remake 中編

 どうしてなんだろう……
 どうして……昨日の放課後。アスカに告白したあのときからずっと頭の中をそのことが駆けめぐっている。
 アスカに相談したときのアスカの言葉とかから結構期待を持っていたりしていたけれど、やっぱりアスカと僕なんかが釣り合うかと言われたら釣り合わないと思うし、ダメだったことは冷静に考えれば仕方ないと思う。
 でも、どうしてあんな断り方だったのだろう?
 アスカは綾波のことをよく考えろって言っていたし、そもそもあの恋愛相談だって綾波のことだと思っていたわけだしアスカの目からは僕と綾波がお似合いに見えていたのかもしれない。
 けれど、それがどうしてあんな笑顔でうれしかったと言いつつ断るようなことになるんだろう?
 そもそも僕なんかにわかるはずがないのかもしれないけれど、アスカの考えていることが全然わからない。
 昨日のことを考えているとドアがノックされ、ミサトさんが「シンジ君、ちょっと良い?」と聞いてきた。
「良いですよ」
 ベッドに寝そべっていた体を起こすと、ミサトさんが部屋に入ってきた。
「なんですか?」
「シンジ君随分悩んでるみたいだからね。私で良ければ話を聞くわよ?」
 そう言ってミサトさんはベッドの僕のそばに腰を下ろした。
「……アスカから何か聞いたんですか?」
「アスカ? いいえ、何も聞いてないけれど、シンジ君の悩みはアスカがらみの話なの?」
 アスカがまた手を回してくれたのかと思ったけど、そうじゃなかったみたいだ。
 そもそもミサトさんには僕が何か考えて……悩んでいることはわかっていても何についてなのかはわかっていなかった。
 でもミサトさんに話してどうにかなるものだろうか? と思っていると「悩み事っていうのはね、人に話すことができるだけで気が楽になったり考えが整理できることもあるのよ、だからね」と、促してくれた。
 それでミサトさんに話してみる気になって、昨日のこととそれまでのことを話すことにした。
 ……
 ……
「そんなことがあったのね」
「はい……」
 ミサトさんは天井を一度見上げてから「アスカが何を考えているのかは私にはわからないわね」とつぶやくように言った。
「そうですか……」
「ええ、でも、シンジ君と同じでアスカがどうしてそんな風に言ったのかは気になるわね。やっぱりアスカの言葉は不自然だと思うのよ」
 ミサトさんは少し考えた後、「本当はいけないんだけど、少し調べてあげましょうか?」って聞いてきた。
 調べてくれるというのはうれしい話だけれど、本当はいけないの方が気になってどういうことなのか聞いてみた。
「シンジ君にも保安部の人間がついてることは知ってるでしょ?」
「はい……」
 保安部の人たちにはあまりいい記憶がない……あの逃げ出したときだって、結局最初から最後までずっとあの人たちが僕のことを見張っていたのだ。
「基本は不干渉。でも、シンジ君たちエヴァの操縦者に万が一のことがあってはいけない。だから常に保安部がついているのよ」
「アスカにも?」
「そういうこと。まあ、正規の階級をもっているアスカの方がセキュリティレベルが高いけど、そのあたりはリツコに協力してもらえれば何とかできると思うし」
 ふと、それはアスカのプライベートをのぞき見することだって気づいた。保安部の人たちはミサトさんが言ったような理由があるけど、僕の場合はただアスカが何を考えているのかそれが知りたいだけ……そんな理由でしていいことではないと思う。アスカだってそんなことをされたらなんて思うか。
「ミサトさん」
「何?」
「やっぱり良いです」
 そう言ってからさっきの理由を説明すると、ミサトさんは僕の頭に軽く手を乗せてなでなでと頭をなでてきた。
「うん、それで良いわ。シンジ君が考えたとおり、そんなの好きな相手にすることじゃないわね。むしろ変なことを言っちゃってごめんなさいね」
「ううん、ミサトさんが僕のためにって思って言ってくれたことですから」
 結局ミサトさんと話をしても何かわかったりわかる兆しが見えてくることはなかった。けれど、最初にミサトさんが言ったとおり、話をすることができただけでなぜか気が楽になった気がした。


 次の日の朝、学校への登校途中で綾波と一緒になった。
「おはよう」
「おはよう、碇君」
 二人で並んで通学路を歩く。
 そうだ、綾波にはアスカとのことを言っておいた方が良いかな。アスカへの気持ちに気づくヒントをくれたのは綾波だったのだし。
「綾波、一昨日の放課後のことなんだけど……」
 そうしてあのアスカへの告白のことと、アスカの答えのことを話した。僕には綾波がいるとかそんなことを言われたことを話すのは恥ずかしかったしそのことはぼかした。
「……ごめんなさい。こんな時どう言えばいいのかわからないの」
「気にしないでいいよ」
 僕にだって全然わからないのだし、綾波には話していないことがあるのだから、綾波が済まなそうにしていると、僕の方こそ申し訳ない気になってきてしまう。
 その話が一段落すると特にどちらから話しかけると言うこともなく、そのまま二人で一緒に歩くだけになった。
 ふと、アスカには僕と綾波がお似合いに見えていたようだけれど、どうなんだろうかと思った。
 確かに僕と綾波は友達だと思っているし、僕の方から綾波にそうなろうって言った。でも、恋人関係だなんて考えたこともなかった。どうなんだろう?
 

 学校に着くとアスカの姿を目が探していた。
 単に断られたのなら、気まずくて顔を合わせたくもなくなるかもしれないけれど、あんな感じだったから……その理由は僕には聞けないだろうなぁと思いつつもどうしても気になってしまう。
 でも、昨日に続いてアスカは登校してこなかった。
 アスカはリツコさんたち技術部の人たちと色々とやっているから、あまり学校に来ない……もっとももう大学を卒業しているから僕なんかと違って勉強をしなければいけないってわけでもないし、今日もそんな日なのだろうか?
 ……もし僕と顔を合わせたくないとかそういう理由だったらとてもいやだ。
 気になって休み時間に綾波にアスカのことをひょっとしたら知らないか聞いてみた。
「アスカは今日は対衛星軌道兵器の調整をしているはずよ」
「そうだったんだありがとう」
 アスカが来ていない理由は忙しいからだった。そのことがわかって少しほっとした。
「アスカのことが気になるの?」
「うん……やっぱりね。そういえば昨日は綾波もいなかったよね?」
「私は別の実験」
「そっか、綾波も大変だね」
「ありがとう」
 綾波もテストの成績は抜群だったし、なんだか僕だけあまり役に立ててない気がしてしまう……
 そんなことを思って少し沈んだ気分になってしまっているうちに、休み時間が終わりホームルームで修学旅行の説明があった。
 そういえばもうすぐだった。
 ここのところアスカのことばっかり考えていて、ほとんど準備していなかった。
 帰ったら準備しないとなぁ……


 放課後綾波と二人で実験のために本部に行くと、通路で技術部の人たちを引き連れて歩いているアスカと出くわした。
「二人ともこんにちは」
「こんにちは」
「あ……うん。こんにちは」
 アスカの笑顔が、一昨日のことなんかまるで何も関係ないようにその前のものと何も変わらない感じで、少し戸惑ってしまった。
「それにしても、二人が来るってことはもうそんな時間だったとは……アタシは実験棟の方に行くから、後はよろしくね」
「はい」
 技術部の人たちは一足先に通路を歩いていった。
「さ、アタシたちも行きましょ」
 アスカに続いて三人で実験棟に向かう。
 その間少し前を歩くアスカを見ながらアスカが今僕のことをどう思っているのかずっと考えていた。


 実験前のブリーフィングでミサトさんから使徒の襲来に備えて僕たちは第3新東京市で待機しなければいけないから修学旅行には行けないことを知らされた。
 修学旅行に行けないのは残念だけれど、エヴァのパイロットである以上仕方ないし、ほとんど準備していなかったからある意味助かったという部分もあるかもしれない。
「その代わりその間本部の保養施設を三人で使い放題にしておいたからね。アスカもここのところだいぶハードだったし休暇ってことにしておいたわ」
「そんな悠長なこと言っていていいのかしらね? 使徒に対する備えは万全にしようとしたってそうなることはないのよ?」
「それはわかっているわ。でも、アスカはエヴァぁのパイロット。特に完全な主力なんだから、息抜きくらいしておいてくれないとこっちの方が不安になってしまうのよ」
「そういうことならしかたないわね。局地戦用装備のチェックだけ済ませたら休暇にさせてもらうわ」
 ミサトさんとアスカのやりとりを見ていて、やっぱりアスカってすごいなぁと思う。
「少し不満がありそうね。だったら一つ代わりにしてほしいことがあるんだけどいいかしら?」
「代わり……何?」
「シンジ君の成績のことよ。ちょっと思わしくなさ過ぎてね……休暇中時々シンジ君に勉強を教えてあげてくれない?」
 ミサトさんの言葉に「へ?」と僕とアスカの言葉が重なった。
「どうかしら?」
 アスカは僕の方を見てから少し考えて、今度はミサトさんの方にじとっとでも効果音がつきそうな感じの視線を向けた。対するミサトさんは笑顔のままだ。どういうことなのだろう?
「そうね……そのくらいならかまわないけど、学校の勉強をという意味なら、アタシよりもまだレイのほうが出席もしているし、ふさわしいんじゃないかしら? 成績だってアタシと似たようなものだし」
「レイ? そうね……」
 ミサトさんの言葉が濁った。ひょっとしてこの前ミサトさんに話をしたから僕とアスカがじっくりと話す機会を作るためとかそういう考えで言ってくれたのだろうか?
「レイ、いいでしょ?」
「かまわないわ」
 ミサトさんが何か言うよりも早くアスカが綾波に言って話をまとめてしまった。
「これでこの話は終わりと。じゃ早速実験に移りましょうか」
 アスカが話を進めて今日の実験が始まることになった。


 実験の間もアスカのことを考えていたせいで集中がとぎれがちでリツコさんにしかられてしまった。けれど、その代わり、これからどうするのかについては決めることができた。
 少なくともアスカは僕のことを拒否したりとかそんな雰囲気はない、だから思い切ってちゃんと理由を……なぜあんなことを言ったのかを聞いてみようとそう決めた。
 一世一代の告白を断られてすぐだっていうのによくそんな風に思い立つことができたものだと思いつつも、実験が終わると手早く更衣室で着替えを済ませてすぐに女子更衣室の近くの通路に向かった。
 そこでアスカを待っているとしばらくしてやってきた。
「あら? ひょっとしてアタシを待っていたの?」
「うん。よかったら一緒に帰らない?」
「そうね、レイは遅くなるし……いいわよ」
 アスカと二人で帰ることになった。
 エレベーターに乗り込んで完全に二人っきりになってから話を始めることにしようとしたのだけれど、エレベーターのドアが閉まるとほとんど同時にアスカのほうから「聞きたいことがあるんでしょ?」と言ってきた。
「あ……うん」
「やっぱり、告白断ったこと?」
「うん……アスカが断った理由がやっぱりわからなくて」
「そっか、まあそうよねぇ」
 アスカの言葉を待つあいだ、カチカチと今の階数を知らせるメーターが動く音だけが響いている。
「……そうね。シンジの気持ちはわかるけど、たぶん納得はさせられないでしょうね」
「どうして?」
「全部を話すわけにはいかないからよ。それじゃあ、ちゃんと理由を理解するのは無理でしょうから」
「……」
「単にシンジを納得させればいいだけなら、いくつも方法はあるんだけどね……シンジには興味はないとか、ほかの好きな人がいるとか、いろいろと言うことはできるけれど、残念ながらシンジのことは嫌いとは真反対だし、うそをつきたくもないのよね」
 嫌いの真反対……それって好きってことなのだろうか? でも、アスカが僕の告白を断ったと言うことには変わりはない。そして、その理由は話せないらしい。
「どうしても?」
「……そうね。かたがついたら理由は話すわ。けど、シンジの気持ちに対する私の答えは変わらないわよ」
 まるで期待は持たないようにって念を押すようにアスカはそう言った。
 そう言われてしまっては僕に言うべき言葉はない……それからの帰路は時々アスカが話しかけてきて僕が相づちを打ったり、軽く返したりする程度にしかならなかった。


 今日はネルフ本部の保養施設のプールに三人で遊びに来た。
 僕自身は泳げないからプールよりもほかのほうがよかったのだけれど、どこの施設に行こうかという話の中でアスカが修学旅行でみんなは泳いでいるでしょうしアタシたちも泳ぎましょと綾波に声をかけて綾波もうなずいて肯定したためにプールに決まってしまった。
 そういう意味ではある意味ミサトさんが勉強するようにって言ったのは幸いだったかもしれない。プールサイドで綾波に勉強を見てもらうことにした。
「ここは、こう」
 綾波はすらすらとノートにシャーペンを走らせる。
「そっか、ありがとう」
 綾波のおかげで次々に問題が解けていく。綾波の教え方は結構わかりやすかったから似たような問題は自分で解けるようになっていく。
 もちろん綾波あってのことだけれど、少しは僕でもやれるんだなってちょっとだけ自信になった気がする。
 一段落したところで綾波は泳いでくるとプールのほうに歩いていって飛び込んだ。スーッとなめらかに泳いでいく姿はきれいだった。
「レイの泳ぎ方ってきれいよねぇ」
「アスカ」
 いつの間にかすぐそばに両手にジュースを持ってやってきていたアスカはさっきまで綾波が座っていたいすに座った。
「アタシもそれなりに自信あるけどああもきれいには泳げないわ、はいジュース」
「あ、ありがとう」
 お礼を言ってアスカからジュースを受け取って一口飲んだ。
「どう? 勉強のほうははかどった?」
「うん、綾波のおかげでね」
「そりゃよかったわ」
 あのときは考えが回らなかったところもあったけれど、もう一つアスカに聞いてみたいことを聞いてみることにした。
「ねぇ、この前の話を続きなんだけど」
「何? まだ教えないわよ」
「ううん、そうじゃなくて、綾波とのことなんだけど……」
「レイとのこと?」
「アスカが断ったのは綾波のことが理由だって言っていたけれど……アスカの目から僕たちってそんな風に見えていたの?」
「ああ、そういう話ね。それならアタシ以外に聞いてもいいと思うけど、本当に深いところを知っている人間じゃなければお似合いだって言うわよ。ヒカリとかクラスメイトならほぼ確実」
「そう、なんだ……」
「まあ……正直言っちゃうと、アタシはどっちかって言うとサポートしてたところがあるからね」
 アスカの言葉で気づいた。アスカは綾波のことをいろいろと僕にさせようとしていたような気がする。綾波をアスカの歓迎パーティーに誘ったときも、綾波の部屋や生活を何とかしようとしたときもそう……アスカはきっかけをくれただけかもしれないけれど、アスカが何も言わなかったらきっと今よりも綾波に関わることは少なかったと思う。今度のミサトさんが僕の勉強を見てほしいって言ったときに綾波にお願いしたのは、アスカが教えるのがいやなんじゃなくて、僕と綾波が同じ時間をもてるようにって意味だったのかもしれない。
「どうしてかは……教えてくれないんだよね?」
「そうね……アタシがバカだったところもあるとはいっても、教えるわけにはいかないわね。ただ……」
 アスカは少し口ごもった後、お願いをしてきた。
「もしシンジがレイのことを恋愛の対象として見れなくなってしまっているのだとしたら完全にアタシのせい。責めてくれていいわ。でも、レイの本当の意味で支えになれるのはシンジだけなのよ。だからレイを支えてあげてちょうだい」
 アスカの表情は真剣そのものだった。
「僕にできるのかな?」
 アスカの言葉から綾波が何かすごいものを抱えているらしいことはわかった。けれど、それがなんなのかまったくわからない僕なんかにそんなことができるのだろうか?
「シンジじゃなきゃできないのよ。アタシができることは限られてるし…………それが、いろんなことの運命を決めることになっちゃうから、お願い」
 その真剣さに押される形でうなずくことになってしまった。
「綾波が何を抱えているのかは教えてもらっちゃだめなのかな?」
「だめよ。それはレイの口から聞かないといけないわ」
 それはそうかもしれない。
 綾波にどんな秘密があるのかはわからないけれど、本人から聞かずに人から聞くのはよくないことだと思う。
 それにしても、アスカに告白して断られた僕が、そのアスカから綾波のことを頼まれるだなんて、複雑な気持ちになってしまうな……ときれいにターンをして反対側に泳ぎ始めた綾波を眺めながら考えていた。


 使徒が浅間山の火口の中で発見されたという連絡が入って僕たちの休暇は中断になった。
 そしてすぐにウィングキャリヤーで浅間山の近くの山にやってきた。
 向かいの浅間山が煙を吹き出しているのがよく見える。あそこで使徒が見つかったんだ。
 今回の作戦はアスカが弐号機で局地戦用の装備を着けて火口に潜って使徒を倒す。使徒はさなぎ状態だから戦闘そのものは楽に進むだろうっていうのが作戦会議の雰囲気だった。
 僕たちは何かあったときに備えての待機……何かなんてなければいいのだけれど。火口で待機している弐号機を見ながらそう願った。
 足音が近づいてきた。……そちらを見ると足音の主は綾波だった。
「綾波」
「アスカのことを見ていたの?」
「うん。何事もなければいいんだけれどね」
「そうね」
 それからしばらくして作戦が実行され、順調に弐号機が溶岩の中でさなぎの状態のままの使徒を殲滅することに成功した。その間僕たちはエヴァに乗って待機しているだけで、何もすることはなかった。


 作戦が終わった後近くの温泉宿に貸しきりで泊まっていくことになった。
 ほとんど何もしていない僕もそんなことをさせてもらっていいのかなんて思ったけれど、ミサトさんはもともと休暇で保養施設貸し切りにしてたんだし、貸し切り先が変わっただけだし気にしないでいいわよーとか言っていた。
 まあそんなわけでせっかくの温泉に入らせてもらっている分けである。
「いいお湯だなぁ」
 広い温泉に僕一人……実際温泉宿自体がネルフの貸しきりであるけど、今この温泉は僕一人の貸しきりになっている。
 一人でお湯をたんのうしていたら誰か入ってきたようだ。男の人はほとんどいなかったけれど、日向さんあたりだろうか?
「碇君?」
「へ!?」
 なんと綾波がそこに立っていた。
「ああああ、綾波どうしてここに!?」
 綾波ははっと何か気づいたような顔をしてさっと大事なところを手で隠し、僕は慌てて顔を背けた。
「……混浴?」
 まちがいなく『男』ってのれんが掛かった脱衣所に入ったし綾波がそんなまちがいをするわけはないから、脱衣所は別々だけれど中は混浴だったとかいうオチなのだろうか?
 綾波は「こうすればいいと」温泉の中に入ってきて僕の背中に背中をあわせるように腰を下ろした。
 確かにこうすれば僕が振り返らない限り綾波の裸を見ることはできない。
 ……ただ、前に綾波のマンションに行ったときはあんなことがあったというのに、綾波はまるで気にした雰囲気がなかったことから考えると、今の綾波の反応はずっと自然なものに思えてしまう。
 いや、そんな反応をしなければいけない状況になっていること自体が問題ではあるけど……
「……アスカが貸してくれた本にこんなシチューションがあったから」
「そうだったんだ」
 僕が考えていたことがわかったのか、綾波がその答えを答えてくれた。
 これだけってことはないだろうし、アスカが綾波に貸した大量の本はアスカの狙い通りに綾波にとっていろいろとためになっている気がする。
 とはいえ、すぐ後ろに裸の綾波がいるなんてシチュエーションは緊張するものであることは変わらず、何を言えばいいのかわからなくてずっと黙ったままだったからしばらく静かなままだったけれど、綾波のほうから話しかけてきた。
「アスカとはどう?」
「どう……か。うん、そうだね」
 綾波にはあれからの話もしておくべきかもしれないな。
 でも、あれからアスカと話したことと言えば、普段の話なんかはアスカのほうからいろいろと話しかけてきてくれるから結構しているけれど、肝心な僕の気持ちについて断る理由はまだ話せないって言われたことと、綾波のことをお願いされてしまったくらいでしかない。
(……綾波か)
 アスカが僕に綾波のことをお願いした理由……綾波の秘密は綾波に直接聞くべきだって言っていたけれど、そんな秘密を聞いたとして綾波は答えてくれるのだろうか?
「どうしたの?」
「……そうだね。アスカからはあらためてはっきりと言われちゃったよ。でも……」
「でも?」
 綾波の秘密がなんなのかさっぱりわからないから、いったどう聞けばいいものやらてんでわからない。まさか秘密があったら教えてなどというわけにはいかないし……
 あのときは恥ずかしかったら綾波には言わなかったけれど、アスカの断った理由にあったことから順を追って話していかないといけないだろう。
 アスカがなぜ断ったのか、なぜ綾波のことを頼まれるなんてことになったのか、それを知ってもアスカが僕の気持ちに答えてくれる気はしないけど、あれもこれもわからないばかりはいやだと思って、きちんと話すことにした。
「……アスカはどこまで知っているの?」
 僕の話を聞き終えた綾波が言った言葉はそれだった。
「アスカは全然教えてくれなかったから僕にはわからないな」
「それもそうね」
 綾波は話してくれるだろうか? 綾波の言葉を待った。
「……」
「……碇君は知りたいの?」
 綾波の声はどこか震えていた。あの綾波がこんな声を出すだなんて……その秘密はよほど知られたくないことなのだろう。
「綾波が話したくないんだったらいいよ」
 できるだけ気遣うような声で言ってみたのだけれど、綾波は先にあがるからと言って温泉を出て行ってしまった。
 話の持って行き方か、そもそも話を切り出したこと自体か、ともかく失敗だったみたいだ。
「……まいったな」
 こんなのじゃアスカから頼まれた綾波のことを支えるなんてとてもできやしない。
 とは言っても僕にはどうしたらいいのかなんてさっぱり見当もつかなかった。こんなに何をしたらいいのかわからないような僕じゃ確かにあのアスカにはふさわしくないのだろうな……
 もう夜になっていて上に広がる星空を見上げながらため息ばかりがこぼれた。


 あれから綾波に避けられている気がしている……綾波の欠席日数が増えているし、登校している日だってもともと約束をしていたわけではないけれど、登下校の時間もあえてずらして一緒にならないようにされているような感じがする。
 あの話をしてしまったことで支えるどころか、前に綾波に言った友達としてというのも台なしになってしまったのかもしれない。
 綾波の秘密がどんなものなのかはわからないけれど、綾波にとっては触れられたくないものだったようだ。それをあんな話の持って行き方をしてしまったから今こんなことになってしまった。
 ……どう言えば、どういう風な話の仕方をすればよかったのかはわからないけれど、僕はたぶん失敗してしまったのだろう。
 こんな綾波に避けられてしまうような感じになってしまうのだったらそもそも話自体をしなければよかった。
 また深いため息をつく。
「なーに、たそがれてるのよ」
 教室で後悔をしていたらアスカにパーンと背中をたたかれてしまった。
「うわ! あ、アスカ……」
「最近元気ないわね、どうしたわけ? まあ理由はだいたいわかっているんだけどね」
 どうだろう? アスカはそう言っているけれど、アスカにはああ頼まれて引き受けてしまったのだし、やはりちゃんと話しておいた方がいい気がする。
「屋上でいい?」
「いいわよ」
 そうして屋上に移動して、これまでの経緯をアスカに話した。
「なるほど、まあ思った通りね、でも、レイと話をしたのは失敗ってわけじゃないから安心していいわよ」
「どうして?」
「レイとも話をしてるからね。まあ、あんまり詳しく話すわけにはいかないけど、今あの子はいろいろと悩んでいるところなのよ。答えが出せていないからシンジと話をしたくないってところでしょうね」
 アスカの言うとおりだとしたら、その気持ちはわかる気がする。答えが出せていないならその話にはなると困ってしまう。だから顔を合わせたくなくなる……そういう理由だ。
 その通りだったら、あの話をしてしまったから嫌われてしまったとかそういうことはないわけで、そうだといいのだけれど。
「安心しなさい。シンジはレイが打ち明けてくれたときにたとえそれが何であれ受け止められるようにどーんと構えているようにしていればいいのよ」
「たとえそれが何であれって……」
 綾波の秘密がどんなものかさっぱりわからないけどそれほどのものなのだろうか?
「不安そうね。じゃあ、一つ助言をあげるわ」
「助言?」
「そう。何を言えばいいのかわからなくなってしまうようなことになったとしたら、下手に言葉を飾ろうなんて考えずに、とにかくそのときの気持ちを正直に、たとえ不格好でもそのまま伝えるといいわ」
 アスカのことだし話の流れから、綾波が打ち明けてくれたとき、そうするべきだって助言か……覚えておくことにしよう。


 アスカの言っていたことは間違っていなかったのかもしれない。
 いまだに何か声をかけようとすると避けられてしまうような感じは続いているのだけれど、前のように学校を休んだりとかそういう避けられ方はしなくなった。それどころか、時々綾波のほうを見ると視線が合ってしまうから、じっと見られているのかもしれない……
 きょうも学校が終わって、ネルフ本部に向かっているわけだけれど、綾波は僕の少し後ろにくっつくように歩いている。
 前よりはいいけれど、こうしてじっと見られているのも何だかなぁと思ってしまう。
 ネルフ本部のゲートに到着していつものようにIDカードを通したのだけれど、ゲートが何も反応しなかった。
「あれ?」
 もう一度通しても反応しない。エラーすら出ないってことは壊れてしまっているのだろうか?
「どうしたの?」
「あ、ゲートが反応しないんだ」
 ほらねとやってみせる。綾波は隣のゲートで僕と同じようにIDカードを通すけれど、そちらも反応しない
「……電気が来ていないみたい」
 綾波の視線の先には表示が消えている電光表示板があった。
「まいったなぁ、どうしよう?」
 綾波は手帳を取り出してめくった。
「非常時には発令所に向かうこと」
「発令所って、ゲートが開かないけど」
「こっちに非常口があるわ」
 と綾波は脇の通路の方へ歩き始めたので僕も追いかけた。
 電気が来ていないのにどうやってと思いながらしばらく行くと、手動のレバーがついた扉が現れた。
「手動、か」
「ロックは外れているはず。手伝って」
「あ、うん」
 そうして二人で力を合わせて非常口を手動であけた。中の通路は暗いけれど、所々に非常灯が点っているようだから目が慣れれば進めそうだ。
 そうして目が慣れてから二人で暗い通路を進んでいくことにした。
「電気が来ていないから仕方ないけど、こんな道で発令所まで行くなんて大変だよね」
「そうね」
 この道もそうだけれどいつもはエスカレーターやエレベーターで一気に行くところをたぶん階段とかで降りていかなければいけないわけだから考えるだけで少しいやになってきてしまう。
 ………
 ………
 暗い通路や階段をどれだけ歩いただろうか?
 ずっと綾波の後について黙って歩いていたら、綾波の方から話しかけてきた。
「アスカと話したわ」
「そうなんだ」
「……アスカはみんな知っているみたいだった」
 みんなか、でもみたいだったであってみんな知っていたではなかった。
「詳しく話してくれなかったの?」
「いえ、聞いていないだけ。なぜ知っていたのかは答えてくれなかったけれど」
「そうなんだ。ひょっとしてまだ話せないとかって?」
「ええ、今アスカがしていることが終わったら話すって」
 僕の場合と同じか。アスカが何をしているのか……話し方から使徒との戦いとは違う気がするし、その準備のための兵器の開発などとも違うだろう。アスカはそれ以外にも何か、アスカにとって大切な何かに取り組んでいる……もうすごいとしか言いようがないかもしれない。
「アスカってほんとうにすごいけど、そんなにいろんなことをやっていて無理をしていないか少し心配かな」
「一人でみんな抱えているようだから心配だけれど、私のこともいろいろと手を回してくれて……アスカがいてくれてほんとうによかったと思う」
「それは僕もそう思う」
「アスカは私のことは……」
 綾波は何かを言いかけたのに言いよどんでしまった。たぶん綾波の秘密に関わることなのだろう。
 そして綾波は足を止めてうつむいてしまった。
「ねぇ、綾波」
 声をかけると綾波はこちらを振り向いた。
「話すのに戸惑うようだったら話さなくてもいいと思うよ」
「……」
「この前綾波にアスカに言われたことを……綾波の秘密に触れる話をしてから綾波に避けられている感じがして、そんな話をしてしまったことを後悔したんだ。僕のほうから綾波と友達という絆を持とうって言ったのに、触れてはいけないことにふれてその絆を台なしにしてしまっただなんてね」
「それは違うわ」
 アスカから言われたし、最近の綾波の行動から僕の考えすぎだってことはわかっていたけれど、こうしてきっぱりと言われてあらためてほっとできたところがある。
「ただ……ごめんなさい」
「ううん。綾波が僕と話をしたくなかったことはわかるから」
 もちろんほんとうの理由はわからないし、わかると言ってしまってはいけないのかもしれないけれど、気まずくて避けていたと言うことだけはまちがいないし、そういうことは僕にもある。
「もし綾波が話したくなったんだったらそのときに話せばいいよ。僕のほうからはもうあの話は振らないから……だから、またちゃんと友達としてやっていこうよ」
 そう言うと綾波は軽くほほえんで「ありがとう」と答えてくれた。
「じゃあ、そういうわけでまたよろしく」
 握手を求めて手を差し出す……綾波は少し驚いたような仕草をした後しっかりと僕の手を握ってきた。
 それからは、綾波の秘密とは関係のない話……綾波が最近読んだ本や僕が見たテレビの番組や聞いた曲なんかのはなしをしながら発令所へと向かうことになった。その間、そういった話は久しぶりだったからか、綾波とまた友達とやっていける……避けられたりしないってことがうれしかったのか、僕は妙に弾んだ気持ちになっていたし、綾波もどこかうれしそうだった。
 ただ、僕たちがそんな話をしている時、アスカが弐号機で単独出撃し使徒を殲滅していたという話を発令所に到着してから聞いてびっくりしてしまうはめになった。


 ケンスケがミサトさんが三佐に昇進したことに気づいて、ケンスケ主催で昇進パーティーをすることになった。
「いいかシンジ! 佐官と尉官の違いはだな!」
 ちなみに、僕には階級とかよくわからなくて、三佐ってどんな位なのかなぁとポツリとこぼしてしまったら、ケンスケに延々と三佐とはなにかについて語られるはめになってしまった。……正直熱く語られても全然わからないんだけど。
「あ〜相田。まあ、一般的にはそうなんだけど、ネルフにおいちゃ階級ってあんま関係ないのよ」
 アスカが話の間に入ってきてくれた。
「あんま関係ないって、基本的に軍人にとって階級がどれだけ重要かわかって言ってるのか?」
「わかってるから言ってるのよ。アタシこれでも中佐よ?」
 アスカの言葉にケンスケが絶句した。
「あーケンスケー?」
 アスカの発言はケンスケには相当ショックだったのか呼びかけても反応しない。
「確かに対外的には階級は重要だから戦自との折衝とかではミサトじゃなくてアタシがやるときがあるけど、ネルフの中じゃついこの間まで一尉だったミサトの指揮下なのよ。もともと研究機関を母体にしているうえに、トップが階級に無頓着だからってのが大きいわね。まあ、アタシは今のネルフのほうが好きだけどね〜」
「……わかる?」
 アスカとケンスケのやりとりがわかるか綾波に小声で聞いてみるとこくんとうなずいた。
「説明する?」
「いや、いいよ。ありがとう」
 それほど興味はないし、むしろ肉や魚が嫌いだし、あまり騒いだりっていうのとは縁がなさそうな綾波がパーティーを楽しめているかが気になって「楽しめてる?」って聞くと「ええ」って答えが返ってきた。
「料理も私が食べられるものを多くしてくれてありがとう」
「ううん、お礼を言われるようなことじゃないよ」
 綾波のために野菜料理を余分に作ったのは正解だったようだ。
 好き嫌いの話になったときに綾波が肉や魚が嫌いだって聞いていたからことだ。……ただその好き嫌いも詳しく聞くと、単に食べられないとか、味が嫌いとかではなくて、生きているときの姿を想像してしまうからだということがわかって、冗談半分に野菜が嫌いな子向けに見た目がわからないようにほかの料理に混ぜたようなのを作れば食べられるのかな? なんて聞いたら「たぶん」って答えて、それから少ししてやや非難まじりに「碇君、食べさせようとしているの?」とか聞かれて焦ってしまったっけ。
 生きている時を想像してしまう……そこにはかわいそうで食べるなんてできないなんて感じも含まれているのだろうから、だまして食べさせるようなのはひどい話になってしまう。
 残業で遅れてきたリツコさんとマヤさんもパーティーに加わって、アルコール飲料が続々と出てきたあたりで、綾波をつれて席を離れた。
 ベランダに出ると風が気持ちよかった。
 前のアスカの歓迎会の時はアスカがここでお酒を飲んでいたっけ。
「風が気持ちいいね」
「ええ……碇君」
「何?」
「ありがとう。碇君と友達になれてほんとうによかった……そう思う」
 あらためてそんな風に言うなんてどうしたのか聞くと、きょうは僕やアスカだけでなく、洞木さんともいろいろと話ができたし、トウジやケンスケとも少し話をしたらしい。
 少しではあるけれど人と人のつながり……絆が広がった気がした。こんな風に絆をもてたのは僕のおかげだと思ったからだそうだ。
「きょうのパーティーだってケンスケの発案だし、僕はそんな大したことはしてないよ。綾波がその気になれば、もっと友達は増やしていけるはずだよ」
「ええ。でも、それに気づくきっかけをくれたのは碇君。だからありがとう」
「そっか……どういたしまして。僕の方だって、綾波と友達になれてよかったってそう思っているよ」
「そう……ありがとう」
「せっかくだし、みんなも呼んでくるね。料理ももってくるよ」
 綾波といっしょに外の夜景を眺めているうちに少し何か飲みたくなって、ジュースをくんでもってくるくらいならいっそと思いついたことを実行するとベランダが第二会場のようになった。
「なかなかな思いつきじゃないの」
「どういたしまして」
 アスカにほめられた。
「ま、あっちのアルコールと分ける意味でもよかったかもね」
 綾波の方に目を向けるとちょうどトウジに話しかけていた。そんなに話が盛り上がったりとかはしていないけれど、綾波自身はうれしそうに見えて、僕の方まで少しうれしくなった。


 ミサトさんの昇進パーティーからしばらくして現れた使徒はなんと宇宙空間に出現した。
 しかもものすごく大きな使徒で、その大きな体で宇宙から降ってくるというとんでもない攻撃方法だった。
 アスカも中心の一人になって開発していた対衛星軌道兵器とやらで使徒にダメージを与え、さらにNN航空爆雷をぶつけて落下速度が遅くなったところで、エヴァ三機のATフィールドを全開にして受け止めて直接コアを攻撃して倒すことができた。
 その次の使徒はエヴァで出撃したわけじゃないからよくわからないけれど、一転してものすごく小さくてナノマシンみたいなものでネルフのメインコンピューターであるMAGIにハッキングを仕掛けてきた。そんな使徒だったけれど、リツコさんたちとアスカの活躍によって倒すことができたらしい。
 ほんとうにアスカはどの使徒相手でも大活躍をしている。
 そして続く使徒戦でもアスカの活躍を僕も期待していたし、アスカがいてくれれば大丈夫。そんな風に思っていたのに……