少し伸びたおかっぱ頭をしてどこか市松人形にも思える風貌の彼女。成績はきわめて優秀。
 外部入学生特有の戸惑いがひときわ強かったようだったが、なぜか……いや、きっとそんな人間だったからこそ、お優しい祐巳さまの目にとまったのかもしれない。
 そして、そんな祐巳さまの心に応えるかのように、彼女の振る舞いはまだまだ不慣れな部分は見え隠れするものの、一般生徒を通り越しているような部分すら見えるようになってきていた。
 確かに祐巳さまとお話をさせていただいたり、一緒にお弁当を食べさせていただいたり……それはとてもうらやましいものではあったけれど、彼女はそうされるに値するだけのものを持っているとも思えたのだから。
 ……そこまでは良かった、そこまでは良かったのだ。
 けれど、彼女は祐巳さまだけではなかったのだ。あろうことか紅薔薇のつぼみを「志摩子さん」呼ばわりし、それを許されていたという。
 なるほど、確かにきっかけは彼女が主張するように、祐巳さまを通してなのだろう。とはいえ、わざわざ紅薔薇のつぼみが彼女に会うため教室まで来るとか、一緒にお弁当を食べたりするなどとは……
 たとえ明記されていなくても、守るべき規則というものは往々にして存在していたりするものだ。無論、このリリアンにもそういったものがある。例えば姉妹関係。
 この関係は一対一のものである。それがたとえ体験であろうとも、姉妹のちぎりを交わした以上、他の上級生とステディな関係になることはあり得ないことなのだ。
 つい先日、そのあるまじき行い……二人と同時に姉妹体験をしていた二年生がいた。風の噂によると、祐巳さま自ら指導されたというが……
 でも祐巳さま、ご存じでしょうか? 貴女の妹である彼女……二条乃梨子がその一線を破ってしまったことを。
 だからそう、これはメッセージなのだ。マリア様はその行いをすべて見ているという。


 私の手中には小さな巾着袋があった。



もうひとつの姉妹の形 〜チェリーブロッサム〜
最終話 運命の日



〜1〜
 とある生徒が引き起こしてくれた、実にやっかいかつ面倒な両天秤疑惑事件をどうにかこうにか乗り切り、あとは当初の予定どおり新入生歓迎会に向けて最後の準備に励もうと、薔薇の館に向かっている途中のことだった。
「あ、瞳子ちゃんだ」
「げ、あの子か」
「由乃さん……」
「祐巳さんはよく平気よね。私、どうも彼女が苦手だわ」
 こちらに歩いてくる瞳子ちゃんを見て、隣を歩く由乃さんが露骨に顔をしかめるものだから思わず苦笑いしてしまう。
 瞳子ちゃんに私がけちょんけちょんに言われた時、由乃さんが反論してくれてからというもの、私以上に彼女のことを苦手にしているような気もしないでもない。相性の問題もあるのかな?
「ごきげんよう、瞳子ちゃん」
「ごきげんよう、白薔薇さま、黄薔薇のつぼみ……乃梨子さんが困っていらっしゃるというのに、相も変わらずのんきそうなご様子で」
 あいさつの後、ささやき声とはいえ明らかに聞こえるように発せられた言葉にぎょっとする。私のことはこの際どうでもいいが、乃梨子ちゃんが困ってる!?
「あなたねぇ……またそういうことを!」
「ありがとう、でもごめん、由乃さん……瞳子ちゃん、どういうこと?」
 つかみかからんばかりの由乃さんには、感謝しつつもこらえてもらって瞳子ちゃんに続きを促す。
「私はこの場で話しても構わないのですけど……」
 そう言って由乃さんに一瞥を投げる……由乃さんの性格を分かっていてこういう態度に出ていると思うのだけど。この子も本当に何というか。
「由乃さん、本当にごめんなさい。ちょっと遅れそうだから、先に行ってみんなに伝えてもらえない?」
 どうかこの場は辛抱してください! そういう気持ちを込めて深々と頭を下げてお願いした。
「祐巳さんの頼みじゃ仕方がないわね」
 キッと瞳子ちゃんを睨み付けた後、ため息をついて歩き出した。
 そんな由乃さんを見送った後、改めて瞳子ちゃんに向き直る。
「お美しい友情ですね」
「ありがとう。せっかくだし、空き教室にでも行こうか」
 この子の嫌みにいちいち付き合っていたら身が持たないので、適当に流しつつ移動し、早速続きを促すことにする。
「で、乃梨子ちゃんにいったい何があったの?」
「そもそも、乃梨子さんが今どういう状況かご存じですか?」
 それが聞きたいのだけど……「質問に質問で返すのをやめて!」と言いたくなるのをぐっとこらえる。
「ごめんなさい、私に分かるのは今日のお昼も一緒に楽しく過ごしたってことだけ」
「本当に何もご存じないのですね。いくら体験だからと言っても……」
 瞳子ちゃんはそう言うと、肩をすくめて深々とため息をついた。
「……」
「……乃梨子さん、孤立しています」
「え?」
 ようやく本題に入ってくれたかと思えばそれである。
 孤立って……確かに乃梨子ちゃんが現時点でリリアンのことをどう思っているのかとか、まして基本的にはもう少し放っておいてくれた方がうれしいなんてクラスの子たちは知らないだろうから……。
 そういうことなら問題ないと早合点しかけた時、爆弾は投下された。
「どうしてだか分かります? 乃梨子さんがあなたと紅薔薇のつぼみを両天秤にかけようとしている、そう思われているからですよ?」
「嘘っ」
「なぜ、嘘だと?」
「だ、だって、乃梨子ちゃんがそんなことをする理由が」
「理由? むしろ乃梨子さんがそれを望んでいないって根拠こそ、どこから分かるんですか? 彼女はあまりそういう話をしたがりませんしね。その上であなただけでなく紅薔薇のつぼみとも楽しそうに、それも「さん」付けで呼んでいるなら誤解を招いても当然では?」
 なんて事だろう。
 乃梨子ちゃんがリリアンで過ごしやすくするために、少しでも楽しくやっていけるようにとしてきた行動がすべて裏目に出てしまうなんて。しかも、せっかく由乃さんや桂さんが忠告してくれたのに、そんなわけあるはずがないと気にもかけなかったせいで……
「外していたら申し訳ありませんが、乃梨子さんはあなたの前でも紅薔薇のつぼみを「志摩子さん」と呼んでいたのですよね?」
「……」
「……やっぱり。で、それをとがめようともしなかった。私は乃梨子さんがふたまたをかけているなんて思っておりませんけれど、端からそう思われても仕方がない行為を、承知の上で助言できない姉が薔薇さまをやっているのは嘆かわしいというか……」
「ありがとう、瞳子ちゃん」
「何か反……え?」
 私の反応が予想とは食い違っていたみたいだけど、そんなことは気にしない。
「以前瞳子ちゃんに「なんでこんな人が」って言われた時から少しは頑張ってきたつもりなんだけど、全然だめだね。このまま取り返しの付かなくなる前に教えてくれて、本当にありがとう」
「別に……あなたのためじゃありませんから」
「分かってる。乃梨子ちゃんのためでしょう? 乃梨子ちゃんにも私なんかより、よほど頼りになる友達ができて良かった」
「……」
「あ、本当に申し訳ないけど、今の話を志摩子さんにするのは勘弁してもらえない? 私の口からは言えないけれど、二人が仲良くなる理由も十分にあるんだよ。どういう形にしろ、この状況が解決するように努力するから」
 すると、それまで眉間にしわを寄せて聞いていた瞳子ちゃんが、ふっと口元を緩めちょくちょく目にする不敵な笑みを浮かべた。
「お願いをしておきながら理由を話せないってのは、図々しいと思いませんか?」
「うん、思う。でも乃梨子ちゃんのためになるなら、協力してくれるでしょう?」
「……私も、もう少し何かできないか考えてみます、白薔薇さま」
 そう言うやいなや、くるりと振り向いて去っていく瞳子ちゃんに、もう一度お礼を言った。


 瞳子ちゃんにああ言い切ったものの、何をすべきか結論が出ないまま、土曜日もホームルームが終わってしまった。週明けは新入生歓迎会ということで、このことばかり考えているわけにもいかないところが難しいところだ。
 そんな風に考え事に夢中になっているのがいけなかったのだろう。薔薇の館でお昼をとろうと、廊下を曲がったところで誰かと激しくぶつかってしまった。
「いたたた……」
「いつ……あっ、ゆ、祐巳さん! ごめんなさい!」
「乃梨子ちゃん?」
 ぶつかったのは乃梨子ちゃんだった。
「ご、ごめんなさい!」
 もう一度頭を下げて謝り直す乃梨子ちゃん。そして何かに気づいたような顔になって「志摩子さんがどこにいるか知りませんか!?」って聞いてきた。
「志摩子さん? そもそもどうしたの?」
 ずいぶん慌てている様子なのが気になって聞くと、乃梨子ちゃんは少し迷った後、その理由を話してくれた。
 なんと、あの数珠がなくなってしまったのだという。鞄に入れてあったのが、掃除から帰ってきてみると、なくなっていたと。
 盗難。
 誰かが乃梨子ちゃんの鞄の中から数珠を盗み出したということくらいしか考えられない。
 一体誰がどうして?
 誰がというのは、おそらく乃梨子ちゃんのクラスメイトだろう。そして、どうしてかというと……昨日、瞳子ちゃんが語ったとおりなのだろう。両天秤をかけている不埒な輩に罰を与えてやれ、こんな所か。
 そして乃梨子ちゃんも何が原因で孤立しているのか気づいていて、新入生歓迎会が終わった後、私に相談しようとしていた。
 ……本当にダメだな。乃梨子ちゃんはクラスメイトの真意を察した上で、私のことを気遣って黙っていてくれていたというのに、私ときたら。
 このとき、私の中である種の決意が生まれかけていたのだが、それは横に置いておく。
 今、乃梨子ちゃんが何をしていたのかというと、まずは志摩子さんに報告し謝るべく、探し回っていたのだという。
 ……地獄に仏とはこのことか。乃梨子ちゃんが志摩子さんを見つけ出す前に出会えたことをマリア様に感謝しつつ、落ち着くように言い聞かせる。
「乃梨子ちゃん、落ち着いて。志摩子さんにそのことを伝えちゃだめだよ」
「え、そんな。どうしてなんですか?」
 さすがの乃梨子ちゃんも相当慌ててパニックになりかけている。志摩子さんの考え方まで頭が回っていない。
「いい、乃梨子ちゃん? 今回のことは志摩子さんはもちろん、乃梨子ちゃんだって悪くない。悪いのはよからぬことをしてしまった本人だけ。でも、志摩子さんの性格を考えてみて?」
「志摩子さんの性格?」
「そう。私と一緒に志摩子さんに謝りに行った時のこと。乃梨子ちゃんの話を聞いた後、志摩子さんはどうした?」
「あ……志摩子さん、私に謝った」
「そう。志摩子さんは何も悪くない、それなのに自分という存在があったから、そんな理由で自分が悪いって思ってしまう……今度のことをもし志摩子さんが知ってしまったら、どう考えるだろうね?」
 私が想像している志摩子さんと同じものが浮かび上がったのだろう「……ああ、そんな」と少し力を落としながら言った。
 そう。志摩子さんは、自分のせいでこんなことが起こったと思ってしまう。ましてや、事実その発端に志摩子さんが関わっているとわかればなおさら……全部自分が悪いって考えてリリアンを去ろうとするに違いない。
「わかった? 絶対に志摩子さんに知られてはダメだよ。私も探すから」
「すみません……ありがとうございます」
 若干気を落としながら、去っていく乃梨子ちゃんを見送る。
 なんだか、ますます乃梨子ちゃんを追い込んでしまった気がする。でも、あのまま志摩子さんに告白させてしまうのだけは避けないとまずかったし……考えていても仕方がない。まずは数珠を探そう。そうして校内を巡ることにする。
 30分ぐらい経っただろうか。当然と言えば当然だが、数珠は見つからなかった。
 正直言ってあまりにも歩が悪い。手がかりがなさ過ぎるのだ。誰がしでかしたことなのかすらさっぱりわからない。
 見つけ出せるまでの時間と可能性だけを考えれば、ヒントを持っている可能性が高い乃梨子ちゃんのクラスメイトに手当たり次第に聞いて回る……それが一番であることは分かっている。志摩子さんに解決前にばれるのがまずいというだけで、数珠自体は知られようが見られようが、本当は誰の持ち物というところまで知られないかぎり、問題があるようなものではないからだ。
 ただ、私が乃梨子ちゃんのためにそこまでしたという事実が、クラスの中でどう思われ、その結果乃梨子ちゃんに対する風当たりがどうなるのかということを考えると、最後の最後まで行使したくない。
 かといって、そんな風に考えると、残る可能性は本当に偶然見つけられるような展開だけになってしまう……
「どうしたものか」
 ゴミ箱に捨ててしまうなんてことはありだろうか? あれほど高価そうな数珠だから中身を見たりすれば、とてもそんなまねはできないと思う。さすがに巾着袋の中身を確認せずに盗んだりなんてことはないだろう……だったら、本人が持っているか、どこかに隠したかってことろだろうが……
 とても無理そうだ。
 志摩子さんはしばらく貸してくれると言っていたらしいから、ある程度時間はあるだろうけれど、だからどうにかなるわけではない。
「やっ、祐巳」
「え?」
 声をかけられて、そちらを向くとお姉さまが「や、ごきげんよう」とそこにいた。
「あ、はい。ごきげんよう」
「ところで、なんかあった?」
「え? ……何でもないです」
 一瞬お姉さまに手伝ってもらったり、何か策を考えるのに頼ってしまおうかとも思ったが、そのためには志摩子さんのことを話さなければいけなくなってしまう。たとえ直接は話さなくても妙に鋭いところがあるお姉さまにはわかってしまうかもしれないから、そうはいかない。それで、適当にごまかすと、「うーん、祐巳がそういうならそういうことにしておくけど」とか、何かあったことはバレバレだった。
「それで、お姉さま、今日は何か用ですか?」
「ああ、今日はこの前の函館旅行の時の写真ができあがったから、それを持ってきたんだけどね」
「わざわざありがとうございます」
「いいって、ところでさ、あの温室って人気でも出てきたのかねぇ?」
「温室に人気? 何かあったんですか?」
「まあ、何となくだけどね。さっき、通りすがったときになんかいいことあったのか、楽しそうな顔しながら出てきた子がいてねぇ」
「楽しそうな顔ですか?」
「まああの子があそこの手入れをしている人だったってオチかもしれないけど、あそこを楽しむ人が出てきたってことかなって思ってね」
 あの温室から楽しそうな顔をして……いや、見込みは正直薄いが、可能性がないわけじゃない気がする。そして今はわらにでもすがりたい状態、ひょっとしたらお姉さまの情報は天からたらされた一本の糸なのではないか、そう思えてきた。
「お姉さま、ちょっと失礼します! 薔薇の館で適当に待っていてください!」
 お姉さまの返答を待たずにあの温室に向かって走り出す。「あっ、ちょっ祐巳!」とかお姉さまの驚いた声が後ろの方から聞こえて来た。
 全力疾走で、温室に到着、中に入る……誰もいない。
 もし、ここに隠すとしたらどこに隠すだろうか?
 ここはちょうどバレンタインデーのイベントの時私と祥子さまの隠し場所がかぶってしまった場所で、あのときは自分を象徴する花……ロサ・キネンシスとロサ・ギガンティアのところに埋めてしまうという隠し方だった。それらは連想して見つけてもらうための隠し場所、でもそんな場所にはない。
 ……自分が隠すとしたらどこへ?
 そんなことを考えながら、隠し場所になりそうなところを一つ一つ探していった。
「あ……」
 棚に並んでいた鉢をどかすと、そこにはまさに乃梨子ちゃんに見せてもらった巾着袋が置かれていた。
「本当にあった」
 驚きで少し呆然としてしまったけれど、そのくらい奇跡的なことだった。
 早速巾着袋を持って乃梨子ちゃんのところへ駆け出そうとしたところでふと立ち止まった。
 このまま乃梨子ちゃんに数珠を返せばそれですべて丸く収まるのだろうか?
 いや、そんなことはあり得ない。
 この数珠を単に返すというのは、私が乃梨子ちゃんのクラスメイトに聞き込みをすることに比べればましかもしれないが、状況は何ら変わらないからだ。隠した本人に運が良いと思われる程度で、もっと悪質な行為に及ぶ可能性だって決して否定できない。
「結局、私たちと乃梨子ちゃんの関係をどうにかしないといけないんだよね……」
 昨日の瞳子ちゃんから言われたことや、さっきの乃梨子ちゃんとの話、そして数珠が見つかったという若干の余裕は私にそのことを再び考えさせていた。
 だいたい腹を固めてはいるのだ。私が乃梨子ちゃんとの姉妹体験を解消すればいい。
 私か志摩子さん、どちらかが乃梨子ちゃんと距離を置くべきであるのならそれは私だろう。出会いかたからして運命……とまで言っては大げさかもしれないが、それに近いものを感じる二人だし。
 それに、感情抜きに理屈だけで考えたとしても、やはり私が離れるべきなのだ。
 仮に乃梨子ちゃんに志摩子さんとの距離を取ってもらったら、最悪の場合「自分から近づいておきながら、噂になったらさっさと離れるどこまでも図々しい子」みたいな展開があり得る。
 かといって志摩子さんに距離を取ってもらったら「最後まで不文律を守ろうとせず、その癖のうのうと白薔薇さまの妹体験を続けている」となるのは想像に難くない。
 それに対して(体験)姉である私が原因……何かしらの理由で私が乃梨子ちゃんを振ったという形で解消となった場合のみ、リリアンかわら版も活用できるし、乃梨子ちゃんに同情が集まる形で解決するだろう。
 しかし、嬉しいことに乃梨子ちゃんはこんなことが原因で距離を取るのは絶対嫌だ、そんな感じのことを言ってくれている。もちろん私だって本当はそうだ。
 この姉妹体験、乃梨子ちゃんにしてみれば少しでもリリアンで過ごしやすくなるための方便、そして私にとっては姉妹関係というものを見つめ直すきっかけに……というのが始まりであったはずなのに、今ではこんな関係を続けていけたらとお互い思い始めているのである。
 ただ、それ故にどう乃梨子ちゃんに納得してもらうか。表向きの部分はなんとでもなるが、ここは難しい。
 乃梨子ちゃんがこんな私なんかとは姉妹体験を解消してもいいと思える理由。
 ……やはり、きっかけを正直に話すことだろうか。あの時乃梨子ちゃんを助けたいという気持ちに嘘はなかった、でも姉妹体験まで持ちかけたのは私自身が姉妹というものは何なのかを考えたかったからだって。もっとも、姉妹が何か分かったのかと言われたら、やっぱり何も分かってはいないのだけど。
 ちょっとがっかりされたとしても、納得という意味では微妙な気がする。
 考えてみれば、私の過去がまさにそんな感じだった。お姉さまは私に体験を持ちかけた真相を話して、体験を解消しようとしたが結果は(その時点では)本当の姉妹になったのだった。
 私にお姉さまほどの魅力があるとは思えないけれど、それでももう少し何か。こんなひどい姉だから解消して当然、みたいな……
「あ……」
 小さな巾着袋。
 今の時間を知るべく腕時計を確認しようとして一緒に目に入ってきたもの。
 これを見た瞬間、私自身いったいどうしてこんなものをと首をひねるしかないが、確かに策といえるような代物を思いついた。
「でも……」
 いろいろと問題があるが、なんと言っても一番難しい点が一年生の協力者が必須なことだ。
 誰でもいいというのであれば、私に親しげに話しかけてくれる一年生の子にお願いすればいい。しかし、この役はそれだけで決めていいものではない。その後のことも考えると。
「やっぱり無理かな」
 ため息が出てきた。
 思いついた時は突拍子もない策ではあるものの、成功の可能性も十分あると思ってしまったが、役者が揃わない時点で既に破綻している。
 仕方がない、薔薇の館に行こう。新入生歓迎会の準備が終わった後、祥子さまは難しい気がするから、まずは令さまと由乃さんに相談しよう。賛同が得られたのならその辺の穴も一緒に考えてもらえるかもしれない。うまくいったとしても、それなりに騒ぎになるだろうから、さすがに二人の理解も無しに実行というのはためらわれる。
 そう考えて、巾着袋をポケットにしまい温室を出た時だった。
「祐巳さま」
「あ、瞳子ちゃ……ああー!!」
「なっ! なんですか!?」
「ご、ごめん、思わずね」
 なんで思いつかなかったのだろう。
 松平瞳子ちゃん……演劇部所属、それも主役級を演じることの多い実力派、つまり演技力はまったく問題なし。その上、その後のことを考えると最も重要な乃梨子ちゃんのことを考えて協力してくれる子。
 この子が引き受けてくれないのであれば、この作戦はどだい無理ということなのだろう。
 よし。
「……祐巳さま? いったい、どうされたのですか?」
「ねぇ瞳子ちゃん」
「はい?」
 大きく息を吸って。瞳子ちゃんにしてみたら失笑ものの演技かもしれないが、眼を細めせいぜい悪党面ぶって口を開く。
「ねぇ、悪役やってみない?」
「……はい?」


〜2〜
 おもしろくない。
 最近、どうにもおもしろくなくて良くない。
 演劇部は順調、まあ相変わらずたいした実力もないのにねちねちと小言を言う先輩はいたりもするが、こと練習中に関してはこちらもかわいげのない後輩なのだからお互い様だ。
 と、なると。
 ……いや、そんなもったいぶって考えなくても最初から分かっているのだ。二条乃梨子さん、彼女との関係が私の心を波立たせている。
 薔薇さまの妹になって、いずれは自分も……以前に友人に語った話はたわいもない冗談でしかない。このリリアンにいるものなら一度は夢見る話。小さい子供が、大きくなったらお菓子屋さんになる! なんてのと大して変わらない。
 まあ祥子お姉さまが紅薔薇のつぼみの妹になられた時、数ヶ月だけであっても薔薇の館で一緒にと他の人より具体的に考えたことは否定しないが、それ以上でも以下でもない。それに山百合会幹部にならなくても堂々と薔薇の館に遊びに行っているのだから、その点に関しては満足しているつもりだ。
 にもかかわらず、乃梨子さんが紅薔薇のつぼみ、志摩子さままで「志摩子さん」とさん付けで呼んでいることを知った時、なんとも言えぬ思いが渦巻いてしまった。親身になってお手伝いしているつもりなのに、乃梨子さんがあまり嬉しそうにしていない、そんな風に感じてしまったこともあるかもしれない。
 だから、ちょっとくらい……そう思ったが、それにしてはやり過ぎた。やり過ぎになってしまった。
 被服室で恭子さんに質問された時、私は乃梨子さんを助けるふり……とまでは言わないが、内心口が滑るのを期待して「乃梨子さんと志摩子さまの関係」と、あえて紅薔薇のつぼみと言わず「志摩子さま」と言ったのだ。
 案の定、乃梨子さんはそれにつられる形で、しかも黄薔薇のつぼみは肩書きで呼びながら紅薔薇のつぼみのみ「志摩子さん」と答えてしまった。
 そこからはもうひどいものだ。
 確かに乃梨子さん自身にも隙はあっただろう。とはいえ、その翌日に紅薔薇のつぼみと楽しげに昼食を共にする姿を目撃されてからの空気の冷え込みぶりは、乃梨子さんも肌で感じ取れるほどであったに違いない。
 どうしてこうなってしまったのだろうか。こんなことは望んでいなかったのに。
 ……さっさと部室に行こう。お芝居の稽古に励む間はこのことを忘れられる。そう思って廊下を歩いていると、前から見覚えのある2人組がやってきた。白薔薇さまこと福沢祐巳さまと黄薔薇のつぼみこと島津由乃さまだ。
 由乃さまは分かりやすい、露骨に会いたくない人間に出くわしたという表情だ。あそこまで潔いといっそ気持ちよい。
 それに対して祐巳さまと来たら……なんだあの笑顔は。相変わらずのんきそうな面構えで。体験とはいえご自分の妹がどういうことになっているのかまったく承知していないというのか。
 いかに乃梨子さんが外部入学だといっても、一言あれば乃梨子さんが今みたいな状況になってしまうのを防げたかもしれないのに。
 自分のことを棚に上げて……いや、自分に対する憤りを祐巳さまにぶつけるというのが正しいのだろう、気づいた時には口を開いていた。
「ごきげんよう、白薔薇さま、黄薔薇のつぼみ……乃梨子さんが困っていらっしゃるというのに、相も変わらずのんきそうなご様子で」
 もう何回か遊びに行っているだけあって、だいたいの性格は把握できてきた。私の言葉に真っ先に反応したのは案の定由乃さま、そして祐巳さまも乃梨子さんのことに言及されては黙っていられないのか、由乃さまと別れて私に尋ねてきた。
 我ながら大人げないとは思うのだが、いちいち嫌みを交えつつ、乃梨子さんの現状を説明していく。
「……やっぱり。で、それをとがめようともしなかった。私は乃梨子さんがふたまたをかけているなんて思っておりませんけれど、端からそう思われても仕方がない行為を、承知の上で助言できない姉が薔薇さまをやっているのは嘆かわしいというか……」
 顔を伏せながら聞く祐巳さまに対して、見下すかのようにやれやれといったポーズを取る……本当に自分のことながら何をやりたいのやら。案外、祐巳さまに「そういうあなただって!」みたいに、反撃されたいのかもしれない。
 しかし、これはさすがに何か言い返される、そう思いつつもやってしまったのだが、そこに返ってきたのはあまりに意外な言葉だった。
「ありがとう、瞳子ちゃん」
「何か反……え?」
 この方はここまで言われても反論をしないというのか。それどころか私に感謝する、と。
「以前瞳子ちゃんに「なんでこんな人が」って言われた時から少しは頑張ってきたつもりなんだけど、全然だめだね。このまま取り返しの付かなくなる前に教えてくれて、本当にありがとう」
「別に……あなたのためじゃありませんから」
 とっさに返せたのは、強がりの言葉だけだった。
「分かってる。乃梨子ちゃんのためでしょう? 乃梨子ちゃんにも私なんかより、よほど頼りになる友達ができて良かった」
「……」
「あ、本当に申し訳ないけど、今の話を志摩子さんにするのは勘弁してもらえない? 私の口からは言えないけれど、二人が仲良くなる理由も十分にあるんだよ。どういう形にしろ、この状況が解決するように努力するから」
 薔薇の館で再会した時、祐巳さまに対する偏見は捨てたつもりだった。もちろん祥子お姉さまや令さまほど評価しているわけではないが。
 ……どうやら私はまだまだ祐巳さまを見くびっていたらしい。
「お願いをしておきながら理由を話せないってのは、図々しいと思いませんか?」
「うん、思う。でも乃梨子ちゃんのためになるなら、協力してくれるでしょう?」
 計算ではなく、これがこの方の素なのだろう。それでありながら、こんなにも人を揺さぶり、動かしてしまうなんて。
 本当にこの方と来たら。
 さて、不敵な笑みを浮かべていられるうちに、一言残して退散しよう。私にもつまらない意地がある。
「……私も、もう少し何かできないか考えてみます、白薔薇さま」


 翌日、予想できたことではあるが、事態はますます悪化している。
 祐巳さまとの姉妹体験が噂された時と同じくらいのスピードで広まっているらしく、両天秤の噂についてクラスで知らぬものなど一人もいない。そのことはそのまま乃梨子さんへの冷たい視線となって現れている。
 乃梨子さん自身はあまり気にしていないようだが(公立の学校では、たいしたことではないのだろうか?)この状況が続くことは危険である。祐巳さまと志摩子さま、このお二人に限らず山百合会幹部には、普通の憧れというレベルを超えた大変熱心なファンも存在する。彼女たちを刺激し続けるのはいかにもまずい。
 何とかしたいし、しなければならないと思うのだが、どうすればいいのかと言われてもその答えを私は持ち合わせていない。この問題で私にできることなど、たかが知れている。
「あら?」
 教室から乃梨子さんがものすごい勢いで飛び出してどこかへと駆けていった。
 何かが起こった!?
 すぐに乃梨子さんを追いかけたけれど、追いかけるのが一歩遅かった。乃梨子さんの姿を見失ってしまったのだ。乃梨子さんはどこへ向かっていたのだろうか?
 あれだけ慌てて廊下を走っていたのだから、目立つことこの上ない。もし生活指導のシスターあたりに見つかれば、お説教を受けていることだろう。そこら中の人に聞いていけば乃梨子さんの行方がつかめるに違いない。
 ……
 ……
「乃梨子さんならさっき、そこで白薔薇さまとお話をしていたわよ」
「祐巳さまと? その後はどうしました?」
「話は聞いていないけれど、白薔薇さまと話した後乃梨子さんはなんだか気落ちした様子で、特別棟の方に歩いて行ったわ」
「ありがとうございます」
「いいえ、役に立てたら幸いよ」
 名前を出してからそのうかつさに気づいたが、どうやらこの二年生の方、まだ両天秤の噂を耳にしていないようで、快く教えてくれた。
 祐巳さまと話をして、それまでの慌てていた様子から気落ちした様子に変わった……慌てる原因となったことを祐巳さまに打ち明けたものの、祐巳さまの答えが芳しくないものだったというところか?
 いったい何が起きているのだろうか。
 まあいずれにせよ、噂のことに比べれば多少なりとも乃梨子さんの役に立てるかもしれない。
 何とかして乃梨子さんの役に立とうとする自分に気づいて苦笑してしまう。
 祐巳さまの何気ない言葉のおかげで、以前のように本心から乃梨子さんのことを心配することができるようになったのだから。
 いくつかの特別教室を見て回った後、ついに目当てにしていた人を発見した。
「こんなところに入るはずがない! あり得るとすれば……」
 場所は社会科準備室。棚に入っていた地図の束だろうか、それを元に戻して部屋を見回している。
「乃梨子さん」
「え!? と、瞳子さん!?」
「こんな場所で何を?」
「え、あ……う、うん、ちょっとね」
「忘れ物とか?」
「そ、そう、そんな感じ」
 ほぼ間違いなく嘘である。忘れ物でどうして社会科準備室を探すというのか。乃梨子さんはここ数日、この部屋に入ってなどいないのに。
 そのことが意味することは……
「まあ、それは大変。瞳子にも協力させてくださ」
「あ、いや、そんなたいしたものじゃないから」
「そうですか……もし、私にできることがあれば何でもしますから声をかけてくださいね」
「うん……ありがとう」
「それではごきげんよう」
 乃梨子さんを残して社会準備室を出る。
 さて、どうしたものか。乃梨子さんの態度からして、恐れていたことが起きてしまったとみて間違いない。何か盗まれたのだ、それも相当大事なものを。とはいえ、残念ながらそれほど信頼されていないであろう私が、乃梨子さんをさらに問い詰めても教えてもらえそうにない。
 やはり祐巳さまか。乃梨子さんはさっき相談していたようだし、私ができることについて、話をしてみるとしよう。
 思い立ったが吉日、とその足で薔薇の館に行ってみたものの、まだこちらには来ていないという。それならまだ教室かと思えばこちらも外れ。そうなると考えられるのは、乃梨子ちゃんと同様に盗まれた何かを探しているということ……薔薇の館で待たせてもらった方がいいかもしれない。
 そう考えて歩き出したところだった。
「……いるし」
 探している間は見つからないなんてことはありがちな話だが、まさにそのパターンである。やっぱり探そうと思わないで良かった。まさか古い温室にいるとは。
「祐巳さま」
「あ、瞳子ちゃ……ああー!!」
「なっ! なんですか!?」
「ご、ごめん、思わずね」
 かなり驚いた。声をかけたら驚かれたというならともかく、声をかけて驚かされるなんてのはなかなか体験できない。
「……祐巳さま? いったい、どうされたのですか?」
「ねぇ瞳子ちゃん」
「はい?」
「ねぇ、悪役やってみない?」
「……はい?」
 今、なんと言った?
 いきなり驚かされたかと思えば、それきりだんまりを決め込んでしまい、再度口を開いた途端に出てきた言葉が「悪役」である。
 おまけにご本人は悪人面をしているつもりらしい……つもりらしいのだが。なんというか良くも悪くも緊張を緩めてくれる方だ。
 まあこのままでは話が進まないのも確かなので、続きを促す。
「突然どうしてそんなことを?」
「うん。こっちに来て」
 祐巳さまに手を引かれて温室へ入った。目には入っていたが、実際に中に入るのは初めて。温室だけあって外より温かい室内には色とりどりの花が咲いているだけで、他の人の姿は見えなかった。
 悪役云々については依然としてさっぱりわからないけれど、何か私にやらせたいことがあり、それは乃梨子さんに、それも捜し物の件に関係している気がする。そう思って「乃梨子さんに関係するお話ですか?」と聞いてみた。
「そう。昨日瞳子ちゃんに乃梨子ちゃんの状況を教えてもらったけど、その後さらに大変なことが起きちゃってさ」
「何か大事なものを盗まれた……合ってますか?」
「え? 乃梨子ちゃんから聞いた?」
「いえ、たまたま現場に居合わせて、教室から飛び出ていった乃梨子さんを追いかける間にだいたいつかめました……ご本人には否定されてしまいましたけど」
「そっか、きっと瞳子ちゃんには心配かけたくなかったんだよ」
「信用されていないだけな気がしますけど」
 自嘲気味につぶやく。まあ彼女に信頼されるだけのことをやってきたかと言われたら沈黙せざるを得ないので、仕方なくはあるのだが。
「あー……瞳子ちゃんに嘘をつくのは難しいね。でも勘違いしないで。瞳子ちゃんが言っているようなことが理由で話さなかったわけじゃないから」
「どう違うというのですか?」
「乃梨子ちゃん一人で収まる問題じゃないから、独断で話せなかったということ……と言ってもピンと来ないよね。少し長くなるけど聞いてくれる?」
「はい、お願いします」
「じゃあまず……」
 そういうと、祐巳さまはポケットから巾着袋を出された。
「これが私と乃梨子ちゃんが探していたもの」
「え?」
 なんと祐巳さまは盗られそしておそらく隠されていただろうものを見つけ出すことができたのだ。しかし、それならなぜ乃梨子さんに知らせようとしないのか。
「ここで、そもそもの話に戻るんだけど、これが盗まれ隠されることになった理由は?」
「それは、その……乃梨子さんが」
「そう。以前瞳子ちゃんが言ってくれたとおり、乃梨子ちゃんが私と志摩子さんを両天秤にかけていると思われたから。事実がどうであれ、ね」
「……」
「その点が変わらないかぎり、結局解決しないんだよね。確かに、これを乃梨子ちゃんに返すのは簡単。だけど今そうしたら、もっと困ったことになりかねないのが怖い」
 確かに祐巳さまのおっしゃるとおりだ。盗られてしまったものを返せばそれで終わりという話ではない。それだけなら犯人は同じようなことを続けていくだろう。
 仮に、犯人を突き止めることができたとしても、乃梨子さんを取り巻く環境は何ら変わらない。それどころか祐巳さまが手を貸したということで、さらに事態が深刻になることだってあり得る。
「それではどうなさるつもりですか?」
「うん、ここが長くなるって言った部分。乃梨子ちゃんが私と志摩子さんを両天秤にかけているって噂を打ち消すためには、何種類かの方法があると思うのだけど、要は『誰が』『誰から』離れるってパターンが現実的だと思うの」
 祐巳さまも今のまま丸く収めるというのは無理だと考えているようだ。私は頷いて続きを促す。
「で、乃梨子ちゃん『が』ってのは没。その場合、端から見ると乃梨子ちゃん『が』私か志摩子さんを振ったってことになっちゃうから。下手すると両天秤をした上で、片方を捨てたなんて言われちゃう」
「確かに」
 一番最悪のパターンだろう。両天秤が噂ではなく、確定という扱いを受けるのだから。正式にどちらかの妹となれば、表だって口を出せる人間はいなくなるが、実に憂鬱な三年間となるだろう。
「となると私か志摩子さん『が』乃梨子ちゃんを振るという形式だけど、これも結局志摩子さん『が』ってのはあり得ないんだ」
「振られて当然、いい気味だ……こうなると?」
「そんな感じ。志摩子さんに乃梨子ちゃんとの距離を取ってもらっても、今よりまし程度で乃梨子ちゃんが悪く言われるのに変わりがないよ」
「でも、それは祐巳さまが振るという形でも同じことでは?」
「ほら、私が振るって形の時に限って堂々とリリアンかわら版が使えるじゃない。なんと言っても姉妹体験中だからさ。しかも、その後に私が今より距離を取るのはまったく不思議はないし、そのことを途中で気づいた志摩子さんが見かねて……みたいな話にすれば丸く収まっちゃう」
 私に振られたとリリアンかわら版にはっきり書かれることで、乃梨子ちゃんに同情も集まるから大丈夫だろうと付け加えた。
「おっしゃりたいことは分かりました。でも、乃梨子さんの気持ちはどうなるんですか?」
 少し意地悪な質問ではある。私も祐巳さまが挙げた作戦は解決策としてベストでなくともベターだと思ったから。それでも聞いてしまったのは、乃梨子さんが心配というのと、祐巳さまがどう考えているのかに興味がわいてしまったからなのだろう。
「うん、乃梨子ちゃんもこんな形で距離を置くのは絶対に嫌だって言っていたよ。となると、こんな人となら離れてもいいかな……そう思ってもらうしかないよね?」
 そう言って祐巳さまは寂しげに笑った。


「……志摩子さまのお父さまが大きなお寺の住職というのは初耳でした。でも祐巳さま、このことを私に話しても良かったのですか?」
 経緯やら何やら順を追って聞いていったところ、乃梨子さんの趣味にも驚きを感じたものだが、このことにはその比でないくらい驚かされた。もちろん、私に演じさせたいなら、話さなければならないというのは分かる。しかし、その一方で志摩子さまにとって大変重大な秘密でもあるのだ。
「志摩子さんは心から信頼できる人には知ってもらっても構わない、そんな感じだったよ。それなら、乃梨子ちゃんのことを心から心配してくれる瞳子ちゃんなら大丈夫。そう思ってしまうのは駄目?」
「過信もいいとこですね」
「そうかな?」
「あー……もういいです。話が進みませんから。つまり、家族の宗教のことなど誰も気にしていないってのを志摩子さまに示し、その後に乃梨子さんに種明かしをするってことでいいのですか?」
「うん、それで合ってる。瞳子ちゃん、すごいね」
「祐巳さまがお話を作るのに慣れていないだけだと思いますけど」
「いやいや、それでもたいしたものだよ。お芝居するだけでなく、脚本家もやれちゃうね」
「それはどうも」
 さっきというか先日から、ずいぶん私のことを買いかぶってくれているようで、調子が狂って仕方がない。
 確かに演じるだけではなく、作・演出にも興味があるので、そう言ってもらえると嬉しくはあるが、そもそも今はそんな状況ではない。
 結局、祐巳さまもイメージとして思い浮かんでいただけで、明確な案と言えるようなものがなかったのだ。それを私が聞き返して、それに祐巳さまが答えることを繰り返すことによって、シナリオと呼べるようなものができあがっていた。
 おおまかな流れはこうだ。
 まず、この数珠を使って、私が乃梨子さんと志摩子さま、そしてそれなりに生徒のいる場で「リリアンにいる資格はない!」とでも告発する。そこを家族のものだと何かしら理由を示しながら祐巳さまが証言し、家族が仏教徒だとまずいのかと慌てふためき笑いを誘う。そのことは「家族の宗教まで気にする人間はどこにもいないから安心して」という志摩子さまへのメッセージとなる。
 さらに、乃梨子さんに種明かしをすることで、志摩子さまのために乃梨子さんを利用したような人間に姉を続ける資格はないと、姉妹体験の解消を納得してもらう。その後はリリアンかわら版に乃梨子さんへの同情を誘う記事を掲載してもらえばいいのだが……
「……そもそも祐巳さまが、乃梨子さんと別れる必要は無いのでは?」
「どうして?」
「先ほどは志摩子さまのご家庭のことを存じ上げなかったので、思いつきませんでしたが、最終的にリリアンかわら版を利用されるというのであれば、志摩子さまが納得された後に、ご自宅のことも含めて記事にすれば良いのでは? そうすれば、乃梨子さんが親しくなった理由も明らかになって、今のまま解決できそうじゃないですか」
「うん、確かにそうかもね」
 あっさり認めた。ということは考えが及ばなかったというわけでなく、現状の維持が可能かもしれないのを承知の上で、乃梨子さんとの姉妹体験を解消したいというのか。もしそうなら聞き捨てならない。
「では、どうして。まさか本当に乃梨子さんを振るつもりなんですか?」
「とんでもない。乃梨子ちゃんはいい子だよ。私にはもったいないくらい」
「それなら……」
「結局さ、私はどう言い繕っても、志摩子さんためなら、乃梨子ちゃんを利用しても良いって考えちゃったんだよ。こんなことを一度でも思いつくような人間に姉の資格なんか無いし、体験のままでも妹であるのは本人にとっても良くない、そういうこと」
 こんなことを一度でも。
 そう言われてしまっては、乃梨子さんが困ってしまえばいいと、さらには祐巳さまが笑っていたのが許せないだけで、口を滑らせた私にどうこう言う資格はまったくない……まったくないが。
「それを判断するのは祐巳さまではなく、乃梨子さんだと思いますけど」
 何か言わずにはいられない、そんな気持ちで飛び出した減らず口に、祐巳さまは達観ともあきらめともつかない微笑を浮かべるだけだった。


「お待たせ! 待たせちゃってごめん」
 飛び込んできた祐巳さまがその勢いそのままに謝ってきたが、思っていたよりは早かったくらいである。
「いえ、急ぎましょう」
「うん」
 結局、私は祐巳さまに協力することにした。
 今のままでいられる、丸く収める可能性の高い方法があるにもかかわらず、姉妹体験を解消しようとする祐巳さまの決心にはずいぶんと引っかかるものを感じたが、私にそのことをどうこう言える資格はない。
 それに乃梨子さんを告発する役。祐巳さまが……信頼する一年生の中でこのような役をこなせるのは私しかいないだろう。
 その上、たとえ祐巳さまの案のままであっても、状況が今よりはるかに好転するのだ。私に断る理由はなかった。
 そして今に至る。私は用事ができたと伝えて部活を早々に切り上げ、最終の打ち合わせだけという祐巳さまを待っていたのだった。
 早足で正門の方に向かう。
 この作戦の重要性を考えると、令さまに相談しないわけにはいかないと祐巳さまがおっしゃったので、祥子お姉さまと志摩子さまが帰られるのを確認してから、令さま達を追いかけることにしたのだ。
 学園を出てからは、早足がプリーツの乱れもセーラーカラーの翻りもお構いなしな駆け足へと変わった。
 その甲斐あってか、しばらくすると令さまと由乃さんの後ろ姿が見えてきた。
「令さま! 由乃さん!」
「祐巳ちゃん!? それに、瞳子ちゃんも?」
「……お、お話があります」
 息を切らしながら追いつき話し始める私たちに、ずいぶん驚いていた二人だが、かえってそれだけの話と察してくれたらしい。
「……うん、うちでいい?」
「はい、ありがとうございます」
 そして四人で令さまのお宅に向かうことになった。
「薔薇の館では何も言わずに、後から追っかけてきたのは、祥子さまや志摩子さんには聞かれたくないことだよね……瞳子ちゃんがついてきているのはちょっと分からないけど」
「あはは……詳しくはついてから話すね」
「ん……わかった」
 由乃さまは本当に分かりやすい方だ。もっとも祐巳さまが連れてきたというのが大きいのか、それ以上は何も言わなかったが。
 そして令さまのお宅に到着し、私たちは居間に通された。
「お茶でもだすから、少しだけ待っててね」
「ありがとうございます」
 令さまが居間を出て行く。
 由乃さまは私のことを見ながら「さっきはああ言ったけれど、瞳子ちゃんもついてくるとなると、乃梨子ちゃんがらみ?」と祐巳さまに質問した。
「正解」
「そっか。いずれは姉妹体験を始めたきっかけからして何かあると思ったけれど、思った以上に早かったわね。私と桂さんの危惧が当たっちゃった感じ?」
「あの時はあり得ないなんて笑って、本当にごめん」
「ううん。あの後桂さんとも話したのだけど、祐巳さんと志摩子さんにとっては笑い話以外の何者でもなかったものね。仕方ないって」
「……ごめん」
 この場で話しているのだから聞いてはいけない話ではないのだろうが、ちょっと居づらい。ひょっとすると私が祐巳さまに嫌みを言う前に、由乃さまが忠告でもされていたのだろうか?
 いずれにせよ、いまさらな話であることはお二方とも分かってはいるようだが。
 それからどれほどもなく「お待たせ」と令さまが人数分のお茶を持って戻ってきた。
 そして祐巳さまはお二人に、これまでの経緯……祐巳さまと乃梨子さんとの関係、乃梨子さんと志摩子さまの関係、そして志摩子さまの秘密を話した。
「だいたいの所は聞いていたけど、さすがに志摩子さんの秘密は知らなかったわ」
「なるほどね。由乃や志摩子にはともかく、私や祥子に話そうとしなかった理由がようやく分かった。確かに聖さまの名をあげられたら、私はもちろん祥子だって口を挟めなかっただろうし」
「え? 令ちゃん、驚く所ってそこなの?」
「うん? 由乃は知っていたかもしれないけれど、私は知らなかったんだから当然じゃない。あ、もちろん由乃が私に話さなかったことは当然だと思っているから」
「いやいや、そうじゃないでしょ。そりゃ令ちゃんにとってそこも少しは驚くポイントかもしれないけれど、一番驚くべきなのは志摩子さんの秘密でしょ?」
 令さま以外の誰もが思ったであろう疑問を由乃さまはずばりと聞いた。
「そりゃ知っているわよ。私の祖父は、小寓寺の檀家だもの」
「は?」
 声こそ上げないものの、私も同じ気持ちだ。祐巳さまは……納得顔?
「だから、檀家はみんな志摩子がリリアンに通っていることを知っていたんだよ。それどころか……祐巳ちゃんは驚いていないみたいだけど、何か気づいてた?」
「はい、今から話そうとしていることにもつながっているんですけど、本当に隠さねばならないってことなら、お寺から通学すること自体変だなって。志摩子さんは真面目だからお父さまの言うとおりにしていたと思うのですけど」
「そっか。祐巳ちゃん、この半年で本当に成長したね。まあ由乃、とにかく話の続きを聞きましょう? 疑問があったらその後ってことで。祐巳ちゃん、よろしく」
「あ、はい」
 そうして今度は乃梨子さんの現状、解決案、その中で祐巳さまが選択したものについて説明していった。
「祐巳さんがそれでいいなら私は何も言わないけど……」
 そう言いながらも何か言いたげな由乃さま。
 丸く収める道を選択すべきだと強く主張するはずと思っていただけに、正直なところ意外だった。ひょっとすると由乃さまも私と同様、祐巳さまにそうは言えないだけの理由があるのかもしれない。
 そして、腕を組んで考え込んでいた令さまだが、何かつぶやいたかと思うと、ため息をついて顔を上げた……繰り返す? 確かにそうつぶやいた気がするのだが、分からない。
「祐巳ちゃん。その案を出してきたってことは、もう覚悟ができちゃったんだよね?」
「……はい」
「そうなる前に相談して欲しかった気もするけれど……まあ人のことは言えないか。分かった、全面的に協力する」
「あ、ありがとうございます!」
「せっかくやるなら徹底的にやろう。それこそ志摩子が学内で家族の宗教を気にしている人間なんて一人もいないって確信できるくらいに」
 この中で唯一ストップをかけられる側の人間である令さまがそうおっしゃったので、話はとんとん拍子に、そしてかなり過激な方向に進んでいった。何しろお芝居の舞台が新入生歓迎会になったのだから。
「それにしても、志摩子の秘密で祐巳ちゃんが動くことになるなんてねぇ……」
 台本も固まり、令さまお手製のミニケーキが振る舞われ一息ついたところで、ため息混じりにおっしゃる令さま。
「令ちゃん……そういえばさっきは中途半端になっちゃったけれど、志摩子さんの秘密とか他にも何か知っているでしょ。教えてよ」
「ああ、そうだったね。実はさ……」
 志摩子さまのお父様……小寓寺の住職は檀家みんなに志摩子さまの進学先について話しており、それどころかいつ告白するのか賭の対象にまでなっているのだという。本当に秘密にしたいのならもっと隠させるはずという、祐巳さまの推測は正しかったわけだ。
「だから私も志摩子のことを何とかしようって祥子に持ちかけたんだけど、祥子はどうにも志摩子に遠慮しすぎててダメだったんだよね。まあ、姉妹になった経緯が経緯だからしかたないけど。そういう意味で、祐巳ちゃんの作戦は志摩子だけでなく、祥子にとってもいいことになると思う。このこともあって全面的に賛成したのよ」
「いえ、令さま。協力していただいて、本当にありがとうございます。あと由乃さん、私のわがままに付き合わせてしまって本当にごめんなさい」
「ううん。でも祐巳さんが泣くような結末だけは絶対に許さないからね」
「……うん、ありがとう。では、そろそろ失礼しますね。瞳子ちゃんもいいよね?」
「はい」
 そうして、私は祐巳さまといっしょに帰ることになった。学校の前のバス停まで戻ると、ちょうど出てしまったのか、次のバスまではまだまだ時間がある。
 しばらく沈黙が続いたのだが、間が持たないと思ったのか、はたまた思うところがあったのが祐巳さまが口を開いた。
「いまさらだけど、もう一度言わせて。瞳子ちゃん、本当にありがとう。そしてごめんなさい」
「お礼はありがたく頂戴しますけど、どうして謝るのですか?」
「乃梨子ちゃんのことでたくさん心配をかけたってことはもちろん、本当にいまさらだけど告発役なんかを押しつけちゃって……」
「そうですね……確かにヒロインというわけではありませんが、名脇役、それも廊下などではなくお聖堂、さらに一年生全員の前なんて役者冥利に尽きますわ。それに、乃梨子さんへ私の役柄についてのフォローもしていただけるんでしょう?」
「あ、それはもちろん」
「ならいいじゃないですか。乃梨子さんのためになるだけでなく、志摩子さまのためにも、さらには祥子お姉さまのためにもなる。私にとってはいいことずくめ、棚からぼた餅。むしろ待遇が良すぎて、また部活の先輩方に嫉妬されてしまうかも」
「え、そうなの?」
「以前薔薇の館でお話ししましたけれど、初等部の頃から主役級を演じることが多かったというのは見栄でもなんでもなくて。まあ私の態度も良くないのですけど、一部の先輩方から睨まれちゃって」
「そ、それは良くないよ! 今回の件でもしそんなことになるようなら、私が許してもらえるまで謝りに行くから」
「また、そんなことを」
「へ?」
「祐巳さま、あなたはもっとご自分の立場をわきまえてください。もしあなたが謝りに来られたら、それこそ先輩の立場がなくなってしまいますから」
「え、あー……うん」
 まったく、この方は。
 この数日の経験で、いまさらではあるけれど、この方が薔薇さまに選ばれた理由が分かった気がした。本当に私の目は曇っていたらしい。
「とにかく。こんな最高の舞台の名場面をお引き受けした以上、全力で演じますから……祐巳さまもしっかりついてきてくださいね?」
「う、お手柔らかにお願いします」
「だめですよ。乃梨子さんのためにも全力で笑いものになってください」
「は、はい」
 バスの姿が見えてきた。
「それでは明日のことですけど、何時にいたしますか?」
「あー、そうだね。すぐに見つかればいいけれど、そうでないとやっかいだし、早いほうがいいかな?」
「そうですね」
 到着したバスに乗り込む……土曜日の夕方とだけあって車内はかなり空いている。
 後ろの方の席に並んで座り、明日の予定……ダミーの数珠と巾着袋を買いに行く計画について話し合った。


〜3〜
 軽い頭痛に額を抑える。
 その理由に心当たりはありすぎる。
 ……あれから校内を探し回った。
 土曜日は完全に日が暮れて用務員さんに注意されてしまうまで、昨日もクラブ生に紛れて登校し、今日も早朝から……それこそ活動していなかった部の更衣室に至るまで探し回った。いろいろと驚くようなものも見つけてしまったりもしたが、肝心の志摩子さんから貸してもらったあの数珠だけは見つからなかった。
 いっしょに探してくれた祐巳さんのことも気になるが、いっこうに姿が見つからない。たぶん薔薇の館に行けばいるだろうとは思うけれど、そこには志摩子さんもいるに違いない。今いったいどんな顔で志摩子さんに顔を合わせればいいのか、平静を装えるのか? ……そんなの無理に決まっている。こういうときこそ携帯電話があればいいのにと思ってしまう。
 しかし、ないものねだりをしてもしかたない、そろそろ人も増えてくるし教室に向かった方がいいだろう……ああ、祐巳さんのクラスに行ってみようか、志摩子さんとはクラスが違うから、祐巳さんとだけうまく会うことができるかもしれない。そう考えて足を校舎の方に向けると「あら、乃梨子さん。ごきげんよう」と声をかけられた。
「ああ、瞳子さん。ごきげんよう」
「よろしかったらいっしょに教室まで行きませんか?」
「ええ」
 やはり平静を装わなければいけない。祐巳さんのクラスに向かうのはあきらめて瞳子さんといっしょに教室に向かうことにした。
「乃梨子さん、お疲れのようですね……」
「え? 少し……昨夜小説を読んでいたら、ずいぶん遅くなってしまって」
「あら、そうでしたか、お気をつけを。もしあまり悪いようでしたら、無理はなさらず保健室に行かれた方がいいですよ?」
「ありがとうございます」
 彼女には土曜日に目撃されてしまった上、何をしているのかまでずばりと言われてしまったが、ありがたいことにそのことには直接触れず「瞳子にできることでしたら何でもしますから、おっしゃってくださいね」と言ってくれた。
「ありがとう、瞳子さん」
 彼女の余計なおせっかいと思う所ばかり目が行っていたけれど、以前からさりげない手助けなども数多くしてくれていたことを思い出す。今度もっとしっかりお礼を言った方が良いかもしれない。
 教室に到着……午前中はミサで午後は新入生歓迎会。私としては授業の方がずっといいのだが、そう思っても始まらない。ため息を心の中でつきながら自分の席に着く。念のために机の引き出しを調べてみる。当たり前だが数珠はない。
 誰かが反省してこっそりと人知れないうちに戻して置くなんて、そんな虫がいい話はなかった。
 ほんとうにどうしたらいいのだろう?


 午前中のミサが終わり、ついに午後のイベント、新入生歓迎会が始まった。志摩子さんに気取られないように平静を装いきらなければいけない。
 三人の薔薇さまからそれぞれメダイを首にかけてもらうわけだが、私たちのクラス椿組は幸いなことに祐巳さんの列だった。これなら紅薔薇さまのサポートとしてついている志摩子さんとは直接顔を合わせずに済みそうだ。
「マリア様のご加護がありますように」
 祐巳さんがひとりひとりにそういいながらメダイをかけていく、あと少しで私の番がやってくる。
「マリア様のご加護がありますように」
 そして前の人がもらい終え後ろに下がり私の番がやってきた。
 祐巳さんは私の顔を見てほんの少しの間だけ心配そうな表情を浮かべる……祐巳さんも見つけられなかったというメッセージなのだろう。
「マリア様の――」
「お待ちください!」
 祐巳さんがメダイを私にかけてくれようとしたまさにそのとき、後ろの方からそんな声が上がった。
「乃梨子さんは白薔薇さまからおメダイをいただくような資格などありません!」
 そういってざわめく生徒をかき分けて前に出てきた人物にはかなり驚かされた。
「瞳子ちゃん!」
「白薔薇さま、それに皆さま、神聖な儀式の邪魔をしてしまい、ごめんなさい」
 まさかと思うものがあった。
 でも、今日に限らず今まで彼女がしてきてくれたことを思い浮かべると、そんな考えはすぐさま否定したかった。
 それでも、この状況から導き出されるものと言えば……
「瞳子ちゃん……どういうことなのか説明してくれるわよね?」
「はい、祥子お姉……紅薔薇さま。もう瞳子我慢できなくて」
「乃梨子さんにはおメダイを受け取る資格がないってどういうこと?」
「あ……乃梨子ちゃん、あれって……」
 何かに気づき、私にだけ聞こえるようにささやいた祐巳さんの視線を追っていく……私の希望は見事に打ち砕かれてしまった。
 彼女の左手に握られていたもの。それはまさしく、志摩子さんから借りた数珠が入っている巾着袋だった。
 瞳子さんは巾着袋を掲げて「これは乃梨子さんのものよね?」と聞いてきた。
 ふと気づいて紅薔薇さまの横にいる志摩子さんを見ると、口に手を当てて……かすかに震えているようにも見える。
 ……いけない。私がショックを受けている場合じゃない。なんとしてもここを切り抜けなければ!
「どうして私の持ち物だと断定するのかしら?」
「あら、土曜日、ずいぶん必死に何かを探し回っていたのはこれを探していたのではなかったのですか?」
 なんてことだ。いったいいつからなのか知らないが、少なくとも土曜日のあれは演技だったというのか!
 裏切られた……そんな気持ちが私の声を荒らげさせる。 
「さぁ、探し回っていたのは事実だけれど、その巾着袋だとどうして瞳子さんは思ったの?」
 答えられるものなら答えてみろ! まさか私が乃梨子さんの鞄から抜き取りましたからだなんて答えられるわけはない。
 案の定私の指摘にひるんでいる。よし、もう一回だめ押しに聞いてやる……そう思ったところで、思わぬ横やりが入った。黄薔薇のつぼみである。
「ねぇ、瞳子ちゃん。そもそも、その巾着袋になにが入っているわけ?」
「百聞は一見にしかず。どうぞごらんになってください!」
 これ幸いとばかりに、私の問いを無視して巾着袋を開き、黄薔薇のつぼみはその中身をのぞき込んだ。
「これは……瞳子ちゃんが言うとおり、乃梨子さんのものなの?」
「違います」
「絶対に?」
「はい」
「あら、それはたいへん失礼しました。ではこれは捨ててしまいますね」
「は、はいぃ!?」
 瞳子さんは巾着袋を上に投げポーンと宙に巾着袋が舞った。キャッチしてさらに「乃梨子さんがこれの持ち主でないとしたら、どうなってしまってもかまわないでしょう?」などと言ってきた。
「瞳子ちゃん、それが誰のものでどうやって手にしたのか知らないけど、人のものを勝手に捨ててしまうなんてしてしまっていいことではないでしょう?」
 祐巳さんがフォローしてくれたのだが、瞳子さんは平然と「持ち主が名乗り出ないのでしたら、瞳子の好きにしていいと思いますけど」などと言ってのけた。
 それがここにいない誰かのものではないと確信しているからこその言葉……ええい、ここは仕方ない。
「……わかりました。認めましょう。それは私が持ってきたものよ」
「乃梨子さん!」
 志摩子さんが話しに入ってこようとしたのを「黙っていてください」ととどめる。志摩子さんを話に入れてはいけないのだ。
「うまいわね、乃梨子さん。『持ってきた』……と。さっきのもうそではないのでしょうね。じゃあいったい誰のものなのかしら? マリア様のお庭にこんなものを持ち込んだ不届きものが他にもいるということ?」
 ま、まずい……志摩子さんの顔がみるみる青ざめていく。
 何とかしなければ! でもどうやって!?
「そもそも、それはそんな大事になるようなものなの?」
 いつの間にか紅薔薇さまのすぐそばに移動している黄薔薇さまが瞳子さんに尋ねた。
「はい! ご覧ください!」
 瞳子さんが巾着袋から……取り出した数珠を高く掲げる。お聖堂の中できらきらと光を跳ね返して……こんな時になんだけど、この場所ってこの数珠が飾られるのに結構ふさわしくない? なんて思ってしまうほど、それはそれは、ほんとうに美しく輝いていた。
「数珠?」
「あーっ!」
 こんな事態にもかかわらず見とれてしまっていた私を呼び戻したのは、すぐそばにいた祐巳さんの大きな声だった。
「白薔薇さま、どうしたの?」
「それ、私が持ってきたものです」
「祐巳さま、いくら姉妹体験をしている関係だとしても乃梨子さんをかばわれる必要はないですよ」
「いや、かばっているとかじゃなくて、ほんとうに私が持ってきたものだから」
 そうか、事情を知っている祐巳さんは志摩子さんに話が及ばないように、全部自分のことだということにして丸く収めようとしてくれているのか。けれど相手は白薔薇さまだというのに瞳子さんは一歩も退かずに「うそです」と断定した。
「それとも何か証拠でもおありで?」
「その数珠についているネームタグに福沢って書いてあるでしょ?」
「え? ……あれ?」
 数珠をじっくりと見た瞳子さんが固まっている。まさかほんとうに?
「でしょ?」
「はい……でも、どうして祐巳さまがこんなものを?」
「ああ、それは、家族の中で最近本格的に仏門に目覚めたのがいて、本格的な数珠を手に入れてきたわけ。で、乃梨子ちゃんが一度見てみたいというから拝借してきたんだけど」
「そう、でしたか……」
「あ、全然気にしなかったけど、薔薇さまの家族に仏教徒ってまずいことなの、ひょっとして!?」
 祐巳さんの大げさと思えるほどオロオロと慌てふためき声をあげる姿がおもしろかったのだろう。お聖堂のあちこちで笑いが巻き起こった。でも、私には何がいったいどうなっているのかさっぱりである。
 そして祐巳さんはウインクを一つ……その先は志摩子さん?
「そんなことあるわけないでしょう、白薔薇さま。でも二人とも、私物の持ち込みは気をつけましょう。瞳子ちゃんもそれでOK?」
「はい、黄薔薇さま。乃梨子さん、ほんとうに申し訳ありません、瞳子、てっきり乃梨子さんが仏教徒だと思ってしまい、マリア様に申し訳なくて、申し訳なくて」
 ぽろぽろと涙を流して、膝をつき手を組んで許しをこうてきた。
 あんなことをした人間を許せと言うのか? しかし、こんな涙を流して前非を悔いる人間を許さないとなれば、下手をしなくても私の方が悪者になってしまう気がする。
「はいはい、許す許す」
 軽く脱力して、投げやり的にそう言ったら「やったー。ありがとう、大好き乃梨子さん!」なんて言って抱きついてきた。顔もさっきまでの涙はいったいどこへ行ったのやら……って、こいつが演劇部だというのをいまさらながら思い出した。
「嘘泣きかよ!!」
 私たちのやりとりは周りから見たらおもしろかったのだろう笑い声が巻き起こるし、黄薔薇さまには「はいはい、二人とも仲良し漫才はそこまで!」なんて風に言われてしまった。
 その「仲良し」って部分には大いに反発したいが、ここでそんなことを言ったらさらに奴によって盛り上げられそうなのでやめておく。
 ……あれ?
 ふと、志摩子さんの方を見ると軽い苦笑いといった感じで、さっきまでの青ざめた顔とかではなくなっていた。
 話が違う方向に転んでほっと一息という表情とは明らかに違う。いったい何がどうなっているというのか?
 訳がわからなくて頭の中がこんがらがってきたところで、祐巳さんがそっと「後で話があるから」とささやいてきたのだった。


〜4〜
 新入生歓迎会が終わった後、乃梨子ちゃんを連れてあの温室にやってきた。やっぱり大事な話はここというイメージがある。
「まずは、何も教えないまま巻き込んでしまって、ほんとうにごめんね。それと、これ……」
 ポケットから本物の志摩子さんの数珠を取り出して乃梨子ちゃんに渡す。
 乃梨子ちゃんは受け取った巾着袋を開けてその中の存在に驚いた様子だった。
「これ……」
「うん、土曜日のうちにここの鉢の裏に隠してあったのを私が見つけていたの」
「……説明してくれるんですよね?」
「そのためにここに来てもらったの。最初すぐに乃梨子ちゃんに返そうと思ったのだけど、本当にそれでいいのかな、と思ってしまった」
「……」
「今返せば、確かにとりあえず問題は解決する。けれど、状況は事件の起こる前に戻っただけで何も変わっていない。それどころか、今後悪化していくことだって十分考えられる」
「確かに、誰がやったのかもわからないままだし、私を困らせようという目的だったなら、第二第三の事件が起きていたかもしれませんね」
「うん……今度のことをやってしまった人についてはあの時反応を観察していたらわかったから、今ごろ令さまと由乃さんが事情を聞いていると思う」
「あぶり出す目的があったんですね」
「まあ、私的にはおまけみたいな感じで、主目的じゃなかったんだけどね……さっき言ったことに気づいて、何とかできないかいろいろと考えたの。その時……天啓ってこんな時に使いたくなるのかな? ふと一つのイメージが思い浮かんだ」
「あのお芝居のどっかのシーンですか?」
「うん。誰かが私と志摩子さん、たくさんの生徒の前であの数珠を掲げるの」
「はぁ」
「ある意味当たり前の話ではあるんだけど、リリアンに仏教徒が通っていたりとかそんなことを気にする人は誰もいない」
「……志摩子さんをのぞいて、ですか?」
「あと、乃梨子ちゃんと祥子さまも……」
「紅薔薇さまも?」
「祥子さまも乃梨子ちゃんと同じように志摩子さんとの約束をとても重く考えていたの。志摩子さんは秘密のせいで交友関係が非常に狭くなっているってことは前に話したよね? 私は、それは改善するべきだって思ったし、祥子さまも思っていた。でも、祥子さまと志摩子さんの姉妹の成立も私とお姉さまと同じくらい深いものだったし、志摩子さんの秘密自体も関わっていたから、令さまから志摩子さんの秘密を何とかしようと提案されたとき祥子さまはかなりの難色を示したんだって」
「……あれ? 令さま、黄薔薇さまですよね? どうして志摩子さんの秘密を知っていたんですか?」
「いたって簡単な話で、令さまのお祖父さまが小寓寺の檀家だったというオチ」
「なるほど……って、ちょっと待ってください。それって」
「うん、恐らく乃梨子ちゃんの考えているとおり。檀家が知っている……つまり志摩子さんのお父さま、小寓寺の住職は本当に秘密にしようなんて考えていなかったってこと。本心は聞いてみないと分からないけど、志摩子さんの本気を試そうとした……そのあたりかもね」
「や、やっぱりそうなりますよねぇ」
「私もいろいろ考えた時、その可能性はあり得るとは思ったの。だって志摩子さん、お寺から直接、それもリリアンの制服を着て登校しているんだよ? どれだけ気をつけていても、いつかばれちゃうって」
「ごもっともで」
 すっかり脱力してしまう乃梨子ちゃん。でもその気持ちはすごくよく分かる。
 冷静に考えれば、私よりはるかに頭の良い乃梨子ちゃんだから、すぐにその推測が成り立つと思うのだけど、やはり志摩子さんの言葉が大きいのだろう。志摩子さんが「秘密にしないと」と言ったら何の疑いもなく信じてしまうというものだ。
「まあそんなことを考えて令さまに相談したら、志摩子さんの秘密については、推測ではなく事実だと分かった。なら、あとは生徒も志摩子さんを受け入れるってのをはっきり見せるだけ」
「そういうことだったんですね。ようやく祐巳さんのウインクと志摩子さんの苦笑の意味が分かりました」
「あ、気づいたんだ。さすが乃梨子ちゃん」
「どうも……それでもうひとつ気づいたのですが、いいですか?」
「うん、いいよ」
「志摩子さんへのメッセージも、犯人探しも構いません。むしろ名案だと思いました……でも、事前にそのことを知らせてくれなかったのはどうしてですか?」
 ついに来た。
 この聞いていいのか、聞かない方がいいのか、信じたい、それでも……そんな相反する気持ちが入り交じった瞳を、真っ正面から受け止める義務が私にはある。
「もちろん乃梨子ちゃんが信用できなかったとかそういうことじゃないよ」
「それなら、なぜ」
 覚悟はしていた。
 でもこれで終わりなんだと考えると、身勝手きわまりないが声が詰まりそうになる。それをぐっとこらえて、言わねばならないことを言う。
「乃梨子ちゃん。イメージが思い浮かんだって言ったよね?」
「ええ、お芝居の」
「……私はね、そのシーンを思いついた時、最初にこう思ったの。『これで志摩子さんを助けられる』って」
「……」
「乃梨子ちゃんなら分かるよね、その意味が。結局土壇場になって考えついたことは、乃梨子ちゃんを利用することになっても志摩子さんを助けたい……そういうことなの」
「……」
「乃梨子ちゃんが今抱えることになってしまった問題って、円満な解決法が限られていて、私が乃梨子ちゃんを振った形にして、乃梨子ちゃんも結構つらい思いをしたんだと、みんなの同情を誘うのが一つ。そして、志摩子さんの秘密を明かして、乃梨子ちゃんと志摩子さんが知り合った経緯までみんな公表して、それなら仲良くなっても仕方がないってみんなに納得してもらうというのがもうひとつ。こちらならすべてが今のままで、丸く収まっちゃう。でも私にそれはできなかった」
 乃梨子ちゃんの顔を見ながら話さなければいけない。そう頭では分かっている、分かってはいるのだけど、黙ったままの乃梨子ちゃんを直視できなくて俯いたまま話し続ける。
「だってそうじゃない。最初に思い浮かんだのが例のお芝居で、そこで私は乃梨子ちゃんを利用しても仕方がない。そう考えたんだよ? いくらその後、もっとマシな方法を思いついたからって、乃梨子ちゃんにそしらぬ顔で『いい方法思いついたからお芝居して』なんて頼めるっていうの? はっきり言って、もう最初の時点で体験とはいえ、姉である資格を失っていた……そういうこと」
 あれほど覚悟を決めたつもりだったのに、勇気が足りずに顔を上げられない。
 そして長い沈黙の後、乃梨子ちゃんの声がした。
「それって、姉妹体験を終わらせたいってことですよね?」
「……そう思ってもらって構わないよ。姉である資格が私にないってことだけど」
 いい加減顔を上げないと。自分で選んだ道なのだからと気合いを入れようとしたところで、突如両肩を掴まれた。
「祐巳さん!」
「は、はいっ!!」
 あれほどどうにもならなかった顔が、その突然の出来事に思わず上がってしまう。
 そこに映った乃梨子ちゃんの表情は、私が想像していたものとはまったく異なるものだった。
「で、弟子にしてください!!」
「……はい?」
 何かまったく私の頭の中になかった単語が飛び出してきた気がする。
 今まで考えたことが頭から吹き飛び「デシ」なる言葉が私の体を駆け巡る。
 デシ……1デシリットルの「デシ」ってことはないよね。そうなると……
 でし……弟子……教えを受ける人ってことだけど……
「わっ、わ、私ったら何を言っているんだろう。あのですね、小学校の頃仏師に憧れていて、実際にK市に居を構えるH先生に会いに行って弟子にしてくださいっていったのがきっかけで、それで、それから、えっと……」
 真っ赤になって早口でいろいろと語り出す乃梨子ちゃん。もう私はその半分も聞き取れていない。
 同じくらい慌てる状況で一足先に慌てふためく人を見ると、かえって冷静になれる……そんな話をどこかで聞いた覚えがあるが、これはまさにその状況だろう。
 覚悟をしていたとはいえ、乃梨子ちゃんからどんな言葉を受けるのか。そう思っていたらこれだもの。
「あ、あの……お願いします! ゆみさん、私を」
「乃梨子ちゃん! ストップ! ストーップ!! 落ち着いて、深呼吸しよう? はい、一、二、三!」
 実際に私がするのにあわせて、乃梨子ちゃんも胸に手を当てて、息を吸って吐いてを繰り返し、数分のうちには落ち着きを取り戻していた。
「……申し訳ありません」
「いやいや、謝るのはこっちだって。乃梨子ちゃんが取り乱しちゃうほどのことを、私が言ったってことだから。ごめんね、場を改めてもっとゆっくりとすべきだっ」
「そんな! あれはそういうことじゃないんです!!」
「え?」
 私が言い切る前に割り込んでくるなんて。まだ落ち着いていないのだろうか?
 それにしたって、いったいどういうことなのだろう?
 頬を薄く染めながら、乃梨子ちゃんが続けた。
「あの、本当に恥ずかしいお話なのですが……私、こういう告白って、小学生の時に仏師に弟子入りしようと実際にお宅を訪問した時ぶりで、だから、まだリリアンの用語って慣れていないですし、それで緊張もしていたから出てきた言葉がそっちに行っちゃって……」
「ごめん、乃梨子ちゃん。やっぱりもう少し落ち着いて。話が見えてこない」
「あぁ、すみません! えっとですね、つまり……」
 ……こういうのをリンゴのように真っ赤に染めてと言えばいいのだろうか?
 さらに頬、いや顔全体を染めながらぼそぼそっとつぶやいた。
「あの……この姉妹関係ってのをこれからもっていうか……」
 ようやく分かった。何と乃梨子ちゃんは姉妹体験を続ける、あるいはそれ以上の関係を私と結びたいってことだ。
「……どうして?」
 さっぱりわからない。乃梨子ちゃんが言った意味はとりあえずわかった。けれど、何がどうなったらそんな考えにたどり着くのか理解できない。
 乃梨子ちゃんは幾分落ち着きを取り戻し、語り出す。つまり「姉妹」というキーワードがこっぱずかしいのかな? 確かに意識するとそうなるっていう気持ちは分かる。
「どうしてって……そ、その、やっぱりすごいって思ったからです。もともと祐巳さんのおかげでって部分がいっぱいあって感謝なんかいくらしてもしたりないくらいしてましたしすごいって思ってましたけど、今日のことを聞いて、今まで思ってたよりもずっとすごい人だって思いました」
「私がすごい?」
 それから乃梨子ちゃんは乃梨子ちゃんが私のことをどう思っているのか、どうしてそう思ったのかについて説明してくれたのだが……そんなにすごいすごいと連呼されても困る。
 しかし、説明してもらって乃梨子ちゃんの気持ちは何となくわかってきた。
 私は乃梨子ちゃんと志摩子さんの出会いこそが運命だと思っていた。だって、たまたま人に勧められたお寺に行ってみたら、学園で綺麗だと思っていた人がそこに……なんて狙ってできることじゃないし。その上、その日のうちに仲良くなったわけで。
 言い訳に思えるかもしれないけれど、乃梨子ちゃんは、志摩子さんとならうまくやっていける……そういう前提があったからこそ、あの発想にも至ったのだ。
 けれど、乃梨子ちゃんにしてみれば、今までの私の行為、私との出来事、そのすべてに深く感謝してくれていて、同時に私のことを尊敬してくれていた。なんと私と受験日に出会ったことを小寓寺で志摩子さんに出会ったことと同じくらいにだ!
 そして、今日のこと……私の気持ちは乃梨子ちゃんに語ったとおり。でも、乃梨子ちゃんはその行動、さらにそれを正直に告白したことがさらなる尊敬につながったようで、その気持ちが思いあまった結果、さっきの告白ににつながったようだ。
 正直、本当に驚いた。まさかそんな風に考えていてくれるなんて夢にも思わなかったから。こんな時でなんだけど、すごく嬉しい。
 けれど、どうしたものだろう? 姉妹体験を続けるか、あるいは本当に……
 新入生歓迎会におけるお芝居が無事成功した以上、当初の予定だけでなく、乃梨子ちゃんがそのまま……という選択肢も存在しうるのは間違いない。私にその資格の有無を問わなければ、だが。
 思いがけない乃梨子ちゃんの言葉で動揺してしまったせいだろうか、普段はあまり思い出したくない、でもここぞという時は私を助けてくれたりもした江利子さまの言葉が頭に浮かんできた。
 姉妹なんてそんなに重いものじゃない。姉妹なんてものは一緒にいて楽しければ良い。
 後者はともかく、前者は私とお姉さまにとっては不可能な考え方だ。ただ、そのあり方まで引き継いでいくべきかと言われたら、今なら違うと言える気がする。むしろ私で終わらせるべき、そう考えてもいいぐらいに。
 ついさっきまで、これっぽっちも考えになかったというのに、姉はともかく、妹とはどういう関係であるべきか、そんなことまで考えている私がいた。
 うん、やっぱり乃梨子ちゃんはすごい子だ。そんな子が私のことをここまで思ってくれている。もちろん私だって乃梨子ちゃんのことは好きだ。ならば私はどう応えるべきか……
 よし。
「乃梨子ちゃん」
「はい」
「言われて思い出したようなものなんだけれど、もともと姉妹制って姉が妹を導くって感じで、ある意味師弟みたいなものなんだよね」
「へ? はぁ」
 まさか、弟子の話まで戻されるとは思っていなかったのだろう。少し口を開けたまま首をかしげる乃梨子ちゃん。なかなか見せてくれないそんな顔もまた可愛いな。
「はっきり言って、私は乃梨子ちゃんに尊敬されるような資格はまったく無いと思ってる」
「そんなことっ」
 唇に人差し指を立てて、乃梨子ちゃんに口を閉じてもらう。
「ありがとう、もう少し聞いていてね。さっきの話の続きになるけど、私は自分が乃梨子ちゃんにふさわしいなんて思っていない……でも、だけど、本当にもし乃梨子ちゃんがよかったら……ほんとうの姉妹になってみない?」
「え……でも、語っておきながらなんですけど、祐巳さんにとって姉妹って」
「うん、重いよ。それにすごく深い。だから、あくまで姉妹体験は、乃梨子ちゃんが落ち着くまでの仮のものとしてしか考えてこなかった。けど、乃梨子ちゃんの話を聞いていて思ったんだ。たとえ、乃梨子ちゃんと姉妹にならなかったとしても、やっぱりそういうものは、私で打ち切りにしてしまったほうがいいかなって」
 興奮から出た言葉故に、自分の発言が本当に姉妹提案につながってしまうとは思わなかったのだろう、理由を言ってもまだ乃梨子ちゃんは戸惑い顔を浮かべたままだった。
「深さ云々を除けば、もちろん私も乃梨子ちゃんのことは好きだし。ただ、本当に姉妹となったら、このロザリオが白薔薇の中で引き継がれてきたことを受け継ぐ。つまり白薔薇のつぼみにはなってもらうことにはなるけど、それでよければどうかな?」
「ほんとうにいいんですか?」
「私はね。どっちかというと乃梨子ちゃんこそ、本当に私なんかでいいのかな?」
「そんな! 祐巳さん、ありがとうございます」
「うん、じゃあ」
 腕からロザリオを外し、乃梨子ちゃんの首にかけようとしたところで気づく。
 首にかけるというのは知らず知らずのうちに今の重さ・深さを乃梨子ちゃんに押しつけることにならないだろうか?
 このロザリオにそういった想いがこもっているのは間違いないし、思いがけない形であふれ出てきてしまうかもしれない。
 気のせいとか、ばかばかしいと言ってしまうのは簡単だが、乃梨子ちゃんが志摩子さんと出会った経緯を考えても、運命というのは馬鹿にならない気がするのだ。
 だから。
「もし、このロザリオが重すぎると思ったらいつでも外していいからね」
 ちょうどさっきまで私がそうしていたように、ブレスレットのようにロザリオを手首に巻いた……かつて、お姉さまがそうしてくれたように。
「ありがとうございます。これからも、よろしくお願いします……えっと、お姉さま?」
「まあ、呼び方はおいおい慣れてからでいいよ。こちらの方こそよろしくね……乃梨子ち」
「ふふふ」
「ハハハ……」
 あー、だめだ。ずいぶん軽い響きの「お姉さま」に笑っている場合じゃない。私の方が難易度高いぞ、これは!
 ……まあ、でも、こんな感じの始まりこそが、私と乃梨子ちゃんが紡ぐ新たな姉妹関係にふさわしいのかもしれない。
 時折右手首が訴えてくる妙な軽さはそっと胸にしまい込む。
 うん、これでいい。
「……こほん。では、改めて。よろしくね、乃梨子!」
「はい、お姉さま!」


あとがきへ