第三話

三度目の正直

〜1〜
 何度目かのため息がもれる……私はどうして良いものか真剣に困ってしまっているのだ。
 その原因は、机の上に何枚か並べられている写真。その中には黄薔薇さまがあの中年男性と腕を組んで歩いている写真もある。
 さすがは蔦子さんと言うべきなのだろうか? みんながびっくりたまげ、由乃さんが暴走しかけたのを止めている中……蔦子さんもいっしょに止めていたはずなのに、いったいいつこの写真を撮ったのだろうか?
 あれから私と桂さんはあの光景から思い浮かぶ四字熟語に怖くなってしまい、かといって黄薔薇さまに直接確認する勇気もなく手をこまねくだけで何かこれといった行動をとれなかったのだけれど、由乃さんと蔦子さんは違って黄薔薇さまを追いかけ続けていた。
 そして、その二人の尾行の戦果は……さらに増えたもう二人分の相手の写真だった。
 これで合計四人分の写真が揃ってしまったわけだ。
 黄薔薇さまのお相手は最低四人。連日違う相手なのだし、この四人という数字は最低値であって、さらに多いことも十分に考えられる。
 そして四人ともみんな全然バラバラのタイプであるが……みんな身につけているものは良さそうなもので、プレゼントと思わしきものも高級ブランドのものだったり、写真が撮られた場所も高級料亭や高級ホテルのプールだったり……どうやって撮ったんだとつっこみを入れたいところではあるけれど、高級という修飾語が付くものばかり……つまり相手はみんなお金を持っていそうな人ばかりだということだけは共通している。
 なんだか確信に向けて一歩どころか、二歩も三歩も進んでしまったような気がしてしまう。
 今日の放課後にこれを見せられたのだけれど、由乃さんは怒りなんてものはすっかり通り越してしまったようで、あきれ果て黄薔薇さまを軽蔑しきっていた。黄薔薇さまの話をしているときのあの冷めた目はちょっと怖かった。その上、なんと黄薔薇さまを『あれ』呼ばわりしていた……リリアンひろしといえど仮にも薔薇さまを『あれ』呼ばわりするなんて由乃さんくらいなものだろう。
「……はぁ」
 また溜息が漏れてしまう。
 しかし、どうしてよりにもよって私がこの写真を持つはめになってしまったのだろうか?
 蔦子さんが撮った写真なのだし蔦子さんが持っていればいいと思う。ネガを持っているからいらないというなら、いっしょに尾行していた由乃さんが持っているべきものではないだろうか?
 誰かに相談するときに証拠品になるって言われてもこんなこと誰に相談しろって言うんだ?
 令さまに見せてしまったらそれこそ卒倒してしまうかもしれないし、そんなの由乃さんが許すわけもない。祥子さまだったらヒステリーを起こすのは目に見えているし、他人の秘密を調べたりするのは良いことではないと言った志摩子さんに相談するわけにもいくまい。
 紅薔薇さまは優等生の代表だからかなんだか告げ口をするような気がしてしまうし、お姉さまはあれでいてナーバスな所があるから、こんなことになっているって知ったらどう思うか……
 他に相手と言えば……静さま? こらこら完全な部外者じゃないか、ぼかしながらならできなくもないかもしれないけれど、写真を使うわけにはいかない。
 後は……、後は…………。写真を使う使わない以前にそもそも相談する相手なんていないじゃないか。いっそのことゴロンタにでも相談してみようか? 前にお姉さまはゴロンタに一緒に家に行くかどうか聞いたら学校にいるって答えたって言っていたし……
 バカ?
 いくら何でもゴロンタはないだろう。例えゴロンタがしゃべれたとしても、こんなこと猫に相談してどうにかなるわけなんかないじゃないか。
 ふと思いついた答えがあまりにひどいものだったから、むなしくなってしまって、またため息が出てきてしまった。
 本当にどうしたらいいものやら……
 インターホンが鳴る音が下から聞こえてきた。誰かお客さんでも来たんだろうか?
 それからまもなく「祐巳ちゃ〜ん!」とお母さんが呼ぶ声が聞こえてきた。
「なに〜?」
「白薔薇さまがいらっしゃったわよ!」
 え? お姉さまが!?
 急いで部屋を出ようとして写真立てに気づいた……お姉さまの写真と『躾』と命名されてしまったあの写真を入れた写真立てを並んで飾っているのだ。これは見られるわけにはいかない。
 危ない危ない……写真立てを伏せてから部屋を出た。
「ごきげんよう」
 下に降りると、茶色の紙袋を抱えたお姉さまが玄関からあがろうとしているところだった。制服じゃなくて私服だから、家に帰ってから来たのだろう。
「ごきげんよう。お姉さまどうかしたんですか?」
 なんだか、甘くてとても美味しそうなにおいがする。今川焼きとか鯛焼きの匂いだろうか……元はあの紙袋の中だとすると鯛焼きかな?
「うん、鯛焼きの屋台見つけてね。この通りたっぷりサービスしてもらったから、祐巳にもあげようって思ってきたのよ」
「まあ白薔薇さま本当にありがとうございます」
「はい、祐巳。熱いから気をつけて」
「あ、ありがとうございます」
 紙袋の中から一つ鯛焼きをとりだして私に渡してくれた。白い紙の袋にしっぽの側の半分ほどが入っていたからそんなに熱いってことはなくて、暖かい。
「お母さんにも」
「ありがとうございます」
「いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
 うん、暖かくて甘くて美味しい。
 お姉さまも自分の分を取り出して食べ始めたから、三人が廊下で鯛焼きを頬張るなんて、ちょっと珍しい光景が現れることになった。
 しばらくしてみんな食べ終わったけれど、紙袋の中にはまだまだ鯛焼きが入っていたから、お母さんに袋ごとを預けて私たちは私の部屋の方に移動することにした。
「そう言えば、お姉さま、受験のほうどうなりました?」
 こんなのんきに鯛焼きを持ってきたりとかしているのだ。少なくとも良い感触をつかんでいるのは間違いないだろう。
 そう思って聞いたのに、何ですかその顔は? 聞いた瞬間口を半開きのまま一瞬固まってしまって、それからすぐに気まずそうにやっちまったぁとでも言わんばかりに目をそらすなんて……
「あ、う、うん。受かったよ、祐巳のお守りのおかげだね。ありがと」
「………」
 どうやら、私に言うのをきれいさっぱり忘れてたようだ。お姉さまは無事に大学に合格できたけれど、この感じだと全然お守りなんか役に立たなかったのではないだろうか?
 その上、妹の私に言うのをすっかり忘れていたって……相変わらずといえば相変わらずかもしれないけれど、ちょっとひどくないだろうか?
 本当ならお姉さまが受かって嬉しいはずなのに全然嬉しくなかった。
「合格、おめでとうございます」
「あ、うん、ありがとう……」
 とりあえずの言葉を交わすことになってしまった。本当だったら、二人で喜び合うようなことだったはずなのに……
 思えばこの受験という行事、私たち姉妹にはろくなことをもたらしていない気がする。
 前のけんかだってお守りをもらいにいったすぐあとにあんなこと言われた、ということでもあるし。
 このまま行くと私の時も何か一悶着あるのだろうか? まだ二年先の話だって言うのに今から気が重くなってきた。
 横目でお姉さまをチラリと覗くとさすがにしょげて黙り込んでいる。
 このまましばらく反省してもらおうか? 痛み無くして改革無し、とエライ人も言っていたし。ここらでお姉さまの意識改革を……
 ……でも今日はせっかくおみやげをもって遊びに来てくれたのだ。私が受験の話をしなければ今頃は楽しく過ごせていたはず。それをむざむざ自分で壊す必要があるのだろうか?
 まぁ、また今度でいいか。勉強も部屋の掃除もダイエットもまた今度にしているのだし、もうひとつ増やしたって別に問題はないだろう。
 顔を上げてください、と言おうとしてお姉さまの視線が一点に集中しているのに気づいた。何を見ているのだろう?
「あ……」
 思わず声を上げてしまう。机の上に黄薔薇さまのデート写真を並べたままだったのだ。
 明らかにミスだ。写真立てを隠したのにどうしてそっちの写真には頭がいかなかったのか……
 ここぞとばかりに質問攻めにしてくるお姉さま。これ幸いという感じか。でもそれは私にもいえるかもしれない。結局私が相談できる相手はもうお姉さましかいなかったのだ。
「実は……」


 順を追って正直に事情を打ち明けていったわけだけれど……やっぱりお姉さまにとってはかなりいやな話なんじゃないかって思いと罪悪感が強くなってきた。
 いくらお姉さまから質問を浴びせてきたからと言っても私はそこで応えるべきじゃなかったのではないだろうか。
 お姉さまから聞いてきた、を言い訳にして私がこの件から逃げたかっただけじゃないだろうか。
 私は黄薔薇さまとそれほど深いつきあいがあるわけじゃないけれど、それでもやっぱりリリアン・山百合会を代表する黄薔薇さまがあんなことをしているなんてショックだったのだ。
 中等部に進むまではともかく、今は親友で実は繊細な心の持ち主であるお姉さまにとってはどれほどのことか……。軽率だったと思う。
 とはいえ一度話し始めてしまった以上、もはや途中でやめることもできない。
 お姉さまの様子を見るのが怖くて……だから下を向きながら話していた。
「そっか」
 話し終わったあとのお姉さまの声は妙に落ち着いたものだった。
 黄薔薇さまの行動にあきれてしまったのだろうか? それとも、由乃さんのように軽蔑までしてしまったとか? いや、黄薔薇さまへのことはいい。どうなったって黄薔薇さまの自業自得なのだ。だけど、お姉さまは……
 お姉さまの顔を見るのが怖くて、なかなか顔を上げることができなかった。
でも私が引き起こした結果なのだ。私が責任をとらないでどうするというのだ。しっかりしろ福沢祐巳!
 自分を自分で励まして思い切って顔を上げたのだけれど…………何ですかその顔は!?
「なかなかおもしろいことになってるじゃない。良いこと教えてくれてありがと」
「良いことってお姉さま!」
「ああ、そうだ。こんなこと私たちだけで楽しんでちゃもったいないね。蓉子にも教えてやらないと」
「あ、あの……お姉さま?」
「まあまあ、落ち着きなさいな」
「で、でもお姉さま!」
 何がおもしろいことなんですか! これって一大事でしょう!
 何をどうやったら楽しめるって言うんですか!?
「このことは大丈夫。放っておけばそのうちわかるし、令のことも解決するよ」
 なぜかものすごく自信満々だった。
「いや、でも、大丈夫って!」
「だ〜じょぶだから、心配しなさんな」
 食い下がろうとする私の頭をぽんぽんって軽くたたいて、あしらわれてしまった。
「どうしてですか? 何か理由があるんですよね?」
 それだけ自信があるからには何かきちんとした理由があるのだろう。だからそれを聞いたのだけれど……
「ん〜……ひみつ」
 楽しそうににんまりと笑ってそう答えられてしまった。どうやら答える気は全くないようだ。
「それにしても途中から祐巳の表情すごかったよね」
 グングン落ち込んでいったかと思ったら急にキリッとした顔を見せたりさ、とからからと笑いながらそんなことまで言いだした。
 そうですか、人が悩みぬいて罪悪感に駆られながら話していたって言うのにこの人は。
 改革じゃなくて革命してやろうか。
 私の百面相の変化に気づいたようだ。これ以上ない慌てようで謝りだすお姉さま。さてどうしたものか。
「ごめんこの通り。あっ、そうだお詫びに明日祐巳の行きたいところに連れて行ってあげるから、ねっ!」
 ……。
 現金な子狸は目の前に大きなえさをおかれ、ほいほいと食いついてしまったのであった。


 お姉さまを見送って部屋に戻る私の足取りはすごく軽かった。スキップしながら階段を上る。
 えさの中身は静さまから教えてもらったあのお店に連れて行ってもらうことになった。当然K駅周りでお買い物もする。また、電車で行く(これかなり重要!)というのもいい感じ。
 さて、明日は何を着ていこうかな?
 最近日によってだいぶ気温が変わるから、天気予報は確認しておいた方がいいな。思ったよりもずいぶん寒くてふるえながらじゃ楽しんでなんかいられない。
 ……いや、まてよ。そうだったらそうで、お姉さまの誕生日の時みたいに抱き寄せてもらっていっしょに、なんてことになるかもしれない……かなり良い。
 うん、よし、わざと薄めの格好にしていこうか?
 それにしてもうれしいなぁ。前回のお泊まり以来だから二週間ぶり?
 思わず心の俳句でも詠んでしまいそうな勢いだ。
「『久しぶり 明日はデート デートだよ』 ってこれじゃ俳句じゃないよね」
「お〜い、ゆみ〜」
「うひゃあっ!!」
 気づいたら思いっきり目の前に祐麒の顔の度アップがあって、思わずとびはねるように後ずさりしてしまった。
 自業自得ではあるけれど心臓によくない。ショック死でもしてしまったらどうするつもりなんだ。
「……み、見てた、聞いてた?」
 その問いに答えないまま祝福してくれた。
「とりあえずおめでとう」
「あ、ありがと……」
 気まずい、気まずすぎる。しばらくそのまま二人で固まった後、先に口を開いたのは祐麒だった。
「あの、さ」
「うん……」
「頼むから。本当に頼むからさっきみたいなのは外でやらないでくれよ、な」
「う、うん……がんばる」
 弟にそんなお願いをされてしまう姉……元々威厳なんてものはなかったけれど、なんだかいっそう力のバランスが崩れてきてしまっているようだ。
「ちょっと情けなさすぎだよねぇ……あ」
 落ち込みかけたのだけど、冷静になるという意味では良かったようだ。理由は分からないけれどお姉さまが大丈夫と確信している、というのは大情報には違いないだろう。
 そう言うわけで早速島津家に電話をかけることにした。
『うん、令ちゃんの方は相変わらず、この休みで少しは良くなればいいのだけれどね』
 まず最初に令さまの様子を確認したけれど、好転はしていないようだ。
『それで、他にも何か用事があるんでしょう? 何?』
「あ、うん。さっきまでお姉さまが家に来てて、そのときにあの写真を見てもらったんだけど」
『白薔薇さまに? それでなんて?』
「事情もちゃんと話したんだけれど、お姉さまは全然心配した様子とかなくて、大丈夫だって言うだけで、その理由は教えてくれなかったのよ」
『白薔薇さまが大丈夫って言ったの?』
「そう。その上おもしろいことなんて言い出して」
『おもしろい!?』
 驚きと、そして少し怒りが混じっている声だと思う。怒りまで混じっているのはこんな事件をおもしろいなんて言い出すことが周りのトラブルをよく楽しむ黄薔薇さまに通じるところを感じてしまったからかもしれない。
「でも、それだけじゃなくて紅薔薇さまに教えてやらないとなんて言い出しちゃうから困っちゃった」
『紅薔薇さまに?』
「うん」
『おもしろい? おもしろい?』
 電話だから表情は見えないけれど相当に考え込んでいるはず。
 私も改めて考えてみよう。
 それから何分か無言の電話が続いたのだけれど、結局……
『わかんないわねぇ』
「だよね」
 どこがおもしろいのかなんてさっぱりわからなかった。
 お姉さまにはちゃんとした理由があるのだろうけれど、それがいったいどんなものなのかは見当も付かない。
「でもさ、お姉さまは確かにいたずら好きだけど人の不幸を楽しむような人じゃないから、大丈夫なんだよ、きっと」
『そうよね。ありがとう、祐巳さん』
「ううん。役に立てなくてゴメンね」
『そんなことない。ずいぶん気が楽になったわ。じゃぁまた来週、おやすみなさい』
「うん、おやすみなさい」
 少しは由乃さんの役に立てたかな?
「祐巳〜 そろそろお風呂〜」
「は〜い」



〜2〜
 週明けの月曜日、早めの時間帯に……運動系クラブの朝練のかけ声が聞こえてくるころ……私は銀杏並木を歩いて登校していた。
 目的地は薔薇の館。
 今日はいつもよりも早く目が覚めたので、せっかくだからせめて先週半人前の分際でお休みを取ってしまった分くらいは取り戻しておこうとこうしてやってきたのだ。
 ……本当はそうではない。早く起きた、のだ。
 昨日は、お姉さまが太鼓判を押したから安心してしまったのか、いつのまにやら写真のことは綺麗さっぱり忘れてしまい、存分にデートを楽しんでしまった。
 で、寝る前になって思い出し、由乃さんや令さまへの罪悪感でうんうんとうなり始め、せめてもの罪滅ぼしというかそんな感じで来たのが正直なところだ。
「せめて仕事だけでも一生懸命やるからね、由乃さん、令さま」
 と言いながら薔薇の館に来ると、なんとすでに来ている人がいた。まさか私よりもさらに早くに来ている人がいるとは思いもしなかったから驚いてしまった。
 その相手は今一緒に紅茶を飲んでいる由乃さん。
「令さまはどう?」
 やはり由乃さんにはこのことを聞かないわけにはいかない。
「今日から復帰。今ごろ竹刀を振ってるわよ」
 元気に朝練に参加。そんなに回復したのだろうか?
「そうだと良いんだけどね……どっちかって言うと、竹刀振ってる時は考えなくてすむってそんな感じなのよね」
「そうなんだ」
 となると、結局令さまの口からは何も聞けていないのだろう。
「だから令ちゃんの前では『あれ』の話は絶対に厳禁にね」
 そんな念を押されなくてもそもそも今黄薔薇さまの話を令さまの前で出せるほど私は神経図太くない。
「うん」
「それにしても、私は令ちゃんに付いてきたからだけど、祐巳さんがこんなに早くに来るなんてどうかしたの?」
 うっ。お姉さまとのデートにうつつを抜かして由乃さん達のことを綺麗さっぱり忘れていたのが申し訳なくなりました、なんて死んでもいえない。
「きょ、今日は早く目がさめたから、せっかくだし先週の分を取り戻しておこうって思って」
「なるほどなるほど、祐巳さんてばえらい。私も見習ってお姉さまの分も併せてがんばりますか」
「そうだね」 
 ふぅ、どうやらうまく流せたようだ……百面相をしないようにするのが大変だった。
 こうして二人で仕事に取りかかることになった。てきぱきとたまっていた仕事を片づけていく。
 そうして窓の外から聞こえてくる音が朝練のかけ声なんかから登校したり・している人たちの話し声に変わってきた頃、由乃さんが帳簿をパタンと閉じた。
「ん〜、このあたりにしておくかな。祐巳さんの方はどう?」
「朝の内には終わりそうにないし。続きはお昼に来てやろうかな」
「そう。まだ、始業まではまだ少しあるし、紅茶でも飲む?」
「うん」
 始業前に薔薇の館でゆったりと紅茶を一杯……優雅っていうほどのものではないけれど、いいなぁ。
 でも、紅茶だけじゃなくて何かお茶うけのようなものがあればいっそう良いかも。そう思ったら、なぜだか土曜日にお姉さまが買ってきてくれた鯛焼きが思い浮かんできた。結構たくさんあったから結局食べきれてなくてまだ少し余っている。ひょっとしたら今頃お母さんが白薔薇さまからいただいたものを粗末になんかできません! って一人で残りを全部食べているかもしれない。
「何か思い出したの?」
「あ、うん。土曜日にお姉さまがたくさん鯛焼きを買ってきてくれたの」
「ふ〜ん、鯛焼きねぇ。今あったら、紅茶じゃなくて緑茶にしてたかな」
「そうだね」


 一限目の体育の時間のおわり、登校途中だったのだろう黄薔薇さまを見つけて声をかけた。そうしたところ、なんと黄薔薇革命の時と同じように、お姉さまたち曰くふぬけた状態になってしまっていたのだ。お姉さまは大丈夫だって言っていたけれど、全然大丈夫じゃないじゃないですか!
 お姉さまの認識を改めるためにも黄薔薇さまの様子をしっかりと把握しないといけないと思って、話を聞いたのだけれど……驚くべきことに「結婚したいな」なんて言葉が飛び出してきてしまった。
 予想を遙かに……それこそ場外ホームラン級に飛び越えた言葉に声を上げてびっくりしてしまったり、傘はり浪人の妻だの何だのよく分からない単語が出てきたりと言うことはあったのだけれど……それでも一つだけわかったことがある。
 援助交際からあんな言葉が飛び出してくるなんてことはないだろう。……ポケットに入れていた写真をとりだす。ひょっとしたらこの中の誰かが黄薔薇さまのハートを射止めたりでもしたというのだろうか?
 援助交際でないとしたら、この中年男性も本当に候補の一人だったのだろうか? そしてお姉さまが楽観しているのはそこまで分かった、あるいは既に知っていたから?
 ……なんか違う気がする。上手く説明しきれていないと思う。少なくともお姉さまがあんなふぬけた状態になってしまうと思っていたとは思えないし。放っておけば大丈夫ということはないと思う。それでも……援助交際の線が薄くなったのはよかったのだろうか?


 その後は黄薔薇さまのことが全然頭から離れなくて、授業の内容がまるで頭に入ってこなかった。
「祐巳さん、何か悩み事?」
 そんな私のことを見かねたのか昼休みになってすぐに桂さんが聞きに来てくれた。
 ついにそのままお昼休みを迎えてしまったけれどいい加減頭を切り換えよう。
「うん……黄薔薇さまのことなんだけれどね」
「何かあったの?」
「一限目の終わりに黄薔薇さまと会って話をしたんだけど、なんだかよくわからなくなっちゃたの」
 う〜ん、としばらく首をかしげていた桂さんだけど突然顔を上げた。何か名案が!?
「あっ、そうだ。実は黄薔薇さまはお見合いをさせられそうになってて、それに反発していろんな人とむりにでもつきあってみようとしたのがあれで、いざ週末にお見合いの相手に会ってみたら、一変したって言うのは?」
「う〜ん」
 どうだろうか? たしかに、お金持ちの世界では許嫁というのが実在するらしい。で、黄薔薇さまの家もハワイに別荘を持っているくらいのお金持ちではある。
 とはいえ高校生でお見合いっていうのはさすがに早くないだろうか?
 それに、あの黄薔薇さまである。
 あの方が一目惚れしてしまうとなったら、いろいろな意味ではるかに上のレベルが必要なのではないだろうか? そういう方がお見合いで見つかるほど世の中都合が良くない気がする。
「可能性はなくもないとはおもうけれど、ちょっとどうかな」
「そっかぁ、良い線行ってると思ったのに」
「でも私なんか何にも思いつかなかったから。十分すごいよ」
「祐巳さん、コスモス文庫とか読まないものね。あれって確かにお話だから世間ずれしているところあるけど、リリアン自体が全部じゃなくとも世間ずれしているじゃない」
 たとえば祐巳さんの大好きな祥子さまとかね、と桂さん。確かにそのとおり。
 小説のような話か……うむむ。
「あっ」
「どうしたの?」
「ううん、薔薇の館に行かないといけないんだった」
 仕事の残りをするつもりだったのだったのを思い出したのだ。
 桂さんが言ったように、全然わからない状態の二人で考えをつきあわせていても答えにはたどり着けそうにないし、それなら予定通りに仕事を少しでも片づけておいた方がいい。
 それに可能性は薄いけれど、ひょっとしたらお姉さまたちが来ているかもしれないし、それならまた話を聞いたり聞いてもらったりもできるだろう。
「そう。がんばってね」
「うん、ありがとう」
 お弁当箱を持って薔薇の方に向かうことにした。
 

 薔薇の館の二階では、祥子さまと志摩子さんが二人でお弁当を食べていた。
 桂さんと話していて来るのが遅かったから、二人はもうだいたい食べ終わっているようだ。
「祥子さまごきげんよう」
「ごきげんよう、祐巳ちゃん。祐巳ちゃんも来てくれたのね」
「ええ」
「ようやく令も出てきたみたいだけれど、まだ本調子にはほど遠そうだったし、もうしばらくはがんばらないとね」
「はい」
 祥子さまはまだ何もご存じないのだろうか? 志摩子さんはあの約束を守ってくれていたようで先週末の時点では祥子さまの耳には全く入っていない様子だった。
 しかし、そうすると祥子さまに今朝の黄薔薇さまの様子を話すわけにもいかないだろうか? 話すためには先週の話もしなければいけないし、いくら援助交際ではなさそうだと言っても、では何なのかと言われると困ってしまうわけだし……
「祐巳ちゃん」
「は、はい?」
「お弁当、いいのかしら?」
 目の前のお弁当箱はまだ包まれたまま、また思考の海にダイビングしてしまっていた。
「い、いえ食べます」
 言われて慌ててお弁当を開ける私……恥ずかしい。
「祐巳ちゃん」
「は、はいっ!」
「もし相談したいようなことがあるのならいつでも言ってちょうだいね」
 私のひどく慌てた反応をくすっと笑ってから投げかけられた祥子さまの優しい言葉が刺となって私の胸にぐさぐさ突き刺さってきた。
 ……私はそんな祥子さまに隠しごとをしているのだ。やっぱり話そうか? 内容が内容だから祥子さまは機嫌を損ねてしまうだろうけれど、それでも……
 ああ、なんて意志が弱いのだろうか。
「お姉さま、令さまも何を悩んでらっしゃるのでしょうね」
「……そうね。由乃ちゃんも見当が付いていないらしいし。本当にわからないわね」
 そう返してからお茶を入れてくれるかしら? と少し不満げに志摩子さんにお願いした。もちろんその不満は、志摩子さんが間に割って入ったことではなくて、自分が仲間はずれにされているようだから。
 うぅ……さらにぐさぐさと。
 二人はわかっていて話を流してくれた。正直さらに心苦しくなってしまったのだけれど、そういう風にしてもらったからには話すわけにはいかなくなってしまった。



〜3〜
 放課後、先週休んでしまっていた事情をまだ説明できていなかった先生に説明しに職員室に行った帰りに、事務室によったのだけれど……
「なにこれ?」
 どうしてこんなものに気づいたのだろうか?
 ふだん気にするはずがないFAXの横に置かれていた紙の束の一番上にリリアンかわら版がおいてあったのを見つけた。
 いったいどんな内容かと手にとって……びっくりしたと言うよりも頭に来たのだと思う。
 かわら版はお姉さまのことについての特集だった。それだけなら良いけれど、その内容が……毎日毎日、相手を変えて……そんな記事で満載だった。
 一分後、かわら版を握りしめながらクラブハウスに向かって走っていた。
 どうしてこんなとんでもない記事がかわら版に載っているのか。
 あのお姉さまが援助交際だなんて!
 こんな記事でたらめに決まっている。あの三奈子がまたでたらめな記事を書いたに決まっている!
「三奈子さんはいる!?」
 新聞部の部室のドアを勢いよく開け放って、中にいるだろうこの記事を書いた人物の名前を呼んだというよりも叫んだ。
 私の気迫に皆驚いたり、腰を抜かしかけている子もいるようだ。しかしその中にはいない。どこだ?
「あら、黄薔薇のつぼみ。新聞部に何かご用かしら?」
 いた。
 部屋の隅のパソコンの前に陣取っていた。くるりと椅子を回転させ足を組んだまま応えるなんて、いくら三奈子でも普段は絶対にとらない態度がますます私をいらだたせる。
「何かご用? じゃないわよ! これ、いったいどういうこと!?」
 その余裕をなんとかしたくてバンッとわざと大きな音を立ててかわら版を机にたたきつけた。
「……あら、この記事がどうかしたのかしら?」
 私がたたきつけたことなど何でもないという平然とした態度が憎らしい。
「どうかしたのじゃないわよ! お姉さまが援助交際!? いったいどういうことよ!」
「どうもこうも、これは私たちが取材した結果よ。何か間違っているとでも言うのかしら?」
「何かじゃないわよ、こんな……こんな三文小説を書いておいてよく記事だなんて言えたものね!」
「ふふっ、小説ね。そう思いたい気持ちもわからなくはないわね。でも、今回は以前の記事とは訳が違うわ」
 前科を積み重ねたものが何を言っているのか。そんな真剣そうな表情を作っても通用しない。
「三度目の正直とでも言いたいの? 笑わせてくれるわね。小説ですら学校新聞が掲載するような内容ではないってのに……至急撤回しなさい。さもないと」
「さもないと新聞部お取りつぶし? それは怖いわねぇ」
 あぁ怖い怖い、と少しも怖がっていない表情で三奈子が言う。思わず手が出そうになったけどこらえて努めて冷静に答える。
「私は本気よ。これだけのことを書いてただで済むと思っているの?」
 あなたたちはそれでいいの? と、三奈子というより他の部員に言い聞かせるように言う。いかに三奈子とはいえ部員達に一斉に反対されれば……
「可愛い後輩達をいじめるのは次期黄薔薇さまの名が泣くわよ?」
 いつの間にか私の前まで近づいていた。私が何か言うまえに耳元でささやく。
「ねぇ、令さん。無理な強がりはこっけいなだけよ。あなただってうすうす気づいていたからこそ、先週学校を休むことになってしまったのではなくて?」
「う……」
 思わず後ずさったせいで床を走っている電源ケーブルに足を取られてしまう。
「おっと。大丈夫、令さん?」
 よりにもよって三奈子に支えられてしまった。そのまま私の顔を直視しながら口を開く。
「今朝新しい情報が入ったから少々手直ししていたところだけれど、嘘は一つも書いていないわよ。……この記事をどこから手に入れてきたのかは知らないけれど、いずれにせよ事実は事実として認めた方が身のためよ」
 そんなことを言われても認めるわけにはいかない。そんなはずはない!
 三奈子の手を突き放すようにして立ち上がる。
「嘘を書いていないって言っても、三奈子さんの推測でしょ」
「ええ、本人に直接確かめたわけではないから、推測も入っているわよ。けれどね」
「けれど?」
「その記事にもあるように、四人の年上の男性と代わる代わる夜の町を一緒に歩くような行動をしていたのは間違いないし、それには載せなかったけれど、四人分全員の証拠写真もあるわよ」
「で、でもそれは本当に男女の間の交際かも知れないし……」
「健全な男女の交際で、複数の相手から高級なプレゼントをたくさんもらったり、連日高級って頭言葉が付くようなところに行くものなのかしら?」
「そ、それは相手によるんじゃ……」
「そうね。相手によるかもしれないわね。で、問題のその相手だけれど、その記事のD氏はどうかしら?」
 D氏? どんな相手だったのだろう? 初めの方しか読んでいなかったからよくわからない。D氏を捜す……髪が薄くなってきたことが悩みであろう……50代男性!?
「そう。いくら年の差は関係ないと言っても、親子ほど年が離れた関係はどうかしら? その男性だけならばわかるけれど、そうではないのだし……それにご存じ? 先週の土曜日の朝、黄薔薇さまはこのD氏に車で学校に送ってもらっていたのよ」
 え? 朝、車で送ってもらう? 学校に? そんな朝にいっしょにいるって、それって……
「ほかにどんな答えが出せるのか、妹である令さんのご意見を伺いたいわ」
「あ、あう……」
 答えられる言葉がなかった。私にも他の答えはとても出せなかった。
 お姉さまはそんなことをしない。そんなことをしていないでほしい。そんなことは信じたくない。それだけなんだ……
 でも、私は信じたい。いや、妹である私だけはお姉さまのことを信じなければいけない。
 何か見落としていないか? 何かあるはずだ。何か?
 お姉さまがあんなことをするはずがないんだから何かあるはずだ!
 必死に何かないか考えているとき、ドアをこんこんとノックする音が聞こえてきた。
「よろしいかしら?」
「ど、どうぞ」
 誰がやってきたのかわからないけれど、救いの天使であることを祈る。
「はい、どうぞ」
 ドアを開けて入ってきたのは、確か写真部員をしている子だった気がする。隣の部室だから、ひょっとしてうるさいって抗議に来てしまったのだろうか?
「失礼します」
「ああ、写真できたの」
 写真?
「は、はい……でも、本気で?」
「ええ、説明したとおり今回のことは私のジャーナリストとしての命をかけて報じるわ」
 写真が入っているらしい封筒を三奈子が受け取る。
「大急ぎで現像してもらったのに申し訳ないのだけれど、ご覧の通り取り込んでいるのよ。後で改めてお礼をさせていただくけれど。今はよろしいかしら?」
「は、はい……」
 何か言いたげに私の方をちらちら見ながらだったけれど写真部員の子は三奈子に半ば追い出される形で部屋を出て行ってしまった。
「ふむ、これお願い」
「はい」
 何枚かの写真にざっと目を通して、その内の一枚を妹の真美さんに渡し、真美さんはすぐに写真の加工に取りかかった。
「失礼したわ」
 さてと、とわざとらしく一息ついて写真を差し出してきた。
「せっかくだしご覧になる?」
 見るのが恐ろしい。でも、見ないこと自体がお姉さまを信じていないことになる。それを見越しているような三奈子から震える手で写真を受け取った。
「……え!?」
 写真にはお姉さまが写っていた。それも、男の人といっしょに……焼き芋をいっしょに食べている。
 男の人は前に見たどっちの人でもなかった。もっと年が上。でも、かわら版のD氏にしては髪もあるし、そこまで年齢は……、い、いやあんな創作を信じるのが間違いなわけで……
「この人が五人目の男性。さっき言った新しい情報というのはこの人物のことよ」
「ご、ごにんめ……」
「今朝黄薔薇さまを見かけてつけていたのだけれど、遅刻した価値は十二分にあったわね」
「け、けさ?」
「そう。使い捨てカメラで撮った写真を現像してもらったのよ、これで、この築山三奈子最高の記事は万全な状態で発行できるわ」
 三奈子の顔は自信に満ちあふれていた。
 ……お姉さまごめんなさい。私は、もうだめです。
 何も見えなくなっていってしまったのに、動き始めた輪転機の音だけは繰り返し聞こえていた。



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