〜3〜 「祐巳さん、ちょっといい?」 「あ、真美さん。……どうしたの?」 朝のお祈りを終えて教室へ……と思っていたときに茂みからにょきっと現れたのは真美さん。実態としては黄薔薇の例の騒動後からだけど、今月からは晴れて正式な新聞部部長である。 で、その真美さんが先代部長の三奈子さまを彷彿とさせる登場の仕方をしたわけで、もう警戒度最高レベルにせざるを得ない。 「そこまで警戒しなくても」 と言いつつも、されても仕方ないとは思っているのか苦笑いしながら、私に紙を差し出す。 「これは……」 「ええ、リリアンかわら版の最終候補版ってとこ。祐巳さんのゴーサインが出ればお昼にでも発行したいのだけど。本当は昨日のうちに……と思ったのだけど、できあがるのがずいぶん遅くなっちゃって」 本当にぎりぎりで申し訳ないけれどお願い、と真美さんは頭を下げた。 ふむ。私に持ってきたということは、前回の騒動の後に作られた部内規則、つまり今回の場合、私が関係していて問題になりかねない記事と言うことか…… 何だかなあとは思いつつも、そのまま発行されるよりはずっといいので二人で校舎に向かいながら目を通してみることにする。 まず目に飛び込んできたのが、私とお姉さまの写真。で、横に大きく書いてある記事名が姉妹体験特集だった。なるほど、そういうことか。 中身を見ていくと、姉妹体験とは何かの説明の後に、大成功例として姉妹体験から正式な姉妹になった私たちの様子が丁寧にまとめてあり、読んでいるだけで姉妹体験を試したくなるであろう魅力的なものだった。 「うーん」 また、よくよく注意したのか、「――ではないか」「――のように思われる」といった、これまたある意味恒例な表現もほとんど使われていない。 そうなると、個人的にはこんなに大々的に取り上げられてかなり恥ずかしいのだけど、山百合会幹部というものはある程度こういう特集を組まれる宿命にあるわけで。 まあいいかな? 「うん、問題ないと思う。でも……」 「でも?」 「一応山百合会のメンバーが特集されている訳だから、祥子さま、令さまにも話を伺うってことで、できれば放課後まで待ってもらいたいのだけど」 「え、それはちょっと……。極力記事も気をつけて編集したつもりだし。祐巳さん、何とかならない?」 そういうと真美さんは手を合わせて頭を下げる。確かに記事は良くできているしいいとは思うのだけど、どうしたものか。 「真美さんには急ぐ理由があったのでした」 パシャ。 まぶしいフラッシュに目を細める。蔦子さん、あなたも茂みからか。それはともかく、今は蔦子さんの言葉が気になる。 「理由って?」 その問いに答えないまま、蔦子さんは真美さんに話しかけた。 「真美さん、隠していたって無駄よ。いくら祐巳さんでもじきに気づくから」 「……」 いくら祐巳さんでもってのはないだろう、蔦子さん。まあ本当かもしれないけど。 私の気持ちはおいておくとして、真美さんは言葉に詰まったとばかりに頭をのけぞらせた後、ため息をついた。 「正解はすでに姉妹体験を始めている子たちがいるんだな。これが」 今度は蔦子さん。くるりと私の方を向いたかと思うと驚きの発言。 「嘘じゃないよ。早速記念撮影をお願いされてね。この中にそのシーンがしっかり収まっているし」 私が口をぱくぱくさせている間に、カメラを軽くこつんと叩いて解説を続ける。 「去年の祐巳さんたちを見ていた人たちの中で、早速姉妹体験を思いついた子がいたってことだね。で、先代から引き継いで『話題は生もの時間が勝負』な真美さんは何が何でも今日中の発行にこだわらざるを得なくなったと」 「はいはい、降参、降参。蔦子さん、あなた本当に新聞部にも入らない? もちろん写真の腕も含めて大歓迎なんだけど」 そう言って腕を上げつつも、なかば本気で勧誘する真美さんに肩をすくめて「冗談」とおっしゃる蔦子さん。 「で、祐巳さん。事情は蔦子さんが言ったとおり。何とかお願いできない?」 「うーん、そう言われてもなあ……」 事情は分かった。しかしこうして相談を受けてしまった以上、祥子さまたちにお話ししないのもどうかと思うし。 もうひとつの解決法としては記事自体に問題はないし、真美さんがそもそも部内規定に引っかからないものと判断して私に見せることなく発行した、という形があるとは思う。 でも、正直なところそこまで新聞部に譲歩する必要性が乏しいというか。由乃さんが聞いたら絶対反対する手だろう。 「真美さん、切り札を出し惜しみしている場合じゃないんじゃない?」 「蔦子さん、あなたどこまで……本当に惜しいわ。はあ、とっておきだったのになぁ……仕方ないか。祐巳さん、お耳を拝借」 そういうと真美さんは私の耳元でささやいた。 「新入生代表の二条乃梨子さんとの昼食について、新聞部は当面手を出さない。これでどう?」 「……私は真美さんから何も見せてもらってないし、聞いていない。それでいいなら」 「ええ、それでいいわ。ありがとう、祐巳さん。では早速手配するのでお先に失礼」 そういうと真美さんは教室ではなく、部室の方へスカートのプリーツを乱しまくって走り去った。シスターに見つかったら……いや、あそこまで堂々とやられるとあきれて口も出せないかも。 「はあ」 ため息一つ。しかし、本当にうかつだった。まさかもう掴まれていたなんて。これが新聞部部長が同じクラスにいる、ということなのだろうか。 私の表情から何を考えているのか分かったのだろう蔦子さんが頷いた。 「うん。祐巳さん、隙が多いよ。昨日のお昼、薔薇の館? ってあの子たちに聞かれた時、一瞬戸惑ったでしょ? ばっちり真美さんに見られてた」 なんてこったい。 「ま、新聞部は一つ特ダネに目をつぶり、祐巳さんはこの話を聞かなかったことにする。その辺で手打ちにできただけよしとすべきじゃない?」 「ええ。蔦子さん、本当に助かった。ありがとう」 うん。今改めて気づいたけど、今回の新聞を半ば強引に承認させられて、その上であのネタを武器にさらなる交渉を……という最悪のパターンも十分にあり得たわけで。それを蔦子さんが助けてくれたのだ。 本当にありがとう、ともう一度頭を下げる。 「ま、まあ、お代はいつもたくさんもらっているからね。乃梨子ちゃんだっけ? 彼女との写真もばっちり撮らせてもらったから、現像したらよろしく」 「くすっ。さすがだよ、蔦子さん。あー、蔦子さんにも山百合会幹部になって欲しいなぁ。ほら、最近何々対策担当大臣みたいな人いるじゃない。それと同じで蔦子さんにも新聞部対策特別顧問、それが露骨すぎるなら山百合会報道官とか。特典としては薔薇の館に正々堂々自由に出入りできるようになって写真も取り放題!」 ……あれ? 冗談のつもりだったけど、案外いいアイデアな気がしてきた。写真はもとからたくさん撮られているから大して変わらないといえば変わらないし。 「祐巳さん、それ本気で紅薔薇さまや黄薔薇さまに提案しちゃだめだよ」 ため息一つつきながら、薔薇さまになってもそのボケは健在で嬉しいような嬉しくないような、だって。もう。 「ごきげんよう、白薔薇さま」 「ごきげんよう」 さて、今日も一日頑張りますか。 放課後、薔薇の館でみんながそろう前のお茶を飲みながら軽い雑談をしている時に、真美さんの思惑通りお昼過ぎには発行されたリリアンかわら版の話題になった。 「姉妹を体験ねぇ……」 祥子さまの口調には好意的にはまったく思っていないという想いが現れていた。直接「不謹慎だわ!」と言わないのは私に配慮してくれているのかな? それきり黙ってしまった祥子さまに代わって令さまが聞いてくる。 「祐巳ちゃんはどう思うの?」 私は、か。朝、新聞を見せてもらった時もちらっと考えないではなかったけれど…… 「正直、複雑な部分も無いわけではないです。でも、私はあんな機会がなかったら皆さんと一緒に今ここにいることは無かったと思うんです。だから、たとえ何がきっかけであれ、今までにない関係を築くことができるのなら決して悪くないと思いたいです」 最後は意見というより私の願望みたいになってしまったものの、令さまは気持ちは分かると何度も頷いてくれた。 「祐巳ちゃんの場合ほんとうによかったよね。だから私も姉妹体験自体を否定はしないけど、新聞に掲載されたから、ブームになったから、そういう理由で自分もというのは、結果としてよい方向に転がったとしてもどうかと思うなあ。実際この記事が出た以上、自分が思いついたかのように姉妹体験を始める子たちが出るだろうし……」 そこからは言葉を濁したけれど、私たちの時のように、と言おうとしたのだと思う。蔦子さんも言っていたなあ。黄薔薇革命の記事を読んで、さも昔から考えていたかのようにお姉さまを呼び出す子だらけって。 やっぱり令さまも今の状況は好意的には受け取っていないようだ。仕方ないけど。 「そうかあ? 令ちゃん考え過ぎじゃない? 私たちと違って姉妹になる方ならいいことじゃない」 もちろん、この発言は由乃さん。令さまが口に出せなかった部分もはっきり出すのは、ロザリオを突っ返された側と突っ返した側の違いというかなんというか。 「ほんとの姉妹と違って気軽にくっついたり別れたりできるわけだから、上級生は上級生で憶すことなく申し込めるし、下級生もちょっと受け入れてみるかの感覚でいられるから悩まずにすむし、楽しそうじゃない」 「楽しそうって由乃、そんな言い方は……」 「だって実際おもしろそうじゃない。令ちゃん、何が言いたい……あ」 由乃さんが急に苦虫を噛み潰したような顔になっていった。 令さまもその理由を分かっているみたいだけど、口には出さない。いったいどうしたというのか? 「由乃さん、どうしたの?」 「何でもないから気にしないで、ちょっといやなことを連想しちゃっただけだから」 それきり由乃さんも黙り込んでしまったので、この話はこれでおしまいかな? と思ったタイミングで志摩子さんが入ってきた。 「みなさまごきげんよう」 「ごきげんよう。せっかくだし志摩子にも聞いてみようか、姉妹体験特集号は見た?」 「ええ」 「その話をしてたんだけど、志摩子はどう思う?」 「そうですね。それもまたひとつの方法、ということでいいのではないでしょうか?」 どうやら三年生は否定的、二年生は肯定的と見事に分かれたようだ。 「志摩子も来たことだし、始めましょうか」 志摩子さんの回答が、というよりもこの話を続けること自体があまりお気に召さないと思われる祥子さまが話を進めた。 祥子さまのご機嫌うんぬんはおいておくとしても、せっかく少ないとはいえフルメンバーが揃った今日、お仕事をしっかり進めたいのは間違いない。みんなもその思いは同じようで、そこからはガリガリ作業をするのだった。 〜4〜 今日も帰りは寄れそうにない。 というわけで、金曜のお昼休み、薔薇の館に顔を出してみると祥子がお弁当箱を机の上に置いてお茶を入れる用意をしていた。 「ごきげんよう」 「ごきげんよう。令一人?」 「うん。今日も放課後は無理そうだから来てみた。私がいないと……ってのは昨日進めたから大丈夫だとは思うけど、もし何かあったら悪いけど武道場までよろしく」 「ええ、仕方ないわね。飲み物はお茶でいい? 令の分も用意するわ」 「ありがとう、お願い」 祥子がもうひとつ湯飲みを棚から取り出して、二つの湯飲みに急須からお茶を注いでいく。 「はい」 「ありがとう」 祥子から湯飲みを受け取って、お弁当箱を空ける。 しばらくして「今日は私たちだけね」と祥子が言ってきた。 「うん。そうみたいだね。それで?」 「昨日の話よ、三人はどちらかと言えば歓迎のようだし」 「祥子にとってはいくら結果よしと言っても、歓迎はできないよね」 「ええ……まさか聖さまの思いつきがこんなことになってしまうとはあの時には思わなかったわ。祐巳ちゃんの手前、あまりきついことは言わなかったけど」 「おぉ、さすが紅薔薇さま。つぼみ時代と違ってすぐに当たり散らしたりはしないんだ」 「……売られた喧嘩は買うわよ、黄薔薇さま?」 「冗談だって」 「ふふっ、知っているわ。……でも本当に困りものね。聖さまのまねする子は増えるでしょうし」 「朝練の時に知ったけど、剣道部でも朝一で姉妹体験をし始めていた子がいたし、ほんとに広まり始めているみたいだね」 祥子は一つため息をついた。 「まったく……」 「あぁ、でも数少ない愉快なことがあったわ」 「この話で?」 「そう。昨日由乃が姉妹体験がおもしろそうって話していた時に急にむくれたの覚えてる?」 「そういえば。理由は分からなかったけれど。知っているの?」 「あれはね、こうやっておもしろがっている自分の姿がお姉さまと一緒じゃないかって気づいたんだな」 そう。何かおもしろいことが起こりそう、起こると飛びつくお姉さまの姿と今の自分をまともに重ねちゃったのだ。 祥子も想像して納得いったのか、くすりと笑う。 「なるほど、そういうことだったのね」 「まあでも、由乃の『おもしろい』はあくまで端から見てだけど、本当にそんな気持ちで姉妹体験をやり始めるのだけは勘弁して欲しいよね」 「まったくね」 深く頷く祥子。 実はさっきから物音に気を配っていたのだけど、今日はもう本当に誰も来ないようだ。 祥子の様子も伺ってみる。志摩子のおかげか、去年の今頃は何だったのかと思えるほど、本当に桜も克服しているようだ。 ……聞くなら今か。幸い、話もまったく外れたものではない。 私は前々から気にかけていたことを、思いきって切り出すことにした。 「ところでさ、姉妹体験はともかく、本当の姉妹についてだけど。志摩子は作れるの?」 「いくら何でもまだ早くなくて? 令には妹がいるのに私には……みたいなことをお姉さま方から言われたのだって夏を過ぎてからじゃない。それとも由乃ちゃんはもう誰か意中の子でもできたの?」 知っていて話をそらしたのか、本当に気づかなかったのか…… こんな機会が次にいつ来るのか分からない以上、祥子には悪いけど「ああ、そうだね」では済ませられない。 「違う違う。私は志摩子が『いつ』妹を作るのかじゃなくて、そもそも『作れるのか』って聞いたの」 「……そういう由乃ちゃんはどうかしら?」 うん。さっきはともかく、今度は間違いなく気づいている。だから私ははっきり言ってしまう。 「確かに由乃は私と前々から約束していたような仲だから、いざ妹を作るって時に戸惑うかもしれない。……でもね、祥子。志摩子と違って何か特別な秘密があるわけじゃないからね」 私の意図がはっきり伝わったのだろう。祥子の表情が厳しいものに変わる。 「……令は志摩子のことで何か知っているの?」 「まあね。だからこそ二人が心を通わしているのにひどく遠慮しあっているように見える」 祥子はじっと黙ったまま少し考え、一つ息をはいた。 「すでに知られているのなら仕方ないわ……どうやって知ったの?」 「うちの祖父はあそこの檀家だからね」 私の答えに祥子はとても驚いていた。 「一切合切ばれてしまっている、ということね……」 「ばれているというか……」 志摩子と住職の間ではとらえ方がまるで違うというのをあらためて思う。そして当然のように祥子もまた志摩子と同じように考えてしまっている。 「住職自身が檀家相手に話しているよ。しかもどう話していると思う? 志摩子がいつになったら皆に告白するのかの賭までしているのよ」 私の言葉に祥子は脱力して、顔を手で押さえた。 「なんてこと……では志摩子一人が重く抱えている、というわけ?」 「それと、祥子もね」 私も全てが分かっているわけではないけれど、祥子と志摩子、聖さまと祐巳ちゃんの姉妹は平行してのものだったから、成立がひどく重いものだった。だからこそ志摩子が秘密を乗り越え、祥子とほんとうに心を通わせられるようになったのだが、同時に祥子にとってもその秘密が重いものになってしまったのだ。 「……それが言いたかったのね」 「まあ、そんなところかな」 「……ありがとう。ただね、志摩子にとってはほんとうに重いことなの。だから、この話の取り扱いには気を遣ってちょうだい。できれば……」 皆まで言うなと頷く。 「心得ておくよ。祥子を頭越しに何かなんてできないしね。でも、祥子が何かしようというときに手が必要ならいつでも貸すから」 「ありがとう」 簡単にはいかないだろうが、志摩子にとって、そして祥子にとっていい風になってほしいものだと心から思う。 「でも、そうなると祐巳ちゃんには本当に悪いけど、ますますもって早いこと妹を作って欲しくはあるね。聖さまが遊びに来てくださっているおかげで元気なことだし」 「……とても口に出しては言えないけど、そうね」 お姉さまから後で聞いた話だけど、春先には早速妹の目星をつけるべく物色していたとか。 同じようなことを祐巳ちゃんに望むなんて、あまりに情けない話だと思いつつ、冷めてまずくなったお茶をすすった。 〜5〜 「乃梨子さん、今日も外で?」 金曜日のお昼休み、早速外へ出かけようとするところを呼び止められた。 この人はアツコさんだった……はず。比較的私に声をかけてくる人の一人……のような? いつも外に出て行って、その上でクラスメイトの誰にも会わないようにしていると、それはそれでまた何か言われそうなので、週の半分くらいは適当にお昼を付き合っていたりする。ちなみに、当然のようにあちらから誰かが近寄ってきたり、お誘いの声をかけてくれるので、良くも悪くも相手には困らない。 「ええ、天気もいいですし」 「確かにそうですね。私、今日はミルクホールなんですけど、次はご一緒しません?」 「ええ、機会があればぜひ。それでは……」 取りあえず笑顔を作って、そそくさと教室を出る。 今日はまた祐巳さんといっしょにお弁当なのである。朝のバスで偶然一緒になり、ヒソヒソ声で誘われた。生徒会長になるとお昼を誘うのもこっそりやらないと、よく分からないが大変らしい。 私も中学の時は生徒会に関わっていたけど、成り行き上そうなっただけでそんな大げさな役職でもなかった気がするんだけど。やっぱりこの学校にはいまいちついて行けない部分がたくさんある。 あ、祐巳さんがいた。もうシートも敷いちゃっているし、結構待たせてしまった? 「遅れてすいません」 「ううん、今来たばっかりだよ。一昨日は私の方が遅かったし。ささ、どうぞどうぞ」 「はい!」 そういうわけで、今回は祐巳さんが持ってきたシートに一緒に座って、お昼をとることになった。 「そうそう、この前お姉さまが携帯電話を買ったって自慢しに来たんだけど、乃梨子ちゃんって携帯電話持ってたりする?」 お弁当もあらかた食べ終わり、二人でまったりとしていたら祐巳さんが何かを思い出したように話し始めた。 「あ、はい。学校には持ってきてはいけないことになっているから部屋に置きっぱなしですけどね」 「そうなんだ。大学はいいけど高等部までは禁止なんだよね。ところで、やっぱり携帯って持ってると便利なものかな?」 「そうですね……どうでしょうか? 中学の時は友達も結構持ってて、私も結構使ってましたけど、ここのところほとんど使ってないし、解約しようかなぁとも思っているところです。少なくともプランは変えるべきでしょうね」 「そっかぁ、確かに携帯電話はかける相手がいてこそ便利になるものかもしれないね。リリアンに通っている以上はあんまりいらないか」 「そうですね」 私自身、その点に関しては少々驚いていたりする。中学の頃は携帯電話のない生活というものがそもそも想像つかなかったのだけど、無ければ無いでどうにかなってしまうものだった。 世間の常識がここで通用しない部分があるのと同様に、ここの常識も世間とは隔絶しているのを改めて感じてしまう。 今私が使う機会がほとんどないのは、やはり学校の友達がいないからだが、リリアンではたとえ電話をかけるような相手ができたとしても、携帯を使う必要はないだろう。 「今時だと珍しいかな?」 「それはもう。学校への携帯の持ち込みを禁止しようなんていっていた知事がいたくらいですし」 「そういえばそんなニュースあったね。もともと禁止だったから特に気にしてなかったけど、逆に今まで使っていたのに禁止されちゃったらそう言った人たちは不便に思うのかな?」 「そうですねぇ……」 自分の携帯電話使用の経験を振り返る。やはり携帯の利点というのはどこにいても捉まる、捉まえられるという点にある。待ち合わせ一つとっても急な変更だろうが何でもござれだ。 「学校の外での待ち合わせの時とは不便になってしまうかもしれませんね」 「ああ、なるほど。駅前で待ち合わせしたときすぐ近くでお互い待っているのに気づかなかったとかそんなことあったけど、携帯で連絡をすればそういうのは防げるんだね」 「ですね。もともと持っていなかった人たちならしかたないって感じになるでしょうけど、携帯持っていたのに使えなくなったとかだと、かなり不満に感じそうですね。ちなみに、待ち合わせ場所に相手が来られなくなったとか、どうしても先に行かないといけなくなった場合はどうしているんですか?」 「うーん。そもそもそういう状況を作らないようにするってのと、相手の自宅に電話してご両親に伝言を頼んだ上で家にも電話して親に電話があった時に伝言してもらったりかな? 自分が逆の立場の場合はやっぱり家と相手の自宅に電話するし」 なるほど。高校生だと車で移動って事もないし、電車が何十分も立ち往生して閉じ込められるなんてことは年に何回もあることじゃないし、それはそれで何とかなってしまうものなのかもしれない。でもなぁ…… 「人間って便利なのに慣れちゃうとなかなか戻れないからね」 私が考えていることが祐巳さんにも分かったみたいで、思っていたことをぴたりと言った。 「ええ、ほんとうに」 そんな話をしながらお昼休みを過ごした……こんなどうでもいいような話をしながらお昼休みを過ごせるのはリリアンに入ってからはじめて。やっぱり祐巳さんには深く感謝しないとな。 これはいったいどうしたことなのだろうか? 祐巳さんといっしょにお弁当を食べて教室に戻ってくると、なぜか教室中の視線が私に集まってきた。怪訝に思いつつ自分の席に戻る間も、戻ってからも視線が追跡してくる。確かに新入生代表ということでもとから注目を集めていた部分はあるが、それも一週間近くたって結構落ち着いてきた。 かといって、それ以外で注目を集めてしまうような心当たりはないし、そもそも集めないように無難に過ごしてきたはずなのだが……いったい何なのだろうか? 「あのぉ、乃梨子さん、よろしいかしら?」 そのうちの何人かが私の席にやってきて話しかけてきた。いったい何があったのかこちらが聞きたいくらいだから「ええ」と答えた。 「先ほどお見かけしたのですけれど、乃梨子さんは白薔薇さまと親しくさせていただいているのですか?」 「え? 白薔薇さま?」 「ええ、先ほど白薔薇さまとご一緒に校舎裏でお弁当を食べていらしたわよね? ごめんなさい、乃梨子さんがちょくちょくお昼は外でとられるのに、一度もお見かけしたことがなかったので、どちらに行かれているのか気になって……」 質問の後に、申し訳なさそうにおずおずと付け加え……誰だったか、とにかくその人は頭を下げる。 つまり、つけてきたと。お節介ここに極まれり。 ほんと、嫌がらせではなくて善意から来ているというのがなあ……。かえっていわれのない悪意の方がこっちも受けて立てたと思うのだが。 まあいったんそのことは忘れて。白薔薇さま……一瞬何のことかと思った後に、祐巳さんの称号?みたいなものだったことを思い出す。ここは役職が会長・副会長・書記・会計というよくある感じではなく、三色の薔薇の名前を冠していて、実質的な会長三人にお手伝いさんで構成されているんだったか……まあ、そのことについてはそれがリリアンらしいということなのかもしれない。 「あ、うん。それが、どうかしたの?」 私がつけられたこと自体はさほど気にしていない風に答えたのにほっとしたのか、顔を上げてさらに問いかけてきた。 「それで、乃梨子さんは白薔薇さまとどういうご関係なのでしょう?」 ご関係……ご関係と言われてもなぁ。親切にしてくれる先輩とされている後輩……という感じだと思うのだが、彼女たちは何か別の答えを期待しているような気がする。どう答えたものやら。 「……ひょっとして姉妹体験をさせていただいているとか?」 姉妹体験って何? と思ったが、直後に教室中から「えー!」と驚きの声が上がって驚いた。それからみんな口々に様々なことを言ってきたが、私は聖徳太子でもないからとても何を言っているのか聞き分けられない。 しばらくしてみんなの中で何らかの結論が出たのか、少し場が静かになってからそもそもみんなに火をつけた姉妹体験って何かこちらから聞いてみた。 「まあ、ご存じないのですか?」 「うん、まったく……」 そう答えると一人が一枚の紙を持ってきた。 「これですわ」 それはリリアンかわら版と書かれた学校新聞だった。タイトルは姉妹体験特集号とある。二人が写っている写真も載っていてそのうちの一人は祐巳さんだった。となると、このもう一方が祐巳さんの話にちょこちょこ出てくる「お姉さま」って人か? そんなことを考えながら写真を見ていたら、ご丁寧に姉妹体験とはなんぞやというところから説明してくれることになった。 曰く、姉妹体験とは去年祐巳さんが佐藤聖さんという卒業生と姉妹体験をしたのがきっかけで、実際に二人は姉妹になり、仲のいい素晴しい姉妹へと発展し、祐巳さんも山百合会幹部の一人となり、今は白薔薇さまとなった。そして今年は姉妹体験を提案しようとする上級生も、その申し出を期待する一年生も多いとか。 なんじゃそりゃ。 つまり祐巳さんは最初から佐藤さんって人と姉妹関係にあったのではなくて、正式な姉妹関係になるためにわざわざ体験をしてみた、と。 姉妹関係というのは特に仲の良い先輩後輩関係だった。それになるためにまず体験する祐巳さんもすごい気がするが、それをまねする人たちって…… これはあれか? 学校全体であこがれらしい先代・現生徒会長のまねをする、つまり「祐巳さんごっこ」をしているってこと? ……なんともまぁ。 「で、いかがなんですの?」 「まったく……そんな話聞いたこともないし」 「あら、そうなんですか」 なんかいやな笑みを浮かべている人たちが何人もいる。でも、この笑いの方がある意味慣れているっていうか、ほっとするのが複雑なところである。 どうやら私が姉妹体験とやらができていないことを喜んでいるようだ。 「でも、乃梨子さん、まだ姉妹体験をさせていただいていないとしてもそんながっかりすることはありませんわ」 「そうですわ。私たち微力ながら応援して差し上げます」 逆に、なぜか私が祐巳さんの妹体験をしたいと思っていると思ったのか、そんなことを言ってくる人たちもいた。しかも本心から応援してくれているような気がする…… ……やっぱりこの学校頭痛い。 後編へ