ダブル チェンジ 第13話

- デジャヴュ -


「とりあえず、本部に行こう。」
カヲルがそう提案する。

確かに、あたしたちは本部を目指していた。
しかし今、街じゅうが停電し、その機能を停めているのだ。

「でも、どうやって?」
あたしの問いは、当然だった。

「緊急時のマニュアルがある筈よ。」
「そっか!」

レイに言われて、あたしはその存在を思い出した。
すっかり忘れていた。
彼女は昨日もらったばかりだから、覚えていたのだろうけど。

”秘密”の入り口から施設内に入り、真っ暗な通路を進む。
途中何度か、物理的なダイヤル錠が施された扉があったが、カヲルは苦も無く非常用の照明のスイッチを
探しあて、解錠しては先に進んでいく。

「よく、明りの場所とか、方向とかわかるわね。」
あたしは、感心して言う。

「なんとなく、わかるんだよ。」

「…いやな予感がするわ。急ぎましょう。」
不意に、レイがそう言った。

「やだ、本当にそんな気がしてくるじゃない。」
「まあ、何が起きているかわからないからね。ともかく、急ごう。」

言われるままに、あたしたちは先を急いだ。
何度目かの隔壁の扉を開いたとき、不意に眩しい光があたしたちの目を射た。

見慣れた光景が、そこにあった。
中央エスカレータの近くだった。

エスカレータは、何ごともなかったかの様に、いつもの通りに動いている。

「どういうこと?」
「ここだけ、停電がないようだね。」

「そんなこたあ、見ればわかるわよ! あたしは、それがどうしてって聞いてるのよ。」

『来たわね、あなたたち。』

不意に、リツコの声が聞こえた。
場内アナウンスを使っている。

「リツコ? これはいったい、どういうことなの?」

『詳しい話は後よ。今はまず、エヴァのケイジに急いで。』

「え?」

『使徒が来ているのよ。』

「了解しました。行きましょう。」
そう言うと、レイはエスカレータに向かって歩いていく。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。ほら、カヲルも早く!」

あたしは、あわてて後を追う。
カヲルも苦笑してついてきていた。




あたしたちがケイジに着くと、それぞれのエヴァはもう、搭乗の準備が出来ていた。

『いきなりのことで、混乱してるでしょうから、簡単に説明するわ。』
あたしたちがエヴァに乗り込むと、再度、リツコの声がした。

『この停電は、何者かによる工作の可能性が高いわ。
 正/副/予備の電源が、三つとも同時に落ちているのだから。
 だけどその工作員は、さらにもう一つの予備が最近追加されたことは知らなかったようね。』

「だれが、何のために?」
カヲルが尋ねるが、

『今は、そんなことは詮索しなくていいの。折悪く、侵攻してきた使徒を迎撃するのが優先よ。』

「使徒の侵攻と、大規模停電の間には何の関係もないのね。」
『ええ。あくまでも、偶然よ。』

あたしの問いに、リツコはそう答えた。

それにしてはおかしい、とあたしは思った。
たしかに、使徒の侵攻と大規模停電の間には何の因果もないのもかも知れない。
でも、この二つがほぼ同時期に起きることが、少なくともリツコには予測できていたように見える。

この時期に、停電事件が起きると予想していたから、予備の電源を追加したのではないのか。
また、エヴァのスタンバイは使徒の侵攻を確認してからだろうけど、レイという要員の補充や弐号機とのシ
ンクロの確認をやたら急いだのは、やはり使徒の出現を想定していたからだとしか思えない。

…こんなこと、不審に思うのは、あたしだけだろうか。
何か、ひっかかるものを感じる。

そういえば、以前、カヲルがこう言っていた。
”赤木博士には、気をつけた方がいいかも知れない。”

ひょっとしてカヲル、あんたも…。

『出撃準備、いいわね? アスカ。』

「い、いいけど。ミサトはどうしたのよ!」
いつもなら、そんなこと聞いてくるのはミサトの筈だ。

『現在、行方不明よ。』

「え!?」

『追加した予備電源は、最低限の施設運用のものだけしかカバーしてないのよ。
 発令所、ケージ、幹線通路、そして医療施設などの。
 ミサトは、停電発生時にそれらから外れた何処かにいて、閉じ込められている可能性があるわ。
 使徒殲滅後に復旧は行なうから、あなたたちは与えられた仕事に専念しなさい。』

「”仕事”ね…。わかったわよ。」

『言っておくけど、施設外のモニタの大半は停電で作動していないの。
 だから、せいぜい使徒の傍にエヴァを射出するくらいのことしかできないわ。』

「出撃後の、発令所からのサポートは期待できないということですね。」
レイがそう言った。

『そういうこと。後は、あなたたちに全てがかかっているからそのつもりで。』

「了解です。」「わかったわ。」「わかりました。」 
あたしたちが応答した後、それぞれのエヴァは地上に射出された。




零号機、初号機、弐号機。
今回も三体のエヴァが、そろって出撃する。

前回の浅間山での戦闘と違うところは、零号機の装備がD型ではなく通常のB型であることと、弐号機に
乗っているのがシンジではなく、レイであるというところだった。

使徒は、正面の市街地にいた。

「気持ち悪い”蜘蛛”ね。」
あたしは、思わずつぶやいた。

そう、真っ黒な”蜘蛛”と呼ぶのに相応しい使徒だった。
けっこうでかい。
その異様に長い四本の脚を使い、ビルを跨ぐようにして、のそりのそりと近付いてくる。

今が昼間でよかった。
深夜の停電で、あの黒さだったら、見えにくくて仕方がない。
唯一見えるのは、あの胴体に九個もついている目玉だけだろう。
想像しただけで、ぞっとする。

「兵装ビルの支援攻撃だけでなく、このへんの武器庫ビルも停電で使えないようだ。」
零号機のカヲルがそう言ってきた。

「また、念入りな工作をやってくれたわね。でも、それって、マズいんじゃない?」

いくら、第3新東京全体をマヒさせられ、本部の電源まで落とされたにしたって、そこまでの事態になる様
じゃ”危機管理”がなっていないと思う。

「近接攻撃で行くしかないようね。」
「フォースのいうとおりだ。ぼくがまず、足止めをするから、本体への攻撃を頼むよ。」

カヲルがそう言うと、零号機はプログナイフを抜き、先陣をきって使徒に向かって走り寄った。
使徒の脚を狙っているようだ。
なんとかして、使徒を転ばせて動きを止めようという考えなのだろう。

そのとき、何故かあたしは、背筋を這い上がるものを感じた。

「あぶない、カヲル! よけて!!」
「えっ!?」

あたしの叫びにカヲルは聞き返しながらも、とっさに零号機を横っ跳びさせていた。
その零号機に向かって、使徒の”目”の一つから、薄黄色の液体が吹きかけられた。

かろうじて、零号機はその直撃を免れた。
だが、手にしていたプログナイフの刃にあたる部分が融け落ちていた。

「これは、溶解液? そうか、これがこの使徒の武器か。」
「なによ、それ。うかつに近付けないじゃない。」

あたしたちのエヴァは、使徒から充分離れたビルの陰に寄り集まった。

「どうする?」

「あの”目”のどれからも溶解液を吐けるのだとしたら、死角がないわ。近接戦闘は無理ね。」

「頭頂部には目がないかも知れないじゃない。」

「跳躍して上から攻撃するのかい? だめだよ、リスクが大きすぎる。
 もし使徒が対抗策を持っていたら、空中にいるエヴァは格好の的になってしまう。」

「そうねえ…。」

「今、確認したら本部直上のリフト口の近くなら、武器庫ビルの電源は生きているそうよ。」

「そこまで、後退するしかないのか…。」

「本部の真上まで使徒をおびき寄せるっていうの? そこで手にした武器が通用するとは限らないのよ!
 もし、失敗したら…。」

「容易に本部にたどり着かれて、アウトだね。」

「それだけは駄目よ!」

「他に有効な手があるのかい?」

カヲルの問い掛けに、あたしは思考をフル回転させる。
有効な”手”は……あった! 

「あるわ、ひとつだけ。」
「どんな?」

「浅間山で使った、A.T.フィールドを試してみるわ。」
「なるほど。でも、とどめにはやっぱり武器が必要かも知れないね。」

「そうね。コアを破壊するには、本来の武器の方が…。」

「そういうことなら。」
レイが口を挟んだ。
「わたしが、本部真上まで行って、武器を取ってくるわ。」

「そうしてくれる? その間に、あたしは何とか使徒の戦闘力を奪ってみるわ。」

「できれば、武器はパレットライフルと、ソニックグレイブの両方を頼めるかな。
 どちらの武器が有効か、分からないからね、」

「わかったわ。」
そう言うと、レイは弐号機を立ち上がらせた。

ビルの陰から立ち上がった弐号機に気づいた使徒は、ゆっくりとこちらに向かってくる。
弐号機は、委細かまわず本部真上のポイントに向かって走り去った。




「あんたの相手は、あたしたちよ!」
そう言うと、あたしは初号機を使徒の前に立ちはだからせた。

初号機は、右腕を胸の前で寝かせて構える。
たぶん、液体よりも光を操るこちらの方が、射程は長い筈だ。

充分に気合を溜めてから、

「いっけえぇぇぇぇっ!」
あたしは、初号機にを右腕を振らせた。

出た!
A.T.フィールドの光の板が。

それは、あたしの意思を受けて、使徒に向かって飛んでいく。
そして、狙い通りに使徒の目を直撃した。
使徒の”目”のひとつを、つぶすことができた。

「やった? やれたわ!」
「お見事。」
「続いていくわよ。」

使徒とは充分な距離を保ちながら、あたしは何度もA.T.フィールドを放った。
そのたびに、使徒は溶解液の射出口である”目”を失っていく。

幾度目かの攻撃で、こちらを向いている”目”はすべてつぶせた。

「では、ぼくも。」

間髪を入れずにカヲルの零号機が、さっきとは別の武器ポッドからもう一本のプログナイフを取り出して、
使徒に向かって走り寄った。
使徒の脚に向かって切りつける。
バランスを崩した使徒は、その巨躯を支えきれなくなって傾き、地響きをたてて倒れこんだ。

「やるじゃない!」
あたしが叫んだところへ、レイの弐号機が戻ってきた。

「ごくろうさま。あとは、わたしが。」
レイがそう言うと、弐号機はパレットライフルを構えた。

そのときに、あたしは気づいた。
「あんなところにコアが…。」

こちらを向いた、使徒の頭頂部中央に、使徒のコアはあった。

弐号機は、そこに向けてパレットライフルの一連射を浴びせた。
何の抵抗もなく、使徒は活動を停止する。
あっけないほど簡単に、使徒を殲滅できた。




発令所のサポートなしで、使徒を殲滅できた。

そのことは喜ばしいことだし、カヲル、レイとの連携がうまく行ったからだと言える。
だが、あたしには手放しで喜べない事情があった。

何故、あたしはA.T.フィールドを武器の様に扱えるのだろうか。
それよりも、何故、あたしは使徒の攻撃パターンを予想できたのだろうか。

それと意識はしていなかったが、今思えば、ずっと心に引っ掛かっていたことがある。
たぶんそれは、ヤシマ作戦のときからだった。

第5の使徒の加粒子砲の発射を、直前に予測した。
第6の使徒の、コアが口の中にあることを、一瞬で見抜いた。
第8の使徒を、熱膨張で斃せることが、閃いた。
そして今回、使徒の溶解液による攻撃を、直前に警告することができた。

第六感とか、そういうものではない。
あたしは、”知っていた”のだ、たぶん。

カヲルが言うような、『エヴァに乗るために生まれてきた』とかいう才能云々の問題ではない。
今回の使徒を、以前も三人で力を合わせて斃したという”デジャヴュ”があるのだ。

(あたしは、何者?)
漠と感じる、この不安感。
いったい、だれに相談したらいいのだろう。

「どうかしたのかい、アスカ。」
カヲルが声をかけてきた。

「ん…。なんでもないわよ。」
「じゃあ、帰ろう。」
「ええ。」

本部に帰投すると、本来の電源が回復したところだった。
ミサトはエレベータ内に閉じ込められていたところを、無事に保護されたとのことだ。
何やら、もう少しで悲惨な事態になるところだったらしい。

「まったく、作戦部長ともあろうものが、情けないわね。」
そういうリツコに、

「だって、しょうがないじゃない!」
ミサトは涙目で睨んだ。

「使徒はいつ現れるか、わからないのよ。
 いつでも指揮がとれる様にしておくのが、あなたの務めでしょ。
 ほんとに、”前回”から何の進歩もないんだから。」

リツコの言葉に、あたしはぴくりと震えた。
あたしの疑念は…出撃前に感じていたあたしの疑念は、確信に変わっていた。




数日後、シンジが退院してきた。

「もう、大丈夫なの?」
「うん、心配かけてごめん。」

「ほんとに、どこにも火傷の痕なんか見えないわね。」
「LCL内で体表の細胞が全て再生されたからね。あれは画期的な治療方法だよ。」
「よかったわね。」

日曜日の、午後のひとときだった。
ミサトはいない。
シンジと、二人だけだった。

「…ん?どうしたの、アスカ。なんだか、元気ないね。」
「そう?」

「アスカでも、そんな顔するんだ。」

ふだんならそんなこと言われたら、『うるさいわね!』とでも言って返すところだろう。
だけど、そんな気にもなれなかった。

「ねえ、シンジ。」
「な、なに?」

「あんたさぁ…。」
「どうしたんだよ。」

「ううん、なんでもない。」

「アスカ。言いたいことは全部言った方がいいよ。」

「じゃあ、言うわ。
 あたしたちの住んでる世界、少し変だと思わない?」

「使徒の存在の事を言ってるの?」

あたしは、かぶりを振った。

「そのこと自体は、仕方がないというか、決められた運命みたいなものだと思うわ。
 でも、なんだかこれまでのこと、一度体験している様な気がするのよ。
 それとも、何かで読んで知っているとか…。
 ふだんは、完全に忘れているのに、何かの拍子でふっと思い出す様な感覚があるの。」

「そうか。」
シンジは、難しい顔をして考え込んだ。

「アスカも、そうなんだ…。」
「シンジ、あんたも?」

「隠された”記憶”があるのじゃないかと、ときどき思うことがあるんだ。」
「あたしとは少し違う様な気もするけど、根は同じかも知れないわね。」

「こんなこと感じるのは、ぼくたちだけかな?」

あたしは、かぶりを振った。

「こんなこと、言っていいかどうかわかんないけど、これから起こることを知っている人がいるわ。」
「だれだい、それは?」

「カヲルよ。…たぶん、レイもそう。」
「レイっていうと、アメリカから補充要員で来たという、綾波大尉のこと?」

「ええ。それで、カヲルは、使徒の殲滅は”シナリオ”で決まっているとか言っていたわ。
 そのわりには、いつも全力を尽くして、ぎりぎりの結果なんだけど。」

「でも、何かを知っているんだね。」

「そうみたい。だけど、”よくは覚えていない”みたいだし、あたしたちとそう差はないのかも知れない。
 それに、レイと話しているのを盗み聞きしちゃったんだけど、あたしには少しずつ、何かを話してくれる
 つもりだとか言っていたわ。
 だからたぶん、悪い奴ではないとは思う。」
 
「なるほどね。」

「それよりも、気になる人がいるの。」
「気になる人?」

「リツコよ。絶対、何か知っているわ。それを利用して、何かをしようとしている気がしてならないの。」
「リツコさんが? まさか。」

「リツコとはいっしょにご飯食べたこともあるし、そのときは何かを企むようには見えなかった。
 でも、カヲルは…あいつは、気を付けた方がいいかも知れないと言ったわ。
 もう、あたし、何を信じればいいのかわからなくなって…。」

「アスカ、ちょっと、落ち着いて。」

「そうね。」
あたしは、自分でも少し混乱していると思った。

「つまり、こういうことだね。
 未来を知る者が、少なくとも二人いる。
 カヲル君と、リツコさんだ。
 アスカにとっては、二人とも悪い人じゃない。
 だけど、カヲル君はリツコさんに警戒心を抱いている。
 ことによると、これから先、お互いに敵対することがあるかも知れない。
 もしそうなったら、自分はどうすればいいかわからないと。」

「そうかも知れない。」
そう言いながら、あたしは他にも不安材料があるような気がした。

「ひとつ、はっきりしていることがあるよ。」
「何よ。」

「”かも知れない”で心配していても、仕方ないってことだよ。」
「どういうこと?」

「なるようにしかならないってことさ。」
「はあ? なに、脳天気なこと言ってんのよ!」

「事実だよ。
 それに、あの二人はなにも、ぼくたちを騙そうとしているようには見えないしね。
 騙そうとしているとしたら、少なくともあの二人ではないね。」

「だれだっていうのよ!」

「この世界自体が、だよ。」
シンジは微笑んで言った。

また、わけのわからないことを、と思いつつも、あたしはそれが事実だと感じた。



「ど、どうしたの、アスカ。」
戸惑うようなシンジの声に、あたしは我に返った。
いつの間にか、シンジにすがりついていた。

「怖いのよ。」
そんな言葉が、あたしの口から紡ぎ出るのをあたしは聞いた。

「何もかもが、消えていきそうで。 五分だけ、こうさせていて。」
「い、いいけど。」

「そして、五分たったら、このことは全て忘れるのよ。いいわね?」
「…うん。」

一度、体験した世界。
たとえていえば、それは夢のようなもの。
いつ、消えてなくなってしまうか、わからない。
たしかなものは、今ここにあるシンジのぬくもりだけだった。

あたしとシンジの間に、空白の五分間が生まれた。
                     − つづく −