超人機エヴァンゲリオン

第24話

最後のシ者

 今日もシンクロ・テストが有り、シンジはネルフ本部へ向かっていた。が、その表情はどこと無く暗かった。
 “綾波レイ…やっぱり、あの時感じたのもそのせいだったのか?”
 以前、シンジは掃除時間中に雑巾を絞っているレイを見て、その姿に‘母’を感じた事が有った。
 “綾波…母さん…一体どういう事なんだ、父さん…。”
 「大丈夫。きっとお父さんと仲直りできる日が来るわ。」
 「真辺先輩!?」
 シンジは驚いて振り向いた。驚いたのは、いきなり背後から声を掛けられた事だけでなく、自分が悩んでいる理由をクミが知っていたからだった。
 「真辺先輩って…何でいつも僕の事がわかるんですか?」
 「何か悩んでいるみたいで暗〜い顔してたからね。シンジくんの悩みって、お父さんの事だろうと思ってね。」
 「…本当に…いつもながら鋭いんですね…。」
 「話してごらんなさい。何か力になれるかもしれないし。」
 シンジはクミに話した。レイが何人もいた事、レイに何故か母のような雰囲気を感じる事………。
 「きっとクローン人間ね、それは。」
 「クローン人間?」
 「複製人間とも言うわ。脳でも心臓でも、骨でも髪の毛でもいい、とにかくある生物の生きた細胞を入手して、それを増殖させてその生物と同じ生物を作り出す…それがクローンという技術。その技術を使ってできた人間がクローン人間。細胞さえあれば何人でも同じ人間が作れるわ。シンジくんがレイちゃんにお母さんみたいな雰囲気を感じるのならば、おそらくレイちゃんはシンジくんのお母さんのクローン人間…本来、クローン技術は倫理的・人道的な見地から人間に使う事は禁じられているけど、流石ネルフは超法規で守られてるからやりたい放題ね。」
 まだ中学生のシンジには理解し難い内容で、シンジは少しちんぷんかんぷんと言った状態。
 「そんな事、本当にできるんですか?」
 「ええ。セカンド・インパクトで世界的に食料が不足したのを乗り切ったのも、クローン技術を使って増やせたからよ。」
 「じゃあ、生きた細胞が必要なら、母さんが生きているという事…。」
 シンジの言葉をクミは無言で首を左右に振って否定した。
 「だったら、シンジくんがお父さんと離れて暮らす事もなかったんじゃなくて?」
 「…そうか…母さんは死んだ…でも、どうやって生きた細胞を…。」
 「冷凍保存でしょうね、おそらく。」
 「冷凍保存?」
 「そう。生きたまま凍らせると、何も変化が起こらない。凍っている限り、10年でも20年でも保存が効く。現代医学では不治の病も未来には治療法があるかもしれない、そう考えて患者を冷凍保存しようとする医者もいるわ。」
 クミが年齢に不相応な程博識であるのも実は理由が有った。
 「…綾波は母さんのクローン…という事は、綾波は僕の事、ずっと自分の子供みたいに思っていたのかな…。」
 クミはその言葉にも先程と同じように否定した。
 「クローンで増やせるのは身体の細胞だけ。心や記憶は増やせないわ。」
 シンジはクミの言葉にはっとした。あの、水槽に浮かんでいた無数の擬似レイには心が無いとリツコは言っていた。
 「じゃあ…綾波の心というのは…。」
 「サルベージされたのかな?」
 「サルベージ?」
 「シンジくんがEVA初号機の中にいた事が有ったでしょ?あの時、シンジくんは身体が無くなったけれど、心はEVA初号機の中に有った。サルベージというのは、シンジくんの身体を合成して、それに心を定着させるという作業よ。」
 「えっ?僕の身体は元の身体じゃない?そんな筈無いですよ、全然違和感無いし…。」
 「あ、合成という言い方はわかり難かったか。じゃあ、EVA初号機が水でシンジくんが塩としましょう。塩は水に溶けるけども、水の温度が上がると?」
 「塩が出てくる…はあ、そういう事ですか…あれ?」
 シンジは何となくわかったような気はしたが、何か心に引っ掛かった。
 「何で真辺先輩があの事を知ってるんですか?」
 「あの時ネルフにいたから。」
 「ネルフにいた?」
 その言葉でシンジは前からクミに訊きたかった事を思い出した。
 「そうだ!今日こそ教えて下さい!」
 シンジは立ち上がった。
 「真辺先輩って…もしかしたら本当は僕達と同じチルドレンじゃないんですか?」
 だとすれば、第10使徒戦でクミの声が聞こえたのも、EVA四号機にクミが乗っていたのも何となく説明がつく………シンジはそう考えたのだ。
 「それは違うわ。私はチルドレンじゃないし、ネルフの人間でもないわ。」
 「でも。」
 「と言って、ネルフの敵でもないわ。じゃね。」
 と、クミはジャンプし、レールの向こうのホームに渡ってしまった。
 「真辺先輩!!」
 シンジはクミを追おうとしたが、その時ちょうど乗る予定だった列車が入ってきてしまい、クミの姿を見失ってしまった。

 独房に光が入った。拘禁されているのはリツコ。光が入ったのは、ゲンドウが来たからだった。
 「…碇司令…猫が死んだんです…お祖母ちゃんの所に預けていた…ずっと構っていなかったのに、突然、もう二度と会えなくなるのね…。」
 リツコはゲンドウに振り向きもせず、座ったままで独り言のように喋った。
 ゲンドウが口を開く。
 「何故、ダミー・システムを破壊した?」
 「ダミーではありません。破壊したのはレイです。」
 意固地になってダミーをレイだと答えるリツコ。
 「今一度問う。何故だ?」
 「貴方に抱かれても、嬉しくなくなったから…私の体を好きにしたらどうです!?あの時みたいに!!」
 リツコは次第に冷静さを失い、感情のボルテージが上がっていった。
 「…君には失望した。」
 ゲンドウは静かに別離の言葉を告げた。それを聞いたリツコは激昂する。
 「失望!?最初から期待も望みも持たなかったくせに!私には何も!何も!何もっ!!」
 ゲンドウは無言のまま去り、光は閉ざされた。
 「…どうしたらいいの……母さん……。」
 一人取り残されたリツコの嗚咽がいつまでも響いていた。

 シンジがロッカー・ルームにやってくると、そこにはトウジが既に黒のプラグ・スーツに着替えていた。
 「トウジ…。」
 「おっ、久しぶりやな、シンジ。」
 「う、うん…。」
 「おいおい、どないしたんや?辛気臭い顔して。」
 「だって…僕は…。」
 「…あの事やったら、ワシは気にしてへんで。」
 そう、トウジの言うとおり、シンジは自らの意思ではなかったとは言え、EVA初号機でトウジを傷付けた事を取り返しの付かない過ちだと思い、トウジの見舞いにさえ行けなかったのだ。
 「発令所の人達から話は聞いた。シンジがワシの事を気にして攻撃できなかったんで、自動攻撃システムを使った、てな。」
 「トウジ…ごめん!」
 「何謝っとんのや?ワシは気にしてへんのや、シンジも気にする事あらへん。」
 そう言ってトウジは笑い飛ばした。
 「でも…トウジは怖くないの?EVAに乗る事が。」
 「そやな…乗る前は少々そない思ったかもな…でも、ワシにしかできん事や、そない思うたら度胸が湧いて来てのう。」
 自分にしかできない、自分ならやれる事…シンジが加持に言われた言葉をトウジは自分で持っていた。
 「強いんだな、トウジは…。」
 「何言っとんのや、ワシは実績が全然あらへんのに。EVAのパイロットで一番強いのはシンジやろ?」
 勘違いするトウジに、親友がやっぱり以前と変わっていないと気付いてシンジの心は晴れた。
 「そうだね。じゃあ、僕も着替えるとするか。」

 シンクロ・テストはシンジ、レイ、トウジの三人で行われた。ただし、EVA参号機は修復が完了していないのでトウジは模擬体とのシンクロだった。そして、アスカがいないのは…。
 「アスカが行方不明!?昨日はここに泊ったんじゃ…。」
 第16使徒との戦闘後、アスカは夜遅くまでシンクロ・テストが有り、その夜はネルフ本部の宿泊所に泊った。だが、翌早朝から行方不明になっていたのだ。
 アスカの事が気になって、その日のシンジのシンクロ・テストの結果は芳しいものではなかった。
 「アスカ…どこ行っちゃったんだろう…。」
 EVA弐号機ケージの前でシンジは一人アスカの事を想った。

 ママぁ〜っ!ママぁ〜っ!
 小さなアスカが満面の笑顔で草原を駈けて行く。
 私、選ばれたの!人類を守るエリート・パイロットなのよ!世界一なのよ!
 誰にも秘密なの!でも、ママにだけは教えるわね!」
 色んな人が親切にしてくれるわ!だから、寂しくなんかないわ!
 だから、パパがいなくっても大丈夫!寂しくなんかないわ!
 だから、見て!私を見てっ!
 小さなアスカが母の居る部屋のドアを開けた。
 ねえ、ママっ!!
 そこに見えたのは、天井からぶら下がっている母だった………。
 「シンクロ率ゼロ…セカンド・チルドレンたる資格無し…もう、私がシンジの傍に居られる理由は無いわ…。」
 プライドも何もかも無残に打ち砕かれてしまったアスカはシンジから逃げ出し、廃墟となったビルの中で空虚で満たされた心を汚水の混じったバスタブに浸していた。
 精神に異常をきたした母親の自殺を目撃し、その日から自分の存在を誇示する事だけを存在理由として、プライド高く生きてきた惣流・アスカ・ラングレー。
 だが、天才を自称するアスカは、実は幼い頃からEVAの操縦者となるべく特殊教育と訓練を積んできた努力の人だった。
 その前に本当の天才、訓練も無しにいきなりEVAを動かし、実戦で勝利した碇シンジが現れた。彼とその父との確執を知らないアスカは彼を侮っていたが、いつしか彼に心惹かれ、二人は相思相愛の仲となった。
 しかし、彼を想う者は他にもいた。横恋慕であるにも関わらず、一途な想いを隠そうとしない綾波レイ。彼女への嫉妬、敵愾心その他負の感情が悪影響し、アスカのシンクロ率は低下………ついには起動不可能となってしまった。
 と、何かが倒された物音がして、何者かがそこに近づいてきた。
 「惣流・アスカ・ラングレーだな?」

 「諜報二課から、たった今セカンド・チルドレンを保護したという連絡が有りました。」
 日向は電話を置いてミサトに報告した。
 「そう…ロストした挙句、七日後に発見か…。」
 「嫌がらせじゃないですか?作戦課への?」
 少々嫌味っぽい返事のミサトに日向も同調した。


 “アスカ…どこに行っちゃったの?…帰ってきてよ…。”
 シンジは毎日時間が有ればアスカを探していた。真実は学校には伏せられ、ケンスケやヒカリらクラスメートに話す事もできなかった。アスカがチルドレンから外れれば、またクラスメートの誰かが選ばれるかもしれないからだ。
 探し疲れたシンジは公園のベンチに座ってぼんやりと夕陽を見ていた。
 ♪フンフンフンフンフンフンフンフン、フンフンフンフンフーンフフーン、フンフンフンフンフンフンフンフン、フンフンフンフンフーンフフーン♪
 と、聞えてきたハミングの声にシンジは横を見た。
 ジャングルジムの上に座って夕陽を見ている少年がいた。歌声はその少年のものだった。
 「歌はいいね。」
 「え?」
 自分の方を向かずに話し掛けてきたその少年にシンジは戸惑った。
 「歌は心を潤してくれる。リリンの生み出した文化の極みだよ。」
 戸惑うシンジは彼の言葉の中の‘リリン’という単語に気が付かない。
 「そう感じないかい?碇シンジ君。」
 彼はそう言って顔を向けた。彼はシンジの事を知っているようだった。
 「僕の名を?」
 訝るシンジに彼は答える。
 「知らない者はないさ。失礼だが、君は自分の立場をもう少し知った方がいいと思うよ。」
 「あの…君は?」
 「僕はカヲル。渚カヲル。君と同じく仕組まれた子供、フィフス・チルドレンさ。」
 シンジは驚いた。次のチルドレンも自分のクラスメートの誰かだろうと思っていたのだ。
 「フィフス・チルドレン?君が?あの…渚君?」
 「カヲルでいいよ、碇君。」
 カヲルという少年は微笑んだ。
 「あ、ぼ、僕も、シンジでいいよ。」
 シンジも微笑みながら答えた。シンジの言葉にカヲルは笑顔を見せた。
 夕陽が二人を茜色に染めていく…。

 「フィフス・チルドレンが到着したそうです。」
 ネルフ本部へと降下するカー・トレインの中で日向がミサトに報告した。
 「そう…渚カヲル。過去の経歴は抹消済み…レイと同じくね。」
 “アスカがチルドレンから外れた途端、フィフス・チルドレンが見つかる…このタイミングの良さは何?”
 ミサトでなくてもそう思うだろう。
 「ただ、生年月日はセカンド・インパクトと同一日です。」
 ミサトの言葉に日向が付け加えた。
 「委員会が直で送ってきた子供よ。必ず何かあるわ。」
 「それもあって、ちょいと情報部のデータ・バンクに割り込みました。」
 「あっぶない事するわね〜。」
 「でも、そのかいが有りましたよ。…リツコさんの居場所です。」
 前半は普通の声で、後半は小声でミサトに耳打ちする日向。
 「フィフスのテスト、どうします?」
 「今日は何も小細工せず、実力を見せて貰おうじゃない。」

 シンジ、レイ、トウジ、カヲルの四人でシンクロ・テストが行われていた。
 「このデータに間違いは無いな?」
 「全ての計測システムは正常に作動しています。」
 「MAGIによるデータ誤差、認められません。」
 冬月の問いに日向とマヤが答えた。
 「よもや、コアの変換無しにEVA弐号機とシンクロするとはな、この少年が。」
 冬月がカヲルのデータを見ながら呟いた。
 カヲルが使っているプラグはアスカが使っていたEVA弐号機用の物だったのだ。
 「しかし、信じられません!いえ、システム上、有り得ないです。」
 マヤは事実を否定するように言ったが。
 「でも事実なのよ。事実をまず受け止めてから、原因を探って。」
 マヤを窘めるようにミサトは言った。

 長大なエスカレーターを昇るレイ。その到着点にカヲルが待っていた。
 「君がファースト・チルドレンだね。」
 レイは声を掛けられてカヲルを見つめた。
 「綾波レイ。君は僕と同じだね。お互い、この星で生きていくにはリリンと同じ姿に行き着いたか…。」
 謎の言葉を投げ掛けてきたカヲルにレイは訝し気な表情を見せた。
 「…貴方、誰?」
 カヲルは微笑んでいた。

 「フィフスがレイと接触したそうだ。」
 報告を受けた冬月がゲンドウに話した。
 「今、フィフスに関する全てのデータをMAGIが全力で洗っている。」

 「にも関わらず、未だ正体不明…何者なの?あの少年…。」
 帰宅したミサトは自分のパソコンから本部にアクセスしてみたが、有益な情報はまだ無かった。
 思考が煮詰まったミサトは部屋を出た。が。
 [許可なく立ち入りを禁ず。勝手に入ったら殺すわよ!]と超下手糞な字で書かれたボードが掲げてあるが、勿論その部屋の住人のアスカはいない。
 シンジの部屋も開けて見るが、シンジもまだ帰ってきていなかった。
 「保護者失格ね、私。」
 力なく呟くミサト。

 シンジはまだネルフ本部ゲート前のベンチに座っていた。と、ゲートが開いてカヲルが出てきた。
 「やぁ、僕を持っててくれたのかい?」
 「いや、別に、そんなつもりでも…。」
 「今日は?」
 「あの、定時試験も終わったし、後はシャワーを浴びて帰るだけだけど…。」
 カヲルは微笑んでいた。シンジは何となく安心して、本心を打ち明ける。
 「でも、本当は帰りたくないんだ、この頃…。」
 帰ればアスカの事ばかり考えてしまう…その寂しさもあった。
 「帰る家、ホームがあるという事実は幸せに繋がる。良い事だよ。」
 「そうかな?」
 「僕は君ともっと話がしたいな。一緒に行っていいかい?」
 「え?」
 「シャワーだよ。これからなんだろ?」
 「う、うん。」
 二人はネルフ本部内の大浴場に向かった。

 「一時的接触を極端に避けるね、君は。」
 シンジとカヲルは浴槽にいるが、カヲルは平然として寛いでいるのに、シンジは照れくさそうに下を向いてはにかんでいた。
 「怖いのかい?人と触れ合うのが?」
 「いや、そうじゃなくて…あまり、カヲル君の事知らないから…。」
 「成る程…確かに、他人を知らなければ、裏切られる事も、互いに傷付け合う事も無い。でも、寂しさを忘れる事も無いよ?」
 カヲルはシンジの手に自分の手を重ねた。はっとしてカヲルの横顔を見るシンジ。
 「人は寂しさを永久に無くす事はできない。人は一人だからね。ただ、忘れる事ができるから人は生きていけるのさ。」
 と、照明が落ちて青い常夜灯だけになった。
 「時間だ。」
 「もう、終わりなのかい?」
 「うん…もう、寝なきゃ。」
 「君と?」
 「え?あ、いや、カヲル君には部屋が用意されていると思うよ。」
 「そう…。」
 カヲルは浴槽から立ち上がった。
 「常に人は心に痛みを感じている。心が痛がりだから、生きるのも辛いと感じる。ガラスのように繊細だね。特に君の心は…好意に値するよ。」
 「えっ?」
 「好きって事さ。人間としてね。」



EXTRA HUMANOIDELIC MACHINARY EVANGELION

EPISODE:24 The Beginning and the End,
               or “Knockin’ on Heaven’s Door”



 何処とも知れない場所でゼーレの会議が開かれていた。その議題は、これまでのゲンドウの行動に対する非難と、これからの処置についてであった。
 「ネルフ…そもそも我らゼーレの実行機関として結成されし組織。」
 「我らのシナリオを実施する為に用意されたもの。」
 「だが、今は個人の占有機関と成り果てている。」
 「左様。我らの手に取り返さねばならん。」
 「約束の日の前に。」
 「ネルフとEVAシリーズを本来の姿にしておかねばならん。」
 ゼーレは一体何を企んでいるのか?
 「碇。ゼーレへの背任、その責任は取って貰うぞ。」
 キールが呟いた。

 ネルフ本部。ゲンドウは無人のEVA初号機ケージの前にいた。
 「我々に与えられた時間は、もう残り少ない。だが、我らの願いを妨げるロンギヌスの槍は既に無いのだ。」
 EVA初号機の巨大な頭部を見上げながら独り言のように語り掛けるゲンドウ。その表情、その口調には、いつもの険しさは少しも無い。
 「間も無く最後の使徒が現れる筈だ。それを消せば願いが叶う。…もうすぐだよ、ユイ。」

 電気の消えたレイの部屋。ベッドの上でレイはうつ伏せになって寝ていた。
 “フィフス・チルドレン…あのヒト、私と同じ感じがする…どうして?”
 レイの脳裏に浮かび上がる、不思議な少年―――カヲルのイメージ。
 “何故、気になるの?…私にとって一番大事な人は碇くんなのに…。”

 その頃、レイの想い人のシンジはカヲルの部屋にいた。
 「やはり僕が下で寝るよ。」
 カヲルは客人であるシンジにベッドを譲ろうとしたが。
 「いいよ、僕が無理言って泊めて貰ってるんだ。ここでいいよ。」
 「そう…それで、君は僕に何を話したいの?」
 「え?」
 「何か話したい事が有ったんじゃないのかい?」
 「うん…いろいろあったんだ、ここに、この街に来て…前は先生の所にいたんだ…ただ穏やかで、何も無い毎日だった…それでも別に良かったんだ、僕には何もする事が無かったから…。」
 「人間が嫌いなのかい?」
 「別に…どうでも良かったんだと思う…生きていく事が…ただ、父さんは嫌いだった…だけど、仲直りできるかもしれない…なんとなく、そんな気もするんだけど…でも、父さんは何も言ってくれないんだ…。」
 何故か、シンジはカヲルに己の心情を素直に吐露する事ができた。ふと、シンジはその事に気付いた。
 “何で、カヲル君にこんな事話しているんだろう…。”
 そう思って何気なくカヲルの方を見ると、カヲルもシンジの方を見ていたらしく、二人の目が合った。
 「僕は君に逢う為に生まれてきたのかもしれない…。」
 夜は静かに更けていく…。


 翌日、カヲルは第一中の3年A組に転入してきた。その爽やかな笑顔と神秘的な紅い瞳はたちまち女子生徒達を魅了してしまった。


 「ねえねえ、見た!?」
 「見た、見た!」
 「何何〜?」
 「知らないのぉ?あの外人。」
 「外人!?」
 「3年A組に転校して来たのよぉ〜!昨日!」
 「グーよねっ!」
 「渚カヲルって言うんでしょ?」
 「マジにカッコイイじゃん!」
 翌日から女子生徒達の会話はカヲルの事で持ちきりだった。そして、その噂にすぐ喰らい付く女子生徒が一人。
 “やれやれ、こんな事態は予想だにしていなかったよ。”
 カヲルは女子生徒達の喧騒から逃れ、授業中にも関わらず屋上で風に吹かれていた。
 「ふーん、貴方がフィフス・チルドレン、渚カヲルくんか…。」
 「いいのかい?今は授業中なんじゃ…。」
 振り返ったカヲルの前にいたのはクミだった。
 「そんな事はどうでもいいのよ。それより…貴方って、2年A組の綾波さんと同じね。」
 レイに初めて会ったカヲルが言ったのと同様な事をクミが言ったが、それとは違う事にカヲルは動揺した。こんな出会いも予想だにしていなかった。
 「えっ?君は…誰?リリンのようで少し違う…。」
 「私は3年B組の真辺クミ。…どうやら、貴方の事をネルフは誰も知らないみたいね?」
 クミはカヲルの心を一瞬にして読み通し、その使命を察知した。
 「何を言ってるのか、よくわからないな…えーと、真辺さん?」
 「ありがとう。ようやくゼーレの居場所がわかったわ。」
 「えっ!?」
 カヲルは驚いて訊き直そうとした瞬間、クミは何処かへ空間転移して消えた。
 「消えた…どうやら、僕の想像を超えた人のようだが…。」

 その日のシンクロ・テスト、トウジは修復完了したEVA参号機とのシンクロに成功した。そして、カヲルはEVA四号機とのシンクロ・テストだったが、全くシンクロできなかった。
 「さしものフィフス・チルドレンも、コア無しでシンクロは不可能か。」
 「そんなの、当然ですよ。もし、シンクロしてしまったら根本的に制御システムそのものがひっくり返りますよ。」
 冬月の呟きにマヤが苦笑しながら答えた。
 では、EVA四号機は何故動いていたのか?どこから出現したのか?どうやってディラックの海から帰還したのか?ミサトの疑問に対する答えは勿論、クミだけが知っていた。


 シンジはアスカの病室にいた。
 目を開けてはいるが、その瞳は虚ろで、シンジの顔を見てもシンジの声を聞いても全く反応せず、まるで植物人間のようになってしまったアスカ。
 アスカちゃんはネルフの医療棟にいるわ。
 学校から帰ると、留守番電話にクミのメッセージが入っていた。
 何故、いつも僕達に何も教えてくれないんですか!!
 ネルフに来るなり、シンジはミサトを捉まえて真相を問い質した。
 久々にキレたシンジに、ミサトは折れて病室へ案内した。
 “あいつが死ねばシンジは私のもの…あいつが死ねばシンジは私のもの…ウフフッ。”
 “あいつさえいなければ…あいつさえいなければ…。”
 “殺してやる…殺してやる…殺してやる…。”
 殺してやるぅっ!
 アスカは錯乱し、看護婦に襲い掛かった。
 シンジは私のものよ!誰にも渡さないんだからぁっ!
 アスカは沈静剤を打たれ、おとなしくなった………。
 シンジにその出来事を語ったミサトは呟いた。
 「シンジくんへの想いと、レイへの敵愾心が強すぎたのね…。」
 「僕の…せいなんですか?」
 シンジは震える声でミサトに訊いた。
 「まさか!シンジくんは悪くないわよ。」
 しかし、ミサトが語ったとおり、少なくともシンジに一因があるのも確かだった。


 早朝。ジオフロントの地底湖に掛かる橋の上にミサトと日向がいた。
 「どう?あのデータ、入手できた?」
 「これです…。伊吹二尉から無断で借用した物です。」
 「済まないわね。泥棒みたいな真似ばかりさせちゃって…。」
 が、日向は気にせず無言でノート・パソコンの画面にデータを表示させた。
 「何これっ!?」
 そのデータは正に驚異的であった。
 「彼女が公表できない訳ですよ。理論上はあり得ない事ですから。」
 「EVAとのシンクロ率を自由に設定できるとはね。それも自分の意志で…謎は深まるばかりね。」
 ミサトは決断した。
 「またも、形振り構ってらんないか。」

 「よく来られたわね…。」
 ミサトは真実を知る為に、独房に拘禁されているリツコの元を訪れた。
 「訊きたい事があるの。」
 「ここでの会話、録音されるわよ?」
 「構わないわ。」
 リツコは振り向きもしないが、ミサトは冷静さを保って訊いた。
 「あの少年の…フィフス・チルドレンの正体は何?」
 「おそらく、最後のシ者ね…。」

 アンビリカル・ブリッジの上でカヲルはEVA四号機の顔を見上げていた。
 「さあ、行くよ。おいで、アダムの分身、そしてリリンの下僕。」
 EVA四号機にそう言うとカヲルは振り向き、アンビリカル・ブリッジから宙に歩を踏み出した。だが、カヲルの体は落下する事なく宙に浮き、カヲルがEVA四号機の目線まで浮き上がるとEVA四号機の目が輝いた。

 「EVA四号機、起動!」
 突然、発令所に警報が鳴り響き、日向がミサトに振り返って報告した。
 「そんな馬鹿なっ!?」
 コアが入っていないEVA四号機はカヲルでさえシンクロできなかったというのに…。
 「まさか…誰が乗っているの?」
 「無人です!EVA四号機にエントリー・プラグは挿入されていません!」
 ディスプレイに赤く点滅する『UNMANNED』の文字にマヤが信じられないといった表情で振り向いて報告した。
 「誰もいない!?どういう事…真辺さんでもなければ一体…。」
 訳のわからない事だらけでミサトは眉間に皺を寄せて唸る。
 「セントラル・ドグマにATフィールドの発生を確認!」
 「EVA四号機!?」
 「いえ!パターン青!間違いありません、使徒です!!」
 MAGIが[使徒]の存在を表示した。『17th ANGEL』と。
 「映像、入ります!」
 カヲルはEVA四号機の胸の前―――宙に立ち、EVA四号機と共にセントラル・ドグマの巨大な縦穴をゆっくりと下降していた。
 「使徒?あの少年が?」
 主モニターに映った映像にミサトは目を疑った。
 ネルフ本部内に警報が鳴り響く中、更に降下していくカヲルとEVA四号機。
 「目標は第4層を通過!尚も降下中!第5層も通過!」
 「セントラル・ドグマの隔壁を緊急閉鎖!少しでも時間を稼げ!」
 冬月の指示が飛んだ。
 『緊急閉鎖!緊急閉鎖!』
 『総員退去!総員退去!』
 メイン・シャフトは勿論、セントラル・ドグマ内のありとあらゆる通路やパイプ・ラインの隔壁が次々と閉じていく。
 「まさか、ゼーレが直接送り込んで来るとはな。」
 「老人は予定を1つ繰り上げるつもりだ。我々の手で。」
 ゲンドウは忌々しげに吐き捨てた。

 その頃、ゼーレは既にこのネルフ本部での事態を当然の事として受け止めていた。
 「最後の使徒がセントラル・ドグマに侵入した。現在、降下中だ。」
 「予定通りだな。」
 「人は愚かさを忘れ、同じ過ちを繰り返す。」
 「左様。自ら贖罪を行わねば人は変わらない。」
 「アダムや使徒の力は借りぬ。」
 「我々の手で未来へと変わるしかない。」
 「碇。君は良き友人であり、志を共にする仲間であり、理解ある協力者だった。…これが最後の仕事だ。初号機による遂行を願うぞ。」
 「それが貴方達の願いなの?」
 モノリス達の中央に、その言葉と共にクミがいきなり出現した。
 「何者だっ!?」

 EVA四号機が第14装甲板に着地すると同時に装甲板がめくれ上がる様に破壊された。
 「装甲隔壁はEVA四号機によって突破されています!」
 「目標は第2コキュート層を通過!」
 「初号機に追撃させろ。」
 「はい!」
 「いかなる方法を持ってしても、目標のターミナル・ドグマ侵入を阻止しろ。」
 ゲンドウの命令に肯きながらも、ミサトは自分自身に問わずにはいられなかった。
 “しかし、使徒は何故四号機を?”
 「もしや、四号機との融合を果たすつもりでは?」
 冬月が自分の解釈をゲンドウに言った。それにゲンドウも答える。
 「或いは破滅を導く為か、だ。」
 そして、シンジは混乱する。
 「嘘だ!嘘だ!嘘だ!!カヲル君が使徒だったなんて、そんなの嘘だ!!」
 「事実よ。受け止めなさい。出撃、いいわね?」
 ミサトは冷たく命令した。
 「遅いな、シンジ君。」
 カヲルは心配するような表情で頭上を見上げた。
 『初号機、ルート2を降下、目標を追撃中!』
 『初号機、第4層に到達!目標と接触します!』
 エントリー・プラグに入ってくる青葉と日向の報告に、シンジは緊張を高めて視線を下に移す。
 「…いた!」
 「待っていたよ、シンジ君。」
 EVA初号機の姿を頭上に認め、カヲルは安心したような顔を見せた。
 「カヲル君!」
 EVA初号機がカヲルに向かって手を伸ばすと、その手をEVA四号機が掴んだ。
 「ならばっ!」
 シンジはプログ・ナイフを取り出した。が、プログ・ナイフを掴んだその手首をEVA四号機が掴み、押し戻そうとする。
 「EVAシリーズ…ADAMより生まれし、人間にとって忌むべき存在。それを利用してまで生き延びようとするリリン…。僕にはわからないよ。」
 二体のEVAの戦いを見つめるカヲルの表情はどこか寂しげだった。
 「カヲル君!やめてよ!どうしてだよ!?」
 叫ぶシンジにカヲルが答える。
 「EVAは僕と同じ身体でできている。僕もADAMより生まれし者だからね。コアの無いEVA四号機となら同化も容易いものさ。」
 その時、EVA初号機の腕が流れてプログ・ナイフがカヲルを襲った。だが、カヲルはATフィールドでそれを受け止めた。
 「ATフィールド!?」
 シンジは驚愕した。
 「そう、君達リリンはそう呼んでるね。何人にも侵されざる聖なる領域。心の壁。リリンにもわかっているんだろう?ATフィールドは誰もが持っている心の壁だと言う事を。」
 「そんなの、わからないよ!カヲル君!」
 『EVA両機、最下層に到達。』
 『目標、ターミナル・ドグマまであと20。』
 その報告にミサトは思い詰めた表情で頷き、日向の耳に口を寄せる。
 「EVA初号機の信号が消えて、もう一度変化が有った時は…。」
 「わかっています。ここを自爆させるんですね?サード・インパクトを起こされるよりはマシですから…。」
 日向は最後まで聞かなくても、ミサトの想いはわかっていた。
 「…済まないわね。」
 「いいですよ…。貴女と一緒なら。」
 「ありがとう。」
 そこには仄かな心の交流があった。だが、最終局面はすぐそこまで迫っていた。
 「人の運命か…人の希望は悲しみに綴られている…。」
 EVA同士の戦闘に背を向けてそう呟いたカヲルは目を伏せた。と、同時に起こった凄まじい衝撃に発令所全体が揺らいだ。
 「どう言う事!?」
 「これまでにない、強力なATフィールドです!」
 「光波、電磁波、粒子も遮断しています!何もモニターできません!」
 全ての観測モニターが次々とブラック・アウトしていく。
 「目標、及び初号機、四号機共にロスト!パイロットとの連絡も取れません!」
 「正に結界か。」
 腕を撫してミサトは唸る。
 二体のEVAは遂に最後の防壁をぶち抜き、セントラル・ドグマ最下部に落下した。
 「…はっ!?…カヲル君!」
 落下の衝撃に一瞬意識が飛んだものの、すぐに回復したシンジはカヲルを呼び止めようとするが、カヲルは背を向けて去っていく。
 「待って!」
 追い掛けようとしたEVA初号機の足をEVA四号機が掴んだ。
 目的地へと宙を進むカヲル。その視線を走らせただけで電子ロックのキーが解除された。
 「最終安全装置、解除!」
 「HEAVENS’DOORが開いていきます…。」
 「ついに辿り着いたのね、使徒が…日向君。」
 ミサトの声に日向が決意して頷いたその時、再び発令所が揺らいだ。
 「何!?」
 「ターミナル・ドグマの結界周辺に、先と同様のATフィールドが発生!結界の中へ侵入していきます!」
 「まさか、新たな使徒!?」
 「ダメです、確認できません!…あ!?いえ、消失しました!」
 「消えた!?使徒が?」
 ATフィールドならすぐに使徒とミサトは思っているようだったが、結界の中に侵入したのはレイだった。
 アダムの前に辿り着いたカヲルはそれを見上げて呟く。
 「―――ADAM。我らの母たる存在。ADAMより生まれし者はADAMに還らねばならないのか?人を滅ぼしてまで。」
 アダムに被せられた七つ目の仮面を凝視したカヲルははっと気付いた。
 「違う!これは…LYLIS!?…そうか、そう言う事か…まんまとゼーレの老人達に踊らされていたと言う訳か。」
 その時、カヲルの後方でEVA四号機が力尽きて倒れた。その後方から現れたEVA初号機は腕を伸ばしてその掌中にカヲルを捕らえた。
 「カヲル君…どうして…どうしてこんな事を…。」
 「僕が生き続ける事が僕の運命だからだよ。結果、人が滅びてもね。だが、このまま死ぬ事もできる。生と死は等価値なんだ、僕にとってはね。自らの死、それが唯一の絶対的自由なんだよ。」
 「何を…カヲル君、君が何を言ってるのかわかんないよ!?」
 「遺言だよ。さあ、僕を消してくれ。そうしなければ君らが消える事になる。滅びの時を逃れ、未来を与えられる生命体は一つしか選ばれないんだ。そして…君は死すべき存在ではない。」
 カヲルはそこで言葉を切ると、上を見上げた。その視線の先に居るレイは、冷ややかな目でカヲルを見つめていた。が、カヲルはレイに微笑んだ。
 「君達には未来が必要だ。」
 「嫌だ…これ以上友達を傷つけるのはもう嫌だ…。」
 トウジを傷つけた。アスカがおかしくなったのも自分のせいだ。だからカヲルを殺す事をシンジは拒否したのだ。
 「ありがとう。君に逢えて嬉しかったよ。」
 優しく言うカヲルにシンジはもう何も言えず、ただ、俯いていた。EVA初号機をコントロールするレバーを握る手だけが小刻みに震えていた。
 シンジの心には激しい葛藤が渦巻いていた。自分に優しい言葉を掛けてくれた友達、しかしそれは倒さなければならない[使徒]だった。
 長い、長い、沈黙の時が流れた。
 その時、レイの目が驚愕に見開かれた。
 「見せかけだけの希望に縋ってはダメよ。」
 その言葉にカヲルは振り向き、シンジは顔を上げた。
 アダム、いや、LYLISが磔られている十字架の上に、爽やかなエメラルド・グリーンのブラウスと白のミニスカートに身を包んだクミが立っていた。いや、正確には、突然現れたのだ。それ故、レイも驚いたのだ。
 「真辺先輩!?何故、そんな所に…。」
 「ごめんね、シンジくんの質問に答えるのは後回し。それより、渚くん。死ぬ必要は無いよ。」
 クミはEVA初号機の中のシンジに手を振った後、カヲルに微笑んで言った。
 「何故?」
 「貴方が生きていても人類、いえ、リリンが滅びるかどうかわからないからよ。」
 それはカヲルの信じてきた事を真っ向から打ち砕く言葉だった。だからカヲルはクミに言わずにはいられない。
 「何を…真辺さん、君が何を言っているのかわからないよ…。」
 「貴方はこれからもリリンとして生きていけばいいのよ。シンジくんがさっき何と言ったか覚えてない?」
 シンジは、友達を傷付けるのは嫌だと言った…。
 「友達…いいのかい、シンジ君…僕は君達と違う使徒なんだよ?」
 再びカヲルはシンジに問い掛けた。その応えとして、EVA初号機はカヲルを捕えていた手を開き、掌を上に向けた。
 「でも、敵じゃないんだよね?」
 「…ありがとう、シンジ君。」
 カヲルはEVA初号機の掌に立った。

 「これは一体…?」
 「い、碇!これはシナリオどころじゃないぞ!」
 一緒に戻ってきたEVA初号機とEVA四号機、そしてシンジとカヲルを見てゲンドウと冬月は仰天した。



超人機エヴァンゲリオン

第24話「最後のシ者」―――友達

完
あとがき