超人機エヴァンゲリオン

第12話

奇跡の価値は

 15年前、西暦2000年。
 月面からも確認できるほどの巨大な輝きが地球の南極に現れた。
 「あれは…。」

 風が唸り、雪煙が舞う。その中を血に塗れた何者かが誰かを抱きかかえて歩いてゆく。
 血に染まった手が伸び、レバーを掴んで引く。脱出用カプセルのハッチが開いた。
 崩れかけていた屋根が突風で吹き飛んだ。その屋根の鉄骨越しに何やら光を纏った巨人?が動いている。
 脱出用カプセルに横たえられたのは、胸に十字架のペンダントを架けた少女だった。
 少女も負傷しているらしく、腹部が赤く染まっている。と、その少女の頬に血が一滴、落ちた。
 少女ははっと気付き、上を見上げて呟いた。
 「お父さん…?」
 が、すぐにカプセルのハッチは閉じられた。少女に父と呼ばれた男はついに力尽きて、カプセルを守るかのように覆いかぶさって息絶えた。
 その直後、強大な衝撃波が起こり、全てを吹き飛ばした。

 南極全体を覆う、台風のような雲。その中心部から天空に伸びて広がる光の羽。それはまるで悪魔の物のように凶々しく、ゆっくりと羽ばたくように動いている。その高さが成層圏にまで達する頃には、南極大陸は上にあった大氷原諸共完全に融解し、南極海は真っ赤に染まっていた。

 海面を漂流する脱出カプセルのハッチが開いた。その中から胸を押さえながらよろよろと立ち上がった少女。彼女に見えているのは、水平線の彼方から雲の渦の中へ立ち上っている二本の光の柱。
 吹きすさぶ風の中、彼女は身じろぎもせず、呆然とその光景を見ている。
 胸に架けた十字のペンダントが光を反射して鈍く光った。
 そこにある全ての現実が悪夢そのもの、まさに現実の地獄だった。
 それが、後の人々にセカンド・インパクトと呼ばれる事になるカタストロフィだった。


 15年後、西暦2015年。
 セカンド・インパクトのカタストロフィの中でたった一人生き残った少女は、特務機関ネルフの作戦部長になっていた。
 鏡の前で身支度を整えるミサト。その胸には15年前に受けた傷が今なお残っていた。
 窓の外は雨が降っており、時折雷鳴が轟いている。その雷光を反射してフォルムをくっきりとさせる、父の形見の十字架のペンダント。

 放課後、突然の雨に見舞われたトウジとケンスケは雨宿りの為に葛城邸に立ち寄った。
 「はい、タオル。」
 「済まんのう、シンジ。」
 「いいって。」
 「ミサトさんは?」
 「まだ寝てんのかな?最近、徹夜の仕事が多いんだ。」
 「大変な仕事やからな。」
 「ミサトさんを起こさないように、静かにしてようぜ、静かに。」
 と、トウジとケンスケがミサトを思いやったのに。
 「ああ〜っ!あんた達、何してんのよ!」
 アスカがいきなりカーテンの間から顔を出して叫んだ。
 「雨宿り。」
 「はんっ、私目当てなんじゃないの?着替えてんだから、見たら殺すわよっ!」
 勝手に言いたい事だけ言ってカーテンの向こうに消えたアスカにむかつくトウジとケンスケ。
 「戯けがっ!誰がお前の裸なんか見たいっちゅーんや!」
 「ホント、自意識過剰な女。」
 と、襖が開いてきりっとしたミサトが現れた。
 「あら〜、賑やかねぇ〜。」
 「どうも、上がらせて貰うてます。」
 「あっ!どうも、この度はご昇進おめでとうございます!」
 ケンスケは眼鏡をちゃんと架け直して何かを再確認していきなり祝いの言葉を述べた。
 「お、おめでとうございます。」
 トウジは何だか良くわからないが、一応ケンスケに調子を合わせた方がいいと瞬時に判断して続けた。
 「あ、ありがと。」
 何故かミサトは少し困った顔。
 「今夜のハーモニクスのテスト、遅れない様にね。」
 「はい。」
 「アスカもわかってるわね?」
 「はぁ〜い。」
 「それじゃ、行ってくるわね。」
 「行ってらっしゃーい。」
 シンジとアスカに今夜の予定の事を再確認してミサトは出かけて行った。
 「どうしたの?ミサトさんに何か有ったの?」
 「ミサトさんの襟章だよ。線が2本になっている。一尉から三佐に昇進したんだ!」
 「そんなの気付くの、ケンスケだけや。」
 「へ〜、知らなかった。いつの間に…。」
 「本気で言ってるのか?あぁ〜、情けないなぁ〜!君達には人を思いやる気持ちという物が無いのか?あの若さで中学生2人を預かるなんて大変な事だぞ?」
 右手で顔を覆い、大げさに首を振りながら力説するケンスケ。
 「ホンマや。ワシらだけやな、人の心を持っているのは。」
 隣ではトウジが腕撫して調子よく頷いていた。

 その夜、ネルフ本部の実験室でハーモニクスのテストが行われている。
 LCLに浸かった3本のテスト・プラグの中に、シンジ、レイ、アスカがいる。
 「0番、2番、共に汚染区域に隣接。限界です。」
 警告音と共にマヤの報告が入った。
 「1番には余裕があるわね。あとグラフ深度を0.3下げてみて。」
 リツコの指示でシンジだけが更に少しだけテスト・プラグ下方に潜った。
 警告音とともにシンジの顔が少し歪む。
 「1番、汚染区域ギリギリです。」
 「それでこの数値?大した物だわ。」
 「ハーモニクス、シンクロ率もアスカに迫ってますね。」
 「これも才能と言うのかしら?」
 リツコはシンジの数値の目覚しい向上率に目を輝かせる。
 「まさにEVAに乗る為に生まれてきた様なコですね。」
 マヤも同調した。だが。
 「本人が望んでいなくてもね。きっとあのコは嬉しくないわよ。」
 ミサトはあまり嬉しくなさそうだった。

 実験が終了した。
 「シンジ君、よくやったわ。」
 いきなりリツコに誉められ、シンジは戸惑う。
 「何がですか?」
 「ハーモニクスが前回より8も伸びているわ。大した数字よ。」
 が、横からアスカが口をはさんだ。
 「でも、私より50も低いじゃない。」
 「あら、10日で8よ。大したものだわ。」
 「大した事無いわよっ!」
 ムキになるアスカ。
 「良かったわね、おホメの言葉を頂いて。」
 「何怒ってるの?アスカの方が高い数値なのに。」
 「ふんっ!先に帰るわっ!」

 シンジはミサトと共に帰路に着いた。
 「あ、そうだ、ミサトさん、昇進したんですよね。おめでとうございます。」
 夕方のケンスケの指摘を思い出してシンジはミサトに祝いの言葉を言った。
 「ありがと。でも、正直あまり嬉しい訳じゃないのよね。」
 シンジに本音を漏らすミサト。
 「あ、そうなんですか…僕も、さっきは…何か、別に嬉しいとかは思わなかった…誉められる理由がわからなかったから…。」
 シンジも、先程リツコに誉められた際の本音をミサトに漏らした。
 「ミサトさんが昇進したのは、それまでのミサトさんの功績が認められたって事でしょう?誉められる理由が有りますよ…でも、嬉しくないんですか?」
 「…うん…。」
 ミサトは力なく答えた。
 「…ミサトさんは…何故ネルフに入ったんですか?ネルフに入って何かしたかった事とかあったんじゃ…。」
 「昔の事だから、忘れちゃった。」
 ミサトは笑顔で誤魔化した。
 「そうですか………アスカ…何で怒ってたのかな?」
 「気になる?」
 「だって、僕よりずっと高い数値だったんですよ?」
 シンジはアスカがプライドだけを支えに生きてきた事等知る由も無い。だが、アスカの生い立ちの事を知っているミサトにはアスカの気持ちもわからないではない。
 「そうね…シンジくんも、いつかはアスカの気持ちがわかるようになるわ。」


 次の夜、ミサトの昇進パーティが行われた。
 葛城邸の玄関の扉にはへたくそな字で『御昇進おめでとう!祝賀会場(本日貸し切り)』と書かれた紙が後から来る者の為に張られている。
 「葛城さん、昇進おめでとうございます。」
 「おめでとうございまぁぁ〜す!」
 クミの音頭で全員がミサトを祝福して乾杯した。乾杯と言っても、それはジュースによるもので、大人の特権でビールを飲めるのはミサトただ一人のみ。
 「みんな、ありがとう♪真辺さん、ありがとう♪」
 ミサトはラフな格好でケンスケお手製の『祝・3佐昇進』のたすきを肩にかけている。
 「あ、いえ、言いだしっぺはこの相田です。」
 「そう!企画立案はこの相田ケンスケ!相田ケンスケです!」
 クミから紹介され、一人席を立って喜々と演説するケンスケ。
 出席者は主賓のミサトは勿論、企画立案のケンスケ、トウジ、シンジ、アスカ、ヒカリ、そしてクミ。
 「レイは?」
 「ちゃんと誘ったわよ。でもあのコ、付き合い悪いのよね。」
 ミサトの疑問にアスカは不機嫌そうに答えてジュースを一口。
 「ま、焼肉パーティじゃ、来る筈無いわよ。」
 レイの代わりに誘われてやって来たクミがしたり顔で答えた。今日は艶やかなカーマイン・レッドのブラウスと黒のロング・スカートで御洒落にきめていた。
 「何でですか?」
 「彼女、肉嫌いなんだって。」
 「ところで、アスカ。その加持さんってホントにかっこいいの?」
 ヒカリはちらちらとトウジを盗み見しながらアスカに訊く。
 「そりゃーもう、ここにいる男達に較べたら、月とカメムシね。」
 「それを言うなら月とスッポンだよ。」
 シンジがアスカの間違いを指摘する。どうやらアスカは諺が苦手のようだ。
 「う、うるさいわね!いいの、鈴原がカメムシで!相田がアブラムシで!シンジはテントウムシ!」
 「なんやとぉっ!この自意識過剰の性格ブスがっ!」
 「な、なんですってえぇ〜っ。」
 「ちょっと、あんた達。喧嘩するなら表でやりなさい、表で。」
 ミサトは主賓なので、一番年長者のクミが代わりに二人を諌めようとした。
 まさに一触即発という時に、来訪者がチャイムを鳴らして入ってきた。
 「よっ。」
 加持が遅れてやって来た。
 「加持さぁ〜ん。」
 途端にトウジを睨みつけていたアスカは笑顔になる。が、加持に続いてリツコも入ってくると、ちょっとムッとする。
 「途中で一緒になったのよ。」
 「怪しぃわねぇ。」
 何故かハモるアスカとミサト。
 「いや、この度は昇進おめでとうございます。もう、タメ口きけなくなっちゃったな。」
 加持が真面目な顔で祝いの言葉を述べた後、すぐに砕けた表情に戻ってジョークを言う。
 「なーに言ってんだか。」
 ミサトはそう言ってビールを開けた。
 「えーと、加持さんはジュースにしますか?この前の葛城さんのレバー・ブローはきつかったでしょう?」
 「うっ、いや、もう大丈夫だ。」
 クミは空母での惨劇を振り返って加持を労わったが、それにミサトとアスカが反応する。
 「真辺先輩。それって何の事ですか?」
 「このバカが真辺さんにちょっかい出そうとしてたのよ。」
 「おいおい、それは誤解だよ。」
 「加持さん、どうしてっ!?私のほうが若いのにっ!?」
 「あ、そうだ!真辺さん、あの時、加持と一緒に帰ったわよね?」
 ミサトはクミが加持と一緒の戦闘機で帰っていった事を思い出した。
 「ええ。あんなに一杯戦闘機があるから、一度乗ってみたいと思って。それで加持さんにお願いしたんです。」
 「それだけ!?他に何もされなかった!?」
 「ええ。何心配してるんですか?こちらのお兄さんは紳士ですよ。」
 「そうだよ。心外だな。」
 「真辺先輩、ずるぅーい!加持さんと二人っきりで…。」
 「へっ、いい気味や。惣流は手頃なシンジとくっつけばいいんや。」
 シンジは思わずジュースを噴出した。
 「と、トウジ!いきなり何言ってんだよ!」
 「おや?顔が赤いぞ、シンジ。」
 「う、うるさいな!」

 葛城邸で楽しいパーティが行われている頃、南極を進む旗艦空母の展望室にゲンドウと冬月の姿があった。
 「いかなる生命の存在も許さない死の世界、南極…。」
 真っ赤な海面と、そこから突き出た無数の塩の柱。かつて南極大陸と呼ばれたその地帯には、生物の影すら見えない。
 「だが、我々はここに立っている。生物として、生きたままだ。」
 死の海を進む艦隊。二人のいる空母の甲板上にはシートで覆われた巨大な棒状の物がワイヤで固定されている。その周りには7隻の重巡洋艦が護衛についている。
 「科学の力で守られているからな。」
 「科学は、人の力だよ。」
 「その傲慢が15年前の悲劇、セカンド・インパクトを引き起こしたのだ。」
 冬月は皮肉混じりに言い、周囲を見渡す。
 「結果、この有様だ。与えられた罰にしてはあまりに大きすぎる。まさに死海そのものだよ。」
 「だが、原罪の穢れなき、浄化された世界だ。」
 「俺は、罪に塗れても、人が生きている世界を望むよ。」


 その物体は突如としてインド洋上の衛星軌道に出現した。シュールレアリズムのような異形であり、シンメトリックなフォルムを持つ[使徒]。
 発令所の面々も息を飲んだ。
 サーチ衛星が近づくが、[使徒]はATフィールドの力場を利用してそれらを破壊した。
 と、[使徒]の一部が分離して落下していった。それはポテンシャル・エネルギーも利用した凄まじい破壊力の爆弾そのものだった。
 「取りあえず、初弾はインド洋に大外れ。で、2時間後は南シナ海、あとは確実に誤差修正しているわ。」
 着弾位置は何かを目指しているかのようにその中心点が直線で結ばれる。そしてその直線の延長上には第三新東京市が…。
 「学習しているって事か…。」
 顎に手を当て、唸るミサト。
 「N2航空爆雷も効果有りません。」
 [使徒]に対し、N2航空爆雷が使用された様子が主モニターに映るが効果は見られない。
 「以後、使徒の消息は不明です。」
 書類を見ながら青葉が報告する。
 「…来るわね、多分。」
 「次は、ここに本体ごとね。」
 「その時は第三芦ノ湖の誕生かしら?」
 「富士五湖が1つになって、太平洋とつながるわ。…本部ごとね。」
 不敵に笑うミサトとリツコ。
 「青葉君、碇司令は?」
 「使徒の放つ強力なジャミングの為、連絡不能です。」
 「日向君、使徒の到着予定時刻は?」
 「今までの経緯から予想すると、本日11:00です。」
 「マヤちゃん、MAGIの判断は?」
 「全会一致で撤退を推奨をしています。」
 考え込むミサト。
 「どうするの?今の責任者は貴女よ?」
 リツコはコーヒーを一口飲んでミサトを促す。
 「日本政府各省に通達。07:00をもってネルフ権限における特別宣言D−17発令。半径50キロ以内の全市民は避難。松代には、MAGIのバック・アップを頼んで。」
 「ここを放棄するんですか?」
 D−17の意味を理解する日向が驚くが、ミサトは淡々と落ち着いた感じで答えた。
 「いいえ…。ただ、みんなで危ない橋を渡る事はないというだけ。」

 特別宣言D−17が発令され、第三新東京市の住民の避難が始まった。
 軍の大型ヘリコプターも移送に使用される。
 第三新東京市の主要道路は全線下りだけになり、避難する市民の車で大渋滞。
 第三新東京市からの電車も同様に全て下りだけとなり、全て乗車率200%の大混雑。
 地上のビルも次々と地下に収容されて行き、やがて第三新東京市から音が消え、静まり返った。
 『市内における避難は全て完了。』
 『部内警報Cによる、非戦闘員及びD級勤務者の待避完了しました。』

 「やるの?本気で…。」
 「ええ、そうよ。」
 女子トイレの洗面台に少し離れて並ぶリツコとミサトだが、お互いに顔は合わせず鏡を見ている。
 「貴女の勝手な判断で、EVAを3機とも捨てる気?勝算は0.000001%…万に一つも無いのよ?」
 リツコがミサトに絡む。
 「ゼロでは無いわ。EVAに賭けるだけよ。」
 「葛城三佐!」
 リツコは憤りを感じ、ミサトに向き直る。
 「現責任者は私です!」
 ミサトも声を張り上げ、視線だけをリツコに向ける。
 「やる事はやっときたいの。使徒殲滅は私の仕事です。」
 「仕事?笑わせるわね。自分の為でしょ?貴女の使徒への復讐は…。」
 ミサトは何も答えなかった。

 「このままだと、この街に落ちるわね。」
 公園の中に天空を見つめて独り言を吐くクミがいた。



EXTRA HUMANOIDELIC MACHINARY EVANGELION

EPISODE:12 She said,“Don't make others suffer
                          for your personal hatred.”



 「ええぇぇ〜っ!?手で受けとめるぅぅ〜〜っ!?」
 ミサトの作戦内容を聞くなり、アスカは吃驚仰天。
 「そう、落下予測地点にEVAを配置。ATフィールド最大で、あなた達が直接、使徒を受けとめるのよ。」
 なんという無茶な作戦。
 「使徒が大きくコースを外れたら?」
 「その時はアウト。」
 不安顔のシンジ。
 「機体が衝撃が耐えられなかったら?」
 「その時もアウトね。」
 不満が眉間の皺に現れているアスカ。
 「勝算は?」
 「神のみぞ知る…と言ったところかしら?」
 いつもの無表情のレイ。
 「これで上手くいったら奇跡だわっ!!」
 アスカは無茶を言い出したミサトのあまりの冷静さに立腹。
 「奇跡ってのは起こしてこそ、初めて価値が出るものよ。」
 それでも、ミサトは冷静にアスカの言葉を切り返す。
 「つまり、何とかして見せろって事?」
 「済まないけど…。他に方法が無いの、この作戦は。」
 「作戦と言えるのっ!?これがっ!?」
 激昂するアスカだが、ミサトの険しい顔がフッと優しい顔に変わる。
 「本当、言えないわね…。だから、嫌なら辞退できるわ。」
 誰も何も言わず黙り込む。辞退できると言われても、三人が辞退できる筈が無い。
 レイはシンジを守る為にEVAに乗っている。
 アスカはEVAのパイロットであるというプライドが唯一の心の支えだ。
 そして、シンジはEVAに乗る事が父との和解に繋がると信じている。
 「………みんな、良いのね?」
 三人とも、言葉に出さずに大きく頷いた。
 「一応、規則だと遺書を書く事になってるけど…どうする?」
 「別にいいわ。そんなつもりないもん。」
 「私もいい…。必要無いもの。」
 「僕もいいです」
 「済まないわね。…終わったら、みんなにステーキ奢るからね。」
 「ホント!?」
 「うわぁ〜い!」
 「期待してて。」
 ミサトは踵を返してブリーフィング・ルームを出て行った。
 「…ご馳走と言えば、ステーキで決まりか…。」
 白々しく喜んだかと思ったら今度は皮肉を漏らすシンジ。
 「今時の中学生がステーキぐらいで喜ぶと思ってんのかしら?これだからセカンド・インパクト世代はやなのよね、貧乏くさくって。」
 アスカも呆れ返る。
 「そりゃ、仕方ないよ。」
 「シンジこそ何よ、うわぁ〜いなんて喜んだ声出しちゃってさ。」
 「でも、それでミサトさんが気分良く命令出せるんなら、いいじゃないか。」
 「さ〜て、どこに行こうかな〜?」
 カバンからグルメガイドを取り出して店をチェックするアスカ。
 「ファースト、今度はあんたも来なさいよ。」
 ミサトの出費を増やしてやろうと画策するアスカ。自分達の生活費もミサトが稼いでいる事はすっかり忘れているようだ。だが、レイは…。
 「嫌よ。私、肉嫌いだもの。」
 すぐさま却下した。
 「…真辺先輩の言ったとおりだ…。」

 作戦開始3時間前。
 プラグ・スーツに着替えたシンジ達は、作戦の最終確認の為に発令所に集合した。
 『電波攪乱の為、目標消失。』
 「正確な位置の測定はできないけど、ロスト直前までのデータからMAGIが算出した落下予想地点がこれよ。」
 主モニターが切り替わり地図が映るが、第三新東京市は勿論の事、その1周りいや2周り近い所まで赤く表示されている。
 「こんなに範囲が広いの?」
 「端っこまで随分有りますよ…。」
 とてもEVA3機でカバーできる範囲ではなく、茫然とするシンジとアスカ。
 リツコがそのデータの根拠を説明する。
 「目標のATフィールドを持ってすれば、その何処に落ちても本部を根こそぎえぐる事ができるわ。」
 「よって、EVA全機をこれら3ヶ所に配置します。」
 ミサトが言うと、第三新東京市を円で囲み、その円周に内接した正三角形の各頂点に1機ずつ置くことで地図の赤い部分が全て青に変わった。
 「この配置の根拠は?」
 「勘よっ!」
 「かん〜?」
 レイの質問にミサトは堂々と答えるが、シンジとアスカは意味がわからず訊き直す。
 「そう!女の勘っ!」
 自信満々に胸を張るミサト。
 「何たるアバウト…。ますます奇跡ってのが遠くなっていくイメージね…。」
 「ミサトさんってクジで当たった事無いんだ…。」
 「げぇぇ〜…。」
 シンジとアスカは早くも先行き不安を感じていた。

 三人は出撃の為にケージへ向かった。エレベーターの中、流石に緊張しているのか誰も喋らない。
 これで死ぬかもしれない…シンジは前にもそう思った事があるのを思い出した。デジャビューではない。二子山決戦の時だ。あの時、シンジはレイに何故EVAに乗っているのかを訊いた。だから、今度はアスカにも訊いてみる事にした。
 「ねえ、アスカは何故EVAに乗ってるの?」
 「決まってんじゃない。自分の才能を世の中に示す為よ。」
 「自分の存在を?」
 「ま、似たようなもんね。…あのコには訊かないの?」
 アスカは視線をレイに向ける。
 「綾波には、前に訊いた事があるんだ。」
 「ふーん、仲のおよろしい事。」
 「そ、そんなんじゃないよ。」
 アスカの冷やかしにシンジは慌てる。
 「シンジこそどうなのよ?」
 「僕?…何でだろう…。」
 「何でだろうって…あんた、もしかしたら人に言われてただ乗ってるんじゃないの?」
 「いろいろあるんだ…最初は父さんに言われて…それから、綾波が可哀想で…中途半端になるのが嫌で…みんなを守ろうと思って…だから、よくわからないんだ。アスカみたいにこれだ!っていう理由は…。」
 エレベーターは停止した。
 奇跡を起こす為、わずか0.000001%の勝算しかない作戦がもうすぐ実行されようとしていた。

 「みんなも待避して、ここは私1人で良いから。」
 落下予測時間まであと120分と迫り、ミサトは発令所のオペレーター達にも避難勧告を出した。
 「いえ、これも仕事ですから。」
 「子供達だけ危ない目に遭わせられないっスよ。」
 日向も青葉もそう言って笑顔を見せた。
 「あのコ達は大丈夫。もしEVAが大破しても、ATフィールドが守ってくれるわ。EVAの中が一番安全なのよ」
 EVAの中で目を閉じ、リラックスしてその時を待つレイ、アスカ。だが、シンジは…。

 シンジくん…昨日、訊いてたわよね、私が何故ネルフに入ったのか。
 昨日の夕刻、ミサトは己の心をシンジに打ち明けてくれた。
 私の父はね、自分の研究、夢の中に生きる人だったわ。そんな父を許せなかった。憎んでさえいたわ。
 “僕の父さんと同じだ…。”
 母や私、家族の事等構ってくれなかった。周りの人は繊細な人だと言っていたわ。でも、本当は心の弱い、私達家族という現実から逃げてばかりの人だったのよ。
 それを聞いたシンジの脳裏には、物心つくかつかない頃の記憶が浮かんでいた。
 泣いている自分を預け先に置き去りにして小さくなってゆくゲンドウの背中…。
 子供みたいな人だったわ。母が父と別れた時も、すぐ賛成したわ。母はいつも泣いてばかりいたもの。父はショックみたいだったけど、その時自業自得だと私は笑ったわ。けど、最後は私の身代わりになって…死んだの。セカンド・インパクトの時に…。私にはわからなくなったわ。父を憎んでいたのか、好きだったのか…。でも、ただ1つ、はっきりとしているのは…セカンド・インパクトを起こした使徒を倒す、その為にネルフへ入った、という事…。結局、私はただ父の復讐を果たしたいだけなのかもしれない…。父の呪縛から逃れる為に…。
 “ミサトさんも僕と同じだったのかもしれない…お父さんに冷たくされて…憎んで…だから、僕の事を…。”

 「目標を最大望遠で確認!距離およそ2万5千!」
 「おいでなすったわね…EVA全機スタート準備!」
 「MAGIによる落下予想地点はエリアB−2です!」
 EVA初号機が一番近い。
 「肉眼で捉えるまでとりあえず走って!あとはあなた達に任せるわ!」
 「外部電源パージ!」
 「スタート!」
 ミサトの号令でEVA弐号機、EVA零号機が猛然と走り出した。だが、EVA初号機は動かない。
 「シンジくん!?何故スタートしないの!?」
 はっとシンジは気づいた。
 “しまった!”
 EVA初号機も猛然と走り出した。
 「距離、あと9000!」
 “くそっ、間に合えっ!”
 EVA初号機の走る速度が更に上がった。
 [使徒]は猛烈な速度で降下してくる。その衝撃と熱で雲が瞬時に結合を破壊されて消滅した。
 「来ます!あと2000!!」
 “間に合って!!”
 ミサト達が祈る。
 そして、EVA初号機が最初に落下地点に到達した。
 「フィールド、全開!!」
 EVA初号機のATフィールドが膨れ上がり、その衝撃波が周囲の土砂を吹き飛ばす。
 ついに[使徒]がEVA初号機の上に落ちてきた!それを両手で受け止めるEVA初号機。
 「う、受け止めた!!」
 だが、[使徒]の圧力に、地盤に皹が入り、EVA初号機がバランスを崩しかけた。
 「アスカ!レイ!急いでっ!」
 言われるまでも無く、二人ともシンジの元へ全力で向かっていた。
 「弐号機!フィールド全開に!」
 「やってるわよっ!」
 ATフィールドを全開にしたEVA零号機とEVA弐号機がようやく駆けつけてきた。
 3機のEVAが[使徒]を支え、少し持ち上げた。だが、一番最初に駆けつけたEVA初号機の両腕が耐え切れず、筋肉が破壊され、体液が噴出した。
 「うっ…ぐっ…。」
 [使徒]の圧力は弱まらない。
 EVA零号機、EVA弐号機の足元の地盤にも皹が入った。
 「みんな!がんばって!!」
 ミサトが思わず声援を飛ばした。
 “そうよ。みんなは強いのよ。協力すれば、必ず勝てるわ。”
 「!」
 「!」
 「!」
 シンジ、レイ、アスカ、三人の脳裏に何者かの声援が届いた。
 3機のEVAのATフィールドが共鳴した。
 再び[使徒]の身体が持ち上げられる。
 「綾波っ!今だっ!」
 EVA零号機がプログ・ナイフを[使徒]のATフィールドに突き立て、切り裂いて広げた。
 「このぉぉぉっ!」
 EVA弐号機のプログ・ナイフが[使徒]の赤い目玉に突き刺さった。
 [使徒]のATフィールドが消滅した。
 [使徒]は力なく3機のEVAの上に覆い被さり、一瞬の沈黙の後、爆発した。
 危機は去った。ミサトは0.000001%の勝算に賭けて勝ったのだ。
 奇跡は起こった―――価値ある奇跡が…。
 しかし、ミサトは知らない。勝利は自分達の力だけで掴んだ訳ではなかった事を…。

 EVAから降りたシンジ達がシャワーも浴びてさっぱりして発令所に戻ってきた。
 レイは特に変化無く、いつもの無表情。
 シンジはちょっと緊張気味。
 アスカは喜色満面の笑みを浮かべている。
 それを出迎えたミサトも静かな微笑を見せている。
 「三人ともご苦労様。」
 「電波システム回復。南極の碇司令から通信が入ってます。」
 微笑んでいたミサトは、青葉の報告に真面目な顔つきに変わる。
 「お繋ぎして…。」
 通信ウインドウが開くが、映像は無く『音声 SOUND ONLY』の文字が代わりに映っていた。
 「申し訳有りません。私の勝手な判断で、EVA初号機を破損してしまいました。責任は全て、私に有ります。」
 独断とその結果を詫びるミサト。
 『構わん。使徒殲滅がEVAの使命だ。その程度の被害は、むしろ幸運と言える。』
 冬月がミサトの懲戒無しを宣言してくれた。
 『ああ、良くやってくれた。葛城三佐。』
 全く気にした様子も無く、労いの言葉をかけるゲンドウ。
 「ありがとうございます。」
 「ところで初号機パイロットはそこにいるか?」
 「あ…はい。」
 「話は聞いた。よくやったな、シンジ。」
 「え?…は、はい。」
 シンジは何を言われたのか、咄嗟に理解できなかった。
 思いがけない出来事に呆然とするシンジは声も出せない。
 「では、葛城三佐、後はよろしく頼む。以上だ。」
 通信は終了した。
 「ちぇー、なんでシンジだけお褒めの言葉が貰えるの?私だって頑張ったのに。」
 アスカがシンジをジト目で睨むが、シンジはまだ呆然状態。
 「シンジ、あんた何固まってんの?」
 「え?な、何?」
 はっと我に返るシンジ。リツコが声を掛けた。
 「シンジ君、よかったわね。お父さんからお褒めの言葉を貰って。」
 「そうか…父さん…僕を誉めてくれたのか…。」
 そんなシンジにアスカは思わず疑問を口にしていた。
 「…シンジって、ファザコン?」
 「ち、違うよ!何をいきなり…何、綾波?」
 レイはシンジの肩を突付いて訊いた。
 「ファザコンって、何?」

 夜…。
 第三新東京市は避難警報が解除され、主要道路は全線上りに変更、帰ってくる車でまたも大渋滞。
 地下に収容されていたビルも戻され、いつもの第三新東京市の姿になった。
 『次は新宮ノ下、新宮ノ下。お出口は左側に変わります。』
 環状線電車も避難から帰ってきた人達で混雑している。
 そして、シンジ達もミサトの約束であるステーキを食べに行くのに電車に乗っていた。
 「さあ、約束は守って貰うわよ!」
 「はいはい。大枚おろしてきたから、フルコースだって耐えられるわよ。」
 ミサトは笑顔で手を振って了解していたが…。
 “給料日前だけどね…。”
 笑顔の仮面の下でミサトの本当の顔は青ざめていた。

 赤提灯がぶら下がる屋台のラーメン屋[みやこ]。
 「ミサトの財布の中身くらい解わかってるわ。ファーストもラーメンならオーケーだって。」
 アスカの気遣いに心底ホッとするミサト。
 レイは…。
 「私、ニンニクラーメン。チャーシュー抜きで。」
 アスカは…。
 「私はフカヒレチャーシュー。大盛りね!」
 シンジは…。
 「僕、ワンタンメン。」
 しかし、どうせなら給料が出た日を狙えばもっと豪勢なモノを食べられたのではないだろうか…?もっとも、今後も今日のような命が幾つあっても足りないような戦いが待っているかもしれないが…。
 「ねえ、ミサトさん。」
 「何?」
 「さっき、父さんの言葉を聞いて、誉められる事が嬉しいって初めてわかったような気がする。」
 「そう?」
 「僕は父さんのさっきの言葉を聞きたくてEVAに乗ってるのかもしれない。」
 「あんた、そんな事で乗ってんの?」
 アスカの言葉にシンジは肯いた。
 「シンジらしいわね。」



超人機エヴァンゲリオン

第12話「奇跡の価値は」―――声援

完
あとがき