ざ・ちぇんぢ? (前編)

 「あふぁ…」


 まどろみから覚めた祐巳は、ゆっくりと体を起こした。
 うすぼけた視界の中に広がる景色の違いに、自分が今どこにいて昨晩何をしていたかの記憶が徐々に呼び覚まさせられていく。
 祐巳は昨晩、聖の住むワンルームマンションにお泊りをしていた。
 久しぶりの土曜の晩のお泊りに二人とも大いに盛り上がって、聖の手料理を食べてTVを見て、お風呂に入ってそれからそれから夜通し口では言えないあれやらこれやらを……とにかくそうやって一晩を過ごした。
 聖は祐巳をなかなか寝かせてくれず、おかげで昨晩はあまり眠れなかったような気がする。

 「ふあぁ…」

 軽くあくびをして伸びをうった祐巳。その時、祐巳はおかしなことに気がついた。
 「あれ?」
 視界に入る自分の体が明らかにおかしい。
 両手両足が妙に長く、体全体が一回り大きくなったような感じだ。しかも、胸元に目をやるとそこには祐巳自身にはありえない大きさの胸がやや扇情的な下着に包まれてドンとそびえている。
 「な、何これ!」
 思わず祐巳は自分でその胸をつかんだ。

 ムニュ!

 胸をつかんだ感触とつかまれた感触が同時に伝わってきた。つまり、確かにこれは自分の胸で、これは夢ではないということだ。
 「わ、私、どうなってるの!?」
 あわてて祐巳はベッドから立ち上がって、部屋の隅に立っている姿見に自分の体を映す。

 そこに映っていたのは、下着の上にシャツを羽織っただけの、紛れも無い「佐藤聖」の姿だった。

 「な、なんじゃこらぁ〜!!」

 思わず叫んだ祐巳は半ばパニックに陥って、その場にへたり込んでしまった。

 (私がここにいて、でも鏡に映っているのは聖さまで、デモでも聖さまはここにいなくて、私がここにいて…)

 必死に今何が起こっているのか考えをまとめようとするが、全くまとまらない。
 さんざん体を自分の手で撫で回して、祐巳はようやく自分の意識が聖の体に移ってしまったことを認識し始めた。

 (じゃ、じゃあ聖さまはどこに…?)

 辺りを見回しても聖(というか祐巳の体)は見当たらない。
 ベッドの横には、祐巳が昨日着ていたパジャマが祐巳の荷物と一緒に畳んで置いてあった。つまり、聖は着替えてどこかに出かけている…?
 混乱したままの祐巳。その時、ふと脳裏に昨晩の聖との行為の後の寝物語が思い浮かんだ。


     *****


 「…前にも言ったけど、私は一度祐巳ちゃんになってみたいんだよね」
 「私みたいな平凡な女の子になってどうするんですか?」
 「いや、祐巳ちゃんは世界で一番抱き心地がいい女の子だよ。それは保障する」
 「それ、ほめてるんですか?」
 「もちろん。それに祐巳ちゃんは感度もいいし反応もいい。最高の女の子だよ」
 「…おだてたって何も出ませんよ」
 「まさか、正直な感想だよ。それにね、『佐藤聖』っていう人間にはちょっとしがらみが多すぎるんだよ。私が祐巳ちゃんになれたら、もっと思い切りいろんなことが出来るのになぁって思ってさ」
 「…そんなものでしょうか…?」
 「そうだよ」


     *****


 そんな会話があったのを覚えている。
 ひょっとして、聖さまは『福沢祐巳になった自分』を堪能するために自分をほっぽりだしてどこかに行ってしまったのだろうか。

 「と、とにかく聖さまを探して元に戻る方法を考えないと!」

 祐巳はあわてて適当な服を聖のクローゼットから引っ張り出して身に着けると、聖を探しに出かけた。


 実のところ聖を探すといっても、全く手がかりは無い。
 とりあえず祐巳はバスに乗ってM駅に向かった。大してお金を持っていなくてもふらふら出来そうなところがここくらいしか思いつかなかったからだ。駅前商店街でウインドウショッピングを楽しんでいる…そんな光景を祐巳は期待していた。
 バスを降りて駅ビルに入ると、聖を探すため祐巳は当ても無く歩き始めた。本当に聖がいるかどうか分からないけど、そうしないといてもたってもいられなかった。
 しかし、なかなか聖を見つけることは出来ない。
 あちらこちらをうろうろともう一時間近く動き回っただろうか。
 「そろそろ場所を変えたほうがいいのかな…」
 あきらめて別の場所を探そうと思ったその時、ふと目に入った喫茶店からツインテールの小柄な少女が出てくるのが見えた。

 (あれ、『私』だ!!)

 自分の姿を誰が見間違えようか。それは間違いなく『私』つまり聖の意識を持った祐巳の体だった。
 駆け寄って声を掛けようとした時、『私』の後ろを付いて出てくるおかっぱ頭の少女がちらりと目に入った。

 (あれは、乃梨子ちゃん?)

 後姿だが、それが志摩子の妹である二条乃梨子だということはすぐに判った。
 乃梨子は“私”に手を引かれながらおずおずと『私』の後を付いていく。その姿は、まるで志摩子に接しているときと同じ、いやそれ以上に親しく見えた。
 歩いていた二人は立ち止まって二言三言会話を交わす。その後『私』は親しげに乃梨子の肩に手を回した。

 その瞬間、祐巳の中から怒りが噴出した。

 「聖さまぁ〜〜!!!」

 虚空から取り出されたハリセンが唸りを上げて振り下ろされる。それは祐巳の声に振り向いた祐巳ボディの聖の眉間にダイレクトヒットした。

 スパ〜〜〜ン!!

 いい音があたりに響く。『私』は堪らずもんどりうって倒れた。
 「え? え?」
 隣に立っていた乃梨子は、いったい何が起こったのかわからず呆然とした。
 「えっと、あなたは志摩子さんのお姉さまの佐藤…聖さんですよね…いきなり何を…」
 乃梨子はひっくり返って気絶している「祐巳」とハアハアと肩で息をしている「聖」をきょろきょろと見比べている。その声を聞いて、はっと祐巳は我に返った。
 「やあ! 乃梨子ちゃん! それでは、ごきげんよう!!」
 白々しく挨拶をすると祐巳は自分の体を抱き上げて一目散に遁走する。
 「いったい…何だったの…」
 後には、ただただ呆然とする乃梨子だけが残された。



 「いったい何やってたんですか!!」
 「いや、せっかく祐巳ちゃんになったんだから、いろいろ楽しもうと…」
 「そんなことしてる場合じゃないですよ! 大体この状況を聖さまはなんとも思わないんですか!」
 「もちろん気にしてるよ? だけど、なっちゃったものはどうしようもないでしょ…」
 「聖さま!!」

 駅ビルから一目散に遁走した祐巳は、気絶した聖をタクシーに押し込むと聖のマンションに向かった。そして、部屋に担ぎ込んでようやく目が覚めた聖を祐巳は今問い詰めている最中である。
 自分を自分で問い詰めるという奇妙な感覚の中、祐巳は必死だった。

 「そもそも、一体どうしてこんなことになったんだろうとか、どうすれば元に戻るんだろうとか、聖さまは考えないんですか!」
 「そんなの簡単だよ。それは、私が願ったことだから」
 「へ?」
 「いやさ、昨日の晩祐巳ちゃんを抱きながら『もしこの体と入れ替われたらいいだろうなー』って思ってたわけよ。そしたら、それがあっさりかなっちゃったわけ」
 「そ、そんな安直な!」
 「だからさ」
 聖は祐巳の意識が入った自分の体に手を伸ばして両肩をつかんだ。
 「戻りたければ、たぶん昨日と同じことをすればいいだけだよ」
 そういい終わると、聖は肩に伸ばした手に力をこめて祐巳を一気に押し倒した。
 「せ、聖さま?」
 「自分の体を押し倒すなんて、自慰みたいでなんだか恥ずかしいね」
 「え…」
 「では、いただきます」
 「聖さま〜〜!!」

 祐巳の叫びは、空しくマンションの防音壁に吸い込まれていった。



 あれやこれやがあって月曜日の朝。
 「よかった…間違いなく自分の体だ…」
 目覚めて自分の姿を鏡で見た祐巳は、心底ほっとして胸をなでおろした。
 自分の体を自分で動かすというごく当たり前の行為を神様に感謝しながら、祐巳は制服に着替える。
 「いってきま〜す」
 家を出るその足取りが、今日の祐巳にはとても軽く感じられた。

 いつものように校門をくぐり、いつものように銀杏並木を歩く。それは祐巳にとって何気ない日常の始まりのはずだった。
 校舎に向かって歩みを進める祐巳。その時、マリア様の前の二股の分かれ道で、他の生徒と比べてひときわ身長の高い黒髪の女の子が歩いているのが見えた。

 「あっ、可南子ちゃん」
 顔を見なくても、それが“6フィート嬢”細川可南子であることは判る。祐巳は駆け寄って可南子に声を掛けた。
 「可南子ちゃん、おはよう」
 その声に振り向いた可南子。しかし、祐巳の顔を見たとたんその表情は険しくなった。
 「祐巳さま! 私は祐巳さまに失望いたしました!!」
 「へ?」祐巳には、可南子がいったい何を言っているのかさっぱり判らない。
 「祐巳さまがあんな破廉恥なお方だったなんて……私、祐巳さまはもっと気高く美しい、天使のようなお方だと思っておりましたのに!」
 「ちょ、ちょっとちょっと…」
 「失礼します!」
 一方的にまくし立てた可南子は、祐巳の言葉も聞かずあっという間に走り去ってしまった。
 「か、可南子ちゃん!!」
 祐巳はあわてて後を追ったが、可南子の足は速く、すぐに見失ってしまった。
 「いったいどうしたんだろう、可南子ちゃん…」
 可南子を探そうと祐巳は一年生の教室のほうに歩いていく。その時、特徴的な縦ロールの髪型の小柄な少女―松平瞳子―がこちらに歩いてくるのが見えた。
 「あ、瞳子ちゃん」
 「祐巳さま…」
 祐巳を見た瞳子は、なぜか一瞬顔を伏せた。
 「可南子ちゃんを見なかった? 探してるんだけど―」
 「祐巳さま!」
 顔を上げた瞳子は、祐巳に向かって叫んだ。
 「は、はい!?」
 「私は祐巳さまを軽蔑します!」
 「え?」
 「私は、私は確かに祐巳さまが私と仲よくなろうといろんなことを考えているのは存じています。でも、まさかあんなことまでなさるなんて…!」
 「え? え?」
 「失礼します!」
 そう叫ぶと、瞳子はきびすを返して立ち去った。その目じりにはわずかに涙が光っていたように見えた。

 「……マジ泣き?」

 呆然と立ち尽くす祐巳の口から、なぜかそんな言葉がこぼれた。