ダブル チェンジ 第17話

- 因 果 -


「で、あたしたちはどうすればいいの?」
あたしは、発令所のミサトに訊ねた。

弐号機と4号機は、すでに市街地への出撃を終え、次の指示を待っている。
縞模様のある巨大な球体…今回の使徒は、漂うようにゆっくりと移動しているが、それ以外にこれといった
行動を見せていない。
敵が行動しない以上、こちらとしても様子を見るしかないが、それではいつまでたっても埒が明かない。

『できれば、市街地上空外へ誘導したいところね。相手が乗ってくればだけど。』

「オーケイ、やってみるわ。」

「気をつけて、アスカ。」
あたしの背後で、シンジがそう言ってきた。

複座プラグでは、二度めの実戦となる。
前回は二体に分裂した使徒との戦いだったが、パイロットは三人しかいなかったので、カヲルだけは単独
で零号機に乗っていた。
今回は四人となったので、4号機も複座プラグを使い、カヲルとレイが乗っている。

「弐号機が先行するわ。4号機はバックアップにまわって。」
あたしは、そうカヲルとレイに伝えた。

「わかった。君の”記憶”を信じるよ。」

カヲルはそう言うが、まだはっきり”閃いた”わけではない。
ただ、なんとなく以前もそういうことをしていた様な気がするだけだ。

「気をつけて、アスカ。なんだか、嫌な予感がする。」
重ねて、シンジが言う。

あたしは、黙ったまま頷いた。
やばい予感は、あたしもしている。ただ、現状を打開するにはやるしかないと思った。

4号機と連携して、使徒を頂点に120度の角度でエヴァを配置する。
そして、まず弐号機から威嚇射撃をしてみることにした。

使徒がそれでどう動くか(向かってくるにしろ、逃げるにしろ)によって、4号機の援護を受けながら使徒
を市街地の外に追い出そうと考えたのだ。
だが、使徒は威嚇射撃に全く反応することはなかった。

こんなことをしていても無駄だと、頭の片隅で感じている。

「仕方ないわね。」
あたしは、4号機を近くに呼びよせた上でこう言った。
「使徒の誘導は無理みたいね。こうなったら、直接攻撃をしかけるわ。サポートをお願いね。」

「危険じゃないかしら。」
レイがそう言ってきた。

「使徒の攻撃パターンとその威力がわかっていないんだし、あまり固まらない方がいいんじゃないかな。」
シンジもそう言う。

「わかってるわよ。」
不安は、あたしも感じていた。

なんとなく、足元が気になる。
(地面からの攻撃を、あたしは予感している? 使徒は上空にいるのだし、これは気のせいよね。)

「とりあえず、お互いに200メートル離れましょう。
 それだけ離れれば、反撃で一網打尽にされることはないでしょうし、何かあってもお互いに救援にかけ
 つけられるでしょ。」

「わかった、そうしよう。」
カヲルがそう言い、あたしたちはそれだけの距離を置いた配置をとった。

あらためて、使徒に狙いをつけて発砲する。
だが、着弾した形跡は見えなかった。

(素通りした?)
あたしは、愕然となった。
(そうだわ。たしか、この使徒は”そうだった”んだ!)

そして、その直後にそれは起こった。

「影が!」
カヲルの叫びが聞こえた。

4号機が、ゆっくりと地面に沈んでいくのが見える。

「アスカ、シンジ君! 4号機の救出、急いで!」
同時に発令所から、ミサトが怒鳴っているのが聞えた。

「しまった!!」
あたしは、弐号機で駆け付けようとした。

「ぼくにまかせて。」
シンジがそう言うと、弐号機はふわりと宙に浮く。
たぶん、浅間山で発動させた、A.T.フィールドの4枚の翼を展開させているのだろう。

宙に浮いたまま、弐号機は4号機の両腕の下を抱え、ひっぱりあげようとした。

「だめだ、持ち上がらない!」
シンジが、叫ぶように言う。

4号機の下半身はすでに黒い影に呑みこまれており、弐号機が懸命にひっぱりあげようとするのだが、重力
による落下ではなく、あきらかに引きずり込まれている。

「シンジ君、このままでは君たちもあぶない。手を離したまえ。」
そう言うカヲルの声が聞えた。

「だめだよ、カヲル君! 必ず助ける。だから、がんばって!」
「そうよ! あたしのせいであんたたちを…。」

あたしは、最後まで言えなかった。

「足が!!」
4号機が急に吸い込まれるように沈み込み、そのはずみで弐号機の足も地面の影の部分に触れてしまって
いた。

「うわっ!」
「だ、脱出を。」
「無理だ、吸い込まれる…。」

すでに手を離してしまった4号機は完全に影に呑みこまれ、弐号機もその後を追おうとしていた。
弐号機だけではなかった。周囲のビルも、黒い影に触れているものは、すべてが沈み込んでいく。影はど
んどん拡がっているようだった。

「シンジ君! アスカ! あなたたちだけでも…。」

ミサトのその声が、途中で途切れて、あたしたちは何も聞えなくなった。




「どこだろう、ここ。」
シンジは茫然と周囲を見廻し、つぶやく様に言った。

あたしも、全周スクリーンに目をやる。
周囲は真っ暗で何も見えない。物音ひとつしなかった。
そればかりか、ネルフ本部はもちろんのこと、4号機とも通信が繋がらない。

「たぶん、使徒の体内じゃないかしら。
 きっと、そうよ。たしか、あの球体が使徒の影にあたるもので、黒い影の様に見えたものが、実は使徒
 の本体だったのよ。
 …たしか、そんなようなことを訊いたような気がするわ。」

「単純に、使徒の体内という言葉で片付けられるものじゃないね、これは。
 レーダーにも、ソナーにも何の反応もない。
 恐ろしく広い空間だよ、これは。
 いや、空間といってよいかどうか…。」

シンジの言葉に、あたしはある単語が脳裏に閃いた。

「虚数空間?」
「よく、そんな言葉知ってたね。」

「どこかで、聞いたことがあるのよ。それより、カヲルたちの4号機を探さないと。」
「虚数空間という表現が正しいかどうかわからないけど、むやみに動かない方がいいよ。」

「どうしてよ!」
あたしは、仲間の安否を気遣っているのに、それをするなと言われるのが心外だった。

「レーダーやソナーの反応からみて、ここは広いのではなく、空間と時間が入れ替わっているのかも知れ
 ない。
 もしそうなら、下手に動くと、過去か未来に行ってしまって戻ってこれないかも知れないよ。
 いや、もっと悪いことが起きるかも知れない。」

「悪いことって?」

「空間は、前後、左右、上下の3つの座標で定義されるのは分かるよね。」

「なんだか難しい話みたいだけど、そこまでなら分かるわ。」

「もし、その座標が、時間で置き換えられたらどうなる?
 ”前後”は過去−未来ということにすると、”左右”と”上下”は何になると思う?」

「そんなの、分かんないわよ!」

「たぶん、”無限の可能性”になるのじゃないかと思う。いわゆる、”パラレル・ワールド”だよ。」

「つまり、上下、左右に動きまわるってことは…。」

「そう、歴史を変えてしまうことになるかも知れない。
 たとえば、人類が死滅する世界を選択することになるとか。」

「じゃあ、どうすればいいのよ!」

「わからない…。でも、解決策が見つかるまでは、生命維持モードに変えて、待つしかないよ。」




シンジに言われるように、生命維持モードに変えてから、数時間が過ぎた。
結局、打開策はみつからないままだった。

「どうすんのよ、シンジ。」
あたしは、しびれを切らして言った。
「あんた、”博士”なんでしょ。なんとかしなさいよ!」

「そんなこと言ったって、ぼくの専攻は空間物理学じゃないし…。」

「ああ、もう! 頼りになんないわね。もういいわ、駄目もとで出口を探してみる!」
あたしは、インダクションレバーを握って、弐号機を動かそうとした。

「だめだよ! そんなことしたら、使徒の思うつぼだよ。」
シンジがあわてて、背後からあたしの手を抑える。

そのとき、ガコンと、何かが弐号機に接触する音が聞えた。

あたしは、まだ弐号機の足を踏み出してはいない。
だから移動はしていないが、少しだけ足を動かすような動きはした。
その足に、何かが触れたのだ。

「何かしら?」
訝ったのは、一瞬のことだった。

『シンジ君、アスカ、無事かい?』
聞き慣れた、カヲルの声が聞えた。

「カヲル君、無事だったんだ! どこにいるの?」

『たぶん、君たちの足元だよ。
 何かが触れたから掴んでみたんだが、これはどうもエヴァの足らしいから。』

「よかったぁ、離ればなれになっていなくて。
 どちらかが動いてしまったら、二度と会えなくなるところだったんだよ。」
シンジは心底、ほっとした様に言った。

『そんなことしたら、命取りになると、綾波さんに言われたからね。
 でも、どうしてさっきまで繋がらなかった通信が、いきなりできるようになったんだろう。』

「エヴァどうしが、物理的に接触したからかな。
 同じ時間軸に存在することになったとか。」

『なるほどね。
 それで、これからどうする?』

「今はまだ、待つしかないと思う。
 使徒はたぶん、ぼくたちが自滅するのを待っていると思うんだ。
 だけど、ぼくたちが動かなかったら、そのうち使徒の方から何らかの接触をしにくる筈だ。
 それがチャンスになると思う。」

「何を悠長なことを!」
あたしは、思わず口を挟んだ。

「その前に、こちらの生命維持モードが切れたらどうするのよ!」

『おそらく、その前に何かが起きるだろう。』

「なによ、妙に自信ありげじゃない?」

『赤木博士が今回も先手を打っているとすると、ぼくたちを複座プラグに乗せたのは、何か理由があるか
 らじゃないかと思う。』

「そっか。それもそうね。」
あたしは、少しだけ安心した。

だが、次のカヲルの言葉で、それはあっさりとひっくり返された。

『もっとも、エヴァが二体とも取り込まれるとは、想定していなかったかも知れないけどね。』
「なによ、それ! ちっとも気休めになっていないじゃない!!」




さらに、6時間余りが経過した。

生命維持の限界にはまだ数時間あるが、あたしはいい加減焦れてきていた。

「ねえ、シンジ。」
あたしは、焦る気持ちを抑えるために、シンジと少し話をすることにした。

「なに? アスカ。」

「あんた以前、”隠された記憶”があるように感じると言ったことがあったわよね。」
「そうだったね。」

「その後、何か思い出したことはない?」
「うん、あるけど…。」

「よかったら教えてくれない? 」
「でも、それを聞いたらアスカは…。」

「大丈夫よ、少々のことでは驚かないから。」
そこであたしは、先日カヲルから聞いた、これから起きるというサードインパクトの話をした。

「やっぱり、そうか。」
「あんたにも、そのへんの記憶があるの?」

「いや、ぼくが知ってるのは、その少し前のことなんだ。」

シンジが言うには、そのうち使徒の行動が第3新東京の破壊行為ではなく、パイロットの精神への攻撃に
移ってくるということだった。
使徒の殲滅と引き換えに、ひとり、またひとりとパイロットが戦列を離れていき、残された自分の精神が
追い込まれていったという記憶があるのだと。

「まるで、ぼくは依代(よりしろ)か何かにされているみたいだった。」
「そっか。”補完計画”発動のためには、だれかが生贄にされるのかも知れないわね。」

「うん。」
シンジは、気が重そうに頷いた。

「大丈夫よ、シンジ。たぶん、今回はあんたじゃない。ターゲットはたぶん、あたしだと思う。」

「アスカ…。」

「でもね、あたしはそんなことでめげたりしない。
 というか、もうだれひとり、失ったりするようなことはさせない。
 この世界を、守るって決めたのだもの。」

「アスカは、強いんだね。」

あたしは笑ってかぶりをふった。

「そんなことないわ。こわいと思うのは、以前から変っていないわ。
 でも、あたしはクラスのみんなや、人々の日常を奪っていく、使徒の存在が許せない。
 それだけよ。」

「そんなアスカだから、選ばれたのかも知れないね。」

「え、何が?」
あたしは、シンジが何を言っているのか、訊き返そうとした。
だが、その前に、使徒の攻撃が始まったのだった。




「お待ちしておりました。」

突然、女の声がした。
あたしに背を向けたまま、ゆらりと立ち上がる姿が見えた。

見覚えのある姿だった。
全身を覆う白衣と、金髪。
そして、こちらを振り向いた寂しげな顔。

(リツコ!)
あたしが心の中で叫ぶと同時に、
「赤木君…。」
つぶやく、男の声が聞えた。

リツコが、手にした拳銃の銃口をこちらに向けて言った。
「いっしょに、死んでいただきます。」

(えっ!?)
あたしは、パニックになりそうになる。

『アスカ。』
どこからか、カヲルの声が聞えた。
 
『これは使徒の、心理攻撃だよ。
 わざとぼくたちに、未来か過去を見せて、動揺を誘おうとしているんだ。』

(そう。そういうことなのね。)
あたしは、納得した。

目の前のリツコは、こちら側にいるだれかと会話しているようだ。
そして、ポケットから出したPDAを見て愕然としている。

「赤木君、本当に…。」
低い男の声がし、その直後に銃声が響いた。

目を見開いたリツコが、後方に吹っ飛ぶのが見える。
そして、リツコの体は水しぶきを上げてLCLの池に落下した。

「そんな、”父さん”。 どうして!!」
傍らで、シンジが叫んでいるのが聞える。

「シンジ、落ち着いて。これは、幻影よ!」
あたしは、そう言った。

「いや、これは真実だよ。」
カヲルの声が、再び聞えた。

「これは、実際にあった出来事なんだよ。」
目の前の、LCLの池の中から、カヲルの顔が現れてそう言った。

よく見ると、首から下がない。

「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
シンジが、絶叫した。

カヲルの、生首がそう語っていたのだった。

『落ち着きたまえ、シンジ君。』
頭の中に響くように、カヲルの声がする。

目の前の生首が言っているのではない。
それはあたしたちを見上げるようにして、微笑んだままだからだ。

『そいつこそが、幻影だ。
 ぼくの姿をしているが、本当のぼくではない。
 だまされてはいけない。』

「カヲル君? そういう君は、本当のカヲル君なの?」

『もちろんだ。今、ぼくは4号機の中にいる。
 君が見ていることは、実際にあったことかも知れないが、今起きていることではないんだ。
 こんなところで、”依代”にされることはないよ。』

「そうか。…そうなんだ。」
シンジは少し落ち着きを取り戻したようだ。

「ちっ!」
LCLに浮かんだカヲルの顔は、忌々しげに舌打ちをした。

「だが、おぼえておくがいい。全てはここから、始まっているんだ。」

その声が終ると同時に、あたしたちの視界は、もとのエントリープラグの中に戻った。



「…結局、あいつは何がしたかったの?」
しばらくしてから、あたしは呟いた。なんだか、ひどく疲れた。

あれはたぶん、ターミナルドグマの中でのできごとだと思う。
リツコに銃口を突き付けられて、上を見上げる余裕はなかったけれど、LCLの池とその中でそそり立つ
巨大な柱が見えた。おそらく、その上にはリリスとやらが磔になっているのだろう。

だが、リツコがシンジの父親に銃口を向け、逆に撃たれるとはどういう意味があるのだろう。

あいつは、たしか、”実際にあった出来事”だと言った。
シンジがどれだけ、ショックを受けているか、あたしは気になった。
それこそが、使徒の狙いだったのかも知れない。
だが、シンジにかける言葉は見つからなかった。

だれも言葉を発しないまま、時は刻まれていく。

『そう、そういうことだったのね。』
不意に、レイの言葉が聞えた。

『やっと、わかったわ。
 補完計画発動時にリリスと契約を結ぶ機会があったのは、わたしと碇君だけではなかった。
 他に二人、ターミナルドグマのLCLを媒体として、リリスと接触していた者がいたのだわ。』

「あんた、何を言ってるの。何がわかったというのよ?」
あたしが訊ねると、レイは続けて言った。

『この世界が再構築されたのは、”人の意思”にリリスが応えたからだということよ。』

「人の意思? だれの?」

『一人は、渚カヲル。
 そしてもう一人が、赤木リツコ博士よ。』

衝撃とともに、あたしはさきほどの使徒の言葉を思い出していた。
”全てはここから、始まっているんだ。”
                     − つづく −