〜5〜 「いや−、さすがにそれは美化しすぎじゃないかなぁ」 「今、なんとおっしゃいました?」 突然可南子さんににらまれてしまった。 「え、えっと、さっきのは、さすがに美化しすぎじゃないかと……」 「どうして、祐巳さまの妹ともあろうものが祐巳さまの魅力を否定しようなどと思うのですか?」 そういってぐいぐいと迫ってくる可南子さん。これはもはや敵視に近い気がする。 昨日祐巳さんの話題で盛り上がった可南子さんと二人でお弁当を食べることになって、また祐巳さんの話題で盛り上がっていた。そこまではよかったのだけれど、可南子さんの語る祐巳さんの話には、事実と反することまで並んでいた。可南子さんの中の祐巳さん像は、あまりに美化されすぎているのだ。 だから、さすがにそれはどうかと言ったらこのありさまである。 「いやいや、妹だからこそ、祐巳さんの姿を正しく伝えたいってものじゃないかな?」 あ、しまった。言ってから気づいたけど、これじゃあ納得してもらえそうにないな。姉のことを褒めている話で、謙遜ならともかく本気で「そんな人じゃない」なんていう妹はそういないだろう。 要は、事実をねじ曲げてしまうほどの祐巳さんへの想いはいくら何でも極端すぎるって事なんだけど、どうやったら理解してもらえるのやら…… 「乃梨子さんは祐巳さまを敬愛なさって、それで妹にしていただいたのでしょう? それなのに……それなのに、あの方のすばらしさを否定すると!?」 「いや、そういうわけじゃなくて。もちろん祐巳さんは本当にすごい人だと思うよ。ただ、ちょっと極端というか、そこまでの完全無欠な人じゃないというか」 「いったい祐巳さまのどこに欠点があるというのですか!?」 うーん、ますますエキサイトさせてしまったようだ。しかし、これはちょっとなぁ…… そりゃ、確かに私の失言にも問題があったけど、ここまでくると熱心なファンという領域を超えて、よくない意味での信者に近くないだろうか? 敬愛というより崇拝。 山百合会幹部に特別な夢……幻想を抱いている人が多いのはよくわかっているが、可南子さんって外部受験で入ってきたのに、中等部からリリアンの子よりずっと祐巳さんへのそれが強い。 そういえば、祐巳さんに対してそこまで強い想いを持ったきっかけについては聞いていなかったっけ。これほどのものとなると、さぞかし印象的な出来事でもあったのだろうけど。 とりあえずそのことは置いておこう。今はまず、可南子さんに落ち着いてもらわないと。教室中の注目を浴びる状況ってのは良くないだろう。 「欠点というか……祐巳さんは本当にすばらしい人だけど、すべてに優れている超人じゃない。そのことは可南子さんだって分かっているはずだけど?」 「私が、いつ、そんなことを言ったというのです!!」 「昨日。祐巳さんは自分がどれだけすてきかに気づいていないことが一番の魅力だって。もし、祐巳さんが本当にすべてに優れていたなら、当然自分の強みはわかっているはずでしょう?」 「……」 「もし、わかっていた上で自覚していないように振る舞っているとしたら、それってとっても腹黒くない? 時々うっかりしていたことに気づいて慌てるのも全部演技? ちがうでしょう?」 「祐巳さまがそんな醜悪な性格なはずがありませんわ!」 「うん、まったく同感。祐巳さんに抜けたところがあっても、それが即悪いなんて事にはならない。神様じゃなくて人間なんだからそれが当然。もし、本当に完全無欠だったらたぶん近寄りがたく感じてしまうくらいだよ。私がさっき言いたかったことはそういうこと。可南子さんの言う祐巳さんのイメージのままだと、妹としても遠い存在になっちゃってちょっと寂しいから思わずああ言っちゃったの。可南子さんを否定するつもりはなかったんだけど……ごめんね」 「……、まあ仰りたいことは分かりました」 すごく渋々って感じがにじみ出ているが、とりあえずこの場は収まったか。 「祐巳さんは完全無欠じゃない。でも、とっても魅力的。どう?」 「……ええ、そうですね」 理解はしたが納得はしていない、そんな感じである。 可南子さんの祐巳さんに対する考え方って、正直ちょっと危うい気がするのだが、一朝一夕にどうこうなる話ではない気がした。今日だって、ここまでのものと知っていたら絶対あんな言い方はしなかっただろう。 せっかく同じ外部受験生で、クラスメイトで、祐巳さんをすごいと思っているという仲間、友達なんだし、余計なお世話かもしれないけど何とかできたらなあ。 あ、そうか。私じゃなくて祐巳さんに言ってもらえばいいのか。 「そうだ! 私からだと、さっきみたいに妹故の……って考えが入っちゃうから、祐巳さん自身と直接会ってみるのはどう? 百聞は一見にしかずっていうし。 時間をとってもらおうか?」 「え、祐巳さまに?」 「そう。友達が祐巳さんに会いたがっているって言えば喜んで会ってくれるよ」 「……で、でもぉ。私なんかのために……」 「わざわざってのが申し訳ないって感じなら、私が祐巳さんと二人でお弁当を食べるときとかはどう? それなら、祐巳さんにとっては同じだし。それに、祐巳さんだって、自分を好きな人には会いたいよ。ね、どう?」 可南子さんはたっぷり迷ったあと、小声で「お願いします」と言ってくれた。 よし、まずはここからかな。 〜6〜 きわめて騒がしかった一週間の学校生活が終わった。 「やっと終わったね。今週はお疲れ様」 「ありがとうございます。でも、祐巳さんの方が私なんかよりもずっと大変だったでしょう? 本当にお疲れ様でした」 「ありがと。でもそのかいもあったよ。あ、そうだ。彼女はその後どう?」 「ああ、そうですね……」 彼女。私たちの間で名前を出さずにこう呼ぶ時は決まった一人を指す。結果はともかく、厄介な出来事に巻き込んでくれた、数珠を隠した真犯人のことである。 彼女からは新入生歓迎会の翌日、深い謝罪を受けた。謝罪されて許せることだったか? と聞かれればやはり『否』となる。一歩間違えば、志摩子さんは本当にリリアンを去ってしまっていたところだったのだ。 ただ、災い転じて福となすとでもいうか、彼女の行動がきっかけとなって志摩子さんは告白することができ、私自身も正式に祐巳さんの妹にしてもらえ、学園をにぎわせてしまった騒動にも終止符を打てた。そういう訳なのでちょっと複雑なものもある。 「やっぱり、私自身はなかなか割り切れないです。でも、彼女がほかのクラスメイトとの間で問題になったりとかそんなことはないようです」 「そっか。そうなるよね……こういうことって、結果だけで計ることって難しいよね」 「……」 そういって口を閉ざす祐巳さん。温室で私にしてくれた話を思い出しているのだろうか? 「……ただ、本当に乃梨子ちゃんには悪いけれど、彼女のことは少し気にかけておいてもらえないかな? 何か問題が起こるとまずいし」 「はい」 バス停に到着してすぐにM駅に向かう循環バスの姿が見えてきた。 そして、そのバスに乗って数分後、祐巳さんは何か小声でつぶやきながら考え込み始めてしまった。どうしたのだろう? 「ねぇ、乃梨子ちゃん」 「はい」 「乃梨子ちゃん、テスト勉強ってはかどってる?」 「あーテスト勉強ですか、実はいまいち」 来週には中間テストが行われるのだが、先週末はとてもテスト勉強どころではなかったし、今週は今週でいまいち集中し切れていない。 「あのさ、乃梨子ちゃんがよかったら一緒に勉強会しない?」 「え? 勉強会ですか?」 「うん。去年、お姉さまが家庭教師をしてくれてね。私も乃梨子ちゃんの役に立てたらって思って」 祐巳さんの提案はありがたい上にうれしいものなのだけれど、いいのだろうか? 一学年違うものが一緒に勉強しても、教えあうとか一緒に問題を解くとかそんなことはできない。まさに祐巳さんが口にしたとおり、家庭教師的に私が教わるだけになってしまう。それをこの中間テストがすぐそこまで迫っている時期にしてもらっていいものだろうか? 「とてもうれしい話なんですけれど、祐巳さんの方は大丈夫なんですか?」 「うん、それなりにね。半年前までだったらとてもそんな余裕はなかっただろうけど、お姉さまのおかげで成績も跳ね上がったからね」 そうはいっても、そのせっかく跳ね上がった成績を多少であってもさげてしまったりしたら、申し訳ない。そんな感じで渋っていると、すねたような顔をしていた祐巳さんが突然何かを閃いたとばかりにニッコリ笑った。 「じゃ、師匠が弟子に教えるのは当然ってことで、OK?」 ……飲み物を口に含んでいるような場でなくて本当に良かった。絶対吹き出していたに違いないから。祐巳さん、ここでそれを持ってきますか。 あのとき思わず口走ってしまった『弟子』という単語。今考えると、恥ずかしくて仕方ない。私だけでなく祐巳さんの記憶からも消し去ってもらいたいところなのだが、この様子では、断固として拒否されそうである。 「OK?」 再度確認してきた祐巳さんには「はい」と答えるしかできなかった。 「さてすることに決まったら次は日程かな。いつにしようか。私は明日でも明後日でも、なんなら今日これからでも、いつでもいいけど」 話が次に進んだ。いつまでも恥ずかしがっていてもしようもないし、気を取り直さないと。 「……そうですね。それなら明日はどうでしょうか?」 「うん、そうしよう。日曜日だしたっぷりできるね。実はさ、お姉さまとの勉強会ってもちろんこれ以上ないくらい実用的だったんだけど、それだけじゃなくて大切な思い出にもなってるんだ。だから、乃梨子ちゃんが妹になってくれた時から、やりたいなって考えていたんだよね」 楽しそうに笑いながらそんなことを語ってくれる祐巳さん。この人ときたら、時折こうやってかわいさ満点の笑顔を振りまいてくれるから困りものである……二度と勉強会の誘いを断れなくなってしまいそうだ。 その後、どこで勉強会を開くかという話になり、祐巳さんの家で行うことに決まった……というところで、タイミング良くバスがM駅の北口に到着した。 「それじゃ、また明日。ごきげんよう」 「はい、ごきげんよう」 別れてすぐ。うっかりしていたことに気づいた。可南子さんのことを話すのを忘れていた。 まあ、日曜日にも会うのだし、勉強の合間にでも伝えればいいか。 そんなことを考えつつ歩いていたら「乃梨子ちゃんだよね?」と後ろから声をかけられた。 振り返ると、そこには私服の女子大生らしき人がいた。どこかで見たことが……あ、思い出した。リリアンかわら版に載っていた写真。そうだ、姉妹体験特集号なる号で祐巳さんと二人で並んで写っていた。 「佐藤聖さまですよね?」 「そう。知っていてくれてうれしいよ」 ほほえみを浮かべる聖さま。うーむ、写真で見た以上わかってはいたが……やっぱりこの方もかなりの美少女……から美女へ移行中って感じか? 服装の影響も大きいのかもしれないけれど。まあ、いずれにせよ、容姿も山百合会幹部候補のポイントに入っているに違いない。間違いなく。 「はい。祐巳さんからいろいろと話を聞いていますし」 「今日は祐巳の妹になった乃梨子ちゃんとちょっと話をしてみたくてね。これから時間いい?」 「ええ、私も聖さまとお話ししてみたかったですし」 「じゃ、こっちね」 聖さまについて歩き出す。 「気づいてるだろうから白状しておくけど、乃梨子ちゃんがどんな子なのか祐巳を介さずに二人だけで話してみたいなと思ってね。だからごめん」 後ろからといい、あのタイミングの良さといい、そうかもとは思っていた。どこからかは知らないけれど、私たちの後をつけていたようだ。 「私はかまいませんよ。祐巳さんがどう思うかまでは何とも言えませんけれど」 「うーん……ばれたら平謝りすることにするわ。乃梨子ちゃんは追求でもされない限り黙っててくれるとうれしいかな」 「わかりました」 「ありがと」 駅の近くの喫茶店に入る。 「それじゃ、かわいい孫に何でもおごってあげましょう。好きなものを頼んで」 そういってメニューを渡される。 「いいんでしょうか?」 「いいから。お祝いも兼ねてるわけだし。……そうだね。甘党の祐巳だったらパフェをビッグサイズでとかかな?」 それはないだろうが、本当に何でも頼んでいいということなのだろう。 「それじゃお言葉に甘えさせていただいて……」 そうしてケーキセットを楽しみながら、祐巳さんが敬愛する佐藤聖さまとの楽しいおしゃべり…………とはならなかった。 第二話へつづく