〜1〜 藤堂志摩子さん……紅薔薇のつぼみの妹、祥子さんの妹。 祥子さんが妹にするっていう噂は前からあったけれど、断られたって……そういう話だった。 その話を聞かれた祥子さんは否定しなかったけれど……今彼女は祥子さんの妹に収まっている。それも立派な妹として。 彼女のことはかわら版や噂で知った以上のことはほとんど知らないけれど、それでも私なんかとは比べものにならない存在だっていうのはよく分かる。 祥子さんだけでなく白薔薇さまも彼女を妹にしようとしていたと言うし、あの祥子さんが一度断られてもなお妹にしたかったと思うほどだというのもうなずける話かもしれない。 その時のいざこざで白薔薇のつぼみに収まってしまったらしい福沢祐巳さん。その巻き込まれて白薔薇のつぼみになってしまったのが彼女ではなく私だったなら、祥子さんとお近づきになれたのに……そう思ったこともある。 けれど、そんなことはありえなかった。私に白薔薇のつぼみなんて大役が務まるはずがない。あの立ち会い演説会……祐巳さんはこのリリアンへの想いを、何百人という生徒に向かって語ったのだ。私にはあれほどリリアンに想いはないし、そもそも、祥子さん一人に自分の気持ちを打ち明けられないのに何百人相手になんてできるはずがない。 山百合会のそうそうたるメンバーの中で彼女だけが私たち一般生徒に近い存在だとは今も思うけれど、それでも、私なんかとの間にある壁は高く大きいのだ。 私は祥子さんと昔の話をするきっかけをつかめない。いやそれだけじゃない、仲良くなれるかもしれない。お近づきになれるかもしれないチャンスがあっても、逃げ出してしまうような臆病者だったのだ。 今年もまたバレンタインデーが近づいてきたある日、新聞部のイベントのことを耳にした。 つぼみが隠すカードを見つけられたものにはデートの賞品。けれども、祥子さんが参加を渋っているってそんな噂だった。 噂の出所はイベントを企画している新聞部で間違いないと思うけれど……どうしてそんな企画を立てたものやら。去年の祥子さんの行動や、性格は知っているだろうに。 祥子さんが参加しないならイベントが行えるはずもない。そう思っていたけれど、しばらくして出されたリリアンかわら版にイベントのことが大きく書かれていた。 イベントが行われる? 祥子さんが折れた? どうしてだろう? 誰も直接祥子さんに聞くことはできなかったし、もちろん私も聞くことはできなかった。 けれど、もし、私が祥子さんのカードを見つけられたならばどうなるだろうか? 祥子さんと日曜日に二人でデート。 昔の話をするのなら、絶好のチャンスだ。 いや、少なくとも、仲良くなれるチャンス。お近づきになれるチャンスには違いない。 これまでに何度もあったチャンスとは違って、半日も二人にされてしまったら、逃げることなんてできない。ある意味追い込まれるわけだけれど、むしろ私は追い込まれないとだめなくらいかもしれないからそれで良いかもしれない。 ……もちろん。私が祥子さんのカードを手に入れられる確率なんて、まさに宝くじで高額配当が当たるようなものだとは分かってはいた。 〜2〜 そして、やってきたバレンタインデー当日の朝……私はまるでストーカーのように祥子さんの後をつけていた。 見つからないように気配を消しながら……もし振り向いたりしそうになったときはすぐに身を隠せるように祥子さんの様子に気をつけながら。 祥子さんはマリア様にお祈りを捧げた後、なぜか右に進んだ。それを見たときは、どこに行くつもりなのだろうか? なんて思ったけれど、本当はこの早い時間に登校していた祥子さんを見たときから予感があったのかもしれない……祥子さんはカードを隠すために早くに登校した。これからカードを隠しに行く、そんな予感があったからこそ祥子さんに声をかけられなかった……かけたくなかったのかもしれない。 誰もいない静かな道をしばらく歩いて温室の前までやってくると、祥子さんは立ち止まって周りを見回した。私は祥子さんの様子を注意していたから、すぐに木の陰に身を隠せた。 まさか尾行していた人間が木の陰に身を隠しているなんて思わなかったのだろう。祥子さんは温室に入っていった。 ……まさかあそこに隠すつもりなのだろうか? 木の陰から出て、温室に近づいて様子を覗おうとしたのだけれど、視界の端に誰かの影が見えた。 今まで誰もいなかったのに、いったい誰が? ……左右で髪をリボンで止めている特徴的な髪型の彼女は福沢祐巳さんだった。 私は祥子さんのことにばかり気がいっていて、自分の後ろにはまるで気を払っていなかった。まさか、後ろにだれかいたなんて…… だんだんこっちに近づいてくる。 どうしよう? どうしたらいいの? どうしたらいいのか分からずにおたおたとしてしまっている私の気持ちなんて関係なく祐巳さんは私のすぐ前にまでやってきてしまった。 「あ……ご、ごきげんよう」 「ごきげんよう」 半分パニックになってしまった頭でできたのは朝の標準的な行動……挨拶だけだった。そして、それ以上はどうすればいいのかどうするべきなのかさっぱり思い浮かばなかった。 だから、その場を半ば逃げ出すように祐巳さんの前から姿を消した。 祐巳さんの姿が完全に見えなくなるところまで逃げた。 呼び止められたり、追ってくるようなことがなくて良かった。ほっと安堵の息をつく。 祥子さんと祐巳さんの二人がこの時間に……きっと、祐巳さんも祥子さんと同じようにカードを隠すために早めに登校したのだろう。いまごろ支倉令さんもどこかでカードを隠しているのかもしれない。 〜3〜 「それでは誓約書を提出した方からスタートです」 そういうと三奈子さまはホイッスルを勢いよく鳴らした。音が鳴ると同時に誓約書を渡し各所に散らばっていく。 いよいよ宝探しのイベントが始まった……けれど私たちに限ればまだ始まっていなかった。 企画にはなかったのに突然私たちつぼみの姉妹につけられてしまった五分のハンデはとても大きい。 由乃さんがイライラと芝生を上履きで掘っているのとは反対に、黄薔薇さまと白薔薇さまは三奈子さまに抗議していた時の態度と違ってずいぶん余裕げなのはそれほど探す気はないのだろう……それが私たち妹とお姉さまの差なのだろう。 そして、私と由乃さんの二人だけが何を言ったとしても、もう始まってしまって誓約書を提出した生徒が次々に中庭から校内のあちこちへと駆けていっている今となっては無駄だろう。 私にできることはハンデの五分の間に誰かに見つかってしまわないことを祈ることだけしかなかった。 目の前に見える生徒の数が減って行くにつれて私がスタートできるようになる前に見つけられてしまうのではないかと不安になってきてしまう。仲の良い友達と一緒に話をしながら誓約書を書いたり出したりして中庭から出て行く人たちが多いようで、一斉に中庭からいなくなくなるというようなことはなかったけれど……それでも目に見えて生徒の数が減っていってしまう。 ……早く五分経たないだろうか? 「五分経ちました。つぼみの姉妹の皆さんスタートしてください」 ずいぶん長い五分だったと思う。 けれど、ようやく私たちもスタートできるようになった。 まだ、誰にも見つけられないことを祈りながらスタートしたのだけれど……どうしてか、私の後をついてくる人がいた。それも十人も……… 私が立ち止まるとその人たちも綺麗に揃って足を止める。私が歩き直すと、彼女たちも同じように動く。 由乃さんが走って飛び出していくと、その後ろにも何人もが追いかけてついていく。 私たちをつけている。それもこんなにあからさまに……まさかこんなことをする人たちがいるなんて思っていなかったから驚いてしまった。 イベントに参加しているのだから当然といえば当然だけれど彼女たちの目的はお姉様たちつぼみのカードに決まっている。 それでも、そのために私たちつぼみの妹が目星をつけた場所まで案内させようとするなんて、そこまでしてもカードを見つけたいのだろうか? 弱った……五分のハンデの上こんな十人も一緒になってしまったとしたら、私が見つけるなんてこととてもできない。 せめて何とかこの人たちを振り切ろうとしてみたけれど、私の足ではとても振り切れなかった。 そして、こういうことはやめてもらおうと言ってみたけれど簡単に言い負かされてしまった。へりくつじゃないかと思ったけれど弁論部のメンバーに口で勝てる見込みはなかった…… だから追跡者を引き連れたまま校内を巡ることになってしまった。 その途中で由乃さんとも会ったけれど、あちらもまだ振り切れていなくて振り切るのに必死になっていた。 このままおいかけっこをするだけで私のイベントは終わってしまうのだろうか? そんな悲観的な考えになり始めていたところに、黄薔薇さまが一人で私たちの前に現れた。 黄薔薇さまにもついていった人たちがいたと思うけれど……どうやら黄薔薇さまは振り切れたようだ。 この寒い中でもうっすらと汗をかいているようなのは、純粋に振り切った証なのだろう。さすがは黄薔薇さまだと思う。 「志摩子はまだ引き連れてるわけ?」 「私では振り切ることなんかできませんから……」 「そう、ふ〜ん……」 にやにやとしながらそんな風に言ったあと、何もせずに少し離れたところに立ってこちらを見ているだけだった。私たちを見ているだけなのだろうか? ため息をつく。仕方ない……足では振り切れないから、何か上手く彼女たちをまけるような場所を求めて駆けることにした。けれども、そんな都合の良いものはそうそう見つかるものではない。 またため息が出る。そのとき、ふと異様な雰囲気を感じて振り返ってみると、なぜか彼女たちは揃いも揃ってすごく気まずそうな顔をしていた。 どうしたのだろう? その答えは視線を彼女たちのさらに後ろに向けると分かった。 黄薔薇さまがちょうど彼女たちの後ろを歩いていた……きっとあの時からずっとそうだったのだろう。 すごく楽しそうな顔で私たちを見つめている。二人きりならいざ知らず、私のあとをずっとついてきている彼女たちにとって黄薔薇さまからぴったりつけられて見つめられている気持ちが良いものであるはずがない。 「人をつけるのってとっても楽しいことなのねぇ」 黄薔薇さまが十分聞き取れる声で独り言を漏らすと、「ううっ」とかそんな声が彼女たちのなかから漏れてきた。人をつけるのが楽しいのではなくて、そういう嫌みを言っていじめるのが楽しいのではないだろうかと思うけれど、口にはしない。 そんな状態のまま歩いていたのだけれど、しばらくするとだんだん彼女たちとの距離が離れてきた。気まずさか後ろめたさかは分からないけれどそういったものが彼女たちの足を遅くしているのだろう。 いまなら! 角を曲がったところで一気に走った。 黄薔薇さまに心の中でお礼を言いながら、駆けて途中で茂みの中に入って身を隠した。 彼女たちは茂みに隠れている私に気づかずにそのまま走っていった。 黄薔薇さまだけは気づいたのだろう私にほほ笑みかけ口を開いたあと、すぐに彼女たちを追いかけていった。声は出さなかったけれど「がんばりなさい」と言ってくれたのだと思う。 ありがとうございます……黄薔薇さまのおかげでやっと一人になることができた。 ずいぶん遅くなってしまったけれど私のイベントがようやく始められる。けれど、もう複数の場所を探す余裕なんてないだろう。 お姉さまがどこに隠したのか……もし、お姉さまが私が見つけることを望んでいればなにか特別な場所に隠すだろう。 ……私に思いついたのは、あの温室だった。私たちが本当の意味で姉妹になった場所……私が救われた場所。そして紅薔薇があるあの温室。普通の人にとっては古ぼけた温室だけれど、私たちにとっては校内で一番特別な場所だと思う。 地図で確認するとあの温室はイベントの範囲内……ならあそこであって欲しい。 そして、茂みを抜けて温室に向かったけれど、既にそこには先客がいた。 〜4〜 放課後イベントが始まるとすぐに他の人たちと一緒に中庭を離れた。 けれどそのままあの温室に向かうわけにはいかないから、回り道をしたりして一人になってから温室に向かった。 温室に私がついたとき誰もいなかったし、誰か来るような気配もなかった。 あの時、祥子さんはここにカードを隠しに来ていたはず。現場を見たわけじゃないけれどまず間違いないと思う。 けれど、あの時ひょっとしたら祐巳さんもここに隠しに来ていたのではないだろうか? もしそうだったらどうなるだろう? 二人とも同じ場所に隠したということはないと思う。バラバラの時間帯ならともかくあのタイミングなら二人が顔を合わせるのは確実。ならどちらかが、あるいは両方がここに隠すのは止めただろう。 祥子さんの方が先にいたから、きっと祥子さんの紅いカードがあると思うけれど……もし、祥子さんが別の場所に変えていて、ここに隠されているのは福沢祐巳さんの白いカードだったら目も当てられない。私が欲しいのは祥子さんのカード……祥子さんとちゃんと話すチャンスなのだから。 祥子さんのカードが見つかることを願いながら温室の中を探していく。 この温室に隠すとしたらどんな隠し場所があるだろうか? 小さな鉢が並べられている棚の後ろや間、そして鉢の陰や下。 そういった隠し場所になりそうなところを一つ一つ探していくと、やがて紅い薔薇の根元に掘り返したような跡を見つけることができた。 紅い薔薇の根本……ここを掘り返したのは祥子さんに違いない。 祐巳さんだったら白い薔薇の根元にするだろう。いや、そうでなくても少なくとも紅い薔薇と黄色い薔薇は避けるはず。 ひょっとしたらこの紅い薔薇がロサ・キネンシスなのかもしれない。 後は、祥子さんのカードがここに埋まっているかどうか……おそるおそる掘り返していくとしばらくしてビニール袋に入ったカードが出てきた。紅いカード、祥子さんのカードが入った袋が。 天にも昇るかのようなといったらさすがに言いすぎだろうけれど、とにかく嬉しかった。 今、この温室には誰もいない。祥子さんのカードは私が見つけたのだ。これをもって行けば、祥子さんとデート……祥子さんと話すチャンスが手にはいる。 早速持って行こうとしたのだけれど、その途中で白い薔薇が目に入ったら幸せな気分はいっぺんに吹き飛んでしまった。 祐巳さんのことを思い出したのだ……私は祐巳さんとあの時会ってしまっている。 彼女は私のことをどう思っているだろうか? もし、祥子さんのあとをつけていたところや、木の陰に身を隠していたところを見られてしまっていたら、そしてそんな私が祥子さんのカードを持っていったら…… 祐巳さんがどこまで分かっていたかは分からない。けれど、私が朝祥子さんがここに隠しに来たのを知っていたからこそ見つけられたというのは分かるだろう…… 祐巳さんがどんな人なのかあまり知らないからその事実をどう思うかは分からない。けれど、そもそも祐巳さんがどう思うか、どう言うかに関係なく、私はひきょうなことをしてしまったのではないか? きっかけは全くの偶然だった。けれど、祥子さんをつけて右に曲がってしまったとき私はこの道を確かに選んでしまった。祥子さんが隠しに行くと予感していたから、声をかけなかったのだ。 祥子さんがこのことを知ったら私を軽蔑するだろう。そうなってしまったら全てが終わってしまう。 でも……これは私にとって最初で最後のチャンス。このまま逃してしまったら私はもう祥子さんと話すチャンスを手に入れることはできないだろう、卒業まで……いやこのままずっと。それはそれで終わってしまっているのと同じなのではないだろうか? 祥子さんのカードを持って行っても行かなくても祥子さんとの関係は終わり……私はどうしたらいいのだろう? 「あら? ごきげんよう」 今まで誰か来る気配はまるでなかったのに突然やってきた誰かにびっくりしてしまった。 けれど、それが誰か分かったときもっと驚くことになった。藤堂志摩子さん……どうして彼女が? 「あ、ご、ごきげんよう」 動揺が声に出てしまった。なぜ動揺してしまっているのか疑問に思われてしまっただろうか? 心臓の鼓動がひどく大きく早く感じる……不安がだんだん大きくなっていったのだけれど、次に志摩子さんの口から出てきた言葉は私の予想できるところを遙かに超えていた言葉だった。 「あ……おめでとう」 「え?」 「カードのこと、おめでとう」 「あ、ええ……どうも」 まさかおめでとうと言われるなんて、誰が予想できるだろうか? 急いでやってきたのか、あちこち走り回ったのかは分からないけれど息も荒い……そんな風にしてまでやってきたのだし、普通悔しがるものではないだろうか? それがあまり悔しくなくて、お祝いの言葉を言えるなんて……祥子さんの妹だから、何かヒントのようなものでももらっていたのだろうか? それなら、先に見つけられてしまって残念ではあるだろうけれど悔しいということはないかもしれない。 もし、そうなら私もこのままこのカードを出してしまっても構わないかもしれない。けれど、あの祥子さんがそんなヒントを与えたりするものだろうか? 志摩子さんが何度かゆっくりと息をして軽く息を落ち着けている間、そんなことを考えてたけれど結局答えは得られなかった。 「そのカード、紅い薔薇の近くにありませんでしたか?」 「え、ええ」 今度は何を言いたいのだろうか? そのあたりは分からなかったけれど私が肯定すると、なぜか嬉しそうに顔をほころばせた。 志摩子さんのような綺麗な人が笑っていると輝いて見えるなと、彼女の微笑みを見ながら思ったけれど、なぜそんなに嬉しそうなのかはいっそう分からない。 わざわざ確認してきたのはここに祥子さんが隠したと予想して来たということなのだろうか? もしそれなら、なおのこと私のような彼女にとってどこの馬の骨とも知らぬようなものに先に見つけられてしまったら悔しいはずではないだろうか? 志摩子さん個人がどういう反応をしていたのかはよく覚えていないけれど、つぼみの姉妹が猛抗議したあの五分のハンデがなければ、どうなっていたのかも分からないのだし…… あまりにも気になって、そのままにしておくことができなくて、「志摩子さんは悔しくないの?」と聞いてしまった。 けれどその問いは彼女にとって意外すぎたのか、オウム返しに聞き返しながら小首をかしげられてしまった。 「私なんかに負けてしまって悔しくはないの? それに新聞部があんなことを言い出さなければ志摩子さんが手に入れられていたかもしれないのに……」 悔しいというこということは彼女にとって意外だったのだろう。率直に聞き直すとようやく得心が行ったようだった。 「……そうですね。お姉さまのカードを私が見つけたいって思っていました。けれど、ここに来てロサ・キネンシスの近くにあったって聞いたら嬉しくなって、それで十分になってしまいました」 きっと単にロサ・キネンシスが目印になっていたというだけでなく、この温室には姉妹の間でのとても大切な想い出があったのだろう。志摩子さんの表情がそれをありありとものがたっていた。でも、そんな彼女のすてきなほほえみを見れば見るほどますます憂うつになっていった。罪を犯してしまった私がどうしようもなく惨めで薄汚れた存在に思えてきてしまったから。 右手のカードに目をやる。これを手にするのは志摩子さんこそふさわしいし、祥子さんもそれを望んでいる。この場で志摩子さんに渡してしまえとの声が頭に響く。でも……どうしても祥子さんに私の想いを伝えたかった。そして、私が犯してしまった罪を告白しなければいけないと思う。だから、だからこそ、いっそう酷い人間になったとしてもこのカードを志摩子さんに返すわけはいかなかった。袋ごとカードを握りしめる。 「もう時間もあまりないし、急いだ方が良いですよ?」 「ごめんなさい…………」 「え?」 今度は単に意外というよりもびっくりしてしまっただろう。そうなるのは事情が分かっていない彼女にとっては当然のことだと分かっているけれど、今は事細かに説明するわけにはいかない。 「ごめんなさい。このカードはやっぱりあなたのもの……でも、今は私に貸して欲しいの」 何を言っているのかよく分からないだろう。けれど、私は必死だったから……それを感じ取ってくれた彼女はうなずいてくれた。 「ありがとう」 私に祥子さんに告白するチャンスを与えてくれた志摩子さんに深々と頭を下げてから温室を出た。彼女にはみんな終わった後に全部話してもう一度謝ろう。 今はとにかく間に合うように急がなければいけない……祥子さんたちが待っているだろう中庭を目指して走った。 後編に続く