今日も学校を早退して技術部の実験に参加していた。 シンクロ関係の新しい技術開発のための実験で、技術部はかなり力を上げているようでここのところ連日で実験を行っている。 今日の実験は終わり、更衣室で着替えをしていると葛城三佐がやってきた。 何か用だろうか? 「お疲れさま〜」 「何か用ですか?」 着替えをする手を止めて尋ねると「ちょっちねぇ〜」と言ってポケットからチケットらしきものを取り出して私に見せてきた。 「これ、最近がんばってるレイに私からのご褒美」 チケットは映画のものだけれど、タイトルに聞き覚えはなかった。 「……映画のチケットですか?」 「そう、日曜日は私の権限で完全にフリーにしておいたから、行ってらっしゃい」 葛城三佐は時々ではあるけれど、ご褒美と言って何かくれたり、どこかへ連れて行ってくれたりしてくれることがある。 別に映画に積極的に行きたいということはなかったけれど、好意で言ってくれているのであるし、勧めてくれるようなものなら悪いものではないだろうから、物は試しと「はい」と答えてチケット受け取ることにした。 そして受け取ってそれが二枚重なっていることに気づいた。 「二枚?」 「映画に一人で行くなんてつまらないじゃない。誰かと一緒に行ってこそよ。そう、例えばシンちゃんに連れて行ってもらったら?」 「碇君に……」 一人で行くのがつまらないものだというのは、どうなのか分からないけれど碇君に連れて行ってもらうというのはなかなか魅力的だった。 今まで何度も碇君に買い物に連れて行ったりしてもらったことがあるけれど、それはたいてい必要なものを買うというものかその延長ばかりだった。だから映画を見るためにわざわざ中心街まで行くなんてことは今までにない。 碇君に映画に連れて行ってもらうという要素が加わっただけで、映画を見に行くということがものは試しという感じから連れて行ってもらいたいと思うように魅力的になった……葛城三佐が言った一人で行くなんてというのは間違ってはいないのかもしれない。 教室にいる人の数は少ない……疎開が進んでからはそんな光景も見慣れたものになってきているけれど、今日は特に少ない気がする。 何かあるのかなと思いながら鞄から教科書やノートを取り出して引き出しに入れていると、綾波が登校してきた。 教室に入ってきた綾波は自分の席じゃなくて僕の方にまっすぐに向かってきた。何か用でもあるのかな? 「おはよう」 「おはよう」 綾波は鞄を開けて何かを取り出して「これ」って言いながら差し出してきた。 「日曜日連れて行ってくれないかしら?」 「……え?」 それは映画のチケットだった。ひょっとして……ひょっとしてこれはデートのお誘いなのだろうか? あの綾波が僕を? ……そんな馬鹿な。 綾波がそんなことを意識しているとはちょっと思えないし、その相手が僕だなんてなおさら…… でも、映画のお誘いって…… そんなことを考えていて、なかなか答えを返さなかったら、綾波は少し残念そうに目を伏せてしまった。 「あ、うん。いいよ」 そんな顔をさせてしまうのは嫌だったし、そもそもそれがデートのお誘いなのかどうかはわからないけれど綾波と映画を見に行きたいかと言われれば行きたいし、綾波がからかうためになんてことはするはずがないし、僕に断るなんて選択肢はなかった。 慌てて言うと、今度は「ありがとう」って少し嬉しそうに返してくれた。 レイがシンジをデートに誘った。 ……正直、びっくりした。 アタシだけじゃなくて、あの場にいたものほとんど、シンジ自身も含めて……人によってその理由は色々だったかもしれないけれど、びっくりしたという点では同じだろう。 シンジがレイを気にかけているのは知っているし、レイの方も同じなのは見ていれば分かる。でも、どっちも自分から動くとは思えないような性格だから全然進んでいなかったのに、それがあんな大胆な行動に出るなんて…… アタシにはあんな風にデートに誘うなんてできない…… 例えば、買い物に行くからついてきなさい。荷物持ちよ荷物持ち! なんて言うのが精一杯。 シンジと一緒にデートもどきをするためだけに買い込んだ服がずいぶん溜まっている…… それなのにレイはどうしてあんなにも大胆な行動ができるのだろうか? 正直悔しいし、簡単にOKしてしまったシンジが腹立たしい……けれど私はそれを妨害したりするほど子供っぽくはない。 ……そうなのだけれど、完全に放っておくなんてことができるほど大人でもなさそうだ。 夜……自分の部屋で綾波からもらった映画のチケットを見ながら今朝のことを考えている。 綾波が映画に誘ってくれたわけだけれど、一緒に映画館に……やっぱりこれってデート? デートになるんだよね? (綾波とデートか……) 今までも考えたことがないわけじゃないけれど、そんなの無理だって考えないようにしていた。 それなのにまさか申し込まれるなんて…… (でも、綾波はそんな風に考えていないかもしれないな) こう言っては悪いだろうけれど、綾波はずいぶん変わっているところがある。 特に前は酷いものだったと思う。あんまりにあんまりで放っておけなくて……放っておきたくなくて、服とか家具とか色々と買い物に行ったりもした。 (ああ、そうか、だから連れて行ってくれない? だったのかもしれないな) 最近は色々と反応豊かになって来たり、新しいものに興味を持ってくれるようになったけれど……だからこそ、ただ、映画が見に行きたいか何かでデートという気はないのかもしれない。 良いよと答えたら喜んでくれたけれど、それはどういう意味でだったんだろう? (全くなんでもないってわけじゃあないんだろうけれど……) 綾波がどう考えているか分からない。当日になれば分かるんだろうけれど……それまでこんな気持ちを抱えたままになってしまうのだろうか? そんなことを考えていたら、ドアがノックされる音が聞こえてきた。 チケットを机の上に置いて「はい」って答える。 「シンちゃんはいるわよ」 ミサトさんが入ってきた。 「どうかしました?」 「どうかしたってわけでもないんだけどね」 なんだか、楽しそうだけれど……どうしたんだろう? 「小耳に挟んだんだけどシンちゃんレイとデートするそうじゃない」 「え、ええ!? そ、そんな、デートなんかじゃありませんよ!」 さっきまで考えてことで弱気になっていたってことはあるのだろうけれど、ミサトさんにデートをするだなんていうのは恥ずかしすぎて勢いよく否定したのだけれど……ミサトさんは「ええ〜? 本当?」なんて思いっきり疑ってきてる。 「そ、そうですよ、ただ、映画に連れて行って欲しいって頼まれただけで……」 だんだん声が小さくなっていくけれど、ミサトさんにとってはそれで十分……火に油を注ぐようなものだった。 ますます楽しそうな顔になっていってしまう。 「十四歳の男女のクラスメイトが一緒に映画館に……それってどこから見たってデートなんじゃないの?」 「う……でも綾波はて言うか、どうして知ってるんですか!」 思わずあんな反応をしてしまったけれど、そもそも、いったいどうしてミサトさんがそのことを知っているのか、そこをついたのだけれど……「さぁてねぇ〜」なんて風に軽く躱わされてしまった。 楽しそうに笑っているけれど、断言できる。あれは僕をからかって遊んでいる。 なんだか、どっと疲れてしまった。 「で、映画館だけ?」 「え? だけって?」 「折角のデートなのよ、二人でおいしいものを食べたり、何かプレゼントを買ってあげたりとかは?」 「だからデートじゃないって」 「まあまあ、そうかもしれないけど、レイはデートだと思ってたのに、シンジ君はデートだとは思っていなかったとかそういう風になったらレイにとってはショックじゃないかなぁ」 「う……」 「碇君はデートだとは思っていなかった、もうだめなのね私」 全然似ていない…… でも、そうなってしまうと、綾波に嫌な思いをさせてしまうことになるし、何よりも勿体ない話だと思う。 「どうやら納得したようね」 「でも、どうしたら良いんでしょうか?」 「おね〜さんにまかせておきなさい。そういうときは、たとえだめになっても準備をしておくのが男の甲斐性ってもんなのよ」 それから、あいつみたいにそこらじゅうの女にそんなことするようじゃ終わってるけど……なんて小声でつぶやいた。そのあいつが誰なのかも分かるから苦笑するしかない。 「まあいいわ、これあげるから映画館を出た後のデートコースについて考えなさい。それからお小遣いもあげるから、しっかりやってきなさい」 すべて納得したわけではないけれど、「ありがとうございます」と言って、雑誌とお小遣いを受け取った。 それから、夜遅くまで雑誌を見てデートコースなんてものについて考えていた。 いよいよデート当日……今日は12式大型発令車を保安部と作戦部合同の特別訓練名目で借りてきた。 こんな町中で作戦部が保安部と合同でいったいどんな訓練をするのかと総務部長は思っただろうけれど、リツコからも協力を得て、技術部長からの推薦を付けたのが大きかったのだろう。渋い顔をしながらだったけれど、直ぐに了解を取り付けられたし、司令部の方にはリツコの方から適当な理由を挙げてもらっている。 「こういう方法は好きではないんですけれどね」 横に立っている保安部二課ファーストチルドレン班の班長、比叡一尉が愚痴を漏らしてきた。 「前に、レイには幸せになって欲しいって言ってたじゃない。両想いなのにお互い踏み出せないままなんて色々勿体なすぎるわよ」 「まあ、そうなんですけれどね……」 こちらの言ったことを認めたのだろう。それだけ言って黙った。 今日必ずや二人の仲を進めてみせる……二人の仲が深まれば作戦上も好ましいし、私にとっても美味しすぎる酒の肴が手にはいるはずだ。 シンジ君とレイをそれぞれ別々にあるいは一緒にからかったら、どんな反応をするのかを考えて楽しんでいると、いよいよということを示す報告が入ってきた。 「ファーストチルドレン第1ポイントまであと3分です」 「いよいよね」 モニターには待ち合わせ場所でそわそわしながら待っているシンジ君の姿も映し出されている。 さっきから時計を見る感覚が小さくなっているのも、まだ待ち合わせの時間になっていないのも分かっているけれど、どうしてもそうせずにはいられなかった。 綾波のことを疑っているわけじゃない……けれど、もしこのまま来なかったらどうしようって不安はぬぐいきれていなかった。 もう何度目になるのか、また時計に目をやろうとしたとき綾波の姿が見えた。 ちゃんと来てくれて良かった。 「おはよう」 「おはよう」 綾波が着てきたのは、前に一緒に買いに行った服の一つだ。 「ちょっと早いけれど、行こうか?」 綾波はうなずいて、二人で並んで歩き始めた……のだけれど、しばらくして、なんだか誰かに見られているような気がして立ち止まった。 「……どうかしたの?」 きょろきょろと辺りを見回したけれど誰の姿も見えない。 ということは、保安部の人か何かなのだろうか? 「あ、うん。誰かに見られているような気がして」 「新人が加わったのかもしれないわね」 と綾波も同じ意見みたいだ。それなら気にする必要はないか。 危なかった……もうちょっとで見つかってしまうところだった。 民家のブロック塀の陰に隠れながら二人の様子を覗う……どうやら気づかれなかったようだ。 そのまま放っておけなかった。イザとなったら飛び込んでやろうと思っているけれど、始まる前から見つかってしまってはお話にならない。 (むぅ……) それにしてもやっぱり、二人で仲良さそうに歩いているのを見ると腹が立ってくる。 シンジのやつ、何かへまをしてレイの印象を悪くしたりするような展開にならないものだろうか? 「ふむ、バスに乗るつもりね」 当然といえば当然だけれどバス停でバスを待っている。 ほどなくバスがやってきた……一緒にのるわけにもいかないから、アタシの方はタクシーを呼んで後をつけることにした。 ………… ………… ほどなく都心部に到着。二人がおりたからアタシもタクシーを止めておりる。 まだ、映画の上演時間には早いのか、映画館に入らずにぶらぶらと歩きながら話をしている……何を話しているのかまでは分からないけれど、何となく楽しそうなのがちょっと頭に来る。 まずい! シンジがこっちを振り返った。 間一髪でそこにあった看板の裏に隠れることができたけれど、この体勢は怪しさ爆発……道行く人みんな、何だろうかって感じでこっちを見てくる。 (こっち見るんじゃないわよ! シンジに気づかれたらどうしてくれんのよ!) 目で猛烈に威嚇してやるとみんな目を背けてそそくさとアタシの前から消えた。 改めてシンジたちの様子を窺うと、どうやらこちらには気づかなかったようで、また二人で歩き出していた。 よし、改めてと、そのままつけていったんだけれど…… 「なんで、アンタがここにいるわけ?」 「それはこっちに台詞よ」 目の前にいるのは霧島マナ。まあ、理由は大体分かるけれど…… 「同じ理由かしらねぇ」 「たぶんね」 「ちなみに二人は」 「見てたから分かってる」 「……アタシは行くわよ」 「私もよ」 どうしてマナなんかと一緒に入ることになってしまったのかと思いながら、映画館に入ったんだけれど、入り口でマナと出くわしてしまったせいでシンジたちを見失ってしまっていた。 スクリーンがたくさんあるシネマコンプレックスではいったん見失ってしまったら捜すのも一苦労…… (ちぃ、どこにいるのよ) どの映画を見ようとしているのか分からない。とりあえず上演開始時刻から考えて候補は………四つもある。 「まいったわね」 「おなじく」 「……二つずつ受け持つ?」 「……そうね。完全に公正をきするために総費用を割るふうにする?」 「そうね」 財政的な事情からここは一時協力することにした。 そうして候補の映画を一つ一つつぶしていくと、一番なさそうに思った映画が最後に残った。 「……本当にこれ?」 「……あ、いや、でも、よくよく考えたらあり得ないわけじゃないかも」 残っているのは初めて聞くホラームービー。 タイトルはこれっぽっちも聞いたことがない。本当にこんなのやってたんだって感じ。 「……はいる?」 「いちおう……本当にいるかどうか確かめてきた方が良くない?」 「そうね」 チケットを買ってゲートを通過する。 すると、売店で何を買うか迷っているシンジを見つけた。 本当にこれとは……携帯を使ってマナを呼ぶ。 それにしても、シンジのやつ楽しそうにしてるけど、ホラームービーだって知ってるのだろうか? それに、レイがホラー映画を選ぶなんてちょっと思えないんだけれど……誰かの入れ知恵かな? 何となく、ビール缶片手にぷっはぁ〜なんて言っている人間の姿が思い浮かんだ。 ……本当にミサトだとするといろいろと面倒そうね。 あるいは技術部のメンバーかもしないけれど、と思っているとマナがやってきた。 「シンジは……楽しそうね」 「ええ」 腹立つ……ポップコーンとジュースを抱えたシンジが中に入っていく、少し間をおいてからアタシたちも一緒にはいることにした。 「どんな映画なんだろうね」 「さぁ、でも……」 ホールにいる人数は少ないというよりもガラガラ…… よっぽど人気ないわけか、デート失敗の方向には都合が良いかもしれない。 開始時刻になったのだろうブザーが鳴り、ホールが暗くなった。 おきまりのようにスクリーンに他の映画のCMが映し出される。 その時点で分かったことが一つ、この映画館かなり良い音響備えてる。 第3新東京市では一番良いのじゃないだろうか? 今度良いのがあったらくるか。 画面が切り替わって本編が始まった。 「ひゃっ」 突然目の前にお化けが現れたのにびっくりしてちょっと声を出してしまった。 別に怖いお化けじゃなくて、絵本とかに出てきそうな愛嬌のあるお化けだったのだけれど、完全な3D映像……空間投影を使っていた。 ネルフじゃ結構見るけれど、まさか映画でこんな技術を使うなんて……かなりやるわね。 この案内役のお化けは怖くも何ともないけれど、これだけの技術を使って作っているホラームービー。まさかこの程度なわけがないし、せっかく高いお金を出してみているんだからどんなに怖い映画なのか楽しみにさせてもらおうじゃないの。 映画館を出る……碇君に初めて連れて行ってもらった映画は決して良くはなかった。 いえ、悪かったといった方が良いかもしれない……碇君は私の腕にしがみついたままガタガタと震えている。 映画の間中ひどく怖がっていた…… 「碇君、大丈夫?」 「あ、う、うん……もう大丈夫」 と言っても、私の腕を放さない。 葛城三佐がどうしてあんな映画のチケットをくれたのかは分からないけれど、どんな映画なのか調べてからにするべきだった。 映画の内容は面白くはなかったし、碇君にとってはさんざんなものでしかなかったはずだ。 「……ごめんなさい」 「え? あ、う、うん、大丈夫だから」 大丈夫には見えない……強がりと言うものなのだろう。 どこか休めるような場所はないだろうか? 「……あの映画ちょっと酷くないですか?」 「あ、うん……」 リツコにホラー映画をお願いしたんだけど、それが間違いだったのかもしれない。けれど、まさか最先端技術を全力で注ぎ込んであんなものを作るとは誰も思わないだろう。 シンちゃんはまだレイにしがみついて震えっぱなしだし……情けない。 でも、一緒に入ったあの二人も同じ感じだし、それどころか保安部員も平静ではいられないようだし……情けないというわけでもないかもしれない。 いや、よくよく考えてみたら、そもそもレイをホラームービーで怖がらせる作戦自体が問題だったのかも? (ちょっち考えが浅かったわね) 「で、どうするつもりですか?」 「時間的にはそろそろお昼だし、復活したらご飯ってところね。次の作戦はその後実行しましょう」 「どう?」 「ええ、美味しいわ」 綾波は喜んでくれている。 本当に美味しいし「超」おすすめの店ってばっちり書いてあっただけのことはある。 こんなにいい料理食べたの久しぶりかも……見るからに高そうでメニューの金額もびっくりしそうなものだったけれど、たぶん僕たちみたいな中学生には絶対に場違いな店ってだけで、それが妥当な金額なんだろうな…… でも、今はそんなことは忘れて、この料理を楽しもう。 そうして料理を楽しんだ後、店を後にしようとしたのだけれど…… 「6450円になります」 やっぱりお値段はすごいものになっていた…… 「六千……」 財布の仲には五千円札一枚と小銭だけしかなかった。 小銭を数えてみても千円ちょっと、微妙に足りない。 (ま、まずい!) 「どうかしたの?」 「え? あ……う、うん……」 ど、どうしよう? どうしたら良いんだろう。 数え直してみても、お金が増えたりすることはないし、ポケットに小銭が残っているなんてこともなかった。 「……」 綾波がちょっと小首をかしげている……僕の行動が分からないのだろう。でも、分かられても悲しいし…… そう思うのだけれど、自分の力ではどうしようもなかった…… 「シンジく〜〜ん!!」 思わず叫びながらモニターをつかんで激しく揺さぶっていた。 「ちょっちょっと葛城三佐! 落ち着いてください!」 ええい止めるな一尉! と言いそうになったけれどモニターから変な音が聞こえてしまったのでピタリと手が止まった。 もしこの車を壊してしまったとなったら、始末書の山がまたできあがってしまう……モニターにはちゃんとレイが代わりに払って店を出る二人が映っていて、ほっと一安心。 でも、それってあんまりにも情けなすぎるし、それにお小遣いも萬券で上げたのに、足りないっていったいどういうことよ!? 高いとは分かっていたけれど……だからって、いくら何でもみっともなすぎるよな………… 「碇君」 「あ、うん。何かな?」 「あのソフトクリーム食べたいのだけれど」 綾波が指さした先の出店でソフトクリームを売っている。 「あ、うん、分かった。買ってくるから待っててね」 綾波は気にした雰囲気ではなかった。それどころか失敗して落ち込んでしまった僕にフォローまでしてくれて………だから、よけいにへこんでしまいそうだ。 「いらっしゃい」 「ソフトクリーム二つお願いします」 「はい、六百円になります」 お金を支払ってソフトクリームを受け取って綾波のところに戻る。 「はい」 「ありがとう」 受け取って早速ペロッとなめて「おいしい」と言ってくれた。 いつまでもへこんでいるわけにもいかないしと、僕もなめてみたけれど本当に美味しかった。 「本当に美味しいね」 「ええ」 そうやってソフトクリーム片手に歩いていたのだけれど…… 「そこの彼女、ちょっと良いかな?」 「え?」 見るからに柄が悪そうな感じで、しかも改造学ランってまさに「不良です!」ってアピールしている感じの人が綾波に声をかけてきた。 「可愛いじゃない、今から俺と一緒に良いところに行かない?」 綾波は我関せずといった感じでソフトクリームをなめてる……確かにこのソフトクリームは美味しいけれど、そ、その態度ってひじょ〜にまずいんじゃ? 「無視しないでほし〜なぁ」 でも、やっぱり無視……背中に冷たいものを感じる。 「無視すんじゃ!」 ずいぶん気が短いようでいらつきながら綾波に向かって手を伸ばしてきたのをパシッと払う。 「……何?」 「だから言ってるだろ!」 「ちょっと待ってください!」 二人の間に割って入る。 「何だてめえ!」 こ、怖い……で、でも、逃げちゃだめだ。 「逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ」 「何ぶつぶついってんだてめぇ!?」 「嫌がってるのは見たら分かるじゃないですか!」 顔をぐいっと近づけながら「ああっ!!?」ってすごんでくる。怖くてびくっと体が震えてしまった。正直逃げ出したいけれど、綾波を護るために割って入ったんだ。逃げるわけにはいかない。 「で、でも!」 「うざってぇんだよ!」 殴られる! 拳が僕に向かって飛んで……来なかった。 思わず閉じてしまったまぶたを開けると……逆に、不良の方が地面にぶっ倒れていた。 なんと綾波が殴り飛ばしていたのだ。 「大丈夫?」 「え? あ、うん、僕は大丈夫だけど」 それよりもあっちの不良の方が…… 「そう、良かった」 ほっとしているみたいだけれど、あの不良は…… 「行きましょう」 「あ、あ、でも……」 気絶しているのか全然起きあがってこなかったのが心配だけれど、起きあがってこられても怖いし、綾波がこう言っているし逃げた方が良いのかな? ちょっと迷ったけれど逃げることにした。 未だに、起きあがってこない。 完全に気絶している……このまま放っておいても良いかと思ったけれど、一応保安部員を向けることにした。 「…………ねぇ、あの時代錯誤な格好のバカどこで見つけてきたわけ?」 「いかにもという感じだったので……ちゃんと喧嘩に負けてくれるように言って金を渡したのですが……」 「そこまで行く前にレイに返り討ちにあう羽目になったわけね」 「そういうことですね」 「頭の中だけじゃなくて喧嘩も弱いか、救いようがないわね…………仕方ない、第二弾準備」 「はい」 「今度はちゃんと大丈夫でしょうね?」 「……たぶん」 たぶんじゃ困るんだけどとは思うけれど、今から作戦を立て直すのも何だし、そのまま続行させることにした。 「それにしても、一つ思ったんだけど」 「何でしょうか?」 「あんな格好暑くないのかしら?」 「さぁ」 色々な感じで見ていられない……見ているこっちまで情けなくなってきた。 「ねぇ、今日のシンジっていくらなんでも情けなすぎない?」 「シンジって元々情けないやつだけれど、今日はねぇ……」 映画館はともかくも、その後はいったい何なのかと問いつめたい。小一時間ほど問いつめたい。 もし相手がレイじゃなくてアタシだったら、一発ぶちかまして一人で帰っているところ……いや、そうじゃなくたって一発殴りたい。レイとのデートが失敗に終れば、それはアタシにとって嬉しいけれど、いくらなんでも度が過ぎている。 あそこまで情けないやつと一緒にいるだなんてってレイに思われたりなんかしたら……冗談じゃない。 ここは一つこのアタシがと思ったとき「あれ?」なんて声をマナが出した。 「どしたの?」 「また絡まれてる」 見るとまた二人が絡まれていた。今度は二人組で、さっきのに比べると大分まともな格好をしてる。 とは言え、こうも短時間に二回も絡まれるだなんて……シンジもついていないと言えばついていないわね。 「……よし」 手短に落ちていたコンクリートの破片を拾う。 「どうする気?」 「あそこまで情けないやつと……なんて思われたら嫌よ。シンジが何かしたらタイミングをあわせてあいつにぶつけて吹っ飛ばしてやるわ」 「なるほど」 シンジが手を出すかどうか多少心配なところはあるけれど、いくら何でもやられっぱなしなんてことにはならないだろう……そう信じたい。そのくらいは信じさせて欲しい。 しばらくのやりとりの後、男がレイに手を出そうとしたところにシンジが割り込んで、シンジが殴られそうになったら、またレイが男をぶっ飛ばした。 まるでさっきのリプレイを見ているかのようで、アタシの出番は全くなかった。 「……考えてみたらさっきもシンジって綾波さん助けようとしてたんだし、そこまで情けないってわけでもないのかも」 「……そうかもしれないわね」 結果的にはレイに護られる形になってしまったけれど、どちらもシンジはレイを護ろうとしていた。 レイもシンジのことを情けないやつとは思っていないだろう。ひょっとしたら護ろうとしてくれたことを快く思っているかもしれない。……面白くない。 かといって何かできるわけでもと思っていると、ゲームセンターからぞろぞろとお仲間らしき奴らが出てきた。 本当にぞろぞろ出てくる……ヲイヲイ何人いるのよ? ぐるっと二人を取り囲むように布陣、ざっと四十以上はいる。 「どっから沸いて出たのよこの害虫たち……」 「それは良いけれど、まずくない?」 「まずいわよ……こうなったら仕方ないわ。放っておけない、行くわよ」 マナと一緒に飛び出す。 手短な男に向かって走り、跳躍……後ろから跳び蹴りを食らわして吹っ飛ばす。 着地してすかさず右のやつにミドルキック左のやつに裏拳をたたき込む。 反応するまもなく三体を瞬殺。 ようやくアタシのことに気付いて怒号を上げて反撃してきたけれど、そんなへなちょこパンチ躱すのは造作もない。 「はっ」 クロスカウンター……狙い通り完全に決まった。 これで四体。 「ちっ」 素手ではかなわないと分かったのか木刀なんてものまで振り回してきたやつがいた。 バックステップで躱す……ある程度の状況判断はできるくらいの知能はあるようだけれど、全然不足。 真剣白刃取りならぬ、木刀白刃取りをかまして、そのまま蹴り飛ばして木刀を奪った。 獲物をアタシに渡したのが間違い…… 「しねぇ!!!」 柄をしっかりと握り、正面のやつをぶったたく。 すかさず払い上げ、次々にぶったたいていく。 途中から保安部員も突入してきて、なぜか相手側にも増援がやってきてもう大混乱。 何がどうなっているのかさっぱり分からない。 それでも、片っ端からぼこぼこにたたきのめしていくうちにやがて収まった。 辺りには不良どもが地面にごろごろと転がっている。 アタシが持ってる木刀には血がべったりと付いているけれど、まあ、見なかったことにして放り捨てる。 「あっ……」 マナの方もさすがは元戦自、無事だけれど………最大の問題は、叩きのめす快感にちょっとだけ忘れかけてしまった一番肝心な二人の姿が見えなかった。 「し、シンジ君は!?」 「申し訳ありません。見失ってしまいました!」 「謝ってる暇があったらさっさとさがしなさい!!」 百人以上が入り乱れる大乱闘の中二人の姿を見失ってしまった。 まずい……非常にまずい。 「保安部で動員できるメンバーありったけ使って二人をおいなさい!」 「了解!」 「情報部につないで、すぐに報道管制しかせて!」 これだけの大乱闘……そこを忘れるととんでもないことになる。マスコミが到着する前に手を回さなければ…… けれど、それ以上に肝心なのは二人のこと…… 乱闘中にどうなったかも不明だけれど、今保安部がロストしてしまっていると言うことはノーガード……敵対組織に感づかれてしまったら…… 「……シンジ君、レイ……」 裏路地に入って身を潜めてから結構時間が経った。 「もう、大丈夫かな?」 「保安部が介入していたし、そろそろ大丈夫だと思う」 「そっか、良かった……」 本当にほっと胸をなで下ろす。 上手く逃げられて良かった。 「ここ出ようか」 「ええ」 裏路地から出て、普通の道に戻った。 これからどうしようか? さっきから二回も絡まれちゃったけれど、二度あることは三度あるともよく言うし……何となくここにいたくないけれど、かといってもう帰るなんてことは…… 「あ、そうだ」 「どうしたの?」 ミサトさんがくれた雑誌、関係ないページまで読んじゃったけど、アレに植物園の特集があったっけ。ここから少し離れてるけど、バスで行けばすぐなはずだ。 「ねぇ、もし良かったら、植物園に行ってみない?」 「え、植物園?」 何だか少し迷っているみたい。 やっぱり…… 「行きましょう」 「……うん」 表情に出てしまったかもしれない。 バスに乗って植物園にやってきた。 ペアチケットを買って、二人で一緒に入る。 中では綺麗な花が綺麗に整えられた花壇とかに咲いていた。パンフレットを見ると世界各地の珍しい植物やなんかが沢山あるみたい。そしてパンフレットでも大きく出ているし、雑誌にも載っていたここのメインは桜館。桜を一年中咲かせているらしい。 そんな植物園なのだけれど、綾波は何となくつまらなさそうにしているように見えてしまう。 「……つまらないところに来させちゃって、ごめん」 「そういうわけではないのだけれど……ただ、花はあまり好きじゃないの」 「え? どうして?」 そう聞き返したら、しばらくしてから少し言いづらそうに「……同じものがたくさんあるから」って答えが返ってきた。 「同じものがたくさん?」 「……ええ」 確かに同じ花はたくさんある。それがどうして好きじゃないなんてことになるのかは分からないけれど、僕が連れてきてしまったんだから、少しでも楽しんでもらわないと…………。そうだ、前に先生が言っていたことを綾波に伝えたらどうだろうか? 僕にとっては大して意味はなかったけれど、ひょっとしたら…… 「でも、同じ花っていっても本当に全く同じってわけじゃないと思うよ」 そう言うと綾波は意外だったのだろう、「え?」って顔をした。 「ほら、この花。同じ花だけれど、ちょっと背が違うよね?」 「ええ」 「こっちは同じ木だけれど、この花とこの花は同じじゃないよね」 「そうね」 「同じ花と言えば同じ花。でも違うところはちゃんとある。同じものと扱うか、別のものと扱うか、その区切りの問題なだけじゃないかな?」 それから、先生が前に言っていたことなんだけれどねってちょっと苦笑しながら付け加えた。 けれど、綾波はいまいち納得できていない様子だったから、さらに付け加えることにした。 「僕たちだって同じ人間だし、同じ中学生、同じチルドレンだけど、綾波と僕は何もかも同じってわけじゃないよね?」 「……ええ」 「違うかな?」 しばらく考えた後「……碇君が言っていることが、正しいのかもしれないわね」って答えを返してきた。 「碇君」 「何かな?」 「……私、少しだけ花のことが好きになれるかもしれない」 「そっか、良かったね」 それから綾波は軽くしゃがんで近くの花をまじまじと見始めた。 普通はそういう風に見るものでもないような気もするけれど、そう言うのは人それぞれだしまあいいかな? 五分くらいして、見終わったのか立ち上がった。 ちょっと好きになれたかもしれないけれど、それでも元々好きじゃなかったのだから、そんなに長くいなくてもいいかなって思って、そろそろ帰ろうかって声をかけようとしたら、「碇君」って綾波が声をかけてくる方が早かった。 「何?」 「ここに行っても良い?」 こことは、パンフレットに大きく出ている桜館のこと。 そっか、メインだけは見ていこうってことか、確かにそうだな。 「うん、行こう」 こうして、桜館に行くことにした。 他とは少し離れた区画にあるようで長い連絡通路を歩いていく。 「綾波って桜見たことある?」 「映像ではあるけれど、生で見たことはないわ」 「そっか、やっぱりないよね」 もちろん木だけならあるけれど、満開の桜みたいなのは映像でしか見たことはない。 春になると桜のことを話題に出したりする大人は少なくない……僕たちが生まれるよりも前の話なのに、そんなにも桜って特別なものなのかなって思ったことがある。 やっと桜館に到着した。中にはいると「本日の満開Cホール」なんて看板が出ていた。 「Cホールか」 パンフレットによると、沢山のホールの気候をずらして管理しているらしい。 そしてCホールと書かれた部屋に入ると、ピンク色の花びらが舞っていた。 大きな桜を中心にぐるっとホール中に桜の木が取り囲むように並んでいて、そのどれも満開に花を咲かして、たくさんの花びらがひらひらと舞っていた。 初めて見た満開の桜は……綺麗だった。 「すごいや」 「ええ」 綾波が真ん中の方にゆっくりと歩いていく。僕も綾波について桜の環の中に入った。 桜の花びら雨が僕たちに降り注いでくる…… 綾波は降り注いでくる花びらを掌で受け止めながら微笑んでいる……そんな綾波に見とれて、すこしぼうっとしてしまった。 「……碇君」 「あ、うん、何かな?」 「良いところにつれてきてくれてありがとう」 綾波は本当に喜んでくれた…… 色々と失敗してしまったりすごく情けないことをしてしまったけれど、良かった……本当に嬉しい。 「あ、そうだ」 周りには誰もいないし、今なら……鞄から昨日買ったプレゼントを取り出して綾波に渡す。 「これ……綾波に似合うと思って買ったんだけど、もらってくれるかな?」 綾波はゆっくりとした動きでプレゼントの箱を受け取ってくれた。 「……開けても良い?」 「もちろん」 リボンをほどいて包装紙を開けて中からペンダントを取り出す。 「ペンダント?」 「うん」 「ありがとう。つけても良い?」 「うん」 綾波はペンダントをつける……思った通り、すごく似合っていた。 「良かった。すごく似合ってるよ」 「ありがとう。大切にするわ」 「うん」 絶対に似合うと思って買ったけれど、値札見てなくて……とんでもない値段だった。そのせいで、お昼の時もお金が足りなくなってしまったりとかしてしまった。 ……けれど、そこまで悪くないかもしれないって今は思う。 植物園を出てバスをつかって、そしていつもの分かれ道までやってきた。 ここで、今日はお別れだ。 「それじゃまた明日、学校でね」 「ええ、また」 「あ、綾波!」 いつも通りに挨拶を交わした後、家の方に歩いていこうとする綾波を呼び止めた。 「何?」 「あ、あのさ……もし良かったらなんだけど、またどっかに二人で遊びに行かない?」 思いきって言ってみた。心臓をバクバクさせながら答えをまつ。 綾波は少し驚いたような表情をしてから「ええ、楽しみにしているわね」と笑顔で答えてくれた。 それからの帰り道は自然と軽い足取りになっていた。 だけど……デートはどうだったの? とやたらに絡んでくるミサトさんと、何でなのかは分からないけれどすごく不機嫌なアスカが僕の帰りを待ち受けていた。 今日の一件をとりまとめた報告書を読んでいる二人の姿があった。 「ふむ、やはりすぐにとは行かないようだな」 「ああ、だが確実に一歩歩みを進めた」 「そのようだな。しかし、葛城三佐の件はどうする?」 「まあ、害はなかったし放っておけば良かろう」 「そうか、ならそうしておこう」