邂逅

◆第1話

「…ここは?」
 シンジは辺りを見回す…遙か向こうの方まで白い大地が広がっている。
 突然猛烈な寒さが肌を突き刺してきた。いや、今その事に気付いたと言うべきか
「ぐっ…さ、寒い…」
 いきなりすさまじい衝撃が辺りを襲い、その衝撃波でシンジは吹っ飛ばされ、倉庫らしき建物の壁にたたきつけられた。
「ぐはっ…」
 急速に意識が遠くなっていく…一体何なのか、折角あいつらに復讐するために時間を遡ったというのに、こんなところで、訳も分からず終わるだなんて…そんなことを残った意識で考えていると人の姿が目に入った。だが、それが誰なのか認識する前に、シンジの意識は途絶えた。


 再びシンジが目を覚ましたとき…シンジは分厚いコートを纏っていた。もうかなり乾いているがコートには結構な量の血が付着していた。
「…?」
 自分の体を見てみるが、特に出血らしきものは見あたらず、打ったところが痛いくらいで、特に目立った怪我はしていないようだ。自分のことを把握すると、次は回り状況を掴むために意識を回りに移す。寒いという意味では同じだが、先ほどの肌を刺すような寒さは感じない。
 何かの中にいるようだが…あたりを見ると…上は赤い空が見える。あのサードインパクトの後の世界を思い起こさせるようなどんよりとした赤い空。そして、波と風の音だけが聞こえる。
 ふと後ろを向くと、シンジと同じくらいの歳の女の子が立っていた。少女はぼんやりとした目をして遠くを眺めているようだが、どこかで見たことがある気がする。
 誰だったかなとその少女が誰なのかと考えながら少女の顔を見ていると、ふとミサトの顔と重なった。


 気付くとシンジは少女の首を絞めていた。 
 少女は苦しそうではあるが、特にこれと言って抵抗もしめなさい…少しの間の後、自然と少女の首から手が放れていた。それと同時に少女は咳き込む。
 シンジが少女から離れた後、体育座りのような格好をしてぼんやりとした目をシンジに向けてくるが、特にシンジを見ているというわけでもなさそうである。
 暫く経ったが、その間少女は殆ど動かなかった。
 じっと少女を観察して見るが、やはりミサトのようである。しかし…今、目の前にいる少女は到底シンジの知っているミサトとは結びつかない。
「なんなんだ?」
 やはり殺してやろうかとも思ったが、抵抗すらしないのでは、なんだか殺す気が失せてしまう。
 不満を顔にあらわにするが、ミサトは反応しない。
「それ以前に…今はいつだ?」
 よく考えればいつに戻ってくるのか特に考えていなかった。時を遡り目に物見を見せてやると、それしか考えていなかったのだ。
 ミサトの歳はシンジと同じくらい…13から15と言ったところである。そう考えると今は西暦2000年頃と言うことになる。
 見てみるとミサトの着ている服は防寒具であり、そう言えば意識を失う前恐ろしく寒かった気がする。
「…ここは、南極なのか?」
 そう言えば、ミサトは葛城調査隊唯一の生き残りだと言っていた。それなのだろうか?ミサトに視線を移すが、特に変化はない。
 今、救命カプセルか何かの中に入って漂流しているようだが、いつ助けが来ることになるのだろうか?ミサトが助かっている以上、ある程度安心は出来るが…
 今のミサトを見ていると、殺したいが…だからといって実際にやろうとすると殺す気が失せてしまうと言う。何ともやるせない気持ちになってきてしまう。なら、いっそのこと寝てしまって見ないようにする方が良いと思い、寝ることにした。


 やがて、空腹で目を覚ました。
(おなか、空いたな……)
 救命カプセルなら何か食べ物は入っていないかと探してみると、非常食と水が納められていた。
 非常食を取り出すが、そう何日分もあるわけではない。水もにたようなところか…
「……大事にしなきゃいけないな、」
 いつ助け出されるのか分からない以上、大事に食べて行かなくてはならないだろう。
 カロリーメイトのようなものを口に入れる…美味しいと言うことはないが不味くはなくてどこかほっとする。
 とりあえずある程度食べると、残った水と非常食を元の場所に戻した。
 そして…する事が無くなってしまった。
「…弱ったな…」
 結構音楽を聴くなどして時間を過ごしていたことがあったが…そんな気の利いたものがこの中にあるはずがない。純粋に暇である。する事と言えば本当に寝るくらいしかない。
「寝るしかないのか…」
 とりあえず、寝て過ごすことにした。


 そして…何度目かの食事を食べていたとき…ふと、ミサトの視線が気になった。
 ミサトの視線はシンジの手元にある非常食に来ている。今まで食事の時でも反応は示さなかったのだが…流石に空腹が厳しくなってきたと言うことだろうか…
 だが、貴重な食料と水、ミサトなんかにやるわけには行かない。シンジは最後の一欠片を勢い良く口の中に放り込む…それとともにミサトは俯き、その視線はシンジから離れた。
「ふん、」
 水を軽く飲んで、残りは元に戻した。


 次の日、食事をとろうとしたとき又ミサトの視線が気になった。
 また、当然のごとく無視して食事を始めたのだが、途中で止まった…ミサトはじっとシンジと、その手元の食料と水に視線を向けてきている。それがあまりに気になりそこから食事をとることが出来なかった…食べかけの非常食を元に戻す。
 暫くすると…やはり空腹と喉の渇きがが気になってきた…が、やはり食事をとろうとするとミサトの視線が気になる。
(たく…冗談じゃない、あんな奴なんかに大切な食料や水なんかやれるものか)
 使徒への復讐のために都合のいい道具になるように偽りの家族を形成し、偽りの愛を与え…そして求められると突き放した…そんなとんでもない奴に大切なものをやれるはずがない。


 更に次の日になると、そのミサトの視線も来なくなった。ミサトはじっと俯いたまま動かない。
「やっと、諦めたか」
 シンジは早速、非常食を食べ水を飲むことにした。
 空腹がかなり酷くなっていたこともあり、余り美味しくないはずのものでさえ美味しく感じ、また、のどを潤す水も美味であった。
「うん、おいしいや」
 しかし…食事を取っているうちに又ミサトのことが気になってきた…なんだかもやもやとしたものが込み上げてきて、先ほどまで美味しく感じられていたものが不味くさえ思える。
「たくっ…なんなんだよ…」
 ミサトに視線を向けるがミサトは俯いたまま動かない。
 目の前で食事を取っているが自分に分けてくれると言うことはないと言うことが分かり、諦めたのだろうと…思ったが、何か違う気がしてきた。
 もともと耐えかねての事だった。それが無くなったと言うことは、限界に来てしまったと言うことではないか…
 その事に気付き慌ててミサトに近付き触れるとそのままミサトは崩れて倒れてしまった。慌てて息を確認すると、弱くなってきてはいるが未だ確かな息があり、シンジはほっと息を付いた。
 何日間かの間飲まず食わずだったのだ…当然と言えば当然だろう。
「……僕のせいだって言うのか?」
 誰に言った言葉なのか、あるいは自分自身に言った言葉であったのかもしれない。
「だけど、やってしまって足りなくなったら僕が死んじゃうじゃないか…ほんのちょっとしかないんだ。いつ助けられるかも分からないのに…」
 そう、自分をただ利用してきたミサトなんかは、このまま死んでしまえばいい…そう思った時、あの戦自の侵攻の時…ミサトがその身を盾にして助けてくれたことが思い出された。
 あの後シンジの手にはミサトの血がべっとりと付いていた。ミサトは自分がもう助からないと分かっていたからあんな事を…
 例え、その目的が自分をエヴァに乗せるためであったとしても、ミサトが命を引き替えに自分を助けてくれたことは確かだった。…なのに…今自分はミサトを見捨てようとしている…
「…なんなんだよ…当たり前じゃないか、僕が生き残るには仕方ないじゃないか…」
 良心の呵責なのか、それを振り払うために敢えて声に出すが、自分の耳にも言い訳にしか聞こえなかった。
 自分が生き残るためにミサトを犠牲にする。目的はともかく、自分のために、自分のためだけに誰かを犠牲にしている。それでは、ミサトやその他のネルフの大人達と変わらないではないか。いや、むしろ、ミサトなどはその命と引き替えに自分を助けてくれた。他の大人達はその様な明確な何かを示したわけではない…しかし、何もしていないとは言い切れない。だが、自分はミサトに何もしていない…そして犠牲にしようとしている。自分は彼らと同等かそれ以下であることはあっても、彼らの方が下になると言うことはあり得ないではないか…
 だからと言って、ミサトのために何かしてやろうとは思えない…なのに、ミサトにして貰ったことが次々に思い出される…
「……ちくしょう……ちくしょう……」
 あれは利用するために偽りの愛を与えたに過ぎないとして、それを振り払おうとするが、振り払っても振り払ってもんなにあったのかと思えるほど次々に思い浮かんでくる。
「くそっ!こんなのは嫌だ!」
 こんな思いに晒されているのは嫌だ。これから解放されるためにミサトに食料と水を与えよう。あくまで解放されるためであって、ミサトが死んでしまうのが嫌だからではない。そう自分に言い聞かせてからミサトを抱え起こし、水が入ったペットボトルを口に近づけた。
 だが、ミサトは飲もうとしない…飲もうとするだけの力が残っていないのだろうか…
 シンジはミサトの口を軽く開けさせて、口の中にゆっくりと水を流し込む…少ししてこくりと水を飲み込んだ。
 又ゆっくりと水を流し込み、こくりと飲み込む…それを繰り返し、いつの間にかペットボトルの中身はもう残りはなくなっていた。
 新しいペットボトルを持ってきて、今度はカロリーメイトのようなもののかけらをミサトの口に入れてやる…そして、水を少し流し込み、飲み込ませる…それを繰り返し、ミサトに食事を取らせた…
 食べ終わるとミサトは目を閉じ、動かなくなってしまい、まさか!と思ったが、どうやら眠りについただけらしいと言うことが分かると、ほっと胸を撫で下ろした。
「…なんで、僕はほっとしてるんだよ…」
 そう呟いてからシンジも寝ることにした。
 何故か気分は悪くはなく、すんなりと寝ることが出来た。


 そして、次の日…シンジが目を覚ますと、既に目を覚ましていたミサトがじっとシンジの顔を見つめていた。それは今までの食べ物や水が欲しいと言ったような視線ではなく…興味を抱いていると言ったような視線である。
「…なにか言いたいことでもあるのか?」
 そうシンジが言うと、とたんにミサトは視線を逸らしてしまった。
 一つ溜息をつく…同じミサトなのに、とても同じ人間には思えない。あるいは、この弱々しく傷付きやすそうな今の姿がミサトの本当の姿なのだろうか?
「ああ、もう!」
 そんな考えが浮かんできてしまいそれを振り払い…もう一度寝てしまうことにした。


 目が覚めるとお腹が空いてきていたので食事を取ることにする。食料は…節約して食べていってももう2食分しかなかった。水の方ももう残り少ない。
「もう…これだけか…」
 その貴重な食事を取っていると…やはりミサトの視線が気になった。
 3日前と同じ視線…あれを無視し続けたらから、ミサトはあんな風になりシンジはあんな思いに晒されることになった。なら、ここでこれを渡しておけば、もうあんな思いになることはないだろう。
「…食べるか?」
 シンジは最後の非常食と水をミサトに見せる。
 ミサトは少し驚いたと言ったような表情をした後、コクリと頷いた。
 食べ物と水に関係することではあるが、初めてミサトがシンジに反応を示してくれた。その事が何故かとても嬉しいことに思え、それらをミサトに渡すとき自然に笑顔が浮かんでいた。 


 そして、水も食料もなくなった。又、空腹が辛くなってきたが、もう食べるものも飲むものもない…
 シンジは何度目かの溜息をついた…その時突然、暖かいものがシンジに当たりぐっと押された。
「ん?」
 それを見るとミサトがシンジの横に座りシンジに体を預けて眠っていた。
「…なんなんだよ…」
 たったあれだけのことでシンジを信用しきったとでも言うのだろうか?安心しきった表情を浮かべてすやすやと眠っている。
 全く訳が分からない、自分は殺そうとしたのに…
「……たくっ…ホントになんなんだよ……」
 愚痴っぽく呟いてから、する事もあるはずがないしシンジも寝てしまうことにした。
 誰かと触れ合いながら眠りにつく事は随分久しぶりに思える…果たして、いつ以来の事だろうか?そんなことを考えながら眠りに落ちていった。


 波と風の音、それだけしか聞こえないはずだった。だが、それとは又違う音で目を覚ました。
「……ん?」
 自分に体を預けているミサトの向きを変え、壁に凭れさせてから立ち上がり辺りを見回す。いつの間にか、海の色は青に近付いてきている。流されて南極圏をでてきているのだろう。そして、遠くを大きな船が航行しているのが見えた。
「船だ…」
 暫く船を眺めているとこのカプセルに気付いたのか、舵をきりこちらの方に向きを変えた。
「…助かったんだ…」
 見捨てなくて良かった…二人とも生き延びることが出来た。確かにミサトには様々な想いがある。だが、今はただ嬉しかった。