もうひとつの姉妹の形

第六話

銀杏並木の下には紅薔薇の姉妹

 お弁当を持って祐巳ちゃんの教室に行くと、そこで思わぬ人物に出くわした。凛とした空気を伴ってドアの前に立っているのは……
「祥子?」
「あら、白薔薇さまごきげんよう」
「ごきげんよう」
 祥子も弁当箱を手に持っている……と言うことは、
「お待たせしました」
 そう言って教室から弁当箱を持って出てくる志摩子。
 二人も私たちと同じように、お昼を一緒にとる事にしたみたいだ。
「白薔薇さまもなのですね」
「うん、まあ、私の方はも少し前からだけれどね」
「良かったら御一緒しませんか?」
「いや、止めておくよ。折角の所を邪魔しちゃ悪いし」
「そうですか、では、後ほど」
 二人が立ち去って行き、入れ替わりに祐巳ちゃん達がお弁当箱を持って教室から出てきた。


 いつも通り屋上でお弁当を食べる。その時の話として祐巳ちゃんがさっきのことを持ってきた。
「さっき祥子さまが志摩子さんを迎えに来ていましたね?」
「うん。二人もこうして一緒に食べてるんでしょ」
「どこで食べてるのかな?」
「志摩子はいつも銀杏の木の下で食べてるんだけど、祥子は銀杏嫌いだし…」
「え?祥子さまって銀杏嫌いなんですか?」
「うん。銀杏だけじゃなくて祥子って凄く好き嫌いが激しいよ。確か桜も嫌いだったし」
「へ?桜も?」
「だから、特に春はちょっと鬱になってて元気なくなっちゃうんだな。あの祥子がしおれている様もなかなか見物だけど」
 春はしおれてしまって元気がない。満開の時期なんて、本当に同じ人間なのかって言うような感じになってしまって、のれんに腕押し状態だったから、からかってもつまらなかったっけ。最も、あのときは私自身今とは結構違ったのだけれど……
 祥子の話をしていたら祐巳ちゃんが何か考え込み百面相を始めてしまい、カメラちゃんが祐巳ちゃんの百面相を撮り始めてしまった。このまま放っておいても良いけれど、フィルム全部百面相で埋め尽くすのも何だし……
「ちょっと探してみるか」
 少し大きめの声でそう言って立ち上がる。屋上から学園内を見渡し二人の姿を探し始めると、狙い通り祐巳ちゃん達も私の横に来て一緒に探し始めた。
(薔薇の館でなければ見つけられると思うけれど、)
「あれ?あそこのにいる二人って祥子さまと志摩子さんじゃないですか?」
「え!?」
 祐巳ちゃんが指さすところに二人がいたのだけれど、その場所にちょっと吃驚してしまった。
 銀杏の木の下じゃなくて、その中に一本だけ混じっている桜の木の下だった。確かにまだ銀杏が落ちるにはもう少しかかるし、今は桜も咲いていないし、夏場と違って毛虫もでないけれど、あんな所で祥子が一緒にお弁当を広げるだなんて……
(祥子、だいぶ頑張ってるのか)
 そう言えば祥子自身も志摩子を妹にしたかったのだった。志摩子の中でまだまだ私の存在が大きいだろうから、祥子もお姉さまとしてなかなか大変だろう。
 ……祥子のファンである祐巳ちゃんの中ではどうなのだろう?


 薔薇の館の二階で机や椅子を端に寄せて立ち練習。
 志摩子はシンデレラの役を引き受けて直ぐだけれど、大丈夫だろうか?シンデレラは主役だけあって、始めから終わりまで殆ど出ているし、その台詞の量も群を抜いて多く半端ではない。
「お姉さま、御髪はこんな感じでいかがですか?」
「良いわ。ところでシンデレラ。貴女も舞踏会に行けたら嬉しいと思わない?」
「……いえ、私が行っても恥をかくだけですから」
「あら、案外自分と言うものを分かっていたようね」
 どうやら杞憂でしかなかったようだ。
 それに……言っては悪いけれど、祐巳ちゃんよりも上手く役をこなしているかも知れない。家で相当練習したんだろうな。
 ああ、でも似たような意見らしくて、祐巳ちゃんちょっと凹んでるかも。と、思っていたら百面相を始めていた。ちょっとだけ嬉しそうな顔をして、直ぐに済まなさそうな顔に変わる……相変わらず見ていて飽きない。
「お義母様、行ってらっしゃいませ」
「ええ、留守番をお願いね」
「……はい、」
 私の役が志摩子に『お姉さま』と呼ばれる二人の義姉でなく、義母で良かったかもしれない。
 


 今日から舞台練習が始まる。
 第二体育館の舞台を貸し切っての練習だけれど、まずはこちらから協力を依頼したダンス部から協力を得てのダンスの練習。
 主役の志摩子さんと、もう一人の主役の代役である令さまの二人を中心にしてステップを教えて貰っている。
 ダンスのちゃんとした授業は二年生からで、私はダンスなんて本当に初歩をやっただけで全然なのだけれど、同じ一年生の志摩子さんは大丈夫なのだろうか?と思ったのだけれど、実際にあわせてみると……素晴らしかった。
 志摩子さんは日本舞踊をやっているそうで、その関係で振り付けを覚えるのは得意なのだろうと紅薔薇さまが言っていた。
 けれど、主役の二人よりもずっと輝いているのが、今ダンス部の人と踊っている祥子さま……流石は正真正銘のお嬢様。
「祐巳ちゃん、ダンスは全然だったよね」
「はい」
 白薔薇さまには前に漏らして、「大丈夫大丈夫、私が手取り足取り教えてあげるから」なんて言っていたっけ
「じゃ、約束通りに教えてあげよう。手、出して」
「お願いします」
 白薔薇さまに練習を付けて貰うことになった。白薔薇さまは笑って良いからと言ってくれたのだけれど、何度も足を踏んでしまって申し訳なかった。
 漸く、下を見なくても済むようになってきて周りを見る余裕が出てくると、自然と祥子さまに目がいくようになってしまった。優雅に一人でステップを踏んでいる祥子さま……まるでそこに相手が存在しているようにさえ見えてしまう。やはり志摩子さんよりもダンスが上手いというのもあるけれど、私としては祥子さまが主役であって欲しかったと思う。
 ああ、王子様役が本当に令さまだったら、祥子さまも主役のままだったのに……
「何、よそ見してるのかな?」
「はっ、す、済みません!!」
 今踊っている相手である白薔薇さまを見ずに、よそ見をしていたというのは失礼な事だった。
「ま、いいよ。そろそろ休憩にしようか」
 そして、ダンスの練習が終わった後、劇の練習を一度通してしてみることになったのけれど、こう薔薇の館よりもずっと広い舞台で、しかもダンス部というたくさんのギャラリーがいる前で行うとなると、ずいぶん心持ちが変わってしまうもので、結構びくびくしながら役をこなす事になってしまった。
 そんな私に対して、他のみんなは流石でこんな中でも、変わらずに……いや、訂正。祥子さまなどはいっそう輝いて見えたのだった。



「ああ、祐巳ちゃん。良いところにいたわ」
 放課後になって、今日も薔薇の館に行こうとしていたら、黄薔薇さまに呼び止められてしまった。
 黄薔薇さまは段ボールの箱を2つ抱えている。
「ごきげんよう、黄薔薇さま。どうしたんですか?」
「これを大学の自治会に届けなくちゃいけないんだけれど、手伝って欲しいのよ」
「はい、わかりました」
 黄薔薇さまから片方のダンボールの箱を受け取って黄薔薇さまについて大学の方に向かう。
「これ、何が入っているんですか?」
「学園祭の招待券とかチラシとか、そう言ったものよ」
「ああ、なるほど」
 こうして、二人で大学の自治会に招待券を届けに行く事になった。
 そして……黄薔薇さまは楽しそうに学園祭の話で高等部のOGの方と話をしていたけれど、やっぱり私は物凄く緊張してしまった。
「少し寄り道して行きましょうか」
 気疲れしてしまった帰り道、まだ大学の敷地内で黄薔薇さまがそんなことを言い出した。
「え?寄り道ですか?」
「ええ、食堂が良いわね。手伝って貰ったお礼に何か奢るわよ」
 そう言い学生食堂に足を向ける黄薔薇さま。
「そ、そんな奢って貰うほどのことは」
「良いから良いから」
 と言うことで押し切られてしまい、黄薔薇さまについて学生食堂に入ることになった。
 時間帯が食事時とはずれていたから食堂には殆ど人がいなくて、窓際の良い席を確保することができた。
「祐巳ちゃんは、ここ初めて?」
「はい、」
「そう、私は偶に利用するわね」
「良いんですか?」
「ここの食堂は独立採算制を取っているから、売上げに貢献出来るわけだし良いでしょ」
 そう言う事を聞いたのではなかったのだけれど、黄薔薇さまにとってはそう言う問題だったらしい。
「祐巳ちゃんが山百合会に入ってくれて良かったわ」
「え?」
 食べ始めてから暫くして唐突にそんなことを言い出す黄薔薇さま。又百面相でもしていたのだろうか?
「ふふっ、今まで7人でやっていたから、8人に増えたって事は良いことでしょう?」
「それに、ずっと空席だった白薔薇のつぼみが埋まったというのもね」
 ああ、なるほどそう言うことだったのか、山百合会幹部は3色それぞれの薔薇さま・つぼみ・つぼみの妹で成り立っている。
 つぼみの妹については、ついこの間まで紅薔薇はいなかったし、私が一年生だから当分は白薔薇は空席になるわけだけれど、一方行事でちゃんとした役が割り振られる事になるつぼみがいないというのは非常に拙いのだ。
 ……と、言うことは、学園祭が終われば行事でちゃんとした役が割り振られることになるのか、祥子さま、令さまに並ぶ私……釣り合わない。お二人にはとても釣り合わないよ、自分。
「そしてなにより、祐巳ちゃん自身が楽しいのだからもう言うことなし」
 今、間違いなくこの方は分かってやった……どうやら、遊ばれてしまったようだ。
「聖も良い妹を見つけてきてくれたものよね?」
 その妹に同意を求めてどうするつもりなのだろうか?
「志摩子の時は志摩子の時でかなりのヒットだったし、聖って人材発掘担当ね」
 確か、志摩子さんは聖さまと出会ったことで山百合会に入ったんだったけ、
「まあ、山百合会だけじゃなくて、聖にとっても良かったのだけれどね」
「……私もですか?」
「ええ、勿論。二人とも本当に大歓迎よ。祐巳ちゃんが来てくれるようになってから薔薇の館の雰囲気も明るくなったし」
「……でも、志摩子さんにとってはどうなんでしょう?」
 前に中立を自称していた黄薔薇さまに聞いてみる。志摩子さんは、確かに現実を受け入れようとしているのだろう。けれど、それは現実がわざわざ受け入れようとしなければいけない物だと言うことではないか、
 黄薔薇さまは「志摩子ね」と小さく言って、少しの間考えるような素振りをしてから答えてくれた。
「確かに今の聖が在るのは志摩子がいてくれたからだし、それは志摩子にもいえることでしょうね」
「栞さんの事は聖から聞いたわよね?」
「……はい、」
「前に聖とは天敵だったけれど、蓉子のおかげで友達になれたって言ったわよね」
「はい」
「栞さんと出会う前の聖は何でも斜めに構えてたってみたいな感じだったのよ……ホントに良くあんな聖と友達になれたものね」
 軽く笑う黄薔薇さま。
「高等部に入っても、そのままだったし、私が言うのも何だけれど……私とは違う意味で何に対してもやる気が無かったわね」
「蓉子はずっとそんな聖のことを心配していたけれど、白薔薇のつぼみになった後もそんな感じで、本気で山百合会のことまで心配するようになったわね」
 少し自嘲も混じった私はまだここにいなかった去年の話……
「そんな聖を変えたのが栞さん。でも、聖はあまりにのめり込みすぎた。それだけに栞さんを失った後は沈みっぱなしだったわ」
「私は距離を置いていたから深くはタッチしなかったけれど、蓉子と聖のお姉さま。前の白薔薇さまの二人がかりで必死に支えていた」
「あの時は本当に危うかったと思う。人と触れ合うことで深く傷付いた反動で『人の消えた楽園に住みたい』ってそんな風にも思っていたようだし」
 あの時白薔薇さまが話してくれた事を黄薔薇さまはかなり的確に捉えていたようだ。
「でも、志摩子と出会ってからはその危うさはなくなったわね。それでも、今みたいに楽しそうにしていられるようになったのは最近のことだし、そこには祐巳ちゃんの存在も大きいわ」
「一方の志摩子も似たような感じがあったわね。理由は置いて置いて、人との繋がりを持とうとしない。持ちたくないって……ね」
「それでも聖のことが切っ掛けで、私たちとの繋がりができたし、自分の居場所になる立場もできかけていた」
 黄薔薇さまの目から見ても、当然のように凄く大切な者同士の関係だったのに、今二人は姉妹ではない。
「志摩子が祥子のロザリオを受け取ったのは、聖が祐巳ちゃんにロザリオを渡してしまうよりも前。むしろ、祐巳ちゃんが白薔薇のつぼみになったのはこっちの方が原因なのだから、祐巳ちゃんがどうこうしたというわけではないでしょ?」
 それはそうなのだけれど、私みたいなそれまで白薔薇さまとまるで繋がりなんてもっていなかった者が、志摩子さんが一番欲しがっていた立場にぽっと収まってしまったのも事実である。
「姉妹ってそんなに重いものじゃないのよ。そんなに重いものだったらとっくに伝統は廃れているし、そもそも私はどうなるのよ?」
 軽く苦笑しながら言う黄薔薇さま。そうだった。紅薔薇さまも言っていたけれど、黄薔薇は令さまと由乃さんの繋がりの方がずっと特別なのだった。
「……でも、聖の妹になったのが祐巳ちゃんみたいな……いえ、祐巳ちゃんだったからこそ、志摩子が得られるものもありそうね」
「どういう事ですか?」
 黄薔薇さまは呟くように言った言葉が分からなかったから聞いたのだけれど、笑みを返すだけでその意味は教えてくれえう事はなかった。
「さっさと食べて帰りましょう。あんまり待たせると、紅薔薇さまがこわ〜い顔をして待っていることになるからね」
 そ、それは急いで帰らなければ!と、かなり急いだせいで、少しリリアンの学生らしからぬ食べ方になってしまったかも知れない。



 今日は江利子と一緒に帰り道を歩いている。
「…どうして、江利子と一緒になったのかなぁ」
「あら?不満そうね」
「そう言う訳じゃないけれど、何か企んでいる気がする」
 ちょっと見てもらいたいものがあるからと言うことで、残って江利子が書いた原稿を蓉子と祥子と一緒に見ていた訳だけれど……もう十分なできだったし、蓉子一人に見てもらえれば十分なのだから何かあるはず。
「そんな大層なものないわよ、ちょっとたまには聖と一緒に帰るのも良いと思ってね」
「そう、で、何か言いたいことくらいはあるんでしょ?歩きながら聞くわよ」
「そうね。一つは祐巳ちゃんの事だけれど、よくあんな子と巡り会うことができたわね」
「それってどういう意味?」
「そのままよ、祐巳ちゃんみたいな子が貴女の妹になれて良かったと思っているのよ」
 それは私も思うことだ。
「あの子大事にしなさいよ」
「もちろんするよ」
「で、もう一つは蓉子のこと、」
 蓉子の名前が出て話の雰囲気が変わった。さっきのは確認だけでこっちが本題か、
「何?」 
「蓉子のことは あまり考えない方が良いかもしれないわよ?」
 考えない方が良い?意味が分からない。
「聖が最終的に下す決断に自分の存在が重みをきかせてしまったとしたら、蓉子はそのことをどう思うかしら?」
 ……重み、たとえば、蓉子には今まで本当に迷惑や心配をかけたし、その一方でとても返しきれないだけの事をしてもらったと思う。だから、もうこれ以上負担をかけないように、心配させないようにしようみたいに考えて答えを出してしまうって事か、
「分かったようね」
「うん。でも、ちょっと自信ないな」
「でしょうね。でも、蓉子がどう思うかはよく考えなさいね」
「ありがと」
「お礼を言われるようなことではないわよ」
 その後は、特にどうって事もない話をしながら歩いてバス停にたどり着いた。バスがやってきたので乗るために定期を出そうとしてポケットに手を突っ込んだら……空だった。
「あれ?あ、財布がない」
「財布?」
 他のポケットや鞄も見てみるけれどどこにもない。
「定期も入ってるからあれないと帰れない」
「全く、どこかで出したりしなかったの?」
 財布を出したのは……ああ、遅れてきたペナルティ〜とか言って祐巳ちゃんにお使いを頼んだときか、
 でも、ちゃんと返してもらったから、薔薇の館のどっかに置き忘れたかな?
「たぶん薔薇の館。ちょっと見てくる」
「待っていてあげようか?」
「まだ話があるならお願い」
「そう、じゃあ、今日のところは先に失礼するわ、ごきげんよう」
 江利子は相変わらずだ……バスは江利子を乗せ、私を残して発車していった。
 とりあえず、さっさと帰るためにも急ごう。
 で、薔薇の館に戻ったけれど、まだ誰かいるみたいだった。たぶん蓉子と祥子だろう。
「ちょっとおじゃましま〜す」
 そう一言言ってからビスケット扉をあける。
「白薔薇さま」
「これでしょう?」
 そう言って私の財布を差し出してくれる蓉子。
「ありがと」
「全く、しっかりしなさいよね」
「ごめんごめん……それに、二人の話邪魔しちゃったかな?」
「戻ってくるのが分かっていたから良いわよ、それよりも戻ってこなかったときの方が心配だったわ」
「あはは、確かに、」
「これからは気をつけなさいね」
「そうする」
 私が帰った後も、まだ二人は話をしていたようだった。



 花寺学院生徒会長、柏木優。
 ……祐麒からそれなりに聞いていたけれど、実物を見てみると想像よりもずっと凄いと言うことが分かった。
「初めまして、小笠原と申します。宜しくお願いします」
 顔合わせ……と言っても、三薔薇さまや令さまは花寺の学園祭の関係で既に面識があるから、祥子さまと私たち一年生だけだけれども、
 祥子さまが積極的に挨拶したのには驚いてしまった。前評判を聞いていたのか、一方の柏木さんは戸惑っている様子だったけれど、
 ああ、でも祥子さま。笑顔は笑顔だけれど、随分引きつっている。なるほど、結構無理をしているようだ。
「柏木さんに衣装を試着して貰いたいので一緒に来て頂けるかしら?」
「ええ、勿論」
 王子様の衣装も手芸部が作っているんだっけ、多分凄いものなんだろう。けれど正直王子様の衣装には余り興味はなかった。
 

 体育館に着いたとき、丁度祥子さまと志摩子さんがダンスを踊っていた。
 祥子さまが男性のステップを踊って志摩子さんをリードしている……それは、やり慣れていないはずなのに素晴らしかった。志摩子さんも上手いし、二人とも綺麗だから凄く輝いていた。
 もう少し見ていたかったのだけれど、私たちに気付いた二人は踊りを止めてしまった……仕方ない。
 そして、ダンス部とも合流し、舞踏会のダンスシーンをあわせてみることになった。
「祐巳ちゃんこっちね」
「はい」
 白薔薇さまとペアを組む……姉Bと継母が一緒に踊るって、よく考えてみると少し虚しくなってくる話かも知れない。
 音楽が流れ始めてみんな踊り始める。
 王子様役の柏木さんと一緒に踊っているシンデレラ役の志摩子さん。やはり気になっているのだろう舞台の中央で踊っている二人に視線が行ってしまう。
 正直、二人のダンスは素晴らしいものだった。当然……なのだろか?祥子さま以上にリードが上手いのがその大きな理由。けれど、輝いては見えなかった。
 祥子さまだったからこそ私には輝いて見えたのだろう。と、またやってしまったと……目の前に白薔薇さまに視線を戻すと、白薔薇さまも二人の方に視線をとばしていたのだった。
 少し険しい表情を浮かべている白薔薇さまが見ていたのは、柏木さんだったのか志摩子さんだったのかは分からないけれど、
 二人でダンスの練習をすると言うものにちゃんと戻ったのはもうしばらく後の話だった。
 何度かのダンスの集中練習を終えると、今度はお芝居の稽古を通して行うことになった。
「貴女の名をお聞かせ願えませんか?」
「王子様に名乗れるほどの名前は持ち合わせておりませんわ」
「そんなことはありませんよ。その名が、どのようなものであったとしても、貴女のような美しい方の名前であると言うだけで価値があります」
 確かに王子の役はメインシーンばかりとは言っても、台詞は少ない。そうは言ってもあそこまで完璧にこなせるだなんて……
 対して、私は何度か練習しているのにまだ何度もミスを犯してしまう……少し哀しくなってきてしまった。
「何あんなのと比較してたの?」
 休憩に入ると白薔薇さまが近寄ってきて、そんなことを言ってきた。
 あんなのって……そっか、白薔薇さまは柏木さんのことが嫌いなのでした。
 流石に大切なゲストであるから、よそ行きモードでそれなりに接しているけれど、聞こえないところでは相当色々と言っていた。もし、完全なプライベートで鉢合わせるようなことになっていたとしたら、果たしてどうなっていたのか、少し怖い。
「あんなのは例外中の例外。あんなのと比べたら人生疲れちゃうよ?」
 確かに、文武両道でルックスも性格も良しなんて言う非の打ち所がない完璧な存在と比べても、仕方のないことだった。



「……あれ?白薔薇さま鞄は?」
 帰り道を祐巳ちゃんと一緒に歩いていると、突然祐巳ちゃんがそんなことを言ってきた。
「へ?」
 そうか、なんだか身軽だとは思っていたけれど、鞄を持っていなかった。言われて初めて気がついた。
 薔薇の館に忘れてきたかな?
「ああ、ちょっと取ってくるから待っててくれる?」
「はい」
 祐巳ちゃんを待たせて薔薇の館に戻ることにした。
 しかし、この前財布を忘れたばっかりなのに、また鞄を忘れるだなんて……もし蓉子がいたら、どんな顔で待ちかまえているのやら、
 少しびくびくしながら、扉を開けて中に入ると……上から話し声が聞こえてきた。
 この声は、志摩子と祥子かな?
 蓉子はいないよな?それを確認するためと、このまま中に入ってしまうと二人を邪魔してしまうかも知れないと言うことで、階段を忍び足で上りビスケット扉に耳を当てて、どんな話をしているのか聞いてみることにした。
 蓉子でなくても祥子は前の時もいたのだし……
 結果から言えば、蓉子はいなかった。
「の人が苦手とかそう言ったことはないわよね?」
「はい、」
「私は苦手。家のお父様もお祖父様も、親としては素晴らしい人だけれど、男性としては軽蔑するしかない様な人たちなの」
「そんな家で生まれ、過ごしてきたからでしょうね。けれど……」
 話をしているのは祥子の家と祥子の男嫌いについてか、そのくらいのことは蓉子から聞いている。けれど、それだけにしてはどうにも納得出来ないほど、花寺に行ったり打ち合わせにでたりすることを拒否していたから、あんな風に嵌めたのだけれど、
「話しづらいことでしたら、何も今でなくても宜しいですよ」
「でもね、志摩子……」
 本当の理由か……それが何なのかは気になるところだけれど、こんな風に盗み聞きして良いような事ではないだろう。
 妹になった志摩子に今から話すのか話さないのかはは分からないけれど、ここで鞄を取りに中に入って邪魔をしてしまったりはするべきではないし、ここに居続けるべきでもないだろう。
 元々蓉子みたいに家で勉強をする訳じゃないのだし、今日のところは鞄のことは諦めることにして、来たときと同じように音を立てないように注意しながら階段を下りた。
 手ぶらのままちゃんと待っていてくれた祐巳ちゃんの元に戻ると、当然のように「あれ?」って感じの表情が返ってきた。
「ああ、鞄重いから今日は置いて帰ることにしたの。薔薇の館に置いておけば誰も盗っていったりはしないでしょ」
「で、でも」
「私は蓉子みたいに家で勉強する訳じゃないし、定期も財布の中だし、絶対に必要って訳じゃないの」
「悪い三年生ですね」
「そ〜よ〜、私は、不良なのよ〜」
 そんな事を言いながら、帰り道を再び進み始めた。



「お待ちなさい」
 朝、登校している途中、マリア様の前で呼び止められて「はい」と返事をしながら声をの方を振り向く……そこに立っていらっしゃったのは、なんと祥子さま!!
 こ、コレっていつぞやと同じパターンでは?ま、まさか、又何か身だしなみに拙い点でも?と思いつつも、祥子さまの前であたふたと自分の身だしなみをチェックするわけにもいかない。
「ごきげんよう」
「ご、ごきげんよう……あ、あの、私に御用でしょうか?」
 にっこりと微笑んでいる祥子さまと、ビクビクしている私……周りからはどんな風に映っているのだろうか?
 まさか、『白薔薇のつぼみがあんな格好をして……それは紅薔薇のつぼみもお怒りになられるわよね』とか、『やっぱり、白薔薇のつぼみになんて相応しくない存在だったね』とか思われていないよな?
「ええ、祐巳ちゃんに頼みたいことがあったの」
「……へ?」
 思いっきり拍子抜けしてしまった。頼み事?…私に?
 ああ、そもそも、笑顔なのにお叱りをなんて事はなかったか……でも、醜態を晒すというパターンでなくて本当に良かった。
「これ、白薔薇さまが忘れていったようなの。渡しておいてくれるかしら?」
 そう言ってすっと差し出してきた鞄は、まさしく土曜日に重いから薔薇の館に置いて帰るとか言っていた、そのものだった。
「あ、はい、わかりました」
 あの時、白薔薇さまが言っていたようなことを祥子さまに伝えてしまったら、祥子さまは白薔薇さまをなんて思うやら……とても祥子さまには言えないな。 
 そんなことを考えながら預かった鞄は……軽かった。
「それでは、お願いするわね。ごきげんよう」
「はい、ごきげんよう」
 そう言って去っていく祥子さまの先には志摩子さんが祥子さまを待っていた。
「待たせたわね」
「いえ、」
 私よりも一足先に二人は昇降口の方に並んで歩いていった。
 

 祥子さまから渡された鞄を持って三年藤組の教室にやってきた。
 ああ、やっぱり三年生の教室に来るのって緊張するものだ。
「ごきげんよう、福沢祐巳さん。白薔薇さまに用事かしら?」
 藤組から丁度出てきた三年生が声を掛けてきてくれた。良いタイミングだった。
「ご、ごきげんよう。は、はい、その通りです」
「あ……らしいわね」
 その方の視線は私が持っている二つの鞄に向いていた。
「さ、お入りなさいな」
 そう言われて私はその方について教室の中に入った。
「白薔薇さま〜、可愛い妹が貴女の忘れ物を届けに来てくれたわよ」
 思いっきり言っているよこの方……そして、その呼びかけられた白薔薇さまが振り向いて、視線を窓の外から私たちに移した。
「ごきげんよう。ああ、わざわざ届けてくれたんだ。ありがとう」
 そう言って私の頭をなでなでって、みんなの前で、しかも三年生の方々の前でされるのはやっぱり恥ずかしいのだけれど、嬉しくもあった。
「写真で見るよりも可愛いわね」
「良いでしょ、私の妹。あげないよ」
「ああ、それは大丈夫。祐巳さんほど可愛くはないけれど、もう孫までいるのだから、今更貰うわけにもいかないわ」
「ああ、それは可哀想」
「ええ、美子は美奈ばっかりかわいがって、最近付き合い悪いし。こんな私って可哀想でしょ」
「ああ可哀想。とても可哀想。そんな可哀想な天使……私が抱き締めてあげようか?」
「そうねぇ、それも悪くないけれど、遠慮しておくわ。貴女の可愛い妹の前だしね」
「そっかぁ〜」
 なんだか凄いものを見てしまった気がするぞ……この方々は普段からこんな会話をしているのだろうか?
 でも、黄薔薇さまは、白薔薇さまはクラスの名前も何人覚えているやらって言っていたし……数少ない覚えられている方なのだろうか?
 ……ま、まさか、名前を覚えていない方とこんな会話をしている訳じゃないよね?ね?そんな訳じゃないって言ってください白薔薇さま!
 けれど、結局私が教室を出て行くまで、白薔薇さまがその方の名前を呼ぶことはなかった………信じても良いんですよねぇ??



 今日は体育館が使えないので、薔薇の館の二階で机や椅子を端に寄せて立ち練習をしただった。
 ああ言った場所は、山百合会だけが使うわけにはいかないから当然の事だけれど、体育館が使えるのは後何回かと言った感じで、劇の全体練習もしなければいけないのだから、ダンスの練習はもう余りできない。
 スポットライトが当たる主役級じゃなくて端の方で踊っているだけだと言っても、本番で相手の足を踏んでしまったり、転けてしまったりしたらどうしよう。
 自分一人で十分に練習出来るほど私は器用ではないのだ。
 帰り道で今日の休憩時間に思ったことを思い出してちょっとブルーになってしまった。
 すると、一緒に歩いていた白薔薇さまがポンポンと肩を叩いてきた。
「はい?」
「心配なら特別練習しよっか?」
「え?」
「ダンスのこと考えてたんでしょ?」
「あ、はい」
「よし、じゃあ、そうしよう。祐巳ちゃんさえ良ければ今から祐巳ちゃんの家に行こうか」
「え?私の家にですか?」
「そう、祐巳ちゃんの家で家庭教師。ちゃんとできるようになるまでみっちり教えてあげるよ」
「ありがとうございます!」
 と言ってから気付いた……このまま一緒に帰ったりなんてしたら、絶対にお母さんが又凄いことになる。
 かなり危険な気もするけれど、やっぱり教えて貰いたいし……
 対策として途中の公衆電話から家に電話してその事を伝えておくことにした。凄い歓迎が待っているかも知れないけれど、少なくとも、大パニックという事態だけは避けられるだろう。


「いらっしゃいませ」
 私達が帰ってくるのを玄関で待っていたよこの人は……
「御邪魔させて頂きます」
「いえいえ、いつでも御自由になさってくださいな。なんと言っても祐巳の『お姉さま』なんですから」
 まあ、様子を見た限りでは、物凄い準備をしたという感じはなかった。帰る途中に電話したくらいだから、そんな時間はなかったか。後は夕飯がどうなるかが問題なくらい?
 玄関での挨拶を終えて私の部屋に向かう……一方のお母さんはすぐに台所に引っ込んだ。
 私たちが部屋の前にきたとき、祐麒が自分の部屋から出てきた。
「あ、弟君、こんばんは」
「佐藤さん、こんばんは」
「今日はどうしたんですか?」
「祐巳ちゃんのダンスの練習」
「え?ダンスですか?」
「そう、学園祭でシンデレラの劇をするんだけれど、その中に舞踏会のシーンがあるのよ」
「へぇ、」
「よかったら見に来てよ」
「はい、行かせて貰います」
 思わず「え〜!」と言いたくなってしまった。祐麒が来ることになったら、い、いや、それだけで済むはずがない。絶対にお母さんが来る。場合によってはお父さんまで引きずってでも来るような勢いになるかもしれない……
 ますますミスなんて絶対にできない状況に追い込まれてしまっているような気がする。
「ちょっと五月蠅くなるかもしれないけれど、ごめんね」
「ああ、全然大丈夫ですよ。姉をよろしくお願いします」
「うん。任せておいて」
 これは、相当頑張らないといけないな。……白薔薇さま、宜しくお願いします。
 そして、部屋に入ったのだけれど「へ〜、これが祐巳ちゃんの部屋か」なんて言ってくんくん匂いを……って、おいちょっと待て!
「うん、ちゃんと祐巳ちゃんの匂いがするね」
「当たり前でしょう……」
 思わず溜息が漏れてしまう……そう言えば私の匂いってどんなのなのだろう?甘党だからって言っても、砂糖や蜂蜜の匂いがするって事は無いだろうけれど
「ま、とっとと始めよっか」
 少し精神的に疲れてしまった。それでもたぶんだけれど無事に、白薔薇さまと言う家庭教師によるマンツーマン指導が始まる事になった。
「そうそう。このところもうちょっと早くくるっと回ってみようか」
 流石にそれなりに踊れるようにはなっているけれど、まだまだがんばらなくちゃ。


 その日の夕飯は、この前のように無茶苦茶ではないけれど間違いなく結構な御馳走だった。多分あの後直ぐに買い物に出かけたのだろう。
「白薔薇さま、何か好物などはありますか?」
 そんな中で質問をしているお母さん。今度来たときのために聞いているのだろう。
「……そうですね。好物というわけではありませんけれど、良く『お袋の味』と言われるようなものなんかが良いですね」
 『お袋の味』って、白薔薇さまの家庭環境は複雑なのだろうか?
「うわっ!」
 そんなことを思いながら、ふとお母さんの方を見たら目をうるうると潤ませて、なんて物じゃなかった、だらだらと涙を垂れ流しにしていた。
 思わず声を出してしまったじゃないか、お母さん貴女反応しすぎ。
「この私が代わりに精一杯作らせて頂きます」
「ありがとうございます」
 そう、にっこりと微笑んで返す白薔薇さま。


 食事が済んだ後、一休みしてもう少しだけ教えて貰うことになったのだけれど、その一休みの時に白薔薇さまの方からさっきの話を振ってきた。
「ちなみに、家のお母さんは、あんまり好きじゃないけれどちゃんと御飯も作ってくれるよ。好きじゃない理由は、まあ、所謂一つの教育ママみたいなものだからだし」
「そうなんですか、じゃあ、どうして?」
「祐巳ちゃん家に遊びに来るたびにあんな御馳走を振る舞われたら、太っちゃうじゃない」
 冗談めかして言う白薔薇さま……でも本当のところは、何度もあんな風に盛大に迎えて貰うのはちょっと、と言うことなんだろう。それともう一つ、私達のこともあったのだろう。特に私は百面相だから、
「そう言えば、祐巳ちゃんって勉強できる方?」
 机の上に並んでいる教科書群に目をとめて、そんな風に訊いてきた白薔薇さま。
「あ、いえ、全然……真ん中ぐらいで」
 三薔薇さまはみんな学年トップクラスの成績であることは結構有名である。それに比べたら本当に全然……そう言えば志摩子さんはクラストップクラスだし、祥子さまの成績が悪いはずがない。令さまと由乃さんはよく分からないけれど、きっと良いのだろう。私だけ学校の成績でも、明らかに見劣りしている。
「ふ〜ん、じゃあ、テスト期間に入ったら、勉強の方の家庭教師をしてあげようか?」
「本当ですか!?……って、白薔薇さまの勉強は?」
「う〜ん、流石に毎日って感じは厳しいけれど、元々ガリ勉する方じゃないから、大丈夫じゃないかな?」
 かなって何ですかかなって……でも、そうなのか、そもそもの頭のできが随分違うみたいだ。もちろん、白薔薇さまに勉強を教えてもらえるなんてすごく嬉しい話であるのだけれど。



 衣装もすっかり仕上がって、前よりもずいぶん豪華な見栄えの練習になる。
「今日は時間が少ないからきびきび行くわよ」
 そう声を飛ばす蓉子。今日は途中までしか舞台を使えないのだ。逆に、途中まででも使えるだけありがたいとも考えられるけれど。
 メニューは、ダンスが一回と通しての劇が一回。あとは、集中的にやるべき場所をと言う感じになっている。
「大丈夫、ちゃんと踊れていたんだから、ね」
 そう祐巳ちゃんに声を掛けて励ましてから、ダンス部の部員とペアを組む。
 あれから毎日練習をつけたけれど、私以外が相手でも変わらずに踊れるかどうか……曲にあわせて踊り始めたけれど、時々祐巳ちゃんの方に目がいっていた。
 うん、ちゃんと踊れてる。良かった。
「祐巳ちゃんちょっと」
 休憩に入ったら蓉子が祐巳ちゃんを呼んでいた。
 あ、あんなにしっかり踊れていたのに、怯えてる。う〜ん、ここは一つ……
「ずいぶん巧くなっていたわね」
 蓉子の言葉の後、ぱぁっと表情が明るくなった瞬間を狙い澄まして、後ろから抱きついて羽交い締めにする。
「ぎゃ!!」
「だから、そう言う悲鳴はやめておきなさいって」
「そ、そんなこと言われても……」
「白薔薇さまが教えてあげたの?」
「そ、ダンスの家庭教師をしてあげたの」
「そう、よかったわね」
 にっこりと祐巳ちゃんにほほえみかける蓉子。
「ありがとうございます」
「白薔薇さま、その……そろそろ離れていただけませんか?」
 そう言えば、抱きついたままだった。
「ああ、そうね。じゃ、解放してあげますか」
 ふと、蓉子は私たちに向けて微笑んでいたけれど、その視線は私たちの後ろに向かっていることに気づいた。
 そっちを振り返ると……志摩子と祥子が並んで何かを話していた。
 蓉子は祥子のお姉さまであるのだし、あちらの方が気になるのも当然かもしれない。



「祐巳ちゃ〜ん」
 教室を出たところでそう私を呼ぶ声は黄薔薇さまだった。
「ごきげんよう。何か御用ですか?」
「お昼に仕事を頼みたいのだけれど良いかしら?」
「え?いいですけれど」
「ありがとう。正門のところに業者の人が来ているから荷物を受け取ってほしいの。山百合会の者だって言えば分かるから」
「わかりました」
「それじゃ、お願いするわね」


 昼休みになったので、黄薔薇さまに頼まれたとおりに正門に向かう。
 もう落ち始めている銀杏の実を踏まないように気をつけながら並木道を歩く。もうじきもっとたくさん落ちてきてこの銀杏並木はすごいことになってしまうだろう。
 正門の前で宅配業者の人が待っていた。荷物は台車に載せられた段ボール箱四つのようだ。
「山百合会の方ですか?」
「はい」
「ここにサインをお願いします」
 ボールペンを借りて伝票に『福沢祐巳』とサインする。
「ありがとうございました」
「いえ、それでは」
 宅配業者の人は近くに止めてあった車に乗り込んで走り去っていった。
 さて、これを薔薇の館に持って行かなくちゃ。
 ごろごろと音を立てながら、台車を押していく……ふと気づくと、銀杏の実を台車のタイヤが踏みつぶしてしまっていた。
「ああ……仕方ないか」
 一個も十個も同じと言うことで、それならさっさと済ませてお弁当にしようと急いでいると、銀杏の木の下で祥子さまと志摩子さんが銀杏の実を拾っているのを見かけて立ち止まる。
「あれ、志摩子さんと祥子さま?」
 祥子さまって銀杏嫌いなのじゃなかったっけ?
 あの桜の木の下手お弁当を広げていたことだけでも白薔薇さまが驚いていたのにどういう風の吹き回しなのだろう。
「踏んで潰れなければそれほど臭わないですよ。みんなが通る道はひどいものですけれど、」
「確かにそうね。けれど、だからと言って、好きにはなれないけれど」
「あら、祐巳さん」
 志摩子さんは私に気づいたようで声を掛けてきた。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう。これから二人でお弁当ですか?」
「ええ、志摩子のお薦めの場所でね」
 拾った銀杏を詰めた袋を手に嬉しそうな顔をしている志摩子さん。あれ、多分食べるつもりなんだろう。銀杏好きの志摩子さん……正直見た目からのイメージとは結構離れていると思う。
「祐巳ちゃんは、お仕事?」
「あ、はい、これを薔薇の館に届けに行くところです」
「そう。よかったら後で一緒にお弁当を食べない?」
「いえ、白薔薇さま達に待っていただいていますので」
「そう。それは残念ね」
「また、機会がありましたら」
「ええ、楽しみにしているわ」
「それではごきげんよう」
「ごきげんよう」
 祥子さまに一礼してから、台車を押し始める。
「志摩子、どうかしたの?」
「いえ、何でもありません。それよりもお弁当にしましょう」
「そうね」
 何となく私に向けられていた視線が気になったのだけれど、みんなをあまり待たせるわけにもいかないので急いで戻ることにした。


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