人類補完計画・・・そう呼ばれる計画は最低二つ存在した。
その一つの計画が発動してから半年の月日が流れた。


今シンジと少女が遊園地に遊びにきていた。
少女はベンチに座ってアイスクリームを買いに行ったシンジの帰りを待っている。
少女の表情はどこか優れない。
雰囲気もどこか沈んでいる。
少年の軽い足音が近づいて来る。
少女は直ぐに表情をシンジと一緒にいるときの普通の表情・・微かに笑みを浮かべたどこか嬉しそうな表情に戻す。
「はい綾波、ソフトクリーム買ってきたよ」
「ありがとう」
少女は一言お礼を言ってシンジからソフトクリームを受け取る。
「・・食べて良い?」
「うん、勿論だよ」
少女はちょこっと舌を出してソフトクリームを舐める。
「・・美味しい。」
その言葉を聞きシンジは表情を緩める。
「綾波、今度は観覧車にのろうよ」
少女はコクリと頷きソフトクリームを片手に、空いている方の手でシンジと手をつないで、観覧車に向かって歩き出した。
シンジはどこか得意そうに事前に調べてきたことを元に観覧車について色々と解説を聞かせてくれる。
少女はいつものどこか嬉しそうな微かな笑みを浮かべながらシンジの解説に聞き入っている。
やがて観覧車の下に到着して二人は観覧車に乗り込んだ。
ゴンドラが上昇していくにつれて、園内が見渡せるようになる。
「次は何にのろっか?」
少女は全てシンジに任せると目で意思表示した。
「そうだな〜・・あ、そうだ、次はあのコーヒーカップにのろうよ、それでその次はあれに」
シンジが楽しげに話すのを聞き、軽く頷いて反応する。
・・・・
・・・・
ゴンドラの高さが更にあがってくると、遊園地の外の風景が目を引くようになる。
「ほら、あの山、緑が残っててこうしてみると綺麗だね」
「ええ、」
少女はシンジの指し示す山に視線を向ける。


帰りの道にあるT字路、ここで二人は別れる。
「じゃあ、ここで、」
「ええ、明日、又ここで」
「うん、じゃあね」
別れて少しするとシンジの足取りは重くなり、又同じように少女もどこか重い足取りで帰路についた。


第3新東京市市内に存在する開拓団地・・・第3新東京市の建設同時は多くの人がそこに暮らしていたが、今はこの少女ただ一人・・・訪れる者はシンジただ一人である。
少女は自分の部屋の前につたどり着くと、ポケットからカギを取り出して鍵穴に差し込みまわす。
そしてカギを抜きポケットに戻し、ドアを開けて中に入ると直ぐに内側からカギをかけた。
「ふぅ・・・」
大きな溜息をつく。
重々しい足取りで部屋の中に入る。
部屋の中にはシンジに買ってもらったもの、シンジと一緒に買ったものがいろいろと置かれている。
今日着ているこのワンピースもシンジが選んだ物である。
「・・疲れた・・」
少女はベッドで横になる事にした。
「・・・目覚まし・・・」
枕元においてある目覚し時計の時間をセットして、直ぐに眠りに落ちていった。


少女はネルフ本部にやって来た。
VIP専用のゲートに向かう。
ここからは上層部の執務室がある区画に直通でいける。
財布からIDカードを取り出しスリットに通す。
このゲートと通路を通るにはレベル5以上のセキュリティレベルを必要とする。
しかし、このカードは最高ランクのレベル7、の更に上に存在するレベルA、このネルフの総司令官よりも上位のセキュリティレベルを持つカードである。
ゲートが開き少女は通路を進む。
そして、総司令執務室の前にまでやって来た。
軽く目を閉じた後、暫くして開く、その表情は優しげな微笑である。
「私よ、」
ドアが開き少女は総司令執務室に入った。
碇は執務机で書類を処理しているようだ。
「どう?仕事は終わったかしら?」
「ああ、これを片付ければ今日の分は終わりだ。」
「又冬月先生に事務処理を押し付けてないでしょうねぇ」
「むぅ・・問題ない、」
「貴方、昔から言っているでしょう。」
「う、ううむ、だが、対外的なものは全て俺が引き受けているし、何も全てを押し付けているわけじゃぁ」
少女は軽く溜息をつく。
「まあ人には得手不得手というものがあるし、ある程度は仕方ない・・か、」
「ああ、」
「で、今夜はどうします?何か作ろうと思っているんですけど」
「うむ、それは楽しみだ。」
碇は作業のペースを上げて一気に終わらせるように集中した。


二人はプライベートルームにやって来た。
「じゃあ、夕飯作るわね」
「ああ、」
少女はエプロンを手にとって身につけキッチンに歩いてゆく。
碇は食卓につき、新聞を広げ読み始める。
キッチンには少女の鼻歌や小気味良い包丁の音が響いている。
やがてその料理もでき、食卓の上に並んだ。
「さっ、食べましょうか?」
「ああ、そうだな、」
二人は料理に箸を伸ばす。
「ところで、ユイ・・リツコ君の事だが、」
「どうなりました?」
唐揚げを口に運びながら尋ねる。
「何とか、友好的に決着できそうだ・・まあ、色々としこりは残ってしまうだろうがな・・・」
「それは仕方ありませんね。でもなんにせよ上手く行きそうで良かったですね」
「ああ、」
そして、夕食も終わりそれぞれ風呂に入る。
今、少女が湯船につかっていた。
その表情はどこかぼんやりとしている。
「はぁ・・・」
溜息が漏れる。
「・・・そろそろあがらなくちゃね・・・」
パンッと頬を手のひらで叩き、表情を碇と共にいるときの表情に戻してから浴室を出る。
体を拭き、パジャマを着てドライヤーで髪を乾かす。
キッチンに寄って牛乳を飲んでから寝室に向かう。
寝室では既に碇が待っている。
碇とは別のベッドに潜り込む。
「少し早いけど、おやすみなさい」
「ああ、お休み。」
リモコンで部屋の照明を消して二人は眠りにつく。


早朝、目を覚ました少女は寝室を抜け出し、キッチン向かう。
そして、手早く朝食を作り始める。
良い匂いが部屋に立ち込める頃、碇が起き出して来た。
「おはよう、もう直ぐできるから座って待っててね」
「ああ、おはよう」
碇は今日の新聞を取ってきて、食卓についてそれを広げる。
「さっ、ごはんできましたよ」
朝食が食卓の上に並び、碇も新聞をたたんで食べ始める。
そして、朝食が終わる。
「それじゃ先に行ってきますね。」
「ああ、」
少女は碇に見送られてプライベートルームを出て学校に向かう。
ドアが閉まった後、一つ小さく溜息が聞こえた気がする。


そして、昨日シンジと別れたT字路にやって来た。
暫くその場で待っているとシンジがやって来た。
「おはよう、綾波」
「・・おはよう、碇君」
二人は並んで学校に向けて歩き出す。


昼休み、シンジと机を繋げてシンジが作ってきた弁当を一緒に食べる。
「どうかな?」
「・・美味しいわ、」
シンジは笑みを浮かべる。
そうして周囲から見る限り良い雰囲気の昼食が進んでいく。


学校からの帰り道、
やはり二人は一緒に歩いている。
「あのさ、綾波、今度の日曜だけどさ」
「何?」
「海に行かないかな?」
「・・海・・・行く、」
シンジはぱっと嬉しそうな表情になる。
「じゃあ、又準備しておくね」
「ええ、お願い」
その後、海について色々と話をしながら歩いていると直ぐに二人が別れるT字路に到着した。
「じゃあ、ここで、」
「うん、又明日、」
「ええ、又明日」


少女は帰宅するとベッドの上に倒れこんだ。
「・・・疲れた・・・」
綾波レイの記憶と体、碇ユイの記憶と魂をあわせ持つ少女は、体を返し仰向けになった。
「・・・レイちゃん・・・」
この体の持ち主であった少女の名を呟く・・・
計画は発動した。
それが、もとよりこうなる事を前提にしていたのか、失敗した為にこうなったのかは分からない。
いまさらそれが分かったところでもはや意味のないことでしかない・・・
綾波レイと言う少女の消滅・・・それによって親子の対立は決定的なものに、そして永遠に埋まることのない溝ができてしまった。
しかし、両者の記憶を併せ持つ自分は、碇ゲンドウには妻碇ユイであることを望まれ、又碇シンジには恋人綾波レイであることを望まれた。
自分は自分の事を碇ユイだと認識している。自分は碇シンジが望む綾波レイではない。
しかし、両者の記憶が交じり合っている以上純粋には碇ゲンドウが望む碇ユイでもないだろう。
更に言えば、その碇ユイ自身、今の現状から嘗てのように両者に接することはできない。
自分も含め3人は大きく変わってしまった。
彼ら自身、それらのことには気付いているだろう。
しかし、彼らはそれを認めることができない・・・そして、自らのイメージを自分に押し付けてくる。
それが自分にとって苦痛でしかないと知りながらも・・・そうでなければ彼らは壊れてしまうと自覚しているから・・・あるいは彼ら自身自分にそのイメージを押し付けると言うことが辛いのかもしれない・・・・
そしてその事を分かっているからこそ、今自分はそれぞれから求められる妻としての碇ユイ、恋人としての綾波レイを演じている。
自分と言う存在を極力消して・・・・
勿論、自分が綾波レイを演じるのはいくらその記憶を持っていたとしても苦痛である。
しかし、妻としての碇ユイを演じることも苦痛である。
言いたい事は山ほどある。
苦痛を避けるために距離をおくこともできる。
しかしそれでは壊れてしまう・・
二人を壊さないためには自分が演じ続けるしかない。
恋人としての綾波レイと妻としての碇ユイを、
全ては、自分のミスから始まったことである。
自分の意図とは全く違った形になっているとしても、自分の行動とミスがその原因になっているのは事実・・・
今の行為が愛なのか、罪滅ぼしのつもりなのか、これ以上悲惨なものを見たくないと言う逃避なのかはもはや分からない・・・だが、自分が壊れてしまうまで、碇シンジの恋人綾波レイと碇ゲンドウの妻碇ユイを演じ続けなければならない・・・
・・・それが自分にできる精一杯のことなのだから・・・


少女はゆっくりと立ち上がり、部屋を出た。