か動くのを待つしかない。蔦子さんの悩み事に首をつっこめばひょっとしたら重い気分が少しは紛れるかもしれないし……「蔦子さんどうしたの?」と聞きながら近づいた。
 蔦子さんの机の上にいくつも並んでいる写真の束はあの時の写真のようだけれど、何かその写真に不都合でもあったのだろうか?
「写真できたんだ」
「ああ、うん」
 歯切れが悪いから考えていたのは写真のことで間違いないだろう。いったいどんなことがあったのだろうと写真に目をやると、その中の一つの写真の束の一番上に……あのくるくる縦ロールが写っている写真がおかれていた。
「………」
「祐巳さん、どうしたの?」
「あ、うん……ちょっとね」
 今度は私のほうが歯切れが悪くなってしまった。
 どうして中等部の人間がいるのだ? いっしょに写っている子達も間違いなく中等部の制服を着ているけれど、隅のほうに高等部の制服を着ている人もいるし、紛れ込んでいたのか?
「ああ、これ中坊ね。結構紛れ込んでたみたいだよ」
「そうなんだ……」
「知り合い?」
「知り合いってわけじゃないけど……」
 腹立つ上に苦手。私が会いたくない中学生ナンバーワンなのは間違いない。
 いったい誰のカードを探していたのやら、もし私のカードを見つけたりしたらどうするつもりだったのだろう? いや、それ以前に中等部の人間が見つけたと言うことになってしまうといろいろとまずいのじゃないか?
「まあいいか。ちなみに、これどうしたい?」
「へ?」
 私のある意味どうでも良い考えを遮って人差し指と中指で挟んで私に見せてきた写真は……まさに静さまの名前が呼ばれてびっくりして叫んでしまったときの私の写真だった。
「お、おおおねがい! 新聞部には渡さないで!」
 その時は周りのみんなもそうだったけれど、こうやって決定的瞬間を撮られたものを新聞部なんかに渡されたら、間違いなく驚く白薔薇のつぼみとかなんとか注釈つけてかわら版を飾ってしまうのは間違いない。
 蔦子さんは「了解」と言って私にその写真を渡してくれたけれど、すんなりすぎて何か気になる。
 何かあるのかと思っていると、「時に、この人知ってる?」と言って別の写真を見せてきた。それが、蔦子さんが考え込んでいたものなのだろうか?
 その写真には知らない人と見覚えのある人が写っていた。蔦子さんが指さしているのは知らない人の方だったから「知らない」と正直に答えた。
「そっか……」
 わかってはいたけれど残念といった感じの蔦子さん。詳しい話を聞いてみると、その人はショウコと言うのだそうだけれど、写真を撮って欲しいと頼まれたは良いけれど、クラスも分からず、かといってもう一人の写っている内藤克美さまに聞くわけにもいかずと困ってしまっているのだそうだ。
 たしかに、渡す相手が全然わからないというのは困った問題だけれど、三年生でなければ三月で卒業するわけではないし、そのうち会えるだろうから急ぐ必要はないんじゃないかって思って、そのことを伝えると蔦子さんは納得顔で「そうか、……そうよね」って呟いた。
「ありがと、気が楽になったわ」
「どういたしまして」
 蔦子さんはさっきの写真を封筒に入れて鞄にしまい、私は自分の席に戻って鞄に厳重に自分の写真をしまった。
 それにしても、みんなが仰天たまげる中一人冷静に決定的瞬間を撮っていただなんて……さすがは写真部のエースということなのだろうか?


〜3〜
「う〜む……」
 子機とアドレス帳を持ったまま30分がたとうとしている。
 あれからも静さまから連絡はなくとうとう前日の夜になってしまった。さすがにすっぽかすのはまずい。新聞部に知られようものならどうなるかわからない。
 だから連絡しなけれどいけないのだろう。でも気が進まない。だいいち静さまの電話番号だって知らないっていうのに!
「はぁ……」
 いったい何度目のため息だろうか。
 わかってる。誰かに静さまの電話番号を聞かないことにはどうにもならないことは。でも誰に聞こう?

・祥子さまか令さま
 同じ学年ではあるけれど組が違うわけだし厳しいかもしれない。私だって他の組の人たちの連絡先はあまり知らないし。

・三奈子さま
 新聞部の情報収集能力からすれば知っていそうな気がする……って自分から墓穴を掘ってどうする!

・お姉さま
 ……。なんで思いついたんだろうか。万が一本当に知っていたのならその方がもっと嫌な気がする。

「あー、もうどうしよ……」
 子機とアドレス帳をほうってベッドに崩れ込む。タイミングを見計らったように電話が鳴り出したけど取る気も起こらない。どうせお母さんが取ってくれるだろうし。
 そのままベッドでごろごろしていたら階段を駆け上がる音がする。私か祐麒あてかな?
「おい、子機もってるなら出ろよ。……ってなにやってんの?」
 今日もノックもせずに入ってきていきなりのセリフがそれか、弟よ。
「うるさいわねぇ。乙女には海よりも深く山よりも高い事情ってやつがあるのよ」
「ふうん、ダンゴムシのような格好をした乙女ねぇ……。まぁいいや。電話だぞ」
 どうしてそう余計なコメントを付けるのか。まったく。人が真剣に悩んでいるというのに。
「で、誰から?」
「え〜っと。カニナさんだったかな? 知り合いか?」
 その言葉を聞いて飛び起きた。慌てて床に転がっている子機に駆け寄る。その様子に驚きながらも気を利かせてそっと出て行ってくれる祐麒に目で謝りつつ受話器を取った。
「お、お待たせして申し訳ありませんでした!」
「こちらこそ突然電話してごめんなさい」
「い、いえ。私も連絡しないといけないと思っていたところなので……」
 でも静さまはどうやって私の連絡先を知ったのだろう?
「でもどうやって私の連絡先を知ったのだろう……かしら?」
「……」
 一方通行のテレビ電話にでもなっているのだろうか? 思わず真剣に受話器をのぞき込んでしまった。
「うふ、うふふふふ。ごめんなさい。ぴったり的中してしまったようね」
 それからしばらく静さまの美しい笑い声を拝聴するはめになってしまった。
「ご、ごめんなさい。祐巳さんの反応が楽しくて」
「……お粗末さまでした」
「さて、連絡先をどう入手したか。答えは簡単。ある方からよ」
 笑い声が止まったかと思うとすごいことをいう。さぞや不敵な表情を浮かべているに違いない。
「方」ということからして静さまにとってもおそらく上級生だ。そして私の連絡先を知る三年生は記憶する限り三人しかいない。
 黄薔薇さま……前回の件を考えても十分あり得る。いや、そうに違いない。きっとそうだ。そうであってほしい。でも私の頭の中にはすっかり別の方の像が浮かんでしまっていた。
『えー、電話番号ぐらい教えても良いじゃない。知らない相手でもないんだしさ』
 とりあえずそれに思いっきり「この浮気者!」と叫んでから努めて冷静な声で返すことにした。
「で、明日の予定はどうしましょう?」
「あら、どなたか気にならないのかしら?」
「連絡が取れたことの方が大事ですし」
「そう? それなら良いのだけど」


「……はい、ではK駅前に10時に。いえ、わざわざありがとうございました。おやすみなさい」
 つ、疲れた。電話に出る前と同じ格好でベッドに寝転がる。なんだかすっかり静さまに対して苦手意識が付いてしまった気がする。
「もぅ。お姉さまのばか」
 「躾」と命名されてしまった写真の横に飾ってある(来たときはどっちも隠す!)お姉さまの写真に一通り文句を言ったあとむくりと起きあがった。
 そう、これはまだ前哨戦にすぎないのだ。今日は判定負けかもしれないけど本番は明日だ。頑張れ祐巳。
「ゆみ〜、電話が済んだなら風呂入れよ〜」
「わかった。ありがとー」
 さて、お風呂に入ってさっさと寝ないと。
 

〜4〜
 いよいよ、今日は静さまとのデートの日……待ち合わせ時間と場所だけ伝えられたわけだけれど、そこからのことは教えてもらえなかった。……いったいどこへ連れて行こうというのか。
 昨日のことは考えないように今日のスケジュールのことだけを想像しつつ待ち合わせ場所のK駅前に到着した。バスの時刻の関係で30分も前に着いてしまったけど。
 休みの日とはいえまだ10時前だけあって、駅前の広場はまだ混み合ってはいない。私と同じように待ち合わせている人がそこそこいるぐらいだ。たいていのお店はもうすぐ開店だしこれから人が増えていくのだろう。
きっとその程度の人混みだから気づけたのだろう。私の視線の先には見間違えるはずのない友人の顔があった。
 どうして由乃さんがこんなところにいるのだろうか?
 由乃さんも今気づいたみたい。まるで見つかってしまってびっくりというように口もとを引きつらせている。
「……祐巳さんごきげんよう」
 どちらからともなく歩み寄り、するのはいつも通りの挨拶。
「ごきげんよう」
 でもどうして? と言いそうになって口を慌ててつぐんだ。……やっぱり令さまのことが気になって? でもそういうのはすごく失礼な気がするし……
「いいよ、そのとおりだから」
「……顔に出てましたか」
「うん、出てた」
 苦笑しながらそう言う由乃さん。本当にわかりやすくてごめんなさい。
「そう、令ちゃんが誰かとデートするってなったら居ても立ってもいられなくなっちゃったの」
「……」
 私だってお姉さまがデートとなったら嫌だったからこそ、あの時喧嘩になってしまった。
昨日だってお姉さまが静さまに私の連絡先を教えたかもしれない、つまり私のいないところで二人きりで話していたかもしれない、という「かも」「かも」だけでも気が気じゃなかったのだ。
令さまはお姉さまとは違って、浮ついたところとでも言うかそんなところは決してないけれど、それゆえ由乃さんにとっては今回の出来事はいっそうなのだろう。由乃さんから深い溜息がこぼれてきた。
「やっぱり嫉妬よね……」
 それが悪いこととは思わないけれど……嫉妬なのは間違いないだろう。だから否定することができなかった。
「やっぱり帰るわ。令ちゃんたちに見つかったりなんかしたらたまったものじゃないから」
「うん、気を落とさないでね」
 少し肩を落としてしまった由乃さんにそう言うと、笑顔を浮かべてくれた。
「ありがと。これから静さまとデートなんて祐巳さんこそ大変なのに、ごめんね」
「ううん、全然大丈夫だから。また学校でね」
「ええ、それじゃあごきげんよう」
 由乃さんはバス乗り場に向かって歩いていった。
由乃さんの姿が見えなくなるまで見送ってから考えを静さまのことに戻す。
昨夜はさんざんだったし、今まで本当に何度もしてやられてしまっているから、勝率という点で見たらひどいことになってしまっているだろう。これ以上やられっぱなしになってしまったら、付いてきてしまっている苦手意識から抜け出せなくなってしまうかもしれない。
今日は半日もいっしょにいるのだからとても大きな一戦になるだろう。どこへ連れて行かれることになるのかもわからない。けれど、たとえどこだろうと構うものか。今日こそは絶対に負けるものか!
広場の時計の針はもうすぐ10時。いよいよその時が近づいてきている。さぁ気を引き締めないと。
「ぎゃうっ!」
 突然後ろからぎゅって抱きつかれて思わず声を上げてしまった。
 何か違うような気もするけれど、こんなことするのはやっぱり一人しかいない……油断していて吃驚させられてしまったけれど、いったい何をしに来たというのだろうか?
 ひょっとして、私が静さまとデートというのが居ても立ってもいられなくなったとか? ……なさそうだ。
 とりあえず話を聞いてみようと思って振り返ったのだけれど……
「おね……………へ?」
「ごきげんよう」
 にっこりと笑顔を浮かべて私に抱きついているのはお姉さまではなかった。
 綺麗に切りそろえられた短い髪のその人は、蟹名静さま……今日のデートの相手、私がここで待っていた人なのだけれど……
「………アナタ、ナニヤッテルノデスカ?」
 完全な棒読みになってしまったけれど、まさか静さまにこんなことされるなんて夢にも思っていなかったし、まだ、反応を返せるだけマシだったかもしれない。
「さっきから全然気づいてくれないし、声をかけても無視してくれた祐巳さんにちょっとした悪戯よ」
「う……ごめんなさい」
「でも、一つ分かったことがあるわね」
「分かったことですか?」
「白薔薇さまがこういう戯れ方をするのは、きっと、祐巳さんの反応が楽しいからなのでしょうね」
 くすくすって笑いながらそんなことを言ってのけられました。たしかに、お姉さまにそんなこと言われたことあります。
「で、何を考えていたのかしら?」
「えっと……」
 言葉に詰まってしまう。まさかあなたに負けまいと自分を奮い立たせていました、なんて話せるわけがない。でも、だんまりで通すわけにはいかないだろうし……由乃さんごめん。
「さっき、由乃さんと会って」
「由乃さんと?」
「はい」
「祐巳さんに妹がいたら、その子も来たのかしら?」
「さぁ……どうでしょう?」
 私の言うことを信じたのか、それとも考えていたことがわかった上で、なのか話をあわせてくれたけれど、私に妹はいないし考えたこともないからわからない。
 妹か……年下で親しい人なんていないし、私に妹なんてできるのだろうか?
 山百合会のメンバー、薔薇さまとしては妹……つぼみが必要になってくる。お姉さまのようにずっと妹を作らなかった例外もあるけれど、あくまで例外なのだ。妹ってどうやって作ったら良いんだろう?
「それにしてもうれしいわ」
「え?」
「そのリボン。久しぶりね?」
 そう、今私の頭を飾っているのは白いリボン。クリスマスにお姉さまからいただいた、お姉さまのお姉さまの想いも受け継いでいる特別なものだ。身につけたのは選挙の前日・当日以来のことになる。
「祐巳さんにとっても私は『特別』になれたのかしら?」
 くすくすと笑いながらすごいことを言ってのけるよ、この方は。でも確かに静さまは私にとっていろいろな意味で特別なんだろう。
「あ、えー、その……」
「さて、それじゃあ、そろそろいきましょうか?」
「あ、は、はい」
 私の反応に満足したのかどうかはわからないけど、そのまま考え込んでしまっていた私に声を掛けて促してくれた。
 いけない、いけない。慌てて静さまについていっしょに歩き始めた。
「ちなみにどこへ行くんですか?」
「う〜ん、まだ少し早いしこの辺をぶらぶらしましょうか」
「どこか目的の場所があるんですか?」
「そう。ほらほら『だったらもっと集合時間を遅らせればよいのに』なんて顔をしない」
 うぐっ。完全に見透かされている。
「いきなり目的地集合! なんてデートじゃないでしょ? こうして二人で歩いて、話して……全部含めてこそ、じゃないかしら?」
 そう言って静さまは微笑んだ。


〜5〜
 まだ二時間以上ある、ということなのでこのあたりを散策しながらお互いの行きつけの店なんかを紹介しあったりすることにした。
なにしろ今回のデート費用は新聞部提供の一人あたり千五百円の合計三千円。だから実際に何か買ったりしたらすぐに予算がつきてしまうのだ。
「ここは先月も由乃さんと来たんです。……静さま?」
「え。あ、ごめんなさい。ちょっと意外で。ほら、祐巳さんって今日の格好もそうだけど控えめというか……」
「そ、それは見るのと実際に着るのは違うというか、着られない服の一着や二着っていうか。って静さまそんなに笑わないでください!」
 思えばというか当然というか静さまとこんな風に話したことはなかったのだけど結構楽しい、かも。


 そうして何店かめぐって、静さま一押しのアクセサリーショップを出ようとしたとき、誰かに見られているような気がした。そっちを振り向いたら、さっと物陰に隠れた人がいた。誰かはわからなかったったけれど、とっても似たような経験をしたことがある。まあ、今回ははじめから記事に前提で動いているのだから当然と言えば当然だけれど。
「……静さま」
「彼女たちのこと?」
 どうやらとっくに気づいていたようで、私が声を掛けただけでその意味がわかったようだ。
「応援を呼ばれる前に出ましょうか?」
「祐巳さんがそう言うなら、そうしましょうか」
 緊張感無いなぁ……静さまも新聞部の対象にあがったことはあるけれど、その時は周りの取り巻きもいたし、回数も大したことないからなのかもしれない。
 まあ、このまま立ち止まっていてもしかたがないので二人で店を出た。それからすぐにサングラスを掛けた人が一人だけで店から出てきた。
 静さまは『彼女たち』と言っていたけれど一人しかない……でも、あれか?
 道を曲がったてみるとちゃんと私たちのあとをつけてきた。間違いない。
「こっち行きましょう」
「わかったわ」
 路地に入って身を隠したり走ったり……こんな経験役に立ちたくないけれど、立ってしまって簡単にまけてしまった。もう追って来ていないようだ。
 前にお姉さまのとのデートで新聞部に追いかけられたときには、大変だったのに。拍子抜けしてしまったと言ったら嘘になるだろう。
「祐巳さんどうかしたの?」
「あ、いえ、なんだか簡単にまけてしまって拍子抜けというか何というか、嬉しいことではあるんですけど……」
「まあ、合唱部ではそんなものかもしれないわね」
「……え?」
 それって……
「私のことが心配なのでしょうね。これって名誉なことよね」
 静さま、この状況を楽しんでる………
 つまり、静さまの取り巻きが私が静さまに何か変なことをしないかと見張っているわけか? だからこそ、緊張感を持っていなかったと……一人しかいないのに『彼女たち』と言っていたのはわかっていたからこそだったのだろう。
 なんだか力が抜けてしまった。相手が新聞部でなければ、あそこまで……ち、ちがう。来ているのは静さまの取り巻きなのだ。つまり合唱部だけじゃなくて、図書部と二年藤組もだ。全員が全員ではないだろうけれど……新聞部は新聞部で動いているだろうし、下手をすれば五十人を超えているかもしれない。
 K駅の周辺は広いし人も多いとはいっても……一転すごく気が重くなってしまった。
「あら、ここって……」
「え?」
 クリスマスの時ほどではないけれど私道なども横切らせてもらった結果、商店街からは離れて大きめのビルが立ち並ぶオフィス街の方に来てしまったみたいだ。
「思わぬ抜け道を発見した気分ね、行きましょうか」
「行くってどちらに?」
「それはもちろんいいところよ」
 最初に言っていた目的地ってこっちの方なのだろうか? でもこちらになにが?
 歩いて数分、はたしてそれはあった。
「家、ですか?」
 家といってもうちみたいのじゃなくて山梨のおばあちゃんの家みたいなのである。木造の一階建てで瓦の隙間から草が生えているため屋根全体がうす緑色に見えないこともない。両隣がビルで日が当たらないせいだろうか。
その光景のミスマッチもあって、まるでここだけ時が止まってしまっているように見える。
「さぁ、入りましょう」
「は、はぁ」
がらりと静さまが扉を開けると……やっぱり普通の家に見えた。靴箱の上には何の花だろう? 薄紫色の花が生けてあり、壁には漢詩の巻物が飾ってある。その先には再放送の古いドラマでしか見たことがない黒色の電話がある!
 別に本当に知っているわけでもないのに思わず懐かしいとか言いたくなってしまうような感じ。静さまに声をかけられるまでぼんやりとその不思議な光景に見とれてしまっていた。
「さぁ祐巳さん、靴を脱いで上がってちょうだい。あ、靴はそのままもって」
 う〜ん、ほんとうに良いんだろうか。でもまぁ静さまもそうしてるし……と靴を脱いでいると廊下の脇にある障子が開き、かっぽう着を身につけた品の良さそうなおばあさんが出迎えてくれた。
「あらいらっしゃい。今日はお友達と一緒?」
「はい、そうです」
「今、桜の間しか空いていないけど良いかしら?」
 静さまがうなずくと、途中から相席になるかもしれないけどごめんなさいね、とわびながら案内してくれた。
「はい、どうぞ。履き物はこちらの棚に入れて頂戴ね」
 おばあさんが障子を引いてくれると15畳ほどの畳の部屋に歴史を感じさせる長机が二つ配置されていて座布団が敷いてあった。私たちは部屋の隅の方に座ることにした。
「決まったころにまた伺うわね」
 そういって静かに障子を閉め出て行った。おしぼりといっしょに渡してくれたメニューを眺めてみる。だんご汁(すいとんの一種らしい)、焼きおにぎりといった食事からお団子やぜんざい、揚げ餅といった甘味が並んでいる。
「どれもおいしいからなにを選んでも大丈夫よ」
 どれもって事はそれなりに通っていることかな?
「父の忘れ物を届けに行ったときからちょくちょくね」
 ……また顔に出ていたらしい。静さまがまだ小学生の時、お父様が書類を持ってくるのを忘れて届けることになり、その時ご褒美にここに連れてきてくれたそうだ。
 おばあさんと厨房にいるご主人はなんとこの辺り一帯の地主さんらしい。もともと住んでいたこの家を少し改装して茶店にしたのが20年くらい前とのこと。
「でも営業中の札どころか看板すらないでしょ? だから知る人ぞ知るお店ってわけ」
 確かに。仮に噂を聞きつけたとしても入り口があれではなかなか入れないだろう。
「おきまりかしら?」
 それからさらに数分たった後に注文伺いに来てくれた。うん、ナイスタイミング。今回はご主人の故郷の名物というだんご汁定食を頼むことにした。甘味として手延べだんごにきなこをまぶした「やせうま」というものもついてくるらしいし。ちょっぴり予算が心配だったけど、このあとはそういう所には行かないから気兼ねせずに注文して良いという静さまのお墨付きをいただいて一安心。こんなおいしそうなメニューが並ぶ中で飲み物だけみたいな悲惨な事態にならなくてほんとうに良かった。
 待つこと数分。障子が開いたのでもうできたの!? と驚いたのだけど、そうではなく相席のお願いに来たのだった。最初から言われていたことだし笑顔で応じたのだけど……なんだその格好は。
 黒スーツにサングラスの女性、としか言いようがない。その黒服さんは私たちに視線をちらりとやると席を立った。お手洗い……ではないだろう。
「合唱部の子を連れてきたことがあったから」
 いや、そんなさらりと言わないでください。でもこの分だと桜の間が仮装パーティ会場になるのも時間の問題だろう。はぁ……


 どこかで見たようなよれよれのトレンチコートを着た人や黒服さんまではいかないもののお父さんのスーツを借りたのであろう人、季節を先取りしすぎた薄手のニットにプリーツスカート……すごく寒そう。とにかくどこかしら妙な格好した人ばかりだ。みんな自分なりにがんばった結果なのだろうけれど……ふと、クリスマスの時に三奈子さまがすごい格好をしていたのを思い出した。
 あの時は三奈子さま一人だけだったけれど、今はたくさん……なんだか、みんなの必死さがおかしく思えてきた。
「おもしろいわよね」
「え?」
「彼女たち、祐巳さんもそう思っているでしょう?」
 その当人たちには聞こえないように小声で目だけ動かして特に目立つ人たちをさす。
「え、ええ、まあ……」
「まさかここまでとはね。おもしろいものが見れて良かったわ」
 おもしろいものか……確かにおもしろいかもしれない。私たちと言うか私を見張るためだけにこれだけの人が必死になっているのだ。
 そう考えると、なんだか少し気が楽になった。ずっと気が重かったけれど、そんなに重く考える必要はなかったのかもしれない。
 つきまとわれることで沈み込んでいるよりも、彼女たちがしていることは見るからに滑稽なのだから笑ってやった方が良い。
「ふふ、良かったわ」
「なにがですか?」
「祐巳さんもわかってくれたようで、これならおいしく食べられそうね」
「あ……」
 静さまが言っているのは、さっきから私がため息ばかりついていたこと。静さまは尾行されていても全然平気そうだったけれど、はじめからこのことをわかっていたからというのも大きかったのだろう。
「ありがとうございます」
「いいえ、祐巳さんが楽しそうな顔を見せてくれたから私もうれしいわ。あっ来たわよ」
「はい、お待ちどうさま」
 お礼を言って早速手を合わせる。まずはさっそくだんご汁をひとすすり。おいしいっ!
「ね、おいしいでしょう?」
「はい、とても」
 彼女たちに目をやると……尾行の都合、飲み物しか頼んでいないようだ。私たちの頼んだものをうらやましそうに眺めている子もいる。ふふふ、うらやましいだろう。ほんとうにおいしいぞ。
 気の持ちよう一つで……彼女たちを観察しながらの食事は元の味のすばらしさあって最高においしかった。人をからかって楽しむ人たちはこんなにおいしい思いを味わっているのか。お姉さまが止められないのもわかる気がした。


〜6〜
「ごちそうさまでした。とてもおいしかったです。また来ますね。」
「ありがとう。ぜひ来てちょうだいね。……それにしても今日みたいな珍しいお客さんばかり来られたのは初めてね」
 ごめんなさい、私たちのせいです。首をかしげているおばあさんに心の中でそっと謝ってこのすてきなお店から出た。軽くのびをする。とりあえずどちらからともなく駅の方にぶらぶら歩き出したのだけど、彼女たちもぞろぞろと店を出て来て、道を歩く私たちの後をつけてきた。
 これ、周りから見ている人たちはどう思っているんだろう?
 二人の後を離れて歩く異様な集団……あちらがかなり目立つから、案外後ろの集団にばっかり目が行って私たちのほうに目を向ける人は少ないかもしれない。
「次、どこへ行きます?」
 これまでもまったく楽しんでいなかったわけではなかった。でもやらされている、おまけに監視されている、というマイナスのイメージがつきまとっていたのも本当だ。
今はそういう肩にのしかかっていた重みを全部置いてきたみたい。これからは静さまとのデートを存分に楽しめるかもしれない、楽しみたいと思った。
「そうね、あの子たちをからかってみるとか」
 冗談めかして静さまが言う。でも悪くないかも。必死になっているのに悪いけれど、そんな彼女たちをからかえれば、結構おもしろいんじゃないか?
「何か?」
「あ、いえ……」
 となると……彼女たちは私は静さまの敵だとしか思っていないから、見るからに仲良くしたりしたらさぞ驚くだろう。見るからに仲良く……静さまとはお姉さまを巡ってはライバルだけれど、それ以外では別にいがみあっているわけじゃない。けれども、仲良くなれるのだろうか?
 私は静さまには苦手意識を持ってしまっているけれど、それはしてやられ続けてしまったから。静さまは私のことをからって楽しんでいる。でもそれってそれなりに良い印象を持っているってことなのではないだろうか? そう、お姉さまだって私のことをいつもからかっているし。
 今日出会った時だって私があのリボンを付けていたのをむしろ好ましい目で見ていてくれたような気がする。こっちはやる気満々だった分ちょっぴり複雑ではあるけど。
 よし、決めた。
「あの……手をつないでもらっても良いですか?」
 静さまが驚いた表情で私を見つめる。そりゃ驚くよね。
「手を? ……ええ、良いわ、そうしましょう」
 でもすぐ思い当たったのか静さまは笑顔を浮かべて手を差し出してくれたから、二人で手をつないだ。瞬間、後ろの方から無数の声にならない悲鳴が上がったように思う。
「成功ね」
「ですね」
 あまりにバレバレなのだけれど、それでもつけているから、いろいろと言いたいことはあっても必死に声を出さないようにしているのだろう。何ともほほえましいものだ。
「目的は果たせたわけだけれど……このまま行きましょうか?」
 少しだけ強く私の手を握りながらそう言ってくれる静さま。
 少し強く握りかえすことでそれに応えることにした。
 手袋越しの静さまの手のぬくもりがほんのり暖かかった。


〜7〜
 その後も適当に追跡者たちをからかった後、静さまの提案で彼女たちを上手くまいて二人だけでバスに乗ることになった。
 目的地はリリアン……今日は日曜日だというのに、どうするのだろうか?
 やがてバスは普段乗り慣れたM駅発のバスの路線と合流して、見慣れた光景が窓の向こうに広がり始め、それからしばらくしてリリアンに到着した。
 やはり日曜日だから、見渡す限り人っ子一人いない。
「リリアンに来て、どうするんですか?」
「ここなら誰にも邪魔されないでしょう?」
「そう言っても入れませんよ?」
 門はピタリと閉じられてしまっていて、部活動などの特別な理由でもないと入れてはもらえない。
「大丈夫。忘れ物をしたから取りに来ましたって守衛さんに言えばいいのよ」
 自信げにきっぱり言い切った。ひょっとしたら前にも来たことがあるのだろうか?
「ご名答。前に忘れ物をして取りに来たことがあるのよ」
「そうだったんですか」
 そして正門脇の通用門を通り、詰め所に控えていた守衛さんに生徒手帳を見せて断ってから中に入った。
「あら?」
「どうかしましたか?」
「ほら、あの先。あそこにいるお二人は祥子さんと美冬さんじゃないかしら?」
 本当だ。お二人で楽しそうにおしゃべりしながら歩いている。
「あいさつしなくても良い?」
「え?」
「だってほら、あなた祥子さんのファンでしょ?」
 静さまは私が誰のファンか知っているんだった。確かに祥子さまは大好きだし今でもあこがれの人だ。祥子さまとお話しできるとお姉さまとはまた違うのだけどドキドキするっていうか幸せな気分に浸れる。でもそれはいつでもできる。
「そうですね。でもお邪魔したくないですし。それに……」
「それに?」
「今は静さまとのデートじゃないですか。ふ、二人でいるときに他の人の話は厳禁! な、なぁ〜んて」
 さっき手をつないでいたせいだろうか。なんかデートっていうのが気恥ずかしくて思わずごまかしちゃった。やっぱり私は静さまのことを好きなのかもしれない。好きじゃない人にデートといってもここまで恥ずかしくないから。
「ふふっ、そうね。ありがとう」
 うぅ、どこまでばれているのだろう。その気持ちをごまかすためにどこへ行くのか聞いてみると「薔薇の館なんてどう?」って答えが返ってきた。
 確かに薔薇の館ならお茶だって入れられるしちょうど良いとは思うけれど……薔薇の館は山百合会の領域なわけで、その住人になってしまった今ではともかく最初のころはガチガチに緊張していたっていうのに、まるで抵抗感を感じていない静さまはやっぱりすごいと思う。いや、これは住人である私に招待しろということなのだろうか?
 ともかく薔薇の館に到着し、中に入ってお茶を入れることにした。
 それでリクエストを聞いてみると、ココアをご希望だということで早速ココアを入れることにした。
 確かに寒い中を歩いてきたし、温かいココアって良いかもしれない。
「はい、お待たせしました」
「ありがとう」
 私も椅子に座って、湯気が立ち上る暖かいココアに口を付けた。
 甘くて美味しいし、寒い中を歩いてきたから、暖かいものを飲むと体の中から暖まる。
 ココアを飲んで一息ついてから、ここに来た理由のことについて聞いてみることにした。
「それで、お話って何でしょうか?」
「あなたたち姉妹のことと、私のことよ」
 私たち姉妹と静さまのことか……何を言い出すつもりだろうか?
「わたし、イタリアに行くことになっていたのよ」
 イタリア? この人はいきなり何を言い出すのだろうか? しかも、行くことになっていた。つまり、行かないことにしたと言われてもそれがどうしたというのか? 
「歌の勉強のために留学でね。中学を出たら直ぐに……でも、白薔薇さまがいたから、二年延ばすことにしていたの」
 二年……お姉さまがリリアンにいる間ってことだ。つまり、お姉さまを見ていたのは中等部の時からずっとだったのか。
 けれど、延ばしたのは二年間だけってことはこの春には静さまはイタリアに行ってしまうということなのだろうか?
 イタリアに行ってしまう前に、自分の想いを全て話しておこうと言うことなのかとも思ったけれど、その考えはすぐにひっくり返されてしまった。
「だからこの春には改めて行くつもりだったのだけれど……もう少し延ばすことにしたわ」
……何となくこの後の話がわかった。正直そこまでという気がしないでもない。
「あの選挙のおかげで、あの方もやっと私を見てくれるようになった」
 そう、静って名前で呼んでいたし、どんな人間なのかもちゃんと覚えていた。お姉さまはほんとうに一握りの人以外のことはいい加減で、覚えてもらったとしても、蔦子さんはカメラちゃん、祐麒も弟君なのに……
「でも、祐巳さんには選挙は負けてしまったし、白薔薇さまへの想いもね。でも、それで終わりにするつもりはないわ」
 お姉さまが大学に進学しても、静さまはお姉さまを狙っていく。そう宣言したのだ。新たな宣戦布告。それが二人きりになりたかった理由だ。
「リリアンの姉妹制が終わってしまっても、私たちは姉妹です。ずっと」
 だから、私も真っ向から迎え撃つ言葉を口にする……したのだけれど、静さまはなぜか嬉しそうに微笑んでいた。
 どうしてあなたはそんなにうれしそうなんですか?
「ええ、私がリリアン残ることにした理由はもう一つあって、あなたたち姉妹、そしてあなたがどうなっていくのか見てみたいのよ」
「あえ?」
 思わず変な声を出してしまった。
 えっと、どういうことだ? ……つまり、私たちの間に入ろうとするけれど、入れなくても近くから見て楽しむとそう言っているのか? ……マジ?
「これからよろしくね」
 にっこり微笑みながら手を差し出して握手を求めてきた。
 私は確かに静さまのことを好きかもしれない、静さまもそんな気がする、気がするけど! これからいったいどうなっちゃうのだろう。
 そんなことを考えつつ引きつった……無理矢理作った笑みを浮かびながら応えることになったのだった。


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