マリア様のお庭に集う乙女達は今日も天使のような無垢な笑顔で背の高い門を潜り抜けていく。 穢れを知らない心身を包むのは深い色の制服。スカートのプリーツは乱さないように、白いセーラーカラーは翻らせないようにゆっくり歩くのが此処での嗜み。 私立リリアン女学園。此処は乙女の園…。 今日はリリアン女学園高等部の入学式。校門から続く銀杏並木の中を新一年生が親に連れられて次々と歩いてくる。 それを木陰からそっと見守っている者が二人…いや、時折カメラのシャッターが切られる音がしているから、見守っているというのはちょっと違うかもしれない。 「今年は去年のようなサプライズは無さそうですわね。」 「それはまだわかりませんよ。」 時々メモ帳にペンを走らせているのは新聞部の部長である高知ヒデミ、その傍らでカメラを構えて時折シャッターを切っているのは写真部の部長である内藤ショウコであった。 リリアン女学園高等部の校内新聞とも言うべき<リリアンかわら版>はこれまでは全リリアン生徒の憧れである山百合会に関する記事一辺倒であったが、ヒデミはそれから脱却しようと思い立ち、学校から許可を貰ってこうして新入生の初登校の様子を取材しているのだ。 「しかし、あの二股の分かれ道の前で、中等部上がりか外部入学者か、丸わかりですね。」 「それは確かに。」 校門から続く道は途中で二股の分かれ道になり、右へ行くと温室、左へ行くと校舎に通じる。そしてちょうどその二股のところにはマリア様の銅像が建っている。 中等部から上がってきた新入生はそのマリア様の銅像に対し両手を合わせてお祈りしてから校舎へ向かうのだが、外部からの新入生はそんな習慣は知らないから素通りしている。まあ、中には見よう見まねで手を合わせる者もいるが、それはお祈りと言うよりは拝むと言ったほうが正しい感じだ。 ところで、去年のサプライズとは、三年前に卒業した紅薔薇様と瓜二つの姿を持つ新入生がいたという事だったらしい。二人は自分達の姉からその話を聞いたのだが、今年はまた別のサプライズが待っていた。 新入生の中に二人、異様に目を引く姿があったのだ。 「ショウコさん、あ、あれ…。」 「嘘…二年続けてだなんて、そんなの有り得ないっ!?」 二人が驚くのも無理は無い。その新入生の一人は蒼いショートヘアに紅い瞳を持ち、もう一人は赤いロングヘアに青い瞳を持った、いずれも群を抜く美少女だった。 周囲の新入生達もその二人の姿に驚き、親達は勝手に何かを誤解して眉をひそめている。だが、当の二人は周囲のそんな反応にはとっくの昔に慣れっこのようで、仲良く談笑しながら歩を進めていた。 マリア像の前に来た二人は、前を歩いていた者がそこで立ち止まって手を合わせているのを見ていたのでそこで一応立ち止まった。 「…せっかくだから、お参りしていく?」 「…それを言うならお祈りじゃないの?」 それはともかく、マリア様に祈りを捧げた二人が顔を上げて校舎へ向かおうとすると…。 「あの、ちょっとよろしいかしら?」 「はい?」 「新入生でしょ?」 「ええ…。」 「いきなり質問で申し訳ありませんが、その髪の毛と瞳の色について教えて頂けるかしら?」 「貴女達…誰?」 「えっ?」 「レイったら、そんな言い方はマズイって。きっとこの人達は上級生の方よ。」 「あら、そう言えば、まだ名前も言っていませんでしたわね。私は…。」 「二人とも、どうかしたの?」 ヒデミとショウコが自己紹介しようとする直前に後ろから声を掛けてきた者がいた。 「あ、お早う、ヒカリ。」 「遅かったのね。」 「出掛けにお姉ちゃんに引っ掛かって…えーと、こちらの二人に何か…?」 そこに来たのは、今の二人とは違って平凡な少女。 「いえ、あまりに特徴的な外見なので、つい理由をお訊きしようかと…。」 「ああ、そういう事ですか。別に問題ありませんよ、二人とも生まれつきですから。」 「あなたはこちらの二人と…?」 「ええ、同じ中学校出身です。」 「ああっ!ショウコさん、こ、このコ!」 何かを見つけたヒデミは慌てた顔でショウコに振り向いた。 「どうかしまして?」 「胸にロザリオが!」 「…そ、それはっ!?貴女、それを一体どこで!?」 「どこって…今朝、姉から貰いましたけど…?」 「「姉!?」」 「ええ…どうかしましたか?」 「ショウコさん、これは大変なスクープですわ!」 「それはそうですけど…宜しいんですの?せっかく立てた目標が…。」 「仕方ありませんわ、こんな事態は想定していませんでしたもの。そうそう、こうしてはいられませんわ、早速編集会議を…。」 「そうですわね。ご一緒しましょう。それでは、また後ほど…。」 「「ごきげんよう。」」 等と散々お騒がせして、ヒデミとショウコは足早に校舎のほうへ立ち去っていった。 「何だったのかしら?」 「さあ…それより、そのロザリオ、何か曰付きじゃないの?」 「曰ねぇ…あら?」 と、三人は周囲が遠巻きにして自分達を見ている事に気付いた。 「それはともかく、そろそろ行きましょう。何か、他の人達が何事って感じで見てるし。」 「そうね。」 「それにしても、さっきの上級生の人達、随分と丁寧な口調だったわね。流石由緒正しい名門の伝統あるお嬢様校。『ごきげんよう。』なんて、お昼のバラエティ番組でしか聞いた事無いわ。」 「ああ、ライオンが出てくるアレね。」 そんな事を話したりしながら校舎の前までやってくると、ボードに新入生のクラス分けの紙が大きく張り出されていた。 一年桃組…出席番号1番:綾波レイ…同12番:惣流アスカ・ラングレー…同23番:洞木ヒカリ…。 レイ、アスカ、ヒカリ三人とも一年桃組だった。他には、李組、藤組、菊組、椿組、松組というのがあるようだ。竹組、梅組や桐組というのはなさそうだが。勿論、腕組、番組、御女組、骨組、ましてや奇面組や色男組なんぞ有る訳も無い。 「良かった…三人とも一緒のクラスだわ。」 「これで信頼できる人がクラス委員長になってくれたら安心なんだけどな。」 「またぁ?…まあ、他にやりたい人がいなかったらやってもいいけど…。」 「大丈夫だって。鈴原は工業高校に行ったんだし、手間の掛かる生徒なんていないって。」 三人は昇降口に入って自分達の下足箱に靴を入れると、用意してきた学校指定の上履きに履き替え、廊下に張ってある案内図で位置を確認してから自分達のクラスへ向かった。 「でも、1組とかA組とかじゃなくて、植物がクラスの名前になってるのって面白いわね。えーと、椿に松に菊に藤に桃に…もう一つは何だったっけ?」 「李よ。」 「桃があるのになんで李というのもあるのかしら?」 「綾波さん、桃はピーチ、李はプルーン。別物よ。」 「それはまあ、同じものにはしないだろうけど、発音が似ているし、紛らわしい名前にしなくてもいいと思わない?」 「それはそうだけど…ところで私達、桃組と李組のどっちだったっけ?」 「桃組。あ、ここだわ。」 三人が桃組の教室に入ると、先に来ていた生徒達は一斉に三人に注目した。同じ中等部上がりらしく、にこやかに談笑していた者達も三人を見るや否や言葉を忘れた。 「…二人とも、しばらくはガマンだからね。」 「わかってるわ。それにもう慣れてるから。」 「でも、もしかしたらヒカリが注目されてるんじゃないの?」 「なんで私が?」 「そのロザリオに何やら秘密がありそうだから。」 「そう言えば、さっき上級生の人が何か驚いていたけど…まあ、いいわ。後でお姉ちゃんに訊いてみるから。で、どこに座ればいいのかしら?」 黒板を見ると、今日のスケジュールの他に机に各々の出席番号の入ったカードが置かれているのでそこに座るようにとあった。 三人が各々の席に座ると、三人より先に来ていた者達はときおり三人をチラチラと見ながらヒソヒソ話をしだした。なんで髪や瞳がそんな色なのかとか、なんで既にロザリオを持っているのかとか…三人は気づかなかったが、二年生にも何か凄いのがいるらしい。 そうこうしている間に一年桃組の生徒達は全員教室に集合し、チャイムがなるとすぐに教師らしき一人の女性が入ってきた。 「ごきげんよう、新入生のみなさん。リリアン女学園高等部への入学、御目出度う御座います。私は一年桃組を受け持つ事になった、山村タカコと申します。これから一年間、宜敷く御願いしますね。」 担当科目は英語、剣道部の顧問をしている等、簡単に自己紹介を終えると、山村先生は今日のオリエンテーションに使うプリントを数枚配布した。クラスの名簿、校内の地図、年間のスケジュール、一学期の時間割、等々…。 今日のスケジュールはまず、オリエンテーションと自己紹介。それから入学式、続いて部活動紹介。最後に校内案内があり、それで今日はお終いで、新入生達は半ドンで帰れる事になっていた。もっとも、件の三人はその後もどこかに連れて行かれる運命にあったが。 「それじゃあ皆さん、一人づつ黒板の前に出てきて簡単な自己紹介を御願いします。名前と、出身中学と、あとは趣味とか抱負とか、言っておきたい事があればそれでもいいし、自由に話して貰って構いません。えーと、それでは出席番号1番の綾波さんからお願いね。」 山村先生がレイの外見を見ても驚かないのは何故かと言うと、彼女は既にその理由を聞かされているからだ。 トップバッターに指名されたレイはゆっくり黒板の前に出てきて自己紹介を始めた。 「市立新武蔵野第一中学校から来た、綾波レイです。よろしくお願いします。」 レイはそれだけ言って自分の席に戻ろうとしたが、そうは問屋が卸さなかった。 好奇心を押さえきれない者達がすぐに質問してきたのだ。 「あの、質問いいですか?」 「…私の髪と瞳の事?」 「えーと…あまりにも珍しいので、その…。」 質問しようとした者は、レイにすぐにその質問の内容を問い返されて口篭った。何よりも、その神秘的な紅い瞳でじっと見つめられると、驚異とも畏怖とも違う、得も知れない想いで心が一杯になってしまって、うまく言葉が出てこなくなってしまった。 すると、レイに代わって山村先生が説明してくれた。 生き物の姿・形や性質を特徴つける因子にDNAがある。レイの場合、このDNAの突然変異により、蒼い髪や紅い瞳という、非常に希な外見を持って生まれた訳である。 「だから、あくまでも生まれつきであって、染めたりカラーコンタクトをしている訳ではないので、その辺は誤解の無いようにお願いしますね。」 何故、彼女がレイの事を知っているかというと、勿論入学前に前もってリツコが学校側に説明していたからである。 “しかし、あの赤木女史が保護者とは…何だか一癖も二癖も有りそうね…。” そして自己紹介は続き、アスカの番になった。 「市立新武蔵野第一中学校から来た、惣流アスカです。よろしくお願いします。」 アスカにも早速質問が飛んだ。 「もしかして、ハーフなんですか?」 「ええ、まあ、父がドイツ系アメリカ人だったので…。」 もっと正確に言えば、母のキョウコが日独ハーフ、キョウコが買った冷凍精子の提供者がドイツ系アメリカ人だったので、ドイツ3/4と日本1/4のクォーターとなるのだが、説明が面倒なのでアスカは省略した。 つまり、アスカの場合は同じ生まれつきでもレイとは違って父親の遺伝子の影響が大きく出ている訳だ。 「だから、この髪と瞳の色はあくまでも生まれつきであって、染めたりカラーコンタクトをしている訳ではないので、その辺は誤解の無いようにお願いします。」 先ほどの山村先生の言葉をアスカが真似たので、クラス中に笑い声が広がった。 さらに自己紹介は続き、ヒカリの番になった。 「市立新武蔵野第一中学校から来た、洞木ヒカリです。えー、綾波レイさんと惣流アスカさんとはその時からのクラスメートです。それと、二年に姉がいまして、このロザリオはお守りがわりに今朝貰ったんですけど…何か曰つきみたいです。」 「まさか、お姉さんって洞木コダマさんですか?」 「え、ええ、そうですけど…何で知ってるんですか?」 質問してきた生徒にヒカリは逆に質問を返した。 勿論、質問した生徒は中等部出身だったため、高等部の事情についてある程度は知っていたのだ。 「洞木コダマさんはリリアンでは有名人よ。まあ、事の詳細は後でコダマさんに訊いてごらんなさい。」 「はあ…。」 山村先生にそう言われてヒカリは自分の席に戻った。 “…‘歴史は繰り返す’とは、正にこの事ね…。” さて、新一年桃組の生徒30名の自己紹介が済むと、早速クラス全員で決めなければいけない議題があった。それは、学級委員長を選ぶ事だった。 「どなたか、立候補する方はいませんか?」 だが、誰も我こそはと名乗り出る者はいなかった…と、思いきや、アスカが挙手した。 「惣流さん、やって貰えますか?」 「あ、いえ、立候補する人がいないなら、ヒカリ…洞木さんを推薦しようと思います。」 立候補する者がいないのなら、誰かに推薦された者に決めるしかないのだが、山村先生には一つの懸念があった。 “彼女はコダマさんの妹…ちょっと両立は難しいかもしれない…。” すると、今度はレイが挙手した。 「綾波さんも誰かを推薦?」 「いえ、私もアスカの意見に賛成です。洞木さんは中学の時、三年間ずーっと学級委員長を務めていて、とっても責任感がある人です。彼女に任せても問題無いと思います。」 結局、他に自薦・他薦を問わず、誰の名前も挙がらなかったため、学級委員長はヒカリに決定した。ただし、ヒカリが不在の時の対応として副委員長も必要だという事で、山村先生がヒカリに意見を求めると、ヒカリはすぐにアスカとレイを副委員長に指名した。 こうして、新武蔵野中学出身のヒカリ、アスカ、レイの三名がこの一年間、一年桃組を牛耳る…もとい、仕切る事になった。 そして、早速ヒカリは初仕事する事になった。入学式に望む為、新入生達は廊下に並び始めたのだが、生徒達の先頭はヒカリだった。 一方その頃、入学式の会場となる体育館には既に学園長や理事長他重職にある教諭、在校生、それに新入生の親達が集合していた。まあ、アスカの母キョウコやレイの保護者であるリツコ、ヒカリの父ツバサは仕事が忙しくてどうしても来る事ができなかったが。 新入生が入場してくるのを待っている間、体育館内はその中にいる者達の話し声でざわめいていた。流石に席を立ってまで誰かとお喋りをしようという者はいなかった…と思いきや、一人の三年生が自分の席を立ってとある二年生のところへやってきた。 「ねえ、コダマ?」 「はい、何でしょう、お姉さま。」 「ちょっと確認したいんだけど、私が授けたロザリオ、持ってるわよね?」 「ごめんなさい、お姉さま。うっかり持ってくるのを忘れてしまいました。」 コダマは少々笑みを溢して答えた。 「…そう。まあ、いいわ。後でゆっくりと理由を教えて貰うから。」 「ヒデミさんやショウコさん達が言ってた件?」 彼女が席に戻ると二つ隣の生徒が訊いてきた。 「まあ、そんな所。」 ちなみにショウコは入学式の状況を撮影する為のカメラのセッティングに余念が無い。 「二人とも、新入生が入場してくるわよ。」 もう一人の生徒が二人を窘めた。 新入生が入場してきて全員着席すると、入学式が厳かに始まり、学園長の挨拶や来賓の挨拶がつつがなく行われていった。そして、式も半ばを過ぎた所で、在校生達は驚く事になった。 『新入生代表挨拶…洞木ヒカリさん。』 珍しい…いや、ある意味有名な名字が呼ばれた途端、三年生や二年生は勿論、少しだが一年生にまでざわめきが起きた。何せ珍しい名字に加えてコダマにヒカリである。誰もがその関係に気が付いていた。ざわめきの理由に気付かないのは事情を知らない者、例えばアスカやレイなどのリリアン外部出身の生徒ぐらいだろう。 “何か、ヒカリっていつの間にか有名人になってるじゃないの…一体何で?” 人目を引く外見の自分やレイならともかく、普通の女のコであるヒカリがどうやって多くの生徒にその存在を知らしめる事ができたのか、アスカには想像も付かなかった。 さらに驚くべき事に、立ち上がってマイクの前に来た生徒の胸にあるロザリオを見た途端、生徒達のざわめきは一瞬にして消えてしまった。 “彼女の胸の十字架には一体どんな秘密が隠されているのかしら?” ヒカリが新入生代表としての決意表明を朗読している間、レイは昔の自分に戻っていた…。 『……えっと、在校生代表挨拶、松平トウコさん。』 先生達も固まっていたらしく、ヒカリが席に戻ってしばらくしてから思い出したように彼女の名が呼ばれた。 本日のスケジュールが終了し、一年桃組の生徒が帰り支度を始めた頃、そこにコダマが現われた。 「ヒカリ、いる?」 リリアンでの有名人の登場にヒカリの周りの黒山の人だかりがさっと崩れた。 「お姉ちゃん。」 「ちょっとついて来て欲しい所があるの。」 「それよりも、このお守り代わりのロザリオって一体何なの?」 「まあまあ、それについても説明するから。」 「はあ…わかったわ。手短にお願いね。アスカやレイと一緒に帰ろうと思ってたんだから…。」 「あら、二人とも同じクラスだったんだ。これは好都合だわ。」 「何がですか?」 「二人とも是非、薔薇の館に来て欲しかったから。」 「薔薇の館?」 「百聞は一見に如かず。ついて来て頂戴。」 と言う事で、コダマの案内でヒカリはレイ、アスカと共にその薔薇の館という所に招待される事になった。 EXTRA HUMANOIDELIC MACHINARY EVANGELION2 MARIA Gave it up EPISODE:1 Somebody's watchin' you, Somebody's watchin' me. 薔薇の館とは、高等部校舎の中庭の隅に建っている、教室の半分ほどのサイズの小さな木造二階建の建物だった。だが、ここは高等部の生徒会、通称[山百合会]専用の独立した建物であり、確かに館とも言える雰囲気はあった。 「薔薇の館と言っても、薔薇に覆われているという訳じゃないんですね。」 「何?甲子園球場みたいなのを想像してたの?」 「ええ、まあ…。」 「ふふっ、ま、理由は後でわかるわ。」 割と古い建物のようで、二階へと上る階段は木の軋む音がした。 踊り場にはステンドグラスがあって、そこには赤、白、黄の三色の薔薇が描かれていたのだが、ヒカリ達三人は気付かなかった。 「薔薇の館にようこそ。」 ビスケット扉を開けると、そこには先程在校生代表の挨拶をしたトウコ他、山百合会のメンバーが一人を除いて揃っていた。 「さあ、こちらへどうぞ。」 三人は促がされるままにテーブルに付いた。 「お飲み物は何が好みかしら?紅茶、緑茶、コーヒーと色々揃ってるわよ。」 「えっと、それじゃコーヒーを。」 「ヒカリはお茶でいいわね?」 「うん。」 「貴女は?」 「紅茶を。」 ヒカリの前に緑茶の入った湯飲みが、アスカの前にコーヒーの入ったマグカップが、レイの前に紅茶の入ったティーカップが置かれたのは、ちょうど三人が自己紹介を終えた頃だった。 「それじゃ、コダマに私達を紹介して貰いましょうか。」 「わかりました、お姉さま。」 “お姉さま?” ヒカリの頭の上に?がいくつも並んだ。 「じゃあ、そちらから。三年李組の二条ノリコさま。続いて三年椿組の松平トウコさま。その隣が三年菊組の有馬ナナさま。こちらのお三方は山百合会の中でそれぞれ白薔薇様(ロサ・ギガンティア)、紅薔薇様(ロサ・キネンシス)、黄薔薇様(ロサ・フェティダ)と呼ばれてるわ。」 正式にはこの三人のみが生徒会の役員であるが、特異点としては三人は同格であり、誰が生徒会長で誰が副会長だ、議長だ、書記だ、会計だという訳ではなく、時と場所と状況に応じてそれぞれの役割を分担している。 「それから、こちらがトウコさまの妹の水野ケイコさん、私はナナさまの妹で洞木コダマ…まあ、ヒカリはともかくアスカちゃんもレイちゃんもお見知りおきよね。で、あと一人、まだ来ていないけどノリコさまの妹の巫女神リオさんがいて、それぞれ紅薔薇の蕾(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)、黄薔薇の蕾(ロサ・フェティダ・アン・ブゥトン)、白薔薇の蕾(ロサ・ギガンティア・アン・ブゥトン)と呼ばれてるの。」 蕾の三人は正式には生徒会役員ではないが、生徒会の運営は三人の薔薇様達だけでは現実的にはかなりの負担になる為、三人の薔薇様の妹達がアシスタントをしているのでこの薔薇の館の住人になっているのである。それ故、実務を良く知っているその三人が次期生徒会役員になる事が多く、次の薔薇様候補者―――つまり蕾と呼ばれているのだ。 「ところで、リオはどうしたの?」 「多分、いつもの如くどこかで引っ掛かっているのよ。」 ノリコがトウコに答えると、ちょうどその時ビスケット扉を開いて誰かが入ってきた。 「遅くなりました。申し訳ありません。」 入ってきたのは、髪が金と黒の斑のセミロングに、左が青で右が黒の瞳という、世にも珍しい姿の生徒だった。 自分達も人目を引く外見ではあるが、予想外の人物の登場にレイやアスカは勿論ヒカリも目を丸くした。 「このコが私の妹、巫女神リオよ。今日は何枚ラブレターを貰ったのかしら、リオ?」 「え…えっと…9枚です。」 そういう彼女は胸に1枚の手紙を持っていた。ここに来る途中で渡されたようだ。 “…どういう学校なの?ここは…。” 同性からラブレターを貰うとは…何となくどこかで聞いたような話である。 “そう言えば、真辺先輩が一時…。” とヒカリが思考していた時、アスカが口を開いた。 「あの…良くわからないんですが…コダマさんがヒカリのお姉さんと言う事は知ってますが、その他の方は名字が違うのにどうして姉妹という間柄なんですか?」 「ふふっ、もちろん洞木姉妹のように血縁関係が有る訳では無いわ。これは、リリアン特有の[スール(姉妹)]制度というものなの。」 「スール?」 それは、生徒の自主性を尊重する学校側の姿勢から生まれた制度らしい。義務教育中は教師やシスターの管理下に置かれていた学園生活が、生徒自らの手に委ねられ、自分達の力で秩序ある生活を送らなければならなくなった時、姉が妹を導くが如く、先輩が後輩を指導する事になるのは当然であった。 「上級生は下級生をリリアンの生徒として正しく導く責任があるわ。その関係が個人的に強く結びついた場合、二人はスールと呼ばれるの。ちなみにスール(soeur)というのはフランス語で姉妹の事よ。」 “フランス語で姉妹は‘スール’…後でメモしておかなきゃ…。” ちなみにドイツ語で姉妹は‘シュヴェスター(Schwester)’であることはアスカにはわかりきっている事だがそれはともかく。 「それで、姉妹になるには儀式があって、上級生が下級生にロザリオを授けるとその二人は姉妹として契約を結んだ事になるのだけど、勿論それは強制では無いわ。誰もが必ずしも妹を持たなければならない訳ではないし、下級生も指名されたからと言っても、その上級生を気に入らなければ契約を拒否しても構わないの。」 「ふふ、トウコは先代の紅薔薇様をお泣かせしたりした事もあったわね。」 「ノリコ、余計な事は言わなくていいの。」 「もう一つ、蕾、というのはどういう意味なんでしょう?」 「私達の妹は私達三人の薔薇様の後継者の候補なの。だから、今の彼女達は時期的には蕾、と言う訳。」 「はぁ…少々難しいですけど、何となくわかって来ました。」 アスカはそう言ってコーヒーを一口飲んだ。 そして、それまで黙っていたナナがようやく口を開いた。 「で、コダマ?私が貴女に授けたロザリオをどうして貴女の実の妹さんが持ってるのかしら?」 「昨日の夜、このコが新入生代表の挨拶をすると聞いたので、今朝トチらないようにお守り代わりとして授けました。」 「それは私のようにならないように、と考えての事かしら?」 ケイコが少々ジト目になってコダマを睨む。 「うわちゃ…決してそんなつもりはなくてよ。」 「では、そのロザリオはどうする気かしら?」 「勿論、私の妹として、ヒカリにずっと持っていて貰います。」 「お姉ちゃん!?」 「コダマさん、それってルール違反だと思うわ。」 「そうよ、自分の実の妹をスールの妹にするなんて!」 リオとケイコが異議を唱えた。 「そうなんですか?えーと、松平先輩?」 アスカはどうやらトウコがリーダーシップを持っていると思って訊いてみた。 「ふふっ、普通の学校ならそれで問題ないけど、リリアンでは違う呼び方をしなくてはならないわ。上級生には名前の下に‘さま’を、同級生には名前に‘さん’を、下級生には名前を呼び捨てあるいは‘ちゃん’を付けて呼ぶ事になっているの。そして、私達みたいにスールの契約をした場合は、下級生は上級生をお姉さまと呼び、上級生は下級生を妹のように扱わなければならないの。」 「はあ…では、名前を知らない人を相手にした場合はどうすればいいんですか?」 「ふふ、次から次へと質問ね。それはゆっくり教えていきましょう。」 「それで、お姉さま、コダマさんの妹選びについてはどう判断なされるのですか?」 「そう言えば、貴女達は誰が一番早く妹を持つ事ができるか、競争していたんだったわね。」 「はい。」 「じゃあ、コダマの勝ちね。」 「黄薔薇様!?」 「実の妹をスールでの妹にしてはいけない、とは定められて無いわ。」 「…ならば、してもよい、とも定められていない訳でしょう?」 「そうよ。だからOK、NGどっちに解釈してもいい訳。それなら、OKと先に解釈して妹を作ったコダマの勝ちよ。」 「そうね…今回はコダマちゃんの作戦勝ちってとこかしらね。」 「私も、別に問題無いと思うわ。」 紅薔薇様と白薔薇様も了承したので、ケイコとリオもそれ以上文句は言えなかった。 「と言う事で、ヒカリ。貴女はこれで晴れて黄薔薇の蕾の妹となったわ。よろしくね。」 「お姉ちゃん…もしかして、生徒会のお仕事を私に手伝わせる気だったでしょう?」 「ヒカリ、貴女はリリアンの生徒になったのだから、これからは私をお姉さまと呼びなさい。」 「誤魔化さないで。」 そこで、コダマはヒカリを選んだ理由を正式に説明した。 「このコは今まで三年間クラス委員長をやってきました。その責任感の強さ、リーダーシップ、それと新入生代表に選ばれた優秀さ。山百合会に重要な人材だと思いませんか、薔薇様方。」 「確かに。」 三人の薔薇様達は肯いた。 「期待しているわ、ヒカリちゃん。」 「あ、でも、私またクラス委員長になってしまったんですけど…。」 「それなら、私は演劇部の部長よ。」 「私も剣道部の部長。」 「私は環境整備委員会の委員長。」 何と紅薔薇、黄薔薇、白薔薇三人も別の役職を持っていた。 「だから、大丈夫。山百合会はいろんな人に支えられているの。それに一年生にはそれほど重要なお仕事は回さないから。」 「はあ…。」 「ところで、何故、貴女達がここに呼ばれたのか、理由はわかる?」 「多分、二人の外見の事だと思いますが、生まれつきなので問題ありませんよ。」 「まあ、そうでしょうね。このリリアンに髪の毛を染めて入って来るなんて、よほどの事情が無い限り有り得ないものね。」 「入学式の前の自己紹介でクラスメートには話しましたけど…。」 「だけど、事情を知らない人はまだこのリリアンの中には多いわ。きっと新聞部を始め、たくさんの人からいちいち質問されるに違いないし、質問されなくても陰でヒソヒソ話とかされるのって嫌でしょ?」 「まあ…それは確かにそうですね…。」 「あ、もしかして、生徒会…じゃなくて山百合会が公認というかお墨付きを与えてくれるという事ですか?」 「わかりやすく言えばそうなるわね。それで、後で新聞部と写真部の代表者がここに取材に来るのだけど、その前で私達に理由を教えて貰いたいのよ。まあ、あまり細かい事や言いたくない事は言わなくてもいいから。」 「取材…私達を、ですか?」 「ええ。貴女達の事を校内新聞でお知らせするの。これこれこういう理由でこんな姿ですってね。そこに私達山百合会の関与があったならば、もう誰も貴女達の事をとやかく言わなくなるわ。」 それほど、山百合会の権限というか存在というか、影響力は絶大なのだ。 「ふーん…そう言う意味からすると、このロザリオも何か本当にお守りみたいに思えてきたわ。」 ヒカリは今朝方コダマから首にかけて貰ったロザリオをまじまじと見つめた。 「代々の黄薔薇様から受け継いできたロザリオなんだから、大事にしてよ。」 「う…うん…。」 「紅薔薇…白薔薇…黄薔薇…なのに山百合会…何故?」 今まで一言も発言しなかったレイが口を開いて言ったのがそれだった。 「………。」 無言がその場を支配した。アスカとヒカリはレイのその言葉に今まで何故自分達がそれを疑問と思わなかったのかに気付いて呆然とし、ケイコとコダマはレイの最初の発言がいきなりそんな質問だった事に呆気に取られ、トウコとナナとノリコは誰もそれへの明確な回答を持っていなかったからである。 と、リオが席を立ってレイの隣に来た。 「貴女は…綾波レイちゃんだったわね?」 「はい。」 「貴女の質問については、申し訳ないけどここにいる薔薇様方でさえ知らないわ。あえて理由を挙げるとしたら…それはもう、伝統というしかないの。」 「伝統…ですか…。」 「せっかく山百合会の事に興味を持って貰ったのに、こんな答えしかできなくてごめんなさいね。」 リオは微笑んだ。 “…あ…。” その天使のような微笑にレイは魅了された。 「それにしても…貴女の蒼い髪と紅い瞳、それに白い肌…とても素敵だわ。」 「あ、彼女の外見は、遺伝子の突然変異でしかたなく…。」 ヒカリが補足説明を入れたが。 「まあ、そうだったの…でも、それはなんら恥じる事の無い事だわ。」 “………?” 彼女が何故そんな言葉を口にしたのか、レイ達三人にはわからなかった。 「…貴女は、私の外見をどう思う?」 金と黒の斑の髪、青と黒のオッド・アイ。日本人と金髪碧眼の西洋人の混血という特徴が非常に顕著過ぎるほどに現われたその外見の神秘さで、リオはリリアンで一番の人気者だった。女子高でありながら今まで貰ったラブレターも数知れない。 「…素敵…だと思います。」 二人はしばし見つめ合った。と、いきなりリオは首に掛けていたロザリオを外してレイに差し出した。 「リオ!?」 突然のリオの行動に驚く山百合会の一同。 「受け取ってくれる?これは、私と貴女を結ぶ‘絆’…貴女に私の妹になって欲しいの。」 ‘絆’…その言葉に何かを感じたレイは肯いていた。 「レ、レイ!?」 アスカとヒカリは勿論、他の五人も呆然としている中、リオはレイの首にロザリオをかけてあげた。 「これから、貴女は私の妹。私は貴女のお姉さま。よくって?」 「はい………お姉さま。」 「う、嘘〜っ!?な、何でレイを選んだんですか!?」 アスカの驚きの声に一同は解凍した。 「リオ、説明して貰えるかしら?」 ノリコも驚きを隠せない。 「…一目惚れしてしまいました。」 「ひ、一目惚れ…。」 女のコが女のコに一目惚れ…このリリアンという女子高はそういった風潮の学校だったのだろうか?ヒカリは呆然自失から未だに回復できない。 「そ、それじゃ、私もっ!」 負けん気の強いアスカの行動は目に見えていた。 「えっと、水野先輩…じゃなくてケイコさまっ!」 「は、はい!?」 「私を、貴女の妹にして下さい!!」 「ア、アスカまで!?」 ヒカリは驚愕によって茫然自失から回復した。 だが、突然の申し込みにケイコも驚いたまま、何も話せない。 「…だ、ダメですか?」 「そ、そんな事無いわ!」 ケイコは慌ててロザリオを外した。コダマが、リオが妹を持ってしまったのだ。蕾として遅れを取る訳には行かなかった。 「こんな私で良ければ…。」 “ケイコ…それは逆の立場で使う言葉でしょうが…。” トウコはケイコの天然とも言えるボケに思わずこめかみを押さえた。 “いえ、そうではなくて…。” はっとトウコが我に返った時、既にケイコはアスカにロザリオをかけてあげてしまっていた。 「ケイコ…貴女、何を考えているの?」 「え?何がですか?」 「何が、じゃないでしょう?妹を作るという事は…。」 「トウコ、今更言っても仕方ないじゃない…ケイコちゃんの天然は今に始まった事じゃないし…。」 「そんな…それはひどいです、薔薇様方。私にも私なりの考えがあって…。」 「トウコの気持ちはわかるけど、その話は後にしない?アスカちゃんが…。」 言われてトウコがアスカを見ると、アスカは何となく気まずそうな表情をしていた。自分が妹にしてほしいと言った事が、ケイコに今迷惑を掛けてしまっている結果に繋がっているような気がしていたのだ。 「あら、ごめんなさいね、アスカちゃん。貴女は別に何も悪くないのよ。」 「あ…はい…。」 「あ、だけど、一つだけ訊いていい?」 「はい、何で……。」 トウコの問い掛けに答えようとしたアスカは突然口篭ったかと思うと、ケイコに振り向いて訊いた。 「あの、お姉さまのお姉さまは、やっぱりお姉さまと呼べばいいんですか?」 トモダチのトモダチはみなトモダチ…であるが、この場合は違う。 「いいえ、紅薔薇様、とお呼びしなさい。」 「はい…何ですか、紅薔薇様?」 「貴女はリリアンの中等部ではなくて外部の中学出身よね?そんなに簡単にリリアンの風習に慣れる事ができるものなの?」 それは…アスカが既にドイツで大学を卒業しているが故に、日本での高校生活に戸惑うかもしれない…詳しく言えば、上級生との関係がうまくいかないかもしれない、と心配した誰かのアドヴァイスがあったからだった。 「えっと…何と言いますか…郷に入ったらGOで〜すと言いますし…。」 勿論、シンジはそんな嘘は言っていない。 「そ、それを言うなら郷に入れば郷に従え、でしょ。」 ケイコが慌てて訂正した。 「あ、あの、アスカはハーフで、2年前にドイツから来た帰国子女なんです。それで、国語は不得手なんです。」 ヒカリがフォローするがアスカの顔は既に真っ赤だ。 「ぷ…あははは、貴女達、確かに姉妹になって正解だわ。」 とうとうトウコは笑い出してしまった。 何だかなし崩しのような感じがするが、とにもかくにも、こうして入学式当日に薔薇の蕾の妹が全員決定してしまったのであった。 「これは前代未聞の事件が起きてしまいましたわね。」 「リリアン瓦版を一新しようと思っていましたけど、こんな特ダネがあるとは、正に‘人生は塞翁が馬’ですわ。」 ビスケット扉の外で小声で話すショウコとヒデミ。 と、いきなり、その扉が開かれた。 「そこで何をしてるの?」 ただ一人、感付いたのはレイだった。 「ちょうどいい所にいてくれたわね、ヒデミさんにショウコさん。」 三薔薇様達が続いてやってきた。 「あ…こ、これは、ごきげんよう、薔薇様方。」 「盗み聞きしていたのはちょっと頂けないけど…。」 「いえ、別にそんなつもりでは…。」 「まあ、いいわ。お入りになって。」 「それでは、失礼致します。」 入ってきた二人を見てアスカはすぐにその二人が今朝方自分達に何かインタビューしようとした者だと気付いた。 “あの時、また後ほど。≠ニ言ったのはこういう事だった訳ね…。” そして、山百合会の監修の元、アスカ、レイ、ヒカリの三人にインタビューする形で新聞部の取材及び写真撮影が行われ、翌週には校内新聞[リリアンかわら版]でこの事実は全校生徒に知らされる事になった。 超人機エヴァンゲリオン2 「マリア様が見はなした」 第1話「誰かさんがみてる」 完 あとがき