ダブル チェンジ 第22話
- 憑 依 -
あたしとヒカリとレイの三人で、パーラーに行った。
今どき、パーラーなんて呼び方はしないものだとは思うが、店の名前が「パーラー増井堂」ということにな
っているのだから仕方がない。
「あたし、バナナパフェね。」
「じゃあ、わたしはプリン・アラモードにするわ。」
「あら、ヒカリ、しぶいじゃない。レイは?」
「わたしは、何でもいい。」
「だめよ。何か決めないと、注文できないじゃない。」
「それじゃ、アスカと同じものを。」
そういうやりとりがあって、バナナパフェを2個とプリン・アラモードを1個注文した。
「綾波さん、甘いもの苦手だった?」
ヒカリが訊ねると、
「そんなことはないわ。甘いものを食べると、美味しいと思う。
ただ、どれでもあまり変わらないと思うだけ。」
「何言ってんのよ。メニューとは、そのわずかな違いを楽しむためにあるんじゃない。」
「そう? そうかも知れない。」
まったく、レイのそういうところはちっとも変わらない。
いや、これでも変わってきた方だ。
少なくとも、一人で先に帰ったりせずに、あたしたちに付き合うようになったのだから。
「で、ヒカリ、あたしたちに相談ってなによ。ひょっとして鈴原のこと?」
「違うわよ!」
「ごめん、ごめん。真に受けないで。」
鈴原のことだったら、レイまで呼ぶわけはない筈だ。
「で、相談ごととは?」
次のヒカリの一言は、全くの予想外のものだった。
「わたしね、エヴァに乗ることになったの。」
「え…。」
あたしは、スプーンを持ったまま、一瞬固まってしまった。
「のぞみがね、もうすぐ退院することになったのよ。」
のぞみとはヒカリの妹のことだ。それが、エヴァとどういう関係にあるのだろうか。
「体の方はもう完治しているのだけど、神経を損傷していたからしばらくリハビリが必要なのよ。
普通の治療方法だったら、半年はかかるんだって。
でも、”神経接続”の専門機関に任せれば、その半分で済むだろうと。
その便宜を図ってあげるから、わたしにエヴァに乗らないかという話をもらったの。」
「その話、だれからもらったのかしら。」
固まっているあたしに代わって、レイがヒカリに訊ねた。
「赤木リツコ博士よ。昨夜、うちに来てそう言ったの。」
「そう…。」
「そんな…リツコが! じゃあ、ヒカリが3号機パイロットに選らばれたというの!」
「もちろん、わたしはすぐにOKしたわ。
だって、まだ小学生ののぞみが、リハビリに半年もかかっていたら可哀そうじゃない。」
「それは、そうだけど…。」
「たしかに、ネルフ以上の”神経接続”の専門機関はないでしょうね。」
レイが言うことは尤もなんだけど、あたしは何か釈然としなかった。
ヒカリがパイロットになる…運命というより、何か意図的なものを感じてならなかった。
「アスカと綾波さんが先輩としているんだから、わたしは何も心配はしていないの。
だけど、あなたたちの足を引っ張りたくはない。
だから、できたら事前にいろいろと教えてもらえたらと思って。」
生真面目なヒカリらしい言葉だった。
あたしは、のぞみちゃんの怪我のことや欠席中のノートを作ってもらったことで、ヒカリには負い目や借り
がある。
最大限の協力をすると、約束したのだった。
翌々日にヒカリは、ミサトに連れられて松代に行った。
アメリカから空輸されてきた3号機は、とりあえずそこに格納されているのだという。
ネルフ本部にも空きのケイジはあるということだから、本部で起動実験をすればいいのにと思う。
まあ第2支部消失の例もあるので、完全には掌握しきれていない3号機については安全策をとって松代
で行われることにしたのだろう。
あたしはというと、ヒカリが留守中の授業のノートをとってあげることになった。
”最大限の協力”が、そんな程度で申し訳ないのだけど、ヒカリがそれでいいというのだ。
本当は、”シンジ博士”に遅れた分の勉強を教えてもらえばいいのだろうが、あいつは模範解答はほかの
人より圧倒的に早く仕上げるくせに、それを他人に説明するのが苦手のようだ。
実際あたしも使徒戦や複座プラグの設定で遅れた勉強をシンジに教わろうとしたことがあったが、やたら
まわりくどかったり、逆にいきなり結論に跳んだりして、まるで役に立たなかった。
”博士”という人種は、リツコもそうなのだろうが、相手のレベルというものを把握できないのだと思う。
あたしとしては、ヒカリの役にたてればそれでいい。
だからその日、午後の授業は苦手な社会科だったが、真剣にノートをとっていた。
そこへ、突然の呼び出し音。
ネルフから支給されている、あたしの携帯からだった。
いや、あたしだけではない。
カヲルのも、シンジのも、そしてレイのも、一斉にに鳴り響いていた。
パイロット全員に対する非常招集。
あたしたちは、早退を申し出ると本部に向かった。
「使徒、かな。」
迎えの車に乗り込んで、シンジはつぶやく。
「もう、こんなときに! 絶対、女に嫌われるタイプね。」
そんなことを言いながら本部に到着したあたしたちは、信じられない事実を聞かされた。
「え? 松代で爆発!? いったい、何があったというの?」
「ミサトは? リツコは? ううん、それよりヒカリはどうなったのよ!」
あたしは思わず、そう叫んでしまった。
以前、第4使徒と戦ったとき、ヒカリと鈴原と相田を、あたしのエヴァのエントリープラグに収容したことが
ある。
あのとき、ヒカリは使徒の姿を目の当たりにしてパニックに陥っていた。
今思えばそのときにエヴァとのシンクロ率が跳ね上がったのは、適格者の資質があるヒカリが同乗して
いたからなのだと考えられる。
だけど、こと戦闘や危機的状況に関しては、ヒカリは”適格者”ではなく、まったくのシロウトだ。
ミサトやリツコなら、松代で何かが起きたとしても多少のことは切り抜けられるかも知れないが、ヒカリに
それは期待できない。
また、パニックに陥っていたとしたら、生き延びる機会をも見失いかねない。
「大丈夫、第2支部と違って、消失したわけじゃない。
みんな、きっと無事だ。
救助活動はフルピッチで続けているから、心配しなくていい。」
青葉二尉が、あたしの不安を察してそう声をかけてくれた。
「そうだよ。今回も赤木博士が、万一のことを考えて手を打ってくれているさ。」
日向二尉もそう言ってくれた。
そうよね。
わざわざ松代でテストをしたというのも、リツコには何らかの予感があったのかも知れない。
でもこの二人、先日の会議でリツコへの不満をもらしていたけど、反感を感じているわけではなかったん
だ。スタッフとして、リツコを信じているんだ。
「それより、今は自分たちでできるだけのことをしよう。
弐号機と4号機に、出動命令が下っている。」
「出動?」
「ああ、松代での爆発事故を引き起こした敵を排除しろとのことだ。
複座プラグとエヴァの空輸の準備ができているから、急ぐんだ。」
日向二尉の言葉に、あたしは思わず訊き返した。
「ミサトもいないのに、誰が指揮をとるのよ。」
「今は、ラングレー司令が直接指揮をとっている。」
「…パパが?」
事情もよくわからないまま、あたしたちはエヴァに搭乗し、専用の中距離輸送機で松代まで運ばれた。
着いたときにはすでに夕刻となっていて、陽は西に傾いている。
今回もエヴァには複座プラグで搭乗しており、弐号機はあたしとシンジが、4号機はカヲルとレイがそれ
ぞれ担当している。
松代にはエヴァ用の電源車が配備されていたが、幸いなことに実験場の爆発には巻き込まれていなか
った。
弐号機と4号機は電源車から電力の供給を受け、戦車部隊とともに待機することとなった。
どうやら、この待機場所に向かって使徒…”目標”が接近中らしい。
傍らの戦車部隊が砲身を上げ始めた。
眼前の山の陰にまで、”目標”が迫ってきているようだ。
その山頂の木々の隙間から、一瞬、巨大な人型のシルエットが見えた。
「まさか!」
あたしは、思わず口走っていた。
「どうしたの、アスカ。」
同乗しているシンジがあたしに訊ねるが、最悪の事態を想像してしまったあたしは応えることができない。
そして、山陰からそれが、のそりと姿を現した。
「!」
あたしの予感は、的中していた。
”目標”とは、エヴァンゲリオン3号機だったのだ。
レイの4号機と外観は同じ…ただ、そのカラーリングは悪魔の様に禍々しい黒だった。
「やはり、これか…。」
通信回線を通して、発令所の冬月副司令がそうつぶやくのが聞こえた。
「エントリープラグ周辺にコアらしき侵食部位を確認」
「分析パターン出ました!・・・青です」
続いて、青葉二尉と日向二尉の報告が入る。
「現時点をもって、エヴァンゲリオン3号機を破棄。
監視対象物を第13使徒と識別する。
…撃ちかた、始め!」
パパの号令とともに、戦車部隊の砲撃が始まった。
「ちょっと、これはどういうことです! ラングレー司令!!」
ショック状態を引きずっているあたしに替わって、シンジが抗議の声をあげた。
その声で、あたしは我に返った。
「これは…エヴァじゃないですか!」
シンジが続けて言う。
「さっきも言った筈だ。これはすでに、エヴァではない。使徒だ。」
「そんな…。使徒に乗っ取られるなんて。」
「パイロットが乗っている筈です。攻撃をやめさせてください。」
今度は、レイがパパに対して言った。
「いいだろう、おまえたちが斃せ。」
そう言うと、パパは戦車部隊に後退を命じた。
「斃せと言ったって…。」
あたしは躊躇した。
それはそうだろう、あれにはヒカリが乗っているのだ。
「まずエントリープラグをエジェクトして、ヒカリを脱出させることはできないの?」
「駄目なのよ、それが。」
伊吹二尉がそう言ってきた。
「砲撃前に、それは試してみたわ。でも、信号を受けつけないのよ!」
「エントリープラグ周辺が浸食されているんだ。使徒のコアらしきものもある。
遠隔操作では、どうしようもないんだ。」
青葉二尉が、そう付け加えた。
「仕方ないね。」
それまで沈黙していたカヲルが口を開いた。
「ぼくたちで、やるしかない。
互いに協力して3号機のプラグ射出口を剥き出しにし、エントリープラグを引きずり出すんだ。」
その3号機はゆっくりとあたしたちのエヴァに近づいてきたが、ふと足を停めると前屈みになった。
「…来るよ。」
カヲルがそうつぶやくのと同時だった。
3号機は、いきなり跳躍した。
まだ、あたしたちの弐号機と4号機には相当な距離があった筈なのに、それをいっきに詰めてきた。
そして、空中でありえない方向に体をひねった。
跳躍の軌跡が変わり、気付いたときには4号機のすぐ傍に着地していた。
来るとわかっていたのに、あたしたちには何もできなかった。
漆黒の機体が、同じフォルムの白銀の機体の首を絞めていた。
「「カヲル(君)!」」
あたしとシンジは同時に叫ぶと、弐号機で3号機に体当たりをしにいった。
躱された、軽く。
3号機は4号機の首を絞めたまま、下半身を跳ね上げるようにして肩よりも高く跳躍していた。
あり得ない動きとスピードだった。
「なんて奴!」
ともかく、捕まえないことには話にならない。ヒカリを救い出すためにも。
あたしとシンジは、用心しながらゆっくりと弐号機を3号機に近づけさせた。
「わたしにまかせて。」
不意に、レイがそう言う。
同時に、4号機の機体全体が白っぽく光り始めた。
何を思ったのか、3号機は4号機から手を離し、大きく跳び退った。
4号機の未知の攻撃を予感したのだろうか。
だが、それは後退ではなく、単に攻撃の矛先を4号機から弐号機に変えただけだった。
跳び退った3号機はその場で向きを変え、弐号機に向かってきた。
あたしたちは、その動きに全くついていけなかった。
気付いたときには、弐号機の首が絞められていた。
「こ、この!」
その手首を掴み、渾身の力を込めて引き剥がす。
そのとき、信じられないことが起きた。
3号機の両肩から、もう一組の腕が出てきたのだ。
それが再び、弐号機の首を絞める。
あたしたちにはもう、それを防ぐ手立てがなかった。
「シンジ、なんとかならないの?」
「無理だ、この体勢では。」
そのときに、あたしは気付いた。
弐号機の首を絞めている腕が、黄色と黒のツートンカラーのスーツで覆われていることを。
(プラグスーツ? そうか、これはヒカリの腕なんだ。
使徒に同化されたヒカリが、あたしの首を絞めている…。)
なす術もなく、弐号機はその力が抜けていく。
3号機の手首を掴んでいた両手は、力を失ってだらりと垂れた。
弐号機は戦闘不能となったが、4号機はあきらめていなかった。
3号機の背後から、弐号機の首を絞めているその腕を引き剥がそうとする。
だが、びくともしない。
次に4号機は、3号機のエントリープラグのカバーをこじ開け、エントリープラグを引き抜こうとした。
エントリープラグには、緑色のスライム状のものがべったりと貼りついている。
あれが、使徒の本体なのだろうか。
プラグはびくともしなかったが、さすがに使徒は身の危険を感じたのかも知れない。
弐号機が手を離して自由になった最初の腕が、あらぬ方向に…背後に向かって伸び、4号機の首を締
めにかかっていた。
「くくっ…。」
カヲルのうめき声が聞こえる。
複座プラグ仕様の、2体のエヴァでもこの3号機には勝てないのか。
弐号機と4号機を絞めている3号機のその手から、青黒い染みがそれぞれの首に染み出していた。
「やはり、”浸食タイプ”か。」
冬月副司令がつぶやくのが発令所との回線を通して聞こえた。
「ああ。これより、航空機隊による第二次攻撃を行う。」
これは、パパの声だ。
「戦車部隊は安全距離まで全速で後退。
エヴァ各機はA.T.フィールドを全開にして、損傷を最小限に食い止めろ。」
「ちょ、ちょと、それ、どういう…?」
みなまで言わずとも、あたしにはわかってしまった。
浅間山の使徒の捕獲作戦の前に、上空を飛んでいた”あれ”だ。
『あれは、何?』
あたしはあのとき、ミサトとリツコにそう訊ねていた。
『UN空軍の重爆撃機ね。』
『どうして、あんなところにいるのよ?』
『わたしたちが、使徒の捕獲にも殲滅にも失敗したときに備えて、待機しているのよ。』
『エヴァでも敵わなかったケースに対応できるの?』
『N2航空爆雷を、4発積んでいるわ。関係者ごと使徒を熱処理するには、充分ね。』
『そんな命令、だれが出すっていうのよ!』
『ラングレー司令よ。』
そこまであのときの会話を思い出し、冗談じゃないわ、と思った。
A.T.フィールドを中和し合っているこの状況で、そんなもの使われたらだれも無事では済まない。
いや、真っ先に影響を受けるのは、エントリープラグを剥き出しにされた3号機だろう。
最初に使徒が蒸発し、あたしたちはA.T.フィールドを展開できるようになって外部装甲板の損傷くら
いで済むかも知れない。
でも、そのときヒカリはどうなる?
…考えたくもなかった。
「ちょっと、止めさせなさいよ!」
あたしは、しぼり出す様な声で言った。
「アスカ…。」
背後でシンジがつぶやく声を聴きながら、シンクロ率がはね上がるのを感じた。
弐号機は再び首にかかった3号機の手を引き剥がし、身を起していた。
3号機の背後の4号機と協力し、なんとかそのエントリープラグを引き抜いて…。
そう思った矢先、
「投下!」
死の宣告を聴いた。
間に合わなかった!
そこから先は、無我夢中だった。
だれも、何も声を発することができなかった。
まず、3号機の力がふっと抜けるのを感じた。
そのエントリープラグに貼りついていた、緑色のスライム状のものが空中に飛び出していた。
こいつ、逃亡を謀ろうというのか。
それとも、4号機か弐号機に再びとり憑こうとしているのか。
それを、4号機の手刀が、信じられない速さではたき落していた。
そのときの4号機の機体は、再び全体が白っぽく輝いていたように思う。
だが、あたしにはそれをじっくり見ている暇はなかった。
弐号機は3号機を押し倒し、その上に覆い被さっていた。
その直後に、N2航空爆雷の光で、視界は白一色に染まった。
使徒は、無防備な状態のまま数万度の高熱で焼かれ、瞬時に蒸発していた。
ヒカリは全身に火傷を負っていたが、弐号機の陰でN2爆雷の直撃を避けられたおかげで、命に別条
はなかった。
また、弐号機と4号機は爆発の直前に使徒が3号機を抜け出したためにA.T.フィールドを展開でき、
ほとんど無傷の状態だった。
それでも、あたしは許せなかった。
ヒカリの火傷の治療は、浅間山の溶岩でシンジが負った火傷の治療と同じ処置をするにしても、一ヶ月
はかかるというものだった。
松代の爆発現場から、リツコとミサトは奇跡的に軽傷を負っただけの状態で救助されていたが、そのリ
ツコの診立てがそういうことだった。
もし、使徒が3号機から抜け出していなかった場合、それでもあたしはエントリープラグを庇おうとしただ
ろう。でも、完全に覆い隠せるわけではない。その場合は同じ治療方法を施したとしても、完治まで一年
はかかることになっていただろうとリツコは言った。
そして、エントリープラグを庇わなかったら、おそらくヒカリは…。
許せない、絶対に!
あたしは初めて、パパに殺意を抱いた。
− つづく −