第二話

白薔薇姉妹、誕生 後編

〜3〜
 黄薔薇さまに手伝いをお願いされて、一緒に大学の自治会に行って届け物をすませた。自治会の部屋では黄薔薇さまがOGの方々と楽しそうに学園祭の話で盛り上がった一方、私は緊張しすぎで案山子状態だった。
 ……無事かどうかわからないけれど、とにかく退室できてほっと胸をなで下ろす。
「お疲れさま」
「ど、どうも……」
「そうね。少し寄り道していきましょうか?」
「寄り道ですか?」
「ええ、喫茶室が良いわね。手伝ってもらったお礼に何か奢るわよ」
 ポケットから色つき画用紙にゴム印を押して作成された切手サイズの紙片を二つ見せてくれた。喫茶って書いてある。喫茶室の食券だった。
「そんな、おごってもらうほどのことでは」
「いいからいいから」
 と押し切られてしまって、黄薔薇さまと麺食堂の上にある喫茶室に行くことになった。
 教室の半分ほどの部屋にはちらほら人がいる程度で、窓際の良い席を確保することができた。普通他の客があまりいなくても高等部の人間が大学の施設を利用するのにあまり堂々ってわけにはいかないと思うのだが……黄薔薇さまはとっても堂々としていた。
「私はときどき利用するけれど、祐巳ちゃん、ここ初めて?」
「はい……そんな何度も使って良いんですか?」
 そう聞いた私に、「ええ」と言って輪ゴムで止められた色とりどりの色画用紙の束を見せてくれた。さっきの二枚はこのうちの一部だったようだ。大学の施設は教師の許可がなければ利用できないのに、こんなに集めてしまうなんていったいどうやったのだろうか?
「卒業までには使い切れそうにないし、余ったらあげるわね」
「ありがとうございます」
 ひょっとしたらそういった卒業生からいただいた分が結構あるのかもしれない。
 ともかくいただきますと言っておごってもらったケーキを食べることにした。
「祐巳ちゃんが山百合会に入ってくれて良かったわ」
 しばらくして唐突にそんなことを言われてしまった。ひょっとしてまた百面相でもしていたのだろうか?
「今まで七人でやっていたから、八人に増えたのは良いことでしょう? それに、ずっと空席だった白薔薇のつぼみが埋まったというのもね」
 ああ、なるほどそういう意味だったのか。ちょっと安心。
「白薔薇のつぼみが空席なのは大きかったわね」
「今までどうしていたんですか?」
 山百合会幹部は三色それぞれの薔薇さま・つぼみ・つぼみの妹で成り立っている。つぼみの妹はともかく、つぼみは行事でもきちんと役が割り振られているから、確かにいないのはまずい。
「白薔薇さまのクラスメイトに手伝いをお願いしていたわ。志摩子が来てからは志摩子が代理をしてくれていたわね」
 その志摩子さんは祥子さまの妹・紅薔薇のつぼみの妹になってしまったから再び手伝いを探さなければいけなくなってしまっていたのか。
 ん? 考えてみれば、私が白薔薇のつぼみということは、行事では祥子さま、令さまと一緒に役目を担うわけか。……やっぱり釣り合わない。そんなことはわかりきっていたことだけれど、私が白薔薇のつぼみであることは他の人たちからはどんな風に見られているのだろうか?
「そしてなにより、祐巳ちゃん自身が楽しいのだから、私としてはもう言うことなし」
 もう疑いなくそれは本心ですって、ありありとわかるくらい楽しそうに言われてしまった。
「くすくす。白薔薇のつぼみとして不安?」
「……はい」
「でも大丈夫よ。この黄薔薇さまが太鼓判を押してあげるから」
 あんなことを言われた直後にそんなことを言われても信憑性はこの上なく薄い。
「あら、信用されていないのね。仕方ない、不安なら一度紅薔薇さまに聞いてみなさいな」
 そうしよう。まじめな話では紅薔薇さまが一番信頼できるのはここのところでよくわかったし。
「まあそれでも、一応私の考えも話半分くらいには聞いておきなさいな。まず前提だけど、姉妹なんてそんなに重いものじゃないのよ。選挙がある薔薇さまとちがって、どれだけ役目があったとしても突き詰めればつぼみは単に薔薇さまの妹でお姉さまを手伝っているだけなんだから、しっかりしているかどうかよりも、姉妹関係がどうかの方がずっと大切よ」
 由乃さんもそんなことを言っていた。山百合会幹部はみんなそんな風に考えているのだろうか?
「だから、聖とはどう? うまくやっているわよね」
「はい、今度日曜日に一緒に遊びに行く約束もしてますし」
「それは良いわね。祐巳ちゃんと姉妹になれてから聖は楽しそうだし、親友の一人としてお礼を言うわ」
「あ、いえ、そんな……」
 お礼を言われるような何かをしているわけではないと思うけれど、黄薔薇さまの雰囲気は私をからかっていた時ものじゃなくて、まじめに言ってくれている時のままだったから、少しとまどってしまった。
「姉妹なんてものは一緒にいて楽しければ良いのよ。でも、祐巳ちゃんの場合はそれ以外にも志摩子にとってもよかったでしょうね」
「志摩子さんにとっても?」
「ええ」
 白薔薇さまが志摩子さんは友達が少ないって言っていたし、私が友達になれたら志摩子さんにとっても良いってことだろうか?
「さて、そろそろ行きましょうか。あまり遅れると紅薔薇さまがこわい顔をして待っていることになるかもしれないしね」
 それはまずい! グラスに残っていたオレンジジュースを一息で飲みきって黄薔薇さまと一緒に喫茶室を出た。
 薔薇の館に行く途中、山百合会幹部としてどうかの方について、私が加わって一番喜んでいるのは紅薔薇さまだと思うと言っていたけれど、本当だろうか?


 ついにやって来た日曜日。つまり白薔薇さまとの初デートの日だ。『初デート』という響きもいい。すごく心躍る……踊りはするが、いったい何を着ていくべきかで悩んでいる。
「うーん……いまいち、かな?」
 試しに着てみた服をまた脱ぐ。次はどれにしようか……
 今までは学校かその帰りでの話ばかりだったから、服で悩む必要なんかこれっぽっちもなかった。でも、日曜日の今日はそういうわけにはいかない。初デートは一度しかないのだから、休みの日に友達と出かけるのとは違うものにしたいとは思うのだけれど、それにふさわしい服というものはどんなものなのやら……
「祐巳ちゃん、入るわよ」
「いいよ」
「あら、これどうしたの?」
 ああ、普通疑問に思うか。床には試しに着てみたは良いものの、いまいちということでやめた服が散乱している。
「あっひょっとして祐巳ちゃんお姉さまができたの?」
 どうしてわかったんだろう?
 聞いてみると、机の上に置いてあったロザリオが理由だった。リリアンOGのお母さんにはその意味がわかったわけだ。
 そして、言ってくれれば良いのにと少し非難がましく言われてしまった。いろいろとあったからお母さんに言うのをすっかり忘れてしまっていたことに、今気づいた。
「それで、何をしていたの?」
 今日が初デートで何を着ていくのか迷っていたのだと説明すると、娘の初デートを喜んでくれ、何でも貸してあげるし一緒に選んでくれると言ってくれた。
 そうしてお母さんの言葉に甘えて、服を何着か借りて試してみたのだけれど、普段着慣れないものはどこか似合わなかった。それで結局、友達と一緒に出かけるのと同じような服に落ち着いてしまった。白薔薇さまがすごいおしゃれをしてこないことを祈るばかり。
 服が決まってしばらくして下からお母さんが私を呼ぶ声が聞こえてきた。たぶん白薔薇さまが来たのだろう。
 下に降りると、「いつも家の娘がお世話になっております」とお母さんが白薔薇さまに丁寧に挨拶をしていた。白薔薇さまの方もよそ行きモードらしく、さすが薔薇さまって感じでお母さんに挨拶を返す。普段の白薔薇さまからすると豹変といっていいかもしれず、正直驚いた。
「祐巳ちゃん、おはよう」
「はい、おはようございます」
「お急ぎでないなら、上がっていって下さいな」
「お言葉に甘えさせていただきます」
 と、白薔薇さまが靴を脱いであがってすぐ「あれ、あの子は?」と聞いてきた。白薔薇さまの視線を追っていくと、ちょうどリビングから出てきた祐麒の姿があったので、弟の祐麒ですと説明した。
「おはようございます」
「おはよう。そうか、君、祐巳ちゃんの弟だったんだ」
 こっちにやってきて挨拶した祐麒に対して白薔薇さまの挨拶は少し違った。二人は知り合いだったのだろうか?
「え? ……あ、確か文化祭に来てた……」
 なんだろう? 祐麒は何かを思い出したのか恥ずかしそうに顔を少し赤くしている。
「ええ、白薔薇さまの佐藤聖よ」
「はい?」


 お母さんを祐麒に任せてどこか、というかまさに逃げるように家を出た。
「祐巳ちゃんのお母さんってリリアン出てたんだ」
「……はい」
 さっきのお母さんの大騒ぎを思い出すだけで頭のてっぺんからつま先まで真っ赤になってしまいそうなくらい恥ずかしい。お姉さまが白薔薇さま、つまり私が白薔薇のつぼみになってしまったと知って、まさに絶叫というべきすごい声をあげて驚いたのだ。
 そして、お母さんのあまりの反応に白薔薇さまは驚いて後ずさりして転んでしまった。
「驚かせてしまってすみません」
「いいって、気にしてないから」
 本当に気にしてなさそうだったからほっと一安心。近所の皆さんもそうであってほしい。あの絶叫は近所中に響き渡っただろうし……あれが、悲鳴だったら警察を呼ばれてしまっていただろう。
「でも、話してなかったの?」
「はい……言い忘れてました」
 お母さんはずっと平々凡々な一生徒だったから、山百合会の幹部にあこがれているのは重々承知している。けれど、それにしたってまさかあそこまですごい反応をするとは思わなかった。言い忘れていたのを本気で後悔。きちんと手順を踏んで説明していれば、同じ驚くでも何か被害をもたらすようなことはなかっただろう。
「そっか、まあ、何事もなくってわけでもなかったし仕方ないか。それにしても、祐巳ちゃんの家族って楽しそうだね」
「そうでしょうか?」
「うん、そう思う」
 ひょっとして祐麒もその中に含まれているのだろうか? 二人は知り合いだったようだし、祐麒はなぜか顔を赤らめていた。帰ったら何があったのか聞いてみようかな。
「ところで、祐巳ちゃんって普段いつもそんな格好なの?」
「え?」
「祐巳ちゃんの私服を見るのは初めてだからさ」
 白薔薇さまの説明に心の中で胸をなで下ろす。一瞬、これぞという服が見つからなかったことを見抜かれてしまったのかと思ってしまった……のだけれど。
「そっか、ここは一つ可愛い妹に服でも買ってあげることにしましょうか」
 私の反応から結局見抜かれてしまった。
「おーい、いつまでも落ち込んだままだと置いていっちゃうよ」
 見ると白薔薇さまはすでにバス停の方に向けて歩き始めていて、それなりに二人の間隔が開いてしまっていた。待ってくださいと言って追いかける。
 気を取り直してこれからの話をしよう。そう決めてどこへ行くのか聞いてみた。
「そうだね。K駅前の百貨店なんかどうかな? あそこなら服の一つや二つ見つかるだろうし、良いのがなくても近くにはいろいろと店もあるし」
「いいですけど、本当に私の服を選ぶんですか?」
「選ぶ、じゃなくて、買ってあげるだよ」
「ええ! でもそんなわけには」
「お姉さまが服をプレゼントしてあげるって言っているんだから、妹は素直に喜べばいいのよ」
「で、でも……」
「いいからいいから。志摩子と一緒に遊びに行くようになったら、着て行って私から買ってもらった服だって言ってあげなさい」
 そっか……前に言っていた志摩子さんのためにも仲良くしようっていう話だ。なら、確かに私は喜ぶべきだ。
「はい、そうします。ありがとうございます」
 ということでK駅に向かうことが決まった。


 ここはK駅の北口からすぐの百貨店の婦人服売り場の更衣室の中、で私は今白薔薇さまが選んでくれた服の一つに着替えている途中である。
 選んだ服に順番に着替えさせている白薔薇さまはすごく楽しそう。昔懐かし着せ替え人形みたいな感じなのかもしれない。
 着替え終わったのでカーテンを開けて更衣室を出たけれど、白薔薇さまの姿が見えない。
「あれ? 白薔薇さま?」
「ゆーみちゃん」
「ぎゃうっ!」
 どこへ行ったのだろうかと辺りを見回そうとしたとき、後ろから飛びかかるように抱きしめられたのにびっくりして、またしても恥ずかしい悲鳴を上げてしまった。
「うーん、可愛い。可愛いよぉ」
 またそのことについて何か言われるかと思ったけれど、スルーして可愛いと連呼しながら私の頭をなでなでしてくる。幸い今周りには誰もいなくても、ここは公共の場であって、そんなところでこんな風にされるのは恥ずかしい。
「白薔薇さま、服にしわついちゃうからやめてください」
「それは大丈夫。これすごく似合っているし、これにするって決めたんだから、しわつけても店員さんに『お買い上げありがとうございました』以外言われないから」
 恥ずかしいからやめてくださいと言わなかった作戦失敗。さらに体を密着させてくる白薔薇さまに今度はなんて言おうかと思ったとき、白くパッと光る光が見えた。
「……まさかカメラちゃん?」
 私の言葉よりもあの光の方がずっと効果が大きかった。白薔薇さまは私を解放してくれ、二人で蔦子さんの姿を探すことになった。
「いた?」
「いえ、こっちには」
 あたりを探したのだけれど、蔦子さんの姿はどこにもなかった。
「元々最初に提案してきたのはカメラちゃんだったからな。ひょっとして、してやられたか?」
 確かに白薔薇さまが実際に日曜日に遊びに行かないかと誘ってくれるよりも前に、遊びに行っては? と提案したのは蔦子さんだ。あのときは白薔薇さまに本心を指摘されて笑ってごまかしていたのが、こうなったか……白薔薇さまに『してやられたか』と言わしめる写真部のエース恐るべし。
「とりあえず、目的は達したわけだし、次は映画館に行こう」
「なるほど、映画館なら写真撮れないですね」
「うんうん。してやられっぱなしっていうのはしゃくだしね」
 蔦子さんにとっては写真が撮れないことが一番悔しいことだろう。早速店員さんを呼んでこの服を買ってもらい、店を出た。


 映画館、水族館、美術館など……別に蔦子さんを強く意識してってわけではなかったけれど、ノープランだったから、お昼を食べるときにいっそこのまま写真撮影できないところを巡ろうって話になってそんなコースになったのだ。
「今日一日どうだった?」
 私の家の最寄りのバス停で降りて歩き始めてから今日の感想を聞いてきた。
「楽しかったです」
「私も楽しかったよ。蓉子や江利子くらいとしかこんな風に遊びに行ったことがなかったし、良い経験にもなったと思う」
「栞さまや志摩子さんとは遊びに行ったことはなかったんですか?」
「まあね……栞とは遊ぶって関係じゃなかったし、志摩子の時もそんなこと考えたことなかったな」
 そう答えた白薔薇さまはとても寂しげで、なんて声をかけたらいいのか私にはわからなかった。それで、声をかけられなくて黙ったまま歩いていると、ぽんって感じに私の頭に白薔薇さまが手を乗せてゆっくりと撫でてくれた。
「ありがとね。でも終わったことを振り返っても仕方ないよ」
 そう言って、明るい笑顔に戻って「今日楽しかったんだよね。私も楽しかったし、また今度行こうか?」と続けた。だから私は元気よく「はい!」って答えた。
 それからまもなく我が家に到着した。
「ただいまー」
「御邪魔します」
「あ、お帰り……」
 私たちを出迎えてくれたのは祐麒だったけれど、かなり疲れた顔をしていた。これは、お母さんがものすごいことになっていたからだろう。疲れ具合にただならぬものがあったから、お母さんを任せて白薔薇さまと楽しんでいたことに罪悪感を覚えてしまう。
 そして白薔薇さまと一緒に帰ってきたのだ、これから何が待ち受けているのやら。パタパタという音を立ててある意味元凶たるお母さんが奥から小走りで奥から出てきた。
「祐巳ちゃん、お帰りなさい。白薔薇さま、今日は娘をありがとうございました。良かったら夕飯を召し上がっていって下さい」
 見るからに浮かれているのがわかる。白薔薇さまのためにものすごいご馳走を用意していた気がする。
「ありがとうございます。それではお言葉に甘えさせていただきますね」
「はい、どうぞ」
 そうしてリビングに入るとテーブルの上を埋め尽くしているご馳走の数々が目に飛び込んできた。
 伊勢エビ、尾頭付きの鯛に始まって高級食材がずらっと並んでいる……のはまあ良いとして、なぜ鏡餅まで一緒に並んでいるのだろうか? まさか、とりあえずめでたいものを片っ端から集めてきましたとか? ……ありえそうだ。
「すごいですね」
 私があっけにとられている一方で、白薔薇さまはうれしそうにお母さんに感想を言いはしたものの、さすがの白薔薇さまも装いきれなかったらしくどこか笑顔が引きつっていた。
 そんなことにつゆほども気づかないお母さんは、すごいって言われてさらに気をよくして「たんと召し上がれ」とか言っている。
 すでに席に着いていたお父さんも祐麒と同じように疲れているようだし、たぶん今日一日お母さんに振り回されていたのだろう。お父さん、祐麒、ごめんなさい。
 ともかく、このまま突っ立っているわけにもいかない……席についてこのあまりに豪勢すぎるご馳走を食べることにした。
 ところで、食べているときに気づいたのだけれど、リビングの隅に鎮座しておられる片方しか目が入っていないダルマはいったいなんなのだろうか?


〜4〜
 昨日はずいぶん楽しい日だった。祐巳ちゃんと一緒に遊びに行ったのはもちろん、祐巳ちゃんのお母さんがずいぶんおもしろかった。
 江利子に話してやったらなんて言うだろう? そんなことを考えながらいつものように並木道を歩いて昇降口にやってくると、新聞部員が昇降口前でリリアンかわら版の号外を配っていた。
 号外をもらった子たちがその内容について話をしているようだし、何かおもしろい話でもあったのだろうか?
「あ、白薔薇さま。ごきげんよう」
「ごきげんよう」
「一ついかがですか?」
「うん、もらっておくね」
 一つ号外をもらってそのまま靴を履き替えて教室に向かう。
 その途中で、もらった号外を見た瞬間、思わず頭を抱えてその場にうずくまりそうになってしまった。
 かわら版の一番上には『新白薔薇姉妹蜜月を堪能中!』なんて文字が躍っており、私と祐巳ちゃんが楽しそうに歩いている写真が載っていたのだ。
「……まずったなぁ」
 私が祐巳ちゃんに服を選んで買ってあげたことも載っているし、あれはカメラちゃんじゃなくて、たまたまあの場に居合わせた新聞部の誰かだったのだ。新聞部のメンバーなんて三奈子ぐらいしか覚えてないから、あのとき探してもそれと気づかなかったわけか。それからのコースもしっかりと書かれているし……完璧に尾行されていたようだ。
「あっ」
 祐巳ちゃんはどうなっているだろうか? この前のことを思い出して、祐巳ちゃんの教室に急いだ。 
 一年桃組の様子を後ろのドアを少しだけ開けて覗いてみると、祐巳ちゃんを中心に輪ができていた。けれど、祐巳ちゃんは真っ赤になって恥ずかしそうにしていても、この前の窮地のような状態ではなかった。単にいろいろと言われて恥ずかしがっているだけ……友達二人の姿もあるし大丈夫だろう。
「白薔薇さま、ごきげんよう」
 立ち去ろうとした私の後ろから固い声がかけられた。
「……ごきげんよう、紅薔薇さま」
「もう少し、周りの視線に気をつけなさいな」
「確かに、気をつけるよ」
 露骨に覗いてますって格好は一応でも白薔薇さまをつとめる人間としてはまずかった。
「話があるから昼休みに薔薇の館で」
 お小言か……今回のことは私のミスだったし、仕方ない。了解と短く答えてその場を後にした。
 そして、教室に行くと同じようにかわら版で日曜のことを知ったクラスメイトからお祝いの言葉をもらうことになった。


「白薔薇さま。ごきげんよう」
 昼休み、気は進まなくても行かないわけにもいかないから薔薇の館に向かって廊下を歩いていたら、髪の長い子に声をかけられた。
「ごきげんよう」
「良い妹ができたようで、おめでとうございます」
 今日はお祝い・冷やかしあわせてもうだいぶ言われていたのに、どうしてかこの子の言葉が妙に気になった。確かにきれいな子だけれど、そういう外見的なものからではないような気がする……
「……ありがと」
「その……いえ、やはり良いです。失礼しました」
 その子は言葉を飲み込んで、まるで逃げるように私の前からいなくなってしまった。何がしたかったのかさっぱりわからない。
 雰囲気はずいぶん違うのに、どうしてかどこか志摩子に似ていたように思えたのが気になって、その場であの子のことを考え込んでしまった。
 しばらくして蓉子の顔が思い浮かんで、いまそんなことを考えている場合ではなかったことに気づいた。呼び出された用件は決まり切っている。それで、遅くなってしまったらお小言の種を増やしてしまうだけではないか。
 ……
 ……
「次からは気をつけるようにね」
 大あわてで薔薇の館に駆け込み、蓉子の反対側のいすに座って身構えた私にかけられた言葉はそれだけだった。
「……それだけ?」
「何を言いたいのかわかっているようだったなら、わざわざ言う必要もないでしょう」
「それは、どうも」
 いろいろと言われるとばっかり思っていたから、拍子抜けしてしまった。
「白薔薇のつぼみになった以上、これからもこういったことはあるだろうから慣れていかないといけないし、慣れていくだろうけれど、今すぐというわけにはいかないでしょう。それまで気をつけて護ってあげるのもあなたの仕事よ」
「そうするよ。でも、手が回らなかったときは、お願いしても良いかな?」
「ええ、いいわよ」
「ありがとう」
 そのまま、お昼は蓉子と一緒に薔薇の館で祐巳ちゃんとのことを話しながら食べた。
 そして薔薇の館から戻る途中、志摩子の姿を見つけた。たぶん、銀杏の木の下でお弁当を食べていたのだろう。
「志摩子ー」
 声を掛けたのだけれど、志摩子の方は気付かなかったのか、そのまま一・二年生の昇降口の方に消えていった。特に用があったわけではないし気付かなかったのなら仕方ないとはいえ、どこかすっきりしなかった。


〜5〜
 みんなからお祝いを言われたり、どんな感じだったか聞かれたりと、あわただしく恥ずかしい一日だった。けれど、それもこの掃除で終わると思う。この後は薔薇の館に行くだけ。白薔薇さまもいるし、みんなもみんなだから、よってたかっていろいろと言われたり聞かれたりってことはないだろう。
 音楽室の掃除を終えて掃除用具をしまう。
「祐巳さんは薔薇の館ですよね? 山百合会のお仕事がんばってくださいね」
「ありがとうございます」
 音楽室を出て薔薇の館に向かうために階段を下りていると、ちょうど階段を上がってきた髪が長い人が声をかけてきた。
「福沢祐巳さんよね?」
「はい。ごきげんよう」
 白薔薇のつぼみになって顔写真入りでかわら版を飾って以来、こうして知らない人から声をかけられることが結構ある。おかげでその相手がこの人みたいにきれいな人であっても、特に尻込みしたりせずに答えることができた。
「ごきげんよう。音楽室のお掃除当番よね?」
「ええ、そうです」
「いつもありがとう」
 お礼を言われるなんてどういうことなのだろうかと考えて、その人が手に楽譜を持っているのに気づいた。彼女は合唱部か吹奏楽部かその辺りまではわからないけれど、音楽関係のクラブに所属しているのだろう。
「いえ、どういたしまして」
「いつも音楽室を掃除してくれているあの子が噂の祐巳さんだなんてね。かわら版で写真を見たときは驚いたわ」
「そうでしたか」
 どうやら向こうは私の顔を知っていたらしい。確かに音楽室の掃除当番と音楽室を使うクラブの部員ではこうして顔を合わすことも何度かあっただろう。
「そういえば、まだ名乗っていなかったわね。祐巳さんは知らないのに私だけ名前を知っているなんて不公平よね」
「律儀なんですね」
 山百合会への用事や薔薇さまへの伝言を頼まれるようにもなったから、所属はともかく名前は一方通行でもお互いあまり気にしないことが多いのにこの人は違ったらしい。
「そういうわけでもないのだけれどね……私の名前は蟹名静よ」
「静さまですね」
「ええ、覚えておいてもらえると嬉しいわ」
 そう言って静さまはほほえんだ。
「祐巳さんはこれから薔薇の館よね? お時間を取らせてしまってごめんなさいね」
「いえ、特に急いでいませんでしたからお気になさらずに」
「そう言ってもらえるとうれしいわ。それではごきげんよう、白薔薇のつぼみ」
 なぜか最後だけ私のことを白薔薇のつぼみと呼んだのが気になって、ごきげんようと返した後も私の横を抜けて音楽室の方へ歩いていった静さまのことを目が追っていた。
 しばらくそのまま階段の中程でどうして気になったのか考えていたけれど静さまもいなくなってしまったし、わからないものを考えても仕方ないと薔薇の館に急ぐことにした。
「どうして私がそんなことをしなければならないのですか!?」
 薔薇の館の二階のあまり広くない部屋に叫び声がこだまする。
 叫び声を上げたのはなんと祥子さま。事の発端は会議が始まって三十分ほどした時、花寺の生徒会長のことが話にあがり、王子様役をつとめるのがその生徒会長であることを祥子さまは今初めて知ったようなのだ。それが、どうしてそこまでお気に召さないのか私にはさっぱりわからないけれど、その話を知ったとたん一気に沸騰してしまったのだ。
「何を今更言っているの? あなただってちゃんと承諾したし。それに、ずいぶんやる気だったじゃないの」
「話が違います!」
 私は祥子さまが瞬間湯沸かし器みたいになるなんてずいぶん面食らってしまったのに対して、周りの皆さまの落ち着き具合を見ると、どうやらこれが初めてではない様子。
(祥子さまってかんしゃく持ちだったんだ)
 私が今まで持っていたイメージとはずいぶん離れていたけれど、祥子さまへのあこがれが減ってしまうとかそんなことはなく、どちらかというと祥子さまの裏の顔というかそういったものを知ることができてうれしかった。
 その祥子さまは、紅薔薇さまに食ってかかってばっさり斬り返されるのを繰り返しているうちに落ち着いてきたのか、このままではいけないと気づいたのか、首を軽く振って深呼吸をしてから論理的に話を展開し始めた。
「ですから、私が納得できないのは、今になって配役を変更することです。学園祭まで後二週間というのに」
「だから、王子は最初から花寺の生徒会長に決まっていたの」
「嘘です。土曜の本読みまで、令が王子の台詞を言っていたではありませんか」
「あ、私は初めから代役って聞いていたけれど」
 と、令さまが手を挙げた。
「ほらね。祐巳ちゃんも知っていたわよね」
「あ、はい」
 白薔薇さまからそう教えられた。
「見てみなさい。祥子以外はみんな知っていたわよ。それでもまだ疑うなら、衣装を発注している手芸部に聞いてみなさい。王子の衣装は、花寺学院生徒会長用に作られているというのがわかるから」
「私の居ないところでお決めになったのね」
 手に握りしめている白いハンカチをキュって言わせて、とっても悔しそう。
 その後の祥子さまと紅薔薇さまの口論というか紅薔薇さまの口撃を聞いていて、祥子さまが男嫌いで花寺との打ち合わせ自体を避けていたことということと、どうやら薔薇さま方はそんな祥子さまをはめていたらしいことがわかった。
 どうしてそんな真似をしたのだろうか? 薔薇さま方が祥子さまに対して意地悪をするためだけにこんなことをするとはとても思えないし、ずいぶん前から計画していたようだから、何かしらの目的があると思う……それは何なのだろうか?
「……やはり、はめていましたね」
 祥子さまの視線は私に向けられていた……百面相でわかってしまったようだ。
「はめるだなんて、人聞きが悪いなぁ」
 すこしばつが悪そうに白薔薇さまがつぶやいた。
「嫌がっている人に無理矢理押しつけることも、人聞きが良いということはないのでは?」
 志摩子さんが口を出したのに少し驚いた。志摩子さんも知っていたはずだからある意味共犯のはず……元々快く思っていなかったのが、我慢できなくなったという感じなのだろうか?
 しかし、紅薔薇さまは祥子さまの男嫌いはアレルギー反応を起こすほどの大事ではないのだから、社会勉強としてやるようにと新たに理由を付け加えて命じた。
 たしかに紅薔薇さまの言うとおりだから、祥子さまがここまでかたくなにいやがっている理由がわからなかった。……そういえば白薔薇さまは花寺の生徒会長のことが嫌いのようだったし、祥子さまもそうなのだろうか? 花寺の生徒会長が心の底から嫌いで顔も会わせたくないというなら、そう答えてその理由を説明すればいい……なのに、祥子さまは何も言い返さなかった。
「それにしても……そのくらいのことは次期紅薔薇さまである祥子なら当然わかっているものだと思っていたのに、私の指導力が不足していたということになるのね」
 わざとらしく頬杖をついて大きなため息をする紅薔薇さま。完全に黙り込んでしまった祥子さまに更に追い打ちを掛けるとは……恐ろしい。
 とはいえ、やはり意地悪ではないだろうからこれも指導なのだろう。ひょっとしたら、こうして紅薔薇姉妹は代々鍛えられていっているのだろうか? 確かにこんな厳しい指導を乗り越えられたなら紅薔薇さまのように立派になれるかもしれない……でも、私だったら鍛え終わるよりも前に再起不能になるのは間違いない。
「ということらしいけど、頑張ってねー」
 白薔薇さまの厳しい姿をまだ見ていないだけかもしれないけれど、紅薔薇さまの横でのんきに祥子さまに応援の言葉をかけている姿を見て、白でよかったと思った。
「紅薔薇さま」
 し、志摩子さん! あなた紅薔薇さまに何か意見をするつもりなんですか!? 正直いすから飛び上がらんばかりに驚いてしまった。この状況で紅薔薇さまに意見できるなんて、志摩子さんもものすごい人のようだ。
「前に、紅薔薇さまは『妹は支え』とおっしゃいましたよね?」
 妹は支え? 私にはどういうことなのかわからなかったけれど、薔薇さま方は志摩子さんが言いたいことがわかったようで、みんな揃って表情が変わった。ただし、紅薔薇さまは眉間にしわを寄せて厳しい表情、白薔薇さまはどこかつまらなさそう、黄薔薇さまは逆にどこか楽しそう……と、まさに三者三様の反応だった。
「姉である祥子さまが困っているのなら、妹である私がそれを支えます」
 紅薔薇さまは厳しい表情のまま一つ息をついてから、「シンデレラは志摩子が務めると言うのね?」と確認をした。
「はい」
「私は賛成。嫌々やるよりも進んでやる人間の方が良い仕事をするものでしょう? おまけに、こんな美しい姉妹愛まで見ることができて言うことなし。やらせてあげましょうよ」
 黄薔薇さまがそう言ったけれど、何か企んでいるように思える楽しそうな顔が気になる。そのこともあったのか、紅薔薇さまは少し黄薔薇さまをにらんだ上で志摩子さんの方へ向き直り「良いでしょう。でも分かっていると思うけど、あと二週間しかないわ。その自覚を持ってやれるわね?」と承認と同時に念押しをした。
「わかっています」
「志摩子……」 
 祥子さまは志摩子さんが代役を申し出てくれたとはいえ、押しつけてしまった形になったのはプライドが許さない。それでもシンデレラ役を降りることができるのなら……そんな風に葛藤しているようだった。そしてしばらく逡巡したあと、志摩子さんに代わってもらうことを選択した。
 祥子さまのシンデレラ、そして練習限定の祥子さまと令さまの共演が見られなくなったのは私としては残念だけれど、志摩子さんもかなりの美少女で十分に主役を張れる存在なのだから、劇そのものの価値はそう変わらないだろう。
 それにしても……いろんな意味で『紅薔薇さま』と書いて『リリアン最強』と読むことが、あと二代は保証されているのかもしれない。


「白薔薇さま、祥子さまをはめて何をするつもりだったんですか?」
 解散になって白薔薇さまと帰るときに、今日気になったことを聞いてみた。
「ああ、そのことか」
 白薔薇さまは祥子さまの男嫌いの理由とそれを克服させる作戦だったことを説明してくれた。
「まあ、そういうわけだったのよ。でも、社交界デビューなんてとっくの昔に果たしてるんだし、男の人と接してないはずがない。それなのに、今日もみたいに祥子の避け方が変だったから、本当の理由を知りたかったけど、志摩子のせいでおじゃんになっちゃったなぁ」
 祥子さまがあそこまでいやがっていたのは、男嫌いだけが理由ではないのはわかった上での今日のやりとりだったのだ。
「まあ、あっちの姉妹がうまくいってるってことでもあるから悪い話ってばかりじゃないんだけどねぇ」
 白薔薇さまは祥子さまの秘密を知りたかったのだろう、つまらなそうだ。
「私も気になりますけれど、二人の関係がうまくいっているのは良いことですよね」
「うん。まあ、二兎を追うものは一兎も得ずというし、素直に喜んでおこうか」
「はい」
「そうだね。張り合うわけじゃないけれど、あっちの姉妹が仲良くしているんだったらこっちも仲良くしようか」
「仲良くですか?」
「うん、とりあえず、どこかに寄って帰ろう。何か行きたいとか食べたいものとかある?」
「わぁ、良いですね。何が良いかなぁ」
 これから白薔薇さまとどこへ行って何を食べるのかを考えつつバス停に向かっていく。
 このとき、裏側で進んでいたことに私はつゆほども気づいていなかったのだった。