〜3〜 講堂の裏手、銀杏並木の中に一本だけ生えている桜の木の下。あと少ししたらここも毛虫が……というわけで、お姉さまをはじめ皆がこの場所で一緒に食べようと声をかけてくれる。今日は祐巳さん、乃梨子さんとの三人である。 先週末のお姉さまとのデートや祐巳さんたちの勉強会と昼食会(二人とも昼食の部分で笑顔が引きつっていたのが気になるが)の話題でひとしきり盛り上がった後で、祐巳さんから相談があった。瞳子ちゃんに山百合会、薔薇の館のお手伝いをお願いしたいと考えている、と。 「令さまと由乃さんには今朝了解がもらえたから、あとは祥子さまと志摩子さん」 由乃さんには「私はいいけど本当に良いのか」と聞かれたけどね、と祐巳さんは苦笑した。 由乃さんは祐巳さんのためにいろいろ瞳子さんに言ったことがあるせいか、いろいろな誤解が解けたあとも祐巳さん以上に祐巳さんと瞳子さんの関係を心配している気がする。 私はもちろん異論は無い。今、こうして三人でお昼を楽しめるのは、瞳子さんのおかげでもあるのだから。それに、乃梨子さんにとっても彼女は呼び捨てにできるほどの仲なのだ。近くにいてくれるだけで心強いだろう。祐巳さんはそのこともあってお手伝いをお願いする気になったのかもしれない。 「私はもちろん、お姉さまもきっと歓迎してくださるわ」 「良かった。志摩子さんにそういってもらえると、安心して祥子さまに相談できるよ。大丈夫だとは思ったのだけど、4月入ってすぐの事を考えちゃうとちょっとね……」 「聖さまのことね……」 「あの、聖さまがどうかされたのですか?」 乃梨子さんの質問に、私と祐巳さんは顔を見合わせてうなずく。積極的に話すようなことではないけれど、隠さなければいけない話でもない。 「あんまり表に出すような話じゃ無いのだけど、乃梨子ちゃんに隠す話でも無いから教えちゃうね」 そういって祐巳さんは、聖さまが遊びに来た「ついで」で山百合会の仕事を手伝っていたことを説明しはじめた。そういえば、新入生歓迎会以降、聖さまの姿を見かけない気がする。 「……そんなことが。普通無いんですよね?」 「うん。そもそも三年生が一年生を妹にするっていうのが珍しいのに、その上薔薇さまが秋になってからなんて、調べた訳じゃないけどほとんど無いはず……だから、妹になって5ヶ月の私へ白薔薇さまの称号を託すことに責任を感じていたんだと思う。『自分で選んだからには責任持ちなさいよ』って言っていたのに甘いよね」 困った困ったと言うわりに、困っていないどころかうれしそうな祐巳さんを見ると、私までうれしくなってしまうのだが、ふと気がついた。乃梨子さんが眉間にしわを寄せてなにかつぶやいたような。 「乃梨子さん?」 「え? ああ、すいません……つまり祥子さまは、聖さまのお手伝いに関してはよく思われていなかったということですか?」 「あ、ごめんね。話が脱線しかけちゃった。そう、乃梨子ちゃんの考えているとおりで、卒業生が遊びに来るなら歓迎するけど、手伝うことについては相当思うところがあったみたい」 「とはいえ、人手不足はいかんともしがたく……ですか」 「うん。だからお手伝い自体に何か悪い印象を持たれてしまったら……と少し不安に思ったのだけど、志摩子さんの意見を聞いて安心したわけ」 「祥子さまの了解は取れたも同然となると、あとはどのタイミングで瞳子に声をかけるかですね」 気のせいだったのだろうか? さっき乃梨子さんは、お手伝いとは別の件で考え込んでいたように見えたのだが。今、祐巳さんと今後の段取りを考えている彼女には、まったくそんなそぶりはない。 祐巳さんに後で伝えておいた方が良いのだろうか? でも私の勘違いだったとするなら、かえって心配をかけてしまう気がする。どうしたものかと考えたもののすぐにまとまるはずもなく、乃梨子さんと話がまとまった祐巳さんから声をかけられることで、思考は中断した。 「あ、そうだ。ねぇ、志摩子さん、乃梨子ちゃん」 「何かしら?」 「何でしょう?」 「前々から考えていたんだけど、今度乃梨子ちゃんと一緒に志摩子さんの家に遊びに行ってもいい?」 「家に?」 「うん。前に乃梨子ちゃんが熱く語ってくれた志摩子さんの家に伝わるもの見てみたいし」 祐巳さんが家に来る……この前の乃梨子さんは寺としてのお客さんだったし、リリアンに入って以来家に誰かを招くなんてお姉さま以外では初めてになる。 「あ、何かまずかった?」 「そんなことはないわ。祐巳さんや乃梨子さんならいつでも歓迎よ。乃梨子さんも、また見てみたいのではなくて?」 「も、もう志摩子さんも! からかわないでください」 乃梨子さんは顔を赤くしている。 「くすくす、ごめんなさいね」 私は思わず笑ってしまったが、祐巳さんはうーんと考えながら「お姉さまの気持ちがちょっとわかるかも」と小さくつぶやいていた。ひょっとしたら祐巳さんが乃梨子さんをからかう、そんな日がいつか来るのかもしれない。 「……それで、いつがいいかしら?」 「そうだね……この日曜日とかどう? 中間テストも終わった後だから、気兼ねなくいろいろとできるし」 「私はいいわよ。乃梨子さんは?」 「私もOKです」 「それじゃあ、日曜日に……楽しみね」 思いがけない展開になってしまった。が、悪くないどころか喜ばしい話だ。乃梨子さんもとてもうれしそうにしているし、とりあえずはよしとしよう。 二人と約束をした三日後……中間テストの全教科が終了したあと、「志摩子さん、テストのできよくなかったの?」と桂さんに声をかけられた。 「ああ、桂さん。心配させてしまってごめんない。テストのできはそんなに悪いわけではないわ」 大半が解放された喜びを顔に浮かべているのに、こんな風な顔をしていたからなお目立ってしまったのかもしれない。 「じゃあ、別の何か悩み事ってところね。よかったら相談に乗るけど?」 ああ、今桂さんに言われてやっと気づいた。桂さんに聞いてみればいい話だったのだ。 「ありがとう。実は、日曜日に祐巳さんと乃梨子さんが私の家に遊びに来るの」 「それがどんな困りごとに?」 「私はいったいどうしたらいいのかと思って」 桂さんは私が言った意味がわからなかったようで「私の家に誰か友人を招くなんて小学校の時以来だから」と補足した。 「志摩子さんはリリアンに入ってからずっと家のことを秘密にしていたから、誰かを呼んだりなんてないわよね」 「ええ……高校生も二年生になって小学生と同じ感じではないでしょうし。かといって家に来る檀家の方やお客様とはまるで違うわけだし」 「なるほど。志摩子さんの悩みがわかったわ」 「よかったら桂さんの場合どうしているかとか教えてくれないかしら?」 「別に、特別なことなんか何もしなくてもいいわよ。部屋をいつもより片付けておくとかそんなことでいいんじゃない?」 「そんなのでいいの?」 「もちろん。二人にとっては志摩子さんの家に遊びに行くってこと自体がとっても大きな事なんだから。ましてや、志摩子さんの場合は家のことをずっと秘密にしてきたって話があるんだし、なおさらよ」 「そうかしら?」 「間違いなく。お昼によくしているように、おしゃべりで盛り上がってもいいし、トランプとかで遊んでもいいし……まあ要するに、何でもOKなのよ」 桂さんの自信にあふれた言葉は安心をもたらしてくれた。 「そう。ありがとう。桂さんのおかげでとても気が楽になったわ……あ、そうね。桂さんも来る?」 「あー、お誘いはうれしいし行ってみたいけど、日曜日はお姉さまと約束があって……」 「それではまたの機会ね」 「うん、またそのうち遊びに行かせてもらうね」 そうして桂さんと別れ、私は薔薇の館にやってきた。 すでにお姉さまが来ていて、軽くほおづえをついていた。 「ごきげんよう」 そう声をかけたのだけれど、お姉さまは私が来たことに気づいていない様子だったので、もう一度少し大きな声で声をかけた。 「ああ、志摩子。ごきげんよう。気づかなくてごめんなさい」 「何かお考えでしたか?」 「……ええ、予算委員会のことを少しね」 「再来週ですね」 「そうね。今後一年を左右しかねない重要なものだし、紅薔薇さまとしてきっちりとまとめないといけないものではあるけれど、お姉さまですら苦労していたものだからね」 「蓉子さまでもですか」 「ええ。それで気が重かったのよ。ごめんなさいね」 「そんな、とんでもありません。私に何か手伝えることはないでしょうか?」 「もちろんある。むしろ、みんなに手伝ってもらわないといけないわ」 私たちが手伝えることとは、その予算委員会に向けた下準備だった。所属する生徒の数と活動費の推移の確認に始まり、去年度に購入した物品のリストアップや、それ以前に購入したものもふくめて各種物品の使用状況や状態の確認などなど……確かにすべきことはたくさんだった。 そして、みんなが集まり全員でその下準備に励み、そろそろ区切りを入れようとしていた頃、聖さまがやってきて、聖さまと乃梨子さんの顔合わせが行われた。乃梨子さんは聖さま相手に緊張していたのか、しばらくは反応がどこかぎこちなかったものの、そのうちうまく打ち解けられたようで、顔合わせとしてはうまくいったようだった。 桂さんの助言通りに、自分の部屋をきれいに片づけた。乃梨子さんが楽しみにしている弥勒像も準備を済ませた。ただ、それだけでは手持ちぶさたになってしまい、今はほかの場所も掃除している。 「志摩子」 「お父様」 拭き掃除をしていた手を止める。 「友人が来るんだったな」 「はい」 「これから田町さんのところに経をあげに行くが、帰ったら二人に挨拶したいがいいか?」 「もちろんです」 「そうか、では楽しみにしている」 「はい。行ってらっしゃいませ」 お父様を見送り、また掃除を続けていると呼び鈴がなった。 きっと二人だろう。 玄関の方に行き、引き戸を開けると、思った通り二人だった。 「いらっしゃい。きてくれてうれしいわ。さ、あがって」 「おじゃまします」 二人を客間に案内する。 弥勒像が納められている細長い木箱が客間の机の上に置いてある。それをみた乃梨子さんの目はやはりとても輝いていた。祐巳さんも乃梨子さんの目で、この木箱の中身を悟った様子だった。 「乃梨子さん、落ち着いてね」 そう言われてばつが悪そうにする乃梨子さんどこかおかしくて祐巳さんと二人で笑ってしまった。すると乃梨子さん赤くなって「もう、志摩子さんも祐巳さんも!」と非難混じりの声を上げて、一人先に大きな音を立てながら座布団に座った。 「ごめんなさいね」 「ごめんごめん」 けれど、二人ともの謝罪が真剣なものにはとうてい思えないものだったから、いっそうむすっとしてしまった。ただ、それも私が木箱の組紐をほどいてその中に納められていた仏像を取り出すまでの話だった。 幽快の弥勒についてとてもうれしそうに語る乃梨子さんを見ていると、こっちまでうれしくなってくる。 それから、本堂の方に場所を移して阿弥陀様についての鑑賞会、さらに寺と家を案内し、帰ってきたお父様と少しお話をして、そのあとは私の部屋でおしゃべり……そんな感じで二人の訪問はあっという間に過ぎていった。 「それじゃ、また来ますね」 「ええ、いつでも歓迎するわ」 「ありがとう。それじゃ、志摩子さんまた明日学校で」 「ええ、二人ともまた明日学校で」 二人がバスに乗り込み、窓越しにお互い手を振り合う。 家に学校の友達を招くことになるなんて、本当に夢のように思える。桂さんは二人にとって私の家に遊びに来ること自体が大きな事だと言っていたけれど、私にとっても二人が私の家にきてくれたと言うことだけで本当にうれしかった。 今度は私の方から誘ってみよう。あるいは二人がよければだけれど、私が遊びに行かせてもらうのもいいかもしれない。 第一話Fへつづく