ダブル チェンジ 第12話
- 第四の少女 -
シンジは、しばらく入院することになった。
命に別条はないのだが体中のあちこちに火ぶくれができており、ベッドで寝ることもままならないからだ。
だから今は、ネルフの医療施設の中に設置された、LCL槽の中にずっといるとのことだった。
意識もあり、一週間ほどで退院できるという。
ただし、今は”全裸”で治療を受けているため、面会は謝絶の状態だった。
そういうことだから、シンジが来日する以前の形で、日常が戻ってきた。
ガードの人たちの負担を軽くするために、登校/下校時などはパイロットどうしはできるだけ一緒に移動す
ることにしているのだが、ここしばらくはカヲルと二人だけの行動となっている。
そんな日常の中のある日、その変化は突然現れた。
カヲルとともに下校しようとして、校門まで来たときだった。
「渚君。」
聞き慣れない女性の声が、カヲルを呼び止めるのが聞こえた。
あたしたちが振り返ると、そこにはうちの学校の制服を着た、髪の青い少女がいた。
(あ、あのときの…。)
そう、浅間山に出掛ける前日、街かどの喫茶店でカヲルと話していたあの少女だ。
「綾波レイ…。」
カヲルは、意外そうにつぶやいた。それが、少女の名前らしい。
「どうして、ここへ?」
「今日から、補充要員として配属されることになったわ。
駅に迎えの車が来ていたから、ここに立ち寄ってもらったの。」
見ると、確かに本部のマークがついた乗用車が、門の前に停まっている。
「本部で、正式に紹介されるでしょうから、いっしょに行こうと思って。」
「わかった、いっしに行こう。アスカもいいよね?」
「別にいいけど。 この子もパイロットなの?」
「ええ、そうよ。
わたしは、綾波レイ。
よろしくね、えっと…。」
「惣流・アスカ・ラングレーよ。こちらこそ、よろしく。」
あたしがそう言うと、彼女は頷いて微笑んでみせた。
なんだか、笑みがこわばっている様に見える。
ふだん、笑ったことがないのか、作り笑いが苦手なように思えた。
移動する車の中で、あたしの頭の中にはいくつもの”?”が浮かび上がっていた。
まず、どうしてシンジはもうすぐ退院するというのに、パイロットの補充要員が寄越されたのか。
カヲルとこの少女”綾波レイ”は、数日前に街なかで話をしていたというのに、たった今この街に来たような
ことをなぜ言っているのか。
だいたい、補充要員が来るなら、事前にあたしたちに連絡があってもいい筈なのに。
「綾波さんは、今までどちらにいたの?」
まず、あたしはそう訊いてみた。
「レイでいいわ。アメリカ第ニ支部から、こちらに転属することになったの。」
「あたしも、アスカでいいわ。
そうなんだ。”第二”というからには、いくつか支部があるの?」
「第一支部があるわ。支部が二つあるのは、アメリカだけ。」
「アメリカはけっこう広いものね。で、補充要員として来たということだけど、専用のエヴァはないの?」
「4号機があるわ。
詳しいことは言えないけど、現在調整中。日本に来るのは、まだ先のことになるわ。」
「まあ、そのへんの詳しいところは、本部で紹介されるさ。」
カヲルが口を挟んできた。
パイロットどうしで、各支部の機密に抵触する話をするのは不味いと言いたいのだろう。
この車を運転しているのは、保安諜報部の息のかかった者かもしれないし。
あたしは、話題を変えた。
「あなたたち、昔からの知り合い?」
「まあ、そうだね。」
「いつ頃からの?」
「昔、アメリカに支部ができたばかりのころ、エヴァの設計やパイロットの養成のことで、本部の人間がサポ
ートに行ったことがあるんだよ。
ぼくもパイロットの”見本”として連れていかれて、そのときに会ったのさ。」
「そうなんだ。」
「彼女はまだそのとき、パイロット候補の一人だったけどね。」
「ええ。わたしが”フォース”として正式に選別されたのは、ついこの前のことだもの。」
「つい、この前?」
そうか、シンジが正式に”サード”となったのは、あたしの後、すくなくとも使徒の襲来が始まった後だし、
そうなるとこの子が”フォース”に選別されたのは、わりと最近のことになる。
選別は現地で行なうのが自然だから、ついこの前まではアメリカにいたということだ。
だとすると、あのとき、カヲルと話をしていたのは、この子ではないのか。
「ひとつ、訊いていい?」
あたしはレイに訊ねた。
「なにかしら。」
「この街に来たのは、今日が初めて?」
「ええ、そうよ。どうしてそういうことを訊くの?」
「えっと…。以前、どこかで会ったような気がして。」
カヲルと一緒にいるのを見かけたというのは、黙っておいた。
なんだか、そのことには触れない方がいいような気がした。
だが、これも嘘ではない。
あのときもそう思ったが、それ以前にどこかで見かけた気がしたからだ。
「いいえ、初対面よ。他人のそら似じゃないかしら。」
「そうなのかな。」
やっぱり、腑に落ちない。
「彼女、けっこう目立つからね。
どこかで、アメリカのパイロット候補たちの写真でも目にして、印象に残ってたのじゃないかな。」
「うーん。それに近いことがあったのかもね。」
無理やり、自分を納得させることにした。
カヲルがレイと話しているのを見たことも、あたしの思い込みだったのだろうか。
ネルフ本部に着いて、あたしたちはミサトから正式にレイをフォースチルドレンとして紹介された。
「ここに来るまでにもう、自己紹介は済んでるとは思うけど、彼女がアメリカ第一支部から派遣されてきた、
綾波レイ大尉よ。」
「た、大尉なの?!」
あたしは驚いて、ミサトに訊き返す。
シンジが”博士”で、レイが”大尉”だなんて…。
シンジはリツコと、レイはミサトと、同格ということだ。
民間人出身のあたしが、肩身が狭くなるじゃない。
「あら、聞いてなかったの?」
「言っていませんから。」
レイは、そっけなく言った。
「どうしてだまってたのよ!」
あたしが尋ねると、
「同じパイロットだし、エヴァを動かすのには階級は関係ないから。」
「それは、そうだけど。」
「作戦行動中も、階級をつけて呼ばないことになっているし。」
「そういえば、そうね。」
ミサトもそれは認めた。
「じゃあ、今言ったことは忘れてちょうだい。
大尉であろうと、作戦行動中はわたしの指示に従ってもらう点で他のパイロットと同じなのだから。
あくまでも階級は、軍属の他の組織とのバランスを考慮してつけられたものでしかないのよ。」
「つまり、戦闘機乗りがそうであるのと同じということだね。」
「なんだ、そういうことか。」
カヲルの説明で、あたしは合点がいった。
「でも、そうなると、本部で作戦指揮をしているミサトは、”佐官”でもいいんじゃない?」
「痛いところを突くわね。」
ミサトは苦笑して言った。
「日本のネルフは、他の組織とのバランスなんてあまり考えていないのよ。
”年相応”の階級をつけておけばいいという感覚なのかも知れないわね。
さて、早速で悪いけど、このあとレイには軽く弐号機のハーモニクステストを受けてもらうわ。」
「ほんとに、急な話ね。」
あたしが感想を言うと、
「シンジ君がいない間に、使徒の侵攻があっては困るのよ。
戦力は、少しでも多い方がいいわ。
そのための補充要員でもあるわけだし。」
「わかりました。」
レイは、あっさりと承諾し、ハーモニクステストが始められた。
本当に、軽めのテストだった。
弐号機と、シンクロできるかどうかを確認する程度の。
そしてレイはそれを、あっさりとクリアしていた。
「すごいわね、今日初めて乗ったエヴァだというのに。」
あたしが、そうつぶやくと、
「君が初めて初号機に乗ったときも、そうだったじゃないか。」
カヲルが、そう言ってきた。
「あのときは、あのときよ。」
今はあのときとは違い、使徒の侵攻を受けているわけではない。
この時点での要員の補充といい、いきなりのテストといい、なんだかあまりにも性急な気がした。
「今日のところは、これでいいわ。」
テストが終わり、バインダーに閉じられたテスト結果をめくりながら、リツコは言った。
「明日は、あなたたち三人の全員でテストをするから、放課後また来てくれるかしら。」
「わかりました。」
カヲルが代表して答える。
「ご苦労さま、じゃあ今日はもう、帰っていいわよ。」
ミサトがそう言い、
「はい。では、失礼します。」
今度はレイが代表して答え、あたしたちは帰ることになった。
三人で通路をゲートに向かって歩く。
「さて、第3新東京は初めてと言ってたわね。」
あたしは軽くのびをしながら、レイに言った。
「ええ。」
「なにかご馳走するから、ちょっと付き合いなさいよ。」
ほんとはこんなこと、カヲルが言うべき言葉だけど、こいつにそれは期待できないのは分かっている。
そのかわり、カヲルには支払いの方をまかせようと思っていた。
ところが、
「悪いね、アスカ。今日のところは先に帰ってくれないか。」
カヲルが、すまなさそうに言う。
「どうしてよ。」
「ちょっとこれから、綾波さんと二人だけで話があるんだ。」
「あたしがいちゃ、まずい話?」
「…ごめん。」
カヲルがそう言い、レイも黙って頷いた。
「ふうん。まあ、いいわ。あなたたち旧知の間柄だし、つもる話もあるでしょうし。
今日のところは先に帰るけど、レイの歓迎会はあんたが考えなさいよ。
日をあらためるならシンジが復帰してからでもいいけど、後に伸ばすなら伸ばした分だけ、盛大にね。」
「わかってるよ。」
「それじゃ、帰るわ。レイ、また明日ね。」
「ええ。」
あたしは、二人を残してその場を去った。
とはいうものの、あたしは正直、あの二人のことが気になった。
気になったから二人が踵を返して自販機コーナーの方へ行くのを振り返って確認すると、そっと後をつけた。
悪いとは思ったが、好奇心には勝てなかった。
(あの二人、絶対何か隠している。)
直感的にそう思っていた。
それを知りたいと思った。
後からそれは、やめておけばよかったと思ったのだけど。
「なにか、飲むかい。」
自販機の前で、カヲルは尋ねる。
「…コーヒーをいただくわ。」
「今日は、付き合ってくれるんだね。」
カヲルは笑みを浮かべて、自販機にコインを入れた。
「やはり”実体”を手に入れたら、君でもこういうものが欲しくなるのかな?」
そう言ってレイにコーヒーを手渡す。
レイは受け取りながら、ちらりと天井の一角を見上げた。
「大丈夫だよ。監視カメラにはぼくらの姿は映っていないし、音声も流れていない。
ここでは、何を言っても大丈夫だよ。」
「相変わらず、用意周到ね。そのわりには、肝心なところで抜けていることが多いのだけど。」
「よく、ご存知で。これまで相当、ぼくのことを観察していたんだね。」
「あなたがちゃんと、約束を守っているか、気になっていたもの。」
「まあ、座ろう。」
カヲルがそう言うと、二人はベンチに腰を下ろした。
(実体? 付き合う? …どういうことかしら。)
あたしは疑問に思ったまま、柱の陰から二人を見つめていた。
ちょうど、柱の横に観葉植物の鉢植えが置いてあり、あたしの姿がさらに見えにくくなっているのが助かる。
(そういえば、街かどの喫茶店でカヲルと向かい合っていたレイの前には、飲み物が置いてなかったような
気がする。もしかして、あれは実体ではなかったというの? まさか…。)
「それにしても、驚いたよ。
てっきりドイツ支部から来るものと思っていたが、よりによってアメリカ第二支部からとはね。
それも、こんなに早く。」
「以前のあなたに合わせる必要はないわ。
それに、短期間で”経歴”を作るなら、齟齬が生じても間もなく消え去る施設で行なった方がいいもの。」
「よく覚えていないけど、やはりあそこは消え去るのかい。」
「彼らの知る“記録”にはないけど、それが本来のシナリオだもの。」
(…言っている意味がよくわからない。
でも、レイはシナリオと言った。カヲルが以前、口にしていた言葉だ。
レイもまた、カヲルと同種の運命論者なのだろうか。)
「で、こんなに早く君が来たというのは、やはりシンジ君のことが気になったからかな。」
「あなた一人には、もうまかせておけない、そう思ったから。」
「浅間山のことは、悪かったよ。
まさか、シンジ君が命を張って、ぼくを助けに来てくれるとは思わなかったし。
ぼくは、自分を軽く見過ぎていたようだ。
そのことは、アスカにも怒られたよ。」
「もう、そのことはいい。
かつて、同じ過ちをわたしも犯し、自分の命と引き換えに碇君を苦しめたことがあるもの。」
(はあ?)
と、あたしは思った。
(”かつて”って、いつのことよ! あんた、シンジとも会ったことがあるの?
それも、”シンジを苦しめた”なんて、並みの付き合いじゃないじゃない。
いったい、あんたたちに、何があったっていうのよ。)
「だからわたしは、あなたの邪魔をしにきたわけではないの。」
レイは続ける。
「碇君を幸せにするには、だれかの犠牲があってはいけないのよ。
自戒を込めて、あなたをサポートに来た…そう言ったら信用してくれるかしら。」
「なるほど。」
カヲルは、虚空を見上げてつぶやく様に言った。
そして、レイに視点を戻し、
「信じるよ。 ぼくの、手助けをしに来てくれたんだね。」
「ええ。」
「よろしく頼むよ、綾波レイ。」
(あたしひとり、蚊帳の外だ。)
あたしは、そう思った。
何かが、動き始めている…たぶん、あたしがここ、第3新東京に呼ばれたときから。
使徒の襲来のことではなく、それ以外の何かが。
あのとき、最初の使徒との戦いの前に感じた違和感を、あたしは再び感じていた。
そう、”何かが違う”と感じた、あの感覚を。
それが何かを、おそらくこの二人は知っている。
そして、このままあたしだけ、何も知らないで使徒と戦い続ける…。
そんなのは嫌だと思った。
「アスカのことは、どうするの?」
もの思いに沈みかけていたあたしは、レイのそのひと言で我に返った。
「あの子、何か感づいているわよ。」
「そうだね、どこかで君のことを見かけたみたいだし。」
「碇君とは違う形で、目覚めかけているのじゃないかしら。
このまま何も知らずにいって、突然真実を突きつけられたら可哀そうだわ。」
「うん、ぼくもそれは思っていた。
そろそろ、少しずつ話していこうと思う。
これから先、彼女の協力を得ないと難しいだろうし。
シンジ君のためにも…。」
「”みんな”のためよ。碇君は、”みんな”に会いたがっていたのだから。」
「そうだね。そしてそれは、アスカ自身のためでもある筈だし。」
そこまで聞いて、あたしは潮時だと思ってその場を離れた。
(あたしのこと、気にかけてはいてくれたんだ。)
誰もいないネルフ本部の通路を、あたしはゲートに向かって歩きながらそう思った。
さっき感じたほどの疎外感は、もうなくなっていた。
仲間として、みてくれてはいる。
ただ、この何かは知らない大きなうねりの中で、あたしが遅れてきたのは事実のようだ。
だから、すべてを知り、カヲルたちと対等の立場になるまでには、時間がかかるのだろう。
昔のあたしなら、それをもどかしいと思ったり、悪くすると秘め事を持つ彼らに対して怒りを感じたかも
知れない。
でも、これから『少しずつ話して』くれるとカヲルは言っていた。
たぶん、一度に全部を聞くと、あたしの中で何かが壊れるほどのものなのだろう。
使徒の存在を初めて知った直後に、エヴァにいきなり搭乗しろと言われたときも、あたしはけっこう取り
乱したのではないかと思う。
そんなことがないように、何を聞かされても動じないだけの、覚悟を持つことにしよう。
ふと、LCLの中で今もなお火傷の治療を続けている、シンジのことをあたしは思い出した。
(シンジ、あんたはどこまで知っているの? どこまで関わっているの?)
翌日の放課後。
リツコに前日に言われたように、あたしとカヲル、そしてレイの三人は、ハーモニクステストを受けるため
に本部に向かっていた。
もちろん、自販機コーナーで聞いた話については、あたしは黙っていた。
なにごともなかったかのように、振るまおうとしていた。
でも、
「アスカ、今日はどうかしたのかい。」
カヲルにそう言われてしまった。
「ん? あたしが、どうかしたの。」
「いや、何か考え込んでいるみたいだからさ。」
「別に、なんでもないわよ。」
あたりさわりのない会話をしていても、それが途切れると昨日のことを思い出してしまう。
(何かが”消え去る”と言っていたけど、いったい何のことだろう)とか。
いけない、考えないようにしなくては。
何でもいいから、あたしから話題を出そうと考えていたら、
「何時頃に本部に着くか、赤木博士に電話しておいた方がいいのじゃないかしら?」
レイが、思い出したようにそう言った。
律儀な子だ。はっきり言って、あたしたちはあまりそういうことをしたことがない。
「そうだね。ちょっと電話してくるよ。」
カヲルがそう言い、公衆電話をかけに行った。
だが、すぐに戻ってきた。
「おかしいな、電話が全然つながらないんだよ。」
「本部で何かあったのかしら。」
あたしがそういった時だった。
すぐ近くの交差点で、派手なブレーキ音がした。
続いて、ドンッと何かがぶつかる音が。
「え?」
振り向くあたしの横で、
「事故だ。」
カヲルがそうつぶやいていた。
見ると、乗用車とマイクロバスが、衝突して停まっている。
幸い、怪我人はいないようだ。
第3新東京で、交通事故が起きるなんて珍しいことだった。
なにしろ、”使徒専用迎撃要塞都市”なのだから。
交通の統制は完璧で、街の住人も問題のあるタイプはほとんどいない筈だった。
ふつう、事故なんて起きるわけが…。
「あれを見て。」
レイが、上方を指さして言った。
事故のあった交差点の信号が、消えていた。
その信号機ばかりではない。
街中の信号という信号が、全て消えていた。
「なんで…?」
あたしは、思わずつぶやいた。
ショウウィンドウも、ビルに設置された電光掲示板も、ありとあらゆる”電気”が点いていなかった。
− つづく −