ラスト メッセンジャー
 
-  二人の想い Z -



「どういうつもりだ?」
その夜、宿舎で二人きりになると、ユウジはカヲルに問いただしていた。

「何のことかな。」
「とぼけるんじゃない! 昼間のシンクロテストのことだ。」

いつになく、ユウジの表情は、渋い。

「おまえの実力なら、弐号機パイロットに圧倒的な差をつけることができた筈だ。
 なぜ、わざわざ相手に花を持たせるようなことをした?」

「花を持たせるほどのことは、していない。
 少なくとも、彼女は自分の立場に危機感は感じた筈だよ。」

「だから、なぜだ?
 おまえが、自由にシンクロ率を変えられることはわかっている。
 だが、あんなことをしたら、おまえ自身が消耗してしまうだろうが。」

「たいしたことでは、ないよ。」

「…まあ、いい。
 それより、明日の晩だ。 わかっているだろうな。」

「ああ、わかっている。」
カヲルは、少し淋しそうな顔をして応えた。

「キール議長の言葉を、忘れるな。
 おまえの余命は、あといくらもない。
 生き延びたければ、アダムに還り、アダムと同化するしかないんだ。
 しくじれば、消滅するしかないのがおまえの宿命なのだ。」

「わかってるよ。
 だけど、いいのかい。
 ぼくがアダムと同化を果たしたら、あなたも生きてはいられないのに。」

「かまわんさ。
 どうせ、捨てた命だ。
 今ある命は、復讐だけのためにあるのだからな。
 それを果たしたら、こんな命、いくらでもくれてやるさ。」

「あなたも、淋しい人だ。」
「おまえに言われたくはないな。」




一方その頃、シンジたちも昼間のできごとについて、話し合っていた。
レイも呼んで、アスカと3人でいっしょに夕食を済ませたところだった。
ミサトは保安諜報部の新しい仕事で忙しいらしく、昨晩からネルフに泊り込みである。

食後のデザートの苺を食べ終えると、アスカは言った。
「あたし、あいつ嫌いだな。」

シンクロテストの後の、いっときのショックからは立ち直っている様だった。

「あいつって、カヲル君のこと?」
飲んでいた紅茶のカップを置いて、シンジが尋ねる。

「そうよ!」
「でも、あのユウジって人はともかく、カヲル君は悪い人ではないよ。」

「そうかしらね。
 悪い奴でなかったら、シンクロ勝負なんか挑んでこないと思うけど。」

「………。」
(ユウジさんの挑発に乗って、勝負を仕掛けたのはアスカなんだけどな)

「わたしも、渚君は、少し変だと思う。」
「レイまで?」
シンジは、意外そうな顔をした。

「『ぼくと同じだね』と言われたもんね、あんた。」
「それはいいんだけど、あの人が何を考えているのか、わからない。」

「そうかなぁ。押し付けがましいところがないし、いい人だと思うけど。」

「あんた、人を見る目がないのよ。
 大体、乗れるエヴァもないにのに、なんで五人目が来るのよ。」

「それは考えたんだけど、やっぱり、万一に備えて予備のパイロットが必要だと、
 上の方が判断したんじゃないのかな。」

「必要ないっ!」
「え…?」
断固としたアスカの物言いに、シンジは思わず聞き返してしまった。

「戦力的に、今のあたしたちだけで十分な筈よ。
 これ以上の増員は、チームの和を乱すだけだわ。
 司令が何を考えているのか知りたいし、明日、直談判に行くわよ。」

「そんな!」
「碇司令が怖いの?」

「そ、そんなことはないよ!」

「じゃあ、決まりね。ミサトの処遇についても改善を申し込むんだから。
 この際だから、言っとくべきことを言っときましょうよ。」

「わかったよ。」

「レイも、それでいいわね?」
「ええ…。」

アスカは自分のポジションに不安を覚えているのだろう、とレイは思った。
レイはレイで、自分と同じ感じのするカヲルの存在を、ゲンドウはどう思っているのか、
聞いてみたかった。




翌日、シンジたちがネルフに到着した頃_。

「なんだって!」
携帯電話に着信したメールを確認していたユウジは、思わず叫んでいた。

「どうかしたのかい。」
車イスに座ったまま振り返って、カヲルが尋ねる。

人気のない、ネルフの通路の一角である。
二人はちょうど今、自分たちの宿舎をでてきたところだった。

「あの、葛城という女…。あいつが、作戦部長だと思っていたのだが。」
「作戦部長…あなたの、今夜のターゲットだったね。」

ユウジは頷くと言った。
「今、連絡が入った。 どうやら罷免されているらしい。
 作戦部は、碇司令の直轄となったとのことだ。」

「すると彼女は今…。」

「保安諜報部長に、転属になったようだ。
 どうりで、初対面のときに、はっきりと所属を名乗らなかったわけだ。 
 保安諜報部の人間が、おいそれと自己紹介できるわけがないからな。」

「ターゲットを変えるのかい?」

ユウジは、首を横に振った。

「いや、そのままだ。
 さすがに碇司令を狙うことは不可能だろう。
 葛城三佐…今は、一尉か。あいつを消す理由は、他にもあるからな。」

「そうなのかい。」
カヲルは、さして興味もなさそうに言った。

「だが、事情が変わったことは事実だ。 
 保安諜報部である以上、何か気付かれたかも知れない。
 先手を打たれる前に、動くぞ。」

「予定を繰り上げる?」
「ああ、そうだ。」

「それは、いつ?」
「たった今だ!」




カヲルは、エヴァのケージに来ていた。

入り口までは、ユウジに連れてきてもらったが、今は一人でアンビリカルブリッジの上
に佇んでいる。

ケージの入り口のロックを外すのは、造作もなかった。
すぐに警報が鳴ったが、警備員が駆けつけるまではもうしばらくかかるだろう。

目の前には、侵入した入り口に最も近いエヴァの機体である、零号機の姿があった。

「エヴァンゲリオンが、リリンにもたらされた『福音』ならば、
 ぼくたち使徒は、『凶報』をもたらす悪しき使者か…。
 そしてぼくは、最後の使者となる。 
 
 さあ行こう、リリンのしもべよ。」

そう言うと、カヲルはアンビリカルブリッジから一歩を踏み出した。
その身体は落下せずに、宙に浮いている。
カヲルの呼びかけに応じる様に、零号機の単眼が紅く輝いた。

ケージ開放の警報に続いて、あらたに使徒出現の警報が鳴り渡った。

「使徒?!」

発令所に駆けつけた面々の前のメインスクリーンには、メインシャフトを零号機とともに
降りていくカヲルの姿があった。

「まさか、あの少年が!」
だれもが、おのれの目を疑った。




シンジとアスカは急遽、初号機と弐号機への搭乗を命ぜられた。

「うそだ、カヲル君が使徒だなんて…。 そんなの、うそだ!」

シンジの悲痛な叫びに、アスカは気の毒そうに告げた。
「でも、これは事実よ、シンジ。 受け入れましょう。」

「あの、カヲル君が…。」

「シンジ、いいかげんにしなさいよ!
 ターミナルドグマにまでは、電源ケーブルは届かないから、
 S2機関のないあたしの弐号機は、5分しか動けないのよ。
 零号機とまともに戦えるのは、あんたの初号機しかないんだから!」

「碇君…。」
レイからの、通信がそこに割り込んだ。

「アスカと一緒に、零号機を止めて。
 わたしもすぐに、あなたたちを追うわ。」

「綾波が?」
「あんた、生身の身体で、ドグマを降りるつもりなの?!」

「ええ。」
レイは、決意を込めて応える。

「「そんなことが、できるの?」」
シンジとアスカは、思わず同時に尋ねてしまう。

「ATフィールドがあるから、大丈夫。」
レイは、少し笑みを浮かべて言った。

「そんな使い方もあったんだ…。」

「零号機は、碇君に止めてほしいの。
 渚君のことは、わたしが何とかするわ。」

「…わかった。やってみるよ、綾波。」

そこへ、発令所からゲンドウの声が届いた。
「いかなる手段をもってしても、目標のターミナルドグマへの侵入を止めろ。」

「いくわよ、シンジ。」

シンジは、黙って頷く。
二機のエヴァによる、カヲルの追撃が始まった。




一方でユウジは、混乱に乗じて保安諜報部の一角への侵入を果たしていた。

対使徒戦においては、保安諜報部は直接作戦に参加することはない。
だが非常事態であればこそ、施設内部への破壊工作員の侵入を阻止するための警戒など、
なすべきことは多かった。
たとえば、市街戦においてはエヴァの射出口からの侵入がありうる。
いわば、使徒以外の外敵に向けた、中枢機関の防衛が彼らの責務であった。

今回の「目標」は、すでに施設の内部に現れている。
これは、保安諜報部にとっては大きな失点だった。
何としても、MAGIと発令所は守らばければならないという、焦りが彼らにはあった。

『浮き足立っていやがるな』と、ユウジはほくそ笑んでいた。

おそらく、発令所や武器弾薬庫、その他の中枢施設へと、部員の大半を送り出している
ことだろう。
まさか、保安諜報部の、それも部長室がターゲットであるとは夢にも思っていまい。
なんなく目的の部屋にたどりついたユウジは、銃をかまえながらも、大胆にいきなり
ドアを開いて中に飛び込んだ。

「?!」
予想に反して、中はもぬけの殻だった。

多くて3人、少なくとも保安諜報部長のミサトは中にいる筈だった。
脇目もふらずに、本部内の各部署に配置した部員と連絡を取り合っているものと思った。

『何故だ。』
そう思った瞬間、背後でカチリと音がして、ユウジは凍りついた。

「動かないで。」
低い、ミサトの声がした。

最初から、ドアの陰に隠れていたのだ。
完全に背後をとられた上、銃で狙われている。
背中に感じる、冷たく固い殺気から、ユウジはそれが間違いないと悟った。

「…よく、わかったな。」
「ネルフを甘く見ないで! 銃を捨てて、ゆっくりと手をあげるのよ。」

ユウジは、言われたとおりにした。

「何故、ここを狙っていると思った?」
「女の勘よ。
 あんた、初めて会ったときから、怪しかったもの。」

「それは、それは…。」
そう言いながら、ユウジは少しでもミサトの隙を見逃すまいと、背後に気を配る。

「でも、確信を持ったのは、あんたがフィフスと同伴で日本に来たわけではないと
 知ってからよ。」

「………。」

「フィフスをドイツから連れてきたのは、ある女性職員だった。
 空港で、あんたにフィフスを引き渡すと、その足で女は帰国していった。
 あんた、それより先に日本に来ていたでしょ。 
 何か、目的があった筈ね。 それはいったい何?」

「よく、そこまで調べたな。」
「とぼけないで!」

ミサトは銃を持った腕を伸ばし、ユウジを狙った。

「もう一度聞くわ。フィフスより前に、日本に潜伏していた理由は何?」

「…加持リョウジの、暗殺だと言ったら?」
「なんですって!」

「ほう、思ったほどには驚かないな。ある程度は、予想していたか。」
「まさか、とは思っていたわ。 でも、本当だったなんて…。」

ミサトは、萎えそうな気力を、歯をくいしばって奮い立たせる。
今、ここで隙を見せたら、あっという間に反撃を受けて命を失うと知っていた。

「実の兄でしょ! 
 何故名乗り出ることももせずに、そんなことをしなければならないの!」

「名乗りはしたさ。あいつが、くたばる前にな。
 あいつがそのとき、どういう反応をしたか、知りたくはないか。」

そう言うとユウジは、両手をあげったまま、ゆっくりとミサトに向き直った。




シンジとアスカは、ドグマを降下中のカヲルと零号機に追いついていた。

「カヲル君!」
「遅かったね、シンジ君。」

「どうして、こんなことを!」
「どうもこうも、ないわ。あいつは、使徒なのよ!」

そう言うと、アスカはプログナイフを弐号機に構えさせた。

「そういうことさ。」
零号機は、クロスさせる様に左右の手を両肩の武器ポッドに伸ばす。
次の瞬間には、左右、両方の手にプログナイフを握っていた。

「ぼくを騙していたのか!」
初号機も、プログナイフを構える。

エヴァどうしの戦闘が始まった。
初号機も、弐号機も、左手でバランスを取りながら、右手のナイフを繰り出す。
それを零号機は、左右のナイフを別々に操って、あっさりとはじいていた。

「くっ!」
「こ、こんなに零号機が強いなんて!」

戦力的には2対1の筈だが、カヲルの操る零号機は全く引けを取らない。
そればかりか、シンジとアスカのエヴァの足止めを零号機にまかせて、
カヲルは一人で、ドグマをさらに降下していく。

「さらばだ、シンジ君。君に会えて、うれしかったよ。」

「カヲル君!!」
シンジの叫びが、空しく響き渡った。




「俺が奴を追い詰めたとき、あいつは脳天気にも携帯で電話をしていた…。」
ユウジが、遠い目をして、ミサトに言う。

それから、ふっと笑ってつけ加えた。
「それどころじゃ、ないだろうによ。 なにしろ、腹から血を流しているんだから。」
  ・
  ・
  ・
『…もう一度会えることがあったら、八年前に言えなかった言葉をいうよ。じゃ。』
加持は、電話を終えると、ユウジに向き直った。

それから、笑みをうかべて、そこにいた追跡者に声をかけた。
『よう、遅かったじゃないか。』

相手は帽子を目深にかぶり、サングラスをかけているため、その表情はわからない。

『遺言は、もう終わったのか。』
乾いた声で、ユウジは銃を加持に向ける。

『おかげさまでな。今度は、しくじるなよ。』
『ハナから、しくじっちゃいねぇよ。』

轟音とともに、加持はくずおれた。
夥しい新たな血が、その腹部から噴出している。

『なぜ、一思いにやらない…。』
加持は、苦しそうに言った。

『おまえを、簡単に死なせたら、つまらないからな。』
『ゼーレの…エージェントらしくないな。』

『ふん!』
ユウジは、加持の傍まで歩み寄ると、その場にかがんだ。

『今ので、おまえはもう、助からない。
 死ぬ前に、ひとつだけ望みをかなえてやろう。』

『な…んだ?』
『暗殺者の、顔を見せてやろうというのさ。』

そう言うと、ユウジは帽子とサングラスを取った。

『この顔に、見覚えはないか。』
『さあ…、どこかで会ったかな。』

加持は目を細めた。
かろうじて焦点を結んだ目には、長髪の、やや目尻の下がった若い男が映っていた。

『おれが何故、わざわざおまえを、長く苦しめようとしているか、わかるか?』
『知るか…。 ただのサディストなんだろう。』

『復讐だよ、裏切り者へのな。 心当たりはないか。』
『…ありすぎて、困るな。』

『おまえが、最初に裏切った相手だよ。』
『さて、な…。』

『十五年前、軍の倉庫に食料を盗みに入ったおまえが捕まったとき、
 命惜しさにあっけなく、仲間の居所をしゃべっただろう。』

『!』
加持の目が、驚愕に見開かれる。

『おかげで、おれたちのアジトは軍に襲われ、皆殺しにあった。
 おれはそのとき、まだ十二歳だった。
 そのときの、苦しさ、悔しさがおまえにわかるか?』

『ユウジ…おまえ、ユウジなのか!』
『ほんとに、悔しかったぜ。実の兄貴に、裏切られるなんてよ。』

『生きて…いたのか。』
『まだ、息があったのを、軍の別の部隊に「回収」されたのさ。
 「一命をとりとめた子供は、従順な兵士になる」ってことでね。』

『そうか、生きていてくれたのか…。』

『おっと、おれに殺されるなら本望だ、なんて思っちゃいないだろうな。』
ユウジの眼が、嫌な光を帯びた。

『軍や、ゼーレの思惑と違って、おれはおまえに復讐するためだけに生きて
 きたのだからな。
 そうだ、ついでだから、教えてやろう。』

『…?』

『ゼーレや碇司令が、推し進めている【人類補完計画】の真相をだ。
 いろいろかぎまわっていたおまえだ、興味はあるだろう。』

『おまえは…、それを知る立場にあるのか。』

『おれには、おまえらには想像もできない情報ルートがあるのさ。
 ゼーレと碇司令が目指す【補完計画】は、目指すところは微妙に違うが、
 根幹は同じだ。
 それは、だな…。』

ユウジは、何事か告げた。
加持の目が、驚愕に見開かれる。

『…わかるか?
 どちらの計画も、人類の救済など目指しちゃいないのさ。』

『そんな…!
 それでは、シンジ君やアスカたちは、何のために…。』

『くっくっくっくっ…。 はっはっはっは…。』
ユウジの哄笑が響く。

『葛城…。』
加持は、絶望しながら、息を引き取った。
  ・
  ・
  ・
「死ぬ間際に、女の名前を呼ぶなんてよ!」
ユウジは嘲笑する。

「あんた!!」

ミサトは激昂した。
…ユウジの、計算どおりに。
そして、計算どおりに銃の引鉄を引いていた。

だが、計算が違ったことがあった。

素早い動きで、ユウジは屈んでいた。
ミサトの射撃を躱しながら、先程捨てた自分の銃を拾おうとしたのだった。
頭に血が上った女が相手なら、たやすいことだと思っていた。

だが、ミサトはユウジの動きを読んでいた。
過たずに、ユウジの胸を狙い撃っていた。

「ぐはっ!」
ユウジは後方に吹き飛び、そこにあった机に激突してくず折れた。




エヴァどうしの戦いは、ターミナルドグマの最下層の床への激突で、いっとき中断した
ものの、3機ともすぐに起き上がり、再開した。

相変わらず、2刀のプログナイフを操る零号機の動きは素早く、初号機と弐号機を全く
寄せ付けなかった。

「これが、カヲル君の真の力?」
シンジは戦慄を禁じえなかった。

「シンジ…。」
そこへ、アスカが呼びかけた。

「電源が、もうやばいわ。
 それに、カヲルのことも気になる。
 零号機は、あたしがなんとかするから、シンジは、カヲルを追って。」

「アスカ、何をするつもりなの。」

それには応えず、
「うおぉぉぉぉぉぉっ!」

雄叫びとともに、弐号機は零号機に向って突進する。
零号機がプログナイフをその胸に突きたてるのも構わずに、弐号機は零号機にしっかりと
組み付いた。

「ぬぅぅぅぅっ!!」
凄まじい激痛に耐えながらも、アスカは零号機を離さなかった。

「今よシンジ! カヲルを追うのよ!」
「アスカ、大丈夫なの?」

「くくっ…。大丈夫、電源が切れるまでの辛抱だから…。」
「わかった、ごめん!」
シンジは、ヘブンズドアの向こうに消えたはずの、カヲルを追った。




カヲルは、十字架に磔となった白い巨体を前に、茫然としていた。
「これは…リリス!」

宙に浮いたまま、リリスと同化することもできないでいた。

「そうか、そういうことか、リリン!」
カヲルは、自嘲するように笑った。
「このぼくを、謀(たばか)っていたのか。」

そのカヲルを、初号機が捉えた。
カヲルは、ATフィールドを展開することもせずに、されるがままに初号機にその身を
握られていた。

「カヲル君!」
「やあ、シンジ君。」

「どうして、君は…。」
「ぼくは、使徒だからね。」

「そんな…。」
「覚悟はできているよ。さあ、ぼくを消してくれ。」

「だめだ、ぼくにはできないよ。」
「ぼくが消えなければ、君たちが消えることになるんだよ。」

そう言うと、カヲルは天井を見上げた。
そこに、レイがいた。 今やっと、レイが追いついてきたところだった。

「君の言うとおりだったね。」
カヲルは、微笑んで言った。

レイは、カヲルと同じ高さまで降りてきて、宙に浮いたまま停まった。

「綾波!」
「………。」
レイは、無言でカヲルを見つめている。

「君とぼくとは、似ているけどそうではなかった。
 リリスと同化できるのは、君だけだ。
 その君が、リリスに還らないのは、リリンとして生きることを選んだからか…。」

「あなた、死ぬつもりなの?」
初めて、レイが口を開いた。

「そうするしか、ないようだね。
 いや、それでいいんだ。
 自分以外のものになって、生き続けるか、死を選ぶか_。
 ぼくにとっては、どちらでも同じだ、等価値なんだ。
 …それが、よくわかったよ。
 いずれ、君たちも、その選択を迫られるかも知れないけどね。」

「何をためらっている、シンジ!」
突然、ゲンドウの声が割り込んだ。

「早くそいつを殲滅しろ。
 さもないと、そいつの言うとおり、我々が滅びることになるぞ。」

ゲンドウの声には、いくぶん焦りが混じっていた。
何か、聞かれるとまずい内容が、カヲルの言葉の中にはあった様だ。

「父さんは、黙っててよ!」
シンジは叫ぶと、発令所との回線を切ってしまった。

「碇君。」
レイは、初号機を見上げて言った。

「また、ダミーシステムを起動されるわ。
 初号機は、拒絶しようとするでしょうけど、うまくいくとは限らない。
 碇君が、渚君の想いに応えようと思うのならば…。」

「わかってる…。わかってるよ、綾波。」
シンジは、固く目をつぶって言った。

10秒… 20秒… シンジの逡巡は続く。
だが、やがて右手のインダクションレバーが、力を込めて握られた。
初号機の足元のLCLに、ぼちゃり、と何かが落下する。

「碇君…。」
レイは、シンジに声をかけようとしたが、それ以上は何も言えなかった。
シンジは俯いたまま、その肩を震わせていた。




銃を向けたまま、ミサトは仰向けに倒れたままのユウジにゆっくりと近づいた。

「…これで、よかったのかもな。」
かすれた声で、ユウジは言った。

「さすがは、兄貴が選んだ女だ。 見事だったよ…。」

「ひとつ、教えて。」
ミサトは、用心しながら言った。

「どうして、私たちの前に現れたとき、偽名を使わなかったの。
 警戒されることは、わかっていたでしょうに。」

「ふっ。」
ユウジは、唇をゆがめて笑った。

「本名を言えば、必ずあんたが…接触してくると、思ったからさ。
 あんたは、おれの…ターゲット、だったからな…。」

「どうして、私が?」

「許せなかったのさ。
 おれたちを、裏切って、のうのうと生き延びた兄貴が、さらに好き勝手に組織を利用し、
 おまけに女まで、作っていることが。
 だから、兄貴に関わった人間…とりわけあんたを、殺してやろうと思った。」

「そんなことで!
 加持君は、いつだって、あなたのことを忘れたことはなかったのよ。
 セカンドインパクトの秘密をさぐろうとしたのも、それが、あなたを失った最大の
 原因だと思ったからで…。」

「もう、どうでもいいんだ、そんなことは…。」

ミサトは、ユウジの目が一瞬、加持と同じ優しい光を帯びた様な気がした。

「復讐を果たすまでの日々が…、おれにとっては至福のときだった…。
 兄貴は昔、おれにはとても、優しかったよ。
 もう、あの日には、戻れない、なんて…。」

そこで、ユウジは息を引き取った。

ミサトは銃を降ろすとつぶやいた。
「馬鹿よ、あんた…。」

その頬を、一筋の涙が伝った。




初号機は今、ケージに格納されてジェット水流による洗浄を受けていた。
その右手から、赤いものが洗い落とされている。

シンジはミサトとレイとともに、アンビリカルブリッジの上に立ってそれを眺めていた。
アスカがいないのは、零号機に組み付いたときのフィードバックで胸に傷を負ったため、
2〜3日は入院しなければならなくなったためである。

「ぼくは、父さんを許すつもりはありません…。」
固い声で、シンジはミサトに告げた。

「何が、許せないの。」

「綾波や母さんのこともそうだし、ダミーシステムのこともそうだ。
 今回のことだって、カヲル君とぼくたちは、共存できたかも知れないのに…。」

「渚君のことは、碇司令のせいではないわ。」
「でも、殲滅しろと言ったんですよ!」

「………。」
「父さんが、何をしようとしているのか、問いただしてみようと思います。」

「真実を知ることが、後悔につながらないとは限らないわよ。」

シンジは、レイに視線を移した。
レイは、黙って見つめ返す。

やがて、かぶりをふってシンジは言った。

「後悔は、しません!
 ぼくはもう、父さんの思い通りになるつもりはありませんから。」


                                完