第三話

春の息吹

〜1〜
 昨日はとにかく大変な日だった。
 本当にそう思う。あれほどの騒動はそうそうない……いや、あってもらっては困る。けれど、騒動を経て無事令さまも完全復活を果たし、ようやくこの薔薇の館もいつもの雰囲気になってきた……って、なんだか最近は何が「いつも」なのだろうかと考えてしまうほどいろいろあった気もするけど。
 先週は特にひどかったからなぁ……その中に自分の行動が含まれていることを思い出して、色々と反省することになった。
 で、今は昼休み。薔薇の館で私たちつぼみが集まってこれからのことについて会議している。話の中心は例年通り土曜日の朝から授業をお休みにして行われる三年生を送る会のこと。
 一月末の選挙で当選して以来、つぼみとして山百合会を担う仕事をいろいろとしてきたし、バレンタインデーのときみたいにつぼみが中心になるようなイベントもあったけれどあれは非公式なものだし、大きな公式行事を私たちが担うのは初めて。そして卒業される三年生にとっては、山百合会が中心の行事としては最後のもの。責任重大だ。
「今のところは問題ないわね。年度末でこれから忙しくなると思うけれど、頑張っていきましょう」
「はい」
「うん」
 祥子さまが席を立って流し台の横につるされた小さな黒板に『送る会、土曜日、9時から』と書いた。
 もう少ししたら、卒業式の練習として、入退場に始まり式歌やもろもろの練習が行われていくことになる。
 三年生がこの学園にいるのもあとすこし……それはもちろん、お姉さまだけじゃなく、紅薔薇さまや黄薔薇さまも卒業されることになる。プラスとマイナス考えると黄薔薇さまは複雑な気持ちになってしまうけれど、お世話になったことは事実。紅薔薇さまは言うに及ばず。そんなお世話になった薔薇さまのお別れ会みたいなものはできないものだろうか?
 とはいえ、タイトなスケジュールなのはわかっているし、元々二人に負担をかけている私が言い出すのははばかれてしまう。でも、やっぱり……
「祐巳ちゃん、どうかしたの?」
 正面に座っていた令さまが私の様子に気づいて聞いてくれた。
 黙っていようと思ったけれど、せっかく聞いてくれたのだしダメ元で言ってみるかな?
「あの……薔薇さま方のお別れ会できないでしょうか?」
「「え!?」」
「ご、ごめんなさい!」
「祐巳ちゃん!」
 ガシって令さまに手を捕まれた。
「は、はいっ!」
「ありがとう」
「へ?」
「祐巳ちゃん、大切なことを思い出せてくれてありがとう」
 話が見えない。どうして私がお礼を言われているのだろう? それもこんなにすごい感じで。令さまだけじゃなくて、祥子さままでお礼を言ってくる。私いったい何をしてしまったんでしょうか?
「毎年薔薇さま方の送別会としてのんびりとおしゃべりをするお茶会を開くのよ……それをすっかり忘れてしまっていたの。このままだったら、大変なことになっていたかもしれなかったわ」
 なるほど、恥ずかしそうに解説してくれた祥子さまの言葉でようやくわかった。
 頭は三年生全体を送る会のことばかりで、身内の三年生を送る会のことはどこかへいってしまっていたのだ。学校行事ではないのだから授業をつぶしてというわけにはもちろんいかないし、主役の薔薇さまたちのスケジュールのこともあるし、土壇場で気づいても手遅れなんてこともあり得たわけだ。
 そう考えると、結構ミラクルな思いつきだったかもしれない。
「……今週か来週の土曜辺りが良いわね」
 スケジュール表と少しにらめっこしてから祥子さまが言った。
「あとは、お姉さまたちの予定次第だね」
「早速お姉さまたちの予定を伺いに行きましょう」
 そうして三人そろって薔薇の館を出て三年生のそれぞれのお姉さまの教室に向かったのだけれど、結局教室にいたのは紅薔薇さまだけだったので、お姉さまと黄薔薇さまについては家に帰ってから私たちが個別に電話で聞いて明日報告することになった。


 そんなわけで、家に帰って早速お姉さまの家に電話をかけた。
『ああ、お別れ会』
 なんだか眠たそうな声。ひょっとしてついさっきまで寝ていたんだろうか?
「はい」
『そんなのあったんだ』
「あったんです」
『そ〜か、そんなのあったかも。去年もやったんだっけ』
 ありました。恒例行事なんだし、どんな様子か去年のことをいろいろと教えてもらっている。お姉さまももちろん参加していた。
 ……ふと、気づいた。
 そうか、去年の今頃ってことはまだお姉さまは立ち直り切れていない。にもかかわらず、支えてくれていたお姉さまを送り出さなければいけないつらい時期だったわけだ。たぶんそういうこともあるのだろう。
『で、いつやるわけ?』
「あ、はい。お姉さまたちの予定を聞いて決めるんですけれど、今週か来週の土曜日の午後はどうですか?」
『ん、土曜日ね。OK、どっちも空いてるから決まったら教えて』
「はい」
『ちなみに祐巳は何するの?』
「何って、何ですか?」
『隠し芸に決まってるじゃない』
「……隠し芸?」
『そうそう。毎年恒例で卒業する三年生のために一年生が何か出し物をして楽しませるのよ』
 …………十中八九嘘。どうしてくれようか?
「祥子さまたちから伺った様子とはずいぶん違いますね」
『そうなの? ふ〜ん、でも、お世話になった三年生のためにって自主的に用意するような物だし、そもそも隠し芸なんて隠しているけれどどこでもいつでもできますっていうもんだしね』
「そうなんですか」
『あ〜、このお姉さまがせっかく準備ができるように教えてやってあげているのに全然信じてないなぁ〜』
「はい。どキッパリと」
『うわ〜、祐巳の薄情者〜! 私よりも祥子を取るんだ〜』
「そうですね」
『しくしく、そうだよね。祐巳は祥子のファンだったもんね。私なんかの妹でいるよりは祥子の妹でいたいよね。しくしく、私卒業したら好きにして良いよ』
 嘘泣き。同じ手に引っかかってたまるものか。いくら私でもそこまで成長がない訳じゃない。
 こういうときに効果的な反撃は……
「……わかりました。紅薔薇さまに聞いてみますね」
『え? 蓉子に』
「そうしたら誰が嘘つきかわかりますから」
『……ごめんなさい』
 はい、これで確定。
『もうしないから許して』
 きっとそのうち忘れるだろう。
『あ、あの〜祐巳さん?』
 無言のままだったから、どんなに怒っているのかと、おそるおそる声をかけてきた。もう少しじらしてみようか?
『ゆ、ゆみ?』
「聞いてますよ。お姉さまは、私をだまして芸をさせようとしたんですね」
『そ、そうです……』
「全く……」
 聞こえるように電話口でため息。
『そ、そうだ! お詫びに終わったあとにどこにでも祐巳の行きたいところに連れて行ってあげるから、それで許して』
 うむむ、デートでつろうとしてきた。そして、こんなのじゃいけないなぁと思いながらつり上げられてしまう私。
「わかりました」
『ほんと? よかったよかった』
「とりあえず、日程が決まったらお知らせしますね」
『うん、お願いね』


「祐巳ちゃん、白薔薇さまの卒業おめでとうパーティーを開きましょう!」
 夕飯の時に突然お母さんがそんなことを言い出した。本当にいま突然思いついたのだろう。エビフライを箸でつまんだままだ。行儀はあんまりよくないなぁ、家に小さい子がいなくてよかった。
「お姉さまの?」
「そう、どうかしら?」
 お姉さまの卒業おめでとうパーティーか、良いかもしれない。
 お父さんと祐麒の反応を見てみると、お父さんも祐麒も半分賛成・半分あきらめって感じ。まあ二人が反対したところでこうなってしまったお母さんが聞く耳を持つわけないか。
 ところでそのエビフライいつまでつまんだまま? すぐに食べないなら皿に戻すなりなんなりしてほしいかもしれない。
「どうしたの?」
「ううん、うん、いいかも」
「じゃあ白薔薇さまのご予定を伺ってきてね」
「了解」
 電話する前に言ってくれればいっしょに伝えられたのだけれど、突然の思いつきだったのだから仕方ない。また電話するのもなんだし、日程を伝えるときでも良いか。


〜2〜
 次の日の昼休み、薔薇の館に集合して早速昨日お姉さまに確認した結果を報告する。
「お姉さまはどちらでも良いそうです」
「同じくです」
「そう……三年生を送る会のこともあるし、早いほうが良いかしらね。今週末にしましょう」
「はい」
 無事にすんなりと日程が決まった。まだ昼休みは残りがあったので早速そのままお姉さまたちの教室へ。
「あ〜いらっしゃい。何のよう?」
 ラッキーなことに誰かに呼んでもらうまでもなく、お姉さまと教室前の廊下でばったり出くわすことができた。
「お別れ会のことなんですけど、今週の土曜日の午後ということで」
「OK、わかった」
「あと、もう一つあるんですけど」
「ん、なに? そのあとのデート? まさかいけなくなったとか?」
「あ、そうじゃなくて、大丈夫です。いけますっていうか、行きますから!」
「そっか」
 そりゃよかったとお姉さま。私だってお姉さまの卒業が迫ってきている中、もうそんなに残っていないだろう機会を逃せられるわけがない。
「それで、もう一つっていうのは?」
「ああ、はい。もう一つっていうのは、お姉さまの卒業をお祝いするパーティーみたいなのをしたいんですけれど、良いでしょうか?」
「私のお祝い?」
「はい、お母さんが昨日言い出したんですけれど、私も良いかなって思うし、お姉さまはいかがですか?」
「そっか、なるほどいいかもしれないね。卒業式のあとだとまだどうなるかわからないけど、できる限り行くようにするね」
「ありがとうございます」
「お礼を言うのはこっち、祝ってもらえるなんて嬉しいね。じゃ、こっちからもう一つ、デートはどうする?」
「そうですね……どうしましょうか?」
 お別れ会の後だといくら土曜日の放課後とはいってもそれなりに遅くなってしまうだろうから、どこか遠くに行ったり、あんまり時間がかかるようなところへはいけない。
「あ、そうだ。よかったら私の家に来ない?」
「え? お姉さまの家に?」
「次は日曜日だし、のんびりできるよ」
「ホントですか!?」
 つまりそれはお泊まりってことだ。
「うん、この週末親は帰ってこないし、二人っきりでいられるよ」
「行きます! 行かせてください!」
「OK」
 お姉さまの家に二回目のお泊まりに文字通りに喜び舞い上がりそうになったのだけれど……なに、この状況?
 廊下の窓からは藤組の方々が、廊下にも人だかりが。
 先ほどの自分の行動を振り返ってみる。……うわ。
 恥ずかしさのあまり顔がほんのりと赤く染まっていったのだけどそれがお姉さまの悪戯心に火をつけてしまったみたい。
「ゆ〜みっ」
 甘い声でささやきながら私の背中に抱きつくお姉さま。
「ひゃいっ!」
 昔ほどじゃないけれど不意打ちでやられるとどうしても声が出てしまう。うれしさと恥ずかしさの相乗効果で顔はトマトのようになっているに違いない。
 そんな私たちを「きゃー」とか「わー」とか言いながらごらんになっているギャラリーの皆様。
 ははは。もうどうにでもしてください。
 言ったら本当にする人なので口には出さなかったけど。


 教室に戻った私の気分は……ブルー。
 お姉さまとの約束は思いっきりうれしいことばっかりだったけれど、あんまりにも恥ずかしい。時計の針を戻せるならお金を払ってでも戻したい。絶対に新聞部にも伝わるし……いつぞやの時みたいにつけ回されてしまうかもしれない。
「はぁ……」
 さっきから何度目のため息だろうか。
「祐巳さん、授業終わってるわよ」
「あ? そ、そう。ありがと」
 蔦子さんがわざわざ知らせてくれた。
 ああ、授業が終わったことにすらまるで気づかなかったとは……これは重傷だ。
「何があったの?」
「ん、ちょっと?ね。……どうせばれることだからいっとく。お姉さまの家にお泊まりをする約束を廊下でしちゃったの」
「ふ〜ん、で注目集めてしまって、祐巳さんは顔が火を吹くほどに恥ずかしかったと」
「そういうわけ」
「ああ、撮りたかったなぁ」
 はいはい、そうでしょうそうでしょう。蔦子さんがあの場にいなくて私としては本当によかった。あんな写真を学園祭でパネルにでもされてしまったら、もう学校に来れなくなってしまう。
「本当に祐巳さんて紅くなること多いよね。いっそ紅薔薇に転向すればいいのに」
「どういう基準それ? もしブルーな気分ばっかりだったら、青薔薇になっちゃうわけ?」
「それは大丈夫。青薔薇は『ありえない事』の意だから」
 いやそうじゃなくてさ……それにしても、私って蔦子さんに危険な写真をかなり握られてしまっているんじゃないだろうか?
「まま、すぎてしまったことはしょうがない。開き直ってお泊まりを楽しんでらっしゃいな。さすがの三奈子さまもやらかしたばっかりなのに白薔薇さまのお宅に突撃取材まではしないでしょ」
 何となくしそうな気もするところが恐ろしいのだけど……


 薔薇の館に行く途中、昇降口で真美さんと三奈子さまのペアと出くわしてしまった。
 思わず「げっ!」と言いそうになってしまうのをなんとか堪えて、言葉を飲み込む。
「ごきげんよう」
「ご、ご、ごきげんよう」
 よりにもよって早速か……さっき蔦子さんと三奈子さまの話をしたのがまずかったのだろうか。
「どうかしたのかしら?」
「い、いえ……何でもありませんからどうぞお気になさらずに」
「そう? まあいいわ。祐巳さんはこれから薔薇の館でしょう? 先日の件のことについて対策をまとめたので報告に行こうとしていたのだけれど、ちょうどよかったわ」
「そうだったんですか……」
 昨日の謝罪と訂正記事に続き、今日の朝には関係者から証言と確認をとった上での今回の件のまとめの記事を出した。そして早速対策についての報告。仕事が速いことはほめるべきことだろう。
 昼休みのことを聞きつけて、早く禊ぎを済ませたくなったという理由でないことを祈りたいところだが……
 二人といっしょに薔薇の館に向かう。
「ところで、祐巳さん」
「はい、何ですか?」
「昼休み三年藤組の廊下でたいそう人目を集めることをしたらしいけれど」
「う……」
「よかったら詳しく聞かせてもらえないかしら?」
 予感通りこうして新聞部、しかも三奈子さまに引っかかってしまっている。これが予想通りだったのだから、このあともきっとそうなってしまうのだろう。
 ああ、気が滅入りそう。
「お姉さま、あまり祐巳さんを困らせない方がいいですよ」
「それもそうね。これから対策の報告に行くのに、困り顔の祐巳さんといっしょでは誰も信じてくれないわね」
 それは単に今だけはって言っているのと同義では?
「今回のことはふれないようにしておくわね」
「……どうも」
 なんだか、取引をしてしまったみたいで気後れしてしまうのだけれど、今回のことを新聞部にじゃまされなくなったのは正直ほっとしているし……複雑な心境のまま薔薇の館に到着した。
 階段を上がってサロンにはいると、すでに私以外のメンバーはそろっていた。
「ごきげんよう。三奈子さま真美さんもご一緒です」
「山百合会の皆さまごきげんよう。先日は大変失礼いたしました。今日はそのことで新聞部の対策について報告に伺いました」
「どうぞ……お二人にお茶を入れてくれる?」
「はい」
 私たちで手早く二人にもお茶を出し、私も席に着いた。
 二人の正面に私たちが並んで座る。端から志摩子さん、私、祥子さま、令さま、由乃さんの順。自然とこうなった。普段だったら私と志摩子さんの席順は反対だろうに、つぼみが真ん中にそろってということだ。こうしてみると私も責任ある立場なんだって改めて感じる。そして祥子さまがつぼみ、ひいては山百合会の中心になっているってことも。
 思い返せば紅薔薇さまも三薔薇さまがそろって座るときは真ん中に座ることが多かったし、やっぱり『紅薔薇』と書いて『リリアン最強』と読むのは伝統なのかもしれない。実際そう思うし、指示を飛ばす祥子さまは端から見ていてほれぼれするほどに格好いいし、祥子さまが中心になることは私も諸手を挙げて賛成だ。
 紅薔薇が連続しているのだから、来年は志摩子さんが真ん中に座るんだろうか? 私たち三人が並んで座るところを想像する……ふむ。自然な気がする。
 ツンツンと横からつつかれた。
 あ……三奈子さまが話をしているのに私は妄想の世界に旅立ってしまっていた。
 注意してくれた志摩子さんに目でお礼を伝える。……こんな調子じゃ、完全にそうなりそう。私はそれでも良いけれど、今つぼみとしてこれはまずい。集中しないと。
「いうわけでして、こういった問題の根本は」
「前置きはそろそろ結構、三奈子さんの説はレポートにでもまとめて提出してもらえるかしら?」
「そうですか、残念」
 前置きだったのか……良かったのか悪かったのか。
 そのあとの三奈子さまの話によると、新聞部自体の対策としては今回のような特に問題になりそうな記事の場合は当事者に確認をいれることを部内規則に定めたそうだ。それから、三奈子さま自身としては自分の進退をかけた一大記事で大誤報を出してしまったのだし、今期限りで部長職を辞して顧問のような立場に退き新聞部の活動としては実質的に引退するそうだ。で、来年度の後任の部長は真美さん。今期の残りで引き継ぎをすますそうだ。
 真美さんも警戒を怠れない人間だということはよくわかってきているけれど、無茶をしない分三奈子さまに比べればずっと良いなと、心の中では喜んでもいたのだけれど……だいぶ後になってとんでもないことがわかった。
 外部受験をするつもりだった三奈子さまは元々今期限りで部長を辞めるつもりだったそうで、事務的な話についてはすでに引き継ぎも終わっており、結局ポーズに近かったのだそうな。


〜3〜
 三年生を送る会の打ち合わせをしていて一つ小さな?問題が出てきてしまった。
 つぼみには、次期薔薇さまという意味も実質的にあるけれど、そうなるのもつぼみであるときから薔薇さまをサポートするから。そして実際に山百合会の行事の中でつぼみとしての役割も与えられている、いわば現職のようなものだから、他の一般生徒よりも立ち位置からして圧倒的に有利だというのも大きい。にもかかわらず静さまとわずか一票差となってしまった私はなんなんだか……いやいや考えを戻して。
 今は薔薇さま方は実質的に引退され、つぼみが山百合会の中心になっているから一つずれているのだ。つまりつぼみの妹の役目があるのだけれど、一年生である私に妹はいない。
「人手が少し足りないね」
「ええ、すっかり忘れていたわ」
 つぼみと違ってサポート中心だから、志摩子さんと由乃さんの二人が頑張ればカバーできる程度ではあるのだけど……
「まあ、祐巳ちゃんの場合はどうしようもないよね」
 つぼみが妹を作るように有形無形の圧力を受けることになるのも、こういうことがあるから。けれども、私はまだ一年生なのだから中等部からヘッドハンティングをするわけにもいかないし不可抗力。
 この原因はお姉さまが三年生になってから一年生の妹を作ってしまったから、去年のこの時点ではお姉さまにも妹はいなかったのは同じ。当然対策を打っただろうから、それを参考にすればいいのではないか、そう思って聞いてみたところ……
「白薔薇さまがクラスの佐藤信子という方に手伝いをお願いしたわ。信子さまには他でも何度か手伝っていただいたのよ」
「うわ……」
 なぜ、私がそんな声を上げてしまったのか、それはお姉さまの親しい友人だから頼んだのではなく出席番号が一つ違いだからだったのだと容易に連想できてしまったから。きっと同じ名字だからより頼みやすかったとか、そんな感じな気がする。
「知り合い?」
「いえ……」
 いくら祥子さまたちにでも理由を説明するわけにもいかず、ただ首を振るだけにとどめた。
「そう。祐巳ちゃんはどうする? 心当たりがなければ、私の方で手伝いをお願いするけれど」
 令さまは友人も多いし剣道部という下級生とのつながりもあるし、由乃さんというあまりにも強すぎる妹がすでにいるから、革命発動中でもなければ頼まれた一年生が妹候補にだなんてこと考えようもない。
「友達にお願いしてみます。でも、だめだったときはお願いできますか?」
「うん、わかった。でもそのときはなるべく早くお願いね」
「はい」
 こんなことを頼めそうな友達というと、蔦子さんと桂さんの二人が思い浮かぶ。明日にでも早速聞いてみよう。


「う〜ん、どうするかなぁ」
 早速翌日の朝、登校途中に出会った蔦子さんに話を持ちかけてみたのだけれど反応は芳しくなかった。
「確かに、山百合会の側にいられるんだったら、普通は撮れないものも撮れるんだけど、逆に撮れないものもあるんだよね」
 そうか、写真部のエースである蔦子さんには、部の仕事もあるんだ。
「う〜ん……今回は遠慮しておくわ」
 それはもう悔しそうにおっしゃる蔦子さん。
「桂さんにも声をかけるんでしょ? たぶん引き受けてくれると思うよ」
 さすが、分かってらっしゃる。そして蔦子さんといっしょに教室に行くと、もう登校していたので早速桂さんに声をかけてみることにした。
 私の話し方がよくなかったのか、最初は驚かれてしまったのだけれど、事情を説明していくとだんだん嬉しそうな顔になってきた。これは好感触。
「で、どうかな。お願いできる?」
「うん、いいよ」
 と桂さんはあっさりOKしてくれた。
「役得だよねこれ」
「何が?」
「だって、私みたいなただの生徒が山百合会のメンバーといっしょに何かできるなんて名誉なことじゃない。それに、お近づきになるチャンスだし、我ながらいい友人を持ったものよね」
「ども」
 しかし、速攻で決まってよかった。令さまが保険を用意してくれるとはいえ、それは頼めるような友達いないですって自白するようなものだし……
 実際、それだけのお願いができる友達って、他にいない。静さまとか新聞部のメンバーとか、全然別の方向から引き受けてくれそうな知り合いはいるけれど……頼みたくなかったり頼むなんてとんでもないメンバーだ。
 かといって、それほど親しくないクラスメイトにお願いするとしたら……そりゃどうかと思ったお姉さまの行動とどこが違うのだろうか。ああ、本当に桂さんには感謝。


〜4〜
 薔薇さま方を送る会は、のんびりと思い出話にふけったり、これからの話をしたりもしたけれど、黄薔薇さまが始めた暴露話が一番ぶっちぎりに盛り上がった。
 もちろん二人とも黙って聞いているわけもなく黄薔薇さまの話を負けじとし始めたため暴露話のバーゲンセールとなってしまった。紅薔薇さまのうっかり大事件やお姉さまの顔で妹に選ばれた説!?  そして、あの黄薔薇さまが仕事に情熱を注いだ奇跡の数日なんていうこんな機会でもなければ絶対に聞くことはできなかっただろう。
 そのほかにも薔薇さまになってからの失敗談なども無数のごとく披露?された。
 何となくだけれど、その話は今まですごいとばかり思ってきたお姉さまたちだっていろんな失敗をしてきたのだから、私たちが薔薇さまになっても完璧にやり遂げなければとそんな風に気負わなくても良いって、そう言ってくれていたような気がしたのだ。
「祐巳〜何考えてるの?」
 バスを待ちながらさっきのことを考えているとお姉さまが声をかけてきた。そのまま返すことでもないし……
「お姉さまってやっぱりさぼり魔だったんだなって改めて考えていたんです」
「む……さっきのか、まったく江利子のやつもべらべらしゃべってくれたもんだな。蓉子までばらすし、お姉さまとしての威厳が台無しじゃないか」
「お姉さまもしゃべってたじゃないですか。それに、お姉さまの威厳って何ですか?」
「ひどっ! 祐巳ひどっ!!」
「紅薔薇さまがさぼった話は驚きでしたね。お姉さまたちのせいなんでしょうけど」
 三人のうちの二人によくさぼられていたら、たまには逆の立場にしてやりたくもなるだろう。
「う〜ん、信用ないなぁ」
「事実でしょうから」
「うう〜、祐巳ちゃんがいじめるよ〜」
「だから、そんな声出さないでください」
 嘘泣きだってわかってても、そんな目をうるうるされながら泣きそうな声でいわれると、悪いことしてしまったように思ってしまうじゃないか。そんな顔を見てたら屈してしまいそうだから、お姉さまから前の通りの車に視線を変えた。
 それにしても……紅薔薇ファミリーは少し話があったみたいで薔薇の館に残っていたし、黄薔薇さまはたぶん山辺先生がらみだと思うけれどどこかへ一人で、令さまと由乃さんは徒歩通学。他の生徒はとっくに帰っているかまだクラブ活動をしているかだから、二人だけのバス停。そんなわけでお姉さまもこんなやりとりができるんだけど。
「前から蓉子にいろいろといじられたけど、最近祐巳にもやられてきてる気がするなぁ……」
 なんか今日は本当に少し気を落としてしまったみたい。さっきの暴露話、実はお姉さまにダメージ与えていたりとかしたんだろうか?
「蓉子のサドは決定だけど、祐巳はサドなんかになっちゃやだよ」
 なんで、サドとかいう単語が出てくる。
「お姉さまがもっとしゃんとしてくれたらそんな必要はないです。そのくらいはわかっているはずなのに……ひょっとしてお姉さまマゾですか?」
「ち、ちがうもん!」
 なんて言ってツイとそっぽを向くお姉さま……ちょっとかわいいかも。
 まあ、そのことは置いておいて、どう考えてもリリアン生が話すような会話じゃないよなぁ。淑女の卵、されど話すことは淑女からはほど遠しと。


「おじゃましま〜す」
 お姉さまの家にお泊まり……今回の荷物はあらかじめ自分で準備したから、前の時みたいなことにはならなかった。
 とはいえ、、、やたらにあれは持った? これは持った? って聞いてくるお母さんには閉口せざるをえなかったけれど。
「どうぞどうぞ〜」
 荷物を下ろして少しくつろぐ。
 しばらくリビングでテレビを眺めていると時計がベルが鳴るような電子音を出した。
「あ〜、ちょっとお腹すいてきたなぁ、祐巳〜なんか作ってぇ〜」
 ソファーにゴロンってころがったまま情けない声でそんなことを言ってくる。亭主関白のつもりというには、声が情けなすぎるし、どっちかっていうと、お腹がすいてご飯をねだる子供の方が近いかもしれない。
「いっしょにご飯を作るんじゃないんですか?」
「それも良いけど、祐巳の手料理の方がいいかなぁなんてね」
「私はお姉さまの手料理の方がいいです」
「私は祐巳の手料理が良いの、自分の料理よりもねぇ」
 おいおい、それは私にも言えることでしょうが。
「ここはこのかわいいお姉さまのために妹が手料理をごちそうしようとかそんな風には思わないの?」
「かわいいとかつけるんだったら、姉と妹反対の方があってますね」
「ぎゃん」
「と、いうことで……このかわいい妹のために手料理をごちそうしてくれませんか……お姉さま?」
 できる限りかわいい妹になるように上目遣いで口調も気をつけて言ってみた。
「むむ……祐巳をもやるようになったわね」
「そりゃ、お姉さまのせいですね」
「おかげといってほしいなぁ〜。まあいいや、じゃあ互い手料理をごちそうってことで、相手の料理を作ろう」
「はい」
 前は一つの料理を二人で作ったけど今度はバラバラか。
 ……
 ……
 ジャガイモを切りながらメニューまでバラバラにしたのはどうだったんだろうかと思ってしまった。お姉さまの方が遙かに手が込んでいるし、個々のできも……どうにも負けてるって印象が、そもそも作っている料理からして違うし予感というよりも確信。
 ああ、いいや。お姉さまが私の手料理がいいって言ったんだ。責任はお姉さまにあるんだから、今は考えずに作ろう。


 食卓の上に並んでいる料理……
 お姉さまの目の前には肉じゃがに、鮭のホイル焼き……まあ、要するに調理実習で作ったことがあるものが並んでいる。
 対する私の目の前には、イタリア風ロールキャベツに、エリンギのパン粉焼き、地中海風サラダ……おまけに、イチゴをメインにしたフルーツもりなんてデザートまで。その上、私みたいにただ皿に盛っただけとかじゃなくて、これが盛りつけというものだって言わんばかりにきちんと整えられているし。
「どしたの?」
「いえ、おいしそうですね」
「うん、祐巳の作ってくれた肉じゃがもおいしいよ」
「どういたしまして」
 私も食べよう……あ、本当においしい。
 味付けが私にぴったり。そっか、お姉さまの特技の一つ、私の好みに合わせて作ったんだ。
 もう、いろんな意味で完敗。


「……○#□+%*!!」
 朝、目が覚めたら目の前にお姉さまの顔のどアップがあって、声にならない悲鳴を上げてしまった。その上びっくりしてふとんから飛び出てしまった。
 あわてて、周りを確認する……ここは、お姉さまの家のお姉さまの部屋。
 で、床に布団を二つ並べて敷いてある。
 ああ、そうだ。布団を並べて寝ていたのだった。
 で、さっき、あまりにもびっくりしすぎて声にならなかったせいか全然気づいた様子もなく気持ちよさそうに寝ているこの人が寝ていた布団は『から』。私が寝ている内に、私の方の布団に入ってきて寝ていたのだ。
 まったく……いきなりだったからびっくりしてしまったじゃないか。
 それにしても気持ちよさそうに寝ているな……人をこんなにびっくりさせておいて自分は気持ちよさそうに寝ているなんて、腹が立ってきた。
 ……たたき起こすか? ……いやマテ。そういえば今日は日曜日。
 この前は次の日に学校があったからできなかったけれど、今日はのんびりしたい放題。二度寝もし放題の日なのだ。つまり、このままお姉さまが寝ている布団に戻って、二度寝をしても文句を言ったりする人はいないわけだ。
 一つの布団でいっしょに……ち、違う違う。私は自分の布団で二度寝をするだけ、誰かさんが勝手に入ってきてしまっただけ。
 うん、二度寝をしよう。
 そう決めて、起こさないようにそっと布団に潜り込んだ。
 すると、お姉さまが目を覚ましてしまったのかパチッて目を開けた。
「あ……」
 そして、にやりって、え!?
「ふ〜ん」
「ぎゃふ!?」
 布団の中でぎゅって抱きしめられた。
「そんなにいっしょに寝たいなら、いっしょに寝てあげまちゅからね〜」
「ちょ、ちょっとお姉さま!」
 どさくさに紛れてどこさわって!!
 …………結局、二度寝をしたりすることはかなわず、お姉さま曰くたっぷりとかわいがられてしまった。
 ……
 ……
「で、どうして私の布団に入っていたんですか?」
 朝ご飯のトーストをかじりながらさっきのことを聞いてみる。
「うん、朝起きたけど祐巳は寝たままだったし、やることなかったからね」
 それがやることなかったから、いっしょに寝てみたくなったとかならよかったのだけれど……いたずらしてみたくなったと言われてしまった。
「ん、焼きすぎてた?」
「ううん、そうじゃないですけど……」
 まあ、いまさらか。こんなことで脱力していてはきりがないと自分に言う。
「ふ〜ん、祐巳がいっしょに寝たいって言うんだったら、ご飯のあとに寝ても良いけど?」
「うっ……結構です」
 かなり魅力的ではあったけれどさすがにこれ以上良いようにされるのはたまらない。
「ほんとにぃ〜?」
「却下です! 却下!」
 そう思ったのだけれど、結局良いようにされてしまったような気も……


 ああっ!! どうしてこんな目にあっているんだろうか?
「ひぃぃ!」
 キィィ!っていやな音をタイヤが立てながら角を曲がる……ある意味恒例になってしまっているお姉さまの運転。
「ふふふ〜ん、ふ〜ん」
「鼻歌なんか歌ってないでください!」
「え〜そんなこと言ったって、おっと」
 今度は急ブレーキ!?
「あ〜赤で飛び出すとこだった。祐巳が話しかけるからじゃない」
「初心者なのに鼻歌なんか歌っているお姉さまが悪いんです!!」
「ま〜ま〜、そんなに怒らなくても。大丈夫だったんだから良いじゃない」
 私の抗議もどこ吹く風。全然聞く気ないよこの人……
 送っていこうか? と聞かれて喜んで返事をしたのが過ちだった。本気でそう思う。
「よしっ」
 横の信号が黄色になると、お姉さまはブレーキを踏んだままアクセルを踏み込み始めた。あ、あなた……いったい何やってるんですか?
 青になった瞬間急発進! シートにぐっと押さえつけられる。
 きっとタイヤが白煙あげているんだろうなぁ……いいかげんここまで生き延びてきた運を使い果たしてしまうんじゃないだろうか?
 ………
 ………
 恐怖のドライブタイムも無事に終了し、私の家に到着した。
 よかった……無事だった。マリア様ありがとうございます。
「マリア様に感謝するよりも私の腕に感謝してほしいもんだわね」
 口に出てたか……
「もっと安全運転してくださいって、いっつも言ってるじゃないですか……」
「大丈夫大丈夫無事についたじゃない。それに私ゴールドとるつもりだから」
 わざとなんですよね。うん、わざとなんですね。
「ああ、白薔薇さま、わざわざ送っていただきありがとうございます!」
 お母さんが出てきた……お母さんの持っているイメージをハンマーでたたき壊すこともないか……出そうとしていた抗議を引っ込めてお母さんとお姉さまの会話を黙って見守ることにした。まあ、会話といってもお母さんのお礼の連発だけだからお姉さまも適当なところに切り上げるからそれほど時間もかからないだろう。
 ぼんやりとあたりを見渡しているとお隣さんの桜のつぼみがふっくらとしているのに気づいた。
「うん、どうかした? ……あぁ、あれか」
 思った通りすぐに終わって車に戻ろうとしたお姉さまも私が見ているものに気づいたようだ。
「もうすぐ春だね」
「ですね」
 いつもなら桜を見ると何となくウキウキするのだけど今年はちょっと複雑だ。
「うん、それじゃ、また明日ね」
「はい、また明日」
 そんな私の気持ちを知って知らずか……いや、知った上で気づかないふりをしてくれた気がする。
 走り去るお姉さまの車を見送りながら、そんなことを考えていたけれど……そんな感傷を吹き飛ばしてしまうようなことになるなんて、このときの私はまるで思いすらしなかった。


つづく