白薔薇の憂鬱 第二話 D 

〜5〜
 中間テスト明けの月曜日、朝練に参加するには少し遅く、かといって普通に登校するには早すぎる……なんとも微妙に早い時間帯。そのわりに、巡回バスの中はリリアンの制服でそこそこ賑わっていた。
 大半は早出常連の人たちなのだろう。自宅と交通機関の関係で、どうしてもこの時間帯になってしまう人たちもいると耳にした覚えがある。そして残りはというと、テストも終わったのにノートやプリントとにらめっこ。こちらは、立場は違えどある意味お仲間だろう。中身が見えるわけではないが、予算委員会に向けての準備で間違いないはずだ。
 この予算委員会、生徒会の裁量が大きいリリアンでは、クラブにとって大会とは違った意味で大行事である。年度初めに新入生をたくさん勧誘できたとしても、活動するためのお財布がさみしくては満足な活動ができるわけも無く。しかもそれが上意下達、先生から一方的に定められるものなら諦めも付くが、自分たちの頑張り次第で良くも悪くもなるというなら、頑張らない方が珍しい。どんなに費用がかからないクラブでも消耗品くらいは購入しているのだし。
 とはいえ、配分・調整側の山百合会としては、皆が頑張らない方が楽だよな……いかん、いかん、それは悪魔のささやきだ。もはや隠れていない、元「逆・隠れキリシタン」としてもさすがに無いわと首を横に振っているうちにバスはリリアンの前へと到着した。
 バスを降りて歩いて正門をくぐると、すでに祐巳さんがマリア様の近くで待っていた。
「ごきげんよう、祐巳さん。早いですね」
「ごきげんよう。乃梨子ちゃんもね」
 二人で瞳子を待つ……どのタイミングで瞳子に話を持ちかけるのか祐巳さんとも話し合ったが、どう工夫しようともある程度注目を集めることは避けられない。それなら、こそこそやって耳ざとい人たちに変に勘ぐられるより、善は急げでさっさと朝のうちに済ませてしまおうと決めたのだった。幸いにして瞳子は朝練がなくても登校はピークより少し早めな事が多いから、少し話をする程度の時間は十分にあるというのも大きい。
「ごきげんよう白薔薇さま、白薔薇のつぼみ」
「ごきげんよう」
 二人でマリア様の近くに立っているものだから、登校してくる生徒すべて(ほぼではなく!?)が声をかけてくる。私たちに気づいていなかった生徒も他の生徒の行動で気づいて慌ててなんてパターンもあった。
 それにしても、承知の上とはいえ、皆の注目の的になっているのは、正直気持ちの良いものでは無い。皆に挨拶していると、なんだかムズムズしてくる。チラリと横を伺うと祐巳さんは自然体で挨拶したり、手を振ったりしている……私には無理だ。勝手に待っておいて何だが、瞳子よ、早いところ来てくれ。
「瞳子ちゃん、そろそろかなぁ?」
「そうですね……あ、来ました」
 到着したバスからはき出され、校門をくぐってくる生徒の集団。その中にあの特徴的なくるくるロールの髪型が見えたのだ。
 瞳子はマリア様の前まで来て、他の私たちに挨拶する生徒を見て私たちに気づいた。
「ごきげんよう」
「あら、ごきげんよう。少し待っていていただいてよろしいですか?」
「うん」
 私たちの態度から自分を待っていたとわかった瞳子は、手早くマリア様へのお祈りを済ませた。
「参りましょうか」
 三人で校舎に向かって銀杏並木を歩き始める。
「それで、二人そろって私にどんなご用ですか?」
「瞳子ちゃんにお願いがあってね。ねぇ、前に瞳子ちゃんって新入生歓迎会のお手伝いに立候補してくれたことあったよね?」
「ええ、一年生の私に手伝うことはできませんでしたが、別件で大いにお手伝いさせていただきましたね。それで?」
「もしよかったらだけれど、薔薇の館の仕事を手伝ってもらえないかな?」
「それってどういう意味ですの?」
 祐巳さんの言葉に、瞳子はピタリと足を止めて尋ねた。
「あ、たぶん瞳子ちゃんが心配してくれている部分はちゃんと考えてるよ。志摩子さんの時のようなことを分かった上でのお願いかってことだよね?」
「ええ。祐巳さまを疑うわけでは無いのですが……」
「瞳子ちゃんの前では結構やらかしているからね、私。でもまあ、今回は思いつきだけで言っている訳じゃ無いから、その点は安心して」
 そういって、祐巳さんは今山百合会が人手不足で手伝いを欲していること、現実問題としてお手伝いしてくれる人が誰でも良いわけでは無いことを説明した。
「もちろん手伝うと言っても、瞳子ちゃんの都合がよくて気が向いたときだけでいいんだけど、どうかな?」
「お手伝いはむしろさせていただきたいくらいですけれど、ほかにもどなたかに声をかけているんですか?」
「ううん、瞳子ちゃんだけの予定。あのお芝居を一緒にやった仲だから頼みやすかったし、声をかける前から自主的に立候補してくれていたというのも大きい。その上、友達の乃梨子ちゃんや親戚の祥子さまを手伝うって名目が立つから。さっき話したとおり、残念だけど人を選ぶ話だからね、これ」
 誰にでも開かれた山百合会を目指さないといけないのになかなか……と、祐巳さんがぼやいた。
「志摩子さまや由乃さまに妹ができるまでは、なかなか難しいところですね。志摩子さまの時のことを考えれば、将来の妹、薔薇さまとしてスカウトされているように見えてしまいますもの」
「そういうこと。瞳子ちゃんならそういった目はかなり緩和できるでしょ? あ、もちろん、結果的に二人と姉妹になったり、薔薇さまを目指してみたりすることを否定する訳じゃ無いから。それは瞳子ちゃんや志摩子さんと由乃さんたちの話だから」
 そして、最後に薔薇の館のメンバー全員の了解も取り付けていることを話した。
「わかりました。遊びに行く時にお手伝いもしますね」
「ありがとう、助かるわ」
 これでめでたく手伝い要員を確保……となったのだが、瞳子は少し非難がましい視線を祐巳さんに向けた。
「ところで祐巳さま乃梨子さん、二人とも少しずるくないですか?」
「え? ずるい?」
 祐巳さんはなぜずるいと言われてしまうのかわからず、ややうろたえながらこれまでの自分の行動を振り返り始めた。
「だって、もし瞳子がここで断ったりしたら、もう薔薇の館に遊びに行きづらくなっちゃうじゃないですかぁ」
「あ、確かに……それは考えてなかった。ごめん」
「別に断る気なんて全然なかったからいいですけど。ただ、やっぱり祐巳さまはどこか少し……まぁ、それはそれで愛嬌があって良いのかもしれませんね。少なくとも分かっていて黙っていた人よりも。ねぇ、乃梨子さん?」
 瞳子の言葉にうなずく。祐巳さんが気づいていなかったのはちょっと意外だったけれど。
「瞳子はそんなことは関係なく引き受けてくれるって思ってたし、そもそもそんな駆け引きが必要な相手には手伝いをお願いしたくないね」
 瞳子は「やれやれ」と肩をすくめ、小さくつぶやいたと思うと、急に笑顔になる。なんだ?
「祐巳さま、さっきあんなこと言っておいて何ですけれど、『悪役やってみない?』より、ずいぶん手際が良くなりましたわね?」
「あー! それ言っちゃう!?」
「え、何? 私の知らないこと?」
「乃梨子さんが知らないのは無理ありません。だってあれは乃梨子さんが……」
「瞳子ちゃん、ストップ。お願い! 許して!!」
 さてさて、どうしましょう? そういって実に楽しそうな笑みを浮かべながら、すたすた歩いて行ってしまう瞳子を慌てて追いかける祐巳さん。やはり瞳子は一筋縄ではいかないな。
 後で締め上げてやる。そう決心して、祐巳さんの後を追いかけることにした。


〜6〜

「……申し訳ないのだけれど、今日はこれで帰らなければいけないのよ」
 腕時計をチラリと見た後、話を切り出した祥子さまの様子は、心底申し訳なさそうに見えた。謝る姿があまり想像できない祥子さまがどうしてそこまでと思ったら、明日、土曜も残ることが難しいのだという。
 何とも間が悪いというか、予定は重なるというか、令さまは体調不良(明日も微妙だろう)、つい昨日剣道部に入部した由乃さまもいない。その上、環境整備委員会の会議があるため志摩子さんも不在である。さらに祥子さまもとなってしまうと、今日この場に残るのは祐巳さんと私の白薔薇ファミリー+瞳子だけになってしまう。
 +瞳子。そう、今日も瞳子が手伝いに来てくれた。
 スカウトが成功した翌日、早速顔を出してくれてのだが、すぐに予算委員会直前の修羅場を察してくれたらしい。(若干、顔が引きつっていたが)
 以来、毎日のように顔を出してくれるようになった。誘っておいて何だが、ここまで積極的に手伝ってくれるとは思わなかった。祐巳さんとも少し話したが、これはお礼の一つや二つしなければならないだろう。
「大丈夫です祥子お姉さま! 祥子お姉さまの替わりはこの瞳子がつとめますから!」
「ありがとう瞳子ちゃん……」
 確か、以前に『祥子お姉さま』という呼び方を注意されたとか言っていたと思うが、今はあえてその呼び方をし、祥子さまもそれを受け入れた。
「それじゃあ、失礼するわね。祐巳ちゃん、申し訳ないけれど後はよろしく」
「はい、祥子さま。ごきげんよう」
 いくつか祐巳さんに引き継ぎを済ませた後、祥子さまが帰られ、三人だけになった。
「さ、祐巳さま。何からするか指示をください」
「よろしくお願いするね。まずは……」
 そして、祥子さまが帰られてから祐巳さんを中心に、二人で手伝い仕事をこなしていった。
「このあたりで一度休憩にしようか。私が飲み物用意するね」
「あ、祐巳さんそれは」
「いいから乃梨子ちゃんも座ってて。これだけ手伝ってもらっているんだから、このくらい私にやらせてよ」
 慌てて立ち上がると祐巳さんにそう言われてしまった。言われてしまった以上仕方ない……祐巳さんが飲み物を入れてくれるのを座って待つことになった。
「少し落ち着かない感じですね?」
「まあ……」
「せっかく祐巳さまが入れてくださるのですし、楽しみに待ちましょうよ」
 瞳子の言葉にうなずいたものの、やっぱりどっかおしりのあたりがそわそわするような気がしてしまう。
「はい、瞳子ちゃん」
「ありがとうございます」
「はい、乃梨子ちゃん」
「ありがとうございます」
 祐巳さんからカップを受け取りコーヒーをいただく。
「あ」
「どうかな?」
 祐巳さんの答えが楽しみで仕方なさそうな顔をみて、何がしたかったのかわかった。
「ばっちりです」
 私の好みのあんばいにミルクと砂糖が入れられていた。そして、瞳子の「こちらもです」との声に、祐巳さんはとても喜んでいた。
「確か……聖さまの特技でしたっけ?」
 そんな話を聞いたことがあった気がする。
「うん。私もまねしてみたいなって思ってて、二人が飲むとき、いつも二人がどのくらい入れているか見てたんだ」
 やっぱり、祐巳さんにとっては聖さまに近づけることはとてもうれしいことなのだ。
「ホント、今日も瞳子ちゃんが手伝ってくれて助かったよ。ありがとう」
「私からもありがとう」
「いえ。私も山百合会幹部の皆様が、ここまで仕事を抱えているとは思ってませんでした。分かっていたらもっと真剣にお手伝いの立候補をしたんですけれど……むしろ遅くなって申し訳ないというか」
 お手伝いに来てくれた人に、むしろ時期が遅すぎたと眉を寄せてため息をつかれるのは心苦しいものがある。しかしその半面、自分の認識がずれていなかったことにほっとする。瞳子の顔も引きつらせた書類の山をこれだけの人数で処理するのはおかしいよ、やっぱり。
「いやいや、確かに今年度は少し人手が足りないけれど、代々やってきたことだからね。私たちは瞳子ちゃんに感謝してもしたりないけれど、瞳子ちゃんが後悔する事なんて一つも無いよ」
 うーん、愚痴を言うのがみっともないとかじゃなくて、本当にそう思っていそうである。
 改めて考えてみると、祐巳さんは昨年の学園祭直前に薔薇さまの妹になったというのに、今では他のお二方に引けを取らない白薔薇さまというすごい人なのだ。そんな方だから、全く縁が無いとまで思っていた、姉妹関係になりたいと思ったのだけど。
「まぁ、祐巳さまがそうおっしゃるなら……」
 いまいち納得できていなそうな瞳子。私もそうだけど、少なくとも今はどうにもならないだろうな。また別の機会に瞳子とも話してみるとしよう。
 あ、瞳子と話をと考えていたら、もう一人のクラスメイトのことを思い出した。
「そうそう、祐巳さん。可南子さん、ようやくOKだしてくれたよ」
「そっか、ありがとう、乃梨子ちゃん。じゃ、月曜日は久しぶりに屋上にでも行こうか。しばらくずっとここで食べてたし」
「乃梨子さん。可南子さんって、細川可南子さんのこと?」
 しまった。思いつきで口に出してしまったから、瞳子を置いてけぼりにしてしまった。
「そうだよ。祐巳さんの大ファンだったのが縁で、以前三人一緒にお昼をとったことがあってね」
「私が乃梨子ちゃんにまた誘って欲しいって頼んだの。あ、よかったら瞳子ちゃんも一緒にどう?」
 クラスメイトが揃った方が楽しいでしょ? と誘う祐巳さんに、瞳子は開きかけた口を閉じた後、やんわりと首を横に振った。
「お誘い、ありがたいですけど遠慮しておきます。可南子さんも乃梨子さんはともかくとして、余計なお邪魔虫は少ないにこしたことが無いはずですわ」
 私はこちらで何度でもご一緒できますし、そういう意味でもここは可南子さんに譲らないと。にっこり微笑みながら、瞳子は説明を加えた。
 もともとよかったら程度の話だったし、私も祐巳さんもそれ以上どうこう言うことは無かった。
 しかし、あとから考えてみれば、瞳子が言いよどんだ理由を聞き出しておけば良かったと思うのだ。だが、このときの私たちにはそんなことを知るよしもなかった。



 第二話Eへつづく