もうひとつの姉妹の形

第五話

ガラスの靴は誰のもの?

 朝、登校して教室に行くと、何故か真ん中の方に人集りが出来ていた。
 まさか、アイドルが来ていると言うようなことはあり得ないけれど、いったい何があったというのだろう。
「ああ、来た来た」
 私を登校してきたのを見つけて嬉しそうにそんな声を上げた方は、確かにアイドルのようなものかも知れないけれど、どちらにせよ本来こんな所にいるはずのない方だった。
「ロ、黄薔薇さま!?」
「ごきげんよう祐巳ちゃん」
「ご、ごきげんよう。ど、どうして、ここに?」
「白薔薇さまと随分仲良くしているみたいね」
「え?」
 突然話を逸らされてしまった。
「かわら版に載っていたわよ」
「ええ!!?」
 そう言って見せられたかわら版には、昨日の白薔薇さまとのデートの時の写真がばっちり載っていた。
「本当に仲良さそうね」
 これがかわら版だと言うことは、既に学園中に広まっていると言うことで……あわわわわ
「うまくいっているようで良かったわ。祐巳ちゃんおめでとう」
「あ……」
 なんて返せばいいのだろうか?と思ったけれど、「あ」から続く言葉で思いついたのは「ありがとうございます」だった。
「それじゃ、それを言いたかっただけだから。では、ごきげんよう」
「あ?……は、はい、ごきげんよう」
 本当にそう言いたかっただけだったのだろうか?それだけで黄薔薇さまは帰っていってしまった。
「おめでとう祐巳さん」
「へ?」
 最初の一人を皮切りに「おめでとう」のカーテンコールが私に降り注いできて吃驚した。
 これは、いったいどういう事なのだろう? 
 ひょっとしたら、黄薔薇さまが私のことを認めたと言うことで、みんなも一斉に認めてくれたと言うことなのだろうか?……と、言うことは黄薔薇さまはこういう風にするために来て下さったという事なのだろう。
 本当にありがとうございます。
 一通り収まってから自分の席に着く。
「ごきげんよう。本当にデートに行っていたのね」
「あ、うん。ごきげんよう」
「聞かせてくれる?」
 桂さん、貴女目が輝きすぎです。思わず引いてしまって、「あ、あとでね」と返すのが精一杯だった。
 デートよりも家のお母さんの方がネタ的には面白いかも?とふと思ったのだけれど、いくらなんでも家族のあんな恥を晒すのは恥ずかしすぎるし、その辺はぼかして話すことにしよう。


 昼休み、薔薇の館で蓉子のお小言。
 なんだか、ちょっと前にも似たようなことがあった気がするけれど、内容と雰囲気は随分違うものだった。
 机の上に置かれているのはリリアンかわら版。どうやら、デートの間三奈子にストーキングされていたようだ。あの時のはカメラのフラッシュだったのか……
「もう少し、こういう事には気を付けて欲しいわね」
「特に祐巳ちゃんはこういう事、苦手か嫌いか、そんなところでしょ?」
「貴女がこういう事からも守らないと駄目じゃないの」
 蓉子の言うことは本当に最もな事だ。
「祐巳ちゃんに気を付けろと言っても無理だろうし、貴女が気を付けなさいね」
 勿論江利子も同じ意見。
「そうするよ」
 白薔薇のつぼみになったからには、ゆくゆくはこう言った注目を浴びてしまうことにも慣れて貰わないといけなくなる。けれど、そうなるまでは私がこういう事から護っていかなければいけない。


 薔薇の館からの戻る途中、昇降口の前で志摩子を見掛けた。
 多分、今日もいつも通り銀杏の木の下でお弁当を食べて、今その帰りなのだろう。
「あ、志摩子」
 声を掛けたのだけれど、志摩子の方は気付かなかったのか、そのまま一・二年生の昇降口に消えていった。
「行くわよ」
「あ、うん」
 気付かなかったのなら仕方なかったとは言え、何となくすっきりしない気持ちのまま、二人と一緒に三年生の昇降口に入った。


 放課後、志摩子さんが委員会のために遅れて薔薇の館にやって来て、今日の出席者が全員揃った。今日は由乃さんが体調を崩して早退したらしくて、令さまも一緒に早退したので今日は二人ともお休みなのだ。
 前にもこんなことあったっけ。由乃さんは体が弱いのだろうか?そうだとしたら、いつも令さまが由乃さんを護る騎士を務めているように見えるのも、関係があるのかも知れない。
「二人の台詞は誰に読んで貰おうかしら?」
 することが終わって今日も台本読みに入ろうとしたのだけれど、姉Aも王子役も外せない大事な役であるし、二人が抜けている穴を誰が埋めるかと言うことになった。
「紅薔薇さまで良いんじゃない?」
「それも悪くはないけれど、おもしろみがないわね……」
 そんなことを言って、揃っている一同を見回す紅薔薇さま……そして、その視線はなんと私で止まってしまった。
「そうね。祐巳ちゃんやってみない?」
「え゛っ!?」
 白薔薇さまの提案に紅薔薇さまが返した提案は、とんでもないものだった。そんなの絶対無理です。はい。
「やっぱり嫌がられちゃったか。なら、黄薔薇さまにお願いしましょう」
「妹の代わりだから仕方ないわね。姉Aの方はお願い出来る?」
「ええ、分かったわ」
 なんだか残念そうに見えるんですが、台本を読むだけとは言ってもこの私が王子役なんてできるとでも思ったんですか?それとも、ひょっとして敢えてそんな感じの私を見て楽しむとか?練習にならないじゃないですか、それって……
 そんなことを考えている内にも話は進んでいく。
「シンデレラ、貴女言いつけたこと何もできて無いじゃないの。あれも駄目、これも駄目では、いったい何ができると言うのかしら?」
「す、すみません」
 シンデレラ役の祥子さまが少し縮んで見えてしまう……
「シンデレラ!!」
「は、はい!」
 済みません、紅薔薇さま迫力ありすぎです。主役を縮ませてしまうのは問題ありです。


 白薔薇さまと一緒に帰りながら、さっきの練習の時の話をしている。
「紅薔薇さまの迫力が凄くて吃驚しました」
「そりゃ、本当のお姉さまだからね。それに去年本当にあんな感じだったときもあったよ」
「え!?そうなんですか!?」
 紅薔薇さまが意地悪お姉さま?……そんなバカな
「違う違う。祥子のためにやったの」
「へ?」
「祥子って家があれでしょ。だからかなりの数の習い事してたんだけれど、相当無理してたらしくて、蓉子はそう言ったの全部止めざるを得ない状況に追い込んだってわけだな。これが」
 祥子さまは、小笠原財閥の令嬢。だから、本当にかなりの数だったのだろう。無理をしていたと言ってもそれをキチンとこなしていた中学生の祥子さまは凄いし、みんなことごとく止めさせてしまった高二の紅薔薇さまも凄い。
「ああ、それにしても祐巳ちゃんの王子様見てみたかったなぁ〜」
 紅薔薇さまの話が終わると、今度は私に話の焦点が移ってしまった。
「そんなこと言っても、私にできるわけ無いじゃないですか」
「本番でやる訳じゃないし、減る物じゃないしちょっとくらい良いじゃない」
「そう言う問題じゃありませんよ」
 ぷいと拗ねてみせると、見たかった〜見たかった〜って、だだをこね始めてしまった。この方本当は何歳なんだろうか?
「ま、良いか。あ、そうだ。弟君のシンデレラなんかも良いかも」
 今度はポンって手を叩いて、妙なことを言い始めてしまった白薔薇さま。
「へ?祐麒のですか?」
「うん、そう」
 うむむむ。我が弟よ、白薔薇さまとの間にいったい何があったというのだ?
「福沢姉弟の王子様とシンデレラ。う〜ん、良いなぁ」
 まだ引っ張るか、
 しかも、女の私が王子役で、男の祐麒がシンデレラ役になっているのだから、何というか……
「あ、バスが来てる。いそごう!」
 と言って、突然話を切り上げて走り始める白薔薇さま。いきなりで置いていかれそうになったけれど、私も慌ててバス乗り場に向かって走った。


 今日は一人で薔薇の館にやってきた。
 前に一人で来たときは随分緊張したものだけれど、今はそう言った緊張はない。もう私自身ここの住人なのだと言うことなのだろうか?
 多分そう感じるのは、演劇部の人たちや、クラスのみんなにも認められたと言うことが大きいのだろう。
 そう言えば、あの時は祥子さまだけだったから、二人っきりで色々とお話し出来たのだったっけ……
 このビスケット扉を開けたら祥子さまお一人だったりしたら良いなぁなんて思いながら開けると、そのお姉さまである紅薔薇さまが一人で湯飲みでお茶を飲んでいた。
「あら、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
「緑茶で良ければ淹れてあげるわよ」
「い、いえ、じ、自分でしますから」
「良いから、座って待ってなさいな」
 そう言われてしまっては……言われたとおりに座って待つことにした。
「はい、」
「ありがとうございます」
「あの、皆様は?」
 淹れて頂いたお茶を一口飲んでから尋ねる。
「まだ来ていないけれど、丁度良いわね。一度、祐巳ちゃんと二人で話がしたかったのよ」
 紅薔薇さまが二人で話しを……い、いったいどんなお話なんだろうか、あれこれと想像してしまって背筋に冷たいものを感じてしまった。
「ほらほら、そんな畏まらなくて良いわよ。ちょっと聖とのことを聞きたかっただけだから、」
 聖…白薔薇さまのこと。
「随分二人は仲良くしているみたいだけれど、聖の妹になって良かったと思う?」
「あ、はい……白薔薇さまと仲良くなれたのは良かったと思っています」
「そう。それは良かったわ」
 優しい笑みを浮かべてそう返してくれたけれど、
「で、でも、妹とか姉とかそう言ったこと。全然良くわからないんですけれど、良いんでしょうか?」
 そう尋ねると紅薔薇さまは小さくクスって笑ってから、その返答を口にした。
「それで良いんじゃないかしら?姉妹の形なんてその姉妹毎に本当にそれぞれよ、」
「例えば……黄薔薇が一番分かりやすいかな?令と由乃ちゃんは従姉妹同士で家も隣り合っている幼なじみ。実際に姉妹になる前から約束されていた二人。それに比べて黄薔薇さまと令の間にはそう言った物はない。同じ姉妹と言っても随分違うわ」
「姉妹の形なんて物は二人で決めていけばいいのもだし、自然にそうなっていく物だと思うわ。制度的な物から言えば妹を指導し導くのが姉の役目なんだろうけれど」
「はぁ」
 そう言えば、黄薔薇さまも一緒にいて楽しければ姉妹になればいいし、楽しくなければならなければいいって言っていたっけ……分からなくもないけれど、何となくピンとこない。
「多分、ピンとこないだろうけれど、私は『包み込んで守るのが姉。妹は支え』だと思っているの。もし、何かあったら思い出してくれれば嬉しいわ。……あんな姉だしね」
 にこやかな表情と口調で話していたのだけれど、最後の言葉だけは何か思うところがあったのだろうか、少しだけ重い雰囲気を伴っていた。そして、それを訊いても答えは得られないように思えた。
「それじゃ、切りも良いしお話も終わりにしましょうか」
 紅薔薇さまがそう言った直ぐ後に階段を軋ませて誰かが昇ってくる音が聞こえてきた。
 『包み込んで守るのが姉。妹は支え』か……やっぱりピンとこない。でも、記憶の片隅にちゃんと置いておくことにした。
 結局、昨日早退してしまった由乃さんは今日学校を休んだらしくて、令さまもさっさと帰ってしまったので、昨日と同じ配役で練習をすることになった。
 白薔薇さまは私を王子役に〜とは言わなかったけれど、昨日祐麒を問い詰めて白状させたところによると、花寺の学園祭は『ミス・花寺』だったらしくて、祐麒も入賞したんだそうな。それを聞くと、私も祐麒のシンデレラを見てみたくなってしまったと言うのは本人には言えない秘密である。


「白薔薇さま。良い妹が出来たようで、おめでとうございます」
 薔薇の館に向かおうと廊下を歩いていたら、髪の長い子からそんなことを言われた。
 今日はお祝い・冷やかしあわせてもうだいぶ言われていたのだけれど、何故かこの子の言葉は気になった。確かに、綺麗な子だけれど……
「……ありがと」
「それでは、ごきげんよう」
 どうしてだろう?別に似てなどいないのに、さっさと去ってしまったさっきの子が志摩子と重なって見えてしまった。
(何故?)
「「「白薔薇さまごきげんよう」」」
 考えを中断させた三つの声にいつも通り「ごきげんよう」と返す。
 ま、知らない子だったんだし、別に気にしなくても良いか、


 教室の掃除が済んで、「さて薔薇の館にでも行こうか」と廊下を歩いていると、菊組の教室に由乃さんの姿を発見して立ち止まった。
「由乃さん?」
「ああ、祐巳さん」
 いつものように可愛く笑って返してくれた。菊組も既に掃除は終わっているらしくて、由乃さん一人を除いて人気はない。
「今日は、登校していたんだ」
「ええ、昨日はあんまり体調が良くなくて、令ちゃんストップを食らっちゃったけど、今日はかからなかったから」
 『令ちゃん』……普段はそう呼んでいるのだろう。確かに姉妹の形は色々とあるようだ。
「由乃さん一人?」
「そう。昨日の分のノートを写させて貰っているの」
 机の上には数冊のノートが積んである。私も写させて貰ったことあるけれど、結構大変な作業である。
「大変だ」
「もうちょっとだから、待っていてくれる?」
 そう言って再び作業を再開させた。と、言うことはここにいても良いんだな。そう判断して前の椅子を引いて由乃さんの前に腰を下ろした。
「よし、終わった」
 シャーペンを置いて、パタンとノートを閉じる。
 その後、由乃さんはどう見えるとか言う話で盛り上がっていると令さまが「お待たせ」と言って入ってきた。
「あれ?祐巳ちゃんも一緒だったの?」
「あ、私はちょっと通りがかっただけで。直ぐ失礼しますから」
「祐巳さん。何、気をつかっているの?」
「そうよ。私たちは昨日今日姉妹になった仲じゃないから、そんなにベタベタしたりしないわ」
 二人から同時攻撃を食らってしまった。ベタベタ……確かに、白薔薇さまとは色々としている。
「妹ができてから白薔薇さま本当に楽しそう」
「うん。本当、昔の白薔薇さまとは大違い」
「え?昔の白薔薇さまって?」
「あ……」
 令さまのしまったというような表情……そうか、栞さまの事だ。あんな事があったのだから、今みたいに笑っていたりとかできなかったのだろう。
「う〜ん、私もその時は一年だったし詳しく教えて貰え無かったんだけれど、タブーみたいな物なのかな?知っている人はみんな口をつぐんで守っているみたいなんだ」
「ふ〜ん」
「ともかく、あの時の白薔薇さまは、今みたいに楽しそうにしているなんて事はなかったけれど、今祐巳ちゃんと一緒にいて本当に楽しいんだろうね」
 と言って、「最も祐巳ちゃんのおかげで楽しくなったのは白薔薇さまだけじゃないけれど」と付け加え、由乃さんが「私たちもね」なんて言って軽くウインクしてくる。
 そう言われても、やっぱりいまいち嬉しくはないけれど……そっか、私は今の白薔薇さましか見たことがないけれど、もっといろんな白薔薇さまがいたんだ。
「さて、いつまでもここで話しているわけにもいかないし、薔薇の館に行こうか?」
 こうして令さま、由乃さんの二人に私が合わさったと言うちょっと珍しい組み合わせで薔薇の館に向かうことになった。


 祐巳ちゃんが令と由乃ちゃんの二人と一緒に入ってきた。
 今日は二人ともちゃんと来たから、今日は代役を立てずに済むようだ。
「珍しい組み合わせだね」
 横の席に座った祐巳ちゃんにそう言う。
「そうですね。来る途中教室にいる由乃さんを見掛けて、話をしていたんです」
「そっか、」
 そうしたら令が由乃ちゃんを迎えに来た。そんな感じなのだろう。
 もうすっかり祐巳ちゃんもここに溶け込んできたものだと、談笑に参加している姿を見ながら思う。
 クイっとカップを傾けて……空だった。
「あ、祐巳ちゃんお代わりお願い出来るかな」
「はい、他の方は?」
「そうね。私も貰えるかしら?」
 私はコーヒーで、蓉子と令は緑茶、江利子と祥子は紅茶と又分かれちゃったな。結局一年生三人で淹れて貰うことになった。
「どうぞ」
「ありがと」
 差し出されたコーヒーを受け取って……甘いな。と言うよりも甘すぎるよ、これ
 見ると横の祐巳ちゃんが「うっ」って顔をしている。飲んでるのはコーヒーだから、私のと間違えてしまったみたいだ。
 祐巳ちゃんがカップをテーブルに戻したら、その横にカップを置いて祐巳ちゃんが飲もうとしていた方のカップを取る。
「あ、」
「これで元通りだからね」
 うん、ちゃんとブラック。これは祐巳ちゃんには厳しかろう。
「白薔薇さまって、紅薔薇さまと違って妹に優しいわね」
 ばっちり見ていたのだろう江利子がにんまりって言った感じの笑みを浮かべている。
「あら?私ってそんなに厳しいかしら?」
「貴女が厳しくないなんて事ある?ねぇ、祥子」
 実際に厳しいから振られた祥子が困っている。
 勿論、蓉子って厳しいけれど優しいときは本当に優しい……祥子だけじゃなくて私に対しても、
 でも私の場合、姉として厳しく指導って言うのはしっくり来ない。私自身がこんなだって言うのもあるのだろうけれど、祐巳ちゃんのキャラもある気はする。
 ……志摩子が私の妹になっていたらどうだったのだろう?


「福沢祐巳さん?」
 音楽室の掃除を終えて廊下を歩いていると、髪の長い人が声を掛けてきた。
 かわら版の一面を写真付きで飾ってしまってから、こうやって声を掛けてくる人も結構いる。
「はい、そうです。ごきげんよう」
「ごきげんよう。音楽室のお掃除当番?」
「あ、はい」
「いつも、ありがとう」
 どういう意味か一瞬分からなかったけれど、彼女が手に楽譜を持っていたのに気付いて分かった。彼女は合唱部か吹奏楽部かその辺りは分からないけれど、音楽関係のクラブに所属しているのだろう。
「どういたしまして」
「そう言えば、まだ名乗っていなかったわね。祐巳さんは知らないのに私だけ名前を知っていると言うのは不公平だったわ」
 私はそんなことは気にしない…と思ってしまうのはかなり失礼なことでした。
「私の名前は蟹名静よ」
「静さまですね」
「ええ、覚えておいて貰えると嬉しいわ」
「あ、祐巳さんはこれから薔薇の館かしら?」
「あ、はい、」
「引き留めて悪かったわね」
「い、いえ、そんなことはありません」
「そう、それは良かった。ではごきげんよう。白薔薇のつぼみ」
 静さまはどうしてか最後だけ私のことを『白薔薇のつぼみ』と呼んだ。しかも、何かの想いが籠もっていたような気もする。
(どうしてなんだろう?)
 と、考え込みかけたけれど、今日は白薔薇さまが遅くなってしまうと言うことを伝えておかなくてはならない事を思いだした。伝える妹自身も遅くなってしまうのは問題あるだろうと言うことを思い出して薔薇の館へ急ぐことにした。


 今日は白薔薇さまは遅くなると言っていた事を黄薔薇さまに伝える。
「そっか、紅薔薇さまも遅れるって言っていたし、二人で何かしてるのかしらね」
「何かって何です?」
「そんなの、とても口にはできないことに決まっているじゃない」
「黄薔薇さま、」
 祥子さまが不快を露骨に表して口を挟む。
「何かしら?」
「冗談にしても話は選んで頂きたいですわ」
「やれやれ、仕方がないわね。貴女達が知らない盛り上がりそうな話がたっぷりあるのに」
 由乃さんも聞きたそうだけれど、祥子さまの目があるから私もその話を聞くことはできない。
「煽らないで下さいます?」
 流石は祥子さま。口調は柔らかいのだけれど凄い迫力だ。……感じているの私だけだったりしないよな?
「例えば、中等部の……と、祥子が般若に変わる前にやめておくわ」
 祥子さまはやれやれと言った感じで一つ息を吐く。
 分かっていてやる黄薔薇さまもやっぱり強者だ。
「あ、そう言えば、三薔薇さまってみんな下の時から一緒だったんですか?」
 『中等部の』と言っていたからその時から何かしらの付き合いがあったのだろう。
「ん?ええ、そうね。紅薔薇さまは中等部の受験組だったけれど、白薔薇さまとは幼稚舎以来の腐れ縁ね。最も初等部では同じクラスになったことはなかったけれどね」
 なんと中等部の時のクラスは、三薔薇さまが揃っていたのだそうだ。それを聞くと「なんて豪華なクラス」って声が私と由乃さんの口から同時に漏れていた。
「くすっ。確かに今考えれば豪華かも知れないけれど、正直最初は冗談じゃなかったわね。天敵の聖と、敵わない蓉子が直ぐ側にいるんだから」
 でもそれが良い関係に変わったと……それにしても中等部時代の友人三人がそのまま三薔薇さまになるなんて凄いとしか言いようがない。
「最初は嫌だったけれど、あの時蓉子が一緒のクラスで良かったわね。もし、二人だけだったら、どうなっていたのやら、」
 カラカラって笑う黄薔薇さま。その時の二人がどんな感じだったのか分からないからいまいち想像はつかないけれど、今の二人に当てはめてみると……黄薔薇と白薔薇が犬猿の仲って言うような山百合会は嫌だ。
 それから、黄薔薇さまは昔の二人のことを色々と話してくれた。
「真面目を絵に描いたような蓉子と不真面目を絵に描いたような聖。二人っていろんな面で対称的だけれど、だからこそうまく行っていたって部分もあるのかも知れないわね。最も、随分『お節介』とか『世話焼き』とか言われていたけれど、聖の方が根負けするまで世話焼き続けてたのよね」
 前に白薔薇さまは、紅薔薇さまに凄く感謝してるって言っていたけれど、多分それはその辺りのことから始まっていたのだろう。
「今もだけれど、聖ってホントに人の名前を覚えなくて、今のクラスメイトでも名前と顔が一致するの何人いるかって感じで、過去のクラスメイトとなったら、本当にどれだけ覚えているやら……。本人も、幼稚舎時代で覚えているの私しかいないって言っていたし、今じゃ初等部の時も私だけになっていたりしてね」
「反対に蓉子の方は3日でクラス全員覚えて、当然過去の履歴もきっちり覚えているし」
 本当に対称的すぎる。紅薔薇さまも凄いけれど、白薔薇さまもある意味過ぎすぎる。どうしてそれでやっていけるのだろう?特にこのリリアンでは受験組がいるけれど、やっぱりエスカレーター……何度も同じクラスになった人も沢山いる筈なのに……
「確か、中等部の三年生の時の事だったかしら?蓉子が聖にクラスメイトを一人一人説明していたわね。どれだけ覚えられたのか分からないけれど」
 他にもそんな話がでるわでるわ。おいおい、白薔薇さま……アンタ凄すぎるよ。
「まあ、聖の失敗談やら抜けたところはありすぎるから、希少価値はないんだけれど、蓉子のはプレミアものね」
 むふふって思い出し笑いをしながらそんなことを言う黄薔薇さま。あの紅薔薇さまのそう言った話っていったいどんな話なんだろう?
 祥子さまはやれやれっていう感じだったのだけれど、私と由乃さん、令さまはどんどん黄薔薇さまの話にのめり込んでいった。
「そうね。例えば、あれは中等部の修学旅行の時なんだけれど、市内自由見学で蓉子と同じ班になっていたの。一通り見たいところも見終わって集合場所に向かおうって電車に乗ろうとした時に、蓉子一人だけ丁度ホームに滑り込んできたさっさと電車に乗り込んで、『何しているの?早くしないと発車するわよ!』なんて言って、ホームに突っ立ている私たちをせかして来たのよ」
「みんな行き先が反対方向じゃないのかって思いながらも、蓉子が言うんだしそうなのかな?って思ってその電車に乗ったのだけれど、間違ってたのは蓉子の方で逆方向に飛ばされる事になっちゃいましたわけよ」
「しかも、乗った電車が特別快速だったから、一気に遠くに飛ばされちゃって大遅刻確定と相成ったわけで、」
 理由はその日が祝日だったって事を忘れていて、平日の時刻表で考えていたからだったらしい……私は時々バスの時刻表を勘違いしてしまったりするのだけれど、紅薔薇さまもそんなミスをすることがあるんだ。
「他にも、数学の時間に延々と時間を費やして前後の黒板目一杯に間違った答えを板書しちゃったときとか、蓉子がそう言ったポカやった時って誰も止めないから、大事になることが多いのよね」
 それ分かる。自分が間違っているんじゃないかって思ってしまいそうだし、もし確信できたとしても私には紅薔薇さまに間違っているって告げる勇気はない。
 でも、黄薔薇さまや白薔薇さまなら気付けば止められるのでは?
「自分が間違っていた事に気付いて、『ごめんなさい』って真っ赤になって謝るときの蓉子って思わず頬ずりしちゃいたくなるくらい可愛いから、私は途中で気付いても止めないんだけれどね」
 そんな楽しそうに……ストッパー役になれる数少ない人がこれだから被害が拡大されているのだろう。
 でも、真っ赤になって謝る紅薔薇さまか、イメージからは凄く遠い姿なんだけれど、それだけに凄いものなのかも知れない。話を聞いていたら、そんな紅薔薇さまの姿が見たくなってきてしまったぞ。
 ああ、蔦子さんがその場にいれば、その時の写真を見せて貰えたかも知れないのに、残念ながら彼女は私と同級生なのである。
「そして、二人共にとっての最高の話が、去年の修学旅行の二日目の夜で………あ、」
 あ?
 ……黄薔薇さまの視線の先には、さっきから話のネタにされていたお二人が腕組みをしてこっちをじぃ〜っと見ていた。
 私たちは勿論、話している黄薔薇さまも話に夢中になって、二人が上ってくるのに全く気付かなかったようだ。
 やれやれって言った感じで祥子さまが溜息をつく。
「言いたいなら言っても良いよ。私も言いたいこと言っちゃうだけだから」
「そうね。黄薔薇さまの楽しい話も色々とあるしね」
 形勢不利と判断したのか、黄薔薇さまはそこで話を打ち切ってしまった。
 うむぅ、修学旅行中にいったい何があったのか物凄く気になってしまう。これじゃ、まるで生殺しみたいだ。
「遅れてごめんなさい。今日は明日からの舞台練習に備えてもう少し詰めておこうと思うのだけれど」
 私は後ろ髪が引かれっぱなしなのだけれど、こうして今日も学園祭に向けての準備が始まる事になった。


「いったいどういう事なんですか!!?」
 薔薇の館に祥子さまの叫びが響く。
 会議が始まって30分ほどのことだが、事の発端は王子様役が花寺の生徒会長であるという事を祥子さまは今初めて知ったようで、瞬間湯沸かし器みたいに一気に沸騰してしまったと言うわけだ。
「だからってどうして私がそんなことをしなければならないのですか!!?」
 何がそんなに気にめさないのかは分からないが、まさか、祥子さまがこんなに声を荒げて叫ぶだなんて……今まで私の持っていたイメージからはほど遠いお姿かも知れない。
「何を今更言っているの?貴女だってちゃんと承諾したし。それに、随分やる気だったじゃないの」
「話が違います」
 それでも、言い争っている間にヒートアップしていたのが少しずつ冷静になってきたのか、落ち着いて論理的に話を展開するようになった。
「ですから、私が納得出来ないのは、今になって配役を変更することです。学園祭まで後二週間と言うのに」
「だから、王子は最初から花寺の生徒会長に決まっていたの」
「嘘です。昨日の本読みまで、令が王子の台詞を言っていたではありませんか」
「あ、私は初めから代役って聞いていたけれど」
「ほらね。祐巳ちゃんも知っていたわよね」
「あ、はい」
 白薔薇さまから聞いていたから知っている。白薔薇さまは花寺の生徒会長が嫌いのようだったけれど、
「見てみなさい。祥子以外はみんな知っていたわよ。それでもまだ疑うなら、衣装を発注している手芸部に聞いてみなさい。王子の衣装は、花寺学院生徒会長のサイズで作っているはずだから」
「私の居ないところでお決めになったのね」
 手に握りしめている白いハンカチをキュって言わせて、凄く悔しそうだ。
「何を寝ぼけたことを言っているの?内緒で会議を開いたりなんかはしないわよ……あ、でも、そう言えば祥子は、何度か話し合いをさぼったことがあったわね。もしかしたらその時に決まったのかも知れないけれど。だとしたら自業自得じゃない?」
 あ……あの時の『折角』ってそう言うことだったんだ。
 祥子さまが嫌がっている理由はその後の話で分かったけれど、祥子さまが男嫌いだと言うこと。
(しかし、男嫌いかぁ……)
 そう考えてみると、祥子さまのイメージにはピタリと当てはまるし、そんな風に公言している人たちとどこか似ている雰囲気もある。
 あれ?紙飛行機が私の膝の上にすって感じで飛び込んできた……まさか机の下を飛ばしたと?
 何か文字が書いてあったので開けてみると、秘密にしておいてねってハートマーク付きで書かれていた。間違いなく、目の前でウィンクしてる白薔薇さまの仕業だ。どうやら、なかなかの芸当をお持ちのようである。
 でも、どうしてそんな祥子さまをわざわざ嵌めるような真似をしたのだろうか?薔薇さま方が祥子さまに対して意地悪をするためだけにこんな事をするとはとても思えないし、随分前から計画していたようだから、やはり何かしらの目的があるのだろうけれど分からない。
「……やはり、嵌めていましたね」
 祥子さまの視線は私に向けられていた……百面相で分かってしまったようだ。
「嵌めるだなんて、人聞きが悪いなぁ」
「嫌がっている人に無理矢理押しつけることも、人聞きが良いと言うことはないと思いますが?」
 吃驚してしまった。白薔薇さまが呟いたところに志摩子さんが突っ込んできたのだ。
「確かにそうね。けれど、祥子の男嫌いは『役を降りざるを得ないほど重大な理由』にはなり得ないわ。男性を見ただけで吐き気をもよおしたり、じんましんが出るという物でもないのだから。『嫌』と言うのをいちいち認めていたりなんてしていたら、世の中が回っていかないじゃないの」
「と、言うことで祥子には社会勉強の一環としてシンデレラ役をやって貰うわ」
 今度はちゃんとした理由を付けられてしまったから、何も言い返すことができない。
「それにしても、そのくらいの事、次期紅薔薇さまである祥子なら当然分かっているものだと思っていたのに……私の指導力が不足していたと言うことになるのね」
 わざとらしく頬杖をついて大きな溜息をする紅薔薇さま……更に追い打ちを掛けるとは、
 こうやって、代々鍛えられていっているのだろうか?
 でも、もし私のお姉さまが紅薔薇さまだったりしたら……鍛え終わるよりも前に再起不能になるまで凹まされてしまうだろう。きっと、いや絶対に。
「と言うことらしいけど、頑張ってね〜」
(白で良かったなぁ)
 最も、白薔薇さまの厳しい姿をまだ見ていないだけなのかもしれないけれど、紅薔薇さまの横でどこかのんきに祥子さまに応援の言葉を掛けている姿を見ていて思った素直な感想である。
「紅薔薇さま、」
「どうかしたのかしら?」
 し、志摩子さん!貴女紅薔薇さまに何か意見をするつもりなんですか!?
 今度は吃驚したと言うよりは、びびってしまった……志摩子さんももの凄い人のようだ。
「前に、紅薔薇さまは『妹は支え』と仰いましたよね?」
「……ええ、」
 私に話して下さったことだけれど、志摩子さんにも話していたようだ。
 志摩子さんの言いたいことが分かったのだろうか、黄薔薇さまと白薔薇さまはどこかつまらなそうにしている。でも、紅薔薇さまは眉間に少し皺を寄せて……困った、と言う感じだろうか?
「姉である祥子さまが困っているのなら、妹である私がそれを支えます」
「……では、シンデレラは志摩子が務めるというのね?」
「はい」
「良いでしょう。その代わり、失敗は許されないわよ」
「分かっています」
「志摩子……」
 祥子さまは、自分の我が儘で志摩子さんに主役を押しつけてしまう形になってしまった事をプライドが許せないけれど、シンデレラ役を降りることができるのなら……そんな感じで葛藤しているようにも見えたのだけれど、結局降りることを選択した。
 祥子さまのシンデレラ、そして祥子さまと令さまの競演が見られなくなったのは私としては残念だけれど、志摩子さんもすごい美少女で私なんかとは違って十分に主役を張れる存在なのだから、劇そのものの価値はそう変わらないだろう。
 いろんな意味で『紅薔薇さま』と書いて『リリアン最強』と読む事が、あと2代は保証されているのかも知れないと思う。


 志摩子が立候補したのが本当に言葉通りならばどんなによかっただろう。けれど、あれは私たち、そして聖への当てつけだった。
「何か淹れてあげましょうか?」
 聖も含めてみんな帰ったのだけれど、もう一人残っていた江利子がそんなことを言ってくれた。
「お願いするわ」
「紅茶でよかった?」
「ええ、ありがとう」
 でも、さっき聖は気付いていなかったかも知れない……気付いているならそれで良いけれど、やはり志摩子のことをキチンと知らせておくべきだろう。
 けれど、単に知らせるだけでは意味がない。やはり問題の中核になっている志摩子についての何らかのものを見いださないと……それには、私はいったいどうしたらいいのだろうか?
「はい、」
 良い香りと湯気を立てている紅い液体が注がれたカップが差し出される……液面に映った私の顔はやはり難しい顔をしていた。
「ありがとう」
 今は、江利子が淹れてくれた紅茶に口を付けることにした……美味しい。同じインスタントのものだけれど、それなりに淹れ方の上手い下手がでるものだ。
「美味しいわ」
「そう言ってもらえてうれしいわ」
 そう返して、向かい側の椅子に座って自分の分の紅茶を飲み始める。
「そんなに考え込んでも、正しい答えは出せないわよ?」
 流石に何を考えているのか位分かっただろうし、だからこそ江利子も残っているのだろう。
「……江利子には何かしらのものは見えているの?」
「さぁ、結末がどうなるのかなんて読めないわ。でも、どう転んだとしてもそれはそれで良いのではない?」
 そうだった。江利子相手に聞き方を間違えていた。
「貴女にとってはそうでしょうけれど、四人にとっては違うでしょう?」
「『そして、私にとっても』でしょ?」
 今日の江利子はなかなか厳しい。
「私が楽しみだと言うことは否定しないけれど、今下手に関わろうとしたって裏目に出るわよ」
「でも、もう戻ることが出来なくなりつつあるじゃない」
 直ぐには答えずにカップを傾け一口分喉に流し込んでから返してきた。
「……戻すにはもう手遅れではない?形は戻せるけれど、四人の気持ちまで戻すことはできないわ」
 その通りだろう。でも、あの時のように哀しすぎる結末を迎えてしまうよりはずっと良い。
「栞さんの時こと、今でも後悔しているのね」
「……ええ、そうよ。あの時、聖からどれだけなじられるようになったとしても、二人を違う形で結びつけさせるべきだったわ」
「貴女の気持ちは分かるわ。けれどね、蓉子は深く関わるべきではないわ。それこそ取り返しがつかなくなってしまう」
「どうして?」
「祥子と聖にとって貴女は大きすぎるのよ」
 江利子の言葉にはっと気付かされた……本来姉妹は姉と妹の二人の関係であるはずだけれども、私が介入してしまうとそうでなくなってしまう。
 収まった形に不満があっても私の手前、良い姉妹であらなければいけない……祥子がそんなふうに考えてしまうし、聖も似たような事を思ってしまうかも知れない。
 深い溜息が漏れてしまう。
「栞さんの時と変わらないのね……」
 結局私にできることは、こぼれ落ちそうになったときに直ぐに手助けする事だけでしかないのだ。
「そう言う事ね。わざわざ気を付けなければいけないというのは、なかなか辛いでしょうけれど」
 自分の好きになれないところ。その性格を直すことができたならば、自分のことをもっと好きになれるかも知れないけれど、なかなかそうはいっていない。
「ええ、でも、過ちを犯さずに済んだわ。ありがとう」
「どういたしまして。それと、最後に一つ」
「何かしら?」
「私はね、聖の妹になったのが祐巳ちゃんみたいな子であって本当に良かったと思っているのよ」
 自信?
 江利子の言葉から自信が感じられた。
 祐巳ちゃんだったからこそ、良い方向に転ぶ?それともどう転んでもそんなに悪くならない?
「それじゃ、私はそろそろ帰るわね」
「そう。今日は本当にありがとう」
「別に良いわよ、それよりも頑張ってね」
 聞いても答えてくれなさそうではあったけれど、江利子は私が聞く前に帰っていってしまった。
 傍観者の位置にいる江利子だけが見えている姉妹の形とは一体どのようなものなのか……傍観者になることができない私には4人の行き着く先は何も見えなかった。


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